そこは豪華絢爛な装飾を施された一室だった。
壁には数多の名画が掛けられ、ガラスではなく宝石と貴金属によって造られた巨大なシャンデリアが天井から吊されており、床を覆うのは職人達が数年の月日を掛けて編み上げた絨毯で足を踏み出せばくるぶしまで埋まる事間違いなしである。
部屋の広さ自体も異常で、普通の一軒家まるまる一つが治まる程の面積があった。
公爵執務室
それがこの部屋の名前であり、その主の階級をも示していた。
そしてその主は、部屋と同レベルの豪奢な椅子に腰掛け、机の上に置かれた書類を片づけている。
主は美しい少女だった。
年の頃は十八から十七ぐらいだろう。
まるで炎のような紅色の髪は腰まで伸ばされ、意志の強そうな瞳は見事な鳶色をしている。
そして頭から出た獣の耳と背後に出た猫のように細長く丸い尻尾、、、
獣人と呼ばれる種族、その中で虎族と言う分類に少女は括られる。
顔の造形はまだ幼さを残しているものの、十人のうち八人は美人と評するであろう完成度だ。
しかし、今現在その魅力は半減していると言わざるえない。
櫛を入れていない髪は本来の艶を失い、疲労のためにその瞳はどんよりと澱んでいる。
着ている衣装だけはバッチリ整えられているため、余計にその姿が際だってしまっていた。
「も、もう駄目、限界」
敗北宣言と共に少女が書類の山に顔面から突っ伏した。
紅色の髪が書類の上に広がる。
「こんな量、今日中に出来る訳ないじゃない」
恨めしそうに机に積み上げられた書類の山を見上げる。
机の高さがあるといえ、書類の最上部は立ち上がった少女の背より高い位置にあった。
朝からやっているのにまだ半分も終わっていないのだ。
「………あの馬鹿、人ごとだと思ってこんなに大量に回して、全部やってくれてもいいじゃない」
机の端を指で擦りながら、ここにいない自らの奴隷を罵る。
「そうよ、全部あいつが悪いのよ。性格悪くていつもヘラヘラしていて、可愛い子見ると見境がないんだから……いっつも、面倒な事は人に押しつけて」
乗ってきたのかどんどん口が動く、、、
「大体ご主人様は私なんだから、仕事は全部あいつが片づけるべきなのよ。そりゃあ、色々感謝してるけど……強いし、頭もいいし、可愛いし……だけど」
ムニュ、、、
「ひゃあっ!!」
愚痴の途中でいきなり胸を握られ、少女は色気のない悲鳴と共に飛び跳ねる。
その勢いで椅子が背後に大きく傾いた。
「へ、あ…わあ!! ちょっとっ!!」
後ろに倒れそうになる椅子のバランスを、少女は必死で安定させる。
そして何とか安定させた所で、、、
ガンッ、、、
椅子の脚を蹴り払われ、ひっくり返る。
「うわっ!!」
ドンッ!!
椅子は見事にバランスを崩し、少女は後頭部をしたたかに打ち付ける羽目になった。
「あれ、大丈夫? ご主人様」
どこか面白そうな口調は頭上から降ってきた。
少女の反転した視界に一人の少年が入っている。
美しい少年だった。
年齢は十歳程、、、
闇をそのまま凝固させたような漆黒の髪は絹にも匹敵するなめらかさと艶を併せ持ち、服から覗く首元は白雪のように純白だ。
服装によっては少女のように見える中性的な美貌、桜色の唇、そしてその瞳は血のような深紅のルビーアイ、、、、
女なら、、、
いや、男でも見とれる程の完全な美少年だった。
「早く立ち上がらないと馬鹿みたいだよ。それとも新しい体操か何か?」
「あんたが椅子の脚をけっ飛ばしたからでしょう!!」
差し出された手を叩き、少女は跳ね起きる。
「何の事? 僕はこの部屋に来たばっかりで、初めに視線に入れたのは間抜けな格好で倒れているご主人様だけなんだけど」
心外とばかりに肩をすくめる少年、しかしその口端が吊り上がっているのを少女は見逃さなかった。
「嘘付くな!! その上胸まで触って………」
「嘘なんか付いてないよ。しかしあれだね。相変わらず全然成長してない」
「やっぱりあんたが触ったんじゃない!!」
片手で何かをもむような仕草をする少年に、少女は顔を真っ赤にして書類を固定するための文鎮(純金製)を投げ付ける。
「危ないな、あたったらどうするつもりだよ?」
言葉とは裏腹に飛んできた文鎮を、少年の指は容易く絡め取っていた。
「うるさい!! 避けるな!! あたれ!! あたれ!!」
机の上の物がなくなるまで少女は少年に向かって物を投げ続けた。
五分後、、、
「はあ、はあ、はあ」
散らかりまくった部屋の中で、少女は疲労のため荒い息をついていた。
「無駄な体力使ったね」
「あんたの……せいでしょうが」
苦笑する少年を少女が睨み付ける。
「大体毎度毎度、部屋にはいる時は扉を使えって言ってるでしょ」
「いやー、毎度毎度ご主人様はからかいがいがあるからね。普通に入ってきたら警戒されちゃうから」
「あんたは……只でさえ忙しいんだから、これ以上邪魔しないでちょうだい。第一、この仕事を持ってきたのはあんたでしょうが」
そう言って机の上の書類を指さす。
「だったら、さっさとやったらどうだい? 早くしないと寝る暇もないよ。まだあるんだから」
「な、冗談でしょう」
「うん、冗談」
「………このクソ餓鬼」
笑顔で即答する少年に少女は額に青筋を浮かべる。
「だって僕は性格悪いからね。その上、可愛い女の子に見境ないと来ている。これくらい当然だよ」
ニコニコする少年に少女の頬から一筋の汗が流れた。
「あ、あんた、いつから?」
「『あの馬鹿から』って所から、だけどねー、そのおかげでご主人様が普段僕の事をどう思ってるか分かったよ」
「いや、あれは…その……ちょっとした勢いで……」
「ふ〜ん、そうなんだ。ちょっとした勢いなんだ」
だらだらと脂汗を流す少女に信用度0、疑念百パーセントという表情を向ける少年。
「大変そうだから、手伝ってあげようと思ったんだけどな」
「ほ、本当なの、じゃあまずこれを」
「だけど僕は凄く傷付いたな。うん、せっかく手伝ってあげようと思ったけどショックで寝込みそうだ」
「……へ?」
書類を渡そうとする少女を無視して、少年は独白する。
「じゃあ、僕は寝込むんで後の事はよろしく」
少年はそう言ってバタンと扉を閉めて出て行った。
数秒呆然としていた少女だが、やがて肩を震わせ持っていた書類を少年が出て行った扉に投げ付ける。
「あいつ、結局あたしをからかいに来ただけじゃない!!」
しばらくその場で地団駄を踏み、猛然とした勢いで椅子に座り直す。
「もう知らない、こんな仕事やるもんか」
そう言って机の上に頭を乗せてふて寝しようとした時、部屋の様子が目に入った。
先程の騒ぎで散らかっているものの、部屋の様相は豪華絢爛なままだった。
(こんな豪華な部屋をもてるのも、あいつのおかげなのよね)
もし、あの奴隷が居なければ自分はこのような所に腰を下ろしては居なかっただろう。
弱小貴族の娘として、大した恋愛もせずに結婚しそのまま静かに生きていたはずだった。
あの奴隷と出会わなければ、、、、
少女は思い出し始めた。
自分と自分に仕える最高で最低の奴隷との出会いを、、、、、