とある宴席でのこと。  
 主催者の某伯爵が余興のひとつでもと招いた占者が、いまだ独り身である水晶王にふさ  
わしい伴侶はどなたであるかという問いかけに、もったいぶりつつのたまった。  
「水晶王陛下の隣に立たれるお方は、この世ならぬ異界におわす神子様でございます」  
 国の大事を座興に貶めた質問者がおのれの浅薄さを牢の中で悔やんでいた頃、その報告  
を受け取った水晶王がひと言、   
「面白い」  
 と呟いたため、神子召喚は決定した。  
 
 
(陛下の気まぐれにも困ったものだ)  
 執務室で書類に目を通しながら、宰相は深々とため息をついた。  
 即位して三巡年、水晶王には妃がいない。  
 先代王の第八子という王族とは名ばかりの生まれであったため幼少期の婚約は整わず、  
長じてのちは四十九人の女に寵を与えるも庶子さえ誕生する気配がないという現状、宰相  
の中で後継者問題はゆゆしき事案となっていた。  
(そもそも陛下に釣りあう女がいないのが悪い)  
 手塩にかけて育てた王である。  
 豊かな知識は学者に勝り、優れた武芸は騎士を凌駕し、教養と気品にみちた惚れ惚れす  
るほどの美丈夫だ。  
 なにより魔力の強さは当代無比。  
 こうまで完璧だと並び立つどころか、一国の王女さえ恐れをなして前に出ることもでき  
ぬ有様。  
 ならばいっそ、異界の神子とやらでも構うまい。多少の問題は肩書きと希少さで補える。  
 もちろん最終的な判断は水晶王の御心ひとつだが。  
「閣下?」  
 秘書官の怪訝な声で宰相は我に返る。  
「書類を」  
「はい。こちらは召喚の儀に必要な物資の一覧です。儀式の手順を現代語に訳した資料と  
あわせてご確認ください」  
 
 
 水晶国の宰相の名をディディアネ・ヴィッスリンという。  
 大陸広しといえど女を宰相とするのはただ一国。  
 そして魔力を持たず貴顕の地位に就いたのは、歴史上彼女ただ一人。  
 
「つかれたー」  
 神子召喚の最高責任者ユージウス・レピーベラは断りもなく執務室に入ってくると、勢  
いよく長椅子へ突っ伏した。  
「なんだよあの計算式。やってもやっても終わらねぇ。つか四代前の宮廷魔術師団、能な  
しの集まりだろありゃ。安定悪いし余分なもん加えすぎ。しかも美しくない。けっきょく  
最初から構築する羽目になったじゃねぇかよ。徹夜もうやだ」  
「陛下の御為だ、しっかり励め」  
 ユージウスが押しかけてきたことで仕事の手を休め、ディディアネは香りよい茶と王宮  
料理人おすすめの焼き菓子を楽しんだ。  
「うおっ、冷てぇぞ宰相殿。幼馴染みをもっとねぎらえや。そこの女官、私にも同じもん  
を」  
 ふてぶてしくもディディアネの執務室に居座り茶菓子を喰らう男。  
(さしたる才のない奴であれば王宮どころか国から叩きだしたものを)  
 残念なことに、水晶王陛下に次ぐ魔力保持者なのだ。立場としては宰相のディディアネ  
が上だが、しかしすべての局面でユージウスがはるかに凌ぐ。  
 魔力。  
 それこそが絶対の価値基準。  
 
   
 ディディアネは魔力を一欠片も持たずに生まれた。  
 大陸の民のほとんどが大なり小なり魔力を有する中で、それは稀にあり得ること。  
 不具の子は終生蔑まれる身を余儀なくされるはずだった。  
 赤子のうちに森へ棄てられたディディアネを拾った奇特な老女が、ひとりでも生きてい  
けるようにと知りうるすべてを教えこんでくれたから、いまの女宰相ディディアネ・ヴィッ  
スリンがある。  
「なあディー」  
 養育者の死後、森を出た七歳のディディアネは遺された紹介状を胸に水晶国の王都、王  
立学校初等部へ。そこで知りあったのがユージウス・レピーベラ。  
(あの頃から自信家でやかましい奴だったが)  
 ともに学んだのは二巡年。  
 ディディアネはあっさり初等部の学業を修め終え、奨学金付きの特別進学を許可される。  
 レピーベラは魔術の才を伸ばすため王立魔術院の門をくぐり、道は分かれた。  
 まさか王宮で、宰相と筆頭魔術師として再会するとは思わなかった。  
「なあって」  
「いきなり顔を近づけるな、驚いたではないか」  
「そろそろディディアネ・ヴィッスリン・レピーベラになんね?」  
「わたくしに侯爵家の名を授けてどうする。おまえもバドミリオも養子が欲しければおの  
れの一門をあたれ」  
「あのやろうっ……!」  
 女官に大人気の甘く整っているらしい顔を歪め、ユージウスは不機嫌にうなった。  
 
 大陸では魔力が低いとなにかにつけ不利に働く。  
 肩身は狭く、結婚をいやがられ、出世もできず、日陰暮らしとなるのだ。魔力なしと判  
定されたディディアネを好きこのんで口説こうとする輩はいない。  
 かつて二巡年ばかり同じ学舎で過ごし、現在は王宮勤めであるという共通項だけで名家  
の名をくれてやろうと言う二人はつまり、ディディアネを高く評価しているのか、とてつ  
もない慈悲の持ち主なのか。  
(初等部の頃から仲がよかったな、レピーベラとバドミリオ)  
 はじめて会ったその日から火花を散らし、二言目には胸ぐらをつかみ合い、頭突きと蹴  
りの応酬を繰りひろげたほど。  
 喧嘩するほど仲がいい。  
 その実例をディディアネは知った。  
「アンの戯言を真に受けるんじゃねぇぞ、ディー」  
 この男はときどき猫になる。  
 獲物を探して貪欲に光っているような目、ディディアネの頬に顔を寄せてこすりつけ、  
唇の端をぺろりと舐めてきたりするところなど、その辺りの猫とまったく変わらない。  
「私のディー……」  
「む、ロロッシュ君、時間か。どけレピーベラ、わたくしはこれから会議だ」  
 迎えの文官が扉のところで所在なげに佇んでいた。  
 ずっしりとのし掛かる身体を押しやり、乱れた衣服を手早く直すと、ディディアネは宰  
相の威厳をまとい、王宮に巣くう狐狸妖怪どもと化かし合うべく議場へと乗り込んだ。  
 
 よわい五百年の氷蜥蜴、ヌフ・ヌーヴーニの火薔薇を八本、神聖山脈の頂に輝く緑の金  
剛石、暗黒樹の怪鳥ミッテとミーダンの風切り羽。  
 神子召喚に必要不可欠とされた神秘の魔具。  
「みごとだバドミリオ。困難な使命、よくぞ果たしてくれた」   
 常人ならば十回死んでもなお一つたりとて物にできない品々を、彼が率いる一隊は三巡  
月を留守にしただけで、すべて入手してしまった。  
(北方大湿原地帯へは馬を休まず走らせても半巡年はかかるのだがな……魔術師団の助力  
もあろうが、水晶王の騎士とは凄まじいものだ)  
「近く水晶王陛下から直々にお褒めの言葉を賜るであろう」  
「身に余る光栄にございます、宰相閣下」  
「それまでは疲れた身体、存分に癒すがいい」  
 アンフィルダ・バドミリオ。  
 王立学校初等部でユージウスともども知り合い別れ、これまた王宮で再会した男。  
 初等部で二巡年を過ごし王国軍士官学校へ編入、武術と魔術を駆使する近衛騎士として  
史上最年少で隊長位を拝命した。  
(史上初の女宰相、史上最高の魔術師、史上最年少の近衛騎士隊長、か)  
 その国は史上最強の水晶王が治めている。  
 
 
 十四の時、最優秀の成績で王立学校大学部を卒業したディディアネだったが、一件たり  
とも職の誘いはなく、これは在野の研究者として極めるべきだろうと準備を進めていた矢  
先、王宮の使いが訪れ、第十三妃の御子の教育係として召し上げられた。  
 後宮で拝謁した第八王子は青白く虚弱で、あきらかに毒物の摂取からくる不調だと見抜  
いたディディアネは、徹底的に周辺人物を洗いたてた。  
 はっきりいって十三番目の妃ともなると権力はないに等しい。後宮の暗部から子を庇う  
ことに懸命であった妃には、ろくな人材を招くことができなかったのだろう、そこへディ  
ディアネが引っかかったのは双方ともに幸運だった。  
 健康を取り戻した第八王子は生来の聡明さに加え、魔術の技と武芸を磨き、すばらしい  
青年へと成長する。  
 大事に大事に、誠心誠意お仕えしたディディアネは、成人の儀に誇らしく立ち会ったも  
のだ。  
 あれやこれやがあって三巡年前、玉座とはほど遠い場所にいた第八王子が水晶王として  
登極。新しく宰相として指名されたのがディディアネだ。  
 その後を追うようにユージウス・レピーベラ、アンフィルダ・バドミリオが相次いで抜  
擢され、現在に至る。  
 
 椅子に腰かけ上品な仕草で茶器を傾けているアンフィルダが、  
「ずいぶんと機嫌がよいですね」  
 いつもより若干、書類をめくるのが早いことで気づいたらしい。  
「神子様がお心深くお優しい陛下に似合いの方であればいいと考えていただけだ、バドミ  
リオ。かの伯爵が招いた占者は当代一との評判でな、わたくしとて期待がある」  
 男女の魔力保有量が均衡していると懐胎しやすい。  
 さらに水晶王との相性がよければ国として大歓迎だが、果たして。  
「……水晶王陛下を聖人のごとく敬えるのはあなただけですよ」  
「なにか?」  
「いいえ。ところでディディアネ、わたしが城を空けているあいだ、ユージウスがここに  
通い詰めていたそうですが、あの魔術狂いに配慮は無用ですよ。邪魔をするばかりの者な  
ど摘み出しておやりなさい」  
(ほんとうに仲がいいな、こやつら)  
 印を押した書類を秘書官に渡しながらディディアネは感心する。   
 バドミリオ子爵の第二子と、レピーベラ侯爵の弟。どちらも名門貴族であり、兄に何事  
かあれば家を継ぐ身。同い年で幼馴染みかつ王宮でずば抜けた出世ぶりを見せあうとなれ  
ば意識するのも仕方がないのか。  
「麗しきディディアネ」  
 この男はときどき変になる。  
 資料が欲しくなり気分転換もかねて秘書室へ向かおうとしていたディディアネを背後か  
ら抱きすくめ、遍歴楽師が歌う恋愛詩のような文句をささやきだしたアンフィルダ。  
 どこぞの姫君に捧げるべきを、宰相に誓ってどうする。  
「わが両の手は海原をしてすすげぬ罪に染まれど、あなたへの愛はもっとも甘美で悩まし  
き罪。ディディアネ、わが貴婦人」  
「バドミリオ」  
「なんでしょう」  
「チルセ・ガトゥド子爵令嬢から、不運にもすれ違いが続いている近衛騎士隊長に会わせ  
てもらえまいかという嘆願を非公式で受け取った。ジャクリフ男爵夫人は直接ここへ足を  
運ばれ、バドミリオ子爵の二番目の息子を捕獲する許可を求めておいでだ。両方に承諾の  
返事をしてもよいか?」  
 ディディアネの耳朶を食んでいたアンフィルダは、女官の熱い視線を集める冷ややかに  
整っているらしい顔に笑みを浮かべると、お手本のような一礼をして宰相の執務室を退出  
した。  
 
 そうして儀式当日。  
 王宮では水晶王以外の魔術は制限されているため、王立魔術院は星の塔での神子召喚と  
あいなった。  
 四代前の女王の御世、異界人の召喚を試みたとき、応じたのはたおやかな婦人であった  
という。水晶国の魔術の発展に貢献し、ふいに行方をくらましたとか。  
(よもや男の神子様だったりしないであろうな……)  
 いまさらな不安がディディアネの脳裏をよぎった。  
 水晶王ご臨席の中、夜更けからはじまり、怪しげな格好の人々が怪しげな呪文を唱えつ  
つ怪しげに蠢くこと三刻半。  
 数種の香木と数百の薬草を焚きしめた、怪しい匂いが充満する空間での怪しい儀式はつ  
いに頂点を極めた。  
 床に描かれた巨大な魔術陣があわい光を放つ。  
 
 と、瞬きひとつのあいだに、それは出現した。  
 
 
(これが神子様か)  
 丸みのある豊かな輪郭は、まぎれもない女性。  
 肩を流れ背を覆い腰までとどく御髪は闇という闇を集めたように黒い。  
 お召しの衣服も夜を紡いで織りあげたかのような黒さだ。  
 抜き身の剣をたずさえて、その刀身も黒。  
 神子、などという物々しい響きから聖神殿にたむろする白くて繊細そうな連中に似てい  
るのではとの想像を裏切る、いっそ禍々しいまでの力強さ。  
 不敵な輝きをたたえた闇色の双眸をまっすぐに定めてくるこの威圧感、覇気。  
(陛下に似ている)  
 素直にそう思った。  
 神子の眼差しの先にいる、水晶王その人に。  
 
 食い入るように見つめ合う男と女は、それだけで悟るものがあったらしい。  
 水晶王が立ちあがり神子をうながす。  
 神子は差し伸べられた手を躊躇なく取る。  
 二人の口元には獰猛ともとれる笑みが刻まれていた。  
 
 刹那のうちにかき消えた二人の姿を惜しみ、しばらくじっと動かないでいたディディア  
ネは、唇を締めつけ、両手をぐっと握り、精根を使い果たして倒れ伏す魔術師たちに近づ  
くと、おもむろに幼馴染みの背中を踏みつけた。  
「よくやったレピーベラ」  
 ディディアネの心臓は破れそうなほどに高鳴っていた。  
(陛下、陛下、おめでとうございます)  
 叫びながら走り回りたい気持ちを抑えかね、アンフィルダが適当なところで制止するま  
で、ディディアネは歓喜のままにユージウスを蹴り転がした。  
 
 水晶王と異界の神子が寝所にこもって一日目。  
 王宮の廊下をぴょんぴょん跳ねて移動しているのを女官長に見つかり叱られる。  
「あんな可愛いことをして、ただでさえ多い信望者をさらに増やしてどうなさいます」  
 女官長の諫言はディディアネにとって難解だ。  
 
 
 二日目。  
 後宮の、正妃だけが使用できる白葡萄の間を開く。  
 黒葡萄の間に改称。  
 
 
 三日目。  
 ディディアネの仕事量は飛躍的に増えたが、幸せにうっとり蕩けた状態でかたっぱしか  
ら処理しまくり、まったく問題はなかった。  
 宮廷医から一巡月は安静をと言い渡されているユージウスは、土気色のご面相で長椅子  
に横たわり、せめて医務室へとすすめても頑として動かない。  
「ディーが笑ってるなんてはじめてだ……ずっと見てぇ……」  
 くぐもった声でぼそぼそ訴えていたが、ディディアネは水晶王付きの侍従からあがって  
くる報告書を読みこむのに没頭し、聞いていなかった。  
 
 
 四日目。  
 アンフィルダが執務室を頻繁に訪れ、ユージウスの様子をうかがっている。  
 普段は衝突の絶えない二人が静かなもので、親友とはよいものだとディディアネはたい  
そう感銘を受けた。  
「あなたの色香にあてられた不埒者が襲ってこないとも限りませんからね」  
 黒いレースの大量追加発注とドレスの図案集に心を奪われていたディディアネに、その  
言葉は届かなかった。  
 
 五日目、水晶王と神子はそろって朝議に現れた。  
 二人の溶けあった雰囲気がディディアネには嬉しくてたまらない。  
「我が名はエク・オドー・アサルルヒ、<闇に咲く花>という。これより世話になる」  
 玲瓏とした声音で神子は告げ、重臣たちはうやうやしく上体を折り頭を下げた。  
 水晶妃の誕生である。  
「そなた、宰相。あれなる王を育てた母にして姉よ」  
 水晶妃の信じられない呼びかけに息を呑んで水晶王の尊容を仰ぎ見ると、この世の誰よ  
りも秀でた造作のかんばせがゆるりと頷く。  
(陛下、ああ陛下……!)  
「そなたに感謝を。いずれ王のごとく我とも遊んでおくれ」  
「喜んで、水晶妃陛下」    
 情けないことだが、感極まってわななくディディアネではそれだけを口にするのが精一  
杯だった。  
(王……いや、王子殿下との遊び。覚えていてくださったか)  
 稽古の息抜きがてら、王宮の隠し通路をくまなく調べあげて罠を仕掛けたり。  
 食後の菓子を賭けて貴族の弱みをいくつ掴めるか競いあい。  
 おたがい考え抜いた拷問方法を生きたまま捕らえた暗殺者に試すという他愛のない実験  
に夢中になった夜。  
 無能な王族の優雅な排除とその実践といった、さまざまな課題を設けては果敢に挑んだ  
楽しき日々よ。  
 第八王子がすべての面でディディアネを上回ったとき、水晶王として即位する。  
(水晶妃陛下のお望みとあらば、不肖ディディアネ・ヴィッスリン、いかなる遊びでも全  
身全霊をもってお相手させていただきます)  
 居並ぶ大臣たちの顔がみるみる青ざめていくのも知らず、ディディアネは決意を噛みし  
めながら水晶王と水晶妃へ永遠の忠誠を誓うのだった。  
 
 
 魔王と恐れられる王がいる。  
 数多の魔術師を束ね、血染めの騎士団を率い、のちに剣神と呼ばれる妃を娶った。  
 かの国を支えるは、知略によって名をあげた美貌の女宰相。  
 
 
おわり  
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