図書館、つまりそこは書物と言う情報媒体の一つが多量に置かれた場所を示す。  
 そこに行く目的は様々で、小説、文庫、漫画などの娯楽を楽しむ者や、何か調べ物をする者、もしくはこの静かな環境を利用して勉強する者などがいる。  
そして、彼らはその最後に当てはまった。  
「何、これは僕に対する挑戦か何かなの?」  
笑顔のまま、しかし声に怒気を込めて、セリスは自らの主に呟く。  
「な、何よ。あたしだってがんばったんだからね」  
 ミリアの方も精一杯反論するが、その言葉に力はない。  
彼女の今の姿を一言で言うならば、受験にテンパッタ受験生だろう。  
 頭には合格必須と書かれたはちまきが巻かれており、どてらを着込み、机の上には大量の教科書と資料集が置かれていて、その横には各種栄養ドリンクが配置されている。  
 目は血走っており、櫛を入れられない髪がボサボサになっていた。  
「がんばった? ははは、これを努力というのか? これは研鑽だったのか? そうかそうか、そうだったんだね。うん、その結果が―――」  
 セリスは乾いた笑いを上げると、紙の束を机に叩き付ける。  
 
「これなんだね」  
 叩き付けた紙の束、その全てに赤ペンで大きく0の文字が印字されていた。  
「ねえ、ご主人様、冗談だよね。仮にもこの魔王たる僕が教えてるんだよ。それがなぜ0点しか取れないの? 嘘でしょ。冗談でしょ。ふざけているだけだよね。て言うか、最後の奴は全部同じ問題なんだよ」  
 相手を責めると言うより、自分が現実逃避するためにセリスは呟く。  
「――それに、あれでもちゃんと授業に付いてきてるんだよ」  
そう言ってあれを指し示す。  
「………あれってお前な」  
指さされた『あれ』が、何やら不満げな声を上げたがセリスは無視した。  
「くそ、やっぱり基礎の復習をもっと念入りにやった方が良かったのか―――」  
「あのな」  
「それよりやっぱり、数学の計算力を付けるべきか―――」  
「いい加減、無駄な事は」  
「睡眠学習を取り入れた方がいいか、休眠中の海馬にパルス信号を送って―――」  
「人生諦めも肝心だぞ」  
「いっそ、脳味噌を改造するか八割方廃人になるけど」  
「いや、だからこれだけやっても無駄って言うか、お前より長い付き合いだがそれがどれだけ不毛な事か分かっているつもりなんだが」  
 
「…………っ、うるさいっ!!」  
セリスは机に拳を叩き付けた。  
その衝撃で積み上げられた、教科書が崩れ落ちるが誰も気にしない。  
「今、ご主人様の馬鹿を直す対抗策を考えているんだから邪魔しないでよっ!!」  
並の人間なら失神しそうな殺気を放っているが、シルスはまるで哀れむような視線をセリスに向ける。  
「あのな、ミリアはただの馬鹿じゃないんだぞ。なんてたって、数学の教師が『お願いですから、真面目にやってください』って、土下座するぐらい馬鹿なんだぞ」  
「そんな事は分かっているよっ!! この馬鹿さ加減が世界遺産的なんて事はとうの昔にっっ!! だけど馬鹿にだって努力する権利はあるんだよっ!!」  
「いや、努力でどうにかなるレベルじゃないし。この馬鹿レベルは」  
「ご主人様は、確かに馬鹿レベル百の大馬鹿かもしれないけど、それだって魔王の僕に治せない訳無いじゃないかっ!!」  
「治せるのか? この馬鹿を」  
「…………………………」  
 微かに光明を見つけたようなシルスの視線から目を逸らし、セリスはミリアの方に視線を向けた。  
「………………………………………と、ともかくどんな大馬鹿でも、僕のご主人様なんだから、絶対頭脳明晰になって貰わなくちゃ困るんだよっ!!」  
 机に突っ伏して頭を抱える主からさりげなく視線をはずし、セリスは断言する。  
「いや、いくら何でもミリアの馬鹿は治らないと思うげふぅっ!」  
 分厚い百科事典で顔面を殴打されてシルスはひっくり返った。  
 
 
650 名前:虎の子 投稿日:2006/01/03(火) 00:02:46 ID:faSFPqkb 
 
「…………さっきから聞いていれば人の事を馬鹿馬鹿って」  
 ゆらりと幽鬼の如くミリアが机から立ち上がる。  
「何、あんた達あたしの事をそんなに馬鹿にしたいの? 三日三晩一睡もさせずにこんな所に缶詰にして、それで口を開けば馬鹿だのアホだの―――」  
「いや、事実だしぐふぇっ!!」  
 的確な意見を呟いたシルスののど元に分厚い教科書が叩き付けられる。  
「あたしだって、がんばったわよ。努力したわよ。だけど仕方ないじゃない。頭が悪いのは生まれつきなのよ」  
 下を向きながら肩を振るわせ、その紅い髪を亡霊の如く垂れさせる。  
「それをあんた達は、馬鹿馬鹿っていい加減あたしも我慢の限界よ」  
(いや、待て、なぜそこで分厚そうな本を両手に持つ?)  
 声帯が麻痺しているためシルスは心の中で突っ込んだが、無論そんな物はミリアには届かない。  
 何やら、幼なじみの背後にどす黒い闘気のような物が立ち上がるのをシルスは確かに見た。  
(ま、待て落ち着け、)  
 声が出ないため心の中で叫ぶが、ミリアに心を読む力など無い。  
 シルスの思いも虚しく、ミリアは腕を振りかぶった。  
「それでも我慢して、大嫌いな勉強を続けてるのよ。それなのにあんた達はあああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」  
 絶叫と共に本を投擲、しかも此処は図書館、投げるべき物には事欠かない。  
とってもお偉い学者が書いた分厚い論文が、辞典が、図鑑が次々宙を舞いシルスに激突する。  
 著者達も自分が書いた物が凶器として使われるとは思いもしなかっただろうが、その巨大さと質量と形の破壊力は武器として申し分ない。  
 かくして、物理的攻撃力に変換されたミリアの怒りは、その全てが存分にシルスに浴びせられたのだ。  
 そのある意味、知識を冒涜するような凄惨なリンチはミリアが図書館の職員に止められるまで続くこととなる。  
 無論の事、セリスはとうの昔にその場から姿を消していた。  
 
 
 
 
「さて、ご主人様がとてつもない馬鹿だと証明できたわけで、その対策を講じなければいけないんだけど何か意見はある?」  
 蔵書に囲まれたセリスの部屋、そこには『第一回チキチキミリアの馬鹿への対策を語り合う会』と言う垂れ幕が下がっていた。  
 ちなみに参加者は、セリスの他に当事者のミリアとシルスだけである。  
「いや、もう諦めた方がいいと思うぞ」  
 シルスが即座に無難な意見を口にするが、セリスは無視した。  
と言うか先程ミリアの凄惨なリンチを受けてから、それほど間もないというのにシルスの体には傷一つ無いのはある意味異常だ。  
「あのね、僕が仕えてるんだよ。この魔王たる僕が、その自覚がご主人様にはないの?」  
「な、何よ。頭なんか悪くたっていいじゃない」  
「何を言ってるのさっ!! ご主人様はただでさえ、アホで間抜けな顔してるんだから、真空状態の頭蓋骨の中身を多少は埋める努力をしないと、政治の世界に出てからに出て馬鹿にされるよっ!!」  
 ミリアの反論をセリスは恐ろしく失礼な言葉と共に切り捨てる。  
おそらく、三日三晩実り無い授業をさせられた事を根に持っているのだろう。  
 
「僕なりに考えたんだけど、つまり僕は人に物を教えるのに向いてないんだ」  
 青筋を浮かべる主をないがしろにして、セリスは自分の意見を述べる。  
「一応、僕も魔王なんて、数百年に一度ぐらい超高位の魔法使いや魔術師に力を貸したり、知識を与えたりする事があったんだけど、そう言うの存在は正に常識外の天才なわけで――」  
 そこまで言ってセリスはピシッとミリアに指を突き付けた。  
「こんな、大馬鹿者に物事を教える経験なんて皆無だったんだよっ!!」  
「それってただ単に、お前に人に物を教える才能が皆無なだけ何じゃないのか?」  
 拳を握りしめて熱弁を振るうセリスに、シルスは何気なく呟く。  
「…………………」  
「…………………」  
 シルスとセリス、二人の視線が数秒無言のまま絡み合う。  
「―――そこで提案なんだけど、どこからか家庭教師を招こうと思うんだ」  
 自分に不都合な沈黙を即座に切り捨て、話を再開したセリスを多少呆れた目で見ながらシルスは問い返した。  
「……………家庭教師?」  
「そう、ご主人様の教育係で教育の専門家を招こうと思うんだ。候補は、こんな感じで――」  
 セリスが横から取り出したホワイトボードには複数の名前が書かれていた。  
 
血塗れフローラ、  
 
因果の女王アナヒータ  
 
イワシ姫マナ、  
 
揮奏者ディンスレイフ、  
 
死の克服者パルトラ、  
 
怠惰なる賢者エニヒッシ、  
 
屍使いボルグイノス、  
 
無垢なる外道レンピネスク、  
 
魔に魅入られし精霊使いミドルア、  
 
等々、  
 
 おおよそ、魔法や科学、錬金術、遺失魔法の分野で有名な者達が、セリスの指し示したホワイトボードに書かれていた。  
 ただし、指奏者やら屍使いやら、教育者の道どころか人道を踏み外してそうなのがちらほら見受けられたりもするのはどうだろう。  
 しかし、何よりシルスは思った。  
 
「……………まあ、呼べる呼べないは置いておくとして、この全員が束になっても無駄な気がするのは俺だけか?」  
 シルスとセリスの二人が顔を見合わせ、同時にミリアを一瞥しこれまた同時に―――  
「「………………ふうっ」」  
「ケンカ売ってるの? あんた達」  
 どこか疲れた溜息を吐く二人に、ミリアの怒りは煮立っていく。  
「いや、世の中は無情だなと思って――」  
「そう言う物だよな」  
 どこか達観した表情で向かい合い、再び同時に嘆息。  
「あ・ん・た・ら・ねぇ」  
怒りのボルテージが振り切れ、ミリアは手近にあった灰皿を掴む。  
「じゃあ、探してくるしかないか―――」  
「探すって、どこに?」  
「ちょっと遠出でして王都まで行ってくるよ。あそこの研究施設で頭の良さそうなのを二、三人見繕ってくるよ」  
「見繕って来るって、そんな簡単に貸してくれるのかよ」  
「お兄ちゃん、何のために僕が麻薬の合成なんかしたと思うのさ」  
 シルスのもっともな意見に、セリスは肩をすくめた。  
「今現在、この領地の財政は表向きは大した変化はないけど、実際には現金はもちろんのこと、証券、多種多様な魔法金属のインゴットが置かれているからね。伯爵レベルの領地ぐらいの財はあるよ」  
「それを使うのか?」  
 セリスが合成した麻薬は、非合法組織を通じて大陸中に輸出され、この領地に巨万の富をもたらした。  
 書類上は変化していないが、地下の隠し金庫には莫大な資産が眠っている。  
 ただし、あくまで非合法な財であり、大ぴっらな使い方は出来ない。  
「そのためのお金だよ。それと、そろそろ合法な産業に着手しないといけない。弱小領地の財政が潤沢すぎれば、いずれ怪しまれる」  
 いくら儲けたとしても、使い方に制限のある金はそれほど役に立たないのだ。  
 しかし、正当な産業を興し発展させ、その儲けの中に非合法な儲けを混ぜ合わせれば、その出所を探るのは困難になる。  
「それと、一筆書いてくれる。『この者を代理として技術者の提供を求む』って」  
 さすがに見た目がヒトの小僧一人が、大金を持っていたら怪しまれてしまう。  
「ご主人様、一週間ぐらい留守にするけど―――」  
「へ?」  
 投擲物、(灰皿、猫の置物、文鎮、坪)を掻き集めていたミリアの動きが止まる。  
 
「る、留守にするの」  
「そうだよ、寂しい?」  
「…………う、うんそうね。とっても寂しいわ」  
 心の底から嬉しそうに、ミリアは喜色満面で首を振る。  
「もう、何、とっても残念よ。貫徹で勉強させられたり、 変な薬の実験台にさせられたりしないから、二度と返ってくるなこの野郎なんて欠片も思っていないわっ!!」  
 まるでこの世の楽園を見つけたかの如く、ミリアの心は浮き足立っていた。  
 セリスが居ない日常、変な悪戯も嫌いな勉強もさせられない日々、それを思い浮かべるだけで心が弾む。  
「だから凄く悲しいわ。いっそのこと半永久的に帰って来るなとか、何かの事故で記憶を失って全て忘れろとかになったら、凄く嬉しいなって思わないでもない気はしないけど―――」  
 夢見る乙女の如くミリアはうっとりとした表情になる。  
それに対しミリアの一言ごとに、セリスの目が冷ややかになっていく。  
「うん、そうだね。でもね、ご主人様」  
 セリスがミリアの手を取る。  
「な、何!?」  
 今まで下僕に体を触られてろくな事がなかったため、ミリアはあらか様に警戒する。  
「そんなに警戒しないでよ。僕も寂しいんだから――」  
 その時、ミリアは初めて下僕の腕が震えている事に気付いた。  
 まるで飼い主に見捨てられた子犬のように上目遣いで見上げてくる。  
「いや、あの――」  
 普段の生意気な態度が嘘のようにしおらしい。  
 顔付きも愛らしく、華奢で小柄な体付きのセリスにそんな表情をされると、誰だって自然と頬が赤くなるだろう。  
 いや、絶対誰だって―――  
セリスの背後に居るシルスが深々と嘆息したようだが、そちらにはガラスの灰皿を叩き付けておく。  
「そ、そりゃあ、あたしだって多少は―――」  
 どこか拗ねたように下僕から視線を外し、口の中でもごもご呟く。  
「だからね、僕の事を一日も忘れないように課題をタップリ出してあげる」  
「…………え?」  
「うん、ご主人様が大の苦手にしている、高等数学と物理工学の課題を山ほど出してあげるから、そのカビの生えて発酵しかけの脳味噌に、僕の事を焼き付けてね」  
 信徒に祝福を与える天使の如く、セリスの顔は慈悲深い。  
 手に持っているのは死に神の大鎌だが―――  
「もちろん、さぼったりしたら、うふふふ」  
 明言はしないが、その微笑みは正に魔王のように人の不安を煽る物だった。  
「と言う訳で、ご主人様死ぬほどがんばってね。いっそのこと死んで、転生し無いと駄目なぐらいの量があるから」  
 唖然とする主から躊躇いなく手を外し、セリスは笑顔で部屋を出て行く。  
「愛してるよ。ご主人様」  
 ケラケラと笑いながら、セリスは部屋の外に消える。  
「…………学習力がないな」  
 ポツリと呟いたシルスの顔面に、ミリアは猫の置物を投げつけた。  
 

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