「お兄ちゃん、向こうに行ってもちゃんと電話してね。メールとかでもいいから」
その言葉を聞くのは何度目だろう。
セダンの後部座席で隣に座っている「妹」の沙織が寂しそうな表情で何度も懇願する。
「わかってるって。そう何度も言われなくてもわかってるって。それにしても沙織、俺が留学するのがそんなに寂しいのか?」
かわいらしいリボンで結んだツインテール、幼さの残るコロコロと表情の変わるかわいらしい顔立ち、微かに女性めいてきた幼い体。
「ち、違うよっ! お兄ちゃん、しっかりしてるように見えて、浮世離れしてるところがあるから心配してんのよっ」
意地悪く聞き返すと、顔を真っ赤にした沙織が慌てた様子で憎まれ口を叩く。本当にからかい甲斐のある「妹」だ。
「ふふ、本当に沙織はお兄ちゃんっこなんだから」
「ま、ママっ。違うよっ! 私はお兄ちゃんが頼りないから……」
「沙織、アメリカに行くとなれば、時差もあるんだ。あんまり無茶を言って困らせるんじゃない。とはいえ、
真也もできるかぎりでいいから、小まめに連絡は入れてくれよ。大事な息子が外国に行くんだ。心配するな、というほうが無理があるからな」
「そうよ。食べ物や水も違うんだから、こっちにいた時以上に体には気を使うのよ?」
「父」と「母」も心配してくれている。
「わかってるって。そんなに心配しなくてもしっかりやっていくさ」
「家族」との別れが迫っている。自動車で成田まで送ってくれると「父」が言い出し、思いがけず最後に「家族」との会話を楽しむことができた。
「ふっ」
「? どうしたの、お兄ちゃん」
「いや、何でもないさ」
ずいぶんと長居をして、すっかりこの仮初の家族に情が移ってしまったらしい。
スアルスは自嘲する。千年を生きた真祖の吸血鬼たる自分が、たかだか四十年を生きた程度の人間の夫婦を父と母と呼んできたのは、茶番以外の何者でもない。
真祖スアルスが、この家族を世を忍ぶ為の仮初の家族としたのは5年前のことだ。魔力によって、それ以前からずっと家族であったかのように振舞ってきた。
それでも五年もの間、一つの「家族」のもとに留まっていたのは初めてのことだった。五年は不老不死の身には一瞬の事ではあるが、
それでも「家族」などは使い捨ててきた今までと比べたら、ずいぶんと長い時間だった。暖かな家族であったから、五年の年月の間に多くの思い出もできた。
幼かった妹の沙織も春には中学生だ。
「……ん?」
回想に浸っていたスアルスの耳が異音を捉えた。圧縮された気体が噴出する音、猛烈な燃焼と空気を切り裂く飛翔音。
「ジャベリンだと!?」
FGM-148Javelin、平和な日本で発射音など聞こえるはずのない対戦車ミサイルである。
「沙織っ!」
考える時間はない。スアルスは反射的に隣の席に座っていた沙織を抱き寄せると、後席のドアを蹴り破って車から跳躍する。
直後、セダンの天井を突き破った対戦車ミサイルは、成型炸薬を爆発させる。何の装甲も持たない一般のセダンは原型すら残さずに破砕する。
「父」と「母」もろとも。
「教会の連中め……」
スアルスはギリと歯を噛み締めた。
爆炎の中に聖別の儀式の痕跡が見て取れる。自分を追ってきた教会のエクソシストの仕業だろう。
五年の潜伏生活と宗教に大らかな日本の風土に馴染んで油断していた。
ミサイルの発射位置を推定してそちらに視線を向ける。すでに人影はない。ジャベリンには撃ち放し能力がある。
最近のエクソシストの狡猾さと慎重さを考えれば、すでに逃げており、続けての攻撃はない。
「沙織……沙織っ、大丈夫か?」
敵が去ったことを確認してから一緒に脱出した沙織に呼びかける。
「……おにい……ちゃん……」
「沙織……っ!」
微かな弱弱しい声で返事をしたが、沙織を抱くスアルスの手に暖かな血がべっとりとついていた。
ミサイルの爆発によって吹き飛ばされた車の破片が、「妹」の脇腹を深く深く抉り取ったのだ。
流れ出ていく血とともに、沙織の体温はどんどん下がっていく。
「くそっ! やつらめ、沙織がっ! 父さんや母さんがいったい何をしたって言うんだ!」
血の気を失っていく沙織の顔を見ながら、怒りを撒き散らす。
「すまない……俺には……お前を助ける術がない……せめて……できるのは……」
握り締めた拳から血が滲み出る。スアルスはその拳を沙織の口の上にかざす。
一滴垂れた真祖の血が、沙織の口に落ちた。
強すぎる真祖の血は脆弱な人間の体を瞬く間に破壊していく。しかし、これは変質の為の破壊である。
人間としての沙織の生が終わった時、吸血鬼という死に損ないへと変質したのである。
「スアルス様……今日も食事を頂きに参りいました」
恭しい態度で部屋に入ってきたのは、かつて「妹」であった沙織だ。
「そんな他人行儀で呼ぶなよ、沙織。また、お兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだぞ」
スアルスはそんな沙織の様子にため息をつく。
ここはスアルスが用意した人里離れた山中に用意した洋館。魔力で生み出したものである。
吸血鬼になったばかりの沙織を連れて街中に暮らすのは難儀であるとスアルスが用意したのだ。
「いえ、スアルス様は私のマスターです。まして、私の命の……いえ、存在の恩人です。どうして、そのような無礼な呼び方をできましょうか?」
かつてコロコロ変わる表情を愛しく思っていた沙織の顔は、血色のない白さと張り付いた表情によって能面のようであった。
「まして、私は本当の妹などではありません。今から思えば、なんと恐れ多いことであったかと心の震えがとまりません」
慇懃に答える沙織の様子に、スアルスは苦々しい表情を浮かべる。
「はぁ……わかったよ。……食事だな、こっちへおいで」
スアルスは沙織をそばに呼び寄せると、自らのズボンを下ろして一物を露出させる。
「スアルス様、失礼いたします……んぅ…ちゅ…くちゅっ……」
椅子に座ったままのスアルスの前に跪くと沙織はスアルスの一物を舐め始める。
死に損なったまま、時間を止めた沙織の容姿は未成熟な少女のままである。心臓は動いておらず、ひんやりと冷たい体は医学的には死んでいる。
成長も老化もない死体が生きている時と変わらず動いている。
仮にも自分を兄を呼んだ少女に一物を舐めさせる行為にスアルスは軽い背徳の念を抱く。元より真祖の吸血鬼が人間の道徳など
遵守する必要はないのであるが、微かな感情の襞を生み出したい時に強く意識してみるのだ。
「まだ、怒っているんだな? 俺のせいで父さんや母さんを巻き添えにして……お前までこんなことに……」
スアルスは自分の一物をしゃぶり始めた沙織に問いかける。
「……もともとは、世を忍ぶ為に、仮初の家族として利用した。それは事実だ。今みたいに、教会の目を避けるために山奥にこもってる退屈な生活はしたくなかったから……」
吸血鬼になった沙織の食事は、もはや人間のそれでは足りない。人間の血や真祖の吸血鬼の体液が必要であった。人間を襲って人目を集めるのは得策ではない。
かつての兄妹による淫らな行為は、真祖であるスアルスの体液をエネルギー源として下賜するものであるのだ。
「だけど……それでも、俺は五年も一つの家族と過ごし続けて、父さんも母さんも大切な家族で、お前のことも本当に大切な妹だと思って……うおぅ?!」
「妹」への想いを吐露していたスアルスが素っ頓狂な声を上げてしまう。
一物をしゃぶっていた沙織が、少し強めに歯を立てたのである。
「……妹にちんちんしゃぶらせるなんて、お兄ちゃんってさいてー」
親しみのこもった憎まれ口。
「さ、沙織?」
「……今更無礼打ちになんてしないでよね? わ、私はお兄ちゃんが寂しそうだったら、昔みたいに妹として振舞ってるんだから……
で、でも、そういう風に考えたら、これってすごく変態的だし……んんっ…ちゅるる……」
照れ隠しをするように、再びスアルスのものをしゃぶり始める沙織。
真祖という種に生まれついたスアルスと違い、沙織は吸血鬼という存在に歪められたアンデッドである。
二人の体温の差、命の差がスアルスにとってヒンヤリとした口淫となって一物を刺激する。
「い、いや……お前に他人行儀にされるよりは……主従の関係なんて存在の在り方の問題だし、別に無礼だとかそういう感情はないけど……んんっ!」
「んぅ……じゅる……ちゅるるる…んんっ!」
思いがけない事態に戸惑っている間に、沙織はスアルスの一物を激しく吸い上げる。
「んほっんぅ?」
真祖にあるまじきみっともない声をあげて、スアルスは沙織の口の中に射精してしまう。
「…んんっ…んぅ……ふぅ……んぅ……ちゅぽ……はぁ……ごちそうさま、お兄ちゃん」
精液を飲み干して一物から口を離した沙織は上目遣いに「兄」を見ながら妖しく微笑む。
以前のままの沙織とはいえない。しかし、表情の久しぶりに見せた感情のある表情。
「……私ね…ずっと不安だったの。お父さんもお母さんも死んじゃって……お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃなくて……」
一転して、弱弱しい表情を見せる沙織。そんな沙織を見て、スアルスは優しく頭を撫でてやる。真祖と吸血鬼の関係ではなく、兄と妹の関係として。
「それに……お兄ちゃん、妹にエッチなことしてくるし」
「うぐっ」
今度は悪戯っぽい笑顔を見せて言う沙織の言葉に言葉を詰まらせるスアルス。
「わかってたの。私があり続ける為に必要だったって。でも、だからお兄ちゃんが本当は真祖ってすごい人で、私も本当に吸血鬼になってて……
本当に今までどおりお兄ちゃんって呼んでいいのか、ずっと迷ってたの」
「沙織……バカだな。ずっと呼んでいいって言ってたのに」
「うん、ありがとう、お兄ちゃん。これからも……ずっとそばにいてね」
スアルスは沙織を抱き上げると、優しく頭を撫でてやる。沙織は嬉しそうに目を細めた。
穏やかな日々が待っている。
暗く、冷たい夜の中であっても、よりそう二人の絆がその日々を約束してくれるのだから。
終わり