『夫婦神善哉』  
 
 3月頭にしては珍しく風もなく日差しも暖かな、とある午後。  
 この安倍乃橋MH事務所の主とその秘書が揃って出かけているため、女子高生バイトの見習い所員である護堂鈴(ごどう・りん)は、いささか暇をもてあましていた。  
 一応、電話番を兼ねた留守番役と言えるだろうが、生憎この事務所には、真っ当なルートで依頼が来ることはあまりない。電話帳などにも最低限の広告は載せているはずなのだが……。  
 もっとも、所長と秘書兼助手のコンビは、個人レベルでのMH(ミスティック・ハンター)──既知外現象防止家としての実力に関しては関東、いや日本でも有数と言われている。  
 そのぶんツテやコネから面倒な仕事が持ち込まれる機会も多いが、報酬も相応なので、事務所の家計が火の車ということはないはずだ……たぶん。先月の給料も残業手当込みでしっかり振り込まれてたし。  
 
 とは言え、あてのない電話をボーッと待つと言うのは限りなく暇だった。  
 鈴の相棒である化け猫のジョニーは、早々に見切りをつけて窓から遊びに出かけている。  
 鈴としてもそうしたいのは山々だったが、尊敬する秘書(この事務所の金庫番でもある)の女性に、「妾(わらわ)らのおらぬあいだの留守居役、頼んだぞえ」とキレイな笑顔で言われては、いろんな意味で逆らえなかった。  
 
 「ぬぉっ、まさか、二頭いっぺんにくると言うのか!? クッ、よかろう、この三上勇矢(みかみ・ゆうや)、逃げも隠れもせん!!」  
 居間(この事務所は所長達の自宅も兼ねている)の方から漏れ聞こえてくる「客」の罵声に苦笑する。  
 「客」といっても事務所の仕事関係ではなく、雇い主の個人的な知己だ。  
 本来は彼女の雇い主にとって恩人にして大先輩にあたる存在だそうで、一介の平アルバイトである鈴は話しかけるのにも緊張していたのだが、存外気さくな相手の「ハッハッハッ、もっと気楽に接してくれていいぞ、嬢ちゃん」という言葉に甘えて、親しくさせてもらっている。  
 
 「あらあら、ゲームに夢中みたいね。ん〜、そろそろ夕方だし、お買い物にでも行って来ようかしら」  
 お客の片割れである女性が、昭和期の藤子アニメに出てきそうなちょっと懐かしい感じの買い物かごを腕にかけて、現れた。  
 「おや、鈴ちゃん」  
 「こ、こんにちは、紫苑さん」  
 「はい、こんにちは。そうだ! 鈴ちゃんは、今日のお夕飯はコッチで食べていくのかしら?」  
 「えーと、そのつもりでしたけど……」  
 鈴の家は両親が共働きのため、家に帰ってもひとりで夕飯を食べるハメになる。  
 それを知った所長たちは、普段から鈴にここで食べていくように勧め、鈴も喜んでその好意に甘えていた。  
 「なら、5人分ね。じゃあお鍋でもしようかしら」  
 どうやら客の身で、主に代わって今日の夕飯を作る気満々みたいだ。  
 「えっと……よろしいんですか?」  
 「ええ、今回の件は青ちゃんたちにずいぶんお世話になったから、そのお礼も兼ねて腕をふるうわ」  
 もっとも、私の料理の腕前なんて、葉ちゃんと比べるとタカが知れてるんだけど。だから鍋なんだけどね〜、とペロッと舌を出す女性。  
 パッと見、20代半ば位のグラマラスな長身の美人が、そんな表情を浮かべている様は、年下の同性である鈴から見ても妙に愛嬌があって可愛らしかった。  
 
 彼女の言うとおり、鈴の上司たち──所長の阿倍野橋青月(あべのばし・せいげつ)と、秘書の葛城葉子(かつらぎ・ようこ)は、ここ数日ずいぶんと疲れた様子をしていた。  
 ただ、その事件もようやく昨夜でカタがつき、今日は事後処理に奔走しているらしい。  
 せめてそれくらい連れて行ってくれても……と思うが、見習いと言うのもおこがましい三免──MHとしての三級免許をとったばかりの鈴がついて行っても、手助けなんてほとんどできないだろう。  
 ちなみに、三級免許はMHの実務現場に同行するための最低限の資格で、「MH助手」とも呼ばれている。  
 猛勉強の末ようやく先月獲得した、高校生の鈴にとっては初めての「国家資格」だが、あのふたりは鈴のことを妹同然に可愛がっているため、少々過保護なところがある。  
 無論、鈴もふたりを兄、姉のように慕ってはいるが、それとこれとは別問題。未だ危険な実務には連れて行ってもらったことがないのが、密かな不満であった。  
 
 「すき焼きか寄せ鍋にしようと思うんだけど、鈴ちゃん、嫌いなものある?」  
 軽くも物思いにフケっていた鈴は、目の前の女性、三上紫苑(みかみ・しおん)の言葉であわてて我に返った。  
 「あ、いえ、たいていのものは好き嫌いなく食べられます」  
 「そう、エラいわねぇ。それに比べて、ウチの人と来たら……」  
 ため息をつく紫苑。彼女の連れ合い──居間のゲーム機で巨大モンスターを狩るゲームに熱中している男、勇矢は筋肉質の巨漢なのだが、意外と偏食家らしかった。  
 「春菊とかネギとかはわかるけど、玉ねぎも人参もダメなのよ。あと、豚肉もあまり食べないし」  
 「そうなんですか!?」  
 あの豪快な大男が、それらをちまちま除けて食べるところを想像すると、確かにおかしい。ちょっと和んだ。  
 
 ふと、話が途切れた隙に、鈴はかねてから聞いてみたかったことを思い切って尋ねることにした。  
 「えっと……三上さんご夫妻って、そのぅ……」  
 
 口ごもる鈴の言いたいことがわかったのか、紫苑は軽く微笑んだ。  
 「ええ、いわゆる”神様”よ、一応」  
 そうなのである。目の前の、ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている美人若奥様風の女性は、夫共々まがりなりにも八百万の末席に名前を連ねる神のひと柱であった。  
 それも、破邪顕正と悪鬼調伏を旨とする武神だ。鈴たちMHを志す者にとっては守り神と言ってもよい。  
 もっとも、本人達に言わせれば「運がよかっただけ」らしいが……。  
 「おふたりが知り合った時は、どちらも神様じゃなかったんですよね? その……馴れ初めとか聞かせてもらってもいいですか?」  
 以前、青月たちからチラと聞いた話では、勇矢は元人間(当時は武士)だが、紫苑の方はいわゆる妖怪変化の類いだったらしい。そのふたりが、どのように出会い、どんな経過を経て愛を育んだのかは、年頃の女の子として大いに興味をそそられた。  
 「うーーん、隠すほどのことじゃないけど……」  
 今北産業ってワケにもいかないから先にお買い物してくるわね、と妙に現代風の言い回しを残して、夫婦神のかたわれは買い物かごを提げて事務所を出て行ったのだった。  
 
 30分ほどして紫苑が買い物から帰って来た直後に、ちょうど青月たちも戻ってきた。  
 客人(しかも神様)に食事の支度をさせてしまったことに恐縮する常識人の葉子と、久しぶりに葉子以外の美女の手料理が食べられるとヒャッホイしている青月。  
 念のために言っておくと、このペアも男性が人間、女性が人外である。もっとも、葉子の場合、とある事情から人として育ち、戸籍もしっかり持ってるし、有名短大を優秀な成績で卒業した才媛だったりするのだが。  
 神様に平気でおさんどんさせるあたり、青月の器が大きいと見るべきか、あるいは単に何も考えてないだけか……。  
 雇い主兼兄代わりの青年の良識と度量に、いささか疑念を抱きつつ、鈴もしばし紫苑が準備した鍋に舌鼓を打つ。  
 ちなみに、勇矢のほうは、あれから何とか火竜のつがいを闘技場で倒したものの、ひとつも天鱗が出なかったらしくふて寝していたのだが、ご飯の時間になったら一気に機嫌が回復していた。……本当に神様なのだろうか?  
 
 「あの……それで、おふたりの馴れ初めですけど」  
 ひとしきり鍋をつついて満足したのか、鈴が話を蒸し返した。  
 「おや、覚えてたのねー。そうね、そこまで言うなら……」  
 「紫苑様、鈴はまだ子供ですので、その…あまり生々しい話は……」  
 葉子が、止めようとするが、「子供」と言う言葉にカチンときた鈴は、「ぜひ続きを!」と促した。微妙なお年頃というヤツである。  
 「あらあら、葉子ちゃんは心配性ねー、ま、そのあたりも考慮してR指定ぐらいで話すわ」  
 
 * * *   
 
 人間界では三上紫苑と名乗り、八百万の神としての名は「御祇永智蟲媛命(ミカミナガチムシヒメノミコト)」と呼ばれる存在は、もともとは一介の地妖──大地の霊気が人の意識と呼応して生まれた妖怪に過ぎなかった。  
 その本性は、全長三丈八尺(約12m)の大百足である。もっとも、夫と連れ添って以来およそ千年になるが、その姿に戻ったことは数えるほどしかない。  
出産すら今の「人」としての姿で行っているため、ややもすると本人ですら「そういえば、私ってムカデの化身だっけ」と失念してたりするのだが。  
 ともあれ、「ミカミ」「ムカデ」というキーワードで民話伝承に詳しい人はピンと来たかもしれない。  
 そう、有名な「俵藤太のムカデ退治」の話に出てくる、三上山のあの大百足である。となると、勇矢の正体は、当然俵藤太その人というコトになる。  
 もっとも、正確には、「彼らの逸話を元に、話に尾ひれがついて、やたらスケールがデカくなったのが、俵藤太こと藤原秀郷の伝説」なのだが。  
 そして、例の伝説は、面白おかしく脚色された結果、幾つか事実と食い違っている点もある。  
 ひとつは、もともと三上山は紫苑の基となった大百足の故郷であり、彼女はいわば山の主であったこと。  
さらに言えば、別段非道な行いで人々を苦しめていたわけでもない。むしろ、地元の民からは、「大地虫様」と敬われていたくらいだ。  
(だからと言って、彼女が何か人に益をもたらしたと言うワケでもないが)  
 つまり、勇矢(当時は別の名前を名乗っていたが)は、龍神の娘に騙され、彼女らの勢力拡大のお先棒を担がされてたワケだ。  
 そして、もうひとつは戦いの勝敗。解釈の仕方にもよるが、純粋な戦闘においては、武士は大百足に敗北していたのだ。  
 
 当時の勇矢は優れた武士ではあったが、三国時代の呂布やのちの源平時代の鎮西八郎のような「万夫不当の勇士」と言える域には達していなかった。  
これまた後世の源頼光の如く頼もしい部下がいたわけでもないし、青月の遠いご先祖様である安倍晴明のごとく陰陽の術に長けていたわけでもない。  
 美しい娘の涙ながらの懇願(実は演技だったわけだが)に義侠心を刺激され、また自分の腕試し武者修行にもなるからと大百足に戦いを挑んだ、単純な猪武者に過ぎなかった。  
 もっとも、ただ己が一身に備わった武の力のみを頼りに、単騎大百足に戦いを挑んだ者としては、異例なほど善戦したことも確かだった。  
 軍勢を率いているわけでも、陰陽師や法力僧の加護を受けたわけでもない、ただひとりの若武者に、時には生命の危険さえ感じさせられるほど肉薄されたことに、大百足は驚き、同時に彼に興味を持った。  
 普段は人間など食べない(そもそも食べてもさして美味くないし)彼女も、自分に戦いを挑んだ者だけは例外で、見せしめ半分、勇敢な戦士への敬意半分で敗者を喰らうことにしている。  
 しかし、目の前で矢尽き、刀折れてもなお、素手で彼女の岩より固い甲殻に殴りかかってくるほどの気迫を持った武士(もののふ)を、このまま死なせるのは少々惜しいという感傷が、いつしか彼女の中に生じていた。  
 
 具足もボロボロになり、両手の拳さえ砕けながらも、なお目だけは死んでいないかの武士に、大百足は人の言葉で問いかけた。  
 「なにゆえ、我を討伐しに来たのか」と。  
 ここ数年、たて続けに何人もの人間が襲ってきたが、実はどうにも狙われる理由がわからなかったからだ。  
 ならば、聞けはよかろうと言われるかもしれないが、これまでの相手は彼女の大きさと強さに半狂乱になるか、ろくに刃を交えもせずに逃げ去るかのいずれかだった。  
 恐ろしげな大百足が、人語を、しかも意外と理性的な口調で話しかけてきたことに武士も驚いたが、それでも変なところで律儀な彼は、事の経緯を話した。  
 
 武士の口から事の次第を聞いた大百足は嘆息した。  
 「お主、たばかられたのぅ」と。  
 大百足の口から、龍神族のたくらみを聞かされた武士は半信半疑と言った様子だったが、彼女の言うことを頭から嘘だと決めつけるようなこともなかった。  
 「我のような化け物の言うことは信じきれぬかえ? ならば、これでどうじゃ?」  
 俄かに湧き出た黒煙が大百足を包む。  
 何事かと目を見張る武士の目の前で黒煙の塊りはみるみる小さくなり、彼の背丈ほどの大きさで縮小が止まった。  
 「ふむ、こんなものかの」  
 と、煙の中から美しい声が聞こえたかと思うと、次の瞬間そこには、目を見張るような美女が立っていた。  
 黒を主体にした艶やかな袿(うちぎ)一枚をまとい、足元まで流れる髪の毛は赤毛に近い赤褐色。ピョンと2本だけ飛び出た前髪は、触角の名残りか。  
 着物と対照的に白い肌は、彼が京で見たどんな女性よりも白く艶めかしい。化粧はしてないようだが、仙女のごとく整った顔(かんばせ)の中で、そこだけ朱を佩いたように紅い唇と、神秘的な紫の瞳が印象的だ。  
 背丈は大柄な彼の眉までもあり、この時代の女性としては破格に長身だが、それに見合った豊かな胸や腰つきは女性らしさを十二分にアピールしている。  
 包み隠さず言うと、彼の好みにドンピシャストライク、ホールインワン! であった(いや、当時そんな言葉はなかったわけだが)。  
 「ホホホ、龍神の娘の色香にたぶらかされたと言うのであれば、今の我の言葉も信じられるのではないかえ?」  
 「あ、ああ……」  
 ニコリと笑いかけられても、生返事を返すのが精一杯だった。  
 「さて、本来、我は我を殺そうとしてきた無謀者には、その愚かさを自らの命をもって教授してやることを常としておるのじゃが……」  
 チラと流し目を投げられただけで、武士の心臓の鼓動が数割方跳ね上がった。  
 無論、恐怖からではなく、牡として牝の色香に反応して、だ。  
 「お主ほど、愚直ながら気持ちのよい戦いっぷりを示した若者をあたら死なすのは惜しい。ゆえに、我と賭けをせぬか?」  
 フッと女が息を吹きかけると、たちまち武士の体の傷がふさがった。完治には程遠いが、このままで死に至るということもないだろう。  
 「──賭け、とは?」  
 と答えつつ、武士の視線は着物の下でたゆんと揺れる彼女の乳房に釘付け。なにせ、サイズがスゴいうえに、布一枚しかまとってないから、モロに動きがわかるのだ。  
 「なに、簡単なことよ。先ほどは「武」による戦いでお主が負けたワケじゃが、もう一度、今度はそれ以外の戦いをする機会をお主にやろう。それでお主が勝てば、お主の命は見逃そうぞ」  
 成程、賭けの代金は彼の生命。今は彼女に抵当権があるが、賭けに勝ってそれを取り戻せというわけなのだろう。  
 「勝負の方法はお主に任せよう。双六でも囲碁でも偏継でもよいぞ。あいにくと投壺(ダーツ)や輪鼓(ヨーヨー)なぞは道具がないが……」  
 むしろ、双六盤や碁石があることのほうが驚きだった。  
 しかしながら、雅な遊びの類いは彼が苦手とするもの。多少は腕に覚えがある投壺や輪鼓は無理と来たものだ。  
 だが、せっかくの生き延びる機会をあきらめる手はない。後世の武士道とは無縁の彼は、生存本能に忠実だった。  
 (何かないか……)  
 必死で考える彼の頭に奇想天外なアイデアが浮かぶ。  
 「……なんでもよいのか?」  
 「うむ、この場で簡単にできることならの」  
 おもしろがっているような、ムカデが化身した女の言葉に、武士の覚悟が決まる。あるいは、己れの欲望に素直になっただけとも言うが。  
 
 「勝負は……男女のまぐわい、勝敗の判定は、先にイッた方が負けじゃ!」  
 「な!?」  
 女に異議を差し挟む隙を与えず、躍りかかる若武者。虚を突かれたのか女が一瞬反応できなかったのをいいことに、あっさり彼女がまとう袿を脱がせてしまう。  
 「ちょ……」  
 待てと言おうとして、とっさに胸と下腹部を手で隠すムカデの化身。  
 この姿は仮初のもの、それにそもそもムカデが裸体に羞恥心なぞ感じるはずもないのだが、なぜかそんな行動に出てしまっていた。  
 そして、その微かな恥じらいは、若武者の意欲(性欲?)にとって、まさに火に油を注ぐようなモノだった。  
 豊満な女の身体を抱きしめつつ、彼女の唇を奪う。  
 「ん! んむッ……」  
 女は一瞬だけもがいたものの、唇から伝わる未知の感覚の虜になったのか、すぐにクタリとおとなしくなる。  
 実は、ムカデなどの虫妖は人間の唾液が弱点だったりするのだが、この場ではそれがちょうどよい媚薬代わりとなっていた。  
 すなわち、ピリピリとした軽い刺激を女に与えると同時に、彼女の体が痺れ、力が入らなくなっていたのだ。  
 とは言え、今この場にいる男女はどちらもいっぱいいっぱいなので、そんなコトにまで頭が回っていなかった。  
 男の方は、何度か浮かれ女などに手をつけたことはあるものの、さして経験は多くなく、また、これほど己れ好みの美しい女性を抱けるとあって完全に頭に血が上っている。  
 女の方は言わずもがな。実は何度か人間に化けてコッソリ人里に忍び込んだことはあるものの、「人間の女性」としての性体験なぞあろうはずもない。  
 わずかに聞きかじった耳知識で、「こ、コレが女子の「感じる」という感覚なのか」と思い至りながら、初めて知る「快感」という刺激に、こちらも我を忘れていた。  
 胸元に忍び込んで来た若武者の指が、今まで誰にも触れられた事のない柔らかな桜色の頂きをまさぐる。  
 宮中の色事に慣れた雅男などとは違う不器用な手つきだったが、逆にその懸命さがよりいっそう愛しさを募らせる。  
 これまでの自分を密かに縛っていた孤独と言う名の氷の鎖が、胸の内で燃え上がる暖かな炎に溶かされ、音を立てて剥がれ落ちていくのを、女は感じていた。  
 「ま、待って……お願いじゃから……」  
 そう半泣きで訴えられてなお強行できるほど、男は鬼畜ではなかった。  
 「いや、ココでやめろと言われると、正直男として辛いのだが……」  
 それでも、なんとか堪えて動きを止め、腕の中で喘ぐ女の顔を覗き込む。  
 「たわけ、この期に及んでやめよとは、我も言わぬわ。ただ……」  
 白磁の肌がサッと桃色に染まる。  
 「その……我は、初めて故、やさしくしてたもれ?」  
 無論、この局面で、そんな可愛らしい言葉を絶世の美女から投げられて、燃え/萌えないヤツがいたら漢(オトコ)じゃない。  
 「ひゃんッ!? こ、コラ、じゃから優しくと……あ……アーーーーッッッッ!!!」  
 その後、ふたりの「勝負」は丸半日にも及んだという。無論、武士の圧勝だ。  
 大百足の化身した女は、完全な敗北を認め、武士に隷従することを申し出たが、武士はそれを拒絶。  
 泣き出しそうになる女を抱きしめ、婢女(はしため)ではなく、己れの連れ合い──つまり妻として共に生きることを願ったのだった。  
 
 * * *   
 
 「……とまぁ、大体こんなところかしら。それから100年ばかり、この人と一緒に日本各地を回って武者修行がてら、いろいろ悪さをしてる妖しを懲らしめてたら、いつの間にか有名になっちゃってねー」  
 「ああ。こいつと夫婦(めおと)になって体重ねることで儂(わし)も半妖化して、仙人のごとき不老不死に近い体質になってたこともぷらすに働いたのか、地元の神社で祀られるようになってな」  
 その結果、八百万の神々の一柱として認められ、神籍を得たと言うわけだ。ま、日本には800万とは言わないまでも10000柱を超える「神」がいるし、その中でもペーペーに近い下っ端ではあるのだが。  
 ちなみに、勇矢の神名は「御祇弓丈夫尊(ミカミユマスラオノミコト)」。その名のとおり、武芸とりわけ弓や飛び道具に加護を与える武神として知られている。  
 「はぁ……ロマンスと言えばロマンスなんですけど……」  
 ロマンチックとは程遠いですねぇ、と意気消沈する鈴。  
 1000年前から仲の良い夫婦神ということで、恋愛未体験の女の子らしい「夢」を思い描いていたのだろう。  
 「そうかのぅ? 妾に言わせれば、十分に浪漫ちっくじゃと思うがの」  
 敵味方の立場を超えた愛じゃぞ? と含み笑いする葉子。  
 陰陽師に追われていたところを青月の先祖に救われたという前世を持つ彼女には、何やら思うところがあるのかもしれない。  
 「しかも、種族の壁すら越えて、ついには永遠の愛を誓う神様にまでなったワケじゃし」  
 「ぅわぁ、確かにそう聞くと、一大ロマンスですねぇ」  
 「あ〜ん、ふたりとも、恥ずかしいからやめてよ〜」  
 かしましい女性陣に比べて、男性ふたりは妙に静かだ。  
 「……にしても、半日もよく続きましたね、先輩」  
 「あー、若気の至りだな。もっとも、最初がソレだったせいか、しばらくは紫苑の夜の求め方がハンパなくてなぁ」  
 よく赤玉出なかったな、儂……と遠い目をする武神の片割れだった。  
 
-FIN-  
 

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