沿岸都市、八島。 
 明治から移民の流入が盛んだったこの町は、平成となった今でも、異国情緒溢れる煉瓦と瓦葺の屋根、 
近代的な建築郡が顔を並べる国際都市の様相を呈している。町を歩けばけっこうな頻度で外国人を目にすることが出来るだろう。 
和洋折衷の商店群、長く続く煉瓦敷きの街路は人種、職業に頓着せず、あらゆる者を受け入れる。 
だがそんな中にあっても 
 
「おなかすいた」 
「だーからもうすぐ着くって言ってるだろ。この町にはちょいと馴染みでな、美味い店を             
 知ってるんだって」 
  
 この二人組は、一際異彩を放っていた。 
白のロングコートを風になびかせ、サングラスをかけた長身痩躯の黒人。 
まばゆく輝く銀髪を肩に、風を切って颯爽と歩く可憐な少女。 
主に人々の目を引いたのは少女のほうだ。 
 小柄な体をセーラー服で固め、肩で切りそろえた銀髪とは裏腹に、どこか東洋的な小作りで端正な顔立ち。外人慣れした 
八島の住人でも物珍しさが勝るのか、ときおり振り返り「なにあれ、モデル?」や「うわー、綺麗な子…」等といった声があがる。 
 しかしそんな周囲の様子には無頓着に、少女の表情はどこまでも不機嫌だ。 
「まったく…お前は腹が減ると本当に聞かん坊主になるな。なあカレンよ、俺はお前をそんな娘に育てた覚えはねぇぞ?」 
 
「うるさい。ジャックはいい加減、鍋を爆発させる癖を直して欲しい。あと、育てられた 
 覚えもないし坊主でもない」 
 
どことなく間抜けな会話である。微笑ましいと言ってもいい。 
この姿のどこから、吸血鬼を屠りその屍を焼き尽くす夜の姿を想像することが出来るだろう。 
 
「はいはいお姫様…と、ついたぞ」 
 
そして彼等は足を止めた。 
古本屋と古美術屋に挟まれ、そこだけ煉瓦で出来た壁面。 
 
「喫茶、ローマの休日」 
 
扉横の立て看板を見て、カレンが店名を反芻する。 
 
「yes。昔馴染みがやってる店でな、このへんにある店の中では多分一番美味い。店主はちょいと無愛想だが、なに、 
あいつのカレーを食えばお前も…と」 
 
ジャックの言葉を無視し、カランコロンと音を立てながら店に入る。 
 
「やれやれ…」 
 
頭を振りながら、ジャックもその後に続いていった。 
 
 
 その時、山田可奈穂は暇を持て余していた。 
時刻は昼を少し回ったところ。普段であればランチタイム目当てに付近の大学から学生が大挙して押し寄せてくるものなのだが、 
見渡してみれば客どころか、店の外を誰かが通り過ぎる様子もない。二十ほどの席が、テーブルクロスを汚されることもなく無人で 
佇んでいるのみだ。 
 
 「暇だなぁ…」 
 
 頬杖をつきながら、可奈穂は本日何度目になるかもわからないため息をついた。 
客が少ないのは仕方の無いことである。朝に一人だけ来た客によれば、今日は大学が創立記念日なのだそうだ。運動系の部活動生は 
今日も大学に出ているらしいが、彼等には質より量を重んじた大学内食堂のほうが人気である。 
 
「ふぅ…」 
 
 それにしても、と可奈穂は思うのだ。 
いくら主な客層である大学生が来ないからといって、この空きようはなんなのか。買い物帰りの主婦や昼休みの会社員など、少しは客が 
入ってもいいものだと思う。このままだとこの喫茶店は潰れてしまうんじゃないだろうか。 
 それに今日は、もう一人の店員―――徹が来ていない。考えていることがすぐ顔に出る彼をからかうのはとても楽しい。 
本人は涼しい顔をしているつもりなのだろうが、目が泳いだり頬がぴくついたり眉が下がったりと、傍から見ればほとんど百面相である。 
そんな彼をいじり倒すのが、可奈穂のお気に入りの暇潰し方法なのだ。時たま徹が「可奈穂さんって恐ろしいですね…」などと 
大五郎にぼやいている姿を見かけるがとんでもない。これは上司から部下への愛情表現なのである。 
 
「ねぇねぇ大ちゃん、暇だよぅ…」 
ついには根を上げて、ローマの休日店長かつ夫である大五郎に声をかけた。 
「客が来ないからな」 
 
 そんな可奈穂に目も向けず、大五郎は新聞記事へと没頭したまま無愛想に返答する。 
しかしその様子はどこか落ち着かず、つま先が床を叩いている。 
 
「うふふ?」 
「…なんだよ」 
「心配なんだ? 徹君たちのこと」 
「…うるせぇよ」 
 
徹は若干無愛想なところがあるが、その反面義理堅いところもある。休むことは何度かあったにせよ、その度にきちんと連絡を入れていた。 
今日のようになんの連絡もないというのは初めてのことだった。 
 
「…悪いのかな、向日葵ちゃん」 
「…さあな」 
 
ふと真面目な顔になって可奈穂はつぶやく。頭に浮かぶのは、色素の薄い白と黒で構成された儚げな少女の姿。看病の手を休めて 
連絡も出来ないほど具合が悪いのだろうか。 
 
「まったく…」 
 
新聞を脇に置いて、大五郎が立ち上がる。 
 
「どうしてこう、あの兄妹は人に気を使うかね。素直に昨日から一日中看病してやってれ 
 ば良かったんだ。長い付き合いなんだから少しは甘えやがれってんだよ、あいつらは」 
 
言って煙草を咥え、火をつけようとするがそれは可奈穂に取り上げられた。 
 
「む」 
「もー、煙草はもうやめようってば」 
 
そのままエプロンのポケットにしまいこむ。 
まあ確かに、と可奈穂は続ける。 
 
「いまいち心を開いてくれないってのはあるよね。 
 …はぁ。これじゃ承一郎さんと理沙さんに顔向け出来ないわ」 
 
曇った表情でつぶやかれた言葉に、大五郎は懐かしい名前を聞いた。 
承一郎と理沙、今は亡き春日兄妹の両親である。 
そういえば、と大五郎は思い出す。 
彼等の死は、いささか不可解なものだったな…と。 
しかしその思考は、突然鳴ったドアベルの涼やかな音によってかき消された。 
客は銀髪の小柄な少女。TVや映画でも見かけないような、ひどく整った顔立ちの少女だった。 
 
「いらっしゃいませー」 
 
先ほどまでの沈んだ空気を吹き飛ばして、可奈穂は和やかに出迎える。 
(このへんも、俺が可奈穂に敵わないところだな…) 
立ち上がり、厨房へと引っ込もうとする。 
その背に。 
 
「ようよう、久しぶりに会いにきたってのに挨拶もなしかい?」 
 
やや甲高い、聞き覚えのある陽気な声がかかった。 
慌てて振り返る。 
 
「…ジャック!」 
 
懐かしい顔がそこにはあった。 
 
 
「へぇー…じゃあジャックさんは大ちゃんの大学時代からの友達なんですか?」 
「そそ、ボクシング部で四年間汗を流し合った仲ってわけ…まあ学校は違ったけどな。しっかし、ここ何年かはご無沙汰してたけど、 
 相変わらず無愛想な男だなおい、あいつと一緒だと色々苦労するだろ?」 
「いえいえ、そんなことないんですよー? ああ見えてあの人、けっこう可愛いところも 
 あるし」 
「うっは! 奴が可愛い! そりゃ新たな説だ、でも言われてみれば確かにそんな気もするぜ」 
「でしょー? 例えばこの前TVで猫特集してるときなんかもね…おっと」 
「…なにを盛りあがってやがるんだ、お前らは」 
 
湯気の立ち上るカレーを二皿、大五郎がやってくる。 
 
「ほらよ、餌だこのノッポ野朗め。ほいお嬢ちゃん、カツカレーだ」 
 
 
ゴトリと皿を机に置き、そのままジャックの向かい、可奈穂の横に腰掛ける。 
カレーを目の前に、カレンは無表情のま瞳を輝かせる。 
 
「餌でもなんでも美味ければ俺はそれでいいぜ…おっとカレン、まずはいただきますだ。  
 日本にいるからには日本のルールに従おうぜ」 
「…いただきます」 
 
しぶしぶと従う少女を尻目に、大五郎はにやりと笑いかける。 
 
「まずはなにあれ…久しぶりだなジャック。大体7年ぶりぐらいか?」 
「ああ、もうそんなになるのか…しかしお前に奥さんが出来るとはな。お前はてっきり女ッ 気なしの拳闘人生を送るもんだとばかり 
 思ってたぜ。まさか本当に喫茶店を開いてるとは」 
「そりゃこっちの台詞だ。子供なんぞ連れて顔出すとは…どうだ、美味いか?」 
 
黙々とスプーンを動かしつづけるカレンに声をかける。 
 
「そうか、そいつはよかった」 
 
無言で首を縦に振る少女を見て、大五郎の口の端がわずかに上がる。 
 
「娘さん…ですか?」 
 
自信なく問い掛ける可奈穂。 
確かに親子と言うには年も近いし、人種だってかけ離れているように見える。 
 
「あー…まあそんなところだ」 
 
そのとき一瞬だけカレンがジャックを見やったが、なにを言うこともなくスプーンの反復運動に戻る。 
カレーを口の中でもぐもぐやりながらの、少し行儀の悪い会話は尚続く。 
そんな中でふと思いついたように大五郎が身を乗り出してくる。 
 
「ふむ…。そういやジャック、お前まだボクシング続けてるのか? 見たところかなり鍛 
 えてるようだけどよ」 
「冗談、今じゃただのしがない銀行員だよ。やはり世界の壁ッてなぁ厚いね、才能の無さを痛感したよ」 
「冗談、お前が才能無いなんて言ったらそこらのぺーぺーが泣くぜ?」 
「それこそ冗談じゃねぇ、現役時代俺をKOしまくってた奴がよく言うぜ。特に二年のときの試合、ありゃ首の骨折れたかと思ったわ。 
 お前と毎回スパをやらされる後輩連中が気の毒でしょうがなかったよ」 
「そりゃお前が無理して俺との打ち合いに付き合うからだよ。アウトに徹してりゃお前は敵無しだったはずだ。全国大会ではお前との 
 一騎打ちかな…と期待してたのによ。なにがあったか知らねぇが、お前この七年なにしてた? 急にいなくなりやがって」 
「俺としては、ボクシングやめて喫茶店なぞやってるお前のほうが謎なんだがな。俺? 銀行員だよ」 
「…そりゃ卒業後の話だろ。まあいい、こうしてもう一回会えたんだ。存分に俺様のカレ 
 ーを味わいな。なんなら後で軽くスパーやるかい? 工藤ジムの会長とは今でも付き合 
 いあるからよ」 
 
言って、パシンと拳を打ち合わせる。 
と同時に、ジャックのスプーンの動きも止まった。 
 
「カレーの腕は落ちてねぇな…むしろ上がってる。スパーに関しちゃパスだ、今じゃ体が鈍ってるんでな、 
 お前の殺人パンチなぞもらった日にゃ余裕で死ねる。」 
 
言って、止めていたスプーンの動きを再開。 
―――既にカレーを食べ終わっていたカレンが、そのスプーンをモノ欲しそうに見つめてくる。 
はぁ、とため息一つ。 
 
「ほらよ」 
結局カレーは明渡された。 
 
「…驚いた」 
 
目を丸くして、可奈穂は夫を見つめる。 
 
「なんだよ」 
「大ちゃんって、そんなに喋る人だったんだ」 
「うるせぇなぁ」 
「あーあ、私相手だと二言三言しか返事してくれないのに。貴方の妻である私としてはめっきり自信喪失してしまうのです」 
「あーもう…悪かった、悪かったよ。今度からはもうちょっと愛想よくするってばよ」 
「出来ればお客さんにも愛想よくして欲しいのです、妻としては」 
「わかった、わーかったよ!」 
 
拗ねたふりをする可奈穂と、それをなだめにかかる大五郎。それを眩しいものでも見る世に眺めてからジャックとカレンは席を立つ。 
 
「なるほどな、なぜボクシングをやめたのか、こりゃ一目瞭然だ! さしもの殺人ゴリラも惚れた女の前では形無しと見える」 
 
笑いながら、椅子にかけていたコートを羽織り立ち上がる。 
口の周りを紙ナフキンで拭いていたカレンも後に続く。 
 
「なんだ、もう行くのか? もう少しゆっくりしていけばいいのに」 
「なに、仕事のついでに寄っただけなんでな。暇があればまた寄るよ」 
 
そしてカレー2杯分の料金を可奈穂に手渡す。 
 
「なんでぇ、タダでいいんだぞ」 
「それは閑古鳥を打ち落としてから言う台詞だよ…美味かったぜ、じゃあまたな」 
 
背を向け片腕を上げながら、懐かしき黒い男は颯爽と扉の向こうへと消えていった。 
 
 
 そして俺は、ローマの休日にたどり着いた。 
とは言ってもまだ店の中には入っていない。なかなか踏ん切りがつかないのである。 
これからの予定は決まった。予定と呼べるほどきっちりしたものではないが、なんにせよその予定の第一歩は店長にしばらく休むことを 
伝えることなのだが…その一歩がなかなか踏み出せない。 
古本屋と喫茶店の境界で、もう何分も立ち止まっている。 
…わかっている。結局俺はビビっているのだ。冷静に考えるまでもなく、今俺の身の回りに起こっていることは異常である。 
そもそも俺の手に負えるものではないんじゃないか…。 
  
 昨夜の決意はなんのその、殺してやるなど笑わせる。まだ何も行動を起こしていないというのに、その前段階の部分で 
俺は既に諦めようとするのか。情けない、大いに情けないぞ春日徹。警察に問い合わせる? 馬鹿を言うな、こんなオカルトじみた事態に 
警察が取り合ってくれるはずがない。ヴァンパイアハンターを探す? それこそ冗談、そんなものがほいほい見つかるようなら世の中ここまで複雑にならない。 
 だったらどうするか。 
 向日葵のありのままを認めて吸血鬼として生き延びさせる? 利口な選択に見えるがそれは違う、向日葵は吸血鬼である自分を恥じて 
嫌ってるのだ。俺が認めたところでどうにかなるものではない。 
 
 ―――結論、俺でどうにかするしかない。 
 
えいや、と足に気合を込めて俺は一歩を踏み出す。 
…だがその前進は、ちょうど店から出てきた黒人によって出鼻をくじかれた。 
別段珍しくも無い、国際色豊かなこの街のことだ。ローマンの休日にだってときたま外国人客は訪れる。 
問題はその後だった。 
 
肩で切りそろえられた銀髪、尖った顎、それとは裏腹に柔らかそうな頬。透き通った肌は太陽の下に存在することが不可思議なほど白く、 
大きな碧眼が絶対零度の輝きで俺を射抜く。 
 それは、美しい、少女だった。 
 
少女が一歩俺に近づいた。 
その分俺は一歩下がる。 
 
俺は完全に―――気圧されていた。 
そう、俺は頭二つ分は小さな少女に圧倒されていた。その碧眼に見据えられた俺は、ただ下がることでしか反抗できない。そんな小さな 
反応も、少女の目が細められた瞬間に封じられる。 
 足を止めた俺に、少女はゆっくりと近寄ってくる。やがてその距離が零に等しくなった瞬間、がばりと襟首を少女に捕まれた。そのまま 
ものすごい強い力で引き寄せられる。 
  
首筋に少女の顔がよる。 
頭の中に向日葵の顔がよぎる。 
あの熱を、冷たさを、牙が食い込む瞬間の甘い痛みを脳髄で感じ取る。 
 
だがそれは全て幻だ。 
少女は首筋に顔を寄せただけ、舌を這わせたわけでも牙をつき立てたわけでもない。 
 
これは―――向日葵に噛まれた場所の臭いをかいでいる?  
 
その事実に寒気が走る前に、俺は地面へと乱暴に投げ出された。 
そのまま少女はこっちを振り返ることもなく、まるで無頓着に去っていく。 
尻餅を付いたままの姿勢で、首筋を触る。 
そこには傷跡があるわけでも、腫上がっているわけでもない。噛まれた当初は血を流していたが、一晩寝れば傷跡はすっかり消えて 
なくなった。 
俺におかしなところは、なにもないはず… 
 
「災難だったな、坊主」 
 
座り込んだままの俺を、先ほどの黒人が腕を引っ張って助け起こす。 
 
「うちの姫様はちょいとじゃじゃ馬でな。ときどきああして凶行に走るわけよ。すまねぇな」 
 
俺のズボンをはたくと黒人も去っていき、少女の横へと並ぶ。 
何事も無かったかのように二人は去っていく 
 
「なんだっていうんだよ、一体…」 
 
その背中を呆然と眺めながら、なにをするでもなく立ち尽くすことしか、そのときの俺には出来なかった――― 
 
 
                              第4話 完 
 
 
 
 
 
 

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