文豪の触手
ちょいと静養に、俺は、帝都を離れ湯治に行った。
家を追い出されていたので、丁度よかったのだが、静養先の宿で触手なる化け物を退治した。
さて、そのように、湯治に行く事になって、触手を討伐した理由は多々ある。
すべては些細な話しであるのだが、暇ゆえ書き付けておく。
晩秋の事だ。
そもそも俺が家を追い出されることなった、主だった原因は、親父が死んだことであった。
随分前から、胸を病んでいた親父は、先月の末、コロッと逝った。下女の話によると、豪放磊落な父とは思えぬ実に呆気ない死に様だったそうだが、父の往生なぞどうでもよい。
問題は、親父が死んだと言う事だ。
俺は親父の子ではあるが、お袋が妾だった為、いわゆる妾腹である。
妾腹ゆえ、兄や弟どもに何時もさげずまれたが、俺はこの通り身の丈一間(約180cm)を超える、丈夫な体に産んで貰えたので不満は無かった。
ただ、今回は、その妾腹ゆえ酷い目にあった。
俺の実家は、旧家である。
遡れば、古くは帝にお仕えした何々の某の子孫で、なおかつ今は爵位を持つ華族である。そんな家であるから、格式も古い。なので、当然、父が死んだとなれば継嗣である兄が家を継いだのは不思議ではない。此処まではよくある話であろう。
ただ、その後が、不愉快であった。
親父の通夜やら葬儀やらが終わった翌日だったか、自室で一人庭を眺めていた俺に、兄が言いやがった。曰く、何時までも部屋住みしておらず、街に出て働けと言うのである。
有閑を持て余していた俺に、その時の兄の言葉は理に適っていると思えた。が、その兄の言葉が、奥座敷にいるのであろう正妻の意思―――つまり家を出ろ――だとは容易に推測できた。
こう言っては何だが、兄は後妻の傀儡である。
母の言う事なら何でも聞く、そんな男であった(もっとも、兄弟すべて似たようなものであるが)。
正直な事を言えば、俺は家を出たくなかった。
何々、働くのが億劫だったのではない。しかし、一銭も使わずに、飯が出る、風雨をしのげて、下男下女が世話をしてくれるところなど、普通はありはしないのだ。
そんな場所から出る?
そう思うと、家を出ることは、多少の煩雑なこと(妾腹ゆえのアレコレ)から逃れられることを差し引いても、惜しかった。
なので、兄に、しばらく考えさせてくれと言ったのだが、兄の野郎、ペテン師か噺家のようにアレコレと家を出るように進めたので、いい加減に厭になった。
だが、俺も強情ッ張りである。一歩もひかず頑なに、厭だといっていたら、とうとう向こうが怒った。
なんでも、嫁をもらおうかと思っていたのだが、卑しい母を持つ俺がいるとどんな間違いが起こるか解らないと、兄貴は言いやがった。
俺を信頼もしていないのは別に構わなかったが、
お袋を馬鹿にされたのには腹が立った。
それで、頭に来たのでブチのめした。
五月蝿いうえに見苦しく、ただでさえ実りの無い問答で苛立っていた俺は、その発言を受けて我慢の限界に達したのだ。
これでも、帝都の魔学を修めた身である。すぐさま術理を組んだ俺は兄目掛けて、魔術をぶつけてやった。
そしたら兄貴、同じように魔術を修めた筈なのに、実戦は殆どしていないとみた。
アッと言う間に、兄貴の矮躯は庭に向かって吹っ飛んだ。
兄貴を吹き飛ばしたことで、吹っ切れた俺は、そのまま親父の書斎へとズンズンと歩き出した。
もう、この家を見限ったのである。こちらから出て行ってやる。が、ただ飛び出しては面白くない。なので、親父が銀行から下してきた金を詰めた鞄を拝借して出て行くことにしよう。
そう思い、廊下を歩いていると、轟音を聞きつけた下女がすっ飛んできた。
なにをなさったのですと、問われた。
なので俺は、兄貴と喧嘩して魔術で兄貴を吹き飛ばした。
庭で兄貴が伸びている、手当てしてやれ、それと俺は家をでる。
とだけ告げて、下女の横を通り抜けた。
親父の書斎にあった鞄を掴んで、家を出ようとしたところだった。弟どもが、惨状をみてやってきたのだろう、俺の名前を呼び捨てにし、兄上の敵だと殴りかかってきた。
子供とは言え、殴られれば痛い。
なので、俺は脚で蹴っ飛ばし、強くなってからぬかせと一喝し後、高下駄を履いて家を出た。
そうして、家を出た俺だったが、特に何かを考えていた訳ではなかった。
無論、湯治に行こうなど、その時は考えてもいなかった。
ただ、金はあったので、当ても無く、旅でもしようかと思っていた。
なので、あて先も考えず、街をぶらぶら歩いていたからか、街鉄に轢かれた。
大方、負けた腹いせに、兄が術式を組んでいたのだろう。
でなけりゃ、真昼間に街鉄に轢かれるのは馬鹿としか言いようが無い。
兎にも角にも、俺は街鉄に轢かれたが、咄嗟に技師がブレェキを引いてくれた為、死なずにすんだ。
さて、轢かれたのに生きているのは、親父譲りの丈夫さだろうが、それでも轢かれたことには変わりない。
なんとか立って歩けたが、腰をしたたかに打ちつけたようで、あんまりにも痛い。なので、近くの医者にいったら、骨は折れていないと言う。
けれど、腰は痛い。
痛いのを治せ、と医者に言ったら、湯治を進められた。
それで、汽車に乗ったのが昨日の晩で、こうして宿でぼんやりしているのが今日の話しである。
依然として、まだ腰は酷く痛む。折れてないだけで、罅が入っているかも知れぬ。そう思うと、術理をかけやがった糞兄貴を殺してやればよかったと苛立つ。
が、腰が痛いので、部屋で寝ているしかない。
しかし、田舎の宿である。不愉快なほど薄い布団、しかも部屋は汚い上に、膳は不味い。麦酒を頼んでもでてこない、半熟卵を求めたら、完熟と生卵を持ってきやがった。何ゆえ、こんな宿をとったのか、自分でもよくわからん。
しかし、こちらについた晩、あまりに疲れていた上に、腰が痛かったので、宿を選んでいる余裕なんて無かったはずであり、この宿を選んでもしかたがないと思うことにした。
さて、
腰の調子が非常に悪いものだから、歩くのにも難儀している。
それで、部屋の窓を開け放ち、表の通りをあるく人間を眺めていた。
田舎の温泉街であるからか、まだ洋服を着た人間の方が珍しい。そうして人を見ていたのだが、俺も若いらしい。ついつい綺麗なご婦人や娘に目が言ってしまう。
小袖を着た街娘、ろうたけた美女、売春婦であろう、ちょいと派手目の化粧の女ばかり目に付く。それでフト思ったのだが、この街、やたらと女子供が多い。先の戦争で男が出征していたとはいえ、何処と無く気になった。
そんな具合に窓辺に浴衣を着て、腰掛けていたのだが、口元が何と無く淋しい。それで、懐中から煙管と煙草の葉を取り出して、火をつける。
そうして気分良く、煙草を吹かしていると、となりの部屋で物音がした。
何事であろうか、ずるる、ずるると、重たい縄が擦る音にも似ている。
俺は、その音が奇妙だったので、煙草の火を消して起き上がった。
が、煙草の火を消したからだろうか?
先程の音は、しなくなった。気になったので、それから半刻ほど待っていたが、ちっとも鳴らない。
上体を起こしていて、腰がまた痛くなった俺は、一風呂浴びに手ぬぐい片手に、湯へ向かった。
ザボンと湯船に漬かってくるだけだと言うのに、幾分か腰が軽くなった。
不思議なものだが、やはり湯治は馬鹿に出来ない。
と思って、浴衣に着替えていると、按摩の看板が気になった。みれば、それほど高い物ではない。懐が豊かな、俺は一度迷ったが、頼んでみる事にした。
宿の人間が、部屋に按摩師を連れて行く、というので、部屋で書籍を片手に寝転んでいたら、按摩師が来た。
年をとった、老女である。
が、腕は確かであるらしい。揉んでもらうと幾分か、楽になった。つまらぬ事を話していたのだが、そのとき、妙な話を聞いた。俺が帝都で魔術を学んだと言う話しをさせられた後、腰を揉んでいた按摩師が、こう言ったのだ。
なんでも、ここいらで年頃の娘が、多く神隠しにあっているらしい。しかも、幸運にも帰ってこれた娘は、一月も消えていなかったのに、なんと孕み腹だったという。
奇怪な話しだと、俺は思った。
帝都の新聞の片隅に載るかもしれない。
面白い話しを聞けたので、按摩の婆さんに、多く銭をやった。
で、また部屋で煙草を吹かしていると、ちょうど宿の主人が膳をもってきて部屋の戸をあけた。すると亭主、俺に煙草を吸いなさるなと言いやがった。
俺の金で、俺の煙管で吸うのに何の文句があるのだと問うたら、奴、隣の部屋に冬木沈流がいるからだと言った。
これには俺も、驚いた。
帝都でも名の売れた作家が、何故、こんな宿にいるのか。
俺は、煙草が吸えなくなることも気にせずに、文豪がこんな宿にいる事を考えてみた。
大方、執筆の為だろう。
そうして考えてる間に、飯が出たが、相変わらず不味かった。
布団で寝ていたのだが、明け方近くに、人の声が聞こえた気がして目が覚めた。
はじめは、寝つきが悪いのだろうと思ったが、どうも違う。
隣でずるるずるる、とやはりあの音がする。
晩に、亭主から、隣の客が文豪冬木沈流だと聞いていたから、俺は彼が何かをやっているのだろうかと考えた。
が、どうにもおかしい。
女の、すすり泣くような声が聞こえるのである。
不信に思った俺は、そっと布団をのけ、起きてみた。
野次馬根性と言うべきか出歯亀の毛があると言うか、隣の部屋が気にかかってしょうがない。
俺は、藁半紙を手早く折ると、簡易の式を打つ。
覗きとは褒められた趣味ではないが、昼の奇怪な物音の正体を確かめる為である。右目を閉じ、式神と視覚を繋げ、音も無く式神を飛ばす。式神は欄間を通り抜け、冬木沈流の部屋へと入った。冬木沈流も眠っているのであろうか、部屋はやはり暗い。
が、しかし暗いとは言え、なにか闇に浮ぶ白いものがある。
俺は、目を凝らした。
滑らかな曲線を描くソレに、俺は見覚えがあったからである。
その時、丁度月明かりが指した。そのため、式神を近づけ、仔細に観察するまでも無かった。
其処に転がっていたのは、裸の女たちだった。
どれもこれも、皆若い。一番年をとっていた女でも、あのなめかましい肌の張りからすると、女盛りである。
そんな女たちが、ゴロゴロと、美術の石膏像のように闇の中に転がる様は、異常であった。しかも、その内の数人の腹は、やや子でも詰っているかのように、大きく膨れていた。
裸婦というだけでも奇怪であるのに、それが何人も一箇所で寝ている。しかも、妊婦のようなものまで混じっているなんて、普通ではない。
女の芯でも貫かれているのか?快楽と痴呆の合いの子のような表情を浮かべた女の方が多かった。
呻き声の正体はコレであった。女が漏らす、嬌声の様な呻きが、俺の部屋まで響いていたのだ。
俺は、驚きながらも、それを観察しようとした。
そして、おや、と気付いた。
女たちの体に、何かがついている…
そう思い、より詳しく調べようとした時だった。
唐突に、視界が消えた。そして、同時に、俺は自分の式が何者かに壊されたと知った。
そして、俺はオレの式を壊したモノこそ、昼間の奇怪な音の主であろうと確信した。
俺は術理で、五つほど火の玉を中に浮かべ、光源を確保してから、おもむろに懐中よりキセルを取り出す。昼間に煙草を吸ったとき、あの音がしたのである。
ならば、今吸って見れば、隣の部屋の何かとご対面できるかもしれない。
そう考えた俺は、マッチで火を付けた。
煙が、換気のために儲けられた欄間を通して、隣の部屋へと流れ込んでいく。
しばらく待つ必要もなかった。
やはり、ずるる、ずるると、音が響く。そして今度は、煙管の火を消さなかったので、やたらと長い事音がしていた。どうも、向こうの何かは煙草の煙が肺病を患う輩のように嫌いなようだ。
隣室に潜む、何かよからぬものを暴いてやると、俺が意気込んだ時であった。
欄間から、何か丸いものが、いきなり飛んできた。
明かりを浮かべていたとは言え、唐突に飛来してきた何かに俺は驚いた。
腰の痛いのも忘れて、咄嗟に煙管の吸い口を持って、ソイツに叩きつけてなければ顔に当たっていただろう。
しかし、先んじてキセルを振っていたので、羽根突きのように、じぅぅ、と濡れた何かに、熱を持っていた金具が当たる。
そうして、俺がキセルを振りぬくと、ボトリと湿った音がする。
…俺は、明かりの下、飛んできた何かを良くみた。
それは、大きな、蛭に似ていた。
ただし、気味の悪い海松色の肌は蛭そっくりだったが、赤い筋の浮いた胴からは、蛸や烏賊のような、脚が生えていた。
見たことの無い生き物である、おまけにすごぶる気色の悪いものだ。
一体、コイツは何処から来たのだろうと、思って欄間を見上げた瞬間だった。
何か鞭のようなものが、俺の首に巻きついた。
万力のような力強さであった。
しかも、先程の蛭もどきのように、ぬめぬめしている。
そのような、何かが俺の首を締め上げてくる。
俺は、いよいよ、化け物のお出ましだと思い、術理で風の太刀を組むなり、この何かを切り落とした。
厭な音がして、何かは切断される。俺は首に巻かれたソイツを剥ぎ取ると、立ち上がった。
欄間の向こう、いいや壁の向こうには、おそらく何かがいる。
ソイツは断じて、冬木沈流ではない。
狼藉を働いた何者かを打ち殺してやろうと、俺は景気良く、壁をぶちぬこうと術理を組みかけ、そこで女たちの存在を思い出した。
壁をぶち抜けば、当然女たちにも被害が出る。
女を傷物にすれば、嫁に貰って責任を取らねばならん。
俺はそこで、発動を躊躇い、ソレが命取りになった。
欄間から伸びる、どす黒いゲソのようなものが、俺の脚を絡めとった次の瞬間だった。
アッと言う間もなく、俺は硝子窓を突き破って、外へと投げ出された。
高価な硝子窓を突き破り、窓の外に投げ出されるとは思っていなかった俺は、そのまま地面に叩きつけられた。
天地無用と呟いたが最後、俺の意識は飛んだ。
焼酎の臭いがするんで目が覚めたら、病院の診察室であった。
そして医者が蒸留した焼酎で傷口の消毒していた。
どうにか生きているなと、思ったら、腰の痛みと傷に焼酎をぶっ掛けられた痛みで、死ぬかと思った。
余りに傷に沁みて痛いので医者に、唾でもつけて治す、と主張したら、破傷風になるわと叱られた。
理屈が通っているので、我慢したが、それでも十二分に痛い。
施術が終わる頃合を見て、医者に俺はどうして此処にいると尋ねた。
すると、どうも宿の向かいの店屋の亭主が、宿の前に倒れていた俺を大八車に乗せて押してきてくれたらしかった。
殺されなかったのは妙である、と思ったが、生きてれば儲けたものである。
あの化け物、窓から投げ出しやがって。
俺は、化け物に報復を決めた。
報復のために医者に礼を告げ、あの化け物の息の根を止めようと、宿に戻ろうとしたら、腰が折れるかと思うほど鋭い痛みがした。
たまらず、顔をゆがめた俺に、医者はニ三日は辛抱せいと諭すが、俺はそれどころではい。
あの気色悪いゲテモノを、今すぐ燃やし尽くさねば、腹の虫が収まらん。
意地でも、宿に戻ろうとする俺を不信がってだろう。
医者は、何故、御仁は宿へ戻りたがると問うた。
なので俺は、昨晩の話しをした。
そのあと、隣の部屋のソレを殺したいのだと正直に言ったら、医者は大笑いした。
オヌシ、夢でもみたんじゃろうて、ここいらにもう触手はおらんよと、医者は言った。
俺は、触手と言うのがなんだか解らず、説明を求めた。
医者はおかしそうに説明した。
医者が言うには、触手とはここいらに土着する獣の一種だそうだ。
蛭のような肌と、枝分かれした蚯蚓のような外観をもつ獣で、好物は動植物の体液と排泄物。繁殖は、獣や人の胎を借りておこなう。
そんな甚だ迷惑な生き物であるから、定期的に駆除されており、故に山の中ならともかく街中で出会うはずが無いと、医者は断言した。
しかし、俺は触手と出会っているのである。
俺がその事を強く主張すると、医者は酒の飲みすぎで夢をみていたんじゃろうと、取り合いもしない。
俺は夢を見ていたわけではない、と強く主張したのだが、
その時、病院の戸がノックされたので、医者は話しを終わらせてしまった。
医者は俺を置いて、新しい患者を迎えに行った。
キィイと、軋んだ音をたてドアが開くと、おそらく看護婦だろう、女が青い顔をして入ってきた。
怪我をしたか病かまでは判別できないが、よほど痛いのか、しきりに腹をさすっては、辛そうに息をしている。
しかし、どこかその姿は産気づいた妊婦にも似ていて、俺は妙だと思った。
医者は、
どうした、痛いのか?
と診察を始めたが、俺は女の白い割烹着についた染みが気になった。
洗い物をしていてついた染みには見えない、汚い喩えであるが、稚児が小便を漏らした後のような染みだ。
なぜ、そんな染みがあるのだろう?
と、と腹を押さえる看護婦を見て俺は、ちょっと不自然さを感じた。
腹が、ちょいとばか膨れているのである。
そうまるで何かが詰っているように―――
と、俺が思った瞬間であった。
看護婦は腰掛けていた椅子から立ち上がったと思いきや、股を手で押さえようとして、足をもつれさせて転んだ。
このような不信な行動に、医者が起こしてやろうと手を伸ばした時だった。
看護婦は。行き成り首を仰け反らせ、だらしなく股を開いた。
そんな唐突な、看護婦の動きに、俺と医者がギョッとした時である。
まくれた看護婦の股のあいだから、得体の知れない液体が噴出した。
ソレを真正面から引っ被った医者は、怪鳥のような悲鳴を上げ、俺の方へ逃げてくる。
何事かと思い、医者の白衣を見ると、酸でも零したかのように穴が開いていた。
俺は、首をまぐらせ、ビクビクと手足を投げ出し痙攣する看護婦を見る。
やはり、其処から吹き出たのであろう、腰巻から割烹着まで、性器周辺の布がボロボロになっていた。毛まで溶けたのだろうか、あどけない生娘か初潮前の少女の頃の様な有様である。
小陰唇から流れ出た、黄土色の液体が、ぽたりぽたりと板張りの床に垂れるたび、酸が床を焦がす音がする。
俺は、いったい何が起こったのかと、腰を抜かした医者の代わりに彼女のそばへ寄った。
女が潮を吹くとは聞いたことがあっても、酸を吹くなんて、聞いたこともましてや見たことも無い。
しかし、この目で見たい以上、あるのであろう。
俺は、おそるおそる、看護婦に近寄った。
そして、その変化は直ぐ起こった。
彼女の腹がもぞりと動いたのだ。
俺と医者は奇怪な出来事に、身構えながら、この怪異を目撃していた。
内側から、彼女の膣が開かれていく、粘度の高い分泌液が滲んでいるが、けして愛液ではないだろう。
俺はおもむろに掌を魔術の焔で覆いながら、ホトから現れるであろう、異物を見極めようとした。
医者と俺の二対の視線が注がれる、女のソコから、ゆっくりと何かが出てきた。
冷たい空気の中、湯気を立てて出てくるさまは、何時か見た馬の出産にも似ていた。
出てきたソレを見た医者は、
信じられないと零し、
俺は、
逆にやはりか、
と言う心持でソイツを仔細に観察する。
腐った肉のような色、イモリか蛙のような肌、間違いなく昨晩と同じ化け物であるが、今回は臍の緒がついている。
つまり、この看護婦が孕んで産んだらしい。
そう一匹目を調べている途中で、また看護婦が、ウッと呻いた。
何事かと、俺が振り返るなり、女は続けて(失礼だが心太を思い出させた)性器から触手の仔を産み落としだした。
十匹近くは産んだだろう、最後の一匹が生まれてきた後、それから胎盤らしきものが血と共に吐き出された。
胎の中身を全て産んでから、やっと女は安らかな表情をした。
よほど苦しかったと見える、看護婦の肌が覗いた所には、大粒の汗の玉が光っていた。
俺と医者は、この奇怪な光景を見届けると、すぐ行動を始めた。
無益な殺生は避けるところであるが、異形の仔。紳士であるなら話は別だが、触手である。
許せと、言って俺は看護婦の産んだ仔らを焼き払った。
抵抗し得ない仔を焼くのは良心が痛んだが、
望まれぬ仔、殺すのが情けであろう。
そうして、俺が完全に病院内の触手を殺すと、医者は、やっと俺の話しを信じた。
医者は、触手の降ろし方を知っているとのことで、治療は医者に任せることにして、俺は退治に専念する事にした。
杖をつきつつ、宿まで戻ると、下駄を履いたまま宿に上がった。
この俺の狼藉に当然宿の亭主は怒ったが、
俺はこの阿呆のせいで殺されかける羽目になったのである。
黙れ、触手狂いのド外道め!と、罵ってから蹴っ飛ばした。
俺に蹴飛ばされて、宿の主は表で伸びた。
いい気味であると、俺は、清々しながら、まだ宿に残る客に向けて言う。
これから喧嘩をおっぱじめる、死にたくなければ出て行け。
と忠告してから、俺は煙草に火をつける。
風の魔術で煙を逃がさぬよう、正確に、冬木沈流の部屋に流し込みながらまつ。
理由は知らないが、煙草の煙を触手は嫌う。こうすれば、仔作りに励んでいる触手とて、息苦しさに、子種を胎に注ぎ込むのをやめて飛び出すだろうさ。
それから、俺は、加減抜きの魔術を冬木沈流の部屋目掛けて炸裂させた。
昼間から酒を飲んでいた酔漢どもは、書生風の俺が、魔術を行使したのに心底キモを冷やしたようだ。
慌てて逃げる様が、痛快である。
さて…、俺の放った魔術だが、
呼び寄せた暴雨は低い天井をブチ抜いて、縦横無尽に宿の中を吹きぬける。
そうして、襖を引き裂き、欄間を割り、雨戸を吹き飛ばし、お天道様のもとに触手のヤロウを曝してやった。
俺はその時、初めて触手なんて代物を拝んだが、気持ち悪いったりゃありゃしない。
あのヒルの親である。どうせ力士のように膨れた胴体に、イソギンチャクのようなものが生えていると予想していたのだが、違った。
畸形の生き物と言うべきだ。臓物の色をした蔦が腫れて膿んで、そこに獣とか虫とかの部品をあわせればそうなるだろう。そんな気味の悪いものが、女に粘液をたらしながら、ヌラヌラと絡む様は、なるほど何処か隠微である。
しかも、女が縛られているのも、またいやらしい。
なので、触手で縛られればよけい、卑猥なのは言うまでも無かった。
妄想をかきたてるような春画と文章で表現すれば、暗い欲望を呼び覚ますだろうなあ、と俺でも思った。
そんな事を思っていると、触手は、腹の膨れた(どうせ孕んでいるのであろう)女たちを棄て、俺に襲い掛かってきた。
絞め殺すのか、ねじ切るのか知らないが、恐るべき速さで、触手が迫る。
だが、所詮速いだけである。昨日の晩の再現、俺に触れようとする触手を片っ端から切り裂いていく。
斬るたびに、強い酸性の血液か体液が零れ、ぶすぶすとあたりを焦がす。
しかし、鼻がひん曲がるような臭いだ。
そんな具合に、化け物と戦っているものだから、野次馬が集まってくる。俺は、気にせず、魔術でのカマイタチを連発していたのだが(一息に殺しはしない、ナマスのように刻むつもりだ)、どうにも周りの様子がおかしい。
乳繰り合うものもいれば、自慰に耽る者まで出る始末。
なるほど、催淫の効能があるのかと知った。
本当に都合のいい生物だ。
そうして半刻ほど一方的に斬りつけていたのだが、やはり獣だ、弱ってくる。
どこもかしこも傷だらけ、見方によれば、俺は悪鬼だろう。
コレでも、ちゃんと信心と仏心はあるのだ。
生かしてやろうか、とも頭の隅で思ったが、辞める。
昼間っから嬌声を垂れ流し、腐臭を漂わせる目前の汚物は、紳士でもなんでもない。
しかもコノヤロウ、俺を殺しかけやがった。
故に、万死に値する。
死んで詫びろ。
なので、面倒臭くなった俺は大きな火の玉を呼び出すと、宿ごと焼き払った。
その後の話だ。
宿の亭主は触手を不法に繁殖させていた事が原因で、憲兵に捕らえられた。
その触手だが、やはり触手は冬木沈流の持ち込んだものだったらしい。
どうも、持ち込んだ触手に殺されかけたばかりか、利害関係の一致した亭主と触手に追い出されたらしい。
ちなみに本人は殺されずに、逃亡していた模様である。
俺が触手を殺したと知ったら(新聞に掲載されたので、逗留している宿に電報が届いた)、感謝なのか文句なのか判断のつけ辛い手紙を寄越した。
読めば、冬木沈流は触手に襲われる女性を題材に、耽美な小説をまた書き上げようとしていたそうだ。
その題材の触手を殺されたのは、不服だったようだ。
だからか、手紙の最後には、あの触手は珍しい胎生で卵とは違ったことが出来たのにと、付け加えられていた。
まったく変態が文豪だとは。
俺は、やや幻滅しながらも、ちょっとだけ興味がわいた。
触手に引導を渡したのが悔やまれた。
文豪の触手である。
躾ければ、男でも襲うだろう。
あの、女誑しの異母兄弟どもを揃って男色に堕としてやれたのにと、思った。また、元々女を食うイキモノだ、あの義母を孕ませてやったらどれほど痛快だろうか。
俺はそんな事を悔やみながら湯に入った。
湯につかりながら思う。
まだ、希望はあるのだ。
あの後、触手の仔で思わぬ儲けが出来たからである。
媚薬によし、
売るのもよしと、
触手の仔はやたらと高価だったので、医者と二人で儲けた(ただ、産婆の技術の無い男二人で、二十人を超える女から触手の仔を降ろすのは、もう二度とやりたくないが)からだ。
そして、俺の手元には、小さな瓶詰めの触手の仔が一匹ある。
頭の固い、我が血族を襲わせると言う、壮大な嫌がらせを夢想しながら、俺は湯船へと潜った。
了