冷え込んだ土曜日の朝。早朝という程でもないが昼にはまだ遠い時間に、俺はとあるマンションの  
廊下を歩いていた。  
 ある部屋の前で止まって、部屋番号を確認して、チャイムを押す。  
 
 ぴんぽ〜ん。  
 
 ………………  
 
 …………  
 
 ……  
 
 返事はない。  
 
 やっぱりまだ寝てるな、こりゃ。  
 俺は一つため息をついて、キーホルダーについている鍵の一つを扉の鍵穴に差し込んだ。  
 
 
 
    〜 Sweet Omelette 〜 Chapter 1  
 
 
 
 自己紹介が遅れたが、俺は赤塚秋生(あかつかあきお)。  
 秋に生まれたからという安直かつそのまんまな理由で親父が名前をつけたらしい。  
 
 で、今年で高校3年生。  
 もう正月もとっくに過ぎて世間では大学入試が目前だけど、専門学校への進学が決まっている  
俺には関係なくて、全くもって気楽なものだ。  
 
 今日は約束があって、知り合いの部屋を訪ねることになっていたんだけど……  
 
「ハル姉……居るんだろ?」  
 
 俺はドアを開けて中に声をかけた。  
 この部屋の主がいつも仕事で履いてるローヒールも近所を出歩くときのサンダルも玄関にあった。  
 シューズラックの靴も特に欠けてる様子も無いし。  
 
 スニーカーを脱ぎ捨てて、勝手知ったる他人の家に上がりこむ。  
 このマンションの部屋は風呂場を除けば2つ。  
 そのひとつ、リビングには誰もいないけど、食卓の椅子にはハンドバックとスーツの上着が  
掛かっていた。  
 俺はそれを手にとって、奥の部屋へと向かった。  
 
 「……」  
 
 途中、洗面台の前にスーツのスカートと、脱ぎ散らかしたままのストッキングが落ちていた。  
 生々しいなおい。  
 スカートとストッキングを拾い上げてさらに奥へと進む。  
 
 「……」  
 
 ゆうしゃ は ぶらじゃあ を てにいれた!  
 寝室のドアノブにぶら下がってましたともええ。  
 
 ここまで来てわざわざ拾わないのもどうかと思うので、ドアノブからブラジャーを取り上げた。  
 ……でっけぇ上に甘ったるいいい匂いがするな畜生。  
 コチトラ性欲旺盛な高校生男子だぞ。  
 
 いろいろ浮かんでくる煩悩は無視して今まで拾い上げた衣類のひとつにブラジャーを加え、  
俺はドアを開けた。  
 
 そこはこの家では寝室として使われている部屋だ。  
 でも中に入るとそこは本の海だった。  
 
 部屋の一番奥、窓際のところにベッドはあるんだが、そこに到るまでの床は積み上げられた  
雑多な本で埋め尽くされていた。  
 
 そして奥のベッドの上。  
 薄手のブラウス一枚でハードカバーを手に突っ伏しているダメ人間……もとい、若い女が居た。  
 
 これがこの部屋の主で蒔苗春香(まかなえはるか)。  
 俺はハル姉って呼んでるけど……ハル姉は俺の4つ上の幼なじみだ。  
 某企業の秘書課に努めるOLで、会社では美人で評判らしい。  
 
 元々うちの隣の家の娘さんで2年前に短大卒業、就職と同時に実家から電車で2駅の  
このマンションで一人暮らしを開始した。  
 で、昔からの腐れ縁もあってたまに来るんだけど……  
 無類の読書好きで乱読家。おまけに本が捨てられない質で、俺が定期的に片付けないと  
この部屋は本の海に沈むことになってしまう。  
 
 要するに、今日は此処に来たのは遊びにではなくてハル姉をたたき起こして部屋を片付ける  
ためだった。  
 
 昨夜のハル姉は会社から帰ってきて即座に寝室にひきこもり、そして読書にふけったのだろう。  
 そして力尽きてそのまま就寝。多分そんなところだ。  
 
 獣道を歩いてベッドに近づく。ハル姉はベッドの上でブラウス一枚を羽織ってうつ伏せで  
寝こけている。おしりが丸出しだけどとりあえず今日はパンツは履いていてくれた。  
 
 前に風呂上りのバスタオル1枚のあられも無いで寝ていたことがあって、その時はしこたま  
説教した。でも本人はあまり気にしていない風だったけど。  
 あの後脳裏に焼き付いたハル姉の悩ましい寝姿のせいで俺もひどい目にあった……色々な意味で。  
 
 ベッドのそばまでたどり着いてドア口からでは見えなかった顔をのぞき込む。  
 顔は窓の方を向いていて、でかくて分厚いレンズの入った黒縁メガネをかけたまま、  
薄く開いた口元から涎をたらして気持ちよさそうに寝ていた。  
 でも寝落ちしながらも本は汚さないように反射的に逃がしてるあたりにハル姉の本への  
偏愛ぶりが伺える。  
 ちなみにこのメガネはハル姉がダメ人間モードの時に愛用しているので俺はダメメガネと  
呼んでいる。本を読む時に視界が広くて良く見えるんで気に入ってるんだそうだ。  
 
 こりゃ枕カバーを洗濯しないとダメだな、と思いながら頭をバシバシと叩いてハル姉を叩き起こす。  
 
「おーいハル姉。朝だぞ。」  
「ん……」  
 
 ハル姉が寝返りをうつと、凶悪と言っても良いほどの落差を持つの胸の谷間が顕になる。  
 俺はそれから目をそらしつつ、今度はほっぺたをペチペチと叩くとやっと目を開けた。  
 
「あれ、アキ君……おはよう。」  
「はいおはよう。部屋片付けるからさっさと起きてくれよ。あと目の毒だから着替えてくれ。」  
「?」  
 
 俺に言われてハル姉はボサボサの頭……綺麗なストレートのロングヘアーなのに勿体無い……を  
バリバリと掻きながら自分の姿を見回した。  
 
「別にアキ君に見られても気にしないって言ってるのに。なんなら襲ってくれてもいいし。」  
「襲わねぇよ。朝飯作るからさっさと起きて。」  
 
 ハル姉が戯言を言っている間に俺は手にしていたスーツを綺麗にハンガーにかけて、出口へ  
足を向けた。  
 
「あ、アキ君。」  
「なに?」  
「あたしアキ君のオムレツがいいな。」  
「了解。」  
 
 後ろを向いたまま右手を上げて答えると俺は寝室をあとにした。  
 
                   ◇  
 
 一応ハル姉の名誉のために断っておくけど、ハル姉は巷にたまに居る「不潔でも平気」とか  
「ゴミ屋敷でも気にしない」とかの女とは違う。  
 外聞は気にする質だし、部屋の掃除もちゃんとする。整理整頓が苦手なだけだ、たぶん。  
 
 俺はリビングの一角にあるキッチンに立つとまず薬缶に水を入れて火にかけ、冷蔵庫を開けた。  
 中を物色してレタスとトマト、それに卵を取り出す。  
 
 食器棚から適当な皿を取り出して、洗って切り分けたトマトとレタスを盛り付ける。  
 そして買い置きの食パンをトースターに1枚突っ込んでタイマーを回す。  
 
 トースターで食パンが焼けるまでの間にフライパンを火にかけ、小さいボールに卵を3つ  
割入れて塩少々と砂糖をたっぷり入れて素早くかき混ぜた。  
 
 フライパンが温まったところでバターを一欠け放り込み、卵を流しこんでかき混ぜる。  
 かき混ぜつつ、固まり始めたところで素早く卵をフライパンの先の方へ寄せて、トントンと  
リズミカルに柄をたたきながら卵を巻いていく。  
 卵が1回転して綺麗なフットボール形に丸まったところで火からおろして、先程レタスと  
トマトを盛りつけておいた皿に盛り付けてオムレツの完成。  
 
 うん、プルプルの半熟だし形も文句なし。なかなかの出来。  
 
 丁度のタイミングで焼きあがったトーストも載せて皿をテーブルに運んだところでハル姉も  
リビングに顔を出した。  
 先程とは違って部屋着にしているだぶだぶジャージにダメメガネ姿で、ボサボサに乱れている  
髪はとりあえず後ろでゴムで束ねて引っ詰めにしていた。  
 
「んー、いい匂い〜」  
 
 ハル姉が俺の背中にぴとっと張り付いて肩ごしにスンスンと鼻を鳴らす。  
 いや、当たってるし……  
 
「当ててんのよ。」  
「なぜわかる!? ……つか、いいから席につけよハル姉。」  
「はぁい。コーヒー煎れたらね。」  
「薬缶にお湯沸してあるから。」  
「はぁい。」  
 
 ハル姉がキッチンでコーヒーを煎れている間に、俺はハル姉の席に皿をおいて、開いた席に  
腰掛ける。  
 少ししてカップを2つ持ったハル姉がテーブルに戻って来てそのうちの1つを俺に差出し、  
席に付いた。  
 
 席に付いたハル姉は黄色いオムレツを見て顔を輝かせると、嬉々としながらトマトケチャップを  
絞り、フォークで一欠け切り取って口に放り込む。  
 
「ん〜、やっぱひアキ君のおむれちゅおいひ〜」  
「食ってからしゃべるか、しゃべってから食うかどっちかにしろよハル姉。」  
「ん……んっ。アキ君お母さんみたい。でもおいし〜」  
「オムレツなんてどこでも食えるだろ。ハル姉料理下手なほうじゃないんだから自分で作れるし。」  
「こんなにキレイで絶妙の焼き加減のは無理よ。」  
「だったら家に来れば親父が食わせてくれるよ。」  
 
 実はうちは爺さんの代から続く洋食屋で、俺のオムレツの焼き方も親父に仕込まれたものだ。  
 店に来れば親父が焼いた、俺よりも旨いオムレツが食えるはずだ。  
 だがハル姉はフォークを動かしたまま異を唱えた。  
 
「……おじさんが焼いてくれるオムレツは甘くないもの。」  
「そりゃそうだ。普通のプレーンオムレツは砂糖なんか入れないからな。」  
「あたしはアキ君の甘いオムレツにケチャップたっぷりかけて食べるのが好きなの。」  
 
 ハル姉はそう言って嬉しそうにパクパクとオムレツを頬張った。  
 
                   ◇  
 
 俺が甘いオムレツを最初に作ったのは中学校に上がって間もない頃。  
 中学に上がると同時に親父は俺に料理のイロハを教え始めた。  
 
 俺は家業の洋食屋が好きだったし、旨い料理を作り出す親父の手が好きだった。  
 だから料理の修行は苦でも何でもなかった。  
 
「あたし、アキ君の料理食べたいな。」  
 
 俺が料理修行をしているのを知った、当時高校生だったハル姉がそう言って親父にねだった。  
 親父は修行中の俺の素人料理を家族以外に振舞う事を許してはいなかったけど、子供の頃からの  
付き合いで親父はハル姉を娘同然に可愛がっていたので、その願いはあっさりと受け入れられた。  
 
 それで、当時唯一まともに作れる料理として俺はプレーンオムレツを作ることにした。  
 
「じゃあ、あまーいの。作って頂戴。」  
 
 甘いの?  
 それなんて玉子焼きだよ、と思いながらも俺はハル姉の望みどおりの甘いオムレツを焼き上げた。  
 普通ならこれに店特製のデミグラスソースをかけて出す。  
 でもこのソースは爺さんと親父が試行錯誤しながら作ってきたもので、俺のヘボい出来の  
オムレツだって美味しくなる魔法のアイテムと言って良い。それはなんとなくずるい気がした。  
 それで俺は親父の作ったデミグラスソースじゃなく、トマトケチャップをソースとしてかけて出した。  
 
 今考えれば焼き加減も整形もほめられたもんじゃなかったけど、それでも美味しそうにハル姉が  
食べてくれたことを今でも覚えている。  
 それがハル姉に最初のオムレツを振舞った俺の思い出だ。  
 
 それ以来、機会があるごとにハル姉に催促され、その度にオムレツを作っている。  
 おかげでオムレツの腕は相当上達した。  
 まあ、今は他の料理も色々作れるんだけど、親父との約束を守ってハル姉以外に料理を  
振舞ったことはない。  
 ハル姉は俺のお得意様第1号で、今のところ唯一のお客だ。  
 
                   ◇  
 
 ハル姉が食事するのを眺めながら俺はコーヒーをすすって、先程までの有様の訳を問いただした。  
 
「んで、昨日はいつ帰ってきたんだよ。本読んで寝落ちってことは結構遅かったんじゃないの?」  
「んー、そんなことないよ。はむ……昨日は1年ぶりにお気に入りの伝奇物の続編が出たから……  
 はむ、帰りに本屋で買ってそのままベッドに入って読んでたの。休みだから徹夜でもいいやって  
 思って。」  
「ハル姉の読む速さだったらそんなのせいぜい1時間か2時間じゃないの?」  
「だって……んっん、3回は読んだもの。」  
「3回!?」  
「うん。1回目は普通に読んで、2回目と3回目は伏線とかを回収しながら読んで……4回目  
 辺りで寝落ちした。」  
「だから加減てものを覚えろって。」  
「気を付けてるつもりなんだけどねー、ついついハマっちゃって。ご馳走様〜」  
 俺としゃべってる間にもフォークを止めずにオムレツとトーストを完食したハル姉は両手を  
あわせてぺこりと頭を下げた。  
「はいお粗末さま。じゃ、寝室片付けるからハル姉は洗濯機回す。涎の染み込んだ枕カバーも  
 忘れずに。」  
「はいはい。あ、洗濯してる間にシャワー浴びるから、アキ君寝室の片付け先にやってて。」  
「あいよ。」  
 
 ハル姉は俺にせっつかれて面倒臭そうに腰をあげると、リビングを出て行った。  
 俺も食器を洗ってから寝室へと向かう。  
 
 床の上に散らかっている雑多な本をまず集めて、雑誌やハードカバー、文庫本などに分ける。  
 古雑誌は紐で縛ってまとめ、整理番号の付いた図書館の貸出本は部屋の隅においてある  
キャスター付きのキャリーバックを引っ張り出してきて詰め込み、残りの本はある程度ジャンル分け  
してベッドの上に集める。  
 
 そして一通り片付いたら軽く掃除機をかけておしまい。  
 ここまでで1時間弱。  
 
 ちなみにリビングが本に侵略されることはまず無い。  
 ハル姉曰く、「リビングは客を通すこともあるし〜」だそうで、見えるところは散らかさない  
ように気を付けてるらしい。  
 
「あ、ご苦労様〜」  
 
 丁度掃除機をかけ終わった頃合で、ジャージ姿に濡髪のハル姉が寝室に入ってきた。  
 
「洗濯は?」  
「ん〜、今乾燥機で回ってるところ。」  
「じゃあ今日古本屋に持ってくやつ振り分けてくれよ。髪は俺がドライヤーかけるから。」  
「おっけ。」  
 返事をしたハル姉はベッドに腰掛けると、ベッドに乗せられていた本を手にとってよりわけ始めた。  
 俺はというと、部屋の隅にある化粧台からドライヤーとブラシを持ってきてハル姉の湿った  
ロングヘアーにドライヤーをかける作業にかかった。  
 
 ハル姉は昔からパーマや染髪を嫌っていて、就職してからも黒髪のストレートで通している。  
 俺は水分を含んだ髪を傷めないように注意しながらドライヤーを当てて乾かし、丁寧に  
ブラッシングして本来の艶とさらさら感を持ったストレートヘアに仕上げていく。  
 この作業も最初の頃はうまくいかなくて散々文句を言われたものだ。  
 
 サラサラに仕上がった髪をブラシで梳いて最後にバレッタで留めて完成。  
 起き抜けのボサボサ髪とは似ても似つかない綺麗な髪になった。  
 
「ほら、終わったよ。」  
「ん〜、こっちも。」  
 
 ハル姉の前にある本の山を見ると、残す本と売る本の山で明らかに残す本が倍くらい多い。  
 
「残す本多すぎない?」  
「だって……こっちの本は売りたくないもん。」  
「また少し実家に持って帰らないと本棚に収まんなくなるぞ。」  
 
 寝室にある2つの大きな本棚はすでに8割方埋まっている。これでもかなり処分している方だ。  
 とはいえ、こあまり無理強いしても色々とごねられるだけなので早々に引いて、売る本を先程の  
キャリーバックに詰め込む。……む、今回はちと容量が厳しいかも……よっ、と。  
 ギリギリファスナーがしまった。  
 
「じゃ、俺はリビングで待ってるから、早く支度してくれよ。」  
「は〜い。」  
 
 支度を整えるハル姉を残して、相当な重みになったキャリーバッグをゴロゴロと引きずりながら  
俺は寝室をあとにする。  
 最初はエコバックで本を持ち歩いていたんだけど、本の重みが尋常じゃないのでディスカウント  
ストアでキャスターバッグを買ってきて詰めるようにした。それ以来このスタイルが定着している。  
 キャスターバッグはすぐ持ち出せるように玄関に置いて、俺はリビングでTVを見ながら  
ハル姉の支度を待った。  
 
「アキ君おまたせ!」  
 
 そろそろしびれが切れるかという頃、ハル姉がリビングに姿を表した。  
 起き抜けのだらしの無い姿とは一変、デニムパンツに薄手のハイネックセーターのシンプル  
ながら体のラインが際立つ服装に身を包み、薄化粧ながらバッチリメイクも施したハル姉は、  
外での評判に違わない「デキル女」に見事に化けていた。  
 メガネもダメメガネではなく流行りの細長いデザインのおしゃれなフレームのものに替えている。  
 
「何時もながらこえーな。」  
「ん? なにが?」  
「いや、何でもない。」  
 
 女は魔物だとおもう。  
 
                   ◇  
 
「寒いけど天気が良くて気持ちいいね。」  
 
 そう言いながら前を往くハル姉の足取りは軽い。  
 白いダウンジャケットを羽織り、カシミヤのマフラーを巻いて防寒もバッチリなハル姉は、  
キャスターバッグをゴロゴロと引っ張る俺などお構いなしですたすたと先を往く。  
 
「ハル姉、早い。」  
「あ、ごめ〜ん。」  
 
 文句をぶーたれると、ハル姉は俺を置き去りにしているのに気がついて戻ってきた。  
 そしてキャスターバッグを引くのとは反対の腕にぶら下がった。  
 
「お詫びにあっためてあげる。」  
「いいよ。恥ずかしいし。」  
 
 それに当たってるんだ……胸が。  
 
「だから当ててるんだってば。」  
「読心術!?」  
「そんなのアキ君の顔見れば一発でわかるよ。何年幼なじみやってると思ってんの?」  
 
 そう言って、ハル姉はニヤニヤ笑いながらなお一層俺の腕に胸を押し当ててくる。  
 
「それにしても、でっかくなったよね。もうあたしと頭半分ぐらい差が付いてるし。」  
 
 そう言いながらハル姉は俺の肩に頭をゴツゴツと当てる。  
 
「そりゃそうだろ。俺だってそろそろ成長期も終わりなんだし。普通に行けば女性平均身長並の  
 ハル姉よりは男性平均身長並の俺の方が背も高くもなるさ。おまけにハル姉ハイヒールとか  
 履かないし。」  
「だってヒールって足むくむんだもん。スニーカーサイコー! それにしてもアキ君、昔は  
 このくらいでちっちゃくて可愛かったのにな。」  
「そりゃ何年前の話だよ。」  
 
 自分の胸の辺りに手をかざすハル姉に突っ込んだ。  
 
「でもアキ君もう高校卒業か。もう大人だね。」  
「成人式はまだ2年も先だよ。来年もまだ学生だし。」  
「アキ君大学だっけ?」  
「調理師専門学校。こっから電車で3つ先にあるとこ。」  
「ふーん。でもアキ君おじさんとこで修行だから行かなくても良いんじゃないの?」  
「親父が調理師免許ぐらいとっとけってさ。それに親父は実技は教えてくれるけど栄養学やらの  
 座学は教えてくれないし。」  
「ふーん。」  
 
 何故かがっかりするハル姉。  
 
「……なんだよ。」  
「ん〜、アキ君がお店継いだらあたし雇ってもらおうと思ってたのに。」  
「はぁ?」  
 
 なんじゃそら?  
 
「働くにしたって俺が店継ぐのなんてまだまだ先だろ。親父だってまだしばらくはピンピン  
 してるんだし。」  
「そっか……」  
「……なんか会社で嫌なことでもあったの?」  
「ん、まあねー、社会人は色々とね……あ、古本屋さん通り過ぎちゃう。続きはまた後で。」  
「ん、ああ。」  
 
 いつの間にか馴染みの古本屋の前にきていたので二人で入る。  
 キャスターバッグに入っていた本を売り、そしてその何分の一かの本を買って……ここで俺が  
ツッコミを居れないと目を輝かせるハル姉は閉店まで店を出ないだろうし、持ち切れないほどの  
本を買い込むことになる……店を出る。  
 
 そして今度はそこから数分の距離にある公立図書館へと向かって借りていた本を返し、  
貸出制限いっぱいの本を借りる。もちろん借りる本を吟味するのに軽く数時間かかるので、  
俺はその間料理本のコーナーで時間をつぶす。  
 
 なんだかんだでハル姉の家を出た時とさして変わらない重さのキャスターバッグを引きずって  
図書館を出た時には昼をかなり過ぎていた。  
 
「じゃあ、お昼はおねぇさんが奢ってあげよう!」  
「よっ、月給泥棒!」  
「月給泥棒言うな!」  
 
 俺にツッコミつつハル姉はケラケラ笑う。  
 つられて俺も笑う。そして少しだけハル姉の笑顔にドキッとする。  
 ハル姉の笑顔は可愛い。普段外で見るハル姉は綺麗で格好いいけど、俺と居るときに見せる  
笑顔は年よりも子供っぽくて無邪気で、時々心臓に悪い。  
 
 俺たちはどこで昼飯を食うかでちょっとした論争を繰り広げたあとで、最近見つけた小洒落た  
カフェに入る事にして、そこでランチプレートを頼んだ。  
 俺はチキンのグリル、ハル姉はロコモコだ。  
 
「で、会社でなんかあったの?」  
「ん? ああ、朝の話ね。」  
 
 俺が切り出すと、ハル姉はちょっと憂鬱そうな顔で話し始めた。  
 
「別に会社の仕事は良いんだけどね。課長は良い人だし、同僚とも仲良くやってるし。」  
「じゃあ何が良くないの?」  
「ん〜、あたしってほら、美人じゃない?」  
「自分でいうなよ。」  
 
 まあ、ハル姉は美人だけどね。スタイルも良いし。  
 
「話が続かないからそういうことにしといて。で、まあ、美人には男が寄ってくるのよ。」  
「そりゃあ、見た目で人を選ぶな、なんていうけど第一印象は見た目だからね。」  
「そういうこと。あたしもまあ、割とお食事に誘われたりとか、そういうこともあるのよ。」  
「ふーん。良いことなんじゃないの? ハル姉だってお年頃なんだから、デートの一つや二つして  
 いい男でも捕まえりゃいいんだよ。」  
 
 そう言いながらも、俺の胸が少しチリチリした。  
 だがハル姉はそんな俺の心を知ってか知らずか、吐き捨てるように言う。  
 
「いい男ね。そんなの居ないわ。ナンパ野郎ばっかり。」  
「ずいぶんあっさり断言するんだな。」  
「あいつらはね、あたしの顔しか見てない。高い宝石つけてるのといっしょよ。いい女を侍らせて  
 自慢したいだけなのよ。あたしがそういうの嫌いなの知ってるでしょ?」  
 
 ハル姉はそうつまらなそうに言った。  
 
「中でもね、最近うちの課に顔出すようになった社長のバカ息子が居るんだけどさ。  
 こいつがあたしに最近しつこく言い寄ってて。でも立場上邪険にできないし。  
 社長は良い人なんだけどね。」  
「ふーん。大変なんだな。」  
「あーあ、いっそ不細工に生まれてれば良かったのにな。」  
「世の女性を敵にまわすような贅沢なこと言ってんじゃねーぞ。」  
「でもさ、そうすればアキ君みたいに『私の顔』じゃなくって『私自身』を見てくれるでしょ。」  
 
 そう言ってハル姉はコーヒーを一口飲んだ。  
 確かに、ハル姉が美人じゃなかったとしても、俺とハル姉の関係は変わらなかったかもしれない。  
 でも、それでも……  
 
「綺麗じゃなくてもハル姉はハル姉だと思うけどさ……でもやっぱり、綺麗で格好良くて俺の  
 憧れのハル姉でいて欲しいな。」  
「ふーん、アキ君意外と面食いなんだ。」  
「そりゃぁブサイクよりはね。」  
「ふーん……じゃあ、あたしはアキ君のために綺麗で居られるように頑張りますか。」  
 
 そう言ってニカッと笑って見せる。  
 会話が一段落ついた丁度いいタイミングで注文した料理の皿もやってきた。  
 
「じゃ、食べようか。」  
「うん、頂きまーす。」  
 
 二人で手をあわせて、それからスプーンに手を伸ばした。  
 
                   ◇  
 
 冬の日は短い。  
 冬至が過ぎて日が長くありつつあるとはいえ、3時を過ぎると夕日が赤く染まってくる。  
 その夕暮れの帰り道をハル姉と歩く。  
 
「今日も付き合ってくれてありがとうね。」  
「別に……日課みたいなもんだし。定期的にハル姉の所にこないとあの部屋本で埋もれるし。」  
「それでもアキ君が世話焼いてくれるの、あたしは嬉しいよ?」  
 
 そう言って、ハル姉がにっこり笑う。  
 そして、ハル姉のマンションと駅へ向かう道への分岐に差し掛かる。  
 
「今日は有難うね。気をつけて帰ってよ。」  
「うん。」  
「今度はいつ来るの?」  
「今は割と時間あるから、来週の土曜日かな。」  
「来週の今日ね。待ってる。」  
「待ってるって……いっつも寝てるじゃん。待ってるなら起きててくれよ。」  
「うーん、起きられたらね。じゃ、ばいばい。」  
「じゃーな、ハル姉。」  
 
 そうやってその日は別れた。  
 ハル姉が重そうなキャスターバックを引きずって自分のマンションへと帰っていくのを  
見届けてから、俺は駅へと歩き出した。  
 
 
 これが今のハル姉と俺の日常で関係のすべて。  
 姉弟のようであり、恋人のようでもある。  
 俺はそんなふわふわした関係が心地よくて、でもアクションを起こすことで壊れることを恐れて  
そこからずっと進むことができずに居た。  
 

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