毎日、夕方が来るのが待ち遠しくなった。  
 拓海君が来るのをずっと待っている。  
 
「拓海君、夕焼けがすごいね。明日もきっといいお天気だよ」  
「そうですね。でも夕子さん、また暑くなっちゃいますよ。もう10月なのに」  
「う……私は暑いとか寒いとか、あんまり気にならないんだよ。幽霊だから」  
「そういうもんなんですか」  
「拓海君は暑いのと寒いの、どっちが好き?」  
「…うーん。寒いと食材が長持ちするから寒いほうがいいかな」  
「拓海君、ホントに主婦みたいだね」  
 
 
 拓海君は毎日、学校帰りに私に会いにきてくれる。  
 
「拓海君、中間テストはそろそろなの?」  
「明日からです」  
「え。そんな、こんなことしてていいの?」  
「なんでですか? 夕子さんに会えないと、僕調子出ないんです」  
 どうしよう。  
 嬉しい。  
 幸せ。  
 なんていっていいのかわからない。  
 死んでから、こんなに嬉しいのが続いた事なんてなかった。  
 人を怖がらせることしかできなかった私が。  
 こんなに楽しい気持ちになっていいのかな。  
 
 
 
 
 
 
 
 でも、そのしっぺ返しはまもなく私の上に訪れた。  
 
 
 
 
 日曜日には拓海君と会えなくて、寂しくて、辛くて、気がついたら涙がボロボロとこぼれていた。  
 おかしいね。  
 私、幽霊なのに。死んじゃってて、身体なんてもうないのに。  
 
 拓海君。  
 拓海君。  
 もっと会いたいよ。  
 もっとたくさんおしゃべりしたいよ。  
 拓海君の顔がもっと見たいよ。  
 拓海君のことを笑わせてあげたいよ。  
 拓海君。  
 拓海君拓海君。  
 ぎゅっと抱きしめてあげたいよ。  
 お母さんがいなくて、たいへんだけど愚痴の一つも言わない拓海君を、ぎゅっと抱きしめてあげたい。  
 抱きしめて、頭を撫でてあげて、拓海君は頑張ってるよ、いい子だよって言ってあげたい。  
 
 この身がないのが辛い。  
 拓海君に触れないのが呪わしい。  
 拓海君の傍にいつも居てあげられないのが苦しくてたまらない。  
 
 
 
 
 月曜日。今日は月曜日。拓海君が来てくれる日。  
 それなのに、拓海君はいつもの時間に来てくれない。  
 拓海君。まだ? まだ? まだなのかな? 拓海君? 来てくれるよね? 拓海君? 拓海君?  
 もう暗くなっちゃうよ?  
 
「ねえ、拓海君のこと知らない?」  
 私は歩道を通り過ぎていく人に、そう問いかける。届くはずの無い声で。  
 
「拓海君。とってもいい子なんだよ。とっても優しい子なんだよ。私のこと、美人って言ってくれるんだよ」  
 誰にも聞こえない、そんな声を道行く人に語りかける。  
 
「拓海君、優しくて、頑張り屋で、温かくて、すごくいい子なんだよ」  
 私の言葉はだれにも届かない。まるで遠い砂漠を一人旅してるみたいに。  
 
「拓海君、笑うと可愛いんだよ。ぎゅってしてあげたくなるんだよ」  
 通り過ぎていく人はだれも聞いてくれない。まるで分厚いガラス越しに話しかけてるみたいに。  
 でも、私は話し続ける。  
 
「拓海君。拓海君。寂しいよ。拓海君とおしゃべりしたいよ。拓海君の笑った顔が見たいよ。  
 拓海君。一人じゃ私、笑えないよ。わたし一人じゃ泣くことしかできないよ。  
 拓海君。声を聞きたいよ。笑顔を見たいよ。拓海君。拓海君」  
 
 幽霊の涙は尽きないらしい。  
 涙の水たまりができるくらい泣いても、拓海君は来てくれなかった。  
 
 
 
 
 
 
 
 いつの間にか夜が明けてる。  
 私は誰にも見えない。  
 私の声はだれにも届かない。  
 涙を流しながら、火曜日が始まる。  
 
 拓海君がいない。  
 拓海君が来てくれない。  
 私のことなんて、もうどうでもよくなったんだ。  
 私が幽霊だからダメなんだ。生きてる子の方がいいんだ。  
 
 火曜日の朝。朝。たくさんの人が歩いていく。でも私は誰にも見えない。  
 昼。拓海君の名前を口にする。何百回も。何千回も。何万回も。  
 拓海君、と呼ぶたびに。口の中でかすかに甘い味がする。舌の上でその名を転がすだけで、  
一瞬の間だけは幸せになれる。  
 
 拓海君。拓海君。  
 ごめんね。私が悪かったんだよね。ごめんね。ごめん。だから、会いに来てよ。もう一度だけでいいから。  
 謝るよ。なんでも謝るよ。ごめん。拓海君。だから、お願いだから会いに来てよ。お話させてよ。拓海君。  
 
 そして気がつけば夕暮れ時。  
 拓海君、来てくれるよね。  
 あの角を曲がって、いつもみたいに「夕子さん」って嬉しそうに言ってくれるよね。  
 
 空耳を何度も聴いた。  
 風の音が「夕子さん」という拓海君の声に聞こえて、思わず振り返ってしまう。  
 赤ん坊の泣き声ですら「夕子さん」に聞こえてしまい、そんなベビーカーを押す女を恨みがましく  
睨み付けてしまった。  
 
 
 拓海君。お願い。お願いだから来てよ。顔見せてくれるだけでいいよ。お話してくれなくてもいいよ。  
 拓海君の顔が見たいんだよ。声を聞かせてよ。拓海君。  
 
 
 私、一人ぼっちだ。  
 
 
 
 
 暖かくて、優しい拓海君の存在を知ってしまった今では、もう戻れない。  
 あの砂漠みたいな無人の世界はもうイヤだよ。  
 冬の雪原みたいな寒い世界ではもう、生きていけないよ。  
 拓海君。  
 
 無限とも思えるような呟きの果てに、いつの間にか、夜が明けてる。  
 水曜。水曜なのかな。もう実は何日も経ってるんじゃないのかな。  
 私の頭がおかしくなって、拓海君っていう幻を見てただけなんじゃないのかな。  
 
 
 うふ。  
 ふふふふふふ。  
 夢でもいいよ。幻でもいいよ。  
 このまま狂っちゃえば、また拓海君と会えるよね。  
 
 ふらふらと廃ビルの前を行き来する。  
 夢でもいい。幻覚でもいい。  
 拓海君に会いたいよ。  
 このままおかしくなってもいいから。  
 世界のすべてにうっすらとした幕がかかってるみたいにぼんやりとしてる。  
 このまま。このままおかしくなったら。たくみくんにあえるのかな。  
 
 
 
 何千回。何万回も行き来してただろうか。  
 
 ふわっ、と心地よい響きが耳に伝わってきた。  
「夕子さん?」  
「…………た………拓海君っ!!!!」  
 
 一瞬で目が覚めた。  
 世界を覆っていたベールが一瞬でどっかに消えてしまう。  
「ごめんなさい。ちょっと風邪引いちゃって、学校二日休んでました」  
 息を切らせて拓海君が言う。ちょっとだけやつれた風なのは、言ってるように風邪引いてたからなんだろう。  
 
 拓海君の声を聞いただけで、私は元通りになってしまった。  
 あんなに苦しくて辛かったのが、拓海君の一声で元通りに。  
「いいよ、全然いいよ。拓海君が会いに来てくれたから全然大丈夫だよ!」  
 私に身体があったら抱きつくことができるのに。  
 拓海君の身体を何度もすり抜けて嬉しさを表現することしかできない。  
 
 
 ビルの中庭で、座りながら話す。  
「夕子さんに会えなくて、寂しかったです」  
 拓海君がそう言ってくれただけで。  
 それだけで、私は足が地に付かないくらいのふわふわとした幸せの海に漂ってしまう。  
「私も、拓海君来てくれなくて寂しかったよ。拓海君が寂しいのよりもずっとずっと、寂しかったんだよ」  
 
 うれしさのあまり、  
「もし身体があったら、拓海君の寂しさを消してあげられるのにな」  
 と、つい、そうつぶやいてしまう。  
「…え?」  
 拓海君の怪訝そうな声に、私は答える。  
「私が生きてたら、拓海君をぎゅっとしてあげられるのにね。残念」  
 そしたら拓海君は、顔を赤くして恥ずかしそうに言った。  
「そんな……夕子さん美人だから、もし生きてたら僕なんかかまってくれるわけないですよ」  
「そんなことないよ! そんなことない。でも……拓海君こそ、彼女とかいるんでしょ?」  
「…そ、そんなのいないです。僕ガキだし、背も低いし、ビンボ臭いし」  
「ううん。拓海君は大人だよ。背だってちょうどいいし、家のこと何でもできる拓海君はカッコいいよ。  
 そんな拓海君がいいんだよ。私、生きてたら拓海君の恋人になってあげられるのにね」  
 
 
「…かっ、からかわないでくださいっ」  
「からかってなんかないよ。私、拓海君にはホントのことしか言わないもん。  
 でも、残念。私、身体がないのがこんなに辛いって思ったことないよ」  
 そう言って拓海君を見る。拓海君もなんだか、照れてるけどどことなく嬉しそう。  
 だからさらに私は素直な気持ちが口をついて出てしまう。  
「嬉しいんだよ。拓海君とお話しするの、楽しいから」  
「僕も…夕子さんとお話しするの、楽しいです」  
「ホント?」  
「ホントです。僕も、夕子さんには絶対ウソ言いませんから」  
 
 ふにゃ、と顔がほころぶ。  
 嬉しいなあ。嬉しいなあ。  
「嬉しいなあ。嬉しいなあ。私、幽霊になってからこんなに嬉しい気持ちになったの初めてだよ!」  
 心の中の呟きが、気がついたら声になって出ていた。  
「ホントですか?」  
「ホントだよ!」  
 
 秋だからか、夕焼けはすぐ夜になる。  
 拓海君、帰らなきゃいけない時間になっちゃうよ。  
 寂しいな。  
「拓海君に取り付いたりできればいいのにね。そしたらずっと一緒にいられるのに」  
「できないんですか?」  
「ダメみたい。私、そこの交差点の近くからは離れられないみたいなの」  
「じゃあ、僕が毎日会いに来ますから」  
 その笑顔が胸に焼きつく。そして別の考えも浮かんできてしまう。  
「……」  
「夕子さん? ダメですか?」  
「だ、ダメなんてとんでもないよ。嬉しい。拓海君が来てくれるのはすごく嬉しいよ」  
 
 拓海君の言葉にすぐに答えられなかったのは、私の心に暗い渦が一瞬だけできてしまったから。  
 一瞬だけ。  
 ほんの一瞬だけ。  
 私の中に悪い心が生まれてしまった。  
 拓海君は、いつか高校を卒業する。  
 そして、ここじゃないどこかの町に行ってしまう。  
 私の元から去っていってしまう。  
 
 私のものにならないんだったら。  
 
 拓海君が、私の傍にずっといてくれるために…  
 ……拓海君が、ここで死んでくれたら。  
 方法はわからない。  
 でも、もし、そうできる手段があったら。あったとしたら。  
 私はその手段を使わない自信はなかった。  
 
 とんでもないよ!  
 そんなこと、できるわけないし。  
 できたって絶対やらないよ。  
 拓海君は元気で生きてるヒトなんだから。  
 
 私なんかと違って、生きてるんだから!  
 

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