「さて、どうするべきかな」
少年は呟く。
顎に手を当てて思案するその姿は、そのまま額の中に封じ込めてしまいたくなる程可憐だった。
しかし今現在の少年の様子を見たならば、その美しさより先にもっと異常な事に気付くだろう。
少年は宙に浮いているのだ。
しかも建物の屋上や城の尖頭などと言う高さではない。
地上数千メートル、様々な地形が地図のように見下ろせる地点だ。
翼も持たぬ人が踏み込める領域ではない。
少年は肌を切り裂く冷気にも、全てを吹き飛ばす豪風にも影響されることなく悠然と眼下を見下ろしていた。
その様相は少年の容姿と相まって、ある種の人外さを醸し出している。
ぐう、、、
「………お腹空いたな」
いかに容姿が整っていようと空腹はあるらしく、少年は鳴いた腹をさすった。
「まずは腹ごしらえをしようっと」
人々が入り乱れる雑踏の中を古ぼけたローブを着た人物が歩いている。
小柄な体躯は人波に隠され、深いフードがその顔を完全に隠していた。
どんっ、、
大柄な虎人の青年達の一人がその人物にぶつかった。
「おいこら!! どこに目を付けてやがる!!」
「え、あ……」
戸惑ったような声を上げる間もなく、その人影の襟首が掴まれる。
「あ〜あ、ズボンが汚れてちまったじゃねぇか弁償して貰わなきゃな」
王道パターン的な事を言うちんぴらみたいな青年、、、
いや、実際ちんぴらなのだろ。
人目もはばからずそんな厚顔無恥な行いが出来るのだから、、、、
「ご、ごめんなさい!! 急いでいたんで………」
「ああっ!? そんな言い訳通じると思ってんのか?!」
他の一人が威嚇するように怒鳴る。
「だ、だけど当たってきたのはおじさん達じゃあ」
「あ? 何だとこの野郎人が下手に出てりゃあ!! きやがれ!!」
そう言ってちんぴら達はその人物を路地裏に連れ込んだ。
「顔をみせやがれ!!」
荒々しい手つきでその人物のフードが取り払われる。
そして次の瞬間、ちんぴら達は息をのんだ。
非常識なまでに整った鼻梁、絹のような黒髪と血のようなルビーアイ、、、
その姿はミリアを犯して牢屋を抜け出した少年に違いなかった。
一瞬、呆気にとられたちんぴら達だがすぐに下品な笑みを浮かべる。
「……どんな奴かと思えば人間じゃねぇか、しかもすげぇ上玉だぜ。これなら高く売れる」
「……売れる?」
「そんな事も知ねぇのか、てことはお前落ちてきたばっかだな」
少年の疑問にちんぴらは簡単に答えた。
「人間は俺達の奴隷なんだよ。ここに落ちてきた以上、殺そうが嬲ろうが誰も文句は言わねぇんだ」
「ふ〜ん、そうなんだ。教えてくれてありがとう」
そう言って少年は頭をぺこりと下げた。
そのおかしな行動をちんぴら達が疑問に思う前に、、、
「お礼に楽に殺してあげるね」
「あ……え?」
少年に一番近かったちんぴらが間抜けな声を上げた。
ちんぴらの目には下にある仲間達の姿と、くるくる回る景色が見えていた。
ごしゃ、、、
跳ね飛ばされた首はそんな音と共に地面に落ちた。
『…………』
「あらら、全然反応できてないね」
唖然とするちんぴら達に少年は苦笑した。
そしてその手に握られているのは血塗られた漆黒の剣、、、、
「お、お前がやったのか?」
「うん、そうだよ」
虫も殺さぬような表情で少年は頷いた。
「よ、よくも!!」
ちんぴらの一人が少年に向かって飛びかかった。
「遅いな〜」
まるで年下の幼児と戯れるような笑顔、、、
しかし同時に突き出された刃はちんぴらの腕が届く前に、その心臓をえぐり出している。
圧倒的なスピードと力を持つはずの虎人、、、
しかしその力を持ってしても少年の動きに反応する事は出来なかった。
「さて、僕のママは悪人に人権は無いって言ってるんだけど、おじさん達どっからどう見ても悪人だね。てことは生存権もないから」
そこで言葉を止めて周りを見回す。
驚愕に目を見開いたちんぴら達がそこにいた。
「殺したって構わないよね」
天使の微笑と共に少年はそう宣告する。
そして殺戮が始まった。
「何処行ったのよ!? あいつは!!」
「落ち着けよ。まだ遠くには行っていないはずだ」
大股で地下牢の出口から出てくるミリアをシルスは宥める。
「だけど一体どうやって抜け出したのかしら…人間に魔法が使える訳ないし」
この世界の常識において人は魔法を使えない。
教える者が居ないし、なにより人が落ちてくる世界では魔法が存在しないらしい。
「シルス様大変です!!」
思案中の思考は、足早にやってきた憲兵達に遮られた。
「一体どうしたんだ? 祭りはまだ先だと思ったが」
シルスの一族が納める都市は治安がいいせいか、滅多に事件らしい事件が起こる事はなく、起きてもせいぜい酔っぱらいのケンカぐらいである。
それゆえ憲兵達が走るなどという事態は年に数回ある祭りの時ぐらいなのである。
「そうじゃありません、事件です!! 殺しです!!」
「長年、この仕事とやっていますが………こんなのは初めてです」
シルスは顔面を蒼白にする憲兵隊長を連れ立って現場に踏み入れた。
瞬間、濃密な血の臭いが鼻に付く。
「な……」
死体の数は七つのようだった。
断言できないのは死体の損傷が激しすぎるからだ。
被害者の物と思われる血が水溜まりを形成して、その臓腑はまるで獣に食い散らかされたようにばらまかれ路地の壁に張り付いている。
本体の方も散々な物で、首から下は原型を留めない程切り刻まれて白と赤でまだらのミンチと化していた。
その上明らかに故意に残された頭部には、一つを除いて全てが恐怖と苦痛、そして絶望に彩られていたとすれば、シルスが吐き気に催したのも無理ならぬ物だろう。
「……なんだこれは」
ツバを飲み込んで吐き気を押さえると、シルスはその惨状から目を背けた。
とてもではないが正気の沙汰には見えない。
いや、それ以前に……
「何でこんな事になってるんだ」
シルス達虎人は、多数の獣人の中でもトップクラスの身体能力を持つ種族である。
その種族の集団を悲鳴も上げさせず、これだけの惨状を作り上げるには只の力押しでは不可能だ。
(まさか………魔法士か何かの仕業か?)
様々な奇跡を起こす魔法士達、それを使えばこの惨状を作る事も可能かも知れない。
実際にこの惨状を作ったのは脱走した少年なのだが、そんな事をシルスが知る訳はなかった。
よく煮込まれた海鮮スープが鍋一杯、肉汁滴るステーキが固まりそのまま、七面鳥が二羽に、大皿に山と盛られたピラフ、その他にも数種類のサラダとワインが多数、、、、
大の男数人掛かりでも食べきれないであろう御馳走が、少年の前に鎮座している。
「いっただきま〜す♪」
笑顔の宣言と同時に少年の手がフォークとナイフを構える。
少年が今現在居るのは宿屋の一室で、備え付けのテーブルに料理は置かれていた。
小さな口ではむはむと、まるでリスか何かの小動物のように少年が食物を頬張るその様子は、何というか性別及び種族に関係なく保護欲を掻き立てられる光景だ。
しかし、その体内に消えていく食事の量はそれ以上である。
食べる速さ自体はどちらかというとゆっくりしているが、いくら食べ続けてもその手が止まる事はない。
しばらくの間食事をする音だけが室内に響いた。
「ご馳走様〜」
一体どんな魔法を使った物か、少年の前の皿は完全に空になっている。
「さて腹ごしらえも済んだし何をしようかな」
思案しながら少年はワイングラスを傾けた。
先程のちんぴら達から、この世界についてのおおよその事情は聞いている。
面白い事にこの世界では獣人が繁栄しており、人間が奴隷として虐げられているらしい。
「それをひっくり返してみるのも一興だね。いっそのこと反乱でも起こしてみるか」
どこか楽しげに微笑む少年の姿はどこまでも優雅だった。
「ん?」
唐突に少年は虚空を見つめる。
「………無粋な客だな」
少年がグラスを傾けるのと扉が蹴り破られるのはほぼ同時だった。
「やあ、意外に短いお別れだったね」
「お、お前は?!」
飛び込んできた人物が少年の姿を見て驚愕に目を剥く。
「残念だけど用事なら後にしてくれない? 今は食後のワインを楽しんでいる所なんだよ」
無粋な訪問者シルスを少々非難しながらも少年は苦笑する。
「まあ、急ぎというなら聞かなくもないけど ひょっとして僕を捕まえに来たとか」
「………それもあるが、お前に聞きたい事がある」
「何かな?」
「さっき俺達の仲間が殺された」
「それはそれは、お悔やみを申し上げます」
心底楽しそうにそう言われても、からかいにしか聞こえない。
ジャキ、、、
鉄の刃が少年の喉元に突きつけられた。
「真面目に答えろ」
「何も知らないね」
「現場でお前を見たという証言がある」
「…………ふ〜ん、それで僕に聞きたい事って何?」
「お前は犯人を見たか?」
「さあどうだろうね」
「真面目に答えろっ!!」
「絶対イヤだ♪」
とびきりの笑顔で少年は断言した。
同時にシルスの刃が少年に放たれるが、、、
ガキッ、、、
「何っ!!」
「その野蛮さは君の一族の習性か何かなの」
シルスの刃は少年に届く前にその動きを止められていた。
「ぐぅっ」
まるで空気に固着されたかのように剣は引いても押してもビクともしない。
「無駄だよ。力押しでどうにか出来るような物じゃない」
そう言って指をデコピンの形に曲げる。
「他に用がないなら、そろそろお帰りいただきたいんだけど」
「ふざける「ばいばい♪」
怒鳴ろうとした瞬間、曲げられた指が弾け、シルスの身体は吹き飛んだ。
「言い忘れたんだけど、僕は人間じゃないんだよね」
壁を突き破って階下に叩き付けられた虎人を見下ろしながら、愉快げにその唇の端を吊り上げる少年の姿は正に悪魔その物だった。
「シルスッ!!」
ミリアが駆けつけた時には、シルスの身体には肌が見える所がないとばかりに包帯が巻かれていた。
「シ、シルスは大丈夫なの!?」
「………」
詰め寄ったミリアであったが、医師の無言が今の事態を雄弁に物語っていた。
「ねぇってばっ!! 何か言ってよ!!」
「………今夜が山でしょう。体中の骨が砕けて内臓が滅茶苦茶では手の施しようがありません」
「………」
医師のその言葉にミリアは掴んでいた襟首を離すと、そのままその部屋を飛び出した。
何でこんな事に、、、
日暮れの夜道を駆けるミリアのの頭の中には、その言葉がこだましている。
つい今朝までは釈然としないままも結婚の用意をして、そのまま式を行って一日が終わるはずだった。
それが今は純潔だった身は汚され、婚約者は生死の境を彷徨っている。
気付いた時には秘密の広場に来ていた。
「う〜ん、やっぱり酒のツマミには悲哀だね。これがカクテルなら憤怒もいいけど」
広場には先客がいた。
夜の闇よりなお暗い髪、鮮血のように紅い瞳、、、、
まるで月がそれを祝福するように少年を照らし出す。
来ている物こそ目立たないローブだだったが、少年の美貌は全く損なわれていなかった。
「あんたは……」
「いや〜半日ぶりだね。お姉ちゃん」
ミリアの心情とは裏腹に少年は上機嫌に手を振る。
「一体何のようよ? 悪いけどあんたの相手をしている暇はないの」
「つれないな、記憶はないけど逢瀬を共にした仲だろうに」
「……あんなの何とも思ってないわ」
「そう、それならいいんだけどね」
そう言って近付いてくる少年からミリアは後退った。
「逃げないでよ。別に何もしないから…只ちょっと知らせたい事があっただけ」
まるで神の勅命を伝える天使のように少年少年は微笑んだ。
「あの、お兄ちゃんをあんな風にしたのは僕なんだよ」
ミリアは一瞬何を言われたか分からなかった。
「え?」
「だから、さっきお姉ちゃんと一緒にいたお兄ちゃんをあんな風にしたのは僕なんだよ」
あくまで楽しく、そして明るく少年は繰り返す。
「骨を砕いて、内臓を叩き潰したんだよ。この僕がね」
剣呑な内容とは裏腹にその口調はとても明るかった。
「―――嘘よ。そんなこと出来るはずがないわ」
「さて、それはどうだろう?」
否定するミリアに少年は腕を真横に伸ばす。
「潰れちゃえ♪」
同時に腕が振り下ろされた。
べぎゅっ、、
生々しい音と共に木々がひしゃげ、大地が割れる。
「な、魔法」
驚愕に目を開く暇があればこそ、次の瞬間にはまるで巨人の鉄槌が振り下ろされたかのようなすり鉢状の大地がそこに出来ていた。
「これで信じてくれるかな?」
「何で…あんたが魔法を使えるの」
「何でと言われてもね」
少年は苦笑しながら肩をすくめた。
「それよりまあ、あのお兄ちゃんのことなんだけど」
「何であんなことをしたのよっ!!」
一気に加速したミリアの身体は、次の瞬間少年の目前に現れていた。
ちなみにほぼ同時に頭の方も一気にヒートアップしている。
「シルスは今にも死にそうなのよ!!」
「それはそうだろうね。殺す気でやったんだから、そうでなくちゃ困るよ」
今度はミリアに襟首を掴まれていたが、少年はやはりどうと言う事がないように肩をすくめる。
「―――殺してやるっ!!」
固められた拳が少年を襲う。
いくら女性といえども虎人のそれは、子供の頭蓋など容易く粉砕するだけの威力が秘められていたが、、、
「ほい」
かけ声と共に少年の腕が弾かれたように動き、ミリアの拳にからむ。
次の瞬間、ミリアの視界には満天の星空が見えていた。
気付いた時には地面に叩き付けられ、関節を極められている。
「ちょ、離しなさいよ!!」
「そしたらお姉ちゃんは殴り掛かってくるだろうに」
ミリアが暴れるが極められた関節はビクともしなかった。
「やれやれ、最近の若者は血の気が多くて困るよ」
どこか年寄り臭い事を呟きながら、少年はミリアの耳元に口を寄せる。
「さっき、何であんなことしたかって聞いたよね。理由は簡単、ちょっとしたお遊びなんだよ」
「……お遊び」
少年の無邪気な言葉をミリアは繰り返す。
「そう、どれぐらい頑丈かなって試してみたんだけど、意外と脆かったね」
「ふ、」
まるで壊れた玩具の感想を述べるような少年の口調に、ミリアは肩を震わせた。
「ふざけんじゃないわよっ!! ぐっ、、」
「はいはい力抜いて、どうせ折れるのは君の腕だけど、折るならそれなりの前戯をしてからしたい」
一瞬力を入れたミリアだったが、即座に走った鋭い痛みに力を抜くしかなかった。
「ちなみに次に君が言いそうな事を先に答えておこう。『人の命をなんだと思っている!!』 もしくは『そんなことが許されると思ってるのか!!』かな」
予想していたという感じで少年は言葉を続ける。
「だけどそうなら僕も聞きたいね。何で君達は人間を奴隷にするの? 何でも奴隷は生かすも殺すも主人の裁量次第って聞いたんだけど、そのところの意見を聞きたいね」
「そんなの、昔から決まっているから………」
「へぇ、凄いね。たった一言でこの娘は他人の自由を踏みにじったよ。なんて言うか凄い傲慢」
まるで信者の反逆を聞いた悪魔のように少年は愉快げに、そして邪悪に笑う。
「だけどさあ、他人を踏みにじるなら、自分達が踏みにじられる覚悟は当然あるよね。君達が人を弄ぶなら、人に君達が同じ事されても文句は言えないよ」
「そ、そんなこと」
「ま、そんな事はどうでもいいよ。僕は自分が面白ければそれでいいんだから、それで本題なんだけど」
愉快そうに唇を歪めながら、少年は先を続ける。
「あのお兄ちゃんを助けてあげようか」
「――え?」
ミリアは少年が何を言ったのか一瞬分からなかった。
「僕の力ならあのお兄ちゃんを助けられる。粉々に砕かれた命の一片をつなぎ合わせる事も簡単だよ」
「な、何であんたがそんな事を」
シルスを傷つけたはずの張本人が、なぜシルスを治そうとするだろうか、、、
しかしミリアの疑問は少年の言葉ですぐに氷解した。
「これは戯れ、ゲームなんだよ。選択の機会が無ければ面白くないじゃない」
そう、これはゲーム、、
少年が暇つぶしに作った悪辣さと残酷さを織り交ぜた悪魔の戯れ、、、
「ほ、本当に出来るの?」
「勿論、嘘を付いて何の意味があるのさ」
普通に聞いたならば戯れ言にもならない暴言だが、先程見せられた少年の力があれば決して不可能でないように思えてくる。
「ま、条件付きだけどね」
「な、何よ」
「お姉ちゃんの体」
「なっ!?」
絶句するミリアに少年はクスクスと罪無く笑う。
「いやさあ、記憶は全然無いんだけど、僕はお姉ちゃんを犯したらしいじゃないか、せっかくだから、今度はちゃんと堪能してみようと思ってね」
「だ、誰が、あんたなんかと」
「じゃあ、あのお兄ちゃんは死ぬしかないね」
耳元で囁かれた言葉にミリアの体がピクリと反応する。
「内臓がグチャグチャで骨がこなごなんだよ。普通の方法じゃ助からない」
うつむくミリア耳元で少年の言葉は紡がれる。
「………あんた、最低ね」
「じゃあ、その最低な奴にすがるしかない君らはそれ以下だね」
侮蔑と共に吐き捨てられた言葉に、しかし少年は即座に切り返した。
「どうする? いやなら、僕は行くけど」
そう言って腕を離した少年の腕をミリアが掴み返す。
「………本当に助けられるの?」
「安心していいよ。代金は後払いだから」
震えるミリアの手を少年は優しく取った。