カレン様のお姉さま宣言以来、私の冒険の行先は、もっぱら騎士の砦だった。
私は、お姉さまが砦にいる日は、ほとんど毎日のように会いに行った。
お姉さまも、毎日のようにやってくる私に、飽きもせず、いろんなことを話してくれる。
お姉さまのお仕事のこと、大きな魔物を倒した時のこと、
この国のこと、首都のこと、騎士と、人々と、魔物たちのこと…。
まだ知らない外の世界…。
新しいお話を聞かせてもらう度に、わくわく、どきどき、心を躍らせていた。
そして、いつしか、私の中には、当然のように、ある感情が芽生えていた。
――騎士になりたい。
あのとき、青い空に私が見た光景。
その中で戦う自身の姿。
騎士になって、お姉さまと一緒に戦いたい。
その感情は、芽生えたその日から、日に日に成長し、いつしか、夢になり…。
抑えきれなくなった私は、お姉さまに打ち明けたのだった。
「…。」
「…騎士になるなんて、簡単に言うんじゃない。」
お姉さまの一言目は、意外にも厳しいものだった。
そして、一呼吸置くと、お姉さまは続けた。
「…騎士になれば、みんなから尊敬される。感謝もされる。住いだって相当のものが与えられるし、
食べ物にも困らない。それなりに立派な暮らしができる。でもな…、」
私は、別に、みんなからちやほやされたいわけじゃない。
豪華な暮らしがしたいわけでもない。
私の望みは、多分、きっと、そういうものではない。
そう思って、反論しようとしたが、先に手で制された。
分かっている、と。
お姉さまは続ける。
「…でも、一度、騎士になってしまったら、永遠に騎士であり続けることを
運命付けられるんだ。」
その意味は、なんとなく分かった。
でも、お姉さまがその言葉に込めた重みは解らなかった。
「騎士たちは、民衆を守るため、昼も夜も戦い続け、魔物を殺し続け、いつ襲われても、
絶対に勝ち続けなければならない。ほかの騎士たちの名誉も守らなければならない。
後世に騎士を継ぐ人間のために立派な騎士であり続けなければならない。
それに、騎士は死んだって騎士であり続けなければならないんだよ。」
口調は穏やかだが、お姉さまは真剣だ。
「…騎士とは、民衆を守る者。そのためだけに存在し、そのためだけに消える。」
それでも、私にはまだ解らない。
「まあ、もちろん一人でやっているわけではないから常に気を張らなければならない
というわけではないけどね。」
少し重苦しくなりすぎた、とでも感じたのだろう。
お姉さまは苦笑いを浮かべて、仕切りなおす。
お姉さまのこういうところは好きだ。
「…つまりだ。騎士になるということは大変なことなんだ。
いろいろな、そう、いろいろなものを諦めなくちゃならない。
君はほか人生だって選ぶことができる。人並みの幸せに満足して生きることも悪いことじゃあない。
女の子らしく、大切な人を見つけて、その人の子を育んで、家族に囲まれながら
穏やかに生きることもできる…。」
…ここまで来て、ようやく解った。
どうやら騎士は“人並みの幸せ”とやらを手にすることができないのだ。
人並みの幸せ。
そういえば、学校の友達が、将来の夢はお嫁さん、なんて言っていたことを思い出す。
私はそれを聞いた時、もっとおっきな夢を持とうよ、なんて思ったものだ。
そのときは私には彼女の夢の価値は解らなかったが、きっとそれが“人並みの幸せ”なのだ。
お嫁さんが幸せなら、たぶんお母さんも、人並みに幸せ。
それならば、一緒に暮らすお父さんも、人並みに幸せ。
だったら、私も今、人並に幸せ。
心配をかけては、叱られて、そして、最後には許してくれる、そんな日常。
そういえば、昨日の夕食は美味しかった。
騎士になるということは、それらをすべてを捨てるということなのだ。
そして、お姉さまの家族の話は、未だに聞いたことがない。
「…それでも…、」
――それでも君は、騎士になりたいのかい?
「……。」
私は答えられなかった。
それから数日、私は暗い気分で過ごした。
お父さんと、お母さんの姿をぼんやりと眺めながら、私の頭は堂々めぐり。
人々を守るため、翼を翻して空を舞う、空の騎士。
奇跡のような力で、人々の脅威を、どうしようもない恐怖を切り裂く。
そして、人々に希望と安心をもたらすのだ。
それは慢心なんかではなく、
脅威と恐怖の大きさを、希望と安心の大切さを、本気で理解するからこそ。
しかし、騎士には人並みの幸せは許されない。
いつか、私に大好きな男の人ができて、その人の子供ができたとき、
騎士にならなかったことを思い出して、後悔するのだろうか?
それとも、私が騎士になったとして、町ゆく幸せな親子を見て、やはり後悔するのだろうか?
…でも、でも、あの日、見てしまったのだ。
私を、救った奇跡の記憶は、私の気持ちを激しく苛む。
それに、昨夜も夢に見てしまった。
いつか私も、お姉さまと一緒に闘えたらな…なんて思ってみたりして。
…きっと、もう、心は決まっていた。
――― 夢も、幸せも、どちらの方がいいかなんて、
きっと実際に手にしてみないとわからない。
でも、その両方を手に入れることはできないわけで…。 ―――
そうして、私は騎士を目指すことにした。
まずは、騎士団学校への入学。
私は、反対する両親をなんとか説き伏せ、
お姉さまの紹介と、血の滲むような努力で何とか入学した。
でも、訓練を始めたのが遅かった私は、戦闘技術、学問知識ともに落ちこぼれ。
体力には自信があったのだけれども、騎士団学校内では平均程度。
唯一の取り柄は、風の魔法の親和性が高かったということ。
魂が大きく影響を受けた印象が、その人の魔法の資質になるのだとか。
きっと、これは、私が助けられたあの日に身に付いたものなのだろう。
お姉さまと同じ、風の魔法。
このことも、お姉さまに感謝しなくてはならない。
でも、私の取り柄はそれだけだったのだ。
だから、入学してからは特訓の日々。
格闘、魔法、もちろん、学問知識も油断できない。
騎士になれるのは、その町を所管する騎士団の、幹部たちによる審査に合格した者のみ。
当然、私と親交のあるお姉さまは審査員ではない。
しかも、学校の卒業生全員が騎士になれるのではなく、
それどころか年に一人合格することも稀で、最近は合格者が出ていない。
それに、落ちこぼれだった私は、現役騎士の紹介での入学ということもあり、
肩身が狭い思いをすることも度々あった。
でも、落ちこぼれだったから、逆に頑張れたのかもしれない。
お姉さまの紹介がなんだ。
誰よりも強くなって、誰にも文句を言わせない。
そんなことを思いながら、私は励んだ。
何度も挫けそうになったけれども、
他にも、楽しいことも、悲しいことも、いろいろあったのだけれども、
何度もそれを乗り越えて。
いつしか、私は、何十年に一人の逸材とまで言われるようになり、
調子に乗った私は更に励み、そうして、私は騎士養成課程を修了した。
当然、騎士登用審査も合格して。