宵闇の中、サラの瞳が淡く紅く色めく。  
 
「私の目、真っ赤。姉さんと同じだね…。」  
 
いつの間にか、目を覚ましたサラは、  
窓に映った自身の姿に、えへへー、なんて、弱々しく笑いながらそんなことを言う。  
その様子は、嬉しそうであり、また悲しそうにも見えた。  
 
あれから半月、私は毎夜サラを犯した。  
毎夜サラの精を吸い、毒を飲ませ、彼女を苦しめ続けている。  
 
私の感覚や予想よりも進行は早く、彼女の変化は大詰めだった。  
すでに、瞳は深紅、肌は白。  
ずいぶん伸びた髪は、すでに漆黒で、毛先だけが元の色を残している。  
平らだった胸は未だ小ぶりながら乳房と呼べるほどに成長し、腰も女性的な曲線を描いている。  
手足まで若干伸びたようで、小柄ながら、サラの容姿からはスラリとした印象を受ける。  
数週間前まで子供だったサラは、今や、若い娘とでもいうべき姿だった。  
最後にサラが食べ物を口にしたのはいつだったか。  
もはやサラは私の精だけで生きていた。  
その在り様はすでに人間よりも淫魔に近い。  
人の欲望を受け止める体。  
堕落を誘う体。  
精で生きる体。  
淫魔としての要素はすでに備えつつある。  
 
もうすぐサラは魔物に目覚める。  
もうすぐサラは人を狩る。  
そんな予感がした。  
 
…果たしてこれでよかったのだろうか。  
サラが淫魔になったとして、私の望んだ眩しい日々は、果たして戻ってくるのだろうか。  
暗く淀んでいた私の時間に、生命力と躍動感をもたらせてくれたサラ。  
だが、少なくともここ数日は逆戻り。  
食べて、犯して、寝るだけ…。  
 
私だけではない。  
堕落し、日々淫魔に近づいてゆくサラ。  
サラが淫魔に近付くにつれて、逞しくて、明るくて、眩しかったサラが失われてゆく。  
サラを彩っていたすべての色が失われてゆく。  
そんな感覚を覚えた。  
大切なものが喪失してゆくようで、なんだか、とても悲しかった。  
 
きっと、淫魔とは、魔物とはこういうものなのだろう。  
きっと、堕落とはこういうことなのだろう。  
ああ、そうか、私はきっとこれを恐れていたのだ。  
 
サラは、どう思っているのだろうか。  
家族、故郷、すべてを失ったサラが、最後に縋ったのは、未来への希望ではなく、私だった。  
魔物への堕落に何か素敵なものでも見出したのか。  
半ば自棄だったのではないか。  
…きっとその両方だろう。  
いずれにせよ、サラは苦痛に曝され、そして壊れてゆくことに変わりはない。  
 
今まさに淫魔への変貌を辿るサラ。  
もうサラも淫魔がどういう存在なのか、もう気が付いているはずだ。  
得体のしれない欲望に苛まれ、淫らな行為でしか生きることができず、  
人を堕とすことだけを意義とする存在。  
苦痛の果てに、手に入るのは穢れと堕落だけ。  
淫魔に身を委ねたサラは、後悔しているのではないだろうか。  
…辛いのではないだろうか。  
 
「…姉さんと一緒だから、大丈夫なんだよ。」  
 
私の考えを見透かしたようにサラが言う。  
私は余程暗い顔をしていたのだろう。  
今だって体の変化と精の不足で辛いはずなのに、  
サラの笑顔は、弱々しくも以前と変わらないように見えた。  
 
「…サラ…。」  
 
サラの輝きは、全く変わっていない。  
そう、思いたかった。  
 
「…んっ…。」  
 
そしてまた唇を重ねる。  
 
…早く、終わらせてあげよう。  
 
夜。  
その夜はやけに明るかった。  
見上げると空には幽玄の月。  
空には薄い雲が広がり、雲を通して銀の真円が淡く輝いていた。  
その夜は満月、朧月だった。  
 
泉から水を汲み、戻ってきた私は、いつものようにサラのもとへ向かう。  
サラは窓の外を見つめていた。  
その視線は冷たく、表情はない。  
 
「サラ?」  
 
サラの視線を追うと、その先には月があった。  
 
 
―――満月が呼んでいる。  
 
 
なぜか、そんな気がした。  
 
ふいに、するり、とベッドから音がした。  
サラがベッドから抜け出したのだ。  
冷たい表情はそのままに、床に素足を降ろし、しなやかに音もなく歩く。  
その足運びは静寂と闇に溶け込み、どことなく優雅で、どことなく美しかった。  
 
私は、突然起き出したサラを、茫然と見つめていた。  
驚愕、歓喜、憐憫、慈愛、喪失。  
複雑な感情が私の中を駆け巡り、私は動くことができない。  
今まさに、サラの覚醒が始まったのだ。  
今夜、サラは魔物になる。  
 
サラは私の横を抜けて、家の外へ向かった。  
サラの歩いたそのあとを、女の芳香が香り立つ。  
しばらく動くことができなかった私は、我に返るとサラの後を追った。  
 
草むらに立ち、月を見上げるサラ。  
寝間着にしていた白いワンピースが、空気を纏って揺れている。  
淡い光が、明るい闇が、優しい静寂が、森が、空気が、この夜を構成するすべてのものが  
新たな魔物の誕生を見守っていた。  
夜の中心にはサラがいて、彼らの祝福を一身に受け止めている。  
今夜の主役はサラだった。  
 
サラの周囲に闇が集まる。  
サラの体を包み込むそれは、やがて形を持ち始め、サラの背に翼を生やす。  
闇を集めた翼はまるで夜空、その中心のサラは月。  
サラは生まれたばかりの翼を広げ、今まさに飛び立とうとしていた。  
 
「サラ!」  
 
私は飛び立つサラを追いかけようとしたが、しかし、それはできなかった。  
サラの紅い瞳と視線が交錯する。  
その瞳が訴えていた。  
ついてこないで、と。  
その眼光はすでに人間のものではなく、  
私は拒絶に似たその視線に…威圧された。  
 
「…大丈夫、大丈夫だから。」  
 
そう言うと、サラは大地から離れる。  
姿の変貌とは裏腹に、サラの声はいつものまま。  
その間隙に私はむしろ衝撃を受けた。  
 
 
サラが闇に溶けてゆく。  
夜と一体になって空を舞う姿はやはり美しく、目を離すことができない。  
 
 
ふいに視界が霞みに覆われた。  
頬を伝う温もりに、私はしばし気付かなかった。  
 
 
…あれ…この感覚…。  
私は……泣いている…?  
 
 
前回はどんな感情だったか。  
今度はどんな感傷か―――  
 
 
…  
 
 
結局、私はサラを一人で狩りに送り出してしまった。  
送り出した私はサラの身を案じるしかない。  
今夜の主役はサラなのだ。  
主役の邪魔をしてはいけない。  
 
私が付いていったのでは、サラも気を遣うだろう。  
今頃、サラが楽しんでいるかは分からない。  
それに、私は多分、サラが嬉々として人を襲う姿なんて見たくない。  
だから私は待つしかないのだ。  
サラが騎士どもなんかに襲われず、無事に戻ること祈りながら。  
 
 
…そうして羽化の夜は更けていった。  
やがて東の空が朱に染まり出し、夜が終わりを告げる。  
窓に朝日が差し始めたころ、私の心配をよそに、サラは戻ってきた。  
 
 
 
サラに纏わりつく精の匂い。  
 
 
サラに宿る魔の力。  
 
 
明らかに何人も襲ったのが分かる。  
 
 
 
 
 
 
 
そして、サラは………泣いていた。  
 
 
 
 

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