私、庚朝顕とメイドの千佐都の二人が住む屋敷の庭は、祖父の趣味で無駄に広く、無駄な樹木が無数にある。
統一感のない雑多な庭を千佐都はとても気に入り、夏は蝉の脱け殻を拾い集めて私を驚かせたり、甲虫や鍬形を採集しては闘わせていたりした。
彼女は時々すっとこどっこいだ(そこが可愛い)。
もう一つ千佐都はこの祖父の屋敷の趣味の部屋も気に入っている。
私からすると悪趣味の古い汚い西洋甲冑や、日本の不気味な兜や小道具、部具を整理し掃除をすることを喜び、一日中入り浸っていることもしばしば。
告白して晴れて恋人になった筈なのに、千佐都の態度は堅いまま。
私を避けているようにも見える。
昨日は後ろから抱きしめようとしたら悲鳴をあげられてしまった。
千佐都いわく、
「仕事中は、迷惑です」
とそっけない。
赤くなった困り顔も可愛いから、それを楽しむためだけにそっと近付くこともある。
ただ手を握りたいのに、触れたいのに、千佐都は少しも私に甘えてもくれない。名前を呼ぶように頼んだのに、即効で却下されたのも恥ずかしがっているからだと思い込みたい。
贈り物をしようにも彼女の好みは難しい。
高価で豪華な宝石も、薫り高い美しい花も興味がないようだ。
知り合って間もない頃に、彼女が甘い菓子が全く食べられないことを知らずに、たくさんの焼き菓子を手土産に渡して困らせたことがあった。あれは私の失態だった。
あの時の千佐都は私の思い込みをようよう訂正し、縮こまり、すまなさそうにしていた。悪いのはリサーチ不足の私の方なのに。
そんな千佐都が私の告白を受けてくれたのは、彼女を魅了する、この屋敷の悪趣味と雑多な庭のおかげではないかと不安になっている。
職務以上の何かが足りない。
私はこの屋敷の付属品ではないことを確かめたいが、千佐都に嫌われたくない。
…ヘラクレスなんとかのカブトムシをプレゼントしたらいいのだろうか。
「旦那さま、今日はとても天気が良いですね」
日曜の朝食後、千佐都は庭に出ないかと誘ってきた。
珍しい。
千佐都手製の軽食とワインをバスケットに詰めて、ブランケットを広げ、庭で昼を摂ることにした。
薔薇が薫る東屋を通り過ぎ、寂れた庭の気に入りの場所に着くまでの千佐都の1つにしたお下げがぴょこぴょこと背中で跳ねる姿が嬉しそうだ。
私はブランケットとホットコーヒーを入れた保温ポット、千佐都はバスケットを分け持って歩く。
バスケットも私が持つつもりだったのに、千佐都に断られた。
「私の仕事ですから」
襟と袖は白の他は黒地のワンピースに、繊細な細工を施したレースの真っ白いエプロン、黒のハイソックスにストラップ付きの靴。
彼女のほっそりとした姿によく似合っている。
赤や黄色の落ち葉の中をさくさくと軽やかに歩いて行く。
夏の間に目をつけていた色づいた蜜柑や、柿や若い針の栗の木を見つけては食べ頃を気にして、はしゃいでいる。
「うちの者は誰も食べたことはないが、あの柿は全部、渋いんだ」
「えっ。どなたも召し上がらないのに、なんで分かるんですか」
「鳥が食べているのを見たことがない」
丸々と驚いた瞳で私を見つめたあと、少し眉毛を下げた千佐都は残念そうにうつむく。
そんなに柿が食べたかったのだろうか。顔を覗こうと頭をさげようとした時
「渋柿なら、干し柿が作れますよね」
とまた思いもよらぬ反応に
「君は作れるのかい」
と返す。
「いいえ。作れません」
と機嫌良く歩き出す。
それから銀杏の雄しかないことを惜しみ、茶碗蒸しについて熱く語る。
足を止め、振り返り私を見ると
「旦那さま、キンモクセイが香りますね。いい匂いがします」
千佐都の自然な笑顔。
悪くない。
生ハムとカッテージチーズとスライスオニオンとケーパー、黒胡椒を利かせたサンドイッチとよく冷えた白ワインで済ませ、林檎を食後のデザートに半分ずつ。
ワインを勧めたのに、飲もうとしない。
「仕事中ですから」
「今日は日曜だし、私がいいと言ってるのだから。
さ、一緒に楽しもう」
少しだけ沈黙して、にこりと笑い
「いただきます」
千佐都は好きなものを見るとき、好物を口にする瞬間にふんわりと柔らかい表情になり無垢な笑顔になる。この笑顔を初めて見たとき、誰にも感じたことのない感情を覚えた。
だから独り占めするために拐った。
だからメイドとして雇い、この屋敷に閉じ込めた。
ああ、この一瞬をもっとずっと味わっていたい。
この笑顔を私に向けてくれるなら、どんな労力もいとわない。
千佐都の笑顔は私の魂を絡めとり、操り人形のようにしてしまう力がある。
本人に気取られないように浮き立つ感情を抑える。
食後のコーヒーを喫しつつ庭木を見ながら病葉を拾い、ぴらぴらと振りながら、とりとめなくおしゃべりをする。昼食を片付けたあと千佐都はブランケットに、ころんと転がり手足を伸ばし横になった。
「旦那さま。こうしてみると空が高くて、とても気持ちがいいですよ」
ほらほら、御一緒にいかがですか?と満面の笑みで誘う。
それならばと千佐都と同じく手を頭の上に上げ、体を伸ばす。
「ああ、気分がいい」
「でしょう?
ぽかぽかしてますでしょう」
千佐都は私の寝転ぶ姿を認め、小さく笑いぽつりと
「私、小さい頃、こんな感じの広くてたくさんの落ち葉の中で真っ白な座敷童子に会ったことあるんです。
ビスクドールのような服で脚にはギブスをつけた妖精なんです」
なんだ、それは。
すっとんきょうにも程がある!
思わず額に触れようと手を伸ばしたら
「酔ってません。
それは夢だと父に言われました」
ぷん、と避けられた。
「すごくきれいで幸せな夢だったからいいんです」
それから無邪気な様子で人差し指を掲げ、あれこれ空に浮かぶ雲の形に言及していた千佐都がふと静かになった。
無防備にすうすうと眠る千佐都。
そっと近寄ってみたが起きそうにない。
音をたてずにバスケットを片付け、千佐都の横に座り込んだ。
シート代わりのブランケットから足がはみ出しているので体を少し引き上げる。千佐都は軽い。
ふむ。
枕替わりに私の膝を提供しよう。
解れた髪が顔にかかっているのを直し、つやつやした黒髪をなぜる。
安らかに寝ている顔をもっと見たくて眼鏡を外した。
千佐都は肌が白い。日焼けをしにくいと言っていた。まだその素肌は見せてもらえそうにない。
膝を曲げ眠るスカートの裾の白いパニエが覗く。黒のハイソックスの膝の裏、肌の白さをうらめしく思う。
髪を下ろした姿も見せてはくれない。いつもきっちりと三編みか、ひとつにまとめたおだんご。
三編みの毛先で千佐都のほほをくすぐる。起きない。
頭を撫でているうちに、髪をほどきたくなった。
きつい三編みをゆっくり解き背中へ流してみれば、癖が出来て緩やかなウェーブになって、うねうねと広がる。
綺麗だ。
横になって目を閉じている姿ではなく、起きて目を開けた姿で見てみたい。
起こそうか。
もぞりと千佐都が小さく動く。
「う…ン」
私の膝に片頬を当て、ひたりと手を添えた。
千佐都の息と、あたたかい手の感触に暫くはまだ、このままでいいか、と上着を脱ぎ千佐都の肩に掛けた。
「くしゃん!」
体ごと、前屈みになった弾みで足まで大きく揺らしてしまった。
ぱちりと目覚めた千佐都は、きょときょとと瞳を瞬かせ、上から覗いている私の顔を不思議そうに見つめた。
視線が数秒止まったと思ったら、視線は私の顔から外さぬまま、黙ったまま静かに起き上がり私から離れた。
何か言おうと口を開いた時、千佐都が小さく呟いたのを聞き逃した。
「…ぃです」
そして、はっとして髪に手をやり、ほどけたことに不審げに目を下げ、そして私を見やる。
「…千佐都?」
何か問いたげな目で、私へ訊きたいことがあるだろうに、おし黙ったまま、小さく佇む姿に私も言い訳の言葉が出ない。
傷つけた。
何かを傷つけてしまった。
私を疑い責めて怒ればいいのに。怒鳴って駆け出し逃げてくれたら、追い掛け捕まえて謝罪するものを。
私が主人で千佐都はメイドだから、職務放棄など考えたこともない千佐都だから。
千佐都は怒りでもなく、悲しみでもない感情が読み取れない表情で懸命に言葉を考えているようだった。
「こんなのは、おかしいです」
ようやっと千佐都の口を開く。
ひやりとした。
おかしい?この関係が?
ああ。恋人返上宣言でないことを祈る。
千佐都が私に許した触れる権利を手放したくはない。私に与えられた独占権を奪わないでくれ。
「メイドが居眠りしたら、叱って起こしてくださらないのは主人の怠慢です。酷いです。
私は、至らないメイドで日々、旦那さまにはご迷惑をおかけしてしまっています。
けれども旦那さまがお仕事に専念できるよう、毎日きちんと快適に過ごせるよう、ご満足していただけるよう、休日はごゆっくりとお寛ぎできるようにして差し上げたいのに、私の仕事の邪魔ばかりをするなんて酷い。
勤務中のメイドがお酒を飲んで主人の膝で眠るなんておかしいです」
なるほど。
「私、私は旦那さまのために…」
うんうん。私のため。
「こんな、こんな…」
段々と声が小さくなり、言葉をつまらせ泣きそうな瞳で私を見る。
主人のための計画を当の本人が構わず、居眠りしたメイドを膝枕する主人はたしかにないな。
千佐都が持つ2つの切り札に気付かれなかったことの快哉に思わず頬がゆるむ。
乱れた長い髪がひとすじ千佐都の顔に流れ、いつものメイドらしい風情と違う、眼鏡のないかわいらしい姿の必死の訴えにうっとりする。
「最近の旦那さまは」
キリッと表情を改め、決意を込めた目を私に注ぐ。
「不謹慎ですッ!」
瞬間、つい吹き出してしまった。
何故?と茫然とする千佐都に近付く。
「そうだよ。私は君には不埒で不謹慎な思いしかないよ」
「でも嫌われたくないから、これでも手加減をしている私の気持ちを千佐都はちっとも分かってない」
「もっと仲良くなりたいんだ」
仲良く、で千佐都の背中をさっと撫でる。
一言毎に千佐都を抱き寄せ、抱きしめ、逃がさないように優しく拘束する。
こうするとビクリと固まり、震えながら大人しく抵抗しない。
頭のてっぺんに口づけながら、このまま押し倒したい。
「千佐都の寝顔だけで今日は我慢するつもりだったけど」
目の端にはブランケットの不埒な誘惑が映る。
男の力でこのまま…
千佐都の身体が緊張で更に固くなった。
「ず、ずるい。卑怯、です」
おや。
ぐいぐいと今回は珍しく私の胸を押し返す。
その両手を取ってユラユラ揺らす。
「うん。だからね、君は私に甘えてくれないと卑怯を止めないよ」
「えっ!?」
「私に寛ぎを与えたいなら、君自身が私を甘やかさないといけないな」
「何をおっしゃって…きゃあァっ!?」
素早く狙いを定め、ゆっくり味わう。
緊張から徐々にふにゃふにゃと力が抜けていく千佐都を抱きなおす。
「無理強いは趣味じゃないから、これで我慢しよう」
白い首筋に一つ、赤い痕を残して。
最大限に真っ赤な顔の恋人の、最愛のメイドの手をとり握る。
さあ、帰りは手を繋いで屋敷へ戻ろう。
庚朝顕はメイドの用意した秋の休日にとても満足した。