「聞いてくれよ、今日はマジで大変でさぁ……」  
 家に帰って着替えたら、缶ビール片手に愚痴る。それが俺の日課だ。  
ただ、俺は実家暮らしでも、同居人がいるわけでもない。  
聞き手は、飼っている亀。  
名前はアミ、アカミミガメ(ミドリガメ)でアミだ。  
 
 
 アミは、小学生の頃に縁日で釣ってきた。  
母さんは「最後までちゃんと世話をすること」を条件に、飼育セットを買ってくれた。  
まあ、よくある話だ。  
普通なら、『しかし、一ヶ月もすると面倒になり――』と続くだろう。  
 でも、俺はなぜだか飽きなかった。  
日向に出してやると気持ち良さそうにして俺も和んだし、  
餌をやるときには寄ってくる様子を、可愛いと思った。  
――そして、いつの間にやら十数年。  
俺は大学も出て社会人となり、一人暮らしを始めた。  
アミも連れていくことは、俺としては当然だったんだが、母さんは  
「まさかここまで『ちゃんと世話をする』とは思わなかったわ」と笑っていた。  
 
 
「…っと、もうこんな時間か。悪いな、毎日こんなことばっか話して」  
 そう言うと、アミは首を振ってくれた。  
――飼い主補正なのは分かってるけど、そう見えるんだから仕方ない。  
「もしアミが人間だったら、一緒に飲めるのに…なんてな」  
 すっかりぬるくなったビールの残りを飲み干す。さ、風呂入って寝るか。  
 
 
 翌朝、俺はいい香りで目が覚めた。  
何の匂いだろう。まだ動き出さない頭で、そんなことを考える。  
 と、台所から物音が聞こえた。どうやら台所がこの香りの出所のようだ。  
俺はフラフラと台所へ向かった。  
(俺しかいないはずなのに、誰が料理なんて)なんてこと、考えなかった。  
 
 台所では、深緑の和服を着た女が料理をしていた。  
俺の足音に、彼女が振り返る。  
肩に掛かるくらいのやや緑がかった黒髪に、大きな漆黒の瞳。  
それと対比するかのように白い肌。目鼻立ちも整っている、かなりの美人だ。  
 
「あ……おはよ…」  
 俺の姿を見ても、まったく動揺したそぶりを見せない。  
それどころか、構わず調理を続ける。  
「ちょ、ちょっとアンタ」  
「………なに?」  
 そうまっすぐに見つめられると、何だか落ち着かない。  
だが、聞かないワケにもいかない。  
「アンタは誰だ? なんで俺の家にいる?」  
「……アミ、洋と一緒……」  
「………?」  
 『洋(ひろし)』って、何で俺の名前を知ってる?  
…しかも、アミ? アミに何の関係があるんだ?  
 
 訳がわからず、何となしにアミの水槽があるリビングの方を見て――絶句した。  
 アミがいない。  
水槽は割れてない。フタは開いているが、縦は50cmある。  
体長30cmほどのアミが自力で出られるはずは無い。  
 目の前の彼女に視線を戻す。  
「…どういうことだ?」  
 まさかこの女、アミに何か――  
「……洋、アミが人間だったら、って言った……」  
「何言ってんだ? それがアンタにどう関係あるって――」  
「だから……神様に、お願い、した…」  
「………ん?」  
え?  
何?  
つまり――  
「……アンタは、人間になったアミだ、と?」  
 彼女は、こくりと頷いた。  
 
  * * * *  
 
 リビングでの聴取の結果、彼女がアミであることは確かなようだ。  
俺が小四まで(個人情報保護)ことや、中二で(自主規制)ことも知ってたし。  
 彼女――アミによると、昨日の夜に祈って、朝起きたら人になっていた、という。  
 
「で、どうすんの?」  
「……?」  
 首をかしげるその様子に、思わずグッときた。  
アミは、人になってもやっぱり可愛…じゃなくて。  
「人間になって、それでどうするんだ?」  
 
 亀が人間になった、とかそういうことは眉唾ものだとは思うけど、  
実際に起こった後だからもういいとしよう(良くないけど)。  
鶴の恩返しのように、何か人間になるだけの理由があるはず。  
「………」  
「………」  
 無言の睨み合い。さあ、何が来る?  
恩返しか? もちろん大歓迎だ。  
復讐か?  って、俺アミに何かした?  
別離か?  いや、それはムリ!つーかイヤ。  
支配か?  アミの言う事なら従うぜ!(爆  
 
「…の………る」  
「ん? 何?」  
「洋の……お世話、する」  
「え? 俺の…世話?」  
 こくり、と頷くアミ。  
「ずっと……してもらう、だけ、だったから……」  
「えー…と、つまり、今まで自分が世話になったから、  
 ヒトになった今は自分が俺の世話をしたい、ってこと?」  
 アミは無言で、でも大きく頷いた。  
恩返しキターーーーーー!! 悶え転げる俺。  
その間にアミは台所へ向かい、ご飯と味噌汁を乗せたお盆を持って戻ってきた。  
「……朝ご飯」  
 喜んで頂きます、ハイ。  
 
  * * * *  
 
 今日は休日だから、部屋の掃除とか、諸々の家事をするつもりだった。  
その旨を伝えると、私も手伝う、とのこと。  
 二人いると、作業は実にはかどった。  
終わったときには、まだ二時をまわったところだった。  
 
 やることが無くなったので、とりあえずお茶の時間にする。  
「時間、余っちまったな」  
 こくり。  
アミはあんまり喋らない。ずっと俺の聞き役に徹してたからそうなったのかもな。  
「あ、そういえば、食べ物は人間のでいいのか?」  
 こくり。  
「二人分か…それじゃ、買い物にでも…ん?」  
 立ち上がろうと床についた俺の手を、アミの手が掴んだ。  
「? どうした?」  
 アミの顔を覗き込んだ、そのとき――  
 
 ちゅ。  
 
 唇に触れる、柔らかなもの。そして、焦点の合わない程の近さにアミの顔が。  
「…………!!!!」  
 慌てて肩を掴んで、唇を離した。  
心臓の鼓動が、尋常じゃない速さになっているのがわかる。  
 
「……ア、ミ……?」  
「…ゴメン…嘘、ついた……」  
 アミは俯きながらそう言った。  
朝からずっと、何か言うときには俺の目をまっすぐ見てたのに。  
「嘘…?」  
「人に…なった、理由」  
「恩返し、じゃ、ないの…?」  
 ふるふる、と首を振る。  
「本当は…洋を、私の…ものに、したかった」  
 あー…それって支配? まさかの支配ですよダンナ!  
いや朝はあんなこと考えたけど、それは言葉のアヤってやつで?  
 
「洋と、ずっと一緒にいたい……洋と、一つになりたい、って…ずっと、思ってた…」  
「え…」  
 『私のものにする』って、そういう意味で!?  
「でも…私…亀、だから……洋は…いつか…人間…女の人と…け、結婚…する。  
 それで…私は…洋より、先に……死んじゃうん、だ、って、そう…思って、た…」  
 声に、鳴咽が混じる。その顔から、いくつか水滴が落ちた。  
「で、も…ひ、洋…が、が…他の人の、ものに、なる、のが……嫌…だった…  
 だから…洋が、わ、私が、人間だったら、って…言った、とき」  
「もういい…」  
 両腕を肩から背中へと回して、その小さな体を抱きしめる。  
そういう意味なら、いくらでもお前のものになってやるよ。  
ただ、同時にお前にも俺のものになってもらうけどな?  
 
「アミ…」  
「……なに?」  
「好き」  
 ポン、という音が聞こえた気がした。  
真っ赤になったアミが腕の中でもじもじと動く。  
「大好きだ、ずっと一緒だ」  
「………ん」  
 アミが発したのは、『ん』の一文字。でも、俺にはわかった。  
 『私も、洋が大好き』  
 
  * * * *  
 
 外は日も傾き、すっかり夕方だった。  
俺たちはまだ、布団の上で抱き合っている。  
ええ、ヤりましたよ、ヤりましたとも。  
ただ、一つ気掛かりなのは、  
「…そういえば、避妊してないんだけど」  
 こくり。  
アミが頷いた。一時の乱れっぷりはどこへやら、素に戻っている。  
「子供、できるのか?」  
「……欲しい…」  
 片手を下腹部にあてて、期待に満ちた目でこっちを見つめる。  
飼い主の子供が欲しいとは、とんだペットの亀さんだよ。  
思わず嘆息一つ。  
「わかったよ、そのことも含めて、『ちゃんと世話』する」  
 頬をうっすら赤く染め、こくりと頷く。  
「だから、俺の世話も…『最後まで』よろしくな」  
 一瞬きょとんとした後、満面の笑み。  
「一生……洋は、私のもの」  
 どうやら俺は、『最期』までアミの世話をすることになったようだ。  
 
< 了 >  
 

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