家は7時27分に出た。  
ちなみにうちは、駅まで自転車で約10分となかなか好条件な物件である。  
それを6分に短縮したという点だけは評価していただきたい。  
どういうことかというと、周太郎は七時半の集合に案の定遅刻したということである。  
 
緩やかな傾斜の坂を必死にこいでいると、坂の上の駅前のバス停に、みんなが集合しているのが見えた。どうやらこちらに気付いたようである。  
中学から一緒の学友の大山に、「古谷、ねぐせくらいなおして来いよー」と叫ばれる。みんながどっと笑う。あー鬱だーちくしょー。  
自転車に積んだ荷物を息も絶え絶え降ろしていると、千里に遅刻してきたことを揶揄された。  
「昨日、遅刻するなと念押ししといたがやはりこうなったか。」  
「夏休み初日だぞ、もっと寝かせてくれてもいいじゃないか。」  
千里は笑って首をすくめると、振り向いてバスの入り口に並んだ列へ加わった。  
周太郎も急いでそれに倣って加わる。すると周太郎の背後で、女子のくすくすという笑い声が聞こえた、慌てて寝癖を撫で付ける。  
照りつけるような晴天を恨めしく思った。  
 
「古谷君」  
列に並んでいると、なにやら呼ばれたので振り向いてみると、日比谷智恵(姉)さんだった。姉さんと方とは同じクラスの図書委員ということで、多少面識がある。  
別段、服装は他の生徒とは違いはないように思えた。髪型も、肩にかかる程度の長さで染めている様子もない綺麗な黒髪だ。  
「あっ、どうも。・・・じゃなくて、遅れて申し訳ございませんでしたっ。」  
周太郎は深々と頭を下げた。その下げた頭が寝癖だらけのことに気付いて、より鬱になった。  
「いえいえ、いいんですよ。頭を上げてください。実際遅れたの三分だけですし。」  
「・・・すいません、俺、旅行のこと知ったの昨日だったもんで・・・」  
日比谷さんが口元を抑えて笑う。確かに、こういう動作ひとつとってみても、とても上品に思えた。  
いや、考えすぎか、どうも昨日の今日で、品定めするような目つきになってしまう。  
「ということは、もしかして、昨日まで私の家庭事情も知らなかったんじゃないですか?」  
「はあ、・・・恥ずかしながら。」  
「図書委員で一緒に随分、作業しましたのにね?」  
なんだろう。責められているのだろうか。  
「すいません申し訳ありません。」  
さっきより腰を鋭角にして謝った。  
また日比谷さんがうふふふ、と上品に笑った。  
「いいえ、私、古谷君のそういうところ好きですよ。」  
どうやら図らずも親しくなれていたようである。  
自分の謝罪スキルにちょっと得意になって、そんなこと得意でどうするんだと我に返った。でも、悪い気はしなかった。  
多分謝られるよりは謝るほうが気が楽だろう。  
 
バスにゆられて2時間半、その後成田空港で沖縄行きの飛行機に乗り、むこうに着いたのは午後2時だった。  
大山が、「海じゃーっ」と叫んで走っていく。その後を何人か男子どもが笑いながらついていった。なんだこいつら、初日から海入ったら残りをどうすごせばいいんだ。観光か。  
周太郎は、二日連続で観光地めぐりなんかされたら退屈で気が狂うと思った。  
「初日から海入ってどうすんだよ〜」  
なにやら同じ考えの野郎がいるなと思ってみてみたら、日比谷祐(弟)だった。弟のほうとはあまり面識がない。容姿は姉に似て端整だったが、ぱっとみて、服装はジャージ姿でずいぶん印象が違う。  
とても大企業の息子とは思えない。  
「日比谷(弟)は海、嫌いなんですか?」  
「弟って何だよ、弟って。戸愚呂じゃないんだから、祐でいいよ。海、嫌いじゃないけど、残り二日観光地巡りだったら先かえろうかなと思ったんだよ。」  
どうもこやつ、俺と似ているぞ、と思った。というか姉と印象が違いすぎると思った。なかなか衝撃である。  
「じゃあ、もしそうなったら一緒に帰らせてください」  
「おう、ファーストクラスで帰しちゃる」  
なかなか面白い双子である。  
 
 
結局、女子の強い意向もあって、初日はホテル付近でお買い物兼時間つぶし、ということで落ち着いた。  
彼女ら曰く、まだ心の準備ができてない、だそうだが、大山は、俺はいつでも受け入れる準備はできてるぜ、と言って回っていた。  
女子に罵倒されるヤツを見て、黙ってればいい男なんだから、それがなければもてるだろうに、と毎度毎度ひそかに思う周太郎であった。  
 
宿泊予定のホテルの付近は繁華街の一角で、ずいぶん回りには観光者向けの店舗が並んだりしていたから、ほとんどは食べ歩きやら買い物やらに興じていた。  
実際ホテルに留まったのは数人なものだ。で、当然周太郎もその中に含まれているのだが。  
周太郎は、その中に日比谷(弟)もいた事を意外に思った。  
「祐は、外、行かないんですか?」  
「う〜ん、そんな腹すいてるわけでもないしなあ、めんどくせーし」  
周太郎も似たようなものだ。  
「でも、集合時間の7時までまだ結構あるよ。どうします?」  
「そうなんだよなあ、あ・・・トモからだ。」  
携帯を開いて、なにやらメールを打ち出した。トモとは恐らく日比谷(姉)のことであろう。彼らは性格は対照的だが、いやその分だろうか、どうも仲がよろしいようだ。  
「なんか、近くにカラオケがあって、そこにいるらしいから、こっちこないかだって。行く?」  
「俺呼ばれてないんじゃないですか」  
「いいんだよああいうもんは人数多いほどいいんだから。」  
昔、血迷って一人でカラオケとか行っていたことは絶対隠そうと思った。  
「そっかーじゃあ向かってみるかな」  
「あちょっと待て、俺やめとくからいってらっしゃい」  
言いつつ、さきほどの返信を読んでいる。  
なんだこいつ。・・・まあしかし、外に出るのが面倒だからここにいるわけだしなあ。  
「あ、やっぱ行く。行く。ほら行くぞ。」  
転じて突然乗り気になった、なんだこいつ。  
 
言われたカラオケ店の部屋へ向かってみると、扉の中からなにやら聞きなれた歌が聞こえた。こんな歌知っている人間は周太郎の知る限り一人くらいだった。  
案の定、千里がポリスを熱唱していた。他に数名いたが、みんなあっけにとられている。  
「あ、祐君!ちょっと、ちーちゃん凄いんだよ、さっきなんか90点台だしたんだからね!」  
日比谷(姉)さんは、なにやら興奮気味に弟に話し出した。ちーちゃん、とは千里のことだろうが、どうも仲がよろしいようです...。  
そっと千里の隣に座って、ながれていく歌詞を読んだ。千里の歌唱力は前々から知っていたことだったが、周太郎は、何度聞いても、やっぱうまいなあ、と思ってしまうのだった。  
 
歌が終わってみれば、予想通り、高得点なわけで、周囲からも拍手喝采なわけで、そんな中で俺にマイクパスするなんて、嫌味か。  
しかしよかったのか、悲しいのか、皆興奮冷めやらぬ様子で、周太郎を誰も気に留めてはいない。  
「佐藤さん、洋楽好きなんですか?」  
祐が言った。千里は、「いや、もとはコイツが好きで、それで好きになったんだけど。」と周太郎を指差した。  
皆の目線を感じる。不意に、智恵さんが、  
「じゃあ、古谷君も、きっとうまいんでしょうね。ねね、歌ってみてよ、古谷君」といった。嫌味か。  
「いや、俺、歌のほうは全然だめなんです。からっきしなんです。暖簾に腕押しなんです。(?)」  
「あれー、周太郎さん?前一緒に行ったとき、散々歌ってたじゃないですかー。」  
千里が言った。心なしか嬉しそうにだった。ジュースならいくらでもおごってあげるから、正直勘弁してほしかった。  
「いや、・・・あの時は、若かったのです、青かったのです。」  
必死にしどろもどろになって弁解していると、千里が勝手に歌を送り始めた。  
送ったのはクラプトンのblue eyes blue、だからってなんでよりによってそんな厳しい選曲を、恨みでもあるのか。  
前奏が始まって、周太郎は覚悟を決めた。  
 
 
「いやー、佐藤さん、すごいうまかったねー」  
カラオケが終わって、ホテルへの帰り道、同席していた女子がいった。他の皆もうなずいたりして肯定の意を表したが、すぐに重苦しい雰囲気があたりを支配した。  
あることについて話題が行くことを恐れているのは誰の目からも確かだった。  
特に、智恵さんなんかは責任を感じてか、今にも泣きそうな表情だった。それを見て、むしろ周太郎が責任を感じた。  
結果から言えば・・・いや、言うまでもないことです。  
 
 
夕食は宴会会場で予定されており、組の全員が入ったのちでも、加えてあとその2倍は収容できるくらいの広さだった。  
出てくる料理にいたっては、周太郎は食べながら不安になるほどの絶品だった。  
つい癖で出てくる料理のおおよその値段を測りながら周太郎は、これは一人13万じゃきかないな、なんて思ったりした。  
この旅行を知ったときから思っていたことだが、一体あの双子はどういう意図でこの旅行を企てたのだろうか、もし級友というだけで招待したのなら、人間としてできすぎだろう。  
生徒たちは相変わらず食事を楽しんでいる。  
「おい、周太郎、そのホタテ食わんの?食っていい?」  
そういっておきながら大山は、周太郎の了承を待たず皿ごとほたてを奪いだした。  
「ああ、いいよ別に」  
「え?ほんとにいいの?無理すんなよ、うまいんだぞこれ」  
許可をもらえるとは思ってもいなかったのか、なぜか焦りだす大山。  
「・・・なあ、大山、この旅行、どう思う?」  
「すはらしいでふ」  
ホタテをもっしゃもっしゃしながら幸せそうに言った。  
「まあ、それはそうなんだが、・・・なんであの姉弟は、ここまでしてくれんだろうとか思わない?」  
「はあ?」  
「裏があるとか」  
「そういう人間に見えるか、あいつら。」  
別段親しいわけではないが、確かに、彼らの印象は、そういったものとはだいぶ異なっていた。  
「考えすぎだろお前〜」  
大山の言うとおり、取り越し苦労なのだろうか。  
 

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