――あれから、幾つもの夜を過ごしたように感じる。  
 
 「あの日」のことを考えると、今でも胸が苦しい。  
  でも、苦しいだけじゃない。また彼女に―「アリス」に逢えると、希望を持ちながらここまで生きてきた。  
  アリスに貰ったリボンを辛くても忘れないように左腕に巻きつけていた。  
 「あの日」――、アリスは消えてしまった。けれど、このリボンだけは未だに、確かに僕の腕にしっかりと結ばれてい。  
 
  だからこの二年間、長く感じられたけど信じ続けることができた。  
  また彼女に―「アリス」に、逢うことができるはずだ、と。  
 
  そして、運命は廻り始めた。  
 
「…あ…とさ……」  
  声が聴こえた。どこかで聴いたことのある声。  
「まさか…」  
  不安と期待が入り交じりながら、確信するために彼女の名を呼ぶ。  
「…アリス?君なのか?アリス!!」  
  そして、目の前に「それ」は現れた。  
 
「あ…あぁ…」  
  黒髪で長めのツインテール、黒衣のローブに大鎌、その姿は紛れも無く「彼女」であった。  
  ……「瞳」以外は。  
「…アリ、ス?」  
  目の前に現れた死神の瞳は、「緋色」をしていた。そして僕の問いの答えに、こう告げた。  
「いいえ、私はアリスではございません。」  
  僕は、ただ愕然とするばかりであった。  
 
「…貴方が、蒼人ですね?」  
  …!何で、僕の名を…?  
「どうして…それに、君は一体…?」  
「間違いないようですね。……ボソ(本当に、あの方に似ておられる…)」  
「あの方…?」  
「…いえ、こちらの話です。私の名はイヴ。死神であり、原初の"アニマ"です。」  
  原初の…アニマ…?  
「それって…どういう…」  
「貴方に人の運命を決める審判が下されました。その結果によっては、貴方が今逢いたい方と逢うことができるでしょう。」  
「!!それって…彼女に…アリスに逢えるってことなのか!?」  
「ええ。しかし、また結果によっては、人類の滅亡もありえます。」  
  僕は言葉を失った。  
 
  そしてこの瞬間、全ての命の運命は僕の手に委ねられた。  
  僕はこの先に待ち受けるものが、とてつもなく恐ろしく思えた。   
 
  その後、イヴはどうして僕がその「審判」に選ばれたのか話してくれた。  
 
  そして僕が、原初の「アニムス」の元である「アダム」の生まれ変わりであることを知った。  
  それ故、僕はアリスやイヴを視ることができるのだという。  
  イヴが現れた理由は、アリスが消えたことでその代替として、アダムのアニマがイヴだからということが重なり、  
  僕の前に現れることができたのだという。  
 
  そして、なぜ深層心理体が死神となったのか、その原因となる話を聞いた。  
 
――まだ楽園という場所に人間が住んでいたころ、原初の人間であるアダムとイヴは深く愛し合っていた。  
  しかし、あるとき神から口にしてはならないと言われていた禁断の果実を二人で食したがために楽園から追放された。  
  ある「罰」とともに。  
  その罰とは、お互いの姿が見えなくなるという罰、そして死の直前に愛する人に殺されるという罰。  
  つまり自分のアニマ・アニムスに殺されるということ。これがアニマ・アニムスが「死神」となる所以である。  
  愛する人に殺される――これほど辛い罰は二人には無いだろう。  
  更には、深層心理体として存在するアダムとイヴは消滅せずに、愛する人を殺してしまったという悲しみを背負ったまま、  
  永遠に存在し続けるという残酷なものだった。また、アニマとアニムスは相反するものであり、お互いを認識することが出来ないため、  
  二人は永遠に孤独で居続けることになる。  
 
  僕はこの話を聞いていたとき、涙が止まらなかった。  
  それが僕がアダムの生まれ変わりだからだとか、変な同情心からくるものではない。  
  あくまで僕自身のことのように感じ、また僕自身が悲しいからだった。  
  また、その二人が僕とアリスのように感じられて、更に悲しみが深まった。  
  そして、イヴはこう言った。  
「だからこそ、貴方には為さねばならないことなのです。これは私たち人間に課せられた試練なのだから。」  
  試練。 僕とアリスが離れ離れになったことも、全て運命だったのか?  
  だけど、そんなことは関係ない。僕は人類のためだとか、そんな大それたことも考えない。  
  ただ、アリスを、そして永遠の呪縛に繋がれたアダムとイヴを救いたい、それだけだった。  
 
「では、貴方を"神"のところへ連れて行き、そこで試練を受けてもらいます。」  
「"神"…?」  
「貴方がたの世界ではヤハウェ、などというのでしょうね…」  
「もしかして、その"神"がイヴたちを…?」  
「…では目を瞑っていてください。」  
  僕は確信した。その"神"とやらが楽園から追放した張本人だ。  
  そして言われるまま、僕は目を瞑り、不思議な感覚に包まれた。  
 
  間もなく、僕は"神"のいるところに着いた。  
  そこで見たものは、想像をはるかに超越していた。  
 
  これが、"神"――。  
  この姿を、どう言えばいいのかわからない。僕の表現力が足りないとか、そういう次元じゃない。  
  この世界で、表現できる言語が無い。それくらい超越した存在。  
  それが"神"。見た者にしかわからないとは、まさしくこのようなことなのだろうと、僕は思った。  
  そして"神"は語った。いや、語ったというか、こう"言われた"気がした。  
「汝、人ノ子ヨ。我ガ試練ヲ超エシ時、汝ノ願イ果タサレン。超エラレヌ時、人皆滅ス。汝、人ノ子ヨ。覚悟セヨ。」  
「…その試練とやらは何だ?」  
「試練。汝ガ愛スル者ヲ闇カラ救ウコト也。」  
  つまり、アリスを連れ戻すってことか?  
「それだけなのか?それが試練なんだな?」  
「闇、即チ地獄。絶望ト苦痛ト悲哀ト憎悪ガ渦巻ク場所。其ノ道ナリ酷ク険シイモノ也。長ク遠ク悠久ノモノ也。」  
「どんなに困難な道でも、絶対に連れ戻してやる!絶対にだ!」  
「ソシテ条件ガ有ル。」  
「何だ。」  
「決シテ誘惑ニ負ケテハナラヌ。其ニ負ケタ時、全テヲ失イ、人ハ滅スル。」  
「…解った。」  
  そして目の前に黒い穴が出現した。  
「行ケ、人ノ子ヨ。汝ガ宿命ヲ、罪ヲ償エ。」  
  黒い穴からとてつもなく禍々しいものが溢れてくる。それでも、僕は恐れることは無かった。  
  この中で、アリスは一人でいる。だから僕は恐れるわけにはいかない。  
  この先に底の無い絶望があっても、僕は真の絶望を知っている。  
 
  そして、僕は暗闇の中へ入っていった。  
「どうか…ご無事で。」  
  イヴはただ、蒼人の背中を"彼"と照らし合わせて祈るだけだった。  
 
 
 
 
 
 
  暗い。  
   どこまでも、どこを見渡しても、闇が広がっている。  
  歩っても歩っても、先が見えない。  
    そして心を蝕む孤独感。  
      それでも僕は、歩くことを止めなかった。  
「アリスも、同じ気持ちで、本当は怖がっているんだ……僕は、誰よりも寂しがり屋な彼女を、抱きしめてやるんだッ!!」  
  そう心の中で唱え、左腕に結んだアリスのリボンを見て励ましながら歩っていった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、辿り着いた。  
 
 
  闇の中に佇む黒い巨塔。近くまで来ないと判別しにくいが、存在感はあった。  
  その塔の中から鈍い呻き声のようなものが聞こえて、ますます恐怖が増していく。  
  しかし、恐れてはいるものの、それが「恐怖」なのか、僕にはわからなかった。  
  そして、塔の中に入っていった。  
 
 
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  意味不明な呻きが聞こえてくる。  
  そして、通路から広間に出ると、「彼女」がいた。  
  初めて会ったときはツインテールだったが、別れ際にリボンを渡して消え、髪をおろしたままでいたが、すぐにわかった。  
「……アリス…?」  
「…!!…そんな……まさか…」  
「アリスッ!!」  
  彼女を抱きしめようとしたときだった。  
  僕の手は触れることができず、そのまま体ごとすり抜けてしまった。  
「ごめんなさい…ここでは、私の体は幽体状態なので、触れることができないんです。」  
「そうなのか…でも、本当に、アリスなんだよな!?」  
「はい。私も、またこうして蒼人さんに逢えて、嬉しいですっ!」  
  二年ぶりの再会。いや、離れている間の時間というのはとてつもなく長い。  
  ましてや、アリスはこの闇の中にいたのだから、時間の感覚などわかるはずもない。  
  少なくとも、二人にとってこの空白の時間は永遠にも等しかったのだ。  
「あ…そのリボン…」  
「ああ、アリスがいなくなったときから、ずっとこうしてたんだ。」  
「…蒼人…さんっ」  
  その澄んだ目に涙をためながら微笑む。安心させたいが、触れることもできないので、蒼人はやるせない気持ちでいた。  
「……アリス、ここから出よう。そして幸せになるんだ。僕たちなら…」  
「ちょっと待ってくれ。」  
  僕が話しているときに、誰かが口を挟んだ。誰だ?  
「あ、この方はアダムさんです。」  
  この人が…アダム!?まるで僕に瓜二つじゃないか!?  
「…初めまして、かな。ほんと、俺にそっくりだな。」  
  闇の中から出てきた男―アダム。  
  アリスとイヴが瓜二つであるのと同じように、僕とアダムもまた、瓜二つだった。  
  そして、アリスもまた全ての事情を把握していた。  
「何かの因果なんでしょうか…それとも、最初から、こうなるように…」  
「関係ないよ。たとえ運命でも、それは"神"が決めることじゃない。人が決めることだよ。」  
「フフッそうか。…なぁ、最後に聞かせてくれないか。…イヴは、どんな様子だった?」  
「…貴方のことを話しているとき、とても幸せそうで、想い続けていましたよ。貴方のことを。」  
「そうか。……それを聞けただけで幸せだ。俺の方からも言っておいてくれ。お前だけを、愛していると。」  
「もちろんです。……じゃあ、行こうか、アリス。」  
「あ、待て、お礼といってはなんだが、お前に忠告しておく。"絶対に後ろを振り向くな。"何があっても、前だけを見続けろ。」  
「はい!」  
「後ろを向いたとき、全てを失うことになる。帰り道は気をつけろよ。じゃ、お幸せにな。お二人さん。」  
「…ありがとうございます!」  
 
  そして、僕とアリスは広間を後にした。  
「……人が決めること、か。選ばれただけはあるなぁ……なあイヴ、お前は俺を許してくれるか?お前を殺した…俺を。」  
 
  塔の入り口前―  
「あの…蒼人さん、一つだけ、私からも忠告が…」  
「何?」  
「私は、この塔から出たら、闇で見えなくなります。ですから、そうなってしまっても、振り向かないでください。」  
「わかった。何があっても、絶対に振り向かない。アダムにも言われたことだしね。」  
「私、蒼人さんのこと、信じてます。だから、頑張って…」  
    ギィ……  
  そして、塔から出た。  
 
  塔を出てからというもの、闇は寒気がするほど静かだった。  
  アリスの気配も感じられない。けど、それは闇のせいで消えているだけだと、自分に言い聞かせた。  
  そして、リボンを見ながら、ただ前へ前へと歩く。  
  ただ前へ、ひたすら足を前進させる。  
  行きより長く感じるが、それでも、一歩一歩進んでいく。  
  そのときだった。  
  光だ。光が見えてきた。  
  僕は安堵しつつ、それでも警戒を怠らずに確実に進んでいく。  
「もう少し…もう少しで、アリスと…」  
  そのときだった。  
「嫌です。外に出たくありません。」  
  それは紛れも無くアリスの声だった。聞き間違えるはずが無い。  
  そして僕は思わず返事をしてしまった。  
「嫌って…どうしてさ?」  
  後ろを向くことを必死に堪えたが、そのせいで足が止まってしまった。  
「どうして?それはこちらの台詞です。貴方のほうこそどうして闇から出ようなんて思うのですか?」  
「それは…君と、幸せになる為に…」  
「幸せ?……ぷっ、あはははは!そんなの貴方の勝手でしょう?本音は、自分の幸せの為にそんなことを言ってるんでしょう?」  
「違う…僕は、君が寂しいと思って…」  
「はあ?何をわかったことを言ってるんですか?誰もそんなこと言ってませんよ?そんなこと言って、どうせ私の体目当てなんですよねぇ?」  
「…君がしたくないんだったら、しなくていい。ただ傍にいてくれるだけで、僕は幸せだ。」  
「反吐が出ます。誰が貴方みたいな下衆の傍にいるものですか。」  
「…そう。」  
  そして、目の前にアリスが現れた。  
「私の幸せを本当に願っているのでしたら、私を今すぐ塔へ連れて行きなさい。」  
「それが、君の幸せ…?」  
「ええ、そうですとも。私、早くアダム様のところに行きたいの。だからさっさとしなさい。」  
「どうして……?」  
「これだけ言ってもわからないんですかぁ?私は早くアダム様に 抱 か れ た い の。あんたみたいな早漏、タイプじゃないのよ。」  
「アダム様は、私を激しく愛してくれるの。そして何回もイかされちゃたなぁ……やだ、想像したら濡れてきちゃったぁ…」  
「…あんた、もしかして今の私の話聞いて興奮してるの?これだから早漏は困っちゃうのよねぇ…」  
「ねぇ、いい加減私をアダム様のところに連れて行きなさい。聞いてるの?」  
「…は……ない…」  
「は?何言ってるんですか?もっとはっきり言いなさいよ童貞。あんたの初体験なんて所詮妄想でオナニーしただけなんだから。」  
「君はアリスじゃない、と言ったんだ。」  
「ぷっ、あんた頭おかしいんじゃない?私はアリスよ。あんたに否定されるいわれなんてないわ。」  
「じゃあ、そのツインテールはなんだ?」  
「ツインテールがなによ。これは私が好きでしてるんですけど。はぁ、いいからさっさと…」  
「アリスのリボンは今腕に巻いている。だから今髪を結んでいるお前は偽者だ!失せろ!!」  
「よくわかったわね。そうよ。私は偽者よ。だけどいいのかなぁ〜そんなこと言って。」  
「どういう意味だよ。」  
「それ、本物に言ってるのと同じよ。」  
 

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