剣と剣を交差させる鋭い音が鳴り響く。  
ここは、天使達が治める天使領の一角に設けられた武闘殿だ。  
太古の昔から神の御心に従って、天界と地上の安穏を護り、正と負の力の均衡を司ってきた天使達にとって、自  
らの能力を高めていくための武闘と魔導の鍛錬は欠かせない。  
 
今、この中央闘技場で行われている大天使長ミカエルの補佐官アルシエルと次期大天使長候補として名高い大天  
使ルシフェルの補佐官サタナキエルによる公開闘技もそんな鍛錬を兼ねた試合のひとつだ。  
 
先程からアルシエルとサタナキエルの両者が激しく競り合い、お互いの剣と剣を重ねて鋭い音を響き渡らせる度  
に、観戦席から大きなどよめきと歓声が沸き起こっていた。  
 
「また腕を上げたね、アルシエル。  
 君と対戦すると、いつも新たに色々なことに気付かされる。毎回、それが楽しみになっているよ」  
 
先程から幾度となく互いの剣を交えて火花を散らしながら、激しい競り合いをしている最中だというのに、サタ  
ナキエルはアルシエルに笑顔で語りかけた。  
 
「君こそ腕を上げすぎだろう!  
 …君がこんなに強くなったら…私がいくら努力したって敵わないじゃないか!!」  
 
未だに落ち着いた、余裕のある態度を見せながら、自分と対峙していることを心から楽しんでいる様子のサタナ  
キエルを前に、アルシエルは凛々しいアクアマリンブルーの瞳で相手をきつく相手を見据えながら言葉を返した。  
 
そんなアルシエルの言葉を受けて、サタナキエルは再び目の前に繰り出される剣先を冷静に避けながら、先程と  
変わらぬ笑顔で話しかける。  
 
「そうでもないよ。先程から君と対峙しているけど、正直、私にも前ほどゆとりが無くてきついかな…  
 このままだと、いつぞやの様に、僅かな隙を衝かれて、君に負かされるかもしれないなぁ」  
 
「君が私に負けたのなんて、随分昔に1回だけじゃないか!  
 それにあれから、こうして何回も闘ってはいるが…  
 …いつも良いところまではいくけど…私が勝てた試しなんてないだろ!!」  
 
アルシエルはそう言うと、自らの手に力を強く込めて剣を握り直し、瞬時にサタナキエルとの間合いを詰めて、  
一気に剣を振り下ろした。  
 
それとほぼ同時に、先程より一層激しい音と火花を生じさせながら、剣と剣がぶつかり合い、観戦している多く  
の天使達からも大きなどよめきが上がった。  
 
その思い切り振り下ろされたアルシエルの剣を自らの剣で受け止めたサタナキエルは、その剣で受け止めきれず  
に腕から身体にかけて走った軽い衝撃に耐え、ほんの少しだけ顔をしかめた。  
 
サタナキエルは、それから、互いに剣を交わしたままで、力で押し合うようなこの状況が、自分にとって不利な  
形に傾かないよう、相手の力を受け止めることに注意深く気を配りながら、常日頃から相手に研ぎ澄まされた印  
象を与えがちだと言われるその蒼いサファイアブルーの双眸をアルシエルに向ける。  
 
「そうかな?  
 俺は、貴方と対峙する度に、毎回、結構きついと思ってるんだよ?  
 いつもぎりぎりのところで勝っている気がするし…なにより、魔導力そのものは君の方が上だしね。  
 でもね、幼馴染で女性の君に負けるというのは、  
 正直なところ男としては、かなり堪えるからね…それなりに努力はしてますよ!」  
 
サタナキエルは、そう言うと、ほんの一瞬、微笑んだ後に、自らの剣にかけていた力を少しだけ緩めて、相手と  
の力の均衡が崩れるように仕掛けていく。  
その次に、互いに剣を交差させて、力で押し合うように組み合っていた状態から、自らの剣を素早く振り解き、  
アルシエルの体勢を崩しにかかると同時に、自らの剣を大きく横に振り払った。  
 
もちろん、横に振り払った剣とその剣から生じる剣風をアルシエルが咄嗟の判断で避けてくれることを計算に入  
れての動きだ。  
 
「…なっ!私が女だからとか、幼馴染とか、君が男だからとか!…そんなの関係ないだろ!」  
 
アルシエルはサタナキエルが想定していたとおり、しなやかな身のこなしで、振り払われた剣の軌道を見事に避  
けると、自らの体勢を立て直すために一旦、その身を引いて充分な間合いを取る。  
それから、相手が予測していなかったような速度で再び一気に間合いを詰めると、上段から容赦なく剣を振り下  
ろす。  
 
振り下ろされる剣とその動きから生じた剣圧を防ごうと、サタナキエルが自らの剣を構えたのとほぼ同時に、互  
いの剣が重なって火花が弾け、大きな音が辺りに響き渡った。  
先程よりも少々不利な姿勢で、再びアルシエルの剣を受け止めたサタナキエルは、少し焦りながらも重ねた剣に  
力をかけると、自分にとっては、不利になったその体勢を押し戻しつつ、アルシエルに言葉をかけた。  
 
「いや、まあ、その…ね、  
 正直なところ、俺自身に毎回、こんなにもゆとりが無くて、  
 君と相対する度に、自分の素の部分が出ちゃうのはまずいとは思ってるんだよ。  
 もっと冷静に対峙できるようにって、努力はしてるけど…自分の努力が君の実力に追いついていないね」  
 
「自分の素の部分って…なんだよ!  
 …君は…相変わらず、私とは、いつも本気の力で対峙してないかのような物言いをするんだな!」  
 
アルシエルは自分よりも不利な体勢に置かれているくせに、まだ余裕ありげに微笑みながら言葉を交わすサタナ  
キエルの様子に、軽い苛立ちを覚えながら言葉を返した。  
それから、自分とって優位な形で組み合っている今の体勢を元に戻させないように、自らの身体を傾け、渾身の  
力を込めて、サタナキエルが加えてくる圧力を押し返そうとしていく。  
 
それに対して、サタナキエルは、アルシエルが全身の力を込めて自らに傾けてきた力をしっかりと受け止めると、  
その体勢をほとんど崩すことなく、先程と変わらぬ笑顔の残る表情で言葉を重ねる。  
 
「違うって…いや、だから大天使補佐官たる自分としてはね、  
 余裕がなくてつい俺とか言っちゃったり、どちらかというと君のことを苛めたくなっちゃう性質なのを  
 いつもこの場で再認識してるのはどうかな…と思ってたりするだけなんですけど」  
 
そう言いながら、サタナキエルは更に確実に自身が優位に動けるような体勢へと押し戻していく。  
サタナキエルは、お互いが相手をほとんど同じ形で間近に見据えるようになるまで、体勢を押し戻すと、アルシ  
エルを正面からじっと見つめた。  
そして、アルシエルの瞳にゆっくりと視線を合わせると、その距離の近さに動じる様子も無く、普段と変わらぬ  
笑顔で微笑んだ。  
 
サタナキエルのその表情に気をとられたアルシエルは、その視線を振り解くように、ほんの一瞬だけ、自らの視  
線を正面から逸らす。  
その一瞬だけ、そのとき確かにアルシエルに隙ができていたはずなのに、サタナキエルはむしろその距離感と掛  
け合いを楽しんでいるかのようで、今、互いに剣を交えて組み合っているこの体勢を変えようという気配は全く  
無かった。  
 
アルシエルは、サタナキエルのそんな様子に気付くと、少し顔を上げ、先程よりも幾分苛立ちを顕わにした表情  
で相手をきつく見据えるようにして、サタナキエルへと視線を返す。  
サタナキエルの立ち振る舞いから、今、現時点においても、自分に対して、相手が相当手加減をしているのだと、  
改めて認識させられている気がしたからだ。  
アルシエルは、そのことに余計に憤りと苛立ちを隠せなくなっている自分を自覚すると、ため息をつきながら、  
サタナキエルに言った。  
 
「…サタナキエル…お前さぁ…本当に相変わらずだな…そろそろ、そんな口を利けなくしてやるよ!!」  
 
「そうだね、そろそろ終わりにしようか」  
 
サタナキエルがアルシエルの言葉を受けて、相も変わらぬ笑顔でそう答えると同時に、二人は互いに剣を交差さ  
せて組み合っていた体勢を素早く振り解き、剣を振るうのに充分な間合いを開けた。  
そして、次の瞬間にほぼ、同じタイミングで、それぞれが自らの剣を大きくなぎ払うようにして、魔導力を乗せ  
た一撃を打ち放つ。  
 
それに合わせて、アルシエルが上段から思い切り剣を振り下ろして打ち放った真っ白な閃光の束とサタナキエル  
が斜め上段から剣を打ち下ろすようにして作り出した蒼く鋭い雷のような激しい光の二つの熱量を持った力が  
真正面からぶつかり合い、それまでに無いほどの大きな光と轟音が一瞬にして辺りを包み込んだ。  
 
同時に、互いのエネルギーから生じた強い風が容赦なく、切り裂くような勢いをもって、アルシエルとサタナキ  
エルの周りに巻き起こり、砂塵が視界を遮っていく。  
 
その強風と砂塵の勢いから身を護るために、アルシエルは、素早い動作で剣を横にかざすように構えると、自ら  
が持つ魔導力を剣へと移しながら、その力を防護壁の代わりとして発動させ、それを楯にすることで、その場か  
ら動くことなく、持ちこたえていた。  
 
しかし、その次の瞬間、アルシエルが作り出した咄嗟に作り出した、その簡易的な魔導防護壁だけでは、避けき  
れない程の新たな風と砂塵がアルシエルの周りへと吹き荒れると、その強い風の刃をまともに受ける形となった  
アルシエルは、頬に引き裂かれるような傷を負い、その反動で、自らの体勢を崩しながら声を上げた。  
 
「く…っ!…あぁっ!!」  
「…ちいっ! 少し、しくじったか!」  
 
自らの剣とその完璧な魔導制御力により、強風と砂塵を見事に防ぎきっていたサタナキエルは、アルシエルが傷  
を負った様子を目にした瞬間、アルシエルの側へと咄嗟に駆け出していた。  
そして、切り裂くような風がまだ収まりきらない中で、アルシエルを自らの腕の中へと掻き抱くと、その風の刃  
と砂塵から庇うようにして、抱きとめる。  
 
それから、剣の使い手としては、繊細かつ華奢な線を描くアルシエルの身体が、地面へと崩れ落ちて倒れ込むこ  
とのないように、しっかりと支えると、サタナキエルは自らの身体と剣を楯にして、僅かな間ではあるが、かな  
りの勢いを持って吹き荒れた強風と砂塵が完全に収まるのを待った。  
 
やがて、一瞬の閃光とそれに伴って生じた轟音と強風が収束し、辺りを静寂が包む。  
 
辺りの視界が再び開けていくなかで、サタナキエルは自ら腕の中に視線を移し、アルシエルの無事を確認した。  
その視線の先に映ったアルシエルの様子から、片方の頬に軽い切り傷を負わせたものの、その他に大きな怪我を  
させることが無かったようだと判り、サタナキエルはほっとしたようにため息をついた。  
 
同時に、試合を観戦していた天使達の周りを覆っていた砂塵が収まり、視界を遮るものが徐々に無くなってくる  
と、アルシエルとサタナキエルの様子は、観戦席からも確認できるようになっていた。  
二人が無事であることが観戦席からも確認できるようになった瞬間、静寂に包まれていた闘技場内に、観戦して  
いた天使達からの大きな歓声が沸き起こる。  
 
サタナキエルは、その観戦席の様子に一度、目を遣った後で、自らの腕の中に抱いていたアルシエルへと視線を  
戻した。  
それから、アルシエルの頬にかかっていた、長いプラチナゴールドの髪をそっと払い、傷の無かったもう片方の  
頬に手を軽く添えながら、声をかけた。  
 
「…済まない、アルシエル、大丈夫か?」  
「大丈夫じゃない…けど…君の頬にも同じような傷がついてるな、ほら、これで引き分けだな」  
 
アルシエルは、歓声に包まれた中で、自らを支えてくれている、サタナキエルを見上げるようにして見つめなが  
ら、相手の頬へと手を差し伸べて微笑んだ。  
 
そのアルシエルの言葉で、自らも頬に傷を負っていたのだということに、改めて気が付いたサタナキエルは、知  
らぬ間に自分の頬にあった傷を確認するために、自らの手元に握ったまま剣を、その剣先の扱いに充分な注意を  
払いながら、腰に留めていた鞘へと収めると、差し伸べられたアルシエルの手の先に自らの手を伸ばした。  
 
それから、その傷口に触れ、僅かに顔をしかめたが、自らのその傷については、それ以上あまり動じる様子もな  
く、いつもと変わらぬ様子で微笑みながらアルシエルへと視線を返すと、聞く者を安心させるような落ち着いた  
声で言葉を返す。  
 
「…あぁ…確かに…これは痛いな…でもアルシエル、残念だけど、ほら、君の剣は今、君の手元には無くて、  
 俺の剣はこうして俺…いや、私の手元にあるからね。私の勝ちだよ」  
 
サタナキエルは、そう言うと、アルシエルの手元を離れて足元の地面に突き刺さったままの剣と、鞘に収めてい  
た自らの剣へと視線を移した後で、再度、アルシエルの瞳に視線を戻すと、先程よりも一層、晴れやかな笑顔で  
微笑んだ。  
 
それから、もう片方の腕でアルシエルを抱き支えたまま、頬から手を降ろすと、その手で自らの剣を再び鞘から  
抜き放ち、そのまま天空に向かって高く挙げた。  
そして、試合の結果を見守っている大勢の観衆の前に差し出すようにして示しながら、真っ直ぐな視線を観衆の  
方へと向ける。  
 
そのサタナキエルの様子を合図にして、試合の勝敗を確認した観戦席の天使達からは、一斉に割れんばかりの大  
きな拍手と歓声が贈られ、闘技場内はその大きな音に包まれる。  
 
そんな観衆の様子を目にしたアルシエルは、改めて自らの負けを認識しながら、サタナキエルの上着を少し掴ん  
で、まだ足元がおぼつかない身体を支えつつ、下を向いたまま声を絞り出すようにして言った。  
 
「私は…また君に負けたんだな…」  
「そうだね、少し残念だけどね…」  
 
サタナキエルはそう言うと、自らの剣を振り降ろして地面へと刺した。  
それから、アルシエルの額にやさしい口付けを降らせると、傷の無かったアルシエルのもう片方の頬に再び手を  
軽く添えて、その反対側の頬にある傷へと自らの唇を滑らせる。  
 
「…っ…痛! …い…たい…って!!…サタナキエル! 君はっ!…ボクに…何してるんだ!!」  
 
アルシエルの抗議に満ちた言葉に全く動じる様子もなく、サタナキエルは、アルシエルを抱いたまま、自らの舌  
で傷口から僅かに零れていた血を拭拭い去るように舐めた後、その傷口も同じようにゆっくりと舐め上げていく。  
 
「…んっ、あ…ぁっ…や! …サタナキ…エル…!」  
 
小さな吐息を混じえながら、自らの名を呼ぶアルシエルの声を聞いたサタナキエルは、自分へと抗う気持ちの所  
為か、傷の痛みの所為かは解らないが、若干潤んだ瞳で見上げるようにして、自分を見つめているアルシエルに  
視線を合わせて微笑んだ。  
そして、傷の全く無くなったアルシエルの頬に手を添えたまま、言葉を返す。  
 
「何って、君の傷を治しただけだよ?…それにほら…勝者への口付けと抱擁はこうして別に貰わないとね…」  
 
サタナキエルは、しなやかなアルシエルの腰に回していたもう片方の腕にほんの少し力を入れ、先程よりも強く  
アルシエルを抱きしめた。  
 
「…なっ…何するんだ!! …サタナキエル…!」  
 
アルシエルは、その動きに反応するかのように僅かに腰を逸らし、先程よりも更にサタナキエルを見上げるよう  
な格好になったが、その表情と瞳に凛とした気を湛えたまま、相手を少しきつい表情で見据える。  
それから、自らの腕に力を込め、サタナキエルの身体を押し戻そうとした。  
 
「…何?…アルシエル、よく聞こえないよ?」  
 
自らの腕で再びアルシエルを強く抱きしめながら、相手の抵抗をあっさりと抑え込んだサタナキエルは、そう言  
ってから、ふいにアルシエルの顔に自らの顔を寄せると、その柔らかな唇へと軽く口付けを贈る。  
それから、アルシエルの整った顎へと自らの手を添えて、少々乱暴なかたちでその唇を開かせるようにすると、  
柔らかな口腔内をゆっくりと愛しむように深く口付けていった。  
 
アルシエルは抵抗する間も与えられず、サタナキエルに身を預けるようにして、その少し性急な口付けと抱擁を  
受け入れる形になり、そのことに動揺して身動きできなくなった。  
それと当時に、二人の様子を先程からずっと見守っていた天使達からも、今までとは異なる意味でのどよめきが  
起きた。  
 
サタナキエルは、その周りの様子には全く構うこと無く、一層、口付けを深くするように、自らの舌をアルシエ  
ルの口腔内の奥へと差し入れると、相手の柔らかな舌の感触を確認し、軽く触れるようにしながら、自らの舌を  
這わせていく。  
 
アルシエルは、そのサタナキエルからの行為を避けたいとでも言うかのように、敏感に反応して、自らの身体を  
小さく震わせた。  
そんな彼女の様子からも、アルシエルが未だに動揺を隠せない様子にあることをサタナキエルは充分に理解して  
いたが、今、この瞬間に、自分と口付けたままでいるアルシエルを解放してやろうという気は、全く無かった。  
 
それどころか、アルシエルが今、初めて経験している甘く、疼くような感覚を引き出していくために、自らの舌  
を少し強引な形でアルシエルの柔らかい舌に更に深く絡めると、互いの舌と舌とが交わる、濡れた音をわざと少  
し響かせて、その音がアルシエルの耳元に届くようにした。  
 
それから、アルシエルの口腔内に再び優しく触れ、口腔内全体を愛しむようにして、濡れた音をたてながら、そ  
の音の基となる唾液さえも舌先で掬い取った後で、アルシエルの整った歯列を丁寧に舐めていく。  
そして、徐々に敏感さを増していくアルシエルの感覚を煽るように、その舌の動きから生じる、濡れた音を更に  
響かせるようにしていった。  
 
そんなサタナキエルの深い口付けを受けたまま、抗う力もなく、その腕に抱かれていたアルシエルは、自らの身  
体の芯へと徐々に熱を持って生じてくる、生まれて初めて感じた、熱く疼くような感覚に、目眩さえ起こしそう  
になっている自分に戸惑いながら、自らの意識を必死に保とうとした。  
 
それでも、サタナキエルから受けるその行為によって、余計に敏感になりながら増していく、この甘く疼く感覚  
は、自らの意識を保とうとすれば、保とうとする程に、今、自らの力で、全く押さえることが出来ないものなの  
だと自覚させられているような状況に置かれていることを思うと、アルシエルは、涙を零しそうになった。  
 
「…っ…あぁ!! …や…っ…!!」  
 
自らの腕の中で、アルシエルの身体から抵抗する力が徐々に無くなっていくことを認識したサタナキエルは、ア  
ルシエルの唇を一度、ふいに解放すると、先程とは明らかに違う気持ちに揺れて、涙に潤むアルシエルの瞳を見  
つめながら、微笑んだ。  
 
それから、動揺したままで、抵抗することを全く忘れているかのような状況にあるアルシエルの耳元にそっと口  
付け、甘く噛むと、今、おそらく、アルシエルが感じているであろう、身体の芯が熱を帯び、疼いていくような  
感覚を再び煽るように、耳元での小さな口付けを繰り返す。  
 
「…んっ…あっ!!…や…!」  
 
相手から快楽を与えられることを意図とした口付けなど、今までに一度も、誰からも受けたことが無かったアル  
シエルは、サタナキエルから受ける初めてのそんな口付けに戸惑いながらも、無意識に先程よりも艶めいて切な  
げな吐息をあげていく。  
 
「…あぁぁっ!!…や……だ…!」  
 
アルシエルは、先程よりも更に強く生じた、甘く、疼くような感覚が、自らの身体の中心で再び熱を帯びていく  
ことを感じながらも、自らの意識を何とか保っていたが、サタナキエルの腕の中で、新たな感覚に染められてく  
自分を本当にどうすることも出来ないのだと、実感すればする程、泣きたくなるような気持ちで一杯になった。  
 
そんな気持ちの中で、アルシエルは、僅かに残る力でサタナキエルの腕を力なく掴み、ようやく身体を支えるよ  
うにして、自らの耳元から背中へと走っていく甘く鋭い感覚に耐えながら、サタナキエルに対して再び抵抗の声  
をあげる。  
 
「…も…や…だ…サタナキエル…っ…やめ…ろっ!」  
「…嫌だ」  
 
サタナキエルは、アルシエルの耳元でそう言うと、自分の腕に頼りなく添えられた腕に構う様子もなく、アルシ  
エルの口元に自らの手を添え、その唇を軽く割って、もう一度、口付けた。  
 
それから、アルシエルの整った歯列に、自らの舌で軽く触れると、アルシエル自身が更に唇を開き、先程と同じ  
ように、サタナキエルの熱い舌を口腔内へと深く受け入れていくようにと、仕向ける。  
 
「…ふ…あぁ…っあ!…やぁ…あぁっ…!!」  
 
アルシエルが小さな吐息交じりに、唇をほんの少しだけ、再び開いたところを見計らうと、サタナキエルは、多  
くの天使達が見ていようとも、全く気に留めること無く、何の躊躇いも無いかのように、自然な流れるような所  
作でアルシエルを抱きしめる腕に力を入れた。  
 
同時に、アルシエルが顔を反らすことなど出来ないように、その頭をかき抱くようにして口付け、自らの舌をア  
ルシエルの口腔内へと、少し荒々しくも思えるような形で差し入れていく。  
 
そして、先程、初めて交わした口付けの時よりも、少し性急に互いの舌と舌を絡ませると、アルシエルの口腔内  
全体を味わうように舐め上げながら、口付けを一層深くした。  
 
それから更に、次第にその口付けで、互いの唾液が口腔内で混ざりあい、相手の喉を潤すような濡れた音を立て  
ていくまで、丁寧に舌を使いながら、口腔内を余すところなく、先程よりも時間をかけてゆっくりと、深く深く  
愛撫していった。  
 
「…っや! サタナキエル…も…本当に…やめ…ろぉっ…!!」  
 
今までに経験したことのない、言いようもなく、甘い快楽に満ちた感覚に、完全に支配されていきそうになった  
アルシエルは、再びサタナキエルから唇を解放された瞬間、自らに残された渾身の気力をもって、残っていた僅  
かな力の全てを賭けて、サタナキエルを退けようと、その頬を思い切り叩いた。  
 
「いっ!―――― 痛あっ!!!」  
 
次の瞬間、サタナキエルの頬を叩く、渇いた音と共に少々大袈裟にも聞こえるサタナキエルの声が闘技場内に響  
いた。その様子に闘技場内の観衆からも再びどよめきが上がる。  
 
サタナキエルの腕から逃れたアルシエルは、たった今まで自分が受けていた行為が、全て大勢の観衆の前で行わ  
れていたのだということに改めて気付くと、そのための羞恥心から頬を真っ赤に染め、涙目になりながら、サタ  
ナキエルをきつく睨みつけた。  
 
「こ、こんなに…た、沢山の人が観てる前で何やってるんだ君は!!  
 …普段からボクにこんな風にしたことなんか、一度も無かったクセにどうして…!!」  
 
「…っ…痛ぁ!……ごめん、アルシエル、素に戻った君がかわいくて、つい…そのね…」  
 
叩かれた頬に手をあてたサタナキエルは、アルシエルに視線を戻すと、まだ涙の滲むアクアマリンブルーの瞳を  
見つめて微笑みながら、そう言った。  
 
謝罪の言葉とは裏腹に、その表情には、少しも反省の色が見えない様子のサタナキエルから、自分も素に戻って  
反応していたと、指摘されたアルシエルは、はっとしたように顔を上げ、サタナキエルの方を見て、言葉を返す。  
 
「ば…ばかっ、そんなの知るか!!…私は…私は、もう帰る!」  
 
まだ頬に手を当てたままで微笑むサタナキエルと視線を合わせたアルシエルは、先程よりも、余計に顔を真っ赤  
に染めると、くるりと背を向ける。  
 
その様子を見たサタナキエルは、自分に背を向けて、そのまま歩き出そうとしたアルシエルの手を引き、自らの  
方に振り向かせると、相手を真っ直ぐに見据えるような視線を送りながら、アルシエルに話しかけた。  
 
「…アルシエル、済まなかった。後で君の部屋に正式な形をもって謝りに行ってもいいかな?」  
「ば…ばかっ…お前…そんな必要ないだろ! それに…そんなことっ、今、ここで聞くなっ!…帰る!!」  
 
サタナキエルのその表情に、アルシエルは一瞬、戸惑うようにして答えると、サタナキエルの手を振りほどいて  
再び背を向ける。  
 
それから、背中に仕舞われていた、大きな純白の翼を出現させると、蒼天の空に向かって、翼を大きく羽ばたか  
せながら、その身をふわりと中に浮かせて、空へと舞い上がった。  
 
サタナキエルは、そんなアルシエルの様子を見上げるようにして声をかけた。  
 
「解ったよ、後でもう一度、謝りに行くようにする」  
「後で来るって…そんなこと、誰も承知してないっ!!」  
 
その言葉に振り返るようにしてサタナキエルを見たアルシエルは、相手に向かって言い捨てるように答えると、  
蒼く澄んだ天空へと更に高く羽ばたいていった。  
 
サタナキエルは、アルシエルが空へと羽ばたいていく時に生じた心地よい向かい風でなびく自らの漆黒の髪を片  
方の手でかき上げるようにして押さえると、空の上方を見上げるように視線を上げた。  
 
そうして、アルシエルが去っていく様子に、改めてこの試合の終わりを認め、再び一斉に歓声を上げた観衆とと  
もに、蒼い空の高みへと次第に遠ざかっていくアルシエルの姿を微笑んで見送ってから、観衆に背を向けると、  
闘技場を後にした。  
 
やがて、全ての歓声が消えた闘技場には、模擬戦用の剣が二振、地面に刺さったそのままの形で残されていた。  
 
〈END〉  
 

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