ここはとある荒地。曇った空の下に、青年が一人立っている。  
 青年は腕を掲げ、呪文を口にした。足元に描かれた魔法陣が光る。  
「――新たなる指輪の所有者、名を西院羽終也。契約を引き継ぎ、ここに実行する。出でよ、死神!」  
 彼の人差し指にはまった指輪が光る。それは一点に凝縮され、空に向かって放たれた。  
 一筋の線が厚い雲を割り、跳ね返すように差し込んできたのは黒い光。それが怪しい影となって、地面に照らし出される。  
 そしてそれは、地面から浮き出るように実体化して姿を現した。  
「……俺様にぃ、何の用で?」  
 まるでナムタルのような醜い大男は、渋くどすの利いた声で切り出した。  
「依頼を受けてもらう。対価は命だ」  
「へぇ…どんな奴かと思えば、まだまだひよっこ――悪いこたぁ言わねぇ、止めときな」  
 
「俺は本気だ。指輪に刻まれた契約に従えないとは言わせないぞ」  
 物怖じ一つせず反論する終也。信念の固さが見て取れる。  
「あんなぁ…一応こっちにも選ぶ権利、ってもんがあんのよ。生娘淑女なら喜んで受けるが、なよなよした野郎じゃあ、気が進まねぇってもんだ」  
 人間臭くも肩を竦める死神。  
「そんなのにぃ、命賭けたかねぇだろ? ったく、近頃のガキはこれだから困る」  
「ならやる気のある奴を呼んで来い。この魂が二束三文でも、充分な働きの出来る誠実な奴をな」  
 居丈高な態度に、死神は顔を顰める。  
「かあぁーっ、人間風情が偉そうによ。あー気分悪ぃ…分かったよ、そうすりゃ良いんだろ?」  
 死神の体は再び地面に溶け込むように消えた。そして……頭部に異変を感じる終也。  
「ん?」  
 
「ちわ」  
「誰だ」  
 頭に誰かが乗っかっていると、気付くのにそう時間はかからなかった。  
「降下座標がずれたっすね。一応私が代理っす」  
 そう言って頭から飛び降りた影は、宙に浮くようにして終也の目の前に静止する。  
 口調に似合わず、その外見は着物におかっぱ頭の少女だった。  
 サイズは随分とちんまりしているが、真ん丸の目が動物的で可愛らしい。  
「お前が死神か?」  
「見習いっす」  
 空気が固まる。  
 
「――話にならない」  
「死ぬ気満々の魂は安いっすからね。他にやりたがる方がいない訳で、つまるに練習台っす」  
 話の途中にも関わらず引き返していく終也。  
 死神は慌ててその襟を引っ張る。  
「待つっすよ、ストップ! …その代わり、格安で引き受けるっす。対価に命までは獲らないっすから」  
 つまり、藪医者に任せるということである。  
「下らない」  
 振り返り、そう一言放って、また歩き始める終也。  
 死神はやはり慌てて後からふわふわ付いて来る。  
「とりあえず事情を話すっす! 呼び出し受けた以上、私も手ぶらでは帰れないんっすよ」  
 
 無言の終也に、死神は話しかける。  
「私の名は尊っす。ちなみにさっきの人は坤様と言って、私の師匠っす」  
「……」  
 無視するように黙々と歩く終也に、尊は溜息を吐く。  
「あー、浮いているのも楽じゃないっす。ちょっと失礼するっすね」  
 ぱたり。  
「何している」  
「君の頭の天辺が居心地良いっす」  
「下りろ」  
 重さはほとんどないが、彼は屈辱を覚えたのだろう。  
 
「依頼を下さいっす。天変地変、宇宙の摂理を捻じ曲げるようなことは無理っすけど、私も一応死神の端くれっすから」  
「もう一度上へかけ合え。それが依頼だ」  
「――困ったさんっすねぇ…。仕方無い、髪の毛一本抜くっすよ?」  
 ぷちんっ。  
「つっ!? …いい加減に――!」  
 思わず頭を抑える終也。が、尊はひらりと避けて宙に浮いた。  
 そして抜いた髪を両手に持って、目を閉じる。  
「天の網よ啓け」  
 真面目な声で一言、すると一本の髪の毛が光り始める。そして――。  
「――あむ」  
 
「!! ……食べた…のか?」  
 思わず立ち止まり、呆然とその様子を見つめる終也。  
「……ふむふむ、なるほど…少し…苦い味っすね」  
「味わうな気色悪い」  
 程無くして、尊はまた口を開いた。  
「……君のこと、それなりに理解したっす。依頼が何なのかも」  
「…?」  
 尊は終也の目の前に突如現れた切り株に、ふわりと降り立った。  
「指輪を手に入れるのに、相当苦労したっすね。いろいろと犠牲にして…」  
 終也はぷいと顔を背けた。お前に何が分かる――そう言わんばかりに。  
 
「ま、犠牲を厭わない性格でないと、普通は何にも出来ないっすけどね」  
 尊の瞳に、若干の冷酷な色が差した。  
「ただよくある話っす。家族親戚皆死んで、唯一の肉親が病気――不治の病を、治してあげたいと」  
「……」  
「美談っすよね。それにその精神を持つ魂――価値は少し見直さないといけないっすが……一言で言えば、平凡っす」  
 睨む終也。彼にとっては侮辱にも等しい言葉だったようだ。  
「それに人一人の命がどうこうなんて、死神に取っちゃ非効率的なんっす。つまり、軽い」  
「――御託は良い。どうするんだ?」  
 二人の間を、沈黙が流れる。  
「……私に任せてもらえば、悪いようにはしないっす」  
 
 
 マンションの入口まで来たところで、終也は口を開いた。  
「…妹と会わせる前に、一つ訊いておく。対価は何だ?」  
 それは依頼主からすれば重要事項である。  
「そうっすねぇ……何人か、殺ってもらうっすか」  
 終也の動きが止まる。頭の上に乗っていた尊も、その動揺に気付く。  
「――冗談には聞こえなかったみたいっすね。ただ、そのくらい平気でやれると思うっすけど」  
 相手は死神――終也は改めて肝に銘じた。人の情など、通用しないということを。  
「……必要なら、いくらでも手を汚す。それよりはいっそ命を獲られた方が、まだましかもしれないが」  
「命が対価だと、妹さんを守って君が死ぬ訳っすよね? でもそれだと、結局妹さんに孤独を押し付けるだけになるっすよ?」  
 人間的な正論を突かれるのも、また痛い。終也はそれを、心の何処かで分かっているから。  
 
「……やはりお前じゃ話にならないな」  
「諦めるっす。私以外に引き受け手はいないっす」  
 可愛い外見をして、とんだ食わせ者もいたものである。  
「対価……ま、とりあえず妹さんを見てから決めるっすよ。そして、もしも失敗した時っすが――」  
「その時は俺も同じ場所に――分かるな?」  
 どこか狂気に近くすらある瞳で、手すりに座る尊を睨む。  
「…はー、師匠があんなに嫌そうにしていたのが、何だか分かる気がするっす。寿命の先刈りほど、何の得にもならない仕事はないっすし」  
 終也はどこか憮然としながらも、もう良い――とだけ言って、エレベーターに乗った。  
 死神は、指輪の所有者にしか見ることが出来ない。従ってこんな場を目撃されたところで、傍からは独り言を言っているようにしか見えない。  
 妹に話をつけるのは、他の誰でもなく自分――終也にとって、それだけは都合が良かった。  
 
 かちゃ、がちゃり。  
 ドアを開け、中に入る終也と、その頭の上にいる尊。  
 玄関で靴を脱ぎ、床でスリッパに履き替える。そして、居間に――。  
「あ、お兄ちゃん」  
 寝巻き姿の妹が、帰ってきた終也を呼び止めた。  
「…ただいま」  
 終也の顔が優しく綻ぶ。  
 妹はイスから立ち上がると、ふらふらとよろけながらも、兄の方へ歩いてきた。  
 そして、ばふ――とその胸に顔を埋めると、頬擦りをする。  
「今日は元気そうだな」  
 
 テーブルの上には数種類の薬と、水の少し残ったコップ。  
 終也は、まるで尊などいないかのように、妹と話をしていた。  
「また学校、早退して来たの? ダメじゃない、ちゃんと行かなくちゃ」  
「心配するな。必要日数は出る」  
 尊はそんな二人の会話を、錠剤のビン蓋に座って聞いていた。  
「それより、体調は悪くないか?」  
「平気…でも、薬飲んだから、もうすぐ眠くなる」  
「ああ」  
 日常的な光景だった。死神が見ていて飽きてくるほどに、平凡な。  
 それでも、普段は強気な青年のこんな一面を見るのは、尊にとっては中々に面白かった。  
 
 目蓋が重くなってきても、兄の元から離れようとしない妹。  
 話足りないのだろう。心配して声をかけても、力無くも首を横に振る。  
 ただ、そんなやり取りが数回続くと、妹は遂に力尽き、反応しなくなった。  
「すー、すー…」  
 妹が眠りに入ったのを確認した終也は、彼女の体をそっと抱きかかえ、ベッドへと連れて行った。  
 そして丁寧に寝かせ、タオルケットをかけてやる。扇風機を入れるのも忘れない。  
「――可愛い妹さんっすね。所有者が彼女なら、師匠は喜んで仕事したかも」  
 すると穏やかな雰囲気が一変、終也はデリカシーの無い死神を睨みつける。  
「部屋から出ろ」  
 小声だが有無を言わさぬ口調に、尊は仕方なく回れ後した。  
 
「――結論から言うっす。この病気なら何とか治せそうっすね」  
「本当か?」  
 身を乗り出す終也に、尊はまあまあと抑える。  
「ただし! 私は見習いっすから、簡単にパパッと治せる訳じゃないっす。条件が必要」  
「…それが対価か」  
 尊は首を捻る。  
「別にそれが対価でも良いっすけどね」  
 意味が分からず固まる終也。  
「……とりあえず条件を言え」  
「丸一日、妹さんの体を貸すっすよ」  
 
 テーブルの上に肘を突き、口元で手を組んだまま、じっと何かを考え込んでいる終也。  
「つまり、内の交換をするっす。私が中に入れば、通力によって人間単体では不可能な治癒も可能になるっす」  
 健全な魂は健全な肉体に宿る。逆を言えば、健全な魂を宿せば、肉体は健全に生まれ変わる。  
 内から変える、ということの究極系。それも、曲がりなりにも神通力なら――。  
「妹さんの魂は、私の器に眠らせておくっす。もっとも、力が強過ぎて目を覚ますことすら出来ないと思うっすけど」  
「……」  
「体を最良に戻すには、これしかないっすね。ついでに言うと、個人的な頼みがあるんっすが…ま、それは追々」  
 終也は黙ったまま、目の前の尊を見る。両足を前後にぶらぶらと、まるで子どものようだ。  
 どこまで本気なのか、分からなくなる。任せても本当に大丈夫なのか――終也は迷っていた。  
「……はっきりさせておきたいんだが、お前は誰の味方だ」  
 
 動きを止め、丸く可愛らしい目を向ける尊。  
「死神は誰の味方でもないっす」  
 そう言うと、ふわりと浮き上がり、終也の視界から消えた。  
「…ただ嘘吐くつもりも、騙すつもりもないっす。君は指輪の所有者――そうっすよね?」  
 頭の天辺に、降り立つ感触。  
「……分かった、基本合意だ。後は詳細を詰めた上で、履行してもらう」  
「漸くその気になってくれたっすね」  
 終也は溜息を吐くと、台所に行った。冷蔵庫を空け、お茶を取り出す。  
 湯飲みを出し、注ぐとそれを一気に飲み干す。  
 もう一度、深い溜息。  
 
 ふよよ〜、と台所の上に着地する尊。  
「じゃ、個人的な頼み――言わせてもらうっす。学校に行ってみたい」  
 またしても睨まれる。  
「…妹さんの体で好き勝手してほしくないっすか? 一応、死なない限りは何が起きても再生出来るんっすけど」  
 相変わらず厳しい視線の終也に、尊はやれやれと首を振る。  
「心情的なものっすかね。ま、強制はしないっすよ」  
「理由は何だ」  
 表情はそのままに、尋ねる終也。  
「理由は――私にしか出来ないことっすから」  
 そう言うと、背を向ける尊。  
 
「お前にしか?」  
「こんなこと、普通誰もやらないっす。だからこそ、経験は力なり…人間としての視野を、経験してみたいと思ったっすよ」  
 ふん、と鼻で笑う終也。  
「殊勝な心掛けだな」  
「――ここに缶詰になるのも、面白くないっすしね」  
 振り返り、笑顔でそんなことを言う。見ている終也は調子が狂う。  
「……良いだろう。ただし、条件がいくつかある。それには従ってもらう。そして、もし妹の身に何かあったら、俺も殺せ。断るなら俺がお前を――」  
「恨みを買うことにもそれなりに慣れているっす。お構いなく」  
 相変わらず、平然と神経を逆撫でするようなことを言う尊。  
 しかし、一々腹を立てるのも馬鹿らしくなったのか、終也は彼女を一瞥するに留まった。  
   
 二人は詳細を詰めた話を一通り終わらせた。  
「あ、それと一つ。私が中に入ったら、体を治すことは出来るっすが、宙に浮いたり魔法を使ったり――は一切出来なくなるっす」  
 無力な少女と化す、という訳である。  
「だから、何かあった時は君が私を守ってほしいっす」  
「甘ったれるな」  
 思わず強くなる語気。  
「代わりに、しっかりと治すっすから。それに、妹さんの立場はちゃんと守るっすから…ね?」  
 尊は既に妹の髪の毛を口にし、その情報を頭に入れていた。振りをするのは、訳ないようだ。  
「…言われるまでもない。ただ、自衛にも神経を使え。治るにしても怪我はさせるな」  
 笑って答える尊。どこまで本気なのやら、飄々として掴めない。  
 
 日も暮れた頃、目を覚ました妹に、兄は声をかけた。  
「お前に、渡したいものがある」  
「なあに? お兄ちゃん」  
 終也は砂糖水の入った小瓶を、妹に握らせた。  
「病気の特効薬になるかもしれない。ただ副作用があって、丸一日――眠りっ放しになる」  
「…大丈夫なの? 最近私、不安なんだよ? お兄ちゃんにもしものことが、って」  
 肩をそっと抱く終也。その様子を、尊はやはり面白そうに見つめている。  
「俺を信じてくれ」  
「……うん、分かった」  
 これを飲んで、次目覚めた時は明日の夜。病気もきっと治っている……。  
 
「余計なお世話かもしれないっすが、君の身の回りには結構歪が生じてるっす」  
 夜遅く、再び眠りについた妹を机の上から眺めながら、尊は言った。  
「例えこの場は乗り切ったとしても、今後君と妹さんに悪意が降りかかる可能性は否定出来ないっすね」  
 終也が犠牲にしてきたもの――それに対する警告である。  
「そういう意味では死神の虜になった方が、幸せかもしれないっす。変な言い方っすけどね」  
 終也は睨みも一瞥もせず、俯いている。  
「…過去を清算出来ないのは理解している。俺は楽には死ねない」  
 それでも、僅かな幸せの為に自らの手を染め、死神と会い見えた――。  
 尊は不器用な青年を見て、はぁ――と溜息を吐く。  
「とりあえず、そろそろ始めるっすか」  
 
 尊が、まだ眠ったままの妹の胸元に降り立つ。  
「じゃ、いくっす」  
 割と緊張も感じさせず、尊は目を瞑る。  
 すると妹の体と尊の体から、不思議な物体が浮かび上がるように出てきた。  
 妹のそれは、大きいが弱々しい光。色は鈍い赤に近い。  
 一方尊のそれは、小さいが輝くような光を放っている。色は無色で透明感が強い。  
 終也は言葉も無く、その現象を背後で見守っていた。  
 やがて二つの物体は入れ替わるように別々の体へと、ゆっくりと沈み込んでいく。  
 尊の体は、ぱたりと倒れる。それと同時に、妹の目が開いた。  
「これで良い」  
 
 妹の体に入った尊は、今まで自分が使っていた体を、そっと手に取る。  
「約束通り、口調は妹さんに合わせる。君のことは、”お兄ちゃん”って呼ぶから」  
「…!」  
 すると突然顔を真っ赤にするや否や、ぷいと顔を背けてしまう終也。  
 尊はその様子を見て笑いながらベッドから下り、眠りに落ちた本体を机の上に寝かす。  
「じゃ、何か夜食を作るね?」  
「……」  
 むず痒い、といった感じで嫌がる終也が滑稽だった。  
「…俺の前では元に戻せ」  
「分かったっす」  
 
「ただし、すは付けるな。普通に話せ」  
「君の言う通りにする」  
 笑顔で答える尊。だがその表情は妹のそれと同じで、まだ終也の動揺を誘う。  
「…それにしても、これが人間の体か。思ったより、不自由な感じがする」  
「変なことはするなよ」  
 すると悪戯心でも湧いたのか、尊は終也の目の前に立って、上目遣いで見る。  
「例えば何?」  
「……」  
 所謂シスコンって奴っすかね――尊はそう心の中で思ったが、口には出さなかった。  
 その軽い取り乱し様が、割と好みなのかもしれない。  
 

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