目的の国はロベリアの北の大陸に存在する。  
一昔前は小さな国々が点在する、比較的平和で静かな大陸だった。  
しかしある時期を境に、武力行使により急激に勢力を伸ばし始めた国があった。それが、ラストニア。  
瞬く間に周辺小国、果ては大国までも制圧し、世界からはその圧倒的な力故に恐れられ、関わり合いを避けられた国。  
それ故、ラストニアを知らぬ者は決まって同じ偏見を持つ。  
徴兵制の布かれた、強圧的な軍事国家。現に、ディアナも少なからず同様のイメージを抱いていた。  
 
しかし、ロイドに連れられ彼の国に足を踏み入れたディアナが目にした光景。  
それは強圧的どころか全く正反対のものだった。  
街を行き交う人々の、清々しいほどに快活な姿。街の印象を一言で言い表すならば、『解放的』。  
ロイドの父親である現国王、ジラルド・リズ・ラストニアスを元首とする軍事国家と謳われるこの国は、  
その二つ名が与える印象とは全く異なる実態を持つ。  
 
軍事大国ラストニア。国の平和を絶対とする、自由の国。  
本来国にいるべき人物がほとんど城を空けているのだから、誰も異論は唱えない。  
 
ディアナは歩きながら街を眺めた。機工や商業、娯楽施設。  
特にこれといって突出した文明があるわけではない。それ故バランスが良く、訪れる者に安定した印象を与える。  
これが彼の作った国なのだろうか。それにしては、世に出回る彼の評判とは随分と掛け離れている。  
想像していた光景とのあまりの差異に呆気に取られながら、ディアナはロイドの後を追い城へと向かった。  
 
城門には当然のように見張りの兵がいる。己の目を疑い、絶句する彼らに見向きもせず、ロイドは正面から堂々と  
城内へと足を運んだ。  
目の前に現れた、美しい装飾の施された大きな扉。彼がそれを開け放つと、広間に不自然に集ったラストニア兵の  
驚愕の声を一斉に浴びた。  
 
「総督!?」  
「総司令!?」  
 
何食わぬ顔で歩を進めるロイドに向かい、兵は口々に彼の役職を叫ぶ。  
誰一人として、彼の名を呼ばない。ラクールで呼び止められた時もそうだった。  
ディアナが向ける不思議そうな眼差しも、飛び交う質問も全て流し、ロイドは誰かを探すように辺りを見回す。  
 
「アルセストは」  
 
先日の戦いの最中、ケルミスが示したラストニアの宮廷騎士。  
ロイドが彼の所在を質したその時、別室から一人の男が何の騒ぎかと駆けつけた。  
 
黒髪の、軽装ではあるが白い甲冑を身に纏った誠実そうな騎士。ロイドはディアナを連れ、彼の元に歩み出す。  
おそらく彼こそが、ロイドを主とする宮廷騎士。  
 
「……戻られましたか」  
「国王はどこにいる」  
「先程までは自室に。しかし今は時間を置いた方がよろしいかと……」  
 
ロイドは相変わらず早々に用を済ませようと先を急ぐ。  
突然の主の帰還に驚く様子すら見せず、アルセストは淡々と彼の問いに答えていた。  
忠告を無視して広間の奥へと足を踏み出す彼の背を追うと、ロイドは唐突に歩みを止めた。  
 
「ついて来るな」  
 
彼の国とは言えディアナにとっては見知らぬ地。  
どうしたら良いのかと戸惑っていると、ロイドはディアナに目で合図を送った。  
戻って来るまで、アルセストの傍にいるように。アルセストへは、ディアナを見ているようにと。  
それだけの指示を残し、彼は広間から姿を消した。  
 
途端にディアナに注がれる、ラストニア兵からの興味深げな視線。  
ロイドとの関係を気にしているのだろうか。  
ディアナは咄嗟にそう思ったが、アルセストの掛けた言葉は全く異なるものだった。  
 
「あなたは……魔道士ですね」  
「……?はい」  
「ロイド様が魔道士を連れているという噂は既に耳にしております。こちらへ」  
 
彼は複雑な面持ちを浮かべ、ディアナを回廊へと連れ出した。  
城内は派手過ぎず、どちらかと言えば控えめではあるが、ラクールに負けず劣らず美しく、そしてやはり開放的。  
応接室にでも連れ出されるのかと思いきや、ディアナは緑生い茂る庭園へと案内された。  
 
「城内にいると追い出されます。決してジラルド陛下の御目に触れぬよう御注意を」  
「どういうことですか……?」  
「……何もご存知ないと?」  
 
彼は怪訝な表情でディアナを見つめる。  
ロイドは自分の身の上の話は一切しないのだから、知るはずがない。  
そして、ディアナはそれを知るために今、ラストニアにいる。  
アルセストはエミルよりもロイドに近しい人間。今この時こそ、ディアナが待ち詫びた時なのだ。  
 
「ここには魔道士がいないと聞きました。教えて下さいますか?その理由……」  
 
ディアナの問い掛けに彼は口を閉ざす。  
ロイドが一切話さない事情を、彼に仕える近衛騎士が口にするだろうか。  
そう懸念していたが、アルセストはじっとディアナを見つめ、観念したような、或いは何かを理解した表情を  
浮かべ、口を開いた。  
 
「……皇后陛下が魔道士に命を奪われたためです」  
「……!」  
「それから陛下は魔道士を忌み嫌うようになりました。これだけの理由かと思われるかもしれませんが……  
 こればかりは、理屈ではないのです」  
 
おそらくロイドは父親の意を汲み、魔道戦力に一切頼らずに国を強化してきたのだと、彼は語る。  
今までのラストニア兵の態度を目にしながら薄々感じ取っていたが、この国において、ロイドは人望がある。  
これほどまでに解放的な街も、やはり彼の功績なのだろうか。  
ディアナがその疑問を口にすると、アルセストは苦笑してそれを否定した。  
 
「それは違います。あの方は、軍事以外は全くと言っていいほど無頓着ですから」  
 
個々の自由を認める故に発展した街。しかし、自由も過ぎれば無秩序と化す。  
それを抑制する役目を担うのがラストニア軍の存在。  
治安を乱せば、圧倒的力を誇る軍兵による制裁が下るのだ。誰も行き過ぎた行動は取らない。  
 
そして、逆もまた然り。屈しない国に対しては、生きる自由さえも奪う。  
その指示を与えているのが軍の総司令官である彼の主。その際、軍兵に必ず宣言させる言葉があるのだという。  
ディアナも耳にした、責任転嫁のような兵の言葉。これから行う侵略行為が、『総督の命令』であるということ。  
争いを起こせば、必ず誰かが悪となる。その役割を、ロイドが担う。  
兵へ向けられるはずの憎しみを自ら負い、彼らの忠誠心を高める歴とした偽善行為。  
 
しかし、制圧される側から見れば虐殺行為に他ならない。  
降伏した民によるクーデターなどは起きないのだろうか。  
その疑問にも、アルセストは淡々と答えた。  
 
元は敵国であったとしても、ラストニアの一部となればロイドは国の民として扱い、平和を保障する。  
更にはどこからか捻出した資金を提供し、不平不満を一切出さないのだそうだ。  
その資金の出所に、ディアナは覚えがあった。ラクールの王子エミルとの裏での繋がり。  
そして、ラクールはラストニアから訪れる客が多い。これが何を意味するかは、推して知るべし。  
 
たとえ偽善であったとしても、全ては国と、何より兵のための行動。  
今のラストニアの姿がその成果を物語る。  
 
「これが、貴女の知りたいことでしょう。満足して頂けましたか」  
「……はい」  
 
彼の言葉に嘘偽りはないだろう。しかし、何か腑に落ちない。  
ディアナの知るロイドの姿。彼の偽善行為など見たことがない。  
彼はどちらかと言えば自分に正直で、それ故とんでもない横暴を働くことが多い。  
 
何かが食い違っている。人間の性格など、そう簡単には変わらないはず。  
ディアナの疑念を余所に、アルセストは最後に静かに問い掛けた。  
 
「何故、貴女にこの話をしたか、わかりますか」  
「何故……ですか」  
「ロイド様にとって、貴女が特別な存在だからです。それは貴女にとっても同様でしょう。  
 あの方は表で名を呼ぶことすら禁じる、徹底した秘密主義者です。どれほど親しくとも……、友好国である  
 ラクールのエミル王子さえも、自らこの国へ招かれたことはありませんでした。  
 貴女には知る権利がある。だからこそ……」  
 
言い掛けて、彼は表情を曇らせる。  
場に漂う悲愴感に彼が口を濁した理由に気付きながらも、ディアナはその先の言葉を静かに待った。  
 
「……だからこそ、貴女が未練を残さぬよう、こうして全てをお話致しました。  
 貴女が魔道士であることが悔やまれます。近々、お引取り頂くことになるでしょう」  
「…………」  
 
今までロイドが帰国しなかった理由。もしかすると、自分の存在が原因なのではないだろうか。  
ラストニアは彼を必要としている。しかし、この国ではディアナはロイドの傍にいることができない。  
彼はここにいるべきだ。再び国を出たとしても、彼の立場上いずれ必ずそうなるのだ。  
では、自分はどうすべきなのか。  
 
ディアナはじっと動かずに俯いていた。導き出される答えはただ一つ。  
望まぬ残酷な答えに、身体が震えていた。  
 
 
──国王の自室へと向かう途中。  
前方から近付く何者かの気配に、物陰に隠れ、ロイドは様子を窺っていた。  
遠くに疎らに見える人影。一つはおそらく国王のもの。他は、護衛以外はわからない。  
身を隠していると、やがてその一行は出入り口の方向へと足を向けた。  
 
「……あれは」  
 
先頭を切って姿を見せた人物。ロベリアの最高司祭を目の当たりにし、息を殺す。  
ラストニア兵が野次馬のように広間に集っていたのはこれが理由だろう。  
そう思いながら彼らが消えるまでじっと待ち、ロイドは自室へ向かう国王を追った。  
 
扉を開けた先に広がる、昔から代わり映えのしない整った部屋。  
久々の対面ではあるが、嬉しくも何ともない。  
 
「……久しいな。ロイド」  
 
僅かに老け込んだ親の顔が、数年の歳月を物語る。  
ロイドは国王を見据え、静かにはっきりと言い放った。  
 
「放っておいてくれないか」  
「十分放っておいたつもりだが。もう良かろう」  
「……まだ、やるのか?」  
 
彼はまだ、勢力拡大を企んでいるのだろう。  
国王の目的はわかっている。領土や権力などではない。  
彼は、国の限界を試しているのだ。ラストニアが一体どこまで成長し得るのか。  
それが悪いと思ったことはない。それが彼の信念ならば、ただそれを貫き通せばいい。  
しかし、誰もが同じ思想を持っているわけではない。  
 
「もう昔とは違うんだ。ここに留まるつもりはない」  
 
もう協力はしない。はっきりとそれを告げると、彼は白々しく全く別の話を始めた。  
 
「先程、ロベリアの司祭が同盟の締結を申し出てきた。断固拒否してやると次は停戦の申し立てだ。  
 よほどこの国を敵に回したくないのだろう」  
 
唇の端を吊り上げる国王が与える、一抹の不安。  
ロベリアがどのような国か。ロイドも、無論彼も知っている。  
 
「私はその停戦要求すら蹴ってやった。また来るとは言っていたが、同じことだ。  
 これからロベリアはどう出るだろうな?」  
「……!」  
 
国王の意志はラストニアの意志。つまりロベリアに敵対の意志を示したのだ。  
ロベリアは秩序を乱す者を許さない。それ故排他的な行動が目立つ、攻撃的な国。  
敵意を表明されたロベリアが次に取るであろう行動は何か。おそらく、潰される前に潰しに掛かる。  
魔道兵がいないラストニアにとって、ロベリアは言わば天敵。手馴れた人間が指揮を取らなければ、足元を見られる。  
 
そして、それを知りながら国を出ることは、裏切り以外の何物でもない。  
 
「おまえにラストニアを捨てる覚悟があるか?アルセストを裏切ることができるか?」  
「何故……そこまで……」  
 
拳が震えていた。忌むべき魔道士を利用してまで、国を危機に晒してまで実の息子を利用したいのか。  
無駄な愚行を繰り返させないため、釘を刺すために戻ったというのに、これでは自ら檻に戻っただけだ。  
これ以上の会話は無駄。不敵に笑う国王を睨みつけ、ロイドは足早にその場を去った。  
 
息子の性格を読んだ上での巧妙な手口。  
しかし、当然と言えば当然のこと。ロイドの狡猾さは父親譲りなのだ。  
ラストニアに背を向けることはできても、アルセストを裏切ることはできない。  
彼は、ロイドの『自由』を守ってきた。今回の長期に渡る不在も知っていた。  
城を出る時に彼に与えた、「国を守れ」という捜索を禁じる利己的な命令。  
アルセストはその意図を理解した上で、言いつけを忠実に守り続けてきたのだ。  
 
 
歩みを進める先で、ふと城の外を望むと、ディアナがアルセストの隣に佇んでいた。  
彼女をこの国に置くことはできない。匿うこともできない。  
あれほどの悪知恵を働かせる国王の目に万が一にでも触れてしまったら、何を企まれるか知れたものではない。  
視線に気付いたアルセストはディアナをロイドの元へ送り、神妙な面持ちで軽く頭を下げ、立ち去った。  
微かに感じ取れる、憐れみの情。悟られぬよう、畏まった態度を見せた彼の背を、ロイドは黙って見つめていた。  
 
 
 
「ここ、どこ?」  
「俺の部屋」  
「……へ?」  
 
雑然とした、寝床としてのみ利用されている部屋。  
街の宿の方がよほどましと思えるほどの部屋にディアナを連れ込むと、他の部屋とのあまりのギャップに彼女は  
間の抜けた声を上げた。  
 
「……何だよ」  
「いや……、ロイドらしいなと思って……」  
 
どことなく寂しげな笑みを湛え、彼女は言い繕う。  
これからどうすべきか、ロイドは決められずにいた。最早八方塞がりなのだ。  
国かディアナか。どちらかを見切らなければならない。  
しかし、見捨てられることを極端に恐れている彼女を見放すわけにはいかない。  
憂鬱そうに黙り込むロイドをディアナはじっと見つめ、明らかに詮索を意図した質問を投じた。  
 
「ねえ、ロイド。ずっと思ってたんだけど……、本当は仲間思いなの?」  
「……アルセストから聞き出したのか」  
「えっ!?いや、皆から親しまれてるなと思って、あの……、……はい」  
 
隠し切れないと判断したのか、彼女はあっさりと指摘された事実を認めた。  
ディアナは以前から、ロイドの過去を知りたがっていた。  
アルセストに彼女を預ければ、無理にでも聞き出すであろうことは十分予想できたこと。  
それでも、ロイドはアルセストに口止めをしなかった。止める意味がないのだ。  
 
ロイドが何を思い、軍を率いていたか。真実を知る者は、誰一人としていないのだから。  
 
「島で聞いた言葉、元々ロイドが言わせてるって聞いたの。やっぱり本当は、皆のために……」  
「違う」  
 
黙ってそう思わせておけばいいものを。そう思いながらも、ロイドは咄嗟にディアナの言葉を否定する。  
彼女にだけは、真実を知って欲しいのだろうか。真実を知っても尚、彼女は自分を受け入れるのだろうか。  
試してみるのも良いかもしれない。受け入れられないならば、彼女と共にいる資格はない。  
 
否定した言葉の先を求める彼女に背を向ける。  
躊躇いを覚えていた。それでも、腹を括らなければならない。  
ロイドはまるで独り言のように、誰も知らない過去を呟き始めた。  
 
「あれは……俺の指示じゃない」  
 
本当の指令者を告げると、ディアナは一瞬だけ驚いた素振りを見せるが、それだけだった。  
全てを受け止める覚悟。彼女の静かな瞳からは、それだけが読み取れる。  
 
国か息子か、或いは野望のためか。ロイドを偽善者に仕立て上げたのは、この国の王。  
別にそれでも構わなかった。自分に都合の悪い結果を招かない限り、ロイドにとってはどうでも良いことだった。  
軍門に下った民の扱いも同様。資金提供はロイドの意志ではあるが、平和を願ってのものではない。  
むしろ逆だ。反乱分子を出さないために、平穏な生活を強いたのだ。  
 
利用できるものは何でも利用した。相手が女ならば抱いて惑わし、従わない者は始末した。  
国のためではない。全ては軍略のため。そして他国への侵略は、ロイドにとって何だったのか。  
 
「……ただの、ゲームだったんだ」  
「ゲーム?」  
 
目的など何もない。駒となる軍を、如何に自分の手の平の上で躍らせるか。  
敵も味方も関係ない。思う通りに手駒を操ることが爽快で、ただそれだけが楽しかった。  
 
魔道戦力の欠如などハンデに過ぎず、補う必要など皆無。  
当時は国王の野望も知らず、まるで玩具を与えられた子供のように、夢中で知略を巡らせた。  
 
では何故、国を抜けたのか。ディアナはそう問い掛ける。  
自嘲するかのような僅かな笑みを湛え、ロイドは続けた。  
 
気付いてしまったのだ。本当に手の平の上で踊っていたのは誰なのか。  
目的のためには手段は選ばない。自分もそうしてきたのだから、父親を批難する資格はない。  
頭ではわかっていた。それでも、父親の野心を知った時。  
 
全ての興味が失せてしまった。だから、『ゲーム』を降りたのだ。  
残された自分の存在価値。それを見出せず、逃げるように城を出た。  
ディアナが問い続けてきた国を出た理由。こんな子供じみた理由を、彼女に言えるはずがない。  
そして結局のところ、人の命を弄んだことに変わりはないのだ。  
 
「俺はおまえの望むような人間じゃない。見切るなら、さっさと見切った方がいい」  
「……そんなことないよ。私が思った通りの捻くれた人」  
 
予想以上の即答振りに思わず振り向くと、ディアナは笑みを浮かべていた。  
どこまで自分の肩を持つ気なのか。この時ばかりは、彼女の頭を疑った。  
 
「今は違うんでしょ?今もそうなら、そんな思い詰めた顔して話さないよ」  
「…………」  
 
まるで懺悔のような告白に、ディアナは気付いていた。本人さえ自覚していない、ロイドの本質。  
国王が被せた『偽善』などではない。むしろ、それとは真逆の性質。  
 
言うなれば、『偽悪』。  
明らかに罪を認めているにも拘わらず、決して反省の言葉を口にしない。  
心のどこかで自分が悪いとわかっていても、ロイドは絶対にそれを認めない。  
 
「……おまえ、馬鹿だろ」  
「ほら、またそう言う」  
 
ディアナは笑った。悲しげな笑顔を湛えて、ロイドに微笑み掛けた。  
その笑みの理由を、彼女は辛そうに口にした。  
 
「今のあなたが、まともな人で良かった。この国も、きっとこの先大丈夫。だから私も未練はないよ」  
「未練……?」  
 
ディアナの最後の一言に、ロイドは眉をひそめる。  
嫌でも察してしまう。彼女が何を言い出すつもりなのか。  
 
「私、ここにいられないんでしょ?ロイド、面倒なこと嫌うもの。私が出て行けば、全て丸く収まるんだよね?」  
「本気で……言ってるのか」  
「もうこれ以上、私一人の我侭で振り回せないよ。周りの人も、ロイドも……」  
 
涙を堪えた歪んだ笑顔。それが、彼女の本音を物語る。  
 
「ここに居座るつもりはない。用が済めばまた……」  
「それでも、もう無理だよ。あの時お爺さんも言ってたじゃない。私が隣にいるだけで、ロイドの身元が  
 割れてしまう。今まで以上に逃げ回る旅なんて、したくないでしょ?」  
 
ロイドは言葉を失った。掛ける言葉がないわけではない。彼女の目が、本気なのだ。  
東の大陸で妖精を飼っていた老人が、復讐の一環で与えた情報。  
彼の復讐がまさかこんな形で実を結ぶとは、誰が予想できただろうか。  
このままでは最悪の結果を招く。全てを受け入れたはずの彼女が、自分の元を離れてしまう。  
最早、アルセストの存在を気に掛ける余裕はなかった。  
ディアナが隣にいること。それを大前提で考えるべきなのだ。  
 
失いかけることで自覚する、気付いていながらも目を背け続けてきた感情。  
胸の奥底に封印していたはずの感情が、徐々に心を染め始める。  
 
「……駄目だ」  
「もう決めたの。だから……」  
 
見捨てるなと懇願してきた張本人が、自らその道を選ぶのか。  
ロイドはディアナの言葉を遮り、肩を掴んで声を荒げた。  
 
「駄目だ……!また懲りずに勝手な行動を取るのか!?」  
「勝手じゃないよ。ここには強い人達が沢山いる。私がいなくても……」  
「そういう問題じゃない!俺は、おまえが……!」  
 
喉元まで出掛けた言葉。勢い余って口走ろうとした言葉を、ロイドは咄嗟に呑み込んだ。  
自分が今まで、ディアナに対して取って来た態度が如何なるものだったか。  
今まで散々彼女の気持ちを踏みにじっておきながら、ここに来て都合の良い台詞を吐くのか。  
 
考えるよりも早く、身体が動いた。彼女の唇の感触を覚え、初めて自分の取った行動を知った。  
衝動に任せてどれほど深く口付けようとも、ディアナは逃げようとはしない。  
その態度から読み取れる、彼女の覚悟。ディアナは、これを最後に身を引くつもりでいる。  
呼吸を求めて逸らされる唇を押さえ、舌を絡め、互いの粘液を交えた。  
息苦しさから胸に手を添えられても、決して離さない。  
無理やり顔を逸らされても、決して逃がすまいと執拗に彼女の唇を追った。  
 
時間だけが流れていた。長い口付けを終えても、ディアナの表情には変わらず哀愁が漂う。  
決意は固い。無理に引き止めることもできるが、彼女の意志を変えなければ何の解決にもならない。  
どうしたら良いか。どうすれば、彼女の意志を変えられるか。  
 
その時ふと思い出す、彼女の言葉。自分がいなくても、強い人間は沢山いると。  
彼女は未だに自分が利用されていると思っている。自分を利用するために、誰にも渡さないために身体を  
重ねられるのだと思っている。ならばその通りに、今まで通り振舞えばいい。  
彼女を抱けば束縛の意志が、如何に繋ぎ止めようとしているかが、彼女に直に伝わるはずなのだ。  
 
突然ディアナを抱き上げベッドに倒し、無理やり唇を押し付けて動きを封じながら、彼女の衣服を乱した。  
これから何をされるのか。ディアナはすぐに察し、慌てて脱出を試みる。  
 
仮にもこれを最後としているなら、素直に身体を許しても良いだろうに。  
不満を覚えつつ、唇を塞いだまま彼女の内腿を膝で割り、指を忍ばせる。まだそれほど濡れてはいない。  
付近をなぞりながら、唇を彼女の胸の膨らみへと移すと、ディアナは哀しげな声で弱音を吐いた。  
 
「やだ、やめて……。今、こんなことされたら……」  
 
離れられなくなる。今にも泣き出しそうな彼女の顔が、そう言っている。  
ならば、離れられなくしてやるまで。  
 
引き金を引かれたように彼女の胸に吸い付き、小さな突起を舌で転がしながら、指で陰核を撫でる。  
上方から変わらず、解放を求める切なげな声が聞こえるが、関係ない。  
早く彼女を滅茶苦茶にしてやりたい。抱けば抱くほど、彼女に未練を植え付けることができるのだから。  
 
舌を使い、確実に彼女を快感に浸し、滑りを帯び始めた花芯に触れつつ指を秘所へと差し入れた。  
既に湿っているその中を指の腹で撫で回し、彼女を十分に昂らせ、これから訪れる終わりなき陵辱に備えさせる。  
 
「ふ、あ……、ね、やめよ……。これから、居なくなる人、抱いちゃ、ダメ……」  
「……誰に断って言ってんだ」  
「あ、会えなくなるわけじゃ、ないよ。生きていれば……」  
「…………」  
 
存在価値を失った人間など、死んでいるようなもの。  
昔は何も残らなかった。しかし今は違う。  
国の誇りを捨てて尚残るもの。今、目の前に在る。  
 
突如荒々しく彼女の中を掻き回し、逃げる唇を捕らえ、重ねた。  
最も蜜の滴る場所に指を押し当てて往復させ、その動きに合わせて親指で花芯を愛でる。  
舌を絡め取られ思うように声を出せず、それでも悩ましげに息を漏らすディアナを目前に、最早抑えが利かない。  
我慢の限界に達した自らの欲望。唇を離して彼女の脚を強引に開いて抱え込み、ロイドはそれを彼女に無理やり  
捻じ込んだ。  
 
「ぅあぁっ!あ、あっ……!だ、だめっ!」  
 
いつも以上に激しく腰を打ち付ける。緩急などつけず、急激に速度を上げた。  
情けは禁物。容赦は一切しない。  
突き上げながら膨らんだ胸の先を指で捻ると、彼女は甘い吐息を漏らして身を捩り、同じ言葉を繰り返す。  
 
「や、やめて……、ロイド……!」  
 
拒絶の言葉を口にする度に一際大きく彼女を鳴かせ、それでも意志を変えないディアナに募る苛立ちを叩き付ける。  
滲み出る焦燥感。それを誤魔化すように、夢中で彼女を突き回す。  
ディアナは固く目を閉じ、首を振って悶え、必死に何かを訴え続けていたが、それすら耳に入らない。  
とにかく彼女を犯す。それしか頭になかった。  
 
気付かぬうちに、相当な快楽を与えていたのだろう。  
突如上がった絶叫に、ロイドはディアナが達したことを知った。  
 
「……やめてほしいなら」  
 
息を荒げる彼女を憐れみ、提示する。ただ一つの解放条件。  
 
「絶対に離れないと誓え。俺の元にいると約束しろ」  
「……、ダメ……、誰かが……妥協しなきゃ……、いやっ……ぁああっ!!」  
 
すぐさま腰を打ち始め、その言動を戒める。  
その役目をディアナが担う必要はない。何故よりによってこんな時に、自己犠牲の精神を働かせるのか。  
認めるまで許さない。思うままに何度も貫き、彼女を乱し、深い快楽で服従を強要する。  
身体を揺すられながら、ディアナは泣いていた。頬を伝う涙はこの行為によるものではない。  
 
「わ、私……だって、本当は……!」  
 
その先の言葉は続かなかった。言ってしまうと、固めたはずの決意が崩れてしまうのだ。  
だからこそ、ロイドは一切の手加減を禁じた。  
始終彼女を支配する、断続的な快楽。少しでも深く味わわせようと唇を塞いで声を封じ、腰の振りを速める。  
 
漏れる苦しげな吐息と共に、ディアナの身体が再び震え出す。二度目の限界が近いのだ。  
しかし、だからといって何が変わるわけでもない。  
欠片も容赦せずに彼女を絶頂寸前まで追い込むと、ロイドはディアナの耳元で逃げ道を囁いた。  
 
「嫌なら認めろ……。頷くだけでいい」  
「あ、あぁっ……!だ、め……」  
 
交渉の決裂と同時に最奥まで貫き、乱暴に腰を押し回す。  
痛烈な絶頂に抗い切れず、上げられた悲鳴。  
ロイドは暫らくの間何も考えずにただ腰を打ち、その声を聞いていた。  
 
「……何故だ」  
 
何故そこまで、頑なに拒むのか。  
この先もずっと、共に在り続けること。ディアナが願っていたことではないのか。  
 
「……、ごめん、ね……」  
 
ディアナは息を切らしながら、涙を湛えた瞳でロイドを見つめる。  
欲しいのはそんな言葉ではない。  
 
「謝るくらいなら……!」  
 
謝るよりも認めて欲しい。口には出さず、幾度も奥まで貫き訴える。  
突如再開された陵辱に、自分の下で喘ぎ苦しむ彼女を見れば見るほど、焦りが増して行く。  
まだ足りない。もっと悶えさせて狂わせて、与えた逃げ道に縋り付かせなければならない。  
三度目の狂おしいほどの絶頂を与えるべく、身体を反らして喘ぐ彼女を抱き竦め、遠慮のない抽送を続けた。  
 
「いやぁ!お願い、やめ……、はぁっ、あぁ……!」  
 
何を言おうとも耳を貸さない。聞き入れるのは、ロイドの求める誓いのみ。  
彼女に与え続ける過度の快楽。敏感になった身体には、相当な負担だろう。  
しかしどれほど解放への道へと誘導しても、彼女がそれに応じないのだからやむを得ない。  
 
ディアナの声に煽られ、ロイドも徐々に昂りを覚えていた。  
抑える必要はない。是が非でも意志を変えない彼女には、自分の立場を改めて理解させる必要がある。  
何の相談もなく、勝手な行動を取ろうとするとどうなるか。最終的な決定権が、誰にあるのか。  
自分が、誰のものなのか。  
 
無遠慮に腰を打つ。狂わせるほどに突いて突いて、過ぎる快楽で甚振り尽くす。  
取り乱したように泣き喚くディアナを取り押さえ、一心不乱に彼女を犯す。  
やがて限界に達すると同時に、ディアナはロイドをもその境地へと引き摺り込んだ。  
 
「も、もう、やっ……!あ、ぁあああっ!!」  
 
苦しげな叫びと共に放たれる欲望。全て、彼女の中へと注ぎ込む。  
涙を湛えた虚ろな瞳をロイドに向けながら、ディアナは震えた声で音を上げた。  
 
「もう……、いい、でしょ……?これ以上、耐えられない……」  
「……耐えられない?」  
 
吐精直後にも拘わらず、再び火が灯る支配欲。もう一押しで彼女は落ちる。  
そう思った瞬間、自然に腰が動き出した。  
 
「い、いやっ……!ロイド……!」  
 
瞬く間に増大する快楽に、ディアナは再び悲痛な訴えを繰り返す。  
泣き言を言っても無駄。聞き入れる条件に変わりはない。  
 
しかし、どれほど責め苦を与えても彼女は折れる気配を見せない。  
心を蝕む焦りと苛立ちは、最早限界に近かった。  
 
「ディアナ……、誓え……」  
「だめ……、お願い、わかっ……」  
「誓え!」  
 
彼女の涙ながらの訴えを遮る、怒りを交えた命令。  
堰を切ったように、ロイドはディアナを猛然と嬲り始めた。  
形振り構ってなどいられない。何度も名を呼びながら許しを乞うディアナを更に叫ばせ、彼女が最も乱れる  
ただ一点のみを、腰を押さえて執拗に突く。  
一層泣き叫びながら身を捩り、逃れようと暴れる度に、彼女の腰を強く固定して殊更激しく突き上げた。  
身体の芯から全てを侵す、強烈で、底の見えない凄まじい快楽。  
ディアナは半狂乱に泣き狂い、ロイドの手により戒められた身体を涙を零して暴れさせた。  
 
「いやああぁっ!ロイドッ!いやぁっ……ぁぁあああっ!!」  
 
彼女の声は、最早肉欲しか煽らない。両足を抱えたまま解放を求める手を押さえ込み、腰を突き出して狙った  
一点を捏ね回すと、ディアナは息も吐かずに泣き喚いた。  
 
身体中を蝕む快楽に、咽び泣きながら苦しむ彼女を無我夢中で突き立てる。  
涙を流して果てる度、照準を外さず一際激しく突き上げ、擦り上げ、彼女の声を無理やり絞り出すように  
掻き乱した。  
気絶さえも許さない。失神寸前で動きを止め、意識を保ったところで再び正気を失い兼ねないほどに叫ばせては  
果てさせ、快楽に侵す。  
 
ただ一度だけで良かった。ロイドの言葉に一度でも頷けば、ここまで狂わせられることなどなかったのだ。  
彼女が欲しい。堪らなく愛惜しい。乱れ、悶える姿を見れば見るほど彼女の決意の固さと共に、自分の心の底を  
思い知る。  
どれほど全力を以って彼女を犯しても飽き足りない。  
あらゆる角度から突き立てては掻き回し、彼女の身体を無理に捩らせ、前から後ろから何度も貫く。  
最早彼女の声はロイドには届いていなかった。彼女を求める心のままに、終わりの見えない陵辱を時間を忘れて  
ただひたすら繰り返した。  
 
欲望に従い、何度精を放ったかわからない。  
身体を襲う気だるさから、ロイドはディアナから自身を引き抜いた。  
 
涙に濡れた頬に触れ、気を失った彼女を労うように唇を重ねるも、心は満たされない。  
ディアナは結局要求を呑まなかった。  
いつ居なくなるとも知れない彼女を決して手離すまいと、強く抱き締め、目を閉じる。  
 
アルセストが気を使わせたのか、誰一人部屋に近付く気配はない。  
周囲は既に暗く、いつしかロイドも眠りに落ちていた。  
 
 
それが油断だった。  
翌朝。目を覚ますと、隣で眠っていたはずのディアナの姿がない。  
忽然と消えた彼女に、ロイドは飛び起き、そして体調の変化に気付く。  
未だに身体が重い。身体を重ねることなど慣れているロイドにとって、昨日の行為が原因とは考えにくい。  
おそらく後を追えぬよう、ディアナが神経干渉系の魔法か何か、仕掛けたのだろう。  
 
彼女の寝ていた部分が、まだ温かい。  
移動魔法を不得手とする彼女のこと。まだ遠くには行っていないはず。  
現状を把握した瞬間、ロイドはふとあることに気付く。その途端、全身を駆け抜ける戦慄。  
今彼女を一人にすることが如何に危険か。ラストニアには今、ロベリアの最高司祭が直々に訪れている。  
彼女は、それを知らない。  
 
窓に飛び付き外を眺めると、そう遠くない距離にディアナの姿があった。  
名残惜しげに、とぼとぼと歩く彼女の姿。  
そして、彼女から僅かに距離を置いた緩やかな丘の上には、再び交渉に訪れたであろうロベリアの一団。  
 
ロベリアの魔道士はディアナの存在に気付いている。  
明らかに彼女を狙って翳されている魔の光が、それを示している。  
見つけ次第、ディアナを始末するつもりだったのだろう。  
 
そして、ディアナは彼らの存在に気付いていない。事態は急を要する。  
普段すぐに自室から抜け出せるよう、外壁に足場を仕込んでいた。  
それを利用し、ロイドは何とか地上に降り立った。  
 
重い身体に鞭打ち、彼女の元へと駆け出す。  
呼び止めてはならない。『的』が定まってしまう。  
 
あと一歩で彼女に辿り着くかと思った瞬間に放たれた、命を焼き尽くす滅びの閃光。  
ロイドはディアナを庇うように自らその光に身を投じ、術の照準から彼女を押し出した。  
身に振り掛かった一瞬の出来事に、彼女は振り向き、目を見開いて自分の代わりに光に貫かれた人物を呆然と  
眺めていた。  
 
地に滴る鮮血。万全の体調であったなら、避けられただろう。  
 
彼女に覆い被さるように、目前の大木に手をつく。  
残された力で自身の身体を支えるも、その手は力なく地へとずり落ちる。  
打たれ弱さは自負している。しかし、今回に限りそれは関係なかった。  
人間である限り、これ以上の生命活動を維持することは極めて困難。  
生きていられるはずがない。心臓を、貫かれては。  
 
因果応報。これが報いならば、大人しく受け入れるも良い。  
心残りなのは、絶望の淵から救ったはずの彼女に、再び深い絶望を与えてしまうこと。  
 
「……ロイド」  
 
間もなく訪れる過酷な現実に怯え、震えるディアナの声が遥か遠くに響く。  
残された力で最愛の女性の名を呼ぶも、彼女に届いたかどうかはわからない。  
 
徐々に視界を閉ざしつつ、ロイドの意識は、底知れぬ闇へと堕ちた。  
 
 
 

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