いまから4年前の初夏のことである。それまでの鬱々とした天候と対照的に、やたら蒸し暑く、やたら蝉がうるさかったのを覚えている  
 
その日、母から周太郎は、入院中の祖父へ見舞いへ行くために、午前の部活が終わった後病院へ来るように言われていた。  
祖父は先週末自宅で倒れてから入院しているが、大事ではないと言っていた。  
 
案内された、祖父のいる病室にはいると、母の千代が祖父をしめあげていた。  
比喩でなく、本当に締め上げていた。周太郎をこの部屋まで案内した年配のベテランらしいナースが慌ててとめに入る。  
「ふ、古谷さん!何をなさってるんですか!病人ですよ!」  
「そんな簡単に死ぬタマじゃないわよ、この人は。」  
そういうと祖父の紺色のセーターの首もとをさらに締め上げた。  
「ぎ...ぎぶ、ぎぶ。」  
「それじゃあこのお金は預かっておきますね。」  
何事かと思ったら、祖父がどうやら病室で酒を隠し飲んでいたらしい。  
祖父は切ない顔だった。  
母は祖父の財布をかばんにしまい、カップに半分ほどのこった酒を流しにぶちまけた。そうとう怒っているようである。  
「ナースさん。お義父さんちゃんと安静にさせてくださいって言いましたよね、たしか。」  
「すす、すいませんんん。ま、まさか、こんな意味だったなんて...」  
「そうですか、ならこれで問題ないと思いますけど。」  
「はいいい」  
そういうとナースさんは逃げるように退室した。ベテランというのは、きのせいだったのだろうか・・・。  
周太郎が呆れてみていると、俊治が彼を呼んだ。  
「周太郎、こっち来い、梅干くれてやる。」  
正直梅干はあんまり食べたくなかったが、どうやら話があるらしい。さっきまで虐待されていた手前、無下に断るのは気の毒に思えた。  
「お義父さん、なに吹き込むつもりですか。」  
「人聞きの悪いことを言うんじゃねえよ。俺はただ二人で梅干食いたいだけだよ。ほら、でてったでてった」  
母がジト目になった。このままでは埒が明きそうにないので、周太郎は「わーい、うめぼしだー」と間の抜けた声を出す。  
すると病室に静寂が訪れた。周太郎は激しい後悔の念を覚えた。  
「・・・・よーしよしよしよしよし、ほら、梅ちゃんだぞー」  
傷口に塩を塗りこまれた感慨だった。  
いつも食べるものより幾分梅干はすっぱかった。手厳しい味だった。  
「・・・仕方ない、私はこれで帰りますよ。そろそろ佳苗も帰ってくるんでね」  
どうやら母は折れたようだ。  
 
「あ〜あ、寂しい老人の最後の趣味とるなんて、人間のやることじゃねえぞ。」  
そういってかりかり、梅を食べた。  
「どうやって酒なんて持ち込んだのさ。」  
「昼食の後片づけやらで看護婦たちの目が薄くなってる隙にな、チョイチョイっと」  
周太郎は呆れてものもいえなかった。  
 
 
「・・・・一応お見舞いってことだから聞くけど、体のほう大丈夫なの?」  
祖父は口を開きかけて、閉じた。周太郎は言葉を待った。祖父のその表情は、周太郎は以前に見たことがある気がした。  
不意に、焦りや不安に似たざわつきが胸中に広がる思いをした。  
「まあ、酒なんて盗み飲みしてるぐらいだから、心配なんて杞憂か。」  
「・・・ああ、心配ない」  
祖父は窓の外を眺めながらカリカリ梅を食べている。周太郎も倣って、食べかけのカリカリ梅をかじった。あまり味がしなかった。  
長い間が訪れた。窓の外で、緑がざわついた。  
周太郎は、何か話さなければと不意に思った、この沈黙が、恐ろしく感じられたから。  
 
 
「それでさ、話って、なんだろう。」  
「・・・ああ、それはな、つまり・・・道場のことでだ。」  
当時祖父が師範を務めていた金井剣道場は、俊治の父が開いたらしく、細々と続いていた。  
当時は正直、繁盛しているとはいえず、門下生は少なく、特に若年層が少ないのが痛かった。  
周太郎が思うに・・・祖父には悪いが、そんな中で続いているのは、地域の小さな遺産としての意味合いが強いのかもしれない。と彼は思っていた。  
 
「まだ中学生のお前に決定させるのは不本意だが、こういう事が起きちまったもんだし、意思だけでも聞いておきたくてな。継ぐか、継がないか。どう考えてる」  
 
不安が確信へ変わろうとしていた。  
 
いつかこういう日が来るだろうと思っていた。だからそのことについては頭の片隅に常に置いておいて、考えることも多かった。  
しかしそれは、予想していた時分よりあまりに想像以上に早く来てしまったと周太郎は思った。  
「まあ俺は孫だけども、俺より、千里が適任だと思う。じいちゃんもそう思うんじゃない?」  
「そうか。・・・そうだな。」  
夏の緑葉とその、・・・・死を待つある老人の横顔、現実感のない風景だった。口の中に残った梅干の酸味が妙に印象に残った。  
 
それから一週間後、祖父は蒸発した。病院で、昼時の目が薄くなっている時間帯に消えた。  
それからもう二年がたつが、祖父の消息はいまだにつかめない。ちょっと酒買ってきたんだよと、いつかひょっこり帰ってきそうな気もする。  
そう思うたび周太郎はあの寂しい病室を思い出す。  
 
 
 
昼休みになって、周太郎は弁当箱を空けて、そしてふたを戻した。  
鴨だ。鴨鍋の香ばしいにおいがした。惜しむらくは油が浮いてしまっていることだろうか。  
今日弁当箱を受け取ったときから、嫌な予感はしていた。  
母の誇りのために言っておくと、昨日の鍋の時点ではうまかった。  
このまま頭を抱えているわけにも行かないので、腹を決めて周太郎は汁をずるずるすする。  
 
「じじくさいぞ。お前学生じゃないだろう」  
 
「玄人っぽいだろう」  
「いや、そうでもない」  
深いため息が出た。  
「そういえば、先週末の、どうだったんだよ」  
「準決勝で敗れたらしいぞ」  
「・・・また佐藤は出なかったのかよ、部長なのに」  
「・・・私だってやりたくてやっているわけではないんだって」  
「佐藤が出れば少しは違っただろうに」  
苦い顔を作ってうう、と唸った彼女は、それには答えずに飲みかけの鴨汁に手を伸ばすと、少しすすって、やはり同じようにため息をついた。  
「はあ、どうしたもんかね」  
そのしぐさはどう見ても学生ではないようだった。彼女のように才ある人間でも悩むんだなと思った。  
俺と彼女の違いは、悩みのためにそこに留まるか前進するかだ、とも思った。  
 
結局、道場は千里が継いだ。  
彼女の腕は相当なもので、彼女は中学の部活動で全国で争い、準優勝という快挙をうちたてたものだから  
金井家の血を流していない彼女でも、千里本人を除いては、周囲の誰も反対しなかった。  
そういうわけで、彼女は現在の高校の剣道部では、二年生になったとたん半強制的に部長の役を充てられた。  
 
対して周太郎は、高校に入って剣道をやめた。絶賛帰宅部である。そういう手前、周太郎は中学のときより千里が、引け目もあって、さらに恐ろしく感じられた。  
そして、そういう自分を周太郎は心底嫌いであった。  
 
 
帰り道は、人通りの少ない裏通りを抜ける。  
もう冬が近く、まだ5時なのにあたりは薄暗かった。自転車の規則正しいペダルのきしむ音を聞きながら  
ふと思いついて、回り道だが、昔よく二人で通った駄菓子屋に向かったことがある。  
ついてみると、入り口のシャッターが閉まっていた。  
閉店時間だろうか、いや、そうでないことは明確だった。二階は柱や梁がむき出しになっており、作業中につき立ち入り禁止の看板があった  
 
この駄菓子屋は近々消えてなくなるだろう。昔とは変わったことを知った。  
町の休憩所だった駄菓子屋も今は廃れ、途絶えそうだった金井家の道場は彼女が師範(代)になってから若い入門生が増えた。  
 
小学生のころは、無心で竹刀を振り合ったのになあ。  
 
立ち入り禁止の看板が風にあおられてぱたぱた揺れた。街灯の明かりが不規則に点滅を繰り返した。  
かっこつけて、That's my soul up there.と呟いてみたが、風の音にかき消された。柄じゃないか。  
 
 
蒸し風呂のような教室で、待ち焦がれていたHR終了を告げるベルが遂になった。  
周太郎の担任の青山は、  
「じゃあ、そういうことだから、計画的にすごすんだぞ〜」  
と言い残してさっさとクラスを後にした。  
一人だけクーラーの効いた職員室に逃げ込む算段だろう。だがよい。明日から俺は夏休みなのだ。それくらいは大目に見てやろう。  
 
「おい、周太郎。顔。」  
千里が怪訝な顔でこちらを見ている。  
「?え?」  
「ニヤニヤしてて気持ち悪い。」  
「まあまあ、大目に見てくれよ、夏休みなんだし」  
「その夏休みも、どうせ隠居するんだろう?」  
そう言って、なにやら周太郎のかばんをあさり始めた。  
「いやまあ、特別予定とかはいってないから・・・てか、なにやってんだよ、あさるなよお」  
この間のテストとか出てきたら洒落にならないので周太郎は焦った。  
「何だよ、ちゃんと持ってるじゃないか」  
そういって取り出したのは周太郎の携帯電話だった。  
「ん、あれ?・・・って、電源切れてるし・・・お前・・・」  
千里の表情が、哀れむような表情に変わっていった。  
「携帯なくても、いつも困らないの?」  
「いや、あんまり...メールこないし。てか、あの、帰っていい?そろそろ」  
千里が頭を抱えはじめた。俺が抱えてえよ、チクショウ。  
「・・・・やっぱ可哀想だから言っておいてあげるよ、あした7時半に○▼駅集合だかんね」  
「え、何、なんで?朝?」  
「メールくらい見ろよ...。沖縄行くんだぞ、てかこのクラスお前以外ほぼ全員行くんだからな」  
なんということだろうか。非公式の修学旅行が組まれていたことも驚きだが、そんな巨大なイベントにかすりもしなかった周太郎もなかなかである。  
「なんと、そ、それは・・・いやしかし・・・俺の、俺の虎の子500円玉貯金なら・・・!」  
「あわせて参加費13万だけどどうする?」  
周太郎は死んだ魚の目になった。  
「冗談、スポンサーがついてるよ」  
「すぽんさー?」  
「日比谷さん達。あの双子なんか連れてってくれるみたい。」  
周太郎は唖然とした。  
以前から、あの姉弟はセレブと聞いていたが。  
「そういうレベルだったんですか?」  
「そんなのも知らないの?だって、聞いたことない?日比谷製薬って」  
CMで聞いたことあった。さんざんあった。  
「でもうちのクラス、30人くらいいるぞ。一人13万として・・・よ、よんひゃくまん??」  
「いや、あっちは年商5000億の大企業の子息だからな。はした金だろう、そんなの」  
身近にそんな別世界の人間みたいなのがいるとは思っても見なかった。  
「そんならもっとお近づきになっとけばよかったぜ・・・」  
「そんな邪念すぐに見破られるわよ。特に、お姉さんの方、そういうの嫌いみたいだし。」  
まあ、ただの帰宅部が、そんな別世界の彼らと親しくなれるとは到底思えなかった。  
 
「じゃあ、明日、寝坊するなよ。まあ、空港まで貸切バスだから、多少は待ってくれるだろうけどさ」  
「おう」  
言い残してさっさと教室を出て行った。出て行かれて気付いたが、携帯返してもらうの忘れた。まあいいか、メール来ないし。ちくしょー。  
 

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