魔女の乗り物の定番と言えば箒である。  
漫画や絵本に登場する魔女も額に稲妻形の傷のある某魔法使いも、みんな例に漏れずに箒に跨がって空を飛んでいる。  
空を自由に飛びたいというのは、昔から人々が抱いてきた夢だ。魔女なりたての俺もまた、その夢を持つ一人であるわけで  
 
「それなのに何故、何故飛べない…」  
 
思わず漏らした声は、我ながらあまりにも悲痛だ。  
 
「うー、ぐりむ様ぁ!ファイトです!」  
 
隣で送られるエールが物悲しく聞こえるのは何故だろう。箒とプリマを交互に見遣りながら、俺は深々とため息をついた。  
箒に跨がり勢いを付けて地面を蹴ったまではよかった。通常ならば、そのまま箒は高々と舞い上がる筈なのだ。  
しかし俺を乗せた箒はうんともすんとも言わず、大人しく重力に従っている。知識の水のおかげで、箒の乗り方はしっかりと理解してあるのにだ。  
 
うん、理由は大体分かるんだけどさ。  
例えば水泳。カナヅチ人間にいくら泳ぎの理論だけを教えたって、いきなり泳げはしないだろう。  
つまり、これには魔力だけではなく努力とセンスを要するのだ。ああ、自分で言っておいて悲しくなる。  
 
「…くそー、飛べ!浮かべ!つーか動け!!」  
 
俺にはセンスのかけらすらないというのか。  
ダンダンと音を立てて跳びはねるが、一向に変化は見られない。箒に乗ってぴょんぴょん跳ねている俺は、傍から見たらさぞかし可哀相な人に見えるだろう。  
 
「力任せではいけませんよ。まずは空気の流れを読むのです」  
 
そう言いながら、プリマは本日何度目になるか分からないお手本を見せてくれる。  
まずは目を閉じ、箒の下にある空気を捉える。そのまま空気の流れに乗る「だけ」、だそうだ。  
プリマを乗せた箒が、軽々と浮かび上がる。すうっと開かれたプリマの目には、空気の流れや風の動きがしっかりと見えているのだろう。  
 
「うぅ、その細かい感覚がよく分かんないんだが」  
 
プリマを真似て目をこらすがそれらしいものは全く見えない。魔力を研ぎ澄まして感覚を捕らえようとしても、どれが何の動きなのかさっぱり分からないのだ。  
 
「…むぅ、こればかりはセンスというか得意不得意が分かれる分野というか…」  
 
「プリマ、何気に傷ついたぞ」  
 
「あぅ!すみません」  
 
というか、いっそ空気の流れが分かる箒を作った方が早いのではないだろうか。ふわふわと浮かぶプリマを眺めながら、思わずそんなことを考えてしまう。  
魔力を送るだけで勝手に流れに乗ってくれる箒。箒入門者にも、自転車の補助輪のようなもんがあったっていいだろう。  
うむ、もしかすると意外にナイスアイデアかもしれない。例えば空気に乗るのが上手いプリマを箒代わりにして見る、とかさ。  
 
「…プリマ」  
 
「何でしょう?」  
 
「許せ!」  
 
不思議そうに箒から降り立ったプリマに対し、俺は容赦なく杖を振りかざす。悪いなプリマ、しかし魔女のプライドにかけて俺はどうしても空を飛ばなければならんのだ!  
 
「きゃん!?」  
 
杖先から溢れた光に包まれ、プリマが驚きの悲鳴をあげる。  
 
「ぐりむ様、一体なに…を………」  
 
声が、それっきり途絶える。  
やがて光が晴れると、トサッと軽い音を立ててプリマは地面へ倒れ込んだ。その表情は、驚愕を浮かべたまま動かない。  
手足を伸ばしきり、彼女はまるで一本の棒のように体を硬直させていた。抗議の声を全て紡ぐ間もなく、プリマは人間箒になったのだ。  
 
「よし、成功」  
 
試しにプリマの目の前で手を振ってみるが、虚ろな瞳はぴくりとも動かない。魔法はよく効いているようだ。  
箒になりきっている彼女は無意識下でも風を読む。後は俺が魔力さえ込めてやればいいのだ。  
俯せのままのプリマに跨がり、そっと念じながら力を注ぐ。『浮かべ』、ただそれだけだ。  
その命令を受け、俺の体重を支えたままプリマの体は難無く宙へと浮かび上がった。  
 
「おぉ!浮いてる!」  
 
地上1メートルほどの高さだが、俺は思わず歓声をあげた。やはり魔女といったら飛ばなければ嘘ってもんだ。  
少し姿勢を落とせば、風になびくプリマの髪の毛が甘い香りを帯びて俺の鼻先をくすぐる。柔らかい乗り心地といい、なかなかいい箒だ。  
 
「よーし、右折ー」  
 
ムギュっと、俺はおもむろにプリマの右胸を掴んだ。傍からみるとただのセクハラだが、これは立派なハンドルであるわけで箒の進路もしっかりと右へと向く。  
まぁハンドルがなくても今のプリマは念じるだけで動くのだが、この際気にしないで頂きたい。これは浪漫でありこだわりなのだ。  
ムニュムニュと感触を楽しみながら、俺は低空飛行を堪能する。ああ、いっそ乳揉み…いや、ハンドル操作をしやすいようにローブも脱がせてしまおうか。  
その状態で意識を戻してやるのもなかなか楽しそうだ。  
 
「よーし、とりあえずは空中散歩でも!って、あ……」  
 
ひとまず高度を思い切りあげようとした瞬間、俺は肝心なことに気づいてしまった。  
 
「俺、高所恐怖症だったんだわ…」  
 
相変わらず硬直しきっているプリマの上で、俺は思わず頭を抱えた。  
まずは高所恐怖症を治す薬を調合しない限り、このセクハラめいた空中散歩はおあずけなわけだ。  
 
「すまんなプリマ、薬が出来るまでは箒のままでいてくれよ」  
ふにふにした尻を撫で悪びれもなく言う俺にも、可愛い箒は文句を言う事なく虚空を見つめるのだった。  
 

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