登用審査に合格した私は、騎士転生の儀を済ませれば、晴れて騎士となれる。
騎士団学校で、騎士になる方法を初めて詳しく聞いた時、驚いたのを覚えている。
人間から騎士への転生。
騎士は人間ではないというのだ。
私は、人間を人間ではないものに変えてしまう、その儀式に、若干の恐怖を覚えたのだが、
実は正直なところ、私が一体どうなってしなうのか、すこしわくわくしたのを覚えている。
だが、それは、人間が享受できる価値を失うということ。
たとえば、そう、家族。
騎士に転生してしまえば、親子は親子ではなくなる。
騎士と人間。
そういう関係になってしまうのだ。
だから、転生の儀式の前、儀式のために首都に出発する前に、
私は、七日間、家族と過ごす時間を与えられた。
久しぶりに帰る我が家は、いつの間にか、小さくなっているように感じた。
若干老いたお父さんとお母さんは暖かく迎えてくれる。
私が二人の娘でいられる最後の七日間。
でも、特別何かすることはなく。
母の家事を手伝い、仕事から帰る父を労い、穏やかに時を過ごした。
まあ、さすがに冒険に出かける、なんてことはなかったのだけれど。
そして、迎えた最後の夜。
その夜は御馳走だった。
お父さんが獲ってきた魚。
お母さんが煮込んだシチュー。
そして、苦労したんだろうな…、二人で焼いたという不細工なケーキ。
飾りっけのない、豪華でも、上品でもないテーブルだったが、
それは、まぎれもない御馳走で、なによりも私たちに相応しかった。
何を語るわけでもなく、静かに時は流れる。
「…アネット。 どうしても…行くんだな…?」
酒に酔ったお父さんが、ぼそり、と漏らした。
お母さんも、気まずそうに、私の顔を見つめる。
やめてよ、悲しくなるじゃない。
これは、何度も話し合って、もう決めた話。
もう済んだ話だ。
私は、二人の視線を、
できるだけ正面から、逃げてしまわないように、しっかりと受け止めて、
最大限の心を込めて、頷いた。
少し間を空けて、お母さんがおもむろに近づく。
そして、何も言わずに私の肩に手をまわした。
ぎゅっと私を抱きしめる母の腕は、とても温かくて、…震えていた。
泣いているのだ。
私は、立ち上がって、母に応える。
呼吸が詰まる。
嗚咽がこみ上げる。
ああ、この二人を安心させたくて、今日は泣かないと決めていたのに。
私は耐えきれず、とうとう涙があふれてしまった。
二人で声にならない泣き声をあげる。
そして、お父さんも…。
私たちは、泣いて、抱き合って…、
最後の夜は更けていった。
徐々に明るさを増す空の下、
明け方の澄んだ空気のなかへ、歩を進める、
今まで、何度となく潜った我が家のドアも、きっとこれが最後だ。
私は、涙をこらえて、精一杯、笑顔を作る。
「…今まで、お世話になりました。」
お父さんも、お母さんも、精一杯、笑顔を作る。
「行ってきます…。さようなら…。」
そうして、私たちは別れた。
うつむくお母さんを、お父さんがそっと抱き寄せる。
…さようなら。
…どうか、お元気で。
――― 私が二人にできることは、一つだけ。
立派な騎士になってその姿を見せてあげること。 ―――
エンデの町から騎士が出るのは十一年ぶりなのだとか。
私は、都市間定期連絡隊に同行する形で
首都セントラルリングレイまで護送されることになっていた。
定期連絡隊は、通常馬車一台、総勢八名程度で構成され、さらに二名の騎士が護衛に就く。
今回は私の護送もあるので馬車は二台、総勢十六名、護衛騎士が二名。
護衛騎士は、前回経由地の守護騎士と、
そして、連絡隊隊長として上級騎士カレン・エンデ・リングレイ。
お姉さまは私の門出に合わせて、自ら護衛の任に志願したのだとか。
お姉さまも喜んでくれているのだ。
馬車の宿場で、久々にお姉さまを見た。
久々の再会だ。
お姉さまは何か言おうと、こちらに微笑みかけてくれたのだが、
赤く腫れた私の目を見て、いろいろ察してくれたのだろう。
特に慰めるわけでもなく、軽く背中を叩いて馬車へ送り出してくれた。
…私もいつまでも沈んでいるわけにはいかない。
準備が整い、馬車に出発の号令がかかる。
窓に映る景色がゆっくりと流れ始め、そうして、私は生まれ育った町を後にした。
セントラルまでは、馬車で、途中五つの町を経由して、合計十日間の旅になる。
私たちは、街道沿いに設けられた野営地、あるいは、かつて村や町だった廃墟で野営した。
移動中には魔物と遭遇することもあり、魔物が襲い掛かってくるときは戦闘になった。
だが、たとえこちらが気づく前に、魔物が襲ってくることになろうとも、
騎士たちの活躍で被害が出ることはなかった。
山を越え、渓谷を越え、平原を越え、馬車は進む。
私は、町からこれほど離れたのは初めてで、海以外の風景が、とても新鮮に感じられた。
お姉さまとも、これまでにないほど長い時間、一緒にいるわけで。
久々に会って気付いたのだが、すでにお姉さまより、私の方が背丈が高い。
というか、お姉さまが小さい。
騎士登用の厳しさを知る私は、よくもあんな小さな体躯で騎士になれたものだ、なんて思ってしまう。
それに、実は、お姉さまと呼ぶのはすごく恥ずかしい。
はるか昔の、ちょっぴり痛い失敗を、何度もほじくり返されているようで、すごく照れくさい。
でも、お姉さまは、あくまで私に“お姉さま”と呼ばせて、その度にケラケラと笑うのだった。
…この、いじめっ子め。
お姉さまは相変わらず明るくて、いつも馬車内を沸かせていた。
偉大な人だ。
私は素直にそう思う。
五日目のこと。
町に着くなり、私たちは、その町の騎士団から援護要請を受けた。
付近に強力な魔人が出現し、行方を眩ませたとのこと。
討伐のため、護衛の騎士のうち、一人を貸してほしいとのこと。
そして不足する私たちの護衛については、次の町で補えばよいという強引な理屈だった。
確かに、これまで遭遇した魔物には騎士一人でも十分すぎるほど対応することができた。
同行する騎士は二人も必要ないかもしれない。
だが本来、護衛が不足した場合、定期連絡隊の移動は、緊急時を除いて認められない。
魔人討伐が完了するまで、この町に滞在することも考えられた。
しかし、相手が強力な魔人で、しかも行方を眩ませたとなれば、
捜索、撃破に何日も、下手をすれば何十日も要してしまう。
定期連絡に遅れたくない、という連絡役の強力な要望もあり、
結局、私たちは、騎士カレン一人の護衛で、次の町を目指すことになった。
だが、この選択が、
私と、お姉さまにとって、重大な意味を持つことになるなんて、
このときは知る由もなかった。
――― もしも、この日から数日の、いくつかの選択が一つでも違っていたならば、
私たちは、違う運命を辿ることができたのかもしれない。 ―――