「……ひろちゃん、久しぶり。」
「……おう。」
俺は2年ぶりに言葉を交わした幼馴染にどんな言葉をかけていいのかわからず、
愛想のない返事を返した。
そんな俺に対して、少し悲しそうな笑顔で彼女は笑った。
◇
俺とあいつは赤ん坊の頃から幼馴染で、家は隣、同じ小学校に通って、同じ中学に通って、
同じ高校にも通った。
付き合っていたこともある。高校になってしばらくして、あいつの提案で正式に付き合うこと
にしたのだった。
それまでも一緒に通学したり、一緒に勉強したり、一緒に遊びに行ったりもしていた。
遊びにいくのがデートになって、たまにキスしたり、たまにセックスしたりするようになった。
ただそれだけだった。
「今までと、なにか変わったのかな……?」
彼女がそうつぶやいて、俺たちの恋人としての関係は終わった。
俺たちはお互いについて何もかも知りすぎていた。生い立ちから始まって、好み、得意なこと
苦手なこと、癖、お互いの体のほくろの位置、傷跡のワケまで。なんら新鮮味がなかった。
俺にはあいつとの関係の心地良さを気に入っていてそんなモノ必要なかったけど、あいつには
不満だったらしい。
俺たちは高校を卒業して、初めて別々の大学へと進学した。
そしてあいつは合コンで出会ったイケメンと付き合うことになって、卒業と同時に結婚して
専業主婦になった。
結婚式には俺も招待されたけど、結局出席しなかった。
あいつが不幸になることは望んじゃいなかったけど、でも他の男のためにウエディングドレスを
着て笑うあいつを見て祝いの言葉を口にできるほど俺の度量は大きくはなかった。
で、まあ、俺は恋人を作ることもせず、地元の企業に就職してただあくせく働く日々を送っていた。
それが、1月ほど前に突然あいつが隣の実家に戻ってきた。
たった1年ちょっとで離婚したらしい。
おばさんが家の母さんと話してるのをちらっと聞いた限りでは、相手の男が浮気してたのが
原因らしいけど、細かいことはよくわからなかった。
俺はあいつと会ったときにどんな顔をしていいのか、何を話したらいいのかわからなくて、
1月の間、合わないようにしていた。
昼間は会社、退社後も飲み屋で時間を潰してから帰った。
でも今日、夜中にコンビニに出かけた帰りに道端でばったりあってしまったのだ。
◇
道端で立ち話もなんなので、近くの公園に場所を移した。
子供の頃一緒に遊んだ小さな公園のベンチに腰掛ける。
「……」
「……」
……は、話づらい。
そもそも何を話せばいいのか。
昔は他愛も無いことでも色々と話し合えた。昨日ウチのかーさんが、とか、昨日のテストの
成績が、とか、まあ、色々。
聞いていいこと悪いことの勘所も心得ていたから、話すのに困った事が無い。
今はむしろ離れていた間の事とか、色々聞きたいことはてんこ盛りだが、どこから聞いたものか、
どこまで踏み込んでいいのか、さっぱりわからない。
あれほど解っていたこいつの事が、解らない。2年の空白が、重たい。
「……聞いてる、よね。離婚したこと。」
俺が話しあぐねてるのを察したのか、向こうから切り出してきてくれた。ちょっと助かった。
「ああ、母さんたちが話してたのはちょっと聞いたけど。」
「まだ離婚協議中なんだけどね。」
「旦那の浮気が原因だって聞いたけど。」
「うん。直接的にはそうかな。」
そう言って、あいつはちょっとだけうつむくと、えへへへ、とおどけて続けた。
「凄いんだよ。浮気相手1人じゃなくて2人なんだ。」
「……それ、笑い事じゃねーだろ。」
「うん……ごめん。」
「いや、別に謝らなくても……で、直接的には、ってことは他にも理由があるんだろ。」
「うん。」
あいつは1つ深呼吸して、俺に答えた。
「……ね、私たちが別れた時のこと、覚えてる?」
「ああ。付き合うようになっても、何も変わらない、だったよな。」
……今でもいやってほど強烈に覚えてる。
つまり、つまんない、って言われたわけだ。
「私、子供だったんだなぁって思うよ。」
つらそうな顔でそう言って続けた。
「あの人と付き合い始めてから、楽しかったんだぁ。
毎日新しいあの人の良い所を知って、毎日驚かされた。それでどんどん好きになってったの。
でもね、結婚してからあの人の嫌な部分もみえてきたんだ。
ううん、恋人同士の時は欠点だと思ってみてなかったんだ。」
「……なんか、変な性癖があるとか。」
「あはは、そんなんじゃないよ。
あの人ね、どんなことでも自分でてきぱき決めてどんどん先に進んでいっちゃうの。
恋人の時はそういうところが男らしくて格好いいなって思ってた。」
それは俺とは正反対……というか、こいつと俺との間には阿吽の呼吸みたいなものが合ったから、
いつもなんとなく二人で決めていたから、新鮮に感じたんだろうなぁ。
「でもね、夫婦になってからもそれは変わらなくって。
彼、私に何も相談しないの。私がどう思ってるかとか気にしないでどんどん決めちゃうの。
大事なこともそうでないことも、彼自身のことも私のことも、全部ね。
私の知らないうちに勝手に決まっていっちゃう。
それでね、私、彼に言ったんだ。
夫婦って、そうじゃないと思う。大事なことは話しあって決めましょうって。」
「……それで?」
「……彼、私を見なくなった。ますます大事なことは何も話さなくなったの。
自分が決めたことに口を挟まれるのが我慢できない質だったみたい。
それでも、もしかしたらと思って我慢してたんだけど……ダメだった。」
あいつはうつむいたまま目の辺りをこすっていた。
涙をぬぐってたんだとおもう。
「私馬鹿だよね。自分を理解していて大事にしてくれる人を袖にして、自分を蔑ろにする人に
ついて行っちゃうんだもん。男の人見る目ないね。」
「まあ、結果的にはそうかもなぁ。」
「でもね……実家に帰る事にしたとき、帰ったらひろちゃんが慰めてくれるかなぁ、って、
勝手なこと思ってたんだ。」
「……」
「馬鹿だよね。自分をふった相手を慰めてくれるなんて虫が良すぎ。
でも心のどこかでちょっと期待してたんだ。
……でも、いつも仕事だったり出かけてたりであえなくて。」
「……いや、その……実は、俺も会って何話していいかわかんなくて……避けてたって言うか……」
俺がバツが悪そうにそういうと、あいつは俺を見てクスリ、と笑った。
「そういえばそうだったよね。喧嘩したりすると、ひろちゃんどんなふうに声掛けていいか
わからなくて、私から話しかけるまでずっとダンマリだった。」
「そうだよ。俺は変なこといってお前を傷つけたくないから、いつも困ってたんだ。」
「そっか……ひろちゃんは変わらないな。」
「おまえだって変わってない。寂しがりで、甘えたがりなところは変わってないよ。」
「……だからひろちゃんに甘えたくて帰ってきたのかな。」
「そうかもな。」
「うん。ねえ……膝、貸してもらっていいかな?」
「へ?」
俺が意味がわからず目を白黒させてる間に、あいつはベンチに寝っ転がって俺の膝の上に
頭を載せた。
「……これ、普通逆じゃね?」
「私が甘える側だからこれでいいの。」
膝の上から俺を見上げて笑う。
でも……こんなことででもこいつの気持ちを慰めることができるなら、まあいいかと思う。
畜生、惚れた弱みか……
「それにしても私、これからどうしようかな……」
「働くんじゃないのか?」
「新卒じゃないと今時なかなか働き口無いでしょ? しかも就業経験もゼロだし。
せいぜいパートタイマーぐらいかな。」
「そういやそうか。」
こいつは大学卒業と同時に永久就職しちまったからな。
まあ、永久じゃなかったわけだけど。
……うん? 就職?
「なあ、良い就職口1つだけ紹介出来るんだけど。」
「どんな仕事?」
「毎日俺の帰りを家で出向かえて、おいしい料理を作ってくれる簡単なオシゴト、かな?」
「……」
あいつは頬が火照る俺の顔を下からぽかんとした顔で見上げていた。
「どうするんだ? 就職斡旋は先着1名様限りだぞ。早くしろ。」
「……私、ひろちゃんを振って別れた女だよ?」
「俺からは別れの言葉は口にしなかったけど。」
「私バツイチだよ。」
「俺は気にしないし。」
「あと、離婚届出してから半年は結婚できないから、最低でも来年までは入籍出来ないし。」
「まあ、多少は待つさ。今更1年2年待てないほど浅い仲でもないし。」
「……本当に、私でいいの?」
問いかけるあいつの視線を、俺は受け止める。
離婚したばかりの女に結婚を申し込むという暴挙を成功させねばならない。
「気に入ったものには何時までも固執する俺の性格、知ってるだろ。」
「……知ってる。気に入ったラーメン屋とか、何度も付き合わされたもん。」
「つまりそういう事だ。おまえを気に入ってるし、もう他の男に渡したくない。」
「……馬鹿。」
こいつは膝の上でくるりとうつ伏せになると、俺の膝を濡らして泣いた
ま、そのぐらいのペナルティは甘んじて受けるとしよう。
それと引換に大事なものを取り戻せたんだから。
あ、そういや、大事なこといい忘れてたな。
「明美。」
「なに、ひろちゃん。」
涙で濡れた目をこすって、再び俺を見上げたあいつに、笑顔で一言。
「……おかえり。」
「……ただいま。」