(やっぱり、手を付けるなら運輸と兵器だね)
王都へ向かう汽車に揺られながら、セリスは今後の事を考えていた。
この国は広大な国土に比べて、物資の移動はそのほとんどが蒸気機関車や馬車などと言う原始的な運輸方法を頼るしかない。
元々、トラはその身に絶大的な身体能力を持っているため、大抵の生物は素手で倒す事が出来るし、この国の豊かな国土は国民達が飢える必要のない十分な作物を作るだけの力を持っていた。
そのため科学の発展の必要性、つまり外敵から身を守るための武器や技術、また食料の効率的農作や病気に対する予防治療法などがそれほど必要とされていなかったのだ。
文明発祥からまもなく、バラバラに暮らしていた部族が一つの部族に統一されたのも理由の一つだろう。
それ以来この国は部族から国家に名を変えた物の、統一した部族の子孫達が脈々とこの国の王位を受け継いでおり、長い歴史の中で目立った反乱もなく今日までその歴史を刻んでいたために、武器の発達もそれほどしなかった。
一時期狼の国に占領され掛けたりしたが、あまりにも広すぎる国土のその全てを占領される事はなかった。
端的に言えばこの国は平和なのだ。
余るほどの食料に、安定した政治と経済―――
戦争などしなくても、内乱など起こさなくても皆幸せで笑って暮らせる。
(まあ、中身はわかんないけどね)
現国王はトラのくせに狸と有名な人物で、自分以外の王位継承者を全て陥れて今の地位を手に入れたらしい。
無論何の証拠もなく、全てが噂程度の物だが―――
(王位か――)
魔王である自分とて、安寧の道を歩いて王位を手に入れた訳ではない。
その生まれ故敵が多く、幾人もの敵を倒してきた。
その度に戦争が起きた。
自分の世界は文明が進み、一度戦争となればそれは星々または星系間で行われる。
星一つを丸々砕け散らすエネルギー兵器や、一個の生物だけを限定して殲滅するウイルス兵器などが発達して一度戦争が起こればそれは恐ろしい物になった。
戦争の被害も、一つの大陸で争っているこの世界の規模ではない。
一度の攻撃で失われる命は、十、百単位ではなく、億、兆単位だった。
おそらく、この世界ではどこの国の法律に照らし合わせても自分が一番の罪人だろう。
なにせ、この世界のバクテリアのような細菌から二足歩行型の高等生命体、おおよそ生物と言われる者の全てをひっくるめた数と、自分があちらで殺した数に比べれば恒星と素粒子の大きさぐらいの比率がある。
もっとも、セリス自身そのことに対して罪悪感を持ったり後悔したりはしていない。
彼の種族は魔族と呼ばれる存在で、物質世界の住人ではなく精神世界の住人なのだ。
それゆえ、熱や衝撃などの単純な物理エネルギーによる影響はほぼ完全に無効化してしまうし、上位世界である精神世界からエネルギーを抽出して途轍もない奇跡を起こしたりする事が出来る。
それだけ強靱な生命体となると脆弱な生物が群れて暮らすための社会と言う型枠が不要なり、それを安定させ補強させるための法や道徳も不要となった。
集団で生きる必要がないため極端な個人主義に染まり、同じ種族でも利害や感情で簡単に裏切り合い、殺し合う。
同じ仲間の命にすら軽んじる種族が、他種族の命を重要視する必要など欠片もない。
端から見れば年がら年中、身内同士で争っているアホでキ○ガイな種族なのであるが、それをまとめ上げるのが魔王という存在なのだ。
その座に着くためには、身勝手な同族達を力でねじ伏せ認めさせなければいけない。
他の種族が王を選ぶのに、人柄や人望や能力、血筋などを求められるのに対して、魔族の王に求められるのは能力だけなのだ。
そうすれば自分のような混ざり者でも王位に着ける。
「ま、どうでも良いけどね」
本音を言えば魔王の座などどうでも良い。
それを手に入れたのも、他にやる事がなかった上に他の魔王の座を狙う者達が自分に襲いかかってきたからだ。
まあ、多少は面白かったが―――
ある者は真っ正面から力で挑み、またある者は策と奸計を巡らせ、またある者は色仕掛けまでしてきた。
正直、死にかけたのも二、三度ではすまず、それを全て撃退尽くした時には自分は魔王の座にいた。
魔王になってからも暗殺やら何やらのごたごたが続いたが、慣れてしまえばどうと言う事はなくただ面倒で鬱陶しかっただけだった。
そして最後に残ったのは退屈だけ―――
魔族にとって退屈とはもっとも恐ろしい物の一つだ。
彼らは物理の時間的劣化に影響されない故に理論上不老不死であるが、物質という拠り所がない以上、精神の時間的劣化は凄まじい。
どんな大魔族であっても、生きる熱意などが失われると、その精神の影響が即座に存在その物を弱体化してしまう。
生きる熱意とは即ち欲望であり、快楽であり、自己満足である。
その特殊な生理のため、魔族は個人主義の享楽主義者が多い。
無論セリスもその一人である。
(―――しばらくは退屈する事はないと思うけどね)
自らが選んだ主、愚かで脆弱で色気も何もない小娘は非常に面白い。
後数百年は退屈の心配はあるまい。
そんな事を考えていると汽笛の音が駅への到着を知らせた。
(正に観光地って感じだな)
レンガ敷きの道にレンガで造られた建物が建ち並んでいる。
他国と比較した場合、虎の国の文明レベルは中の下と言った所で狼などより上、犬や猫より下のあたりにある。
(少し手間がかかるかもね)
武器や運輸産業を発展させるための知識はセリス自身が持っているのだが、それを理解出来る者はこの世界にはまずいない。
セリスの世界とこの世界の文明レベルはあまりに隔絶しすぎているため、彼の発展しすぎた知識は文字通り御伽話の様な物だ。
例えば、エネルギー一つとってもこの世界には永久機関は存在せず、また作成も不可能と概念的にも存在を否定されている。
物質世界に置いてエネルギーの総量は決まっており、熱エネルギーが光エネルギーに変化したりはする物のエネルギー自体の減少や増加はあり得ないのだ。
唯一の例外が魔法使いであり、彼らはエネルギー保存の法則を無視してあらゆる現象を引き起こすが、それは特定の者だけが使える能力であって、誰もが使える技術ではない。
それに比べセリスの世界には永久機関が存在するし、その作成の方法もセリスは知っている。
しかし、概念的に否定されている知識を教えた所で、それは存在しないと言う事を前提に組み立てられた技術体系ではそれの理論や技術を理解できるわけはない。
なぜならその概念を認めた途端、古い技術体系は崩壊してしまう。
そのため、その技術体系に所属していた者達はその概念を認める事を極端に嫌うのだ。
特に学会やお偉い学者達は、その技術体系によって自らの権威や偉大さを保持しているため、そう言う常識を越えた考えには否定的だ。
自分達が今まで信じてきた物が崩壊するのが耐えられないのは、宗教だろうが政治形体だろうが技術体系であろうが同じである。
(まあ、ゆっくりやればいいか―――)
有能な新人を連れてきて一から教育すれば百年ぐらいで物になるだろう。
幸いこの世界の種族は寿命が長いので、百年やそこらは大丈夫だ。
王立総合研究所と書かれた看板が掲げられたのは要塞のような建物だった。
周りをレンガの高い塀で囲まれ、周りを憲兵が巡回している。
何かと物々しいのは国家機密クラスの技術開発を行っているからだろう。
もっとも、この程度の警備で魔法や科学に優れた猫や犬の秘密工作員を防げるとは思えないが―――
「あのー、すいません。メーデル子爵領より使いに来た人奴隷のセリスですが、所長にお会いしたいんですが」
門番らしきがっちりした虎人にセリスは自分の首元を指し示す。
そこには細い首筋に似合わないごつい皮の首輪が嵌められていた。
この国では誰かが所有している人奴隷は首輪を付ける事が義務付けられており、それは同時に奴隷の身分証明書にもなるのだ。
首輪には金属のタグが付いており奴隷本人の名前と所有者の名が刻印されている。
またその材質も一般市民の持ち物なら銅、貴族なら銀、王族ならば金と定められており、貴族や王族の物ならば名前と共に家紋が刻印されており、どこの奴隷だか一目で分かるようになってもいる。
門番の虎人がセリスのタグを確認して書類を差し出す。
『入所許可申請書』と書かれていた。
あまり知られていないが、このような施設に入るためには事前に申請して許可を取る必要があるのだ。
セリスは事前に用意していた許可書を取り出し門番に差し出す。
門番はそれを受け取って一通り確認すると、無言で詰め所に入って行った。
やがて巨大な鉄扉が開き、セリスをその中に迎え入れる。
セリスが研究所の最高責任者の部屋に来るまで五時間かかった。
無論それは五時間分の距離歩いたと言うより、五時間待たされたからだ。
受付で二時間またされ、そこから所長が居ると言われた部屋に行ったら手が離せないから待っていてくれと言われ、三十分後に他の部屋に行ったと告げられた。
その後、応対に出てどこに行ったか分からないという研究員に軽く殺意を抱きながら受付にとって返し、さらに三十分待たされあげく一時間ほどあちこち歩き回らせられ、此処に辿り着き結局受付に戻り一時間待たされ此処に辿り着いた。
ちなみにここに来たのは朝の八時でちょうど今は昼時である。
さらに所長室の入り口が開いたのはそれから三十分後だった。
「子爵領から来た人奴隷とは君かね?」
長身の虎の男が、あらか様に見下した視線でセリスの前に腰掛ける。
「ええ、メーデル子爵領の、シルス・メーデルより命を承って来たセリスです。よろしくお願いします」
笑顔で指しだした手を無視し、男は煙草を銜えた。
「それで、貴族の方が一体何のようでしょうか?」
「その前にお聞きしたいのですが、あなたが此処の所長ですか?」
「私の質問に答えたまえ」
自分の意見を一方的に言う男にセリスはさらに笑顔を深めた。
それは彼の主が見たら一も二もなく逃げ出すぐらいの笑顔だった。
「と言われても、あなたが誰だか分からない以上、僕も迂闊な話は出来ませんからね」
セリスの言葉に長身の虎人は不快そうに鼻を鳴らす。
「………………私はここで研究をしている研究員のガルポと言う物だ」
「おかしいですね、僕は所長にお会いしたいと伝えたはずですが――」
「所長はお忙しい。私が代わりに用件を聞こう」
笑顔のまま首を傾げるセリスに、ガルポは鬱陶しそうに答える。
「それは出来ません。非常に重要なお話でして――」
「だったら、出て行きたまえ。我々は暇ではないのだ。たかが田舎貴族の人奴隷に構って居る暇はない」
そう言いながら、出口を指さす。
その時点でセリスの表情は、主をいたぶる時の笑顔になっていた。
「そうですか、分かりました。お忙しい所、失礼しました」
そう言って立ち上がり、横に置いてあったジュラルミン製のトランクを持ち上げる。
しかし、ちゃんと蓋を閉めていなかったらしく中身がこぼれ落ちてしまう。
甲高い金属音と共に、翡翠色の金属が絨毯に落ちる。
それを目にした瞬間、ガルポの目が見開かれた。
「そ、それは――」
「ああ、これは今回の話し合いに関係する物だったんですが、必要ありませんでしたね」
驚愕するガルポにセリスはにこやかに言う。
この世界には無垢なる金属と呼ばれる物質が存在する。
未加工のその金属には特に秀でた性質はないが、加工の仕方によってその性質が千変万化するため、科学者や魔法使いの間ではとても重宝されている。
無論、希少性がとても高く並の貴金属より遙かに高額で売買されている金属だが、トランクの中にはそれのインゴットがずっしり詰まっていた。
これだけで一般市民が一生の内に得る生涯賃金の同程度の価値があるだろう。
セリスはそれを素早くトランクに仕舞い込む。
「それでは、お邪魔しました」
「ま、待ちたまえ、少しの間この部屋で待っていてくれ――」
笑顔で退出しようとしたセリスをガルポは慌てて引き留め、転がるように部屋から出て行く。
セリスはそのまま笑顔で待っていた。
やがて、デップリと太った虎の男とガルポが転がるように部屋に入ってくる。
「これは、これは私はこの研究所の所長を務めさせている。ノーコス・ガルベットと申します」
「いえいえ、自己紹介など結構ですよ。もう失礼させて頂きますから――」
握手を求めてきた所長の手をにこやかに無視して、セリスは席を立つ。
「き、君は私達に話があったのではないのかね」
「所詮田舎貴族の人奴隷の戯れ言ですから、気にしないでください。皆さん、お忙しそうですし」
ガルポに向けてにっこり微笑みセリスは部屋を出ようとする。
「ま、待ちたまえせめて話だけでも――」
必死で引き留めるノーコスに笑顔のまま、セリスは首を振った。
「いや、結構です」
トランクに向けられている所長の視線に気付かないふりをしながら、セリスはふと気付いたように懐から懐中時計を取り出す。
「そう言えば、ここら辺で美味しいレストランって知っていますか? そろそろ昼時なので―――」
「そ、それなら、此処で食べていきたまえ。此処の食堂は和洋中のどんな物でもそろっているからね」
ここぞとばかりに所長が食いついてくる。
「いいんですか?」
「ああ、もちろんだとも―――」
所長の返事にセリスは心の底から嬉しそうに微笑む。
表面的には―――
「それでは、僕はこれで―――」
ラーメン十人前、カツ丼七人前、鰻重五人前、ステーキ八人前、ワイン七本、その他諸々の食事を終えたセリスは唖然とする所長達を横目に席を立つ。
さんざん飲み食いしたが、そんな事を欠片も意識せず部屋を退出しようとする。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ―――」
「何かご用ですか? 僕は早々に主の元に帰還しなければならないんですけど」
引き留めようとする所長にセリスは真顔で答えた。
「い、いや、さんざん飲み食いしたのだから、せめて話ぐらいは―――」
「そんな約束しましたっけ?」
罪のない笑顔でセリスは首を傾げる。
「と言うか、僕は疲れているんですよ。このクソ重い荷物を持ちながら五時間以上歩いたせいで――」
皮肉ったセリスの言葉に所長達は顔を引きつらせる。
「このまま領地に帰って猫の国まで足を伸ばさなきゃいけないんですよ。此処での話がおじゃんになりましたから、猫井技研あたりに話を通そうと思っているんですよね」
まるで相手の反応を楽しむかのようにセリスは言葉を続ける。
「何せこの十倍以上の量を持ってこないといけないので」
「じゅ、十倍――」
所長は、まるでセリスの体が黄金製であるかのような表情になった。
「それでは、僕はこれで」
「ま、待ってください。この研究所は猫如きが作ったえせ研究機関になどより、遙かに洗練されています。あなたのご希望に添えるのは、世界各国でも此処でしかないはずです」
いきなり敬語になり、揉み手をしだした所長にもセリスの笑顔は変わらない。
「いえ、よく考えたら科学技術は猫か犬の方が進んでいますよね。うん、やはりそちらに行った方が良いでしょう」
「いえいえ、そのような事はありません。この国にはダンジョンがありますから―――」
「ダンジョン?」
無論の事知っていたが、ワザと知らない振りをする。
交渉に置いて相手に安く見られては論外だが、畏怖や恐れをもたれても厄介だ。
適当に弱みや無知さを演技してやるのが、相手を思い通りに誘導するコツだ。
セリスの思惑通り、所長はまるで相手の付け込むべき隙を見つけたかのように目を輝かせる。
「ええ、そうです。この国には他の国には類を見ないほどの古代遺跡の宝庫でして、そこで発掘される物には、今の技術を遙かに超えた品々が多数発見されているのです。ここでは、その解析をやっておりまして、その手の技術に関しては我が国が世界一を自負しております」
「そう言われると実に魅力的なお話ですね」
非常に興味深そうな表情を作り、セリスは鷹揚に頷く。
そして引き返して再びソファーに腰を下ろした。
「確かにそれなら、我が主も満足する事でしょうね。ふむ、少々お時間をいただきたいのですが構いませんか?」
「ええ、構いませんよ。もちろん―――」
これは脈ありと感じたのか、所長もソファーの間のテーブルに身を乗り出してくる。
しかし、その顔色はセリスの言葉を聞いた瞬間一変した。
「実は、此処の研究員の方達を貸し出して欲しいんですよ」
「そ、それは――」
言い淀む所長にセリスは顔を寄せた。
「ええ、もちろん。そのような事は禁止されているのは知っています。しかし、我が主には是非とも、此処の優秀な研究員の方々をご所望でして――何とかならないでしょうか?」
所長の顔が欲望と危機感の葛藤に歪むのは少々面白かったが、提案を拒否されてはたまらないので少ししてから口を挟む。
「例えば、例えばですよ。僕達の領地にそのダンジョン―――でしたっけ? それがあるとしたら、そこに研究員や発掘隊を派遣する事は珍しいことじゃありませんよね」
一瞬の虚を突かれたような所長の表情であるが、即座に理解したというように嫌らしい笑みを浮かべた。
「え、ええ、そうですね。もしもそこに、あるとすれば――」
「例えばそこでの研究が長期化して、その領地に研究所を建ててれば研究員を置いても不自然じゃありませんよね」
「ええ、それはもう全くの自然です」
そこまで話を続けてから、セリスは唐突に思い出したように手を叩いた。
「そう言えば、こちらの領地にダンジョンらしい遺跡があるらしいのですっ!! 是非とも調査員を派遣して欲しいのですかっ!!」
朗らかな笑顔を浮かべるセリスに、所長も笑顔を浮かべる。
もっとも、所長本人は愛想笑いをしているつもりだろうが、欲望丸出しの下品な笑いになっているため、それを直視したガルポの表情は引きつっていた。
「では、派遣する研究員を選んでもらえないでしょうか? できるだけ優秀な方を―――」
「ええ、もちろん」
セリスの言葉に所長はこくこくと頷く。
「では行きましょう。善は急げと言いますしね」
「え、ええ、そうですね。それでその時の研究費用は―――」
いきなり下世話な話になっても、セリスは朗らかな笑顔を崩さない。
「こちらが持たせて貰いますよ。もちろん、あなた達にも個人的なお礼をご用意します」
あなた達と言われ、そこで初めて所長はガルポが部屋にいる事を思い出したようだ。
「何をしているっ!! さっさと、この方をお連れしないかっ!!」
「え、あ、はいっ!! ただ今っ!!」
所長に言われてガルポは慌ててセリスの前に出る。
そんな様子をセリスは始終朗らかな笑顔を向けていた。
「ここがこの研究所で今現在、最新の研究をしている研究室です」
「…………大分想像していた物と違いますね」
セリスの言葉は皮肉でも何でもなく偽らざる本音だった。
彼の前にあった風景は、試験管やビーカーを前にして実験結果を記録する研究者達の姿ではなく、土や砂に汚れた石版や剣や盾、その他の良く分からない形の物を洗浄して資料らしき物と付き合わせている研究員達の姿だ。
何というか科学や魔法の研究と言うより、考古学の発掘のような雰囲気がある。
「え、ええ、ここでは主に発掘された遺物の分析を行っていて、開発と言うよりそちら側の方に重点を置いています」
「…………原理の解明は可能なのですか?」
「い、一応いくつかの物品に関しては解析は可能です」
(つまり、それ以外は解析不能と言う訳なんだね)
ようするに、発掘された遺物は実際にそれ自体は使用出来ても、その原理を解明して同様の物を作る事は出来ないのだろう。
(…………本気で来る場所を間違えたかな)
政治的外向的手続きが面倒な上に機密保持の観点で問題があったため、人員の確保は可能な限り自国内ですませようとしたが、どうやら考え直さなければならないらしい。
「…………それで、ここの責任者はどなたですか? 紹介して欲しいのですが」
「ええと、それは―――」
セリスの要請に何故かがルポは言い淀む。
「一体何故、ここにヒトが居るんですか?」
背後から掛かった声には、あらか様に侮蔑の意志が含まれていた。
「…………それはこちらが聞きたいのですが、なぜここにイヌの方がいらっしゃるのでしょうか?」
背後を振り向いたセリスが見たのはイヌの少女だった。
少女という割には長身の均整の取れた体付きをしており、そのどこか幼さが残る表情がなければ一人前の女性で通るだろう。
銀縁のフレームで出来た眼鏡を掛けているため、多少の幼さは緩和されているがセリスの目は誤魔化されない。
年上の学者達に囲まれて居る事を差し引いても、その白衣姿は浮いている。
「ええと、彼女がここの責任者です」
「ヴィグリアさん、もう一度聞きますが何故ここにヒトが居るのですか」
どこかバツ悪そうな表情のガルポに少女は侮蔑の視線を露わに問いただす。
「いえ、ガルポさんは私が頼んで案内して貰ったのですよ。申し遅れましたが、メーデル子爵領より、シルス・メーデルの命によりやって来たセリスと申します。以後お見知りおきを――」
値踏みするような視線を向けてくるイヌの少女に、セリスは友好的な笑みを浮かべる。
「それで、その貴族の方が何の用で?」
侮蔑の割合が五十パーセント程増した表情で、少女が再度問いただす。
しかし、その程度の事でいちいち目くじらを立てるほどセリスは可愛くない。
「じ、実はこの方の主の領地でダンジョンが発見されて、そこに何人かの研究員を送る事になったんだが、その選考をしている所でね」
自分より一回りは年下の少女に遠慮がちに話しかけるガルポの姿は、情けないのを通り越して滑稽ですらあった。
ちなみに少女の瞳はあらか様に『金でも積まれたな』と言う視線をガルポに向けている。
「そ、それでここにいる研究員を何人か送ろうかと思ってね」
「――情報は確かなのですね?」
「ええ、勿論ですよ。我が主の領地には未だ未発掘の遺跡が眠っています」
少女の疑わしい視線を受けて言いあぐねているガルポの代わりに、セリスが言葉を引き継ぐ。
ガルポ達は知らないが、実際にミリア達の領地には小さいがちゃんとしたダンジョンが存在するので嘘ではない。
「それに研究施設などについてはご安心を、費用はこちらが全額負担させて頂きますし、必要な物があるなら、仰っていただけばそのつど可能な限り速くご用意させて頂きますよ」
そう言いつつ、手にしたトランクを開く。
中身から溢れ出たインゴットに、その場にいた研究者達が息を呑む。
「無論、こちらに来て頂いた方々にはここの研究員としての賃金の代わりに、それなりの報酬もご用意しております」
セリスが誇る財力から、その報酬が決して低くない事は世事に疎い研究者達にも明らかだった。
「さて、こちらの自己紹介は終わりました。よかったら、あなたのお名前をお聞かせください」
「………研究主任のウィネッサ・プレリーズです。ル・ガル王国第六研究所より派遣されてきました」
「成る程、国家機密の研究に他国の協力を仰ぐとは、いやいや僕ら凡夫にはとてもまね出来ないですね。さすが、ここの研究者の方々は発想が違う」
さすがに丁寧に応対した方が良いと考えたウィネッサが手を差し出したが、セリスはあえてそれを無視しそう皮肉った。
「い、いえ、これはそのですね」
「まあ、こちらに来て頂く分には優秀であればどこのどなたであろうと関係ありませんがね」
急いで言い訳を考えているガルポの答えを待たず、セリスは横目でウィネッサを観察していた。
傍目には無視された腕を静かに引っ込めるその表情に変化はなかったが、セリスはその微妙な変化を読んでいた。
見下していた者に無視され、その瞳が怒りに染まっている。
(………うわ、かなりお怒りだね。これは――)
自らが対峙した者の正体も知らず、見た目だけで相手を判断し、ましてや自分が間違う事など微塵もないと確信している目だ。
セリスは八割方この娘を連れて行く事に決めた。
わざわざ他国から呼ばれる程の頭脳もさることながら、この娘は教育のしがいがある。
無論、教育とは自分の立場をわきまえさせ、自分が何をしたのか、自分の身の程を知らしめてやるためだ。
こう言う、プライドの高い相手程、嬲りがいと壊しがいがあるのだ。
ミリアの家庭教師としては不向きかもしれないが、そのあたりは耳の穴から脳味噌が垂れ流れるぐらいの努力を主に期待する事にする。
「では、詳しい事は後日ご連絡しますので私はこれで―――」
正に慇懃無礼の体現の如くセリスはウィネッサ達に会釈した。
(さて、準備はこれぐらいで良いかな)
ウィネッサの他にも、それなりに物になりそうな研究者を見繕いながらセリスは研究所内を歩いていた。
こうして見ると虎の科学力は決して高いとは言えない。
と言うか、ウィネッサ達の研究を横目で見ていたが、発掘品の解析について主な所はイヌの彼女がやっているのだ。
これでは機密も何もあった物ではない。
確かにダンジョンから発掘されるアイテムは凄いが、虎の国はそれをもてあましているようだ。
(ま、その辺に漬け込む隙がありそうだけどね)
これからの事に策を巡らせながらセリスは上機嫌に廊下を歩いていた。
「ちょ、ちょっとすいません」
掛けられた声に背後を振り向けば、そこには本の山があった。
分厚そうな辞典が何冊も積み重なっている。
よくよくみれば、その本の山の影に小柄な体が隠れていた。
よれよれの白衣とシャツとタイトスカートを着た少女が、よろよろと危なっかしく歩いているのだ。
その手の上には、分厚い辞典が今にもバランスを崩しそうな形で乗っている。
その先には下りの階段が続いており、そんな状態で降りようとするのは勇気と蛮勇をはき違えているとしか思えない。
当然、セリスは横目でその少女を避けた。
「うわっ、あっ!!」
やはりというか何というか、階段を下りようとした瞬間叫びと共に少女がバランスを崩し、盛大にすっ転ぶ。
しかし、セリスは見向きもしない。
さらに降り掛かる本を平然と避け歩み去ろうとする。
が、
ガシッ
「へ?」
いきなり伸びてきた腕がセリスの腕を掴んだ。
その手の持ち主は転んだ少女であり、当然セリスも転倒に巻き込まれる。
「ちょっ、嘘!!」
派手な音と共にセリスと少女は縺れ合って階段を転げ落ちた。