陽が傾き始めてからずっと待ってた。  
 まだかな。拓海君まだかな。  
 私は昨日拓海君と会った廃ビルの前で、ずっと待ってる。  
 
「拓海君!」  
 私が大きく手を振ると、拓海君はちょっと照れたように笑ってくれる。  
 学校帰りの拓海君が、小走りにやってくる。  
「こんばんわ」  
「あ、こっち来て。この下から入れるから」  
 拓海君を廃ビルの中庭に誘う。  
 いくらなんでも、人通りのあるところでずっと私が拓海君とお話してたら、拓海君がおかしな人だって思われて  
通報されちゃうもんね。  
 
「えへへ。来てくれてありがとう。嬉しいな」  
「あ、あの、僕なんかでよかったらいくらでも」  
 この廃ビルにはちょっとした中庭がある。  
 誰も来ないから、ここでならお話しても大丈夫。  
 
 
 私と拓海君は、コンクリートの段差に腰掛けて話してる。  
 拓海君はコンクリの段差に手を突いて、脚をぶらぶらさせながら話す。  
 そしてときどき私のほうをチラッと見る。  
「で、夕子さん、やっぱり自分のことなにも思い出せないんですか?」  
「うん。なんにも覚えてないんだ」  
「でもその制服は○女でしょ?」  
「そうなの?」  
「そうですよ。名門じゃないですか」  
「ごめんね。そういうのも覚えてないんだ」  
「……」  
 ちょっと寂しそうな拓海君。  
 そんな顔をさせたくなくて、私は尋ねてみる。  
「ね、○女ってどんな学校?」  
「えと、名門のお嬢様学校で、頭よくって、ウチみたいな庶民の学校の生徒は声もかけられないようなとこです」  
「じゃあ、私死ぬ前はお嬢様だったのかな?」  
「きっとそうですよ。夕子さんいかにもお嬢様っぽいですから」  
「ホント?」  
 と拓海君の顔を覗き込むと一瞬目を丸くして驚いて、頬を染める。  
「……ええ」  
 そんな顔が可愛くて、私はさらに訊ねてみる。  
「ねえ、私ってどんな格好してるの?」  
「え?」  
「私、鏡とかあんまり見ないからわかんないんだ」  
「えっと…髪は長いです」  
「あ、ほんとだ」  
 前屈みになってみると、髪がサラサラっと垂れる。結構長い。  
「それから、髪は黒くてキレイです」  
「そうみたいだね」  
 髪を摘んでみると黒いし長い。  
「…いまどきは染めてる子のほうが多いよね」  
「でも、夕子さんは黒髪がキレイだからいいと思います」  
「そうかな」  
「そうです!」  
 妙に力強くそう言ってくれるのがなぜだか嬉しい。  
 
 妙に力強くそう言ってくれるのがなぜだか嬉しい。  
「うれしいな。じゃあ、私この髪型のままでいるよ」  
「…幽霊にも美容院とかあるんですか?」  
「あるわけないじゃない」  
 拓海君は可愛いなあ。  
「あ、でももしかして私、大昔に死んじゃった幽霊なのかな?」  
 全然記憶にないけど。  
「○女は戦前から制服変わってないそうです」  
「ってことは私戦前の人なの?」  
「でも、話し方とかあんまり僕の世代と変わんないですよね」  
「そうなのかな」  
「そうですよ」  
 
 そのあとも拓海君といろんな話をした。  
 拓海君の弟のタケシ君のこと。岳志君と書くそうだ。拓海君は海で、岳志君は山なんだね。  
「小2なんだけどね。バカだけど可愛いんですよ」  
 私は拓海君の、コンクリートの段差についた手のひらを見る。  
 その手のひらのすぐ横に、手を置いた。  
 私もそのすぐ横に座って、脚をブラブラさせながら、ほんのちょっとだけ、小指と小指が  
触れ合うくらいの近さまで手を近づける。  
 
 小指の先が触れるか触れないか。  
 私は幽霊だから触れられるはずも無いんだけど。  
 でも、触れるくらいの距離まで近づけると、なんだか胸がドキドキした。  
 
 拓海君の指。  
 どんな感触がするんだろう。  
 温かいんだろうな。拓海君は優しくて、心が温かい人だから。  
 きっと手も暖かいに決まってる。うん。きっとそう。  
 
 小指が熱い。  
 指先が痒い。甘くて、どこか痒くて、蕩けそうな感覚。  
 こんな感覚は初めて。  
 幽霊になる前のことは覚えてないけど、きっと初めてだ。  
 
「岳志はいつもお兄ちゃん、お兄ちゃん、って言ってくれてね」  
 そう言って嬉しそうな顔の拓海君。  
 それを見た瞬間。  
 心臓がズキン、と跳ねた。  
 胸の中で。もう心臓なんてないのに。  
 
 手が熱い。手の甲も。指先も。ズキズキするような熱さを感じてしまう。  
 
 ふと、手に目をやると、そこには。  
 拓海君の手が、私の手と完全に重なってる。  
 私は手の位置を変えてないから、拓海君が手を動かして、手を握ってくれたんだ。  
 
 なんだろう。  
 不思議に、体の中がぽかぽかしてくる。  
 春の日を浴びたときみたいに、体の芯からじわじわと暖かくなってしまう。  
 それだけじゃない。息が苦しい。  
 呼吸なんてしてないはずなのに。  
 息を吸っても、なんだか胸の奥になにか詰まってしまったみたいな感じがする。  
 
 
 拓海君と目が合ってしまう。  
 
 
 なんだろう。  
 なんなんだろ、この、ヘンな雰囲気は。  
 
 拓海君の顔がびっくりするほど近くにある。  
 ズキ、ズキ、と体じゅうの血管が。甘くほどけてくみたいに。  
 
 言葉が途切れる。  
 私も拓海君も、何にも言えなくなってしまう。  
 
 拓海君の吐息を感じる。  
 触れ合えるはずなんてないのに。  
 
 胸が苦しい。  
 夕暮れの空に照らされた拓海君の顔が近い。  
 
 なんだろう。  
 なんでこんなに苦しいんだろう。  
 
 拓海君の瞳。男の子の目って、こんなにキレイなんだ。  
 
 どうしよう。何を言おう。なんて言えばいいんだろう。  
 
 
 
 
 
 
 そんな瞬間、ナアア゛〜〜〜、というような不気味な音がする。  
 
 あ。猫だ。  
 
 私は慌てて立ち上がると、塀の上を歩いてる猫に近づいていく。  
 
「なー、なー、にゃー」  
 
 猫に猫なで声をしてみるけど、この猫は私を全く無視して廃ビルの中庭に降り立つ。  
 なんだよ。  
 
「……夕子さん、猫って幽霊は見えないの?」  
「あのね、猫にも霊感のあるのとないのがいるみたいなんだよ」  
 
 この猫は私に目もくれず、拓海君の座ってる段差にしゃなりしゃなりと歩いていく。  
 
「このこには私が見えないみたい」  
 猫にはいい人かどうか判るんだろうな。  
 この虎猫くんは拓海君にてとてとと歩み寄ると、腰に顔を擦り付けながら、ナオ゛〜、と甘えるように鳴いた。  
「ごめんね。なにもあげられるものないんだ」  
 拓海君はそう言いながら猫を撫でてる。  
 
 さっきはどうかしてたんだよね。きっと。  
 拓海君は生きてるし、私は死んじゃってるし。  
 なんかヘンなことになるなんてありえないよ。ありえないよね。  
 
「にゃー」  
 そう言いながら、拓海君が撫でてる猫の匂いを嗅ぐ。  
「にゃー、にゃー」  
 
「にゃー」  
 拓海君もそう言いながら、すっかり素直になった猫を抱えあげると、私に向けてびろーんと伸びた猫を掲げる。  
 
 楽しい。  
 楽しいな。  
 拓海君と一緒にいると、楽しい。  
 
 
 
 
 拓海君が「あ、スーパーの特売があるんで失礼します」と帰った後で。  
 なんだか私はニヤニヤしてる。  
 拓海君が去り際に「また明日」って言ってくれたから。  
 
 嬉しい。嬉しいな。また明日、来てくれるって。  
 私は拓海君のいなくなった廃ビルの中庭で、丸い月を見上げながら思う。  
 拓海君は今頃なにしてるのかな。  
 岳志君と晩御飯食べて、お風呂に入れたのかな。  
 お父さんのお夜食の準備してから、試験勉強してるのかな。  
 窓からこの同じ月を見上げたりしてるのかな。  
 
 拓海君。早くまた会いたいな。  
 
 
 

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