ガシャーン!!!  
 
 無惨な音が響き渡った。  
 いっせいに視線が集まる中で、横倒しになった自転車の周りをまるまる太った買い物袋があっちへこっちへ転がっていく。  
 慌てて追いかけようにも、自転車に足を挟まれてそれどころじゃあない。  
「……イタタタ」  
 足が痛いわ、頭が痛いわ、視線が痛いわで、私は苦笑いしながらため息をついた。  
 半分以上は照れ隠し。ようするに小芝居だ。なんでもないですよ、ちょっとドジ踏んだだけですよ、という雰囲気を出してみただけ。  
 さて、視線も散ったことだし、まずは自転車を起こすとしますか。  
 と、手を伸ばそうとしたとき、私の足にかかっていた重みはひょいっとのいた。  
「大丈夫ですか?」  
 詰め襟の学生さんが心配そうにのぞき込んでくる。  
 アラ若々しいお肌! 美形とは言わないけど若さの分ポイント加点で結構可愛い!  
 ……とか思ってる場合じゃないわね。  
「アァ〜!!!大丈夫よ、平気!……痛っ!?」  
 うわ……。もろに足ひねってるわ。最悪……。  
 思わず素で顔を歪めた私に、学生さんはまるで紳士のように手を差し出した。  
「僕が手を貸しますから一度立ち上がってみますか?」  
 わ。なんてよくできた子なの。  
 私も淑女のように……というのは柄じゃないけど、せいぜい気の良いおばさんに見えるように、にっこりと笑った。  
「ありがとね……良かったは、アナタみたいな親切な学生さんが近くに居てくれて」  
「じゃあ僕が抱えますから、ゆっくり立ち上がって下さい」  
「うん、お願いします」  
 私は学生さんの手を握るために右手を伸ばした。  
 若々しい手が横をすり抜ける。学生さんは私の胸の下……肋骨の辺りを両手で包んだ。  
「えっ?!!!」  
 親指と人差し指の間にちょうど乳房がはまり込んでいる状態。学生さんの指の上で、だらしないお肉がたゆん、と揺れた。  
 「ヨイショ……」なんて声を出しつつ、学生さんはちっとも力を込めていない。ただ私のおっぱいをたゆん、たゆん、と持ち上げているだけだった。  
 声もなく見つめてみても、学生さんは真剣な表情のまま。だけどもその眼差しは、私の胸のみに注がれている。  
 しかも、なんだか……段々手のひらの位置が上がってきた。  
 乳房の下半分を押し包み、指をくねらせて波打たせている。時折もてあそぶように、小刻みにぷるぷると揺らしてくる。  
 もう、揉んでる、よね……これ……?  
 
 明らかに故意だと確信しながら、それでもどこかで半信半疑のままだった。  
 だって私はおばさんで、胸なんかすっかり垂れ気味なのだ。こんな若くて可愛らしい子に、こんなことされるような体じゃない。  
 なのに、眼差しが……熱くて。  
 ブラウスを隔てた素肌が焦れる。たるんだお肉が揺れるたびに、トクン、トクンと、何かが打ち震えるような音がする。  
 学生さんの親指がそろりとうごめく。……トクン、トクン。  
 ああ……、ちくび。見つかった……。  
 バトンタッチした人差し指が、カリ、カリ、って掘り起こす。ブラジャーの上から、魔法のように円を描いて、不意を打つように中心をえぐる。  
 他の指たちもすっかり乳房に埋め込まれて、我が物顔でぎゅうぎゅうと揉みしだいている。  
 ……それはまるで、ミルクが出なくてむきになっている赤ん坊みたいな執拗さ。  
 ふいに、解放されたと思ったら、親指と人差し指で、ぎゅうぅぅっと乳首をつまみ出された。  
「ひゃう……っ!」  
「……どうですか?立てそうですか?」  
 掛けられた言葉の意味はよくわからなかった。耳元にかかる吐息に、ただただ首をすくめていた。  
 つまみ出された乳首を、しゅっ、しゅって擦られる。  
「あっ、あ……っ」  
「ゆっくりで良いですからね……ゆっくり…」  
 学生さんは優しげな声で、たぶん、笑った。  
 そのとき、まるで目覚まし時計のように、カッコウの音が鳴り響いた。  
 すぐそばの交差点で信号の色が変わった。ただそれだけを知らせる音。  
 それが、私の羞恥心を一息に呼び起こした。  
 な、にを……。  
 こんな道ばたで! 白昼堂々! 私は何をしているんだろう!?  
 正確には何をされているんだろう、のはずだったが、とっさに出てきた言葉は糾弾ではなかった。  
「もっ、もう良いよ!!大丈夫みたいだなぁ〜!!!もう平気みたい!」  
 精いっぱい身をよじる。  
 学生さんは慌てた様子もなく、「……そうですか」とだけ言った。  
 そして、なで上げるように指を這わせた。  
「ぁんっ!」  
 思わず声が出て、カッと血が上る。ひっぱたいてやろうかと思ったタイミングで、学生さんはすっと身を起こした。  
「……それじゃあ」  
 実に優等生然とした笑顔で、実に鮮やかな引き際で去っていく。  
「あぁ……うん、それじゃ……」  
 私はうわごとのようにつぶやいて、完全に姿が見えなくなるまで呆けていた。  
 最近の痴漢って、あんなんなわけ……?  
 自転車にぐったりと寄りかかる。  
 ブラジャーに擦れる乳首が疼く。すっかり勃ち上がってしまって、痛いくらいだ。  
 ハッとしてきょろきょろ目をさまよわせると、一人二人、そそくさと顔を背ける影があった。  
 ……うわぁ。最悪。最悪だわ。絶対いい年して道ばたで発情かよ、とか思われてる。垂れ乳のおばさんのくせしていっちょ前に欲求不満ですか? とか思われてる。  
 くう……っ、今日はなんて厄日なんだろっ!  
 頭に上る血は限度を知らない。  
 道行く詰め襟たちをジト目で見やると、その中の一人と偶然目が合いそうになって。……瞬時にそっぽを向いた。  
 ああ、もう畜生……っ!  
 私は心の中でさんざん何かを罵倒しながら市場への道を引き返した。  
 
 ──アナタ、今日の夕飯はたぶん鼻血噴いちゃうから覚悟してて。  
 

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