宰相の思惑によって私はこの駐屯地でしばらくの間、
キエルヴァの参謀として共に任務を遂行していく立場となった。
この駐屯地で過ごすうちにまず問題となったのはその食事だ。
もっと規模の大きな駐屯地なら別だが、このような小規模な駐屯地に食堂などない。
帝国軍の主食は7割がパンを締めているのだが困った事にパンは日持ちせず、貯蓄できない。
小麦粉を貯蓄してはいるものの、それをパンに仕上げ焼く設備が無いのだ。
しかもいくら物量が多い帝国軍でも天候などによって補給が滞る事もあり
基本的に駐屯地で取る食事は乾物や缶詰が中心だ。
穀物粥や乾燥豆を主食にメインディッシュの缶詰、デザートのドライフルーツ。
そして飲料は代用コーヒー、代用ココア、粉末ティーに傷んだビールのローテーション。
決まり切った味の連食は食傷になりかねないので兵士は単調な味の食事が
少しでも美味く食せるように、付近の集落や村から新鮮な野菜や肉、それに酒や調味料を購入し、
配給される糧食と一緒に調理して食べていた。
私は帝都に食堂の建設や糧食の改善を打診したのだが、予算の問題で却下された。
「失礼します。ヘスタトール殿、昼食をお持ちしました」
ある日、書類を処理していた私にキエルヴァが食事を持ってきた。
見るに野菜スープにビスケットそれにコーヒーだ。
「…………ああ、すまんな」
野菜スープには肉や刻んだ野菜が具として入っており、何より温かい。
缶詰は冷たいままだと非情に不味く、火に掛けなければとても食せるものではない。
スープを一口飲み私は舌鼓を打った。
「………美味いな」
確かに美味い。先日、食したトマトと一緒に煮こんだ豆とウィンナーの缶詰とは雲泥の差だ。
あんなものが二日も連続で出てきた日にはタバスコをふんだんに掛けて食したくもなる。
しかし、このスープ……野菜と肉の味が出ていて帝都の料理店では味わえない素朴な味だ。
「美味いな、何と言う料理なんだ?」
「な、名前なんてありません…領民から購入した野菜と自軍の塩抜きしたキャベツに
炙った干し肉を鍋で煮込んで胡椒を入れただけの糧食です」
「貴公は料理が得意なのか?」
「え……い、いえ…その多少…興味はありますが」
そして次に手にとったビスケット。ビスケットにしては大きいが…
「……………」
ガリガリバキバキ…という擬音がよく似合うビスケットだ。
「小麦粉に塩と水を混ぜて焼きしめたビスケットです。
パンもありますが…傷んでますので…ヘスタトール殿には…」
確かにパンの黴びた部分をナイフで削って食べるのにはどうしても慣れない。というより慣れたくはない。
「……煉瓦のような固さだな。貴公はこんなものを平気で食べているのか!?」
「いえ…干し肉を煮た時に出る油の膜にひたして食べたり、ミルクにひたして食べます」
「……………」
私は紅髪の騎士をジト目でじーっと見た。
「……………い、意外と…美味しいですよ?」
じー………
「……………」
気まずい沈黙の後キエルヴァがはっと気付いたように言った。
「あ、コーヒーをどうぞ」
「あ、ああ………………ぶはっ!!な、なんだコレは!?」
「えっ!?」
「塩辛い!!」
「え、えええっ!?」
キエルヴァはあわてて私のコーヒーを舌で舐めた。
「す、す、すいません!砂糖と塩を間違えて入れてしまいました!」
その日からキエルヴァは頻繁に手料理を作って私の元へ来ることが多くなった。
香辛料をふんだんに効かせ、贅をつくした帝都の料理とは違い、素朴な温かみを感じる料理だ。
材料が缶詰や乾物なのにここまで美味く調理できるのだから言葉とは裏腹に彼女の料理の腕は確かなものだ。
料理人に転職したら女王陛下の専属料理人になれるかもしれない。
私が彼女の手料理に舌鼓を打つたびに弾ける彼女の笑顔。
その笑顔に微かな愛しさと安らぎを覚えたのはその頃だった。
自身でも気付かぬ内にキエルヴァを意識しているのか、ついつい彼女の姿を眼で追ってしまう。
一度、彼女から報告を受けている時に、まじまじと顔を見すぎて「あの…私の顔に何かついてますか?」と言われた。
「いや…いくつか不明な点が」と咄嗟に誤魔化したが内心は冷や汗ものだった。
彼女の姿を見るたびに気付けばその姿を追っているのだ。
否定はしてみるものの彼女の燃えるような紅い髪に…その髪から覗く項に豊かな胸部に臀部
花弁のように可憐な唇に魅力を感じずにはいられない。
(まだ19の人間の娘だぞ……これではこの騎士団のバカ共と同じではないか!?)
そして委任状にあった遺跡の調査に行き、最深部に巣くっていた遺産を発見した。
が、その遺産は考古学者によると特に価値がないものらしくキエルヴァは落胆していた。
次に我が軍の生物兵器であった合成魔獣の討伐だ。これは私の立案した策で
合成魔獣を罠に掛け、騎士団総掛かりで討伐した。
幸いにも死者がでなかった事にキエルヴァは感激したらしく私に感謝していた。
そして作物を食い荒らす妖精の捕獲、これはキエルヴァが提案した策によって解決した。
周辺集落の清掃に、衛生指導、さらには駐屯地を開いてのイベント等と瞬く間に月日は過ぎ、
私がこの駐屯地を去る日が明日になった。
外は珍しく雨だった。
館で使用していた執務室を片づけ、私はキエルヴァの団長室を訪ねた。
軽くノックをするが返事はない。ドアノブに手を掛けると開いていた。
「…………」
私は静かにドアを開けた。部屋に入った私は別れを言おうと
振り向いた時、キエルヴァは私に背を向けていた。
「どうした?」
肩に手をかけようとしたとき、その肩が小さく震えていることに気がついた。
「…………お別れなのですね」
声で分かる。泣いている…。
「期限は明日だ……明日、帝都に戻る」
「……………はい、いままでありがとう…あ、ありがと…ござい…ました…」
私は引き継ぎの書類の束を机の上に置くと、キエルヴァの肩に手を掛けた。
「そんなふうに泣かれてしまっては……帰ることはできない」
「だ、だって……我慢しよう、我慢しようって…やっていますけど…わ、別れは悲しい……悲しいです」
「だったら・・・・泣き止むまでここにいる」
私はキエルヴァの肩に手を置き、言った。しきりにしゃくりあげる彼女はその手の温もりを
包むように己の手を重ね言った。
「すみません。もう少しだけ…こうして……こうしていて下さい」
「ああ……」
ふわりとキエルヴァの紅い髪の香りが私の鼻をくすぐった。
駐屯地に入るときには時が許す限り、沐浴で身を清潔に保っていた彼女だが
ここ2〜3日はそのような時間はなかったのだろう。
土と汗にまみれた女の匂いだ。しかし不思議と甘く感じた、これが女の香りというものなのだろうか。
「……ヘスタトール殿……私はあなたに好意を抱いています」
ふいにキエルヴァは呟いた。予期せぬ言葉だったが…私の胸は微かにときめいた。
安堵にも似た感覚に私は『肯定』の言葉を発しようとして言った。
「貴公の想いに私は――――」
「わ、わかっています。返答は…それでも…私は…軍師…いえ、ヘスタトール殿…あなたが…あなたが好きなのです」
……いや、だから私も。
「待ってくれ、私は言いたいのは――――――」
「いいんです!貴方の中に私はいない…それでもいいんです…こ、子供みたいな言い分で…その……あの…すみません」
ぐしぐしと手で両眼を拭うキエルヴァの仕草は年相応ものだ。私は黙ってハンカチを差し出した。
「涙を拭ってくれ……貴公は何か勘違いしている」
「え………?」
「意中にいない者の涙を見て帰途につくほど私は無神経ではない。貴公――――――いや
キエルヴァ……君は優秀な人材だ。私のような隠居の身の者よりも、もっと見合った相手がいる」
「そ…そんな方は…わ、私には…」
私は構わず続けた。
「――――――それでも私に想いを寄せてくれるのなら…私はそれに答えよう」
「え…えっ?」
キエルヴァは一瞬、きょとんとした顔になった。私は彼女が次の反応を見せる前に
「ヘ、ヘスタト――――――んんっ」
有無を言わせず、少し強引にキエルヴァを引き寄せた。
彼女に重なる唇、その唇は永遠の契りを交わすように深いものだった。
キエルヴァが眼を白黒させ、一瞬、唇を離した。
「ふ……ふはっ…ま、待って…ヘスタトール殿、待ってくだ――――――んんんっ」
再び、唇を塞ぐと、観念したのか彼女の瞳が閉じられ、強ばった身体から力が抜けていくのがわかった。
私はキエルヴァの背中に手を回すと、唇を離し囁くように言った。
「今、ここで君を抱きたい」
その言葉にキエルヴァはぽっと頬を染めたが、軽く私の胸を押し少女のような声で言った。
「……い、いや…」
「だったら…腕を振りほどいて欲しい」
「……そ、そんな…あ…ま、待って下さい…その…か、身体…ろくに洗えなくて…」
「全く問題はないな」
私は堂々と宣言した。
キエルヴァは困惑したように顔を赤らめた。
(え…いや…そんな堂々と言われても…あああ……でも
ここは私がリードしてすれば……で、でも初めてだしリードなんて…あ、でも軍師殿も
初めてだったりして…よし、ここは…)
「失礼ですがヘスタトール殿はお幾つですか?」
「139歳だ」
「……………」
(ああ、そうだったエルフ族って長寿なんだった。どうしよう…139年間も…その性交
してない殿方がいるはずは……で、でも確かエルフ族って…
皆、細身で…あまり体力がないって……軍師殿もダークエルフ族だし…そ、そうだ。)
「……ヘスタトール殿が…よ、よろしければ」
「…………ああ」
私は自信の上着に手を掛けた。ネクタイを解き、そして上半身のあらわにさせた
「はっ…へっ…?あ、あの…そのものすごい筋肉は…な、なにですか?」
「ん?いや、覇王軍を決起した時、皇女様を守れるように密かに鍛えていたのだ。
この駐屯地に来た時、君の部下達の歓迎会の時に披露したはずだが?」
「あ…へ…い、いや…あのちょっと待っ………」
私はキエルヴァの声を塞ぐように再び唇を重ねた。
続