田舎に帰る途中、とある村の駐車場で夜を過ごした。
目を覚ますと、夜は暗かったので気がつかなかったが、丁度駐車場に面して喫茶店がある。
そこで軽く朝食でも摂ろうかと思ったが、生憎とまだ開いていないようだった。
車中では、連れがすうすうと寝息を立てているので、音を立てないようにそっと外に出た。
慌てて出発することもないし、少し歩くかな…。そう思った俺は、喫茶店の隣にある物を
見て感嘆の声をあげていた。
「はあ〜、なっつかしいな〜。こんな車両がまだあるなんて…」
そこには、すでに廃車となった列車が置かれてある。キハ20系車両…もうほとんど残っ
ている車両はないはず、だ。
ガチャ
俺がぼうっとそれを見ていると突然扉が開いて、中から男が出てきた。年は…30代後半
……かな?
「おや、どうしましたですか? この列車が珍しいですか?」
「え、ええ。珍しいも何も、確か10年位前に同系車種は現役を退いてて、現存するのは
あと数両のはずですよ。
そんな車両に、失礼ですがこんな場所でお目にかかれるなんて……」
「は〜、じゃあ今ではこの列車に暮らしているんですか」
俺はしばらく男と盛り上がっていた。彼は隣の喫茶店の御主人だそうで、脱サラしてこの
村に移ったとのことだった。
男は別に鉄道マニア、という訳ではないのだが、この車両そのものに思い入れがあるらし
く、昔を語りだした。
それはとても不思議な、にわかに信じるには無理がある話だった―――
「ふう。疲れた……やっと帰れる…」
オレは終電に飛び乗り、思わず溜め息をつく。何せ仕事が膨大で、ここ3日ほど泊り込み
だったから。
帰ったら何をしようか…久々の休みだし、気分転換にどこか行こうか、それとも家でゆっ
くり休もうか……
そんなことを考えているうちに、いつしか完全に寝入ってしまっていた。
「もしもし。あなた、こんなところで寝ていたら、風邪をひきますよ」
肩を揺り起こされて目を覚ます。目の前には車掌の姿。オレはぼんやりした頭を振って身
体をゆっくりと起こす。
辺りはすっかり暗闇に包まれ、自分がどこにいるかも分からない。
……は? ここは…どこだ!?
「どこも何も…ここは車両倉庫ですよ。あ〜あ、誰も起こさなかったのですか。仕方ない
ですねえ」
思わず叫び声をあげるオレに、呆れたような女性の声。……女性の声?
同時に非常灯がパッとつく。すると、目の前に、車掌姿の女性がいた。だが、その手には
何故か箒。……清掃員?
いや、それにしてもこんな時間に、しかも一人でいるはずがないだろうし、車掌姿の清掃
員なんて聞いたことがない。
何者なんだ? おたくは?
「えっと…私は、この列車の精霊です。ま、人間には付喪神とも言われますが……」
ツクモガミ…? 確か100年経った物に宿る精霊で、人間に害を及ぼすんだったっけか。
だから、その1年前である99年目が経過した物は処分してしまう、と聞いたことがある。
九十九髪、とも漢字で書いて、白髪をも意味するんだよな。そんなことを死んだじいちゃん
に聞いたっけか。
「そ、それは誤解です!」
警戒するオレに泣きそうな顔で答える彼女。…そういや、名前は?
「名前は……あずさ、と言います…」
八時ちょうどの〜…って、オレはいったい幾つだ。それにしても…車掌の服装をしているが、
よく見れば可愛いな。
年の頃はオレと同じ20代前半、ショートカットでちょっとお嬢さん風。…ツボに入ってい
るかも。
いやいや、人間ではないのなら、年齢はあてにならない。まして、憑喪神、とか言うなら本
当は幾つなのやら…。
…っと、彼女の外見はさておき、人間に害を及ぼすので無ければ一体何をしているんだ?
「………最後の、お掃除です」
「は?」
「見てのとおり、この車両はもう完全に古くなり、今日の終電がお客さんを乗せる最後の運
行だったのです。
それで……せめて消えるときは綺麗な姿でいたいと思い、最後にお掃除をしていたのです」
ふうん。最後のお掃除、か。それなら、オレも手伝おうかな?
「え? い、いいのですか?」
構わないさ。最後の運行ってことはオレは最後の客ってことだろ? これも何かの縁さ。
どうせ明日は休みだし、何をするかは決まってないからゆっくりできるし、ね。
「お優しいのですね……。それでは、お願いいたします」
スーツを脱ぎながら答えるオレを見て、ペコリとお辞儀をするあずさ。……いかん、相手が
人間でないことを忘れそうだ…。
「ふう…。これでよし…と。お手伝い、どうもありがとうございました」
車内の清掃が終わり、溜め息をつきながらオレに礼を言ってくるあずさ。
オレは座席に大股を開いて座り込み、肩で息をしていた。マナー違反な座りかただが、他に
誰もいないから気にしてられない。
こびり付いたガム、落書き、椅子のシミなど、それらを落とし、隅々まで磨き上げるその作
業はなかなかの力仕事だった。
日頃体を動かしてはいないので、体の節々が悲鳴をあげている。
だが、その甲斐があって、車内はみちがえるように綺麗になっていた。
「だいぶお疲れのようですね…。それでは、最後にお願いがあるのですが……」
は? 最後の願い? 言うか早いか、あずさは怪訝そうな顔のオレの股の間にしゃがみ込み、
ズボンのファスナーを下ろした。
同時に非常灯も消え、辺りは暗闇に覆われている。……文字通り、鼻をつままれてもわから
ない状態、だ。
しかし何だ? 何をするんだ!? やはり人を疲れさせといて、動けない隙を突いて精を搾
り取る気なのか!?
「ち、違います! その…最後のお客様である、あなたに…その…お情けをいただきたいな、
と…」
薄ぼんやりと周辺だけ明るくなる。ふと見ると横にランプ型の懐中電灯が灯っている。
手をピタリと止めてオレを見上げるあずさ。その不安げな目を見たとき、もう取り殺されて
もいい、そう思っていた。
オレは自らベルトを外し、ズボンを脱いだ。股間を覆うは……しまった。ネコ型ロボット模
様のトランクスだった。
くそう…こんな出来事が待っていると知っていたら、勝負パンツを穿いていたのに……。
「あら、可愛い下着ですね。…それでは、失礼いたします…」
あずさは、まるで気にする様子でもなく、さらりと流してトランクスに手を伸ばす。
「うわ…大きいですね」
トランクスをずりさげ、露わになったモノを見てポツリとひとこと。
残念ながら、まだ戦闘状態には入ってはいない。そんな状態で大きい、と言われてもな……。
「そうなんですか? 結構深夜の電車の中では、出している方がいらっしゃいましたけれど
も、そんな方に比べても、大きいほうだと思いますよ」
……そんな変態がいるのか。と、いうか、あまりそういう連中と比較してはもらいたくない
のだが…。
うっ! 油断している隙にそうっと亀頭部分を咥え込む。軽く当たる歯がまたイイ……。
さらに、サオに沿って右手の親指と人差し指をゆっくりと上下させ、左手は掌で袋を撫で回す。
その力加減も絶妙で、今までのどんな女よりも上手に思えた。
「ん〜。んんっ…。……んっ」
両手をぱっと離し、亀頭を咥えたまま腰を浮かすあずさ。…いったい、何をする気だ?
「うん……んっ」
その姿勢のまま、あずさは両手でオレの両足をそっと閉じ、ゆっくりとトランクスを脱がし
ていった。
「ん…んっ……。れろっ…っ……れろ…ちゅっ…ちゅぱ…ちゅくっ……」
トランクスを完全に脱がしたあずさは、再びオレの両足を開いて股の間にしゃがみこむ。
相変わらずモノを咥えたまま、時々音を立てて吸い込むように執拗に。
く……。何て上手な…。
「ん〜…んっ…。ふう……だいぶ、ご立派になりましたね」
ぱっとモノから離れるあずさ。同時にオレのモノがピンと跳ね上がり天井を向いている。そ
んなモノを見てのひとこと。
仕方ないだろう? こんな上手な舌使い、今までお相手したことなんて無かったんだから、な。
「ん。…れろ…れろ…れろれろ…」
今度は、左手で亀頭を軽く握り締めながらカリの部分に舌を伸ばす。うっ…何て巧みな舌使
い……。
プチ…プチ……
しんとした車内に響く音。薄目を開けてみると、あずさが右手でブラウスのボタンを外して
いる。
「よい…しょ……」
両手でブラウスの前をがばっと広げる。そこには、ブラに覆われた豊かな胸が見える。
しかも懐中電灯のおぼろげな灯りが、幻想的な美しさを醸し出していた。
と、彼女の右手が背中に回りプチンと音がしたかと思うと、ブラの戒めが緩み、胸がぷるん
と弾んでいた。
……まずい。オレの心の奥底に眠る、巨乳への憧れが……。
「あ…あんっ」
無意識のうちに胸に手が伸び、優しく揉みあげる。あずさは艶っぽい声をあげ、体をオレに
近づけてくる。
「もっと…もっと腰をこちらに……」
とろんとした目つきで囁きかけるあずさ。オレはあずさの胸を揉み続けながら、ゆっくりと
腰をずらしていった。
「ん…しょ……んっ…んっ…れろ…れろっ…」
あずさは、オレに体をぴったりとくっつけたかと思うと、そそり立つモノを自らの胸で優し
く挟み込んだ。
うっ…。こんな大きな胸に包まれる我がムスコよ……何て羨ましい。
胸を揉むオレの手を握り締めながら大きく円を描くように動かす。さらに、舌を伸ばして尿
道口をペロペロと舐め上げる。
オレはモノを蹂躙するコンボに全身から力が抜け、恍惚とした表情を浮かべていた。
「れろ…れろ……ちゅっ。気持ち…いいですか?」
舌をモノから離し、くちづけをしたかと思うと、あずさが顔をあげ、オレに尋ねてきた。
もちろん、両手は動かしたままで。オレは何も言えずにただひたすら、顔を上下にガクガク
動かすことしかできなかった。
どれだけそうしていたか、突然モノから伝わる快感が強くなってきた。
「くう…っ…。あ、あず…さ…、イ、イクぞっ…あずさっ!」
同時に全身に寒気のような震えが走り、目の前が真っ暗になったかと思うと、
オレは彼女の名を呼びながら絶頂に達し、モノから快感の結果である白い液体を放出していた。
「んっ。……んん…んっ…ん…ん…」
あずさはモノから吹き出す第一波を顔面に浴びてしまった。
が、第二第三の波が来る前に、急いでモノを咥え込み、自らの口の中で受け止める。
さらに、モノを胸から解放したかと思うと、今度は右手で優しく上下にしごきあげてきた。
オレはあずさの頭を両手で抱えながら、快感に身を委ねていた。
「あの…。それでは……お願い…します…」
モノの律動がようやく収まり、モノをしごき終えたあずさはおもむろに立ち上がり、カチャ
カチャと音を立てベルトを外す。
同時にスラックスが重力に逆らえずに床に落ち、その光景を夢でも見るかのように、ぼうっ
と眺めていた。
着地するまで、時間にして1秒もかかってないはずだが、何故だかそれが妙に長く感じてい
たのを覚えている。
バックルが床に落ちたとき、カチリと音が鳴り響き、同時に夢から覚めたように、
オレの視線は自然と下腹部に向かうが、真っ白な下着が逆デルタ部分を覆い隠している。
上半身は相変わらず車掌姿で、しっかりと帽子や腕章まで着けているが、その一方で下半身
は下着のみという、ギャップある姿に興奮したオレは、既に一度果てたにも関わらず、モノ
に血が集まるのを感じていた。
「その…じっと見られると…恥ずかしい…です……」
あずさは真っ赤になって抗議する。だが、そんなことに構ってはいられなかった。
オレは再びあずさの下腹部に視線を移した。よく見ると、真っ白い下着の向こう側がうっす
らと黒く見え、さらに逆デルタの頂点部分は色が少し変わっている。そっと中指でそこを撫
でると……
「あ…あんっ」
身をくねらせて甘い声をあげるあずさ。中指には湿った感触がある。そうか、もう濡れてい
るのか…。
「はい……。あの、お、お願い……します…。意地悪しないで、く…ください…」
下着越しに割れ目を擦りつけながら、つぶやくオレに内股でガクガク震えながら懇願するあ
ずさ。
「むぐ…うう…っ…」
その姿がたまらなくなってきたオレは、立ち上がりざまにあずさを抱きしめ、くちびるを奪
った。
ためらいがちに、オレの背中に手を回すあずさ。そのままオレはゆっくりと舌をあずさの口
中に侵入させる。
…少し、苦い。あずさの口の中は、さっきオレの絶頂を受け止めた余韻のせいか、そう感じ
られた。
だが、そんなことを考える余裕も無く、オレはあずさを抱きしめ続けていた。
「はあ…んっ…」
くちびるを離すと、甘い吐息を漏らすあずさ。
オレはあずさの背後に回り、左手で胸を揉みながら、右手は彼女の下着の中に潜り込ませて
いた。
「あん…あ…っ…ああっ…」
目の前の吊り革に手を掛け、喘ぐあずさ。すでに割れ目は濡れそぼり、モノを受け入れる準
備は整っていた。
ふと前を見ると、窓ガラスが反射してオレたちの姿が見える。
……何だか、痴漢行為を行なってるみたいだ、オレ……。
自分の考えに妙に興奮してきたオレは、モノをあずさの太股に挟み込ませて前後に動かす。
「あ…あ…ああ…あ……」
同時に腰をガクガクと震わせ、断続的な悲鳴をあげるあずさ。オレは一旦モノを抜き、下着
を一気にずり下ろした。
そのとき、下着と割れ目の間に透明な糸が引かれているのを見て、思わずつぶやく。
「へえ…興奮してるんだ。大洪水じゃない」
「い…言わないで…は…あ…ああんっ…」
オレの言葉に、息を詰まらせながら抗弁するあずさ。顔は…暗くてよく見えない。多分、照
れている、かも。
「でもなあ……オレは本当のコトを言っただけなんだけれど、ね」
「は! ああ! んっ! くっ!」
そう言いながら、思い切って割れ目に指を差し入れ、前後に動かす。
くちゅくちゅと湿った音を漏らしながら、あっさりと受け入れたかと思うと押し殺した悲鳴
をあげ続ける。
「なあ…気持ちいいか?」
「は…、はいっ! き、気持ち…気持ちイイ、です! もっと…もっと、気持ちよく、させ
てくださあいっ!」
腰をオレに向かって突き出しながら、あられもない声をあげるあずさ。
その姿と声にたまらなくなってきたオレは、指を抜いて代わりにモノを一気に潜り込ませた。
「あ! イイ! イイ! もっと…もっと! もっと激しく突いてっ! ぐちゃぐちゃにし
てっ!」
悲鳴に近い声で喘ぎ続けるあずさ。
その声に反応するかのように、オレは腰の動きを早めると同時に背後から、その豊かな胸を
荒々しく揉みしだく。
「スゴイ…スゴイよ! ……こんなの! こんなの初めて!」
目尻に涙を浮かべ、口元からは透明な糸を光らせながら、悶えるあずさ。
その仕草が可愛くて、オレはひたすら腰を動かし続けていた。
「わたし…わたし……もう、イッちゃいそう…です…ぅ」
あずさが全身を震わせながら、声を漏らす。その目には恍惚とした怪しい光を湛えている。
「あずさ…もう、もうオレ…オレ……!」
まるで、その視線に射すくめられたかのように、一度果てたにも関わらず、
早くも限界が近づいてきたオレは思わず声をあげていた。
「キテ…キテください…私と…私と一緒に…キテください…っ…」
そんなオレに優しく微笑みながら答えるあずさ。
まるで、その微笑みがスイッチだったかのように、オレはあずさの中で今日2回目の絶頂を
迎えていた――
「お、おいあんた! 大丈夫か!? しっかりしなさい!」
不意に肩を掴まれて目を覚ます。…え? あずさ…は?
「いやはや…油断して乗員を確認していなかったのか、昨日の連中は…。まったく、申し訳
ない。
ここは、車両倉庫なんだ。どうやらあんた、一晩中ここで過ごしていたみたいだけど…大丈
夫かい?」
目の前には、作業服を着た年配の男性。…ふと顔をあげると外から朝日が差し込んでくる。
オレは首をめぐらせてあずさの姿を探すが、それらしい姿はどこにもなかった。
改めてオレの服装を確認するが、着衣に乱れは無くスーツを脱いでいるだけだった。
…やはり、昨夜の出来事は夢だったのか? そんなことを考えながら、男の手を借り、ゆっ
くりと体を起こす。
「それにしても…ここから出なくて不幸中の幸いだったよ。無理矢理外に出たら、真っ逆さ
まだったからね」
何事もなさそうなオレの姿を見て、安堵の溜め息をついて外を見やる男。外の光景を確認し
て、オレは冷や汗が出てきた。
ここは丁度、ターンテーブルの上。もし彼の言うとおり、気がつかないで外に出ていたら、
あんな真っ暗闇だったんだ、大怪我はまぬがれなかっただろう。いや、ひょっとしたら命さ
えも……。
そう思うと改めて背筋に寒気が走っていた。…これも、あずさのおかげ、かな?
「しかしまあ……一体どうしたものか…」
「何か…あったのですか?」
「うん…。この車両、お客さんを乗せるのは昨日が最後で、廃棄処分されるんだ。
だからせめて、最後ぐらいは綺麗に磨いてあげたいと思って来たんだけれど、その必要がな
いくらいなんだよ。
まさか、車両が自分で自分を掃除するなんてわけは無いし、不思議なこともあるもんだ。
それともまさか、あんたが掃除してくれたのかな?」
オレは何と答えていいか分からずに、呆然としていた。…やはり、昨日の出来事は、夢じゃ
なかったのか―――
「…で、この車両に情が移ってしまった私は会社を辞めて、どうにかお金を集めてこの車両
を購入して、ここで喫茶店を始めたんですよ。また、ここまで運ぶ輸送費が予想外でしたが、
人生、何が転機になるか分かりません、今では充実した毎日を送れてますから。…これもあ
ずさのおかげです」
「はあ、そうなんですか」
タバコに火を付け、肩をすくめながら男は話し終えた。彼の目はどこか懐かしい、遠くを見
るような目をしていた。
俺はただひとこと、そう答えながら考えていた。ふうん、そんなこともあるのか……。
「敏則さ〜ん!」
そのとき、背後から俺を呼ぶ声。振り返ると、夕那が車から降りてこちらを向いていた。
ふう…やっと起きたか、寝ぼすけめ。
カランカラン
「あなた! そろそろ開店の時間なんだから、早く仕度を手伝ってください!」
喫茶店のドアが開き、男の妻と思われる女性がこちらに向かって叫んでいる。
「おっと……もうこんな時間ですか。それでは仕事なんで、これで」
俺に向かって軽く手を上げながら、喫茶店に向かって歩いていく。そうか、もうそんな時間、
か。
「あ……って、ことはこれから開店ですよね? こちらで朝食にしようと思ってたんですよ。
もうよろしいですか?」
「ええ、もちろん。早くお嬢さんを連れてきてあげてください。焼きたてのパンでお出迎え
しますよ」
俺の質問に、にっこり笑って応える男。それを受けて、俺は夕那にこちらに来るように促した。
「も〜う、目が覚めたら姿が見えないんですもん。どこに行ったかと思いましたよ」
「ははは、喫茶店の御主人と話し込んでてね。今なら焼きたてのパンがあるってさ」
俺の腕にしがみつき、くちびるを尖らせて文句を言う夕那に俺は返事をした。
「ホントですか!? 夕那、お腹ぺっこぺこです!」
それを聞いた夕那は、目を輝かせて小躍りしながら喫茶店に向かって歩き出す。
俺は夕那を見つめながら、先程のご主人の言葉を思い出していた。
『人生、何が転機になるか分かりません』…か。
かくいう俺も脱サラ組で、教員免許を取って田舎に戻るところだったのだ。実は目の前の夕
那は人間ではない。
……数年前、母親に殺され、ビルの屋上の給水塔に投げ捨てられた娘の幽霊なのだ。
あの時は、俺自身も勤めている会社に嫌気がさし、ビルの屋上でサボっているときに彼女に
出会った。
それからしばらくして、夕那は俺の家で暮らすようになっていた。…まるで、自分が死んで
いることを忘れているかのように。
彼女自身、自分の死を自覚しているかは分からない。だが、それを口にすることはできなか
った。
言ってしまうと、夕那がどこかに行ってしまいそうな、そんな気がしていたから。
だから名前を由奈から夕那に変えた。もっとも、読みが一緒だから、あまり深い意味はない
のかもしれないが。
『敏則さんってお勉強教えるの上手いですよね。こんな先生だったら、由奈もしっかり勉強
していたんですけれど』
そんなある日、夕那は俺に何気なく言った。そのひとことが俺の人生を変えることになった。
これから、どんな生活が待っているかわからない。
会社を辞めなければよかった、と思うこともあるかもしれない。
だがそれでも、自分で決めた道だ。何があっても、前向きに生きていきたかった。それに――
「もうっ、どうしたんですか敏則さん? さっきからずっとぼうっとしちゃってて。…入ら
ないんですか?」
「あ、ああ。何でもないよ。さ、早く焼きたてのパン、食べようよ」
「わっかりました! さ、入りましょう!」
夕那の声ではっと我に帰る。喫茶店の前で、夕那が上目遣いにじっと俺を見つめていた。
俺は軽く微笑んで夕那に答え、中に入るよう促す。
それを見て、夕那は上機嫌になって喫茶店の扉に手をかけた。
――それに彼女の屈託のない笑顔がそばにある限り、どんな困難なことも乗り越えられる。
俺は夕那の後ろ姿を見つめながら、そう思っていた。
「…? どうしたんですか、あなた?」
「いや……なんでもないよ、あずさ」
オレは怪訝そうな顔をしている妻――あずさに返事をした。
「もしかして、またあの時の話をされたのですか? そんなことを話せば皆、気持ち悪がる
だけに決まってるじゃないですか」
確かにそれはそうだ。実は目の前のあずさが人間じゃない、なんて信じる人がいるはずがない。
たとえ本当にそうだったとしても、ね。だが……
「ま…それならそれでいいじゃないか。旅人の思い出の与太話にでもなれば、さ。それより
…お客さんだよ」
カランカラン
「あ…。いらっしゃいませ〜」
オレが話し終えた途端、扉が開いて、先程の若者と可愛い娘さんが並んで入ってきた。あず
さは笑顔で迎える。
「おはようございます! 焼きたてのパン、ありますか!?」
「はいはい、今すぐコーヒーをお煎れしますから、お好きな席でお掛けになってお待ちくだ
さい……」
元気な声で挨拶する娘さんに返事をしたオレは、コーヒーカップを二つ、戸棚から取り出した。
おわり