「ルージェン」  
 聞き覚えのある声に名を呼ばれる。  
 観光シーズンをとうに外れたエアポート。その人気のない発着場の片隅のベンチで雑誌を読み耽っていた少女が、静かに顔を上げた。  
 茶がかかった金色の髪に、金属フレームの眼鏡。そこでにっこりと笑っている一見地味な青年の正体は、詐欺師にして、ここ数年来、裏社会で宇宙において最も敵に回したくない相手のひとりだと囁かれる人物。  
 この星にエアポートは数え切れぬほど存在するが、入星手続きの手際の良さや整備点検などのサービスに一定の質を求めるなら、その数は自ずと限られてくる。  
 その上、田舎のはずれのひどく辺鄙な場所にあり、いつも閑古鳥が鳴いていて、中央から派遣された入星管理官が並外れたものぐさ者であったなら。  
 互いに裏の仕事を生業としていれば、この青年とここで顔を合わせたとしても、何ら不思議は無かった。  
 だが、そんな大物の姿を認めても、少女は別段、動揺する事もない。立ち上がるどころか会釈する素振りすら見せず、表情ひとつ変えぬ事務的な口調で答える。  
「お久しぶりね。何か用?」  
「用がなければ、話もしてくれないのかい?」  
 柔和な笑みを浮かべたまま、気安い口調で青年が問う。  
 少女は僅かに肩をすくめた。  
「挨拶程度ならするわよ。あなたの機嫌を損ねて得することはないけれど、わざわざ機嫌を取るつもりはないの。気を悪くした?」  
「とんでもない。君に会えた日に、不機嫌になんてなれる訳がない」  
「お上手ね」  
 おざなりに呟くと、少女は再び雑誌に目を落とした。そこに青年がいたことなどすっかり忘れてしまったかの様に、細い指でページを繰る。  
 とりつくしまもない少女の態度に、しかし、青年は諦めない。変わらずにこやかな表情で少女に話しかける。  
「実はね、君に贈りたい物があるんだ」  
「それは結構な申し出ね。いったい何かしら」  
「たぶん、君が喜ぶものさ」  
「なぁに?」  
「薬だよ」  
「ふぅん」  
 少女はいかにも興味なさげに相づちを打った。  
「女の子へのプレゼントとしては、少し魅力に欠けるんじゃないかしら」  
「そうかな?喜んで貰えると思ったんだけど」  
「あいにく、健康上の悩みはないわ。どんな優れた合法ドラッグにも興味はないし、積極的にサプリメントを飲むほど、長生きしたいとも思ってないもの」  
「例の発作、最近はどうなんだい?」  
 青年の言葉に、ネット犯罪に関する記事を追っていた少女の視線が止まった。  
「……何なら、試してみる?」  
 
 雑誌を閉じて脇に置くと、少女は静かに青年を見上げる。  
 挑発的な口調とは違い、その眼差しはひどく淡泊で、どこか投げやりだ。  
 ようやく少女の興味を惹くことに成功して、青年は嬉しそうに瞳を細めた。  
「遠慮しておくよ。女の子を泣かせるのは趣味じゃないからね」  
「わたしの発作と薬に、いったいどんな関係があるの。よもや、わたしの男性恐怖症を治す薬を手に入れただなんて言わないでしょうね」  
「人の心に作用する薬は、幾らでもあるよ」  
「限度があるわ。風邪の菌だけを殺す風邪薬なんて作れない。いくらあなたが詐欺師だからって、特定の記憶だけを封じる薬があるなんて出鱈目じゃ、今日びスラムの子供だって騙せないわ」  
「ちょっと違うな。別に記憶を消すって訳じゃない。病気を治すには、二つの手段があるだろう?病原体を弱まらせるか、それとも身体の方を強くするか」  
「つまり、心を強くするってこと?」  
「それは、服用してからのお楽しみ」  
 いたずらっぽく笑うと、青年は人差し指を立てる。  
「百パーセント、とまでは断言できないけど、たった一回の服用でかなりの効果が期待できるうえに即効性。かつ副作用はほとんどナシ。  
別に無理をする必要はないと思うけど、今までだって相当苦労してきただろう?この機会に、思い切って克服しておいても悪くはないと思うけど」  
 少女の頭の中に、思い当たる出来事がいくつも浮かび上がる。男性に触れられると過去の記憶がフラッシュバックし、恐慌状態に陥ってしまう自分が犯してしまった失敗の数々。うち幾つかの際には、自分だけでなく大切な仲間さえ危険に晒してしまった。  
 いままではどうにか切り抜けてこられたものの、今後もそうあるという保障はどこにもない。  
 少女はしばらく考えるように押し黙っていたが、やがて小さく頷いた。  
「……そうね。一人じゃろくに外も出歩けない宙賊なんて、足手まといよりたちが悪いもの。今回は、あなたの好意に甘えさせて頂こうかしら」  
「良かった!じゃあ……」  
 満面の笑みを湛え、青年が頷くのとほぼ同時に、小さな電子音が鳴った。  
 青年は言葉を切ると、手首に巻き付けられたリモコンにもう片方の手をかぶせ、ちらりと目線を僅かに上の方へと走らせる。  
 おそらく眼鏡のレンズに出力された情報を読みとったのだろう。青年の顔が僅かに曇った。  
「……まいったな。そろそろ出発しないと、明日の約束に間に合わない」  
「あら、わたしの方は別に、今日じゃなくても構わないけど?」  
「そうはいかないよ。次にいつ、君に会えるか分からないのに」  
 頭を振るうと、青年は真摯な口調で言い募る。  
「一刻も早く君を治してあげたいんだ。……君の仲間だって、きっと僕と同じ事を言うだろうさ」  
 でも……と、青年は申し訳なさそうな表情をしてみせる。  
「……まあ、今回ばかりはしょうがないか。ごめんね、ルージェン」  
「ねえ」  
 少し考えて、少女が尋ねた。  
「その薬、あなたの船内のどこに置いてあるかは分かっているの?」  
「もちろんさ。次に君に会えた時に渡そうと思って、ちゃんと仕舞っておいたからね。まさかこんなところで会えるとは思っていなかったから、身に着けて来なかったのが残念だけど」  
「なら、わたしがあなたの船までついて行くわ。あなたが薬を取ってきて、船の外で待ってるわたしに渡してくれればたいして時間は掛からないでしょう?もちろん、もしあなたが良ければ、の話だけど」  
 青年は表情を緩ませて、大きく頷く。  
「そうか、そうだね。それぐらいの余裕はある。少し歩くけれど、大丈夫?かなり外れに止めちゃったんだ」  
「平気よ」  
 膝に乗せたままだった雑誌を傍らに置き、少女はゆっくりと腰を上げた。  
「わたしの母星には、車なんて無かったもの」  
 
「少し待っててね。今、取ってくる」  
 タラップをに足を掛け、青年は片手を上げて少女に声を掛ける。  
 第三プールの周りには、ほとんど人影は見られなかった。遠くの売店では、中年の男が暇そうに頬杖をついている。  
「あなたの引き出しの中が整理されてることを祈るわ。薬探しに手間取らせて、あなたの仕事の邪魔をするのは本懐じゃないから」  
「大丈夫。引き出しの中と女性関係だけは、きっちりしていないと気が済まないタチだからね。もっとも、他に関しては、保証できな……」  
 すくめた肩越しに言葉を返しつつ、タラップを二三歩ほど踏んだその時。清閑なエアポートの空気を切り裂くように鋭いサイレンが青年の言葉を遮った。  
 青年は口をつぐみ、少女は弾かれた様に辺りを見回す。  
 いつの時代も、警報の音と言うものはあまり変わらない。ひどく大きく、愛想もない耳障りな音だ。  
「見送りのファンファーレにしてはずいぶんなボリュームね。いったい何?」  
「二種警報だね。中央でも、そうは発令されない高レベル警報音だ。珍しいな」  
「何が起こったのかしら……」  
 いつになく真面目な青年の面持ちに、さすがの少女も、ちらと不安の色を覗かせる。  
 少女は少しの逡巡していたが、やがてくるりときびすを返した。  
 しかし、タラップから飛び降りた青年が回り込むと、母船へと駆け出そうとした少女の前に立ちはだかり、両腕を広げて制止する。  
「駄目だよ」  
「どいて。みんなが心配だわ」  
「情報も無しに、無闇に動くのは危険だ」  
「でもっ……」  
「大丈夫。無事さ。航宙船の中に居れば、たとえ爆撃を受けたとしてもたかが知れてる。こんな状況で、生身で飛び出す方がよほど馬鹿げてるよ。君らしくない」  
「…………」  
「さあ、まず君が避難しなきゃ。君に何かあったら、それこそハイン達に申し訳が立たない」  
 少女は無言で唇を噛み締めた。  
 悔しいが、青年の言うことはもっともだった。そして、彼は場合によっては、腕づくでも少女を安全な場所へと引っ張っていくだろう。  
 ……そう、腕づく、でも。  
 ややあって、少女は小さく頷くと、青年の促すままにタラップを駆け上った。  
 
「……何が起こったのかしら」  
 人が三人も入れば一杯になってしまうような制御室。椅子に座ることもせず、少女は落ち着かない声音で先と同じ質問を口にする。  
 青年はディスプレイに目を向けたまま、少し自信なげに答えた。  
「二種警報なら、おそらくテロリストか宙賊の襲撃ってところかな。もっとも、最近それらしい動きは聞いてないけど……」  
「RPOかしら。こないだの戦争でリトレスカの政府を支持したから、この星は恨みを買ってるはずよ」  
「いや、彼らなら今はキトラの方の政変で手一杯さ。あちらの方が実入りが良いからね。何もわざわざこの時期に、こんな大きな星に喧嘩をふっかける事もない」  
「何か情報は無いの?」  
「今のところはね。……何にせよ、早く解決してくれないと困るよ。あまり時間に余裕が無いんだ」  
 心底、困ったように漏らす。そう言えば、青年はこの後、約束があるのだった。  
 少女が所在なげに天井を見上げたその時、ふっと、警報の音が小さくなる。  
「良かったじゃない。案外、早く解決するかもしれないわよ」  
「そうだと良いんだけど」  
 青年がため息をつく間、小さくなった警報に変わるかのように、少し低めの、良く通る女性の声がスピーカーから流れ出した。  
 不要な混乱を防ぐためか、先のけたたましい警報とは不釣り合いなほどに落ち着いた声音だ。  
『政府より、リシャール上空に、重武装した星籍不明の不審船が停泊しているとの警告がありました。既に政府軍が向かっておりますが、安全のため、民間船の出港はしばらく停止されます。お急ぎのお客様、誠に申し訳御座いません。繰り返します……』  
 少女はわざとらしく肩をすくめると、嘆息した。  
「ご愁傷様。どうやら、お詫び状の文面でも考える必要がありそうね」  
 皮肉混じりの呟きに、こちらもため息をつきながら、青年が応える。  
「……悔しいな。本業以外での約束は、今まで破ったことがないんだけれど」  
「あら、本業での約束なら、全て破るくせに?」  
「別に詐欺だけが僕の仕事って訳じゃないよ。これでも、いろんろな組織と渡り合っているからね。こちらは信用第一。僕が騙すのはカモだけさ」  
 青年は腰掛けたまま、大きく伸びをした。少女の方に向き直ると、さばさばとした表情で笑い掛ける。  
「まあ、考えてみれば運が良かったのかもしれないな。つまらない仕事より、君を選ぶ口実が出来た」  
「あら、わたしは薬を取りに来ただけよ。当面、それほどの危険は無いみたいだし、受け取ったらすぐに帰るわ」  
「でも、そう急ぐ用事も無かったみたいだけど?」  
 青年の問いに、少女は瞳をすがめて答える。  
「誰にも言わずに出て来ちゃったもの。わたし、あまり一人で出歩いたりしないから、いきなり姿を消したら心配されちゃうわ」  
「大事にされてるんだね」  
「……みんな、良い人達よ。弟以外も、本当の家族みたいに」  
 独りごちるように、ルージェンは呟く。その声音は相変わらず淡々としていたが、その瞳にはどこか柔らかい光が浮かんでいる。  
 青年はそんな少女に慈しむような眼差しを向けると、思い出したように唇を開いた。  
「そう言えば、君はハインに触られるのは大丈夫なのかい?」  
 
 唐突な問い掛け。  
 少女は青年の顔をまじまじと見やった。見開かれた少女の大きな瞳は、複雑な色を湛えている。  
 ややあって、少女は瞳を逸らし、唇をひき結んだ。  
「……どうして、そんな事を聞くの?」  
「ただの好奇心」  
 微笑みながら、青年。  
「あとは、少しのライバル意識かな。あの薬がどれだけ効くかは分からないけれど、もし君が街を歩けるくらいになったなら、僕は真っ先にデートを申し込むつもりだから」  
「馬鹿を言わないで。言ったでしょう?ハインは家族みたいなものよ。ハインのことを怖いなんて思ったこと、無いわ。彼に対して男性恐怖症なんて、出るわけが無いでし……」  
 不意に少女は口をつぐんだ。  
 そう言えば、青年がいう薬の効き目とやらはどうやらはっきりとはしていないらしい。いったいどこでどう入手したのかも気にはなるが、それはこの青年のことだ。何か裏のツテでもあったのだろう。  
 問題は、実際に薬がどれだけ効果を発揮したのかを推し量るためには、服用後、試しに誰か異性に触れてみなければならないということだ。  
 現在、彼女の母船には二人の異性がいる。当然ながら、そのうち実の弟に関しては触れても男性恐怖症が起こらないことは確認済みだった。  
 しかし、もう一人。彼らのリーダー、ハインに関しては……。  
 自信ありげに答えたものの、ルージェンは彼らの仲間になってから今まで、握手という形でさえ、ハインに触れたことは無かった。もし彼に対し男性恐怖症を起こしてしまったら、自分が彼を信頼していないことを証明してしまうようで怖かったのだ。それに……。  
 何にせよ、薬の効き目を試すにはその二人は適切ではなく、そしてその二人以外、彼女がそんなことを頼めそうな人物はたった一人しかいなかった。  
 少女は小さく頭を振ると、青年の顔を見上げた。  
「ごめんなさい。気が変わったわ。すぐに効き目が知りたいの。ここで薬を飲んでいっては駄目かしら?」  
「おや、君の家族が心配するんじゃなかったのかい?」  
「即効性って言ったのはあなたでしょう?一時間くらいなら、別に問題ないわ。どうせうちの船の出港時間も延びるんでしょうし」  
「それは嬉しいな。予定外の自由時間、暇を持て余すのと、君と一緒に過ごすのじゃ、宇宙の直径よりも大きな差がある」  
 冗談めいた口調の青年に、少女はあえて冷ややかな視線を投げかける。  
「ご期待のところ悪いけれど、長居はしないわよ」  
「分かってる。短くたって構わないよ。問題は、いかに長く君と過ごすかって事より、いかに楽しく君と過ごすかって事なんだから」  
「……全然分かってないような気がするのは、わたしだけなのかしら」  
「まあまあ」  
 曖昧な笑みを浮かべながら青年がコンソールに指を走らせると、少女の右手、青年の背中側の壁の大きなドアが音もなく開いた。  
 四角いその枠からは、暖かい色の壁紙と、それによく調和したシックな色調のソファが置かれた、感じの良い部屋が顔を覗かせている。  
 青年は席を立つと、手のひらでドアを指し示し、少女を促した。  
「そこのソファにどうぞ。いま、薬を用意してくるよ」  
 
 手のひらに載せられた、三錠の小さな錠剤。  
 躊躇いもせずその一つを口に含み、口の中でいくらか転がしたのち、水を呷る。  
「今さら、毒を盛られることも無いでしょうけど……」  
 グラスの底を覗くようにして、少女はぼやくように呟いた。  
「別に何てこともない、普通の薬ね。本当に効果があるのかしら?」  
「多分ね」  
 自信ありげに、傍らに腰掛けた青年が笑いながら補足する。  
「少なくとも、まったく効かないって事は無いだろうさ」  
「ふうん」  
 少女は気のない返事をしながら、残りの錠剤を口に放り込むと、冷たい水で一気に喉へと流し込んだ。  
 柔らかなプラスティックで作られたコースターの上にグラスを戻すと、あらためて青年を見やる。  
「ところで、落ち着いたところで、聞きたいことがあるんだけれど」  
「何だい? 神は実在するのか、とか、人類はどこから来てどこへ行くのか、みたいな質問以外なら、大抵は答えられると思うよ」  
「あら、神学や哲学はお嫌い?」  
「そんなことは無いよ。ただ、僕は証明出来ないことを語るのが苦手でね」  
 茶化すような少女の問いかけに、青年は小さく伸びをしながら笑って言葉を返す。  
「僕は完璧主義者らしいんだ。自分が満足のいく絶対的な答えを返すことが出来ない質問には、答えたくない」  
「ずいぶん尊大なのね。まるで思春期の子供みたい」  
「自分でも、そう思うよ」  
 皮肉のつもりだったが、青年はあっさりと、少女の言葉を肯定してしまう。少女は毒気を抜かれた様に口を閉ざしたが、ややあってため息をついた。  
「……開き直るのもどうかと思うけどね。あいにく、そんな高尚な質問をするつもりはないわ。わたしが聞きたかったのは、たぶんあなたがすっかりと承知していることよ」  
「僕が知っていること?」  
 怪訝そうに鸚鵡返しをする青年に、少女は淡々とした口調で詰問する。  
「この薬、どこで、どのような手段をもって手に入れたのかしら?」  
 少しのタイムラグをおいて、青年は微笑みながら、逆に少女に疑問符を返した。  
「気になる?」  
「もちろんよ。飲んでおいて何だけれど、そうそう都合良く、あなたにわたしぴったりの薬が見つけられる筈がないわ」  
「そうかな。もしかしたら、僕は君のためだけに、君のためだけの薬を探す旅に出ていたのかも知れないよ」  
「そんな暇人がこの宇宙に存在すると思うほど自惚れてないわ、残念ながら」  
 少女は大袈裟に首を振ると、続ける。  
「即効性で副作用が無くて、たった一回飲んだだけで男性恐怖症が治る薬なんて聞いた事無いわ。そんなの、表の薬ではあり得ない。興味が湧くのも当然でしょう?  
あなたの友人や知り合いには、新薬の開発をしている研究者か、違法薬物のバイヤーか、さもなくば草の実や木の皮からとんでもない秘薬を作るシャーマンでもいるのかしら?」  
「そんな友人が一人でもいたら、退屈とは無縁な、充実した人生が送れそうだね」  
 にっこりと笑って、青年。  
「残念ながら、どれも不正解。本当のところは……たぶん、すぐに分かるよ」  
「どういうこと?」  
「そろそろ、薬が効いてくる頃だ」  
 
 青年の言葉に、少女は思わず、自分の身体を見下ろした。ややあって、疑うような眼差しを持ち上げる。  
「そうかしら?別に、何も変わったところは無いんだけれど」  
「触っても良い?」  
 言うが早いか、青年は少女へすっと手を差し伸べる。  
 少女はびくっと反射的に身をすくませた。  
 しかし、やがて唇をぎゅっとかみ締めると、決心したかのように、おずおずと腕を上げる。  
 少女のしなやかな指先が、青年のそれに触れた。  
「…………」  
「……どう?」  
 真剣な声音で、青年が問う。  
 少女はしばらく沈黙した後、幾度か瞳を瞬かせ、驚いたように青年を見上げる。  
「平気、みたい……」  
 青年は、ほっとしたように表情を弛めた。つられた様に、少女も目を細め、口の端を吊り上げて文字通り微かに笑む。  
 仏頂面の普段が普段なだけに、それは意外さと新鮮味を帯びた、ひどく魅力的な表情だった。  
「嘘みたい。正直、それほど信じていなかったのよ?少しドキドキするけど、大丈夫だわ。嘘みたい」  
 とても信じられないといった風に、少女は幾度も嘘みたい、と呟いた。その声音にも、自然と明るい色が混じっている。  
 ややあって、少女は我に返ったように手を引き込めた。  
 戸惑いとはにかみを浮かべた顔を上げると、すっかり言うのを忘れていた礼の言葉を口にする。  
「……ありがとう」  
 青年も、優しく微笑み返した。  
「そんな。礼を言うのは、まだ早いよ」  
「?」  
「あれ、言っていなかった?」  
 怪訝な表情を浮かべた少女に、青年はしれっとした顔で応じる。  
「あの薬は、ただ飲むだけじゃ駄目なんだよ。飲んだ後に、しかるべき治療を受けなきゃいけないんだ」  
「しかるべき、治療?」  
「そろそろ種明かしの時間かな」  
 青年はくすりといたずらげに笑うと、ソファの上で長い足を組み替える。  
「いや、それじゃ賢明な君に失礼だ。ヒントを出そう」  
「いったい、何を……」  
 少女の問いには答えず、青年はにっこりと笑った。  
 少女の中に生まれた小さな疑問符がたちまち膨れ上がる。  
 嫌な予感がした。  
「今さらだけど――」  
 青年は微笑んだまま、少女に言い聞かせでもするかのように、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。  
「君の男性恐怖症は、君が経験した、忌まわしい過去に起因してる」  
 少女の表情が強張った。  
 少女の母星である流刑星に、人体実験のために落とされた新型爆弾。その後遺症の調査と称して行われた、研究者たちによる拉致と集団レイプ。  
 そしてそれをマスコミに公表し、政府を告発した事によって少女がさらされた、いわれなき中傷と好奇の視線。  
 彼女の本当の名前は、今でも卑猥な冗談の種として宇宙中で囁かれている。忘れようの無い記憶。  
「そんなこと、言われなくても……」  
 わかっているわ、と続けようとした少女の言葉を遮り、青年。  
「つまるところ、君の恐怖の一番の原因は性行為なんだよね。こういう場合って、本当なら恋人が、たっぷり時間と愛情を掛けて癒してあげるべきなんだろうけれど。君の場合は恐怖症のせいで、それも容易じゃない」  
「カーチェス……」  
 僅かに身体を引き、少女が呟く。  
「あなた、まさか……」  
 
「ご明察」  
 にっこりと、青年。  
「どこで薬を手に入れたか、だったっけ?さっきの質問。答えは薬局さ。ちょっと法律の甘い辺境の惑星に行けばね、抗不安薬や精神安定剤くらい、文字さえ読めれば誰にだって手に入れられる」  
 言葉を切った後、思い出したように補足する。  
「媚薬だけは、違う場所で買わなきゃならなかったけどね」  
 少女は瞳をすがめた。唇を歪め、眼前の青年を睨み付ける。  
「詐欺師」  
「分かっているのに、僕を信じる方が悪い。そう思わない?」  
「武装船も、あなたの仕業?」  
「惜しいな。不正解」  
 青年は笑いながら肩をすくめた。  
「武装船なんて始めから無いよ。宙港の警報は本物だけどね。あれは僕がちょっと弄って、鳴るべきじゃない場面で鳴らしただけさ」  
「でも、それなら、あの放送は……」  
 言いかけて、少女ははっと息を飲む。青年が満足げに頷いた。  
「察しが良いね。その通り。僕の船の内にどんな音を流すかなんて、僕の裁量次第。外の音をリアルタイムに流すのも、警報に昔のニュース音声を合成したものを流すのも、ね」  
「始めから全部、仕組んでいたのね……」  
 薬を取りに行くと自分から言い出したことも、ハインのことを思い出し、この船内で薬を飲んでいくつもりになったことも。  
 おそらくは、この宙港で彼と出会ったことさえ、偶然ではないのだろう。  
 全ては罠。  
 そして……間抜けにも、完璧に絡めとられた。  
 少女は舌打ちすると、青年から目を逸らす振りをして、船内に素早く視線をめぐらせた。操縦室へ続くドアは開いたままになっているが、青年の方が位置的に近い。  
 しかし、幸い彼女は、いつもの発作からは解放されている。隙のない青年だが、不意をついて体当たりでもすれば、ほんの一瞬ひるませることくらいは可能なはずだ。  
 タイミングを計ると、少女はソファから腰を浮かせようとした。  
「無駄だよ」  
 青年は、笑みを浮かべたまま諭すように口を開く。  
「暴れる受刑者に、看守が精神安定剤を打つのは何故だと思う?興奮を静めるため?……いや、それだけじゃない」  
「!?」  
 立ち上がることは出来なかった。身体に力が入らない。まったく動かせないという訳ではなかったが、少し身体を持ち上げただけで脱力してしまう。  
 バランスを崩した少女の身体は、 立ち上がろうという少女の思惑とは裏腹に、ソファの背もたれへとより沈み込む結果になった。なんとか起きあがろうとしたが、腕も足も必死になればなるほど重さを増し、少女の動きを妨げてくる。  
「……!」  
「知ってた?精神安定剤にはね、筋弛緩作用があるんだよ。アルコールと併用することで、その効果は劇的に高められるんだ。流刑星育ちで味覚が発達していないから、君は気付かなかったみたいだけど」  
「……グラスの水」  
「当たり」  
 唇の端を持ち上げ、青年は愉しげに笑った。  
「ここまで仕組んでおいて、この場になって僕が君を逃がすと思う?」  
 
 少女の悔しそうな精一杯の抗議の視線が、青年に向けられる。青年はそれを真正面から受け止めるが、意に介さない。代わりに、今やすっかり自分の手中にある少女に向け、心をとろかしてしまいそうに甘く優しい笑みを浮かべた。  
「今から僕が、君の恐怖心を消し去ってあげる」  
 くすくすと笑いながら、青年は腰を上げる。  
「僕が君にたっぷりと、君が知らない悦びを教えてあげるよ」  
 本来ならば、騙された怒りや動けない恐怖、そして嫌悪感が先に立つ筈だったが。  
 薬のせいだろうか。自分でも奇妙にすら感じられるほど、それらの感情は僅かなものだった。  
 代わりに、妙な感覚が身体中を覆っている。  
「……冗談じゃないわ」  
「冗談?わかるだろ、これは冗談なんかじゃないよ」  
 青年は大袈裟に肩をすくめながら、笑うのを止めない。  
 ソファの背もたれに手を掛けながら、腰に手を当てて、青年。  
「大丈夫、怖がる必要は無いよ。痛いことは何もしない。ただ、気持ちよくしてあげるだけさ」  
 唐突に少女の視界から青年の姿が消える。少女は慌てて身体を捻り振り向こうとするが、やはり力が入らない。ようやく顔をいくらか上げたところで、背後から、彼の声が囁く。  
「良いかい?これから君の身体に、深く深く快楽を刻み込んであげる」  
 ソファ越しに、甘い声で紡がれる言葉。  
「これから、じっくりと君を愛してあげる。呆れるくらい何度も口付けして、君の身体の敏感なところを隅から隅まで撫でて、舐め上げて、かき回して……ゆっくり時間を掛けてとろとろにしてあげる。身体と意識が蕩けきって、悦び以外のすべてを忘れてしまうまで」  
 少女の頭の横に肘をつき、吐息がかかるくらいまで、耳元に唇を近づけて。  
「もう僕無しではいられない身体にしてあげるよ」  
 まるで催眠術にでも掛けられたかのように。耳の中に淫靡な言葉を注ぎ込まれ、痺れの様なものが少女の身体中に走っていく。  
 何とか顔を向けると、青年はこちらを見つめながら、ただ優しく微笑んでいる。香水だろうか。心地よい香りがこのかに鼻腔をくすぐる。  
 狡い、と少女は思った。彼は自分がどれだけ魅力的なのかを自覚した上で、さらにその魅力を引き立てる術を心得ている。敵うはずがない。狡い。  
 身体の奥底の深いところで、じりじりと何かがくすぶっている。それが何であるか、少女にはよく分からなった。ただ、何かひどく熱く、もどかしく、切ない。胸が苦しい。  
「そろそろ、媚薬の効果もはっきりしてきたかな?」  
 青年は目を細め、嬉しそうに評する。彼の指摘に、少女は初めて、自分の身体が熱を帯びていることを自覚した。上気している。  
 少女はそんな自分の反応にちらと不安を覚える。これはいけないものだと思う。  
「厭……」  
「勘違いしないで。これは治療だよ。僕の好意からの」  
「ふざけないで。わたしはこんなの、望んでないわ」  
 もはや少女が自由に行使出来るのは、言葉と視線ぐらいのものだった。  
「もういいわ。このまま治らなくても良い。だから、こんな馬鹿な真似は止めて」  
「こんなに不利な状況でも、君は強気なんだね。魅力的だ」  
 少女の顎に、青年が長い指をかける。少女の顔を自分の方へ向けさせると、「でもね」、と囁くようにして笑う。  
「君の身体はもう、僕が欲してたまらなくなってるんだよ。だって、僕がそうなる様にし向けたんだから」  
「卑怯者」  
 少女が吐き捨てる。  
「嘘吐き。詐欺師。最悪な男」  
「だいぶ分かってきたみたいじゃないか」  
 少女の顔から指先を外し、青年がうそぶく。  
「でも、残念。少し気付くのが遅すぎた」  
 青年はソファの後ろに身を置いたまま、背後から少女の肩を抱きしめた。  
 
 少女は青年の身体を振り解こうとしたが、弛緩した身体は申し訳程度にしか動かない。  
 青年は少女の頭を大きな手のひらで押さえると、肩越しに少女の唇を奪った。  
 軽く口付けたあと、舌を潜り込ませる。  
「ん……」  
 青年の舌先が、少女のそれに触れた。  
 始めは輪郭をなぞるように、そして、包み込むようにして、青年は巧みに少女の口腔を犯す。触れた唇の暖かさと柔らかさと、舌が擦られるくすぐったいような感触に、少女は僅かに瞳を細めた。  
 深いキスを終えると、次は少女の首筋に唇を落とす。  
「んぅ……」  
 予想外の攻撃に、少女は甘く悶えた。  
 首筋から鎖骨に、鎖骨から首を駆け上がって、青年は熱っぽい口付けを繰り返す。耳たぶを甘噛みされ、少女はたまらず声を立てる。  
「んふっ……ぁっ……」  
「可愛いよ。こんなに頬を赤くして」  
「ぃや……やめ……ぁっ……」  
「ふふ、まだキスしかしていないのに。いつものクールな君はどこへ行ったの?」  
「そんっな……ぁたしっ…………」  
「意外だな……君が、こんなに感じやすいだなんて思わなかった」  
 首筋を唇でなぞりながら、青年の指先が、少女の胸へと伸ばされる。感触を確かめるように弱く揉むと、服の厚い布地越しでもそれとなく分かるほど硬くなった部分を軽く引っ掻くようにしてやる。  
 少女の身体に、鋭く甘い快感が走った。  
「やっ……駄目っ……」  
「ここが良いの?」  
 もう何度か、同じ動きを繰り返すと、青年は指の腹でそこを撫で始める。今度の快感は弱かったが、ひどく重く、少女の身体に蓄積してゆく。少女は身じろいだ。  
「……厭っ……だめっ……変な感じなの……止めっ……」  
「君の身体は何枚もの布の向こうなのに、感じちゃうんだね。すごく敏感になってる」  
「違っ……」  
「直接触ったら、どうなっちゃうんだろう」  
「!?」  
 青年の手のひらが、少女の服の端から素肌へと潜り込む。ふくらみへと辿り着いたその指先は下着をずらしてから、硬く張りつめた蕾に触れた。  
 ひっと、少女がうわずった声をあげる。服の中で、青年の指先が蠢いている。青年の手のひらの形に布地が持ち上がっている様は、少女の目にひどく淫猥に映った。  
「やっ……だめっ……」  
 中指と人差し指で摘まれ、柔らかく転がすように愛撫される。青年の指が動く度に、波紋のように背筋に何かが走ってゆく。  
「止めて、お願いっ……ゃっ…」  
「駄目」  
 青年は指先を巧みに操りながらも、まるで少女の身体を埋め尽くそうとでもするかのように、口付けを止めない。  
「意地悪っ……」  
「意地悪にもなるさ。今の君の表情、くらくらするよ。たまらないね」  
 指の腹で押しつぶされ、擦られ、まわりを優しく撫でられる。少女は泣きそうな顔で首を振った。  
 触られているのは身体の上半分なのに、何故だろう。甘い疼きは下半分から広がってゆく。 腰が熱く溶け、ソファと一つになってしまう様な感覚。  
 唐突に、少女の服の中を這っていた手のひらが抜き取られた。青年はソファをまわると、今度は少女の傍らに腰掛ける。  
 乱れた息を整える暇すら与えられず、ソファにぐったりと凭れた少女の身体は、青年に抱き寄せられていた。  
「だいぶ、良くなってきたみたいだね」  
「……そんなこと、無いわ」  
「嘘を吐くのは、僕の仕事だよ?」  
 くすりと笑い、目を閉じる。  
 少女の上気した頬や震える睫毛に、青年の唇が幾度も触れていく。  
 
 幾度かの軽いキスの後、青年は再び深く口付けた。  
 今度のキスは、先にもまして優しく、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと行われる。唇を重ねながら青年は、少女の柔らかな髪に指を絡ませ、優しく梳いてやった。舌を吸われながら頭を撫でられるのはひどく心地がよくて、少女は思わずうっとりしてしまう。  
 青年の指先が、少女の胸元のファスナーを下ろし、オーバーの下に来ていた厚手のセーターと下着をまくり上げた。  
 少女は慌てて抵抗しようとしたが、青年のキスと愛撫の陶酔から逃れられない。  
 濃色の着衣の奥から、小ぶりだがふっくらとした乳房が晒される。  
 青年は唇を離すと、少女の瞳を覗き込んだ。  
「恥ずかしい?」  
「っ……」  
 肯定することも、否定することも悔しくて。少女は無言のまま、ありったけの強いまなざしで青年を睨め付けた。しかしその反応は、どうやら青年のお気に召すものであったらしい。 愉しげに唇の端を持ち上げると、青年は目を閉じ、少女の首筋を甘噛みする。  
「んふぅ……ぁっ……」  
 場所を変え、首筋を唇や舌でくすぐりながら、青年は少女の脇腹に指を這わせた。指先は少女の身体のなめらかな曲線を、少しずつ上っていく。触れるか触れないかの弱い刺激を与えながら谷間や膨らみの上を這いつつも、敏感な部分にはわざと触れない。  
 まるで円を描くように、淡い色をした蕾のまわりを撫で続けると、それは柔らかな膨らみの中で己を誇示するかのように硬く尖っていく。  
「勃ってきたね……そんなにイイの?」  
「それは、あなたがっ……」  
「僕が、何?」  
 わざと惚けながら、愛撫を続ける。少女の顔が羞恥に歪んだ。  
「だから、あなたがそんな風にするからっ……」  
「そんな風に、って、どんな風に?」  
「それはっ……その……」  
 少女は言葉を失い、悔しげに唇を噛んで、瞳を逸らす。  
 青年はしょうがない、と言った風に笑うと、少女の胸元に唇を近づけた。  
 青年の舌先が、限界まで張りつめ、硬くなったその蕾にそっと触れる。  
 とたん、身体を貫いた快感に、少女は思わず瞳を強く瞑った。  
「ぁんっ」  
 舌のザラザラした感触が、敏感な蕾に痛いほど響く。二度、大きく舐めあげると、ちろちろとくすぐるように舌を動かす。  
 少女の声からため息にも似た嬌声が漏れた。  
「あっ……ぁっ……やっ……あっ……」  
「ここ、こんなに硬くして……」  
「……ぃやっ……んぅ……」  
「これじゃあ、きっと苦しいね?こんな時は……」  
 うそぶきながら、青年は桜色をしたその突起に唇を近づける。  
「……しっかり、解してあげないとね」  
「やっ……駄目っ…だめぇっ……やっ」  
 青年の唇が、少女の胸にむしゃぶりついた。青年の口の中で吸われ、甘噛みされ、舌で幾度も弄くり回される。断続的な快感の波が、少女の背中を駆けめぐっていく。  
「おかしいな、なかなか解れないね?」  
「あああっ……あんっ……やっ……」  
「少し弱すぎたのかな。もう少し、強くしてみようか?」  
「だめっ……だめぇっ…やめっ…………んっ」  
 ちゅう、と、わざと音を立てる様に強く吸い上げると、少女は苦しげに喘ぐ。  
 青年は少女の身体から顔を離すと、強すぎる刺激に涙を浮かべている少女の耳元に唇を寄せ、囁いた。  
「ごめんね。少し、急ぎすぎたかな」  
 

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