そうしてサラとの生活がなんとなく始まった。  
サラは一言で表すと…、  
 
 
…非常にたくましい少女だった。  
 
 
「ちょっ…お姉さん! なべ、なべっ!」  
猛烈な勢いでせり上がってきた鍋の水位にサラの警報が飛ぶ。  
「おおおっ…。」  
私は急いで、用意しておいた水を鍋に注いだ。  
「…お、ぉぉ。」  
今にも吹きこぼれんとしていた鍋は、急速に鎮静化してゆく。  
…間に合った、さすが私、いい反応だ。  
と、ほっとしたところに、サラの喝が飛ぶ。  
「なに得意げな顔してるのっ。…まったく、“注意して見てて”って言ったのにっ。」  
「ごめん、ごめん…。」  
私はとりあえず平謝り。  
でもなんだか楽しくて、どうしても顔がニヤけてしまう。  
 
西の空が赤く染まり、もうすぐ外が暗くなる頃。  
今は二人で夕食の準備中。  
 
先ほど、食材を切ろうとキッチンに立った私なのだが、“ナイフの持ち方が危ない”、  
なんて言われて刃物を取り上げられてしまった。  
それから私はナイフに触らせてもらえない。  
それで、仕方ないから、ということで、鍋と火加減の監視を仰せつかったわけだが、  
サラの慣れた手つきがなんとも面白くて、ついついその手捌きに見とれてしまい、この有様。  
そして今も、ニヤつく私に、“笑うなっ”、なんて追い打ちをかけてくる。  
…厳しい師匠だこと。  
 
彼女がここにきて数日間、  
手のかからない――切っただけ、しかも下手な――食事も三回連続で続くと、  
それまでぼんやりしていたサラも、さすがに私が料理なんてできないことに気が付いたらしく、  
五回目を迎える頃には、サラは私の隣に立ち、料理の師匠になっていた。  
そして、キッチンに立ったサラは家の戸棚の奥から塩と香辛料を次々と掘り出し、  
長らく埃に埋もれていた釜戸まで復活させ、翌日の夕食はかなり本格的だった。  
ただ、同時に発掘された食用油はさすがに腐っていて、  
その晩のうちに私が調達することになったのだけど、  
…まあ、まさか盗んできたとは言えまい。  
 
そうこうしているうちに、サラは家の前に小さな菜園まで作り始め、  
私も手伝わされて、それなりのものを完成させた。  
日光の下、二人で土をいじるのはなんだか楽しくて、  
その頃にはサラも少しずつ笑うようになった。  
そして、次は“二人で町に買い出しに行こう”だなんて言い始め、  
やはりその晩のうちにお金を調達することになったのだけど、  
…うん、まさか盗んできたとは言えまい。  
 
家族を失ったことにサラは傷つかなかったという訳ではないのだろう。  
サラはときどき遠いところを見つめては、  
ぼんやりとしていることが確かに多かった。  
それでもサラは、  
悲しみに沈んでいてもおかしくないのに、  
それを吹き飛ばすかのように活発で、何か仕事を見つけてはそれに打ち込み、  
私に手伝わせては、どんくさい私にぶーぶー文句を言って、  
それが終われば次の仕事。  
なんだかんだ言って彼女もこの生活をそれなりに楽しんでいるようだった。  
ほんと、実にたくましい。  
 
もちろん私は、サラを襲っていないし、この先も襲うつもりはない。  
くるくると動きまわる彼女と一緒にいることが、  
まるで妹ができたようで、純粋に楽しかった。  
ちょっと生意気だけど、でもそこがいい、…なんてね。  
だから、魔物の気持ちで、サラや、サラとの生活を穢したくなかったのだ。  
 
でも私は、生活の変化とは裏腹に、  
ときどき夜中に町へ行っては、精を啜ることはやめられなかった。  
残念なことに、私の空腹はサラの料理では満たされないのだ。  
身近な人は襲わずに、知らない人は襲って、なんだか矛盾していて滑稽だ。  
 
それでも、私はこの生活がとても楽しくて、  
魔物として闇夜を徘徊することはやめられないけど、秘密の多い暮らしだけど、  
きっとサラもなにかおかしいことに気が付いているはずなのだけど、  
私は、こんな日々がいつまでも続けばいいな、なんて本気で思っていた。  
 
 
闇を這いずり回る暮らしに、無意識にも光を求めた私の願いは、  
少なくとも私にとっては、幸運にも、これ以上ない形で叶ったのだ。  
 
 
…おっと、またお鍋が暴れ始めたようだ。  
 
 
 
一月近くが過ぎたある夜。  
軋む扉を、できるだけ静かに、注意深く開く。  
壁の向こうは別世界。  
夜はまっただ中で、新鮮な空気が私を満たす。  
虫の音と、木々が風にそよぐ音が静寂を演出し、  
星々の淡い光が闇を演出する。  
今夜もいい夜だ。  
 
 
「…どこへ行くの?」  
 
 
背後からの声に歩みを止める。  
彼女の表情は見たくなかったから、振り返りはしなかった。  
私は夜の狩りに出ようとして、ついに見つかってしまったのだ。  
私は狩りの前に高揚していて、それを後ろめたさに邪魔されたような気がして、  
 
少し、苛立ちを覚えた。  
 
だから、サラの相手をする気が起きなかったのかもしれない。  
 
「…朝までには戻るよ。先に寝ていて。」  
 
ぶっきらぼうにそう言うと、私は扉を閉めた。  
後ろから、呼びとめる声が聞こえたが、私は構わず飛び立った。  
苛立っていた私は、見られたって構わなかったのかもしれない。  
 
 
…。  
…見られたかもしれない。  
 
 
木々よりはるか高く舞い上がり、雲をも見下ろす空の中、私の翼が風を切り裂く。  
冷たい空気を浴びて、少し冷静になった私は、  
サラをぞんざいに扱ったことを、少し後悔していた。  
闇夜を泳ぎながらサラに、サラとの日々に想いを巡らせる。  
 
サラとの生活は楽しい。  
まるで死んでいたかのような私の時間は、彼女によって息を吹き返した。  
でも、私は魔物で、こうやって人を襲うことをやめられない。  
魔物はサラの母親の仇だ。  
サラは私が魔物であると知ったなら、いったいどう思うだろうか。  
私の許から逃げ出すだろうか。  
それとも、私という魔物に復讐するだろうか。  
サラが私を知れば、私はサラを失ってしまうかもしれない。  
 
そういえば、サラはなぜ私と一緒にいるのだろう?  
…私が攫ってきたから…か。  
 
そうだ、サラは私に攫われた。サラの意思とは関係なく。  
だからこの生活はサラが望んだものではないし、  
成り行きで始まったとはいえ、止むを得ず続けているものではない。  
この生活を望んでいるのは私だけなのだ。  
ましてや、人間と魔物。  
羊が狼と一緒に暮らしているようなものだ。  
だから、今の状況は、異常な状況。  
いつまでもサラを人外との生活に付き合わせておいていいはずがない。  
 
サラはまだ未来のある少女だ。  
人々の中で生き、成長し、大切な人と出会って、その人の子を産んで、  
家族に囲まれながら、幸せに生きることだってできるし、そうあるべきだ。  
私とサラの生活は、もとより長続きするはずのないもので、  
そんなものに執着する私が無茶なのだ。  
でも、私はサラとの暮らしを続けたい。  
 
…いや、サラとの生活を続ける方法ならば、ある。  
 
 
――…サラも…淫魔に…。  
 
 
……ふ……まさかね。  
 
 
その日の狩りは、気分が乗らず、結局すぐに引き返してしまった。  
サラは…、ベッドで眠っていた。  
 
一夜明けて、その日は朝からぎこちなかった。  
朝食を済ませて、水を汲み、洗濯して、とりあえず菜園に手を入れる。  
昼食を済ませて、部屋の空気を入れ替えて、やることがなくなって昼寝した。  
そうして、夕方になり、いつも通りに夕食。  
その日もやはり二人で協力して、  
でも、私とサラの会話は少なかった。  
なんだか気まずくて、視線を合わせることさえ躊躇われた。  
 
やはり言うべきなのだろう。  
サラが昨夜、飛び立つ私を見てしまったなら、  
ごまかすことができたとしても、隠すことはできない。  
私も、隠し事を気にしながらサラと過ごすのは嫌だ。  
そして、現に二人の間に微妙な空気が流れている。  
多分、いつかは言うべきものだったのだ。  
覚悟を決めなくてはならない。  
 
そうして、夜を迎え、私は隠し事すべてを話すことにした。  
就寝前のひと時、すでに二人とも寝巻であり、サラはベッドに潜るところだった。  
 
「じゃあ、お姉さん、お休み。」  
「……。」  
 
私は不安を押し切って、とにかく切り出すことにした。  
だが、いざ話そうとしても、何から話していいか分からない。  
でも、とにかく切り出した。  
 
「…サラ。ここを出たい、と思ってことはない?」  
「…え?」  
「こんなところから飛び出したい、と思ったことはない?」  
「…えと…、どうしたの?」  
 
何から話していいか分からないから、話の切り出しはこんな感だった。  
そして切り出した以上、後戻りはできない。  
 
「サラ…謝らなくちゃならないことがある。」  
 
「…なに…かな?」  
 
「その…サラを、ここに連れてきたこと。」  
 
「……。」  
 
「覚えてる? サラ、狼に襲われていたこと。あの時、サラが気絶しているのをいいことに、  
私の勝手でここに連れ込んでしまった。…ごめん。」  
 
私は、頭を下げた。  
申し訳ない気持ちもあったけど、それより、サラの眼を直視することができなかった。  
サラが、というわけではないけど、とても怖かったのだ。  
だから、真に言うべきことを後回しにした。  
 
「……。」  
 
沈黙が流れる。  
 
 
虚をつかれたように固まっていたサラが応えたのは、  
それから少ししてからだった。  
 
「ち、ちょっと、頭下げたりなんかしないでよ…。  
それなら、私こそ、謝らないと、あ、いや、お礼を言わないといけない。」  
 
…お礼?  
今度は、サラが丁寧な口調で、改まった様子で、頭を下げた。  
 
「…助けてくれて、それに、お世話までしてくれて、ありがとうございます。」  
 
でも、しばらくして、いつも通りの悪戯っぽい表情で顔をあげる。  
 
「…まだ、言ってなかったよね? お礼。」  
 
「あ、いや…。」  
 
…そうか、そうだよね。  
サラは、純粋に私に助けられたと思っているんだ。  
サラは続ける。  
 
「あの…、私…やっぱり邪魔…かな?」  
 
サラは不安げな口調に変わっていた。  
 
「私…うまく言えないけど、ここに居たいの。  
ほら、私ほかに行くところ、ない…し…。」  
 
目が泳いで、声が尻すぼみだ。  
と、また改まった口調に変わって話す。  
 
「…お礼ついでにお願いがあります。」  
 
その視線はまっすぐこちらを向いていた。  
でも、不安の色は消えていない。  
 
「お金ないなら働くし、お家のこともお手伝いするから…。  
ここに、一緒に居させてください。」  
 
そう言ってサラは、深々と頭を下げた。  
 
「サラ…。」  
 
サラのお願いは、少し意外だった。  
サラが私と一緒に居たい理由は、  
助けられたことや、ほかに行くあてがないことだけではないだ。  
サラは私を慕ってくれているのだ。  
サラと一緒にいることが楽しいと感じている私にとっては、  
そのことはとても嬉しかった。  
 
でも、だからこそ、私にはまだ言わなければならないことがあった。  
 
「サラ…。私もサラと一緒にいたい。  
でも、まだ謝らなければならないことがある。  
打ち明けなければならないことがある。」  
 
そして、私はもう一呼吸。意を決して絞り出す。  
 
「私は…魔物なんだ。」  
 
「…え?」  
 
「隠していてごめん。私は、魔物なんだ。」  
 
「嘘…。だって、お姉さん、どう見ても人間だよ。魔物には見えないよ。」  
 
やはり、驚きを隠せないようだ。  
当然だ、目の前の人間が突然、“自分は魔物だ”なんて言い出したら誰でも驚く。  
 
「人の姿をした魔物もいる。人間の姿で、人間のふりをして、人間を堕とす魔物。  
私は、そんな魔物なんだ…。」  
 
「本当…なの? 普通の人じゃないとは思っていたけど…。」  
 
でも、それは自身がすでに疑っていたことならば、驚きではなく納得だ。  
 
「じゃあ、昨日のは、…夢じゃなかったんだ。」  
 
やはり、私が飛び立つところを見ていた。それなら、信じてもらえるはずだ。  
 
「サラは、“助けてくれてありがとう”って言ってくれた。  
…違うよ。私は、サラを助けたんじゃない。きっと、サラが欲しかったんだ。」  
 
そう、多分、私がサラを求めたのはそんな理由。  
 
「…だから、ごめん。」  
 
もう一度、深々と頭を下げた。  
サラは許してくれないだろうと思った。サラが私を慕ってくれているのなら尚更だ。  
私は卑しい魔物で、でもサラにとって恩人として、サラを欺き続けていたのだから。  
でも、心のどこかでは、許してくれるんじゃないかと思っていたかもしれない。  
というより、許してほしかった。  
 
「そう…、なんだ。」  
 
やはり、しばらく沈黙が流れる。  
 
「…私のこと、食べちゃうの?」  
 
可笑しなことに、あながち間違いではないけれど、きっとサラが思っているものとは  
ちょっと違う。というか、そっちの意味でももちろん食べたりしない。  
私は首を横に振った。  
 
「じゃあ、私はここにいてもいい?」  
 
サラの答えはどうやら許容だった。  
でも私は、確かめるため聞き返す。  
 
「いいの? 私は魔物なのに。」  
 
「うん。お姉さんさえよければ。」  
 
やはり、サラの答えは許容だった。  
お互い、一緒に居たいということに変わりはなかったのだ。  
サラが私の許から逃げ出すということはなく、私の不安は取り越し苦労だったのだ。  
でも、一緒に暮らすなら、まだ言わなければならないことがある。  
 
「サラ…。気持ちは嬉しい。でも、」  
 
―――私は最大の障害を、自らサラに突き付けた。  
 
「…サラは人間だ。だから、人間の中で暮らすべきなんだ。」  
 
そうだ、私が他の人間と容易に関われないことを、サラにまで押し付けてはいけない。  
 
「私と一緒にいれば、人間の友達はできない。恋人とだって出会うことは出来ない。  
あなたは、私一人か、ほかの人間全部か、どちらかを選ばなければならないんだ。」  
 
我ながら変な言い方だ。でも端的に言うと大体こんなもんだろう。  
そして、サラは私を選ぶべきではない。  
 
「サラはまだ若い。いろいろなことを学んで、友達を作って、  
誰かの役に立ちながら生きることができる。  
女の子らしく大切な人を見つけて、その人の子を育んで、  
家族に囲まれて穏やかに生きることもできる。」  
 
こっちはどこかで聞いた言葉。  
…もはや遠い記憶の彼方。  
 
「だから、私と一緒にいちゃいけないんだ。」  
 
サラと一緒に居たい私の気持ちは切実だ。  
しかし、サラを本当に想うなら、このことは言っておかなければならない。  
私の願いに相反する、極めて覆し難い矛盾。  
最大の障害。  
 
……胸が、苦しい。  
 
いくつかの呼吸を置いて、サラが口を開いた。  
 
「…お姉さん。私は、今すぐに出ていかなきゃ、だめ?」  
 
「いや、そんなことはないけど…。でもいつか必ず決断しなきゃならないことだと思う。」  
 
「じゃあ、いいでしょ、もう少し一緒に居させてください。お願いします。」  
 
サラはそう言ってまた頭を下げる動作をする。  
ちょっと明るいなんだかおどけたような口調だ。  
ちゃんと聞いていたんだろうか?  
真剣な話をしたのに、と、若干不安になる。  
と、更にサラが悪戯っぽく付け加えた。  
 
「…それに、ほら! お姉さん私が付いていないと心配だもん!   
一人じゃ何もできないんだから、放っておいたら孤独死しちゃうでしょ?」  
 
サラはいつもの生意気な調子に戻っていたようだった。  
孤独死とは確かにその通り、大げさだけど、言い得て妙だ。  
そして、だからこそ、今の私にはサラが必要なのだ。  
 
 
「…ふ、ふふふ…。」  
 
 
なんだか笑いがこみあげてくる。  
可笑しかったんじゃない。きっと嬉しかったのだ。  
ああ、…わかったよ、今日のところはもういいや。  
ここで妥協するあたり、私は不甲斐ないけれど、でもいいや。  
どうしてか涙まで出てきそうだ。  
 
私はサラに救われて、今もまた救われた。  
結局、何も解決していないけど、サラとの生活はまだ続くだろう。  
いつかは別れなければならないとしても、人の出会いなんてそんなものだ。  
だから、これでいい。  
 
 
「…ありがとう…。」  
 
 
私の願いはまだ、だらだらと、叶い続けるのだ。  
 
 
…さて、そのあと、サラによる尋問が始まった。  
“空を飛ぶってどんな気分?”から始まり、  
“夜、どこへ出かけてなにしてるの?”とか…。  
そして煮詰まってくると、徐々にアレな内容に移ってゆき…、  
“人を堕とすって何?”とか、  
“…か、か、快楽って何?”とか…。  
際どいところを責めては顔を赤らめるサラ。  
いろんな意味で極めて答え辛い質問に、私はたじたじだ。  
サラよ、君にはまだ早いのだよ…。  
 
冷や汗出っぱなしの尋問タイムは、サラが眠くなるまで続くのだった。  
 
 

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