「あったかいわね〜、まさに小春日和!」
ある春の、うららかな午後。私…安来一子(やすぎ いちこ)は、柔らかな陽光のさす並木の下を歩いていた。花粉を乗せた温かな春風が、心をのどかにしてくれる。
「ほら、タケー!一緒に来てよ。私、ドアだって開けられないかもしれないのよ?」
そんなのどかな気分に浸った私は、短い方の腕を振りながら、相棒であり恋人でもある男、松江武史(まつえ たけふみ)を呼んだ。
「…ったく、人使いの荒い女だ」
彼はそう言って苦笑する。口は悪いが、根はやさしい。いや、優しいなんて言葉じゃ言い表せないくらい。
「何してたの?」
「いや、桜がきれいだなと思ってさ」
タケはそう言って、桜の木を見やる。…もうそんな季節なのだ。…私とタケが正式に同棲を始めてから、もう3年も経つ。
「…ホント、きれいね。和の心、って感じするわよね」
「そうだなぁ…」
「手をつないで歩けたらよかったのになぁ」
私は腕を振りながら、空を見上げる。雲ひとつない、青すぎるまでの空が高くまで続いている。
「なぁ、いっちゃん。そのために今日、あの辺鄙な場所まで行くんじゃないのか?」
タケはそう言って、腕を私の腕に絡めた。ちなみに、いっちゃんというのは私のあだ名である。
…もう気づいていると思うけれど、私の手は、存在しない。
左腕は肘までしかないし、右腕も手首がバッサリと切れている。そして左胸から股のあたりにかけて、大きな傷痕が残っている。
今日わざわざ外に出ている理由はピクニックではない。私の手の代わりとなるロボットアームの被験をしに行くからである。
私が両腕を失ったのは、3年ほど前の話。駅前の映画館に、タケとともに2人で遊びに行った時のことだった。
その時私は、左脇に飛んできた虫を払うため、左腕を挙げ、右手で虫を追い払おうとしていた。よりにもよってそんな珍妙な体勢の時に、冗談のような話なのだが、近くのビルが突然爆発したのである。
その時ビルの破片のひとつだった金属のがれきが私の方へ飛来し、左腕をもぎ取り、右手首を切断し、そして左脇腹に突き刺さった。
噴水のように血が出て、その後私は、意識を失った。今にして思えば、生きていること自体が奇跡だ。
出血多量で死んでいてもおかしくなかった、と医者からは聞かされたし、実際私も、その怪我をしたときは死ぬのだろうとおぼろげに思った。
その命を助けてくれたのが、今私にべったりと付き添ってくれる男…タケに他ならない。彼は「もし彼女に血が必要なら、俺の血を今すぐ抜いて使ってくれ」とまで頼んだらしい。
といっても私の血液型は割とありふれたものだったので、彼の血を使うことはなかった…というのは、彼には言えない話。
彼が私のことを助けてくれたのは、むしろ治療後の精神面に他ならない。
私が気がついたとき、隣にいたのは両親でも三途の渡守でもなく、心配そうな表情をしたタケであった。
この世の終わりが訪れるかのような表情をしていた。私は今この世に帰ってきた、もう心配しなくてもいいよと彼の頬をつねろうとしたとき、私は手に違和感を覚えた。
…嫌な予感がした。何かの夢だろうと思った。けれど意識ははっきりと、これは現実だと伝えていた。
右手の手首から先が、なくなっていた。左手に至っては、肘ごとなくなっていた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そりゃそうだ、20年以上も付き合ってきた両手がなくなれば誰だって叫ぶだろう。少なくとも私は叫んだ。
「…起きたか」
悲鳴を聞いたにも関わらず、彼は結構冷静だった。
「いや、いや…いやっ…!タケ、どうなってるの?…どういうことなの?」
「…1週間前、爆発事故があった…のは、覚えているか」
ない手を振ろうとしている私に、タケは静かに語りかけた。
「あの時お前の体に、窓枠に使われているアルミサッシが飛んできた」
「…うん」
「アルミサッシは、ちょうどお前の左腕と右手をもいで、更に腹に突き刺さった。命はなんとか助かったが…両腕は…もう、助からなかった…」
タケは慎重に、私をできるだけ傷つけない言葉を選びながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
しかしどれだけ語彙の広い人がいても、両腕を失った人に、その人の心を傷つけないで事実を伝えることなんて、できるわけがないだろう。
「治療費は全額、その工場主が取ってくれた。当たり前の話だけどな…テレビ見るか?」
「いい」
「じゃあ飯、食うか」
「いいって言っているでしょ!?…どうして私に構おうとするわけ!?」
今からすれば、タケは何一つとして悪いことをしていないのだから責めるのはお門違いもいいところだった。
しかしその時の私は、理由なく彼を責めた。いわゆるやつあたりというものである。
「私はね、もう手がないのよ!?食事も読書も掃除もできない!自分一人じゃテレビのチャンネルだって変えられない!鼻だってかめない!電話もかけられないのよ!?
あんたに何が分かるって言うわけ!?あんたに何ができるって言うわけ!?」
「…落ち着いたら…また、連絡してくれ」
タケはそう呟いて、うなだれながら部屋を出ていった。私もまた、うなだれた。
何かの間違いだ、夢で逢ってくれと何度も願った。しかし現実は、残酷に私の望みを破壊する。
今にして思えば贅沢な話だ。命があるだけでも、ありがたいと言うのに。…タケもよく、私に愛想を尽かさなかったものだ。
3日くらい経った後。私はようやく、自分の置かれた状況を把握した。
左肘から先、および右手首から先は、もう戻ってこない。左脇腹には大きな傷跡が残っているが、内臓などに別条はない。これから私は長いリハビリ生活に入る。
医者からの説明を受け、さらに両親との面会をすませた後、私はタケに謝ろうと思い、私は丸まっている右手の先でナースコールのボタンを押した。
「すみませんが、私のところに面会してくれている松江武史を呼び出していただけませんか?」
やってきた看護師は、あからさまに驚いていた。
看護師が電話をかけてから30分ほど。タケは私の入院している病室に、ゆっくりと入ってきた。
「遅いよ」
「悪いな、昼寝してた」
「ねぼすけ」
私はそう言って、もげた右手で彼の頭を殴る。
「あいたっ…何すんだ」
「私を泣かせたんだから…私が退院したら、なんか美味しい料理でも食べに行かせなさいよ」
彼の顔を見ると、不思議と謝りたくなくなる。素直になれない自分が悔しかったけれど、こいつに頭を下げて謝るのはもっと悔しい。だから私は笑って誤魔化す。
タケもそれが分かっているんだろう。だから笑って、「バカ言ってんじゃねぇよ」とつぶやいて、そばにあった椅子に座った。
「…リハビリはすんのか?」
「もちろん。明日にでも始めたいわねぇ」
私はそう言って、にやりと笑う。それを見て安心したのか、タケもふっと顔の筋肉を緩ませた。けがをしてから初めて、私は笑顔になれた。
厳しく長いリハビリを終えて、私はある程度のことならできるようになっていた。ドアノブを回したり、肩で箸を使ったり、服を着たり脱いだり。
なんとか日常生活が送れないこともない、というレベルになった時、私の退院は決まった。私は両親に連絡を入れ、今後の身の振り方を伝えた。
せめて大学を終了するまでは、こちらにいたい。その申し出に、父は猛反対した。腕のない娘を一人で置くなんて無理だ、というのである。
しかし私も強情だった。リハビリをしたのだから大丈夫だ、もし大学を辞めて家で一生暮らすのであれば、何のためにリハビリをしたのだ、と。
結局母が父をなだめ、私はこの都会に身を置き続けることになったのだった。しかし私は、現実をあまりにも甘く見ていたとしか言いようがなかった。
私の住んでいる場所は、安いアパート。そこのドアノブは、リハビリで使ったものよりはるかに古く、固く、手を失っていた私には回すことすら困難だったのである。
腕を失った両親は、私のことが心配だからこそ実家に帰そうとしたのだ。それを跳ね除けた私が、いまさら両親に住む場所を変えろ、なんて言えるわけがない。
そんな私を見かねたタケは、ドアノブをあけるような単純なことから、洗濯、炊事、掃除、片付けに至るまで、ほぼ同居するような形で、私の世話を焼いてくれるようになったのだ。
そんなことをずっとされてしまったのだからたまらない。私は世話を焼いてもらっているうちに、いつしか彼のいない時間は寂しいと思うようになった。
そして私の心で彼が占める割合はどんどん膨らんでいき、しまいには心がすっかり彼に依存するようになってしまっていた。
…私は別にかまわないが、タケは私につきっきりだ。聞けば家族との仲もだんだんと悪くなってきているようだった。私のせいで、彼の人生を棒に振らせたくなかった。
そんな、恋人とも友達ともヘルパーともつかぬ関係が続いていた、冬のある雨の日のこと。
大雨の降りしきる音と、風呂場から聞こえるざあざあという音…タケが風呂に入っているのだ…をBGMに、私はテレビを見ながらぼうっとしていた。
退屈なCMが終わり、番組の目玉であるお笑いタレントが登場する。さて、どんなことが始まるのだろうと思った時、それは起こった。
「…がっ!?」
何の前触れもなく突然、私の腹が痛みだしたのである。その痛みたるや想像を絶するもので、今思い返してみても冷や汗をかいてしまうほどだった。
「ぎっ…ぐがっ…あぐっ…!」
うめき声をあげても、強く抑えてみても、脇腹は猛烈に痛むばかりだ。たまに痛くなることはあったが、ここまでひどい痛みは初めてだ。
「痛い…痛い…!」
日本中に期待されて登場したテレビの中のコメディアンは、私のことを助けてくれない。彼の面白いジョークも、今ではまるで聞こえなかった。
「だ、大丈夫か!?どうした!?」
風呂場から、全裸のタケが走ってやってくる。髪はしっとりと濡れており、体も水浸し。そんなのが床をぬらしながら走ってくるのだ。
「た、タケ…!痛い…痛い…タケ…!」
それでも私は、思わず左手を伸ばす。すぐに駆けつけてくれたのが、嬉しかった。
けれど常人の半分程度しかないうえ、指も掌もないそれを伸ばしたところで、彼に届くはずがなかった。
「傷か!?」
「う、うん…がっ…いだい…いだい…!」
タケはすぐさま、私のシャツをまくりあげる。左脇の肋骨の少し下のあたりから臍にかけてカッと走った、大きくて醜い傷跡が、あらわになる。
あの爆発事故の時に金属片の突き刺さった場所で、何針も縫ったという傷跡だ。
「…何ともなってないが…痛むか」
タケの質問に、私は何度もうなずく。タケは私の傷に指を這わせ、そしてさすり始めた。
温かくて、優しい感触が、私の傷の痛みを少しずつ和らげてくれる。
「…どうだ?」
「…ぐっ…あ、ありがとう…タケ…」
私は必死に笑顔を取り繕う。
「…も、もう…大丈夫だから…」
「大丈夫なもんか!痛いから泣いてるんだろ!?」
「な、泣いてなんかないわよ!」
「とにかく!傷痕ってのは、温度や湿度の変化よって痛みだすことがあるらしいんだ。よかったよ、俺がいるときで…」
彼はそう言いながら、私の傷をじっと見つめる。視線が胸からへそに移り、そしてその下の…
「…あ」
「…悪い」
今までされていた行為を思い返し、私の顔はすぐさま朱色に染まった。
「バカ!変態!」
「あいたっ!…なんだよ、せっかく心配して来たのに…」
「とにかく風呂入り直しなさい!あと、ちゃんとタオル使って床拭いてね!これからはちゃんと股間は隠すこと!わかった!?」
私はそう叫んで彼を追い払い、ため息をついた。傷はまだ少し痛むが、これくらいの痛みなら十分に我慢できる。
…考えてみれば。既にタケとは長い付き合いだ。最近は毎日一緒にいる。そろそろ、ここらで関係に白黒つけてもいいのかもしれない。私はそう思った。
「…なっ…」
お風呂から上がったタケは、私を見るなりその表情を驚き一色に染めた。
「タケ」
小奇麗なベッドの上に、私は正座する。恰好が問題なのだろう。私は下着姿なのだ。
「…なんだよ」
「腕もなくて、我儘で乱暴で、一人じゃ鼻もかめないような女って好き?」
「…ば、馬鹿言うんじゃない。ほら、さっさと寝ろ。また傷が痛んだら…」
タケは答えをはぐらかそうとするが、そうはいくもんか。はっきり言ってもらわないと、こっちだって困るのだ。
「好き?」
「あー、もう!ほら、早く…」
「好・き?」
私のしつこさに根負けしたのだろう。タケは大きく息を吸い、ため息をつき、そして叫ぶように言った。
「…好きだよ!好きだから世話してるんだろ!?」
「そう、よかった…」
こんな聞き方をしたら、誰だって「好き」と答えざるを得ないだろう。それでも私は嬉しかった。タケの口から「好き」という言葉を聞くのは、初めてだったから。
「ねぇ…しようよ、タケ」
「ばっ…何言ってんだお前!?」
「私、タケに何もしてあげられないもの…だからせめて…タケの好きにして?」
「あのなぁ、場末の娼婦かエロマンガの台詞じゃないんだから、そういうことはだな…」
タケは断ろうとしていたのだろう。しかし私の熱烈な視線にたじろいだのか、途中で言葉を切り、深くため息をついた。
「…どうなっても知らないからな」
「覚悟のうえよ」
私はにやりと笑う。傷はもう、ほとんど疼かなかった。
外の街灯の光がわずかに入ってくるだけの暗い部屋の中で、私たちは2人きり。
彼のたくましい腕に抱かれながら、ついばむように、幾度も幾度も唇を重ねる。
…最初はそれだけでも十分に興奮できたし、舞い上がるほど嬉しかったのだが、この状態からかれこれ10分以上は経っている気がする。
「もう、タケ!あんたさっきからキスしかしてない!」
「あ、いや…」
「無理やり押し倒して、ひいひい叫ばせればいいじゃない。そう言うの好きでしょ?」
「そう言う趣味はないし、俺はいっちゃんが嫌がるようなことはしたくないの」
タケはきっぱりと言い張る。こんなところばかり律儀でも、私は困ってしまう。
「…あのさぁ、タケ。こんな場面で気遣いされても鬱陶しいだけだってば」
「いや、だけど…」
「はぁ〜…がっかりだわ、ホント。ヘタレの腰抜けだったなんて!もうやめましょ、気分すっかり萎えちゃ…」
こういう気遣いは、燃えるように愛し合いたい人にとってむしろ障害となることが多い。そして私は、その燃えるように愛し合いたい人であった。
だから私は、タケを挑発する。挑発して、そう言った障害をできる限り取り除くのだ。
「言ってくれたなぁ?」
「ちょ、タケ?」
よし、タケに火がついた。あとはその火に油を注いでやるだけだ。
といっても、挑発したところで、優しい…悪く言えば腰抜けのタケは、私に「これをしていいか」「痛くないか」と逐一聞いてくることだろう。
「最後に確認するぜ。何をしてもいいんだよな?」
「ええ。腰抜けのあんたにできるもんならね」
「…やってやるよ」
そう言ったタケの目はぎらぎらと輝く。先ほどまでの目つきが人間のそれだとしたら、今のタケの目つきは猛禽のそれだ。
「覚悟はいいよな?」
「…い、いいわよ。かかってらっしゃい」
その目つきを見て私は初めて、彼が私の想像以上に心遣いをしてくれているのだということに、そして彼をむやみに挑発するべきではなかったということに気付いたのであった。
体躯を這いずり回る舌。その舌は私の体に走る傷痕を舐めまわす。
「…あ、ああ…」
ぬめぬめとした、生温かくて湿っぽい物が、傷のあたりを這いまわる。その異様な行為に、私は怯える。
それでも私は、怖さと同時に、しびれるような悦楽と、彼に対する深い罪悪感を覚えていた。
「…も、もう…やめて…」
「どうせお前のことだ。傷が穢れたものだとか、醜いものだとか思っているんだろう?」
その、私をおびえさせ、悦ばせるいやらしい舌の持ち主…タケは囁くように言う。言い当てられた私は、最後の抵抗とばかりに、弱弱しい声音で言った。
「ほ、本当に気持ち悪いだけ…」
「気持ち悪いだけ?」
タケはにやりと意地悪く微笑み、私の股間を指でまさぐった。
「ひゃっ!?」
「これ、何だ?」
目の前で、まさぐった指を開閉する。指と指の間に、汗とは違った、粘性のある液体がぬらりと糸を引いた。
「この、いけず…!」
「言ってくれなきゃ分からないなぁ〜?」
わざとらしく言って、タケはその指にちゅぱちゅぱと吸いつく。
「…あーもう分かったわよ!興奮してました!あんたに手術痕舐められて興奮してました!これでいい!?」
タケは私の答えを聞いて、満足げにうなずいた。ああ、もう…こいつ、とんでもない意地悪男だ…!
「…だから、舐めて…もっと…」
「分かった」
タケはにっと笑い、今度は私のもげた左手を舐め始めた。
舐められるたびに走る、性感とは違った不思議な感覚に、私の心はじわじわと陥落させられていった。
「…ね、ねぇ…タケ」
「何?」
何分ほどそうされているのだろうか。私の左手の先を、丁寧に愛撫するタケに、私はおずおずと切り出した。
「…そ、そろそろ…その…して、欲しいんだけど…」
何も言わずに、タケは立ち上がる。彼の体の中央に位置するそれは、私が何も触れていないにもかかわらず、天を突いている。そして私の肩を押さえ、
「…あ」
「どうしたの?」
唐突に間抜けな声をあげた。何があったんだろう、と思って私が尋ねると、タケの口から信じられない一言が飛び出した。
「…ゴムがない…」
「はぁ!?」
高まったムードに突然冷や水を浴びせるのに十分すぎる一言だった。
「だ、だってこんなことになるなんて考えたことも…ちょっと今から買ってくる!」
「待った!」
あわててそのままの格好で外へ行こうとする彼を無理やり引き留め、そして大きなため息をついた。
「なんというか…ホントあんたって空気が読めてないわね。KYよ、KY」
「…ごめん」
「いまさら謝ってもらっても、ムードは戻ってこないのよ。今から買いに行ってたら、その間にますます冷めちゃうわよ」
せっかくめぐってきたチャンスを、私は逃したくなかった。だから冷めたことを嘆くより、これ以上冷めることを防ぎたかったのだ。
「…だから」
私は言葉を区切り、そして覚悟を決める。
「このまま、来て」
私の発言に、タケは真剣な顔を作って考え込む。そして私の目を見据えて、言った。
「分かった。…無理はするなよ、体に変な負担はかけたくない」
「うん」
私はうなずいて、両足の力を抜く。タケの手が両足にかかり、ゆっくりとその帳を開いていく。
…そしてそのまま動きを止めた。視点はどう考えても、私の股にある女穴にそそがれている。
「…こうなっているのか…」
「このアホ…もうやだ!」
まったく、さっきまでのかっこいい男っぷりは何だったのだろうか。私はあの間だけ夢でも見ていたのか。
「…悪い悪い。じっくり見るのはこれが初めてだからさ」
「ムードってもんを大事にしなさい!あーもう今から取り繕おうとしなくていいわよ、なんかわざとらしくて逆に冷めるから」
ああ、もう情けないやら哀しいやら恥ずかしいやらで涙が出てきた。…どうすりゃいいんだ、私は!
「…っ!」
「むぐっ…」
なんてことを思っていると、突然、私の唇が塞がれた。タケの顔が視界にアップになる。
「…ふぁっ…た、タケ…?」
「好きだ、いっちゃん…行くぜ」
私の頭が口づけをされたことを理解するよりも先に、彼は思いっきり腰を突きだす。膣に張った膜は突き破られ、体の中に、タケの逸物が侵ってきた。
「…いっ…あれ?」
破瓜は、思ったよりも痛くなかった。…激痛を経験しているから、というのもありそうだけど、思ったよりもあっけないものだった。
…私が「キスをされ、間髪入れずに挿入されてしまった」ということに気付いたのは、その痛みを覚えるよりもずっと後のことだった。
あまりにもあっけなくて、何か哀しい。というより、実感がわかない。
「…き、っつい…!」
むしろタケの方が痛がっていないだろうか。…私の股って、そんなにきついのかな?
「…大丈夫か?」
「余裕よ、余裕。拍子抜けしちゃったくらい…あんたこそそんなんで大丈夫なわけ?」
「大丈夫だ。…動くぞ」
そうひと声おいて、タケはその腰を前後させ始めた。肉棒はリズミカルに、私の膣内を掘削する。傷ついた皮膚を無理やり広げられるような、びりびりとした痛み。
未知の感覚は、私の脳髄をしびれさせた。
「…タケ…もっと、近くに…!」
右腕でタケの背中を押さえ、引き寄せる。両足で彼の腰を無理やりロックして、そして…
「…ふぅ…」
まだまだこれからだ、と私が思った時、気の抜けるような声で、タケは溜息をついた。…私の中に、どろりとしたものが注がれていくのが分かった。
その始まりも分からなければ、終わりだってあっけない。…興奮はしたけれど、私の欲求はまったく満たされなかった。
タケが早すぎるというのもあったけれど、私が別の悦楽を見つけてしまったこともあるだろう。
「タケ。早すぎ」
「悪い…」
「さっきから謝ってばっかりね」
そう言って、私は右腕の先端をタケの顔に突きつける。
「…なんだこれ?」
「ほら、さっきもしてくれたでしょ?私、そっちの方が気持ちいいと思うから」
「…変態女」
「あんたも十分変態よ、バカ」
私が苦笑すると、彼の腕がふわりと私の背に回った。そしてそのまま、締め付けるように強く抱きしめられる。
「…あのさ、抱きしめてって言ったんじゃないんだけど…」
「俺は、いっちゃんの人生の一部になりたい。…いいか?」
タケは強い調子で、そう言った。真面目な話をしたがっていることは、すぐに分かった。
「ど、どういうこと?」
「体だけじゃなくてさ。いっちゃんが困っているなら、俺が助ける。いっちゃんがしたいことを、俺がサポートする。いっちゃんが悲しいなら…俺が慰める」
「それってつまりプロポーズ?」
私は冗談半分で尋ねた。タケはあっさりとうなずく。
「ああ」
「…ば、バカ…!あんたねぇ、そんな気持ち悪いこと、よくもまぁ平然と…!」
「気持ち悪いか…そうか…」
「…バカ、あんた…ホントもう、KYだし、ああ、もう!」
言いたいことがうまくまとまらない。ああ、もう…こいつに泣かされるなんて、思ってもみなかった…!
「バカ!バカ!ホントあんたってバカよね!私の人生の一部になりたいなんて、どれだけバカなのよ!」
「男ってのはバカな動物なんだよ」
「そりゃあんただけよ!バカ!」
手がなくてよかった。あったとしたら、多分手当たり次第に色々な物を投げつけていただろうから。
こうして私たちは、晴れて結ばれ、結婚を前提に付き合うことを決めたのであった。
タケのご両親は苦々しい顔をしていたし、タケの弟さんに至っては私のことをバカにしていたらしい。
そんな家族と絶好する覚悟すら決めていたというタケに、私はただ感謝するしかなかった。
苦い顔と言えば、私の両親も同様にいい顔をしていなかった。タケのことを全く信じていなかったのだ。しかしそちらの方は、タケがきっちりと話をつけた。
今では私の父とタケは、夕食で酒を酌み交わすくらいの仲になっている。既に私と彼が結婚するものだと思い込んでいるようだ。
この他にも本当に色々あって、そのたびに私は彼に頼った。そしてあの初夜からかれこれ2年以上経ったある日のこと、タケは私にあるチラシを見せた。
『ロボットアームの被験者募集』。その話に、私は飛びついた。こうして話は、冒頭にさかのぼるというわけだ。
今、私たちは研究所で、そのロボットアームの実験をしてもらっている。
「…おおー。ほらほら、動く」
腕にとりつけられているのは、無骨で重いが、ある程度思い通りに動く義手。
取り付けるのに結構時間がかかったが、その甲斐あって楽しい時間を過ごさせてもらっている。
「すごいもんだな。ちょっと…そうだな、ピースサインしてみてくれよ」
「…こうかな?」
機械的な外見のごつごつとした腕は、機械的なノイズを出しながら、親指、薬指、小指に当たる部分をほぼ同時に折り曲げていく。
「おお、ピースサインになった!すげぇなぁこれ!」
「…結構ゆっくりなのね」
「まぁ音もうるさいですしねぇ。そのあたりを改良するのが我々の仕事ですが」
よれよれの白衣を着た研究員が、ノートに色々なことを書き込みながら話した。
「手に残っている神経から、電気信号を読み取るんです」
「すごいもんですねぇ、ロボット技術もここまで来たか…」
タケは興奮した様子で、私の腕についているロボットアームを色々な角度から見つめる。
「今は盲目の人に映像を見せるカメラも開発されているんですよ。技術はまだまだ発展途上ですが」
「なるほど、必要は発明の母ってわけですね」
「不幸な事故や戦争で四肢や視力を失う人も数多いですからね。そういう意味では、この技術は母親に恵まれています」
私がロボットアームで「むすんでひらいて」をしている横で、タケと研究員は熱心に話しこんでいる。…そうだ、いいこと考えた。
「これらの技術は日進月歩ですが、やっぱり本物の障がいを持つ人に使い心地を聞かないと分からない部分がありますからね。今回の被験募集はそれが目的なのですが」
「ハハハ、こいつも喜んでますよ」
「失礼ですが、奥様ですか?」
「まぁ…そうなる予定の人…ってところですか」
「ご婚約をされているので?」
「そうですね、彼女のご両親には既に話がついておりまして…」
手のひらを適当に開き、気づかれないようにアームを近づける。そして彼の頬に素早く近づけ…
「あとは俺の親をどうやって説き伏せるかってとこいたたたたたたた!」
私は、彼の頬を、思いっきりつねりあげた。
「アッハハハハ!」
「ったく、何すんだ!」
「あー!すっきりした」
私はケラケラと笑う。胸がすっとしたような気分だ。考えてみれば、彼をつねるのも3年ぶりってわけか。
「あ、そうだ。せっかくだし、手、つなごうよ」
「あのなぁ…すみません、このアームは触っちゃって大丈夫ですか?」
「かまいませんよ。にしても、仲がよろしいですねぇ…」
研究員はよれた白衣の襟を整え、ため息をついた。