お母さんが泣いている。
「アネット…、アネット…。よかった…。」
私を抱きしめながら、泣いている。
ちょっと苦しいよ、お母さん。
よく見るとお父さんも泣いていた。
「お前って子は、本当に…心配かけさせて…。」
お父さんも泣いちゃうことがあるんだ。
お父さんも、お母さんも、泣いているところは初めて見た。
そして…、実は、私も泣いていた。
悲しくなんてなかったけど、二人の泣き顔を見ていると、どうしてか涙があふれてきた。
私は助かったのだ。
怪物がやっつけられた後、私は、後から来た自警団の人に診療所に連れて行かれた。
そして、診察室にお父さんとお母さんが駆けつけてきて、そしてこの有様。
みんなで泣いちゃった。
お医者さんが言うには、手と膝を擦り剥いた以外に怪我はなく、
そのまま家に帰ってよいとのこと。
お父さんがお医者さんに礼を告げて、診療所を後にする。
外はもう暗くなっていて、その日は、家族でお家に帰った。
…で、私は、入念に叱られた。
もう二度と、冒険なんて行くなって。
全面禁止は横暴だと思うけど、先ほどの、お母さんとお父さんの涙を思い出すと、
何も言い返せない。
しばらく冒険はキンシンらしいです。
でも…。
本当によかった。
助かってよかった。
次の日、お父さん、お母さんと一緒に、私を助けてくれた人にお礼を言いに行くことになった。
あのとき私を助けてくれたのは“きし”という人らしい。
その人には騎士団の砦というところに行けば会えるんだとか。
昨日の幻想的な光景が目に浮かぶ。
もう一度あの人に会える。
そう考えると私の胸は高鳴った。
でも、その日は“きし”さんには会えなかった。
お留守だったのだ。
代わりに、落ち着いた雰囲気のおじさんが出てきて、対応した。
お父さんが丁寧にお礼を言って、“きし”さんが戻るのを待つと伝えた。
それに対して、おじさんが答える。
「お子さんを助けた騎士は今、周辺の魔物掃討に出ています。
少なくとも日暮れ後までは戻ってきません。
あなたたちのお気持ちは、私が責任を持って本人に伝えましょう。」
それでもお父さんは加える。
「あなたがた騎士団がいなければ、娘の元気な姿を、二度と見られなかったかもしれない。
なんとお例を申し上げればいいか…。」
「そう言っていただけると、我々も仕事の甲斐があるというものです。
ですが、市民を魔物から守るのが私たちの仕事。彼女も当然のことをしたのです。
あまり大仰になさらないでください。」
砦のおじさんは優しく微笑み、続ける。
「あなたたちもご自分のお仕事がおありでしょう。
あなたたちのお気持ちは十分に伝わりました。
ここはもう充分ですから、どうかお戻りください。」
私たちは深々とおじぎをして、騎士団の砦を後にした。
もう一度あの人に会いたい。
そう思って、翌日、私は一人で砦へ向かった。
冒険と変わらないような気もするけど、どうしても会いたい。
“きしさん”に会いに行くんだし、昨日言えなかったお礼を言いに行くんだし…、…いいよね!
私の冒険謹慎期間はたった1日で終わりを告げたのだった。
だが、いざ騎士の砦に到着してみると、番兵さんが中に入れてくれない。
「こらこら、ここは子供が来るところじゃないよ。」
どこかで聞いたセリフ。
そう、これは、町の酒場に行ったときに聞いたものだ。
子供を追い払うときはみんなこう言うんだ。
「ご両親が心配する前に、お家に帰りなさい」
両親が心配する、と聞いて、私はひるんだ。
今それを言われると弱い。
でも、どうしても“きしさん”に会いたい。
「騎士さん? カレン様のことかい? 今カレン様はお休み中だ。
カレン様は、魔物掃討から戻られたばかりでお疲れなんだ。あまり困らせないでくれよ。」
だめだ、どうしても通してくれないらしい。
困るのは私の方なのだよ、まったく…。
と、忘れもしない、あの声が聞こえた。
「どうしたんだい?」
私は眼を見開く。
奥から現われたのは予想通りの人物。
自信に満ちた面持ち。
なぜか心強さを感じさせる不思議な雰囲気。
彼女の周りだけ空気が違う。
鎧は着ていなかったが、間違いない。
私が会いたかった、“きしさん”――鎧の人だ。
「通してやりなよ。」
「カレン様…! しかし…。」
「いいって。市民との交流も立派なお仕事だよ。」
結局、番兵さんは、失礼のないようにな、なんて言いながら、しぶしぶ通してくれた。
鎧の人は、カレン様。
私は、何となく、その名を呼びかけてみた。
「カレン様…?」
きれいな人だった。
カレン様は、私に応えて、笑みを返してくれる。
その笑顔を向けられるだけで、私は体が熱くなるのを感じた。
初めての感覚。
強烈な憧れ。
胸の奥に、火が点いたみたいだ。
心の中はきゃーきゃー叫びながら、一方で、体はガチガチに緊張してゆく。
そんな感じ。
そんな私の気持ちを知ってか、知らずか、カレン様は私の心に追い打ちをかける。
「こんなかわいいお客さんは久々だ。立ち話もなんだし、私の部屋に案内するよ。」
お部屋に案内…、お部屋に案内…。
いきなり、お部屋にお呼ばれしちゃった…!
私は、こくこくと頷くことしかできない。
そうして、カレン様についていくけれど、
なんだか、変な所に力が入っちゃって、いつも通りに歩けない。
手と足が同時に出るなんて、冗談かと思っていたけど、そうでもないらしい。
私は、鼻血が出てもおかしくないほどうれしかった。
むしろ、出なかったのが不思議だ。
お部屋の中に案内された。
座りなよ、と言われ、ソファの一つに座った。
「君は一昨日の子だね?」
カレン様は私のことを覚えていてくれたようで、それも、やはりうれしかった。
「どうしたんだい?」
ええと、私は何しに来たんだっけ?
そうだ、お礼、お礼を言わなきゃ。
でも、なんて言っていいかわからない。
というか、声が出ない。
「あ、あの、お…、お…、お…、…!」
――後々になって考えても、このとき、なんでこんなこと言ったのか解らない。
きっと死ぬまで考えても分からないんじゃないかな。
「……お姉さまと呼ばせてください!!!」
…。
空気が凍りついた。
自分でも何を言ったのか分からない。
「………。」
「………。」
重苦しい空気が流れる。
「……。」
「…。」
「…ぷっ、…くくく、あっはっはっは…!!」
カレン様はお腹を抱えて笑い出してしまった。
あわわわわ…!
なんてことを言ってしまったんだ、私は!
恥ずかしい! というか、馬鹿だ! 私馬鹿だ!
というか、撤回! いやいや、もう遅い!
出してしまった言葉を引っ込められるなら、そうしたい!
「あっはっは…、やばい、涙出てきたよ…。ぷっくく…。」
カレン様は、足をばたつかせながら、まだ笑っている。
きっと、私の顔は真っ赤になっていることだろう。
顔が猛烈に熱かった。
「けほ、けほ…。…いや、面白いこと言うね、君。」
ひぃひぃ言いながら、ひとしきり笑い尽くしたカレン様。
そして、ニヤニヤしながら…。
「くくくっ、いいよ、今から私は君の“お姉さま”だ!」
高らかに宣言した。
意外な言葉に今度は私がどう応えていいか分からない。
「次からは、私のことを“お姉さま”と呼びたまえ!」
そうしてまた“お姉さま”はゲラゲラ笑いだした。
――― この日、私に、姉ができました。 ―――