――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-  
 視界は真っ暗。  
 ずっと暗い。  
 あれ。なんだろ?  
 なんだろう。雫。暖かい雨のような雫が私の頬に落ちてくる。  
 ぽた、ぽた、ぽた、と。  
 
 暖かい、そして、なんだか塩っぽい。  
 
…ああ、涙なんだ。  
 人間がこんなに激しく泣けるのだろうか、と思うくらい沢山の涙が私に降ってくる。  
 
「夕子さん」  
 拓海君の声だ。  
 拓海君泣き虫だなあ。そんなじゃ女の子にもてないよ。  
「夕子さん」  
 声大きいよ。聞こえてるよ。温かい。あれ。なんだろ。手の先が温かい。  
「夕子さん」  
 うん。やっぱり拓海君の声いいね。こう、ビリビリ痺れそうなくらいいい声。  
 耳たぶに吹きかかる吐息もなんだかゾクゾクする。  
「夕子さん」  
 うん。わかってるよ。拓海君でしょ。  
 
 拓海君、泣いてちゃダメだよ。  
「・くみ・ん、ないて・ゃらめ・よ」  
 
 あれ。おかしいな。うまく声が出ない。  
 
「た・みく・」  
「夕子さん!?」  
 
 目が開いて最初に飛び込んできたのは、拓海君の顔。  
 ちょっとだけ痩せて、でもやっぱりクッキリとした目鼻立ちの可愛い、私の大好きな男の子。  
 
「夕子さん…」  
 拓海君はそう言って私の肩を掴む。  
 ……掴む?  
 
 え?なんで?なんで拓海君が私の身体に触れるの?  
 私成仏したはずなのに!?  
「たく…くん、な…で」  
「夕子さん……」  
 私の肩を掴みながら、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくってる拓海君。  
 汗のにおい。涙のにおい。そして、アルコール消毒みたいなにおいもする。  
 え?  
 ここ病院?  
 
 ピ、ピ、という電子音。カーテンのざわめき。リノリウムの床にヒールの靴音。  
「夕子さん…」  
 そう言ってくる拓海君の手の暖かさ。指の力強さ。  
 どれも、生きてるモノの感触だ。  
 どうしてだろう。  
 どうして。拓海君がここにいて、私がベッドで寝てるんだろう。  
「たくみ・・・くん」  
「夕子さん」  
 拓海君はいい匂いがする。  
 汗臭いけど、不思議に不快じゃない。  
「僕、夕子さんが消えてから、ずっと探してたんです」  
「ごめ…ん、ね」  
「いいんです。でも、何日も町中さがしても見つからなくて。  
 だから、夕子さんのお墓に行ったらまた会えるかもしれないって思って…」  
 
 涙グズグズの顔でそう言う拓海君。可愛いけど、涙はぬぐったほうがいいよ。  
 そう思って拓海君の顔を拭いてあげようとしたら、腕が動かない。  
 いや、動かないんじゃなくて、手がものすごく重いみたい。  
 あれ?なんで?  
「あ、ムリしないでください。夕子さんずっと昏睡状態だったんですから」  
「え?」  
 言葉がすぐには頭に入ってこない。  
 そんな私に、拓海君は優しく囁きかける。  
「僕、あの交差点の事故の記録を調べたんです。図書館に行って、死亡事故の記録がないか、ずっと。  
 でも、新聞の記事を何年もさかのぼったのに、夕子さんくらいの歳の女の子の死亡事故の記録ってなかったんです」  
 そして私の顔を真っ直ぐに見る拓海君。  
「警察署にも行ったんです。そしたら、女の子の死亡事故はないけど○○女子学院の女の子が事故に遭ったことはある、  
って言われて」  
 拓海君の涙声。  
 かわいいつぶらな瞳に涙をたたえながら、拓海君は言う。  
「…事故に遭った女の子は、いまでも植物状態で入院してるって」  
「…そ…れ、わた・・し・・・」  
「そうです。夕子さん、事故に遭ってからずっと昏睡状態にあったんです。  
 幽霊じゃなくて、生霊だったんですね」  
 突然。津波のように多すぎる情報が突然頭の中に入ってきて、うまく考えられない。  
 
 
 
 ガラッ、と病室の扉が開くと、そこには大人の女の人が立ってた。  
 その人は疲れたような顔から、一瞬で表情を変えた。  
 口をぽかんと開けて、信じられないような表情。そして涙。  
「……………真由!?」  
 あ。お母さんだ。  
 お母さん。ちょっと痩せちゃったね。  
 うん。私のお母さん。名前は由美子。  
「目が覚めたのね…真由」  
 真由。そう。真由。私の名前。真由って言うんだ。  
 いろんなことを思い出した。  
 家族のこと。学校のこと。事故のこと。  
 
 泣きながら私のことを抱き締めてくれてるお母さん。  
 お母さん。心配かけてごめんね。  
 
 お母さんは私の身体や顔をぺたぺたと叩いて  
「真由? ホントに起きたのね? 夢じゃないのね?」  
と感激しきりだ。うん。暖かい。熱い。お母さん。お母さん。  
 
 何分続いたのかよくわからない。  
 お母さんは泣きながら私を抱きしめてくれてる。  
 拓海君の掴んでくれてる手は暖かい。  
 
――ああ。そうか。私…私…  
 私はいろんなことを思い出した。  
 
 そして、だんだん眠くなってきてしまう。  
 
「ところであなた! いったいどなたなの!?」  
 お母さんが拓海君を不審そうな目で見ながら言う。ダメだよそんなこといっちゃ。  
「たくみくん、だよ」  
 ああ、そうか。鼻からチューブみたいなのが入ってるから喋りにくいんだ。  
「真由!?」  
「おかあ、さん。わたしね、たくみくんが、よんでくれたから、かえってこれたんだよ」  
 うまく言葉が出てこない。  
 喉の奥が固くなってるみたいで。  
「たくみ、くん、が、おきなさい、って」  
 なんだか視界がぼやけてくる。  
「いって・・・くれた、から」  
 拓海君の顔が二重写しになる。二人いても拓海君かわいいなあ。  
 
「おかあ、さん、わたし、どのくらい、ねむってた、の」  
「…二年よ。あなた、二年五ヶ月も眠ってたの」  
「…そう」  
 ということは、私は今18歳。  
「たくみくん、はね。わたしの、はつこいのひとなの」  
 
 ぎょっとするお母さん。  
 でもホントなんだよ。  
 ふたりいる拓海君は顔を赤くしたまま、私の手を握ってくれてる。  
 
「わたしをずっとさがしてて、きょう、わたしをみつけてくれたの」  
 つないだままの重い手を持ち上げる。  
 拓海君がその手を握ってくれてる。  
 暖かい。熱い。柔らかい、でも筋肉質な手のひら。  
 もっとたくさん言いたいことがあるのに、でも、何だか瞼が重くなってきちゃった。  
「おねがい。たく、みくん。きっと、あしたもきてね」  
 なんだか眠くなっちゃった。  
「必ず来ます。だから、明日も目を覚ましてくれますか?」  
「うん」  
 
 その夜、なんだかお父さんもきたみたいだったけど、眠くてよく覚えてない。  
 ヘンな匂いのする背広を着た大きな男の人が大騒ぎしてたけど、あれがお父さんなのかな。  
 ……あ、このヘンな匂いってお父さんのだ。うん。だから眠いから寝かせてよ。  
 明日は拓海君がまた来てくれるんだから。  
 ちゃんと寝ないと美容の大敵なんだからね。うん。  
 
 
 
 
 目が覚めた。  
 お母さんがいる。やっぱり泣いてる。  
「真由」  
「まゆっ」  
 あ、お父さんもいるんだ。ごめんね。  
「そんななかない、でよ。もうこれ、からまいにち、おきるんだから」  
 まだ上手く言葉がでてこない。  
 両親は一時間くらい泣いてた気がする。  
 嬉しいな。お父さんもお母さんも喜んでくれてて嬉しい。うん。  
 
「あ、そうだ。おかあさん、かがみ、ある?」  
 今日は拓海君が来てくれるんだから。  
 ちゃんとキレイにしないとダメ。  
 顔むくんでないかな。  
 寝癖ついてたらどうしよう。  
 
 そんなことを考えながら鏡を覗き込むと。  
 そこにはガリガリの血色の悪い貧相な子がいた。  
 
 ショックだった。  
 拓海君にこんな顔見せてたなんて。  
 
 驚愕したままの私は、ガラッという扉の開く音を聞いた。  
 拓海君。来てくれたんだ。でもダメ!  
「だめっ!!!」  
 
 私はシーツを被って拓海君の視線をさえぎる。  
 
「え? あ、あの……夕子さん?」  
 
「だ、だ、だめ、なの! た、たくみ、くん、だめ」  
「あ、あの…」  
「真由?」  
 お母さんが怪訝そうな声で言ってくる。  
 
「あ、あの、わ、私ね、こんな、かお、だから、たくみくんに、顔、み…せられない!」  
 シーツの向こうから拓海君の声がする。  
「あ、その、夕子さんはキレイですよ!?」  
 だめ。だって、拓海君には一番キレイなわたしを見せたいんだから。  
 
「おかあさん、かーてん、しめて」  
 と、お母さんに懇願する。こんな顔、拓海君に見せられないよ。  
「…真由?」  
「だって、はずかしいんだもの」  
 
 私が慌ててるのを見た拓海君は、ちょっと悲しそうな顔をしてる。  
 
「あ、あの、ダメ…ですか?」  
 拓海君はそう言ってくるけど。  
 
「…ダメですか?」  
 拓海君が、まるで捨てられた子犬みたいな声で言ってくるのを聞くと、胸の奥がキュンキュンと叫ぶような音を立てて切なく鳴ってしまう。  
 
 しゃー、という音とともにカーテンが閉められる。お母さんが閉めてくれた。  
 
「あ、あの…」  
「たくみくん、そこ、すわって」  
 
「いいんですか?」  
「…うん。わたしいま、こんな、かおだから、恥ずかしくて…」  
 
「たくみくん」  
「はい」  
「て、だして」  
 
 私は拓海君の手を握る。  
 暖かい。柔らかい。肌は乾いてるけど、その芯はしっとりとしてて、触ってるだけでもすごく幸せな気持ちになれる。  
 
 私は途切れがちな声で、拓海君とお話をした。  
 いろんなこと。あの後のこと。拓海君のこと。私が思い出したこと。  
 
 どれだけ時間があっても足りないくらい。  
 夜の面会時間も終わりそうになって、病棟のチャイムが鳴る。  
 
「あの…たくみ、くん…あしたも…きてくれる?」  
「もちろんです」  
 
「やくそく」  
 小指を伸ばすと、拓海君はその小指と自分の小指を絡ませて、軽く振った。  
「約束ですよ」  
 どうしてだろう。  
 拓海君と触れ合った指が、こんなに幸せ。  
 
 指が蕩けそう。  
 指の骨が、甘く疼いて融けてしまいそう。  
 全身の身体の骨が、その髄から甘く甘く溶けて、私が私じゃなくなってしまいそう。  
 拓海君の力強い指の熱さが、私の身体の芯をとろとろに蕩かしていく。  
 
 私の形が変わってしまいそうなくらい。  
 涙が止まらないくらい、甘くて切ない感覚が私の身体に広がっていく。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 それから拓海君は毎日来てくれる。嬉しいな。  
 拓海君と会える。それも、今度はちゃんと触れ合える。  
 
 
 そんな毎日。私は拓海君に、思い出したいろんな事を話す。  
 
 高校二年のあの日。車で迎えに来てくれたお父さんと、つまらないことでケンカして。  
 私はお父さんの車から飛び降りるみたいにしてドアから出た。  
 お父さんなんて大嫌い、そう言ったのも覚えてる。  
 
 そして、次の瞬間ブレーキの大きな音がして。  
 
 そこから先の記憶はない。  
 
「お父さん、心配なさってたでしょうね」  
「…うん。わたし、わるいことしたなって、今はおもうんだ」  
 
「夕子さん…じゃなくて、真由さんのことを思ってくださってるんですよ」  
「…夕子、でいいよ」  
「え?」  
「真由は私だけど、拓海君のことが大好きな私は夕子なんだよ」  
 拓海君はカーテンの向こうで驚いてるみたい。  
「私のことを真由って言ってくれるひとは何人もいるのかもしれないけど、私が好きな拓海君にとっては夕子だから。  
 私のこと、夕子って呼んでくれる人は世界中で一人だけなんだよ」  
 拓海君の指の力が抜ける。  
 嬉しいのかな。  
 拓海君が喜んでくれてたら嬉しいな。  
 
 お母さんにもお父さんにも、私が幽霊だったときのことは話してない。  
 拓海君は、私の初恋の人だ、としか教えてない。  
……だって、ねえ。信じられないでしょ?  
 
 拓海君に、私は言った。  
「私ね。リハビリがんばるから」  
「ええ、そうですね。二年間も眠ってたから筋肉が衰えてるってお医者さんも言ってました」  
「うん。体力つけて、自分で歩けるようになりたいな。  
 で、そしたら、春からは拓海君と同じ学校に通いたいの」  
「へ?」  
 拓海君はびっくりしてるみたい。  
「……私の同級生はみんな卒業しちゃったから、元の学校に戻っても誰も友達がいないんだよ」  
 
 
 
「私、二年生の六月からずっと休学してるから、今度の四月、二年生の最初から復学すればちょうどいいって。  
 拓海君が同級生でいてくれたら、私安心できるんだけどな」  
「で、でも、○女ってすごく名門のとこじゃないですか。ウチみたいな、っていうかウチ普通の高校ですし」  
 慌ててる拓海君もすごくかわいい。  
「お父さんもお母さんも、私がそうしたいっていうんならいいって」  
 息を呑む拓海君。私と同級生になってる風景を想像してるのかな?  
 
 
「拓海君は、私を目覚めさせてくれた……ふふふ。………なんちゃって!」  
 はずかしすぎて言えないけど。  
 拓海君は私の王子様。私をキスとえっちで目覚めさせてくれた、白馬の王子様なんだよ。  
「…拓海君と同級生になれるんだよ。幽霊だった私が。私、それだけで幸せなんだもん」  
 
「夕子さんっ」  
 拓海君はそう叫ぶと、とても熱くて固い感覚が私を包んだ。  
 
 気がつくと、拓海君が、カーテンを跳ね除けて、私の身体を両腕で抱きしめてる。  
 
 
「拓海、くん…」  
 
 
 
 どうしよう。  
 胸の中がグルグルして訳がわからない。  
 心臓が破裂しそう。骨の芯から甘い甘い蜜みたいなものが全身に広がってくる。  
 体中のちからがぬけて、拓海君の腕に抱かれたまま蕩けそうになってしまう。  
 
 そんな拓海君は、ちょっとビックリするようなことを言った。  
「夕子さん。僕の彼女になってください」  
「たくみ、くん」  
「僕、夕子さんのことが好きです。大好きです。本気で好きなんです」  
 骨のないタコみたいに、抱かれたままの私はくにゅっと全身からちからがぬけてしまう。  
「くるしいよ、拓海君」  
「あ! ご、ごめんなさい」  
「いいんだよ」  
 最近ちょっとだけ軽くなった腕で、慌てて腕を解こうとした拓海君の袖を掴む。  
「…へへ」  
 顔が勝手にほころんでしまう。  
 
「私ずっと、拓海君のカノジョのつもりだったよ」  
「あっ…、そ、その……」  
「いいんだよ。そういうのハッキリさせようとする拓海君も大好きだから。  
 男らしくて、私そういうとこ大好きだよ」  
 
 拓海君の目が、私を真っ直ぐに見てる。恥ずかしくて顔を俯けようとする私のあごを、拓海君の力強い指が押しとどめる。  
「夕子さん」  
 カーテン越しにしか会ってなかったから、久しぶりに見る拓海君の顔。  
 その緊張しつつも嬉しそうな顔を見たら、私はもうなにもできない。  
 
 私は拓海君の手を掴む。  
 指と指の間に、拓海君の指をはさむ。  
 いわゆる「恋人つなぎ」って手のつなぎ方。  
 友達のコイバナで聞いたことはあったけど、実際にするのは初めて。  
 すごく幸せ。  
 拓海君の指が。芯は硬くて太いけど、その表面は拓海君みたいにすべすべで暖かくて柔らかい。  
 そんな指が、私の指の一本一本の間に存在してくれてる。実感できる。  
 
 それだけで、私は涙が出ちゃいそうなくらい、幸せな気持ちになれる。  
 
 拓海君。拓海君。  
 なんど思っても思いつくせないよ。  
 拓海君。  
 拓海君。大好き。世界で一番大好き。  
 
 その溢れそうな思いに突き動かされて、私は拓海君に思いを素直に吐露してしまう。  
「拓海君の手、暖かいな」  
「…そうですか」  
「うん。きっと、心が暖かいから手も暖かいんだよ」  
「…あ、でも、その、夕子さんも、あの、すごく柔らかい手で、きもちいいです」  
「私ね、拓海君に手握られると安心するんだ。拓海君の暖かい心がつながってるみたいで。  
 そしてね、胸もなんだかドキドキするんだよ。指が触ってるだけなのにね」  
「…僕も、夕子さんの指、すごく好きです。触れ合ってるだけで、気持ちいいです」  
「私も………。…ねえ、拓海君。指だけでこんなに気持ちよくなれるんだったら、裸どうしで抱き合ったらどんなことになるのかな?」  
 えっちなコだって、思われないかな?  
 そんな恐れを抱きつつ、でも私は自分の素直な気持ちを止められない。  
 
「――なっ、そ、そんな、こと、知りませんっ」  
 突然慌てる拓海君がかわいい。かわいくて、大好きで。  
 だから、私は本心を隠すことができなくなってしまった。  
 
「ふふふ。ね。拓海君。私の身体が元通りになったら、またえっちしようね」  
「……!」  
「今度こそ、ホントに私の処女あげられるんだね。嬉しいよ」  
「ゆ、夕子さん…」  
 
 拓海君の顔がびっくりするくらい近くにある。  
 その瞳はすごく真っ直ぐで、ものすごく真摯で、私の目を射抜く。  
 
 ああ。  
 そうなんだ。  
 うん。  
 優しくしてね。  
 
 私はゆっくりとまぶたを閉じ――  
 
「あら。拓海くん、来てたの?」  
 と、その瞬間にお母さんの声がした。  
 
「あ、あ、はい」  
 慌ててカーテンの中から出てく拓海君。  
 
――あああ!もう!お母さん!タイミング最悪!!  
 
 そんな私の心の叫びを無視する見たいに、お母さんは拓海君に話しかけてる。  
「あら? ちょっと、拓海くん鼻血出てるわよ」  
 最近はお母さんまで拓海君のことを名前で呼ぶようになった。私が拓海君拓海君ってずっと言ってるからだろう。  
「あ、す、すいません。ちょとびっくりしちゃって」  
「ビックリ?」  
「あ、あの、マユ…さんが、僕の高校に通いたいって言ってくれたから」  
「あら、真由ったらもう言っちゃったの? 一度拓海くんに相談してからと思ってたんだけど」  
「いや、僕は全然かまわないっていうか! むしろ嬉しいんですけど、でも○女よりはウチってだいぶ…」  
「いいのよ。真由が拓海くんと同じ学校に行きたいって言ってるんだから」  
「そうですか」  
「そうよ。……真由ね、拓海くんのこと、白馬の王子様だって言ってるくらいなんだから」  
「――お母さん!」  
 ああもう! 余計なこと言って!!  
 
 
「あら。真由起きてたの」  
「起きてるわよ! お母さんソレ拓海君には言わないでって言ったでしょ!」  
「最初のときはごめんなさいね。見たこともない男の子が、娘のそばにいてビックリしちゃって。  
 拓海くんが真由を目覚めさせてくれたってわからなかったから。  
 本当ならお礼を言わなきゃいけないところだったのに」  
 娘の声を無視してお母さんは拓海君に弁解してる。もう!  
 
「あ、いえ、その、別に気にしてないって言うか、全然かまいません」  
 そう言う拓海君に、お母さんは  
「でも、真由もつくづく女の子よねえ。二年間毎日、私と夫がずっと『起きなさい』『いつまで寝てるの』って  
言い続けてもさっぱり起きなかったのに、好きな男の子がキスしたくらいで目が覚めちゃうなんて、ねえ。  
……なんて薄情な眠り姫なのかしら」  
と、信じられないことを言う。  
 
「―お母さん!」「―い、いやその、キスとかはまだしてません」  
 私の声に拓海君の声が重なる。あーもう、拓海君も!  
 
「……ふーん。『まだ』ねえ…」  
「あ、いやその、あの、その…」  
「いいのよ。拓海くんは娘を目覚めさせてくれたんですもの。  
 植物状態の真由を見てるうちに、もしかしたらこのまま何十年もこのままなのかも、って心のどこかでは思ってたの。  
 そんな娘を取り戻してくれた、拓海くんは恩人なんだから」  
「…」  
「それ考えたら、娘の唇の一つや二つ、安いもんよ」  
「お母さん!」  
「あ、でも、真由はまだ身体が本調子じゃないから。ちゃんと気遣わなきゃダメよ?  
 キス以上のことは、もっと大人になってからしなさいね?」  
「あ、あ、いやその」「お母さん!」  
 
「あ、あした、また来ます!」  
 そう言うと、拓海君はカーテンをめくって私の耳に口を寄せると  
「夕子さん。また明日来ますから」  
と、囁いてくれた。  
 
 拓海君が病室をでていったあとで、  
「ね、今ってキスしてもらったの?」  
とカーテンを開けながら、お母さんはそう聞いてきた。  
 もう知らない。ホント、デリカシーがないんだから。  
 私がむくれてると。  
「嬉しいのよ。もう、ずっとこのままかと思ってたから。  
 娘がボーイフレンド連れてくるなんてホームドラマみたいなこと、一生できないと思ってたから」  
 泣きながらそう言ってるお母さんに頭を撫でられたら。  
 何も口答えできなくなっちゃう。  
 
 
 
 
 そんなこんなで、四月。私は拓海君と同じ高校に通い始めた。  
 
 拓海君と同じクラスになれたのは、お父さんが手を回してくれたからかな。  
 学校は楽しい。  
 ホントは三つ年上なんだけど、私は二年間眠ってたからクラスメイトは実際は一コ下みたいなもので。  
 拓海君がいてくれるからってのもあるけど、クラスの子たちもみんな優しくしてくれてる。  
 私の眠ってた間にあったいろんなことを教えてくれる。  
 
 拓海君はやっぱり優しい。毎朝私を家まで迎えに来てくれるし、帰りも一緒に帰ってくれる。  
 道を歩くときも、いつも私を歩道側にかばってくれてるし、私が転ばないようにいつも手を握ってくれてる。  
 私はもうリハビリもすっかり済んで、もとの体力になったんだけど。そんなに優しいところが嬉しい。  
 
 拓海君と一緒に授業を受けるのも嬉しい。  
 授業中、当てられた拓海君がみごとに英訳したり、証明を黒板に板書したときなんかはなぜだか誇らしくなる。  
 私の拓海君、すごいでしょう?  
 胸を張ってそう言いたくなる。  
 
 
「ね、ね、マユさん、やっぱり拓海っちと付き合ってるんでしょ?」  
 女の子がコイバナが大好きなのは女子高でも共学でも同じみたい。  
 私と拓海君がどういう関係なのか、興味津々といった顔なのは同じクラスの咲ちゃん。  
 咲ちゃんは私に付きまとってきて、しかも私の拓海君のことを名前で呼んでて、最初はどうかなと思ったけど、「マユさんて美人でお姉さんみたい」と言ってくれたからもう許す。可愛い子だしね。  
 
「…咲はアホだね。あんだけベタベタイチャイチャしてて、付き合ってないわけないじゃん」  
 と言うのは桜ちゃん。髪はショートでキツ目の顔立ちだけど、ホントはすごく優しくていい子。  
「そーか、やっぱそうなの?」  
 上目遣いに尋ねてくる咲ちゃん。  
 そんな咲ちゃんたちに、私はホントのことを教えてあげる。  
「……そうよ。拓海君は私の初恋の人なの。…それにね、私の初めてを捧げた人なのよ」  
 
「「――マジで!?」」  
 二人の声がキレイにそろう。  
 
「うわああああ〜〜〜、さっすが真由さん、オットナー!!!」  
「あの、その、どうだったんですか? 最初のときって!?」  
 咲ちゃんが素直に感心してるのに、桜ちゃんはドギマギしながらその初めてのことを聞いてくる。  
 可愛いなあもう。  
 
「…ひ・み・つ?」  
「えー。そんなこといわないで教えてくださいよー」  
 と桜ちゃん。  
 
 そんな私に、咲ちゃんが疑問をぶつけてくる。  
「ねえ、ところで拓海っちって、なんで真由さんのことを『ユウコさん』って呼ぶの?」  
 
……拓海君。私、これになんて答えたらいいのかしらね?  
 
 
------------終------------  
 
 

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