当分の間、野宿が続いた。街などの人の多い場所は徹底して避け、二人は森を通って大陸を南下していた。  
ディアナにとって、大陸を跨ぐことは別段珍しい経験ではない。  
大陸一つ渡っただけで国や街の文明が大きく変わる様子を、ロイドと共に見てきた。  
小競り合いを繰り返す原始的な国。文化の発展に力を注ぐ国。高い技術力を保持する国。  
 
しかしその中でも不変の要素が存在する。  
それは、魔物の存在。『魔物』『怪物』『モンスター』など場所により呼称も様々で、中にはただの動物として  
扱う地もあるが、それらは決まって同一の存在を指す。  
大抵人里から離れた森や洞窟に生息し、訪れた者を『狩人』と捉え襲撃するか、もしくは逃亡を図る。  
どれほど平和な国でも少なからず戦力を持つのは、人里に下りる希少な種から民を守るため。  
ディアナはそれらに幾度となく遭遇してきた。  
そして今まさに、その遭遇条件を満たしている状況に置かれていた。  
 
「ロイド!少しくらい手伝ってよ!」  
 
人里離れた森を歩む故に、姿を見せる異形の生物。  
退治は専らディアナの役目だった。声を張り上げて助力を求めてもロイドは全く応じず、攻撃を避けるのみ。  
奥地へ進むほど遭遇頻度も上がり、ディアナが疲れ果てて来る頃にようやく手を貸すのだ。  
批難したいのは山々だったが、そのおかげで力をつけた節もあり、ディアナは強く出ることができなかった。  
 
その後も行く手を阻む全ての敵を一掃し、二人は南下を続けた。  
普段は宛てもなく彷徨っているが、今回はどうやら目的地があるようだった。  
ディアナが行く先を訊ねても、ロイドは何故か言い淀む。  
結局目的がわからないまま、幾度もの野宿を経て大陸の最南端の国へと辿り着いた。  
 
訪れたのは、経済大国ラクール。  
国営カジノを持つ金融取引が盛んな娯楽の国。そして意外にも、ラストニアの友好国だという。  
派手な印象を受ける街を歩きながらディアナはロイドに軽い説明を受けたが、特に他人に隠すべき点が  
見当たらない。何故行き先を言い淀んだのか理解できなかった。  
 
人目を気にして裏路地を通りつつ、彼が真っ先に向かったのはラクール城。  
しかし城門を前に、ロイドはふと立ち止まる。  
遠方にそびえ立つ正午を刻む時計台を眺めると、急に思い立ったかのように方向を変えた。  
外壁を伝い、使用痕跡のない目立たない裏口を訪れ、そこからこっそりと城内に忍び込む。  
 
「なんでこんな入り方するの……?友好国なんでしょ?」  
 
ロイドはディアナを一瞥するが、何も聞こえなかったかのように無言で歩を進めた。  
やがてガラス張りの一室に辿り着くと、彼は足を止め壁越しに中を望む。  
身なりの良い、役人らしき人間が十数名席に着いている。その中で一人、部屋の外に佇むロイドの姿に気付き  
顔色を変えた人間がいた。  
琥珀色の髪が美しい、一人だけ風格の異なる青年。彼は慌てた様子で部屋から飛び出し、ロイドを人目の  
つかない通路の曲がり角まで追いやると、比較的小さな、低い声調で食って掛かった。  
 
「何をしに来た?もう来るなと言っただろう!」  
「おい、誰に向かって口を利いてるんだ」  
「脅しても無駄だぞ。僕はもう君には従わないと決めたんだ」  
 
双方共に威圧的な態度で臨んでいるが、青年の方が若干気後れしているように見える。  
無論ディアナには何の話なのかわかるはずもなく、ただ眺めていることしかできない。  
結局、青年はロイドの言葉には一切耳を貸さず、彼を城の外まで追い出してしまった。  
 
「今の、何の話?」  
「……金の話」  
 
試しに訊いてみると、ロイドはようやく重い口を開く。今の一言で、話の大筋が見えた気がした。  
 
「……もしかして、脅し取ってるの?」  
「人聞きの悪いことを言うな」  
 
ロイドはディアナの問い掛けを遠回しに否定すると、考え込む様子で踵を返した。  
実際のところ彼の財源がどうなっているのか、ディアナは全く知らない。  
母国の資金を利用すると足がついてしまうし、恐喝紛いな行為をする様子もない。  
莫大な金額を予めせしめていたとしても、資金は有限。  
ケルミスを筆頭とする情報屋がいる限り、いつか尽きてしまう気がしてならない。  
 
先程の青年が鍵となる人物なのだろうか?  
答えの出ない憶測を巡らせているうちに、気付くと街の中心部へ辿り着いていた。  
そっとロイドの様子を窺うと、彼は目前に建ち構える国営カジノをじっと見つめている。  
何を考えているのだろうか。そう思いつつ彼の動向を探っていると、突然、彼がにやりと笑みを零した。  
 
「ちょっと待って。今、何か企んだでしょ」  
 
カジノへ向かって足を踏み出す彼を呼び止め、ディアナは先程の笑みの真意を問い質す。  
彼は押し黙ったまま邪魔者を見る目つきを以ってその問いに答えると、ディアナの腕を掴み来た道を戻り始めた。  
 
「ど、どこ行くの?」  
「城」  
 
ロイドはいつもに増して無愛想な返事をし、今度は客として正門からラクール城へと押し掛ける。  
彼の正体を知ってか知らずか、ロイドに捉まったラクール兵は慌てて目的の人物を呼びに駆け出した。  
来客ならば応じないわけにはいかないのだろう。すぐに先程の青年が、うんざりした様子で姿を現した。  
 
「何なんだ君は……。何を言われても一銭たりとも出さないよ」  
「用件が違う。連れを預けに来た」  
 
ディアナはロイドに肩を押され、青年と向かい合わされる。  
一瞬、彼の意図が理解できなかった。  
 
「……離れちゃ駄目なんじゃなかったの?」  
「こいつなら大丈夫だ。俺が戻るまでここにいろ」  
「ちょ、ちょっと待て。僕はいいとは一言も……」  
 
ロイドは有無を言わさずディアナを青年に押し付け厄介払いを済ませると、二人に背を向け城から出て行って  
しまった。悪い予感がしたが、勝手な行動を取ると後々酷い目に遭わされる。今は黙って従うしかない。  
そしてそれは、目の前で唖然としている彼も同じだった。  
気まずい空気が流れたが、彼は持ち前の爽やかな笑顔でその場の空気を取り繕い、ディアナを応接間へと  
案内した。  
 
「見苦しいところを見せてしまったね。申し訳ない」  
「いえ、それよりあなたは?」  
 
あの用心深いロイドが大丈夫だと言い切り、今の状況下で自分を預けた人物。  
ディアナは彼が何者なのかが一番気掛かりだった。  
 
「これは申し遅れました。僕はエミル・ミラ・ラクール。全国営機関、及び金融機関の最高責任者を  
 務めております」  
「ラクール……?え?王子、様……?」  
「そんなに珍しいかい?ロイドだってそうだろ?柄じゃないけどね」  
 
少なくとも、ロイドが大丈夫だと言い切った理由を理解できた。  
それほどの地位の人物の客として扱われれば、誰も手出しはできない。  
しかしそれだけではない気がした。お互い邪険に扱ってはいるが、一種の信頼が二人を繋いでいる気がして  
ならなかった。例えるならば、まるで悪友同士であるような。  
 
「あの、彼とはどういうご関係で……?」  
 
名乗ることすら忘れ探りを入れると、エミルは苦笑し、決まりが悪そうに口ごもる。  
 
「言ったら君、助けてくれるのかい?」  
「助ける?」  
「あぁ、いいよ。教えてあげよう。君は彼の側の人間だし、僕もいい加減打ち明ける人間が欲しい」  
 
彼は手始めにディアナの名を聞き、ロイドがこの国を訪れた目的、そして今までの経緯を話し始めた。  
裏で何とか資金を捻り出し、ラストニアではなくロイド本人に献上していたこと。  
偽名口座の用意を強要され、そこにも送金させられていたこと。  
そして今、その残高が危うい状態であること。  
想像以上に真っ黒だった。ロイドが言い渋ったのは、目的地の次に問われるであろう、来訪の目的そのもの  
だったのだ。  
 
「今となってはもう、僕とロイドは共犯者でしかない。でも別に悪いことばかりじゃない。  
 僕があいつの我侭に応じていたのは、こちらにも利があるからだ」  
 
エミルがロイドの要求に応じる以上、ラクールは彼にとって欠かせない国となる。  
もし他国の侵略を受けた場合、ロイドは自国の軍を率い、全力でラクールを守らなければならない。  
また、ラクールを支配下に置くことも有り得ない。  
もし二人の犯行が白日の下に晒された場合、ロイドが全責任を負うことになるためだ。  
絶対的な平和を金で買うことで締結される、不可侵条約。友好国とはそういう意味だった。  
 
「ではどうして、もう支払わないと?」  
「基本的にこの大陸、平和だからね。侵略するような国なんてないんだよ……」  
 
身も蓋もない理由を最後に、彼の話は終えられた。  
話の内容も然る事ながら、真に驚くべきは彼の洞察力。物事の本質を見抜く力が、非常に長けている。  
彼ならば、ロイドの人間性を理解しているかもしれない。  
ディアナは裏で詮索する行為に罪悪感を感じながらも、意を決してエミルに尋ねた。  
 
「あなたは、ロイドがどういう人間か知っているんですね?」  
「まぁ、その辺の人間よりはね」  
「彼は……、本当に非情な人なんでしょうか……」  
 
ディアナは俯き、今にも消え入りそうな声を絞り出す。  
ロイドに問い詰められたあの夜から、結局何も彼に告げていない。  
あの日老人に問われた、ディアナがロイドに付き従う理由。それはとても単純で、簡単なことだった。  
 
彼が、ディアナの味方であること。扱いがどうであろうと、それは揺るぎ無き真実。  
ロイドが自分を守る限り、自分は彼のために生きる。ディアナはそう決めていた。  
しかし、彼の見せる現実が、その信念を捻じ曲げる。  
彼は女子供は愚か、年寄り相手でも容赦はしなかった。更には親の仇と重ねてしまった矢先のこと。  
 
エミルは苦悩するディアナの様子を観察し、まるで全てを見抜いているかのような口調で答えた。  
 
「そうだよ。でも勘違いしちゃいけない。あいつはね、憎まれる存在でなければいけないんだ」  
 
言葉の意味が理解できなかった。追求しても彼は答えない。  
自分の口から勝手に全てを語ることはできないのだと言い、断固として説明を拒む。  
 
「そんなこと訊くってことは、君、ラストニアに行ったことないだろう。  
 どうしても知りたいなら行ってみなよ。自分の目で確かめるといい」  
 
ロイドが帰国に応じるとは到底思えない。そもそも何故国を出たのか、彼は未だに話さない。  
今ここで尋ねることもできるが、もし彼がそれを察していたとしても、それが真実であるとは限らない。  
これだけは、本人から直接聞き出さなければならないのだ。  
 
「長話をしてしまったね。そろそろ……」  
 
エミルが口を開き掛けた途端、応接室の扉が勢い良く開かれた。  
役人らしき男が扉の前で、血相を変えて息を切らしている。  
 
「エミル様、大変です!」  
「何だ?どうした?」  
「国家経済が破綻の危機に……」  
「……、ちょっと意味がわからないな」  
「とにかく、一度カジノへ!」  
 
カジノにはおそらくロイドがいる。堪らなく嫌な予感がした。  
ディアナは怪訝な表情を浮かべるエミルと共に、街の中心部へと向かった。  
既に建物の周囲にも人が集まり、カジノの中は騒然となっている。  
 
人集りを掻き分け問題のテーブルへと向かうと、黒い鍔付き帽子で顔を隠している男の背が目に入った。  
立ち折れた衿が特徴の、丈の長い黒のジャケット。それは紛れもなくロイドの風貌だった。  
テーブルには、様々な色のチップが山積みにされている。  
彼はディアナの隣で固まっているエミルの気配に気付き、ちらりと背後に視線を送った。  
その視線が交わった瞬間、エミルは火が付いたようにロイドの胸倉を掴み、声を荒げた。  
 
「おい、これは何の真似だ!?この国を転覆させる気か!?」  
「それはエミル、おまえ次第だ」  
「金なのか!?いくら欲しいんだよ!」  
「いくら……?その時点で話にならないな」  
 
ロイドは涼しい顔で皮肉な笑みを浮かべる。  
ディアナはカジノのルールなどわからない。何のゲームなのかもわからないし、目の前のチップがどれほどの  
配当なのか検討もつかないが、エミルの様子から相当の額であることが窺い知れる。  
 
周囲から小さく聞こえる会話に聞き耳を立てると、ロイドはベット額の上限が設けられていないテーブルで  
いきなり大金を注ぎ込んだらしい。そしてその後も大敗することなく数百倍単位で増え続け、今に至ると。  
 
そんなことが有り得るのだろうか。気掛かりなのは、ディーラーがやけに平然としていること。  
ディアナはロイドに近付き、小声で疑問を投げ掛けた。  
 
「……買収したの?」  
 
彼はちらりとディアナに視線を送るが、無言のまま否定も肯定もしない。  
真実と異なることはすぐに否定する傾向にある彼の性格を考えると、おそらく図星なのだろう。  
ロイドが不正を行っているであろうことは、当然エミルも感付いている。  
しかし証拠がなく、ゲーム中の様子を見ていないのだからわかるはずもない。  
ディアナはロイドに振り回されっ放しの彼が不憫で仕方がなかった。  
イカサマは犯罪。見過ごすわけにはいかない。  
 
「ロイド、私と勝負して。私が勝ったらこれ、全部返して」  
「おまえ、ルール知らないだろ」  
「すぐ覚えられる簡単なゲームでいいの」  
 
彼の真正面で堂々と、宣戦布告を行って見せる。  
エミルが止めに掛かるが、ディアナの決心は固い。彼は最初、助けを求めて来たのだから。  
ディーラーを買収したのなら、プレイヤー同士のゲームをすれば良い。  
後はビギナーズラックに任せる。負けるかもしれないが、勝てるかもしれない。  
 
「いいだろう。ただし、俺が勝ったらペナルティを負ってもらう。これだけの額を賭けるんだからな」  
「……わかった」  
 
敗れた時のことまで考えていなかったが、ここで退くことはできない。  
ディアナは提示された条件を呑み、席に着いた。  
 
プレイヤー同士の戦いならばポーカーが有名なのだそうだが、役を覚えるのが大変とのこと。  
結局、決まった勝負種目はブラックジャック。手札の合計値が21を超えなければ良いというだけのゲーム。  
ディアナの希望により、ディーラーが存在するカジノルールではなく、通常ルールでの勝負となった。  
余程自信があるのか、ロイドは5戦中1勝でもできればディアナの勝ちで良いと言う。  
舐められたものだと思いつつも、結果は惨敗だった。  
 
「なんで!?絶対おかしい!」  
 
21を揃えて勝利を確信しても、決まって引き分けにされてしまう。  
ロイド本人も、何か小細工でもしていたのだろうか。  
もしそうならば、ディーラーの存在有無に関わらずテーブルゲーム自体すべきではなかった。  
 
自分の浅はかさを後悔しつつ、ディアナは納得の行かない表情で場のカードを見つめていた。  
ロイドはその様子を眺め、懐から一枚のコインを取り出す。  
 
「ディアナ。ツーアップだ」  
 
名を呼ばれ顔を上げると、目に入ったのは宙に舞う一枚のコイン。  
用語の意味がわからなかったが、その様子からコイントスであると理解する。  
コインは放物線を描き、やがて彼の手中に収められた。  
 
「……裏」  
「表。残念だったな」  
 
開かれた手の平から表向きのコインが現れ、細工はないのだと主張するようにディアナの目の前に置かれた。  
完全に止めを刺され、ディアナは何も言い返せなくなってしまった。  
 
結局、財政破綻を招くほどの配当を支払うことはできず、エミルは為す術なくロイドの要求に応じた。  
彼の要求は、譲渡額の上限排除。つまり、ロイドが請求する額はいくらであろうと支払わなければならない。  
それを実現するために、彼は偽名口座を破棄し、代わりにエミル本人の名義を手に入れた。  
 
「ロイド……、非常識な使い方はしないでくれよ。それから当分ここには来るな。おまえが来ると本当に  
 ろくなことがない」  
「こいつが有効な限りはな」  
 
エミルは悔しさに身を震わせつつ、ロイドの機嫌を損なわないよう無償で宿の手配をした。  
相変わらずの手口に、呆れながら悪態をついて見せると、彼は珍しく弁解を始めた。  
荒っぽい金遣いをするつもりもないし、結局今までと何ら変わりはなく、ただ定期的に来訪するのが面倒に  
なったのだと言う。そして、裏で行われている献金があってこそ、今こうしてラクールが栄えているのだと。  
 
彼は最後に不可解な言葉を残し、口を閉ざした。  
 
 
手配されていた宿は、ラクールの中でも最高級のホテル。  
非常に客が多く、飛び入りのため通常の部屋ではあったが、恐縮するほどに豪華だった。  
ロイドは無関心な様子を見せたが、エミルが如何にロイドに気を使っているかが窺える。  
しかし、そんなことに気を取られている場合ではない。  
食事・入浴等の最低限の用を済ませると、ディアナは寛ぎもせずに早々にベッドに逃げ込んだ。  
 
「じゃ、私、もう寝……」  
「ディアナ。何か忘れてないか?」  
「……、何を?」  
 
動揺を隠し、ディアナは可能な限り平静を装って白を切る。  
しかしそれは、彼の蔑みの込められた視線を受け後悔に変わった。  
 
何とかしなければ、またとんだ仕打ちを受けてしまう。  
明らかに悪意を持った面持ちで歩み寄られ、ディアナは慌てて言い逃れを始めた。  
 
「あんなの、どう見てもイカサマじゃない!」  
「証拠は?」  
「それはっ……、ない……けど」  
「見破れなければ負け惜しみにしかならない。勝負の世界を甘く見るな」  
 
ロイドは威圧的な態度を以ってベッドの上に座り込んでいるディアナに迫る。  
気迫に圧されて後退ると、彼は壁に手を付き逃げ場を無くす。  
ディアナは完全に臆しつつ、やはりまた抱かれるのかと表情を曇らせた。  
エミルにフォローされたとは言え、ディアナの心には未だ靄が掛かっていた。  
 
「また……するの?」  
 
それとなく交わることを拒むと、ロイドは気を悪くしたように目を細める。  
彼は暫し黙っていたが、やがてベッドに乗り上げ返事の代わりにディアナの身体を沈めると、早々に内腿の間に  
指を添えた。  
繁みを隠す隔たりはすぐに取り払われ、与えられていた小さな圧迫感が徐々に内部へと移動する。  
指に動きが伴うと身体はすぐに熱くなり、それほど時間も経たないうちに、聞きたくもない水音が漏れ始めた。  
もう、身体が勝手に反応してしまっている。断じてこの行為を望んでいるわけではない。  
自分にそう言い訳し、ディアナは今にも零れそうな声を吐息に変え、じっと終わりを待った。  
 
やがて自分でもはっきりとわかるほどに十分な潤いがもたらされると、ロイドは静かに指を抜いた。  
ディアナは間も無く始められるであろう、抗いの許されない行為を覚悟し、身構える。  
しかし彼は一向にその気配を見せない。様子を窺うと、まるで興醒めしたかのような表情でディアナを  
見下ろしている。  
あの夜と変わらず、頑なに自分を拒む態度が気に食わないのだろうか。  
理不尽さを感じながらもそう不安に駆られていると、不意に肩に手を掛けられ気怠い身体を強引に起こされた。  
 
「そんなに嫌か」  
「だって、……」  
 
ロイドは露骨に不愉快な表情を見せる。ディアナは膨らむ不安から口ごもり、答えを濁す。  
煮え切らない態度に痺れを切らしたように、彼はベルトに手を掛けながらディアナの頭を押さえ込み、  
這い蹲らせた。  
視界に飛び込む、見たこともない赤黒い塊。それが何であるか認識する前に、ディアナは固く目を閉じた。  
顔を引き寄せられ、唇にその何かが当てられる。  
 
「口を開けろ」  
「…………」  
「おまえは国家破産に相当する負債を負ったんだぞ。わかってるのか?」  
 
ロイドはディアナの負い目を巧みに突き、開口を要求する。  
後ろめたさからつい唇を緩ませると、彼はその僅かな隙間を割り、強引に自身を口内に捩じ込ませた。  
 
「うっ……!」  
 
ディアナは思わず呻く。口を使った行為など、見たことも聞いたこともない。  
にも関わらず、ロイドは冷たく舐めろと言う。  
これはペナルティ。単なる彼の嫌がらせなのだ。  
それでも、ここまで酷い性的嫌がらせを強要されるとは思っていなかった。  
言われた通り舌をぺたりと貼り付けるも、その思いからディアナは僅かに胸を痛め、全く動けずにいた。  
 
「舐めるって、意味わかってるか?」  
「…………」  
 
今は従わなければならない。ぎこちなく舌を這わせ、手前へ、奥へと滑らせる。  
言われるがままに僅かに膨らんだ先端を口に含み、舌で擦っては溢れ来るぬめりを舐め取る。  
どれほど頑張ってこなして見せても、ロイドは何の反応も見せない。  
当然だと思っていた。そもそも口に含むこと自体おかしいのだと、ディアナは信じて疑わなかった。  
 
「つ、疲れた……」  
 
普段使わない筋肉を酷使し、ディアナはすぐに音を上げた。  
口を閉じることができず、回らない呂律で何とかロイドに解放を訴えるが彼は応じない。  
疲れ果て、咥えたまま動かなくなったディアナの後頭部がロイドの手により固定される。  
 
「動くなよ」  
「……?」  
 
これから始まる未知の行為。何をされるのかわからず、ディアナは何の気構えもできずにいる。  
ロイドは不安な表情を浮かべるディアナを見下ろし、予告もなしに突然喉の奥深くまで自身を押し込んだ。  
 
「ん……ぐっ!」  
 
突如生じた、生理的不快感。ディアナは少しでもそれを和らげようと身を退くが、どうしても頭が動かない。  
逃がさないよう押さえ込まれたまま、舌の上を生暖かく固いものが何度も往復する。  
擦り込まれては異質の液体が唾液に混じり、逃げる素振りを見せると容赦なく喉の奥まで侵入される。  
時間の経過が遅く、ディアナは短いはずの長い時を苦しみ続けた。  
 
「っ、はぁっ……!」  
 
不意に力が緩み、ディアナに与えられた休息の権利。  
口を塞いでいた彼の固い異物を吐き出し、幾度となく呼吸をする。  
 
溜まり切ったどちらのものともつかぬ薄い粘液が飲み込まれると、ロイドは再びディアナの頭を押さえ込み、  
自身を奥まで突き入れた。  
喉を突かれる度に咽びながら、ディアナは息を止めて気道を塞ぎ、何度も侵入して来る彼を受け止める。  
 
気付くと目尻が潤んでいた。  
罰とはいえ、こんな何も得るものもない非常識な行為で相手を苦しめて、一体何が楽しいのだろう。  
それほどまでに自分の苦しむ姿を見たいのだろうか。彼はここまで嗜虐的な性格だっただろうか。  
ロイドへの不信感が、ディアナの心を蝕んでいた。  
 
やがて、呼吸を妨げていた彼の陰茎が大きく脈打ち、生暖かい液体を放つ。  
一瞬にして広がる苦味とも何ともつかぬ感覚に、ディアナは顔を歪めた。  
 
「飲み干せ」  
「……!?」  
 
ある程度予想はしていたものの、ロイドは従い難い命を下す。  
ディアナは飲むものではないのだと目で訴えたが、聞き入れられることはなかった。  
 
成す術なく、喉を鳴らして吐き出された彼の精を飲み込む。  
しかし予想外の粘性に、喉を通し切れずにディアナは咽せ返り、結局飲み干すことは適わなかった。  
ロイドはそれを目に留めるとすぐさまディアナを抱き寄せ、未だ固さを保っている自身の上に座らせる。  
ディアナはそれが触れた瞬間膝をついて距離を置くが、彼は腰を掴み、そのまま強引に引き降ろした。  
 
「あっ……!」  
 
息も整わないうちに串刺しにされ、ディアナはろくに声も出せないまま彼に翻弄され始める。  
下から突き上げられ腰が浮く度、身体の重みで再び自分を貫く。  
ディアナは慌ててロイドにしがみつき、自分の体重を支えた。  
彼は片手で浮く腰を押さえ、もう一方の腕でディアナを抱き竦める。  
密着した身体は放されず、ただ一方的に突き立てられ、身を焼く快楽は時間と共に増して行く。  
 
「う……、ぁ、あ、……!」  
 
喉にこびり付く、残っていないはずの粘液が邪魔で声が詰まっていた。  
ロイドはその様子を窺うも一切構わず、幾度もディアナを貫き、揺さぶり、二度目の吐精を図る。  
途中で何度か咳き込みながらも、ディアナは彼の肩に頬を擦り付け、力一杯抱き付きながら溢れる快感に  
耐え続けた。  
限界は最早目の前。ロイドもそれは同じようで、時間と共に速度が増す。  
 
「だ、め……、いやっ……!ああぁっ!!」  
 
一際強く彼にしがみつき、ディアナは身を突き抜ける絶頂に震えた。  
しかし彼の行為は未だ終わりを見せず、達する直前まで執拗に突き続け、ディアナを更に悶えさせる。  
全身を支配する過剰な快楽に声を失いながらも、ディアナはロイドの気が済むまで必死に正気を保ち続けた。  
毎度のことながら、歴然とした持久力の違いがディアナを苦しめていた。  
 
やがて彼は無理矢理ディアナを引き離し、再び頭を掴んで根元まで咥えさせる。  
喉の奥に直接精を注がれ、ディアナは強制的にその全てを飲み込まされた。  
 
「は……、うっ」  
 
喉元を押さえ、半ば反射的に咳き込む。  
ロイドはその様子を窺い、満足げにディアナを嘲った。  
 
「別に最初は抱くつもりはなかった。墓穴を掘ったな。これで帳消しにしてやる」  
 
胃に溜まる不快感からディアナは何も言えず、ただ息を荒げていた。  
酷い嫌がらせだと胸の内で密かにロイドを罵るが、その中でふと、彼が挿入の前に一度精を放ったことを  
思い出す。  
男性にとってこの行為は、おそらく気持ちの良いものなのだ。決してただの嫌がらせではなかったのだ。  
ディアナは何の意味もなく苦しめられたわけではないのだと理解すると、途端に募っていた不信感が薄らいだ。  
 
それでも心に掛かった靄は、完全には晴れない。  
このまま共に旅を続けても、彼の性格が変わらない限り晴れることはないだろう。  
 
自分がすべきことを、ディアナは自然に悟った。  
 
彼の本質を理解しなければならない。出会う前のロイドの姿を、ディアナは何一つ知らないのだ。  
まずは知ること。そのためには、エミルの言う通り昔の彼を知る者と接触しなければ、おそらくそれは叶わない。  
機会はいずれ必ず訪れる。雑念を払い、今はただ、彼を信じ続ける。  
 
ディアナはベッドの隣に座り込むロイドの横顔を見つめながら、そう誓った。  
 
 

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