天候は良好、風も波も穏やかで、その日はまさに航海日和だった。  
 雲一つ無い澄み渡った空とは対照的に、セラは曇り切った面持ちで一人、船尾で白波を眺めている。  
 
 セラにとっては昨晩こそ、思いを伝える最後のチャンスだった。国へ戻ってしまえば他人の目もある上、  
ライラはまた毎日のようにケイトの相手をすることになる。そうなってしまっては、もう話し掛ける勇気すら  
持てなくなってしまう。  
 
 もっと冷静になるべきだったのだろうか。焦り過ぎたのだろうか。  
 もう少し親しい仲になっていれば、まだ可能性はあったのだろうか。  
 
 未練を引き摺り、思い悩むセラの足元に影が落ちる。姿の見えない彼女を探していたティトが背後から  
その様子を眺め、声を掛けるべきか迷っていた。静かに隣へと歩み寄り、黙って様子を窺うティトに気付き、  
セラは自ら話し掛けた。  
「振られてしまいました」  
「振られた……?」  
「貴方の言う通りでした。私のことなんて気に掛けてすらいなかったんです」  
 ティトは何とも言えぬ微妙な気分に襲われた。正直なところ、彼女にライラに直接思いを告げられるほどの  
行動力があるとは思っていなかったのだ。  
 セラの気を沈めているのは失恋という名の挫折。その心の傷は、昔ならば遠慮なく利用していたものだ。  
 しかし彼女に対し、そんな卑怯な真似をする気にはなれなかった。  
「私もケイトのように、もっと強ければ良かったんでしょうか……。私にもっと力があれば、  
 一目置いて貰えたんでしょうか……」  
「卑屈になってるね。僕は君に力がないなんて思わない。僕らにできないことを、君はやって退けたじゃないか」  
「でも、私は弱いんです!私は貴方達のように、戦うこともできないんです!  
 貴方とケイトは強いから、力があるからそんなことが言えるんです!」  
「セラ……?」  
 普段の彼女からは考えられない台詞だった。傷心故の八つ当たりであると理解することができても、  
彼女に悪者扱いされているティトにはその心を癒してやることができない。  
「私は優しいお父様も、魔力を与えて下さったお母様も尊敬しています。  
 でも、貴方の御両親は相当な実力者であるとお父様から聞いたことがあります。  
 私と貴方達二人は立ち位置から既に違うんです。弱い人間の気持ちなんて……」  
「それ、本気で言ってるの?」  
 
 セラははっとして顔を上げた。普段から軽快な口調でしか話さないティトには珍しい、まるで相手を  
萎縮させるかのような声だったのだ。それは憤りや、侮蔑さえも感じ取れるものだった。  
「僕のことは何と言っても構わないよ。実際母さんに頼りっ放しだったからね。  
 でもそんなこと、ケイトの前では絶対に言うな」  
「……ティト?」  
「ケイトがどうして毎日飽きもせずに養成施設に通って、強くなろうとしているかわかる?  
 母さんを守るためだけじゃない。今のままじゃ父さんを超えられないとわかってるからだよ。  
 親に力があればあるほど、その壁は高くなる。尊敬しているなら尚更だ。  
 素質はあるはずなのに、いくら腕を磨いても追い付けない……君にその気持ちがわかる?」  
「…………」  
 セラは視線を落としたまま、何も言い返さずにティトの言葉に耳を傾けている。  
 劣等感とは誰もが多少なりとも持っているもの。要するにティトは、人間ならば個々の立場ならではの  
苦悩を少なからず抱えているのだと言いたいのだ。  
 一層沈み行く彼女の様子に気付いても、ティトは容赦はしなかった。優しい言葉を掛けることが、必ずしも  
彼女のためになるとは限らない。  
「君は常に上を見ていて、常に自分を高めようとしていた。僕は君のそんなところも好きだったよ。  
 でも今の君は嫌いだ。誰でも落ち込むことはあるし、弱音を吐くなと言うわけじゃないけど  
 そんなことを言われちゃ黙ってるわけにはいかない。少し頭を冷やした方がいい」  
 
 あまり個人行動を取らないよう、なるべく早めに戻るよう言い残して去り行くティトの背を、セラは呆然と  
眺めていた。  
 言葉がなかった。まさか叱咤を受けるとは思っていなかったのだ。  
 
 慰めの言葉を期待したのだろうか。ティトならば味方になってくれると思ったのだろうか。  
 自分は今、彼の弱味に付け込もうとしたのだろうか。  
 
 セラにとって両親以外の人間からこれほどはっきりと叱られたことも初めてで、考えれば考えるほど  
ティトの存在が何なのかわからなくなる。  
 湧き上がる嫌悪感は自分自身のみへと向けられ、不思議とティトへは何の反感も抱いていなかった。  
 セラはそんな自分の心でさえも、理解できなくなっていた。  
 
 
 ラスニールへ到着するまでの間は、何もすることのない退屈な時間だけが待っていた。  
 ケイトにはそれが苦痛で仕方が無い。気を紛らわせる術がなく、嫌でも先日の出来事を思い出してしまうからだ。  
 
 二人の情事を覗いていたわけではない。木の幹に寄り掛かり、耳に入って来る会話をただ身を硬くして  
聞いていただけだったが、二人の本心はそれだけでも十分過ぎるほどに伝わって来るものだった。  
 ライラを意識したことなど一度もない。故にセラが何をしようとも、ケイトに口を挟む理由はない。  
 しかし、相手が相手なだけに心から応援などできるはずがなく、更には弟が、王位、つまりセラの婚約者という  
立場に手を出すほどに、彼女を好いている。  
 実際ティトの行動は真意を理解し難く、国を乗っ取りたいのか彼女を手に入れたいだけなのかケイトには  
判断がつかなかったが、少なくともセラに対して本気であることだけは理解していた。  
 誰の背を押してやれば良いのか。これからライラにどう接すれば良いのか。  
 彼の言う『誤解』とは何なのか。  
 
 考えるだけ無駄だった。結局のところ、わかるところから解きほぐして行くしかないのだ。  
 ケイトは船内でライラを見つけ出すと、逆らえぬよう不機嫌を装い、不躾に命じた。  
「ちょっと面貸しな」  
「…………」  
 女としての品位を疑うライラに構わず、ケイトは彼を船首へと連れ出した。  
 
 『気になる人間がいるのか?』  
 眼下に広がる浩々たる大海原を見渡し、ケイトはルイスの問い掛けを思い出していた。  
 意味は違えど、当時返した否定の答えは間違いだ。  
「……気になる」  
 不意に漏らした呟きは、恐らく彼の耳には届いていない。  
 普段から自分に付き纏う理由、引渡しに応じた理由、そして何より、一体何が誤解であるのか。  
 気になって仕方が無かった。  
「おまえ、何か隠してるだろ。聞いてやるから全部吐け」  
「い、いきなりだな……随分と」  
 ケイトの突き刺さるような視線を浴びようとも、ライラは肝心な事には何も触れず、極力普段通りの  
態度で接しようとしている。  
 自分で誤解と言っておきながら、弁明の機会を与えてもそれに応じないとはどういうことなのか。  
 度重なる追及を巧みに躱し続ける彼に、ケイトは到頭痺れを切らした。  
「もういい、わかった。おまえは自分のためなら、平気で他人を犠牲にできるような人間だったってわけだ」  
 
「待て、それは違う」  
「じゃあ何だよ!?私に心中察しろって言いたいのか!?他人の気持ちなんかわかるわけないだろ!  
 それにおまえ、普段から私に突っ掛かって何がしたいんだよ!はっきり言って、意味がわからない!」  
 胸倉を掴んで怒号を上げるケイトに周囲の目が集まり、ライラは一層決まりが悪そうに視線を泳がせる。  
 ケイトが沈黙を以て返答を要求しても、彼も同じく沈黙しか返さない。  
「どうして何も言わないんだよ……。反論しろよ、調子狂うだろ……」  
「ここで言えってのか?容赦ねえな」  
 いつものように茶化されようとも、ケイトは一切乗らない。ここで答えないならば、やはりその程度の  
男だったのだと見限るつもりだった。それを察してか、ライラは観念したように溜息を吐いた。  
 もう誤魔化し切れない。白状するしかない。そんな思いが滲み出ているかのようだった。  
「……見捨てるつもりはなかった。引き渡しても助け出す時間は十分にあるんだ。  
 あいつら、人間の扱いはぞんざいだがデータだけは正確なものを欲しがるからな」  
 検体の精査だけでも相当な時間を要する。それは、ライラが身を以って知っていることだ。  
 望みもしない力を授けられはしたが、だからこそ、その力を利用してケイトを取り戻す自信は十分にあった。  
「だとしても、勝手に私を利用したってことだろ……。一言言ってくれれば、私だって……」  
「最初は利用しようなんて思ってなかった。本当はわかってたんだ。もう元には戻れないんだろうってな。  
 でもあの女の顔を見たら……どうしても縋りつきたくなったんだ」  
 万が一にも戻る手段が用意されているとしたら。引渡しに応じれば、約束通り元の体質に戻れるかもしれない。  
 結局のところ、誘惑に負けたのだ。形だけの約束に踊らされ、その隙に付け込まれ、結果として迎えてしまった  
最悪の展開は必然と言えば必然なのだ。  
「別にこのままでもいいじゃないか。そいつを頭に付けてれば、死にはしないんだろ?何が不満なんだ?」  
「わかってねえな……」  
 肝心なところで、ライラは再び押し黙る。今更隠すなとケイトが急かすと、彼は渋々と、実に気まずそうに  
その先を語った。  
「あの女から聞いただろ。俺の血には命を脅かす不純物が混じってる。遺伝したらどうなるかわかるだろ?  
 俺、子供作れねえんだよ」  
「…………へ?子供?」  
 
 思いも寄らない理由だった。確かに人間の生きる目的である子孫繁栄の観点から見れば、十分納得するに  
足るものではある。  
「おまえみたいな鈍い女にはわからんだろうなぁ……、俺がどんな気持ちで毎日……」  
「何だよ?」  
「……何でもねえよ」  
 ライラは苦渋の色を浮かべ、もういいだろうと呟きながら手を払う。  
 そのまま逃げ去ろうとする彼を、ケイトはふと、腕を鷲掴みにして引き止めた。  
 
 気付いてしまったのだ。彼の言動の辻褄が、どう考えても合わないことに。  
 
「今……、子供を作れないって言ったな?だったらおまえ……なんで私を襲った?」  
「よ、よく覚えてたな」  
「誤魔化すな!私はどうなってもいいって言うのか!?人の言うことも聞かずに出したいだけ出しておいて……」  
「そういうことを大声で言うな!」  
「納得できるように説明してみろ!できないなら……」  
 できないなら、今すぐにでも海の藻屑にしてやる。そう言い掛けた瞬間のこと。  
 突如込み上げて来た不快な感覚に、ケイトはその場に屈み込んでしまった。  
 
 口元を押さえて大人しくしようとも体調の変化は収まらず、むしろ悪化する一方。  
 ケイトは遂には堪え切れず、醜態を晒す覚悟で小さく呻いた。全身に冷や汗を掻きながら何とか持ち堪えるも、  
逆にそれが最悪な気分をもたらす結果となってしまった。  
「ケイト?どうした……?」  
「……まさか」  
 不快感の正体は、所謂吐き気と呼ばれるものだ。  
 体調は万全だった。貨物船の揺れで何ともなかったのだから、船酔いとは考えにくい。月一の、女ならではの  
腹痛に悩まされる時期でもなく、心当たりとなる部位に自然と手が移る。  
 下腹を押さえるケイトの様子が、ライラに体調不良の原因を暗に伝えていた。  
 しかし彼は敢えてそれを口にせず、ケイトを部屋へと戻して安静にするよう促した。  
 
 不本意ながらも何度も交接させられて来た結果だ。  
 確証はなくとも、頻度が最も高かったライラによって与えられた命であると確信していた。  
 
 
「……あいつ、怒るだろうな」  
 部屋の扉を閉じ、ライラは一人呟く。顔を蒼くしてベッドに横たわるケイトの前で、真意を語ることなど  
できなかった。この時を待っていたなどとは、冗談でも言える状況ではなかった。  
 
 
 日は疾うに暮れ、闇に染まった夜空に無数の星々が鏤められている。食事にも顔を見せなかったケイトの  
様子を窺い、ティトはその足でセラの部屋を訪れていた。  
「船酔いですか?ケイトが?」  
「本人が言うんだからそうなんじゃないの?もう寝るとは言ってたけど元気そうだったし。  
 ところで用って何?あまり遅い時間に男を部屋に入れない方がいいと思うんだけど」  
「は、はい……」  
 彼女は椅子に腰掛けたまま神妙な面持ちで俯いていたが、恐る恐るその場で立ち上がると、重い足取りで  
ティトの前まで歩みを進めた。そして、変わらぬ沈痛な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。  
「私は貴方に、今までの非礼をお詫びしなければなりません……」  
「お、お詫び?」  
 セラは朝から、過去の自分の言動を思い返していた。けじめを付けなければならないと思っていた。  
 冷静さを欠いた失言も、ライラに対して取った行動も、全てティトが自分にしたことなのだと  
気付いてしまったのだ。  
「どういう風の吹き回しかな。僕は非難はされても謝られることなんて何もしてないんだけど」  
「……私はもう、貴方を悪く言う立場にはないんです。貴方に言ったことを全て棚に上げて、私は……、  
 貴方と同じ過ちを……」  
「……どういうこと?」  
 過去を悔いるがためにセラが取った神妙な態度は、逆にティトに疑念を植え付ける。  
 ティトが過去に彼女の怒りに触れてしまった失言を気に掛けての謝罪だとしても、まだ情事を強要したという  
事実が残されている。それはそう簡単に許されることではなく、前者を加味したとしてもセラが陳謝する理由に  
足るものではない。  
 故に、ティトは彼女の言動から非常に受け入れ難い事実を推測しなければならなくなる。彼女も過去の自分と  
同じく、何者かに肉体関係を迫ったということになるのだ。  
 そしてその『何者か』が誰なのか、わからないはずもない。  
「まさか、ライラと……?」  
 ティトが相手の名を出した途端、セラはびくりと震え、不自然なまでに当惑の色を見せ始めた。  
 取り繕うかのようにごめんなさい、と蚊の鳴くような声で呟き、まるで自分を責めるかのように堪え切れぬ  
涙を懸命に抑えている。しかしその姿を目にしても、ティトに同情心など芽生えない。それどころか、  
忘れていたはずの黒い感情が再び目覚め始める。  
 
「君は僕に何を期待してるの?僕が君にどんな気持ちを抱いているか、知ってるはずだよね。  
 そんなこと言われてどう思うか、僕がどんな行動を取るか、考えないの?」  
「でも、私……、このままでは……」  
「心の整理がつかないとでも?そんなの僕だって一緒だよ。僕だって、あの夜君にしたことを悔やんでる。  
 でも口先だけなら何とでも言えるんだ。この身を投げ打ってでも君に尽くして、最後に君を諦めることでしか  
 償い切れないと思ってたよ」  
 ティトの口調は穏やかで、それ故その言葉一つ一つが、セラに重く圧し掛かる。動機に違いはあるものの、  
今互いに抱いている後悔の念は同じものなのだ。  
「第一、何故僕に謝るの?あいつに謝ればいいじゃないか。仮に僕が君を許したら、君は僕を許してくれるの?」  
 言いながら、怖々と顔を上げるセラに、ティトは一歩、また一歩と歩み寄る。後退ることもできずに  
その場に固まる彼女を見つめると、セラは弱々しい視線でそれに応えた。  
 本当に諦めるつもりだった。彼女を思うからこそ、身を引くつもりだった。  
 しかし、ここに来てその覚悟を歪ませたのはやはりライラの存在だ。  
 
 思い返すと昔からそうだった。セラが彼を見つめる度に、ティトの心に黒い靄が掛かる。他人を本気で  
好きになったことのないティトにとって、それは非常に不可解な感情だった。  
 決して嫉妬などではない。本気になどなっていない。そう自分に言い聞かせているうちに、いつしか彼女が  
ライラに向ける視線もその心も、全てが欲しくなっていた。そしてその心が、今まさに蘇っていた。  
「君は本当にわかってない。僕が嫌いなんだろう?どうしてこんな、期待を持たせるようなことをする?」  
「……、あ、あの、あっ!?」  
 及び腰となっているセラを強引に引き寄せ、ティトはそのまま彼女の頬に触れる。指を口元へと充てがっても、  
彼女は身を硬くしたまま微動だにしない。  
「ほら、以前のようにはっきりと嫌いだと言ってごらん。言えないなら、もう嫌われてないと解釈するよ。  
 このまま君の身体を奪ってしまうかもしれないよ」  
「わ、私は……」  
 頑なに要求を拒み、涙を湛えて首を振る彼女の姿は、不動であったはずのティトの決意を歪ませる。  
 軽い脅しを交えても要求に応じない彼女の態度は、ティトに望んではいけないはずの希望を与える。  
 
「セラ……お願いだ。迷わないでくれ。もう一度僕を突き放してくれ。でないと、僕は……」  
 今すぐにでも抱き締めて、彼女の全てに触れ、自分のものにしてしまいたい。それらの渇望を抑制するためにも、  
彼女の拒絶は必要不可欠なのだ。  
 しかし彼女は、物の見事にティトの期待を裏切った。  
「ごめ……なさい……。ティト、ごめんなさい……!私にはもう、そんなことを言う資格は……」  
「……っ!君は……!」  
 ティトの腕に力が篭る。この時ばかりは、彼女を憎らしく思った。  
 今にも泣き崩れそうな彼女を放っておくことなどできない。だからこそ、何があろうとも他人の前では  
凛とした姿を見せていて欲しいと思っていた。  
 それを切に願うが故に、本音と建前の狭間でせめぎ合い、敗北を喫した情動がティトに与える反動は大きい。  
 
 ティトは半ば無意識的に彼女の背に腕を回す。そのまま後頭部を押さえて強引に唇を重ねると、セラは驚いて  
瞳を開いた。しかし唇を割ってその奥を求めても、執拗に舌を追って絡めても、彼女は何の抵抗も見せない。  
 ティトの瞳には、それらはまるで自ら『罰』を受け入れているかのように映る。  
 決して自分を受け入れているわけではない。そう理解できたとしても、最早後に引ける状態ではなかった。  
 欲しくて仕方のなかったものが目の前に在る。一度は諦めたはずの彼女の身体に今、触れている。  
 
 いよいよ我慢できず、ティトはセラをベッドの上へと仰向けに倒し、枕が沈み込むほどに強く唇を押し付けた。  
 苦しげな声が聞こえようとも、永く抑え込んでいた思いをぶつけるかのように、夢中で口付けを交わした。  
 せめて今だけは逃すまいと頬を押さえ、無抵抗だったはずの彼女が顔を背けようとするほどに深く、幾度も  
口内で生温かい粘膜を擦り合わせた。堪らずに逃げる舌を追っては絡め、表から裏側まで全てを堪能した。  
「っ……んっ」  
 隅々まで味わうかのような濃厚な口付けを受け、セラは不思議な感覚を覚えていた。  
 これほど醜い姿を晒しても敬遠もせず、甘やかすわけでもない。叱咤と共に自分の覚悟をはっきりと  
示した上でのこのような衝動的行動は、心の底にある根深い思いとティト自身の弱さを表す。  
 彼も自分と同じ、脆く弱い人間なのだ。そう思い始めた頃、セラはふと、心の錘が軽くなっていることに  
気付いた。いつしかティトを見つめるその眼差しも、覚束無くなっていた。  
 
 自分自身の心境の変化に戸惑い、途方に暮れるセラを抱えたまま、ティトは名残惜しげに唇を離す。  
「僕をここに呼んだこと、後悔してる?」  
 セラを見つめるティトの瞳は憂いに満ちている。それはまさに、拒まれることを覚悟している眼だった。  
「後悔しないはずないよね。またこんな状況になってるんだ。  
 でも、君が嫌だと言うならこれ以上手出しはしない。だから正直に言ってくれ」  
 頬に添えられていた手が、セラの胸元へと滑る。  
 触れてはいない。彼女に本心を吐かせるための煽動だ。  
「嫌なら嫌と、はっきり言ってくれ。そうしたら僕は、おとなしく引き下がる」  
「……!」  
 はっとしたように瞳を見開き、セラは咄嗟に顔を上げた。覚えのある台詞だった。  
 それはまさしく先の夜に、セラがライラに求めたものと同一のもの。故に、ティトが今どんな気持ちで  
その台詞を口にしているか、痛いほどに理解できる。  
 可能性がないとわかっていても諦められない。本人の口から未練を断ち切って欲しい。  
 一方的な願いも、その心の裏に隠れた本心も、拒絶されることへの不安と覚悟も全て、理解することができる。  
 だからこそ、セラは、ティトの願いに応えることができなかった。  
 
 胸元へと添えられていた手が、傍らの膨らみへと移る。開かれた手の平がその膨らみを包み込み、ゆっくりと  
揉み拉く。立てられた指先がその頂を掻くように撫でると、そこは徐々に固さを帯び始めた。  
「んぅ……」  
「早く言わないと、この程度じゃ済まなくなるよ」  
 言いつつティトは、そのまま立ち始めた先端を摘まみ、指の先で何度も擦る。その度セラは健気な反応を示し、  
甘い吐息を零した。  
 意地でも嫌と言わせなければならない。何でもいい、迷いに満ちた彼女の心の柱となるものを、自分の意思で  
掴ませなければならない。そのためならば、手段は問わない。  
 その思いを口実に、ティトは一心にセラの身体に触れた。おもむろに胸のボタンを外し、心の中で何度も  
言い訳しながら露わとなった胸の突起に舌を這わせた。  
 指と唇で、両の胸を同時に愛撫する。擦り合わせる度、彼女の息が上がって行く。  
「あ、あ……っ」  
 
 唇を噛み締めるセラの様子を窺いながら、ティトは逸る心を抑えてじわじわと快感を与える。身体は既に  
男を受け入れられる状態となっているだろうと考えながらも、決してその場所へは手を伸ばさない。  
触れてしまっては歯止めが利かなくなると自覚していたからだ。  
 彼女の口から直接終わりを告げられるまで、束の間の至福を求め続けた。  
 殺し切れずに漏れ出す甘い声を聞きながら、ティトは彼女に全てを断ち切られる瞬間を待っていた。  
 
 
 しかし、いくら待てどその時は一向に訪れない。気付けば彼女の白い肌は朱に染まり、甘噛みする度に  
上がる声も実に切なげなものとなっている。  
 何故ここまでされるがままとなっているのか、ティトには理解できなかった。このままではいずれ、一線を  
超えてしまうであろうこともわかっていた。  
 舌先で弄んでいた乳首を強く吸い上げ、一際大きくセラを鳴かせると、ティトは最後の強硬手段に出た。  
「何を迷ってる?自分の気持ちを偽っちゃいけない。ここまでされても何も言えないのなら、流石に僕も  
 考えを変えるよ。今度は本気で君を落としに掛かるよ。それでもいいの?」  
 彼女の片足を抱え上げ、内腿へと手を伸ばして最後の脅しに掛かる。既に濡れ切ったその場所を指でなぞり、  
彼女に焦りと危機感を与える。  
「この後でいくら嫌だと言われても、悪いけど止められる自信はない。セラ、これが最後だ」  
「ティト、待って……聞いて、下さい。私は……」  
 消え入りそうな声だった。閉じていた瞳をうっすらと開き、自分を見下ろすティトと視線を交え。  
 セラは秘所に触れられようとも一切動じず、自分の意思を、迷いを口にする。  
「私は、貴方に甘えていました……。あんなにはっきりと貴方を拒んだのに、それでも貴方は私のことを  
 気にして動いて下さいました。だから私のこんな姿勢をも、きっと正してくれると……」  
 ティトはセラにとって、認めるつもりなど微塵もなかったはずの相手。心の矛盾に説明がつかず、セラは  
静かに瞳を伏せた。  
「私、おかしいですよね。貴方の人間性をあんなに否定しておきながら……。  
 本当は自分で立ち直らなければならないのに、こんな真似までして……」  
 
 心の揺らぎはセラ本人よりも、ティトの心を大きく揺さ振る。自分の不甲斐なさを痛感し、震える彼女の  
身体をティトは無言で抱き締める。そして耳元に唇を寄せ、頑なに守り続けて来たはずの禁忌を侵した。  
「……しても、いい?」  
「え?」  
「ごめん……、もう、無理だ……!」  
 内に押し留めていたはずの欲望が姿を現す。邪魔なものを全て取り払い、彼女の両足を抱え上げる。  
 ここでまた同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。頭ではわかっていても、身体が言うことを利かない。  
 前戯に及ぶ余裕すらなかった。ティトは先を急くように彼女に自身を充てがい、抵抗させる間も与えずに  
根元まで埋め込んだ。  
「あぅっ!」  
 零れた声を引き金に、ティトは夢中で腰を打ち始める。忘れ得ぬ過去の経験から、彼女が最も好ましい  
反応を返す箇所を容易に探り当て、徹底して突き上げる。  
「はぁっ!やっ!待っ……、ん……っ!」  
 執拗な胸の愛撫がもたらした潤いが、早くも粘着質な水音を二人の耳に届けていた。  
 堪らずに張り上げた声をセラは唇を噛み締めて押し殺し、卑猥な音に頬を染める。恥ずかしそうに顔を背ける  
彼女があまりに愛惜しく、ティトは一層腰の動きを速めた。  
「あぁっ!ティト……っ、やめて、下さ……」  
「今更止められるわけないだろ!?嫌ならそう言うようにと僕は何度も言ったのに、応えなかったのは君だろ!?」  
 当て付けのように、荒々しく彼女の中を掻き回す。喘ぎながら必死に身を捻るセラを一層強く抱き締め、  
奥深くまで何度も貫き、責め立てる。  
 
 我に返れば必ず後悔であろうことは、ティトは頭の片隅で理解していた。そのリスクを負ってでも、彼女に  
触れていたかった。少しでも長く交わり続けることを望んでいた。  
 膨れ上がる思いの捌け口はただ一つ。ティトは自分の身体の望むまま、無心で彼女を突き上げる。セラに  
何度名を呼ばれようとも、振り向く余裕などない。  
「や、あっ、ティト、お願……っ!あぁああっ!!」  
 遠慮のない抽送が、彼女の身を仰け反らせる。  
 セラはティトの行為を非難するつもりなどなかった。全く同じ行為をライラにしてしまったのだから、  
堂々と拒むことなどできないと思っていたのだ。それでも我慢できずに叫んでしまうほど、昂らされた身体へ  
加えられる猛攻はあまりに刺激が強すぎた。  
 
 突かれる度に身を強張らせ、掻き回される度にティトを煽る。それは延々と繰り返され、果てしない快感の波が  
セラを襲い続ける。  
「あ、ぁ……!せ、せめて、もう少し、ゆっくり……!」  
「無理だよ」  
 ティトははっきりとセラの要求を退け、問答無用で突き立てる。逃がさないと言わんばかりに腕に力を込め、  
息を乱して快楽に苦しむ彼女をひたすら求め続ける。  
 腰に加わる力が彼女の精一杯の抵抗を示していたが、いつしかそれも無くなっていた。  
 終わりが近付いていることは、ティト自身も自覚していた。互いを絶頂へと導くように、一際激しく腰が  
打ち込まれると、セラは堪らずに限界を訴えた。  
「ティトッ!だ、だめっ、いやっ!ああぁぁっ!!」  
 自分が果てるまで、ティトは一切の容赦もせずに腰を振る。腕の中で身体を反らして震えるセラを強く  
抱き締めたまま、絶頂を越えるに必要な快楽を、無理やりにでも貪り尽くす。  
「も、もう、や……、ティト……、ぁ、っっ!!」  
「……ッ!セラ……!」  
 著しい収縮が膣内を狭め、膨張し切った陰茎を締め上げる。その中でティトは我慢に我慢を重ね、射精直前まで  
此処ぞとして突き続ける。そして限界を感じたその瞬間、ようやく脈打ち始めた自身を引き抜いた。  
 染み一つなかったはずのシーツは互いの粘液で汚れ、月明かりの差す静かな空間には二人の荒い呼吸だけが  
残されている。  
 
 二度も強引に彼女の身体を奪ってしまった。だめだとわかっていても、止めることができなかった。  
 徐々に後悔の念に苛まれ始めたティトの心の裏には、しかし全く別の感情がその頭角を現していた。  
 この先きっと、再び交わることなど有り得ない。ならばこの機会に、精根尽き果てるまで彼女を犯してしまっても  
いいのではないか。  
 
 心に巣食う煩悩が、徐々に理性を蝕み始める。以前ならば容易に負けていただろう。  
 しかし決して流されまいと悔恨の念諸共振り払い、ティトは再びセラの唇を奪った。全ての負の感情から  
目を背け、彼女を愛することだけを考えた。  
 もうそれしか道はないのだ。同じ過ちを繰り返した以上、どんな献身行為も無駄なのだ。  
 今、ティトが為さなければならないこと。それは、セラに自分の気持ちが本物であると理解させること。  
 たとえ行為の正当化と捉えられようとも、伝えなければならない。  
 
 唇を離し、未だに朦朧とした意識を引き摺っているセラを見つめ、ティトは恐る恐る口を開いた。  
「軽蔑してる?」  
「…………」  
 セラは何とか焦点の合わない視線を向ける。その瞳は、憂いとも迷いとも取れる切なげな光を宿している。  
「もう、何とでも思ってくれて構わない。でもこれだけは信じて欲しい。僕は君を……」  
「わかってます……」  
「本当に、……」  
 予想外の台詞に遮られ、ティトは思いを告げるべき理由を失ってしまった。  
 揶揄されているわけではないことは、彼女の覚束無いながらも真っ直ぐな眼差しが証明している。  
「貴方の様子を見ればわかります。私を思って下さっていることも、昔を悔いていることも……。  
 今の貴方の目は、あの時とは明らかに違います」  
「……セラ?まさか……本気で言ってる?」  
 狼狽えるティトの様子を目にし、セラは僅かに笑った。しかしすぐにその笑顔は陰り、消えてしまった。  
「でも……ごめんなさい。私、わからないんです。自分の気持ちが……」  
 ライラへの思いが実は彼の言う通り、ただの未知への興味から来るものだったのだとしたら。自分を叱った  
ティトに対して抱いた感情も、それと似た類のものなのかもしれない。  
 
 自分自身の心もわからぬ状態で、他人への気持ちを測ることなどできない。それがセラの出した結論だ。  
 
「時間をください。貴方に頼らず、自分の力で前を向けるようになるまで」  
 ティトは暫し呆然と彼女を見つめていたが、やがて静かに頷き、名残惜しげにベッドから離れた。  
 救われた気持ちだった。肩の荷が降りたような言い尽くせぬ解放感は、言葉で表現するには難しい。  
 どうにかしてその心を伝えようにも、ティトにはただ一言を残すだけで精一杯だ。  
「セラ……その、ありがとう」  
 気恥ずかしげに彼女に背を向け、それだけを残して部屋を後にする。  
 俯き、影に包まれたセラの横顔を、月明かりだけが煌煌と照らしていた。  
 
 
 翌朝、船の甲板で、セラはまた一人である光景を眺めていた。  
 彼女の瞳に映っているのは、清々しいまでの笑顔を湛えるティトと、体調を回復させたケイトの姿。  
とても人には言えないような夢を見たと詰め寄り、それを軽くあしらう姉弟の様子を、遠くから複雑な気持ちで  
見つめていた。  
 
 帰国まであと四日。  
 二人に宿る竜の意志は、未だに沈黙を守っている。  
 
 
 

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