今の彼女の頭にあるもの。
「あと……2分40秒!」
それは、1秒1秒の戦いを、いかに勝ち抜いていくか。
因果応報、四面楚歌。今の彼女はそんな状態。
そんな彼女の敵は、150秒という時間制限だけではない。
ただでさえ今日の授業は6時間。しかも体育まであるというおまけつき。
「重いなあ、もう!」
寝起きダッシュ、朝飯は無味乾燥な食パン。
おまけに1週間の中で最重量を誇る、着替えのぶら下がった赤い錘(おもり)。
そしてそれだけではない。バレーボール大の胸にくっついた錘まで、敵として自らの動きを鈍らせる。
仕上げに1時間目が体育ともなれば、乳酸漬けの体には拷問の一言。
「きっっついなあ、もうっ!」
体育、算数、理科、国語。極めつけに、午後には社会が2連続。
2時間目から6時間目まで、想像するだけで吐き気がする。遅刻を免れても、やはり地獄。
ああ、モチベーションが下がる。自然とスピードも落ちる。
残り時間を確認して、焦る。遅刻をしたって、地獄。再びスピードを上げる。さらに疲れる。
「よお!」
「何!? こっちは今急いでんのっ!」
「こっち、近道だぜ!」
残り120秒。
いきなり声をかけられたと思ったら、商店街の交差点を90度に曲がった少年。
0,5秒だけ迷った。
否、迷う余裕はなかった。
「分かったわよっ!」
顔も覚えていない男子。
胸にくっついた、脂肪という名の錘を揺らしながら、走る。
「ちょっと!?」
「なんだ?」
時計は、8時35分を指していた。
見上げるとそこには、日光を部分的に落す、深緑のシェルター。
「……完っ全に、遅刻じゃないのよっ!」
「間に会ったじゃねえか。まあ座れよ、そこに切り株がある」
「どこが間に合ったって……ああもう、はいはい」
時計を見ると、8時40分。10分後に1時間目が始まる。
大好きな体育の授業は諦めて、……ついでに算数もさぼっちゃえ。
……諦めを付けると、なんだか少し気持ちいい。周りもよく見える。
光合成が作り出した、イオンたっぷりの酸素。温暖化の影響をみじんも感じさせない、天然のクーラー。
「な、いい場所だろ?」
「……まあ」
「晴れの日は絶対にこの時間にここに来るんだ。俺のお気に入りの場所。」
自慢げにそう言うと、傷だらけの右手を鞄に突っ込み、何やら取り出した。
「ほら食えよ、上手いぜこれ」
「……ラッキーターン?」
「ゴミは俺に渡せ、ポイ捨ては無しだ」
意外ときっちりしている。結構いい奴かもしれない。
3つのうちの1つを口に入れ、ゴミを渡したとき、ふと面白いものを目にした。
「この木は?」
「お、気付いたか。昔落雷があったらしくって……まあいいや、とにかく、この木だ」
「?」
木の幹が、縦に真っ二つに割れている。
その表面は、木材加工が施されているようにきれいなのだが、この面白現象をなぜ自慢げに話すのだろうか。
「……そろそろだな。おい、こっちに来いよ。」
「今度は、何?」
何もない山の中。
のはずなのに、たった数m四方にこれだけの発見がある。
それなのに、まだ何かあると言うのだろうか。
「ほら、さっき言ってたこの木。下を見ろよ。」
「これ……湧水?」
「へっへー。いいか、よーく見てろよ。」
先ほどの木の根元の少し先に、湧水。
その周りには、水をためられるように石が並んでいるが、これに限ってはこの少年が作った人工建造物と見ていいだろう。
……先ほどラッキーターンを取り出した右手には、今度は棒付きのレンズ。平たく言えば虫メガネ。
湧水の上から、ゆっくりとかざす。
「あっ!」
「ほら来た!」
太陽が動いて、湧水に木漏れ日が当たる、この瞬間。
湧水が反射板、レンズがプリズムとなって、
「……きれい……」
そして、真っ二つに割れた木の、薄黄色の表面は、スクリーン。
「へへっ、まだ誰にも教えてないんだぜ。」
「こんな、……こんな虹があるんだ……」
赤、橙、黄、緑、水、青、紫。
ちょっと人間が手を貸すだけで、何もなかったはずの自然が、映画まで放映してくれた。
「あとは……ほらっ!」
「あ、影絵!」
「ワンワン!キビ団子欲しいんだワン!」
意味不明だった、理科の「光」の勉強。こんなに簡単だったなんて。
……今日は3時間目も、さぼっちゃえ。
「ねえ……明日も、来ていい?」
「もちろんいいぜ! 遅刻常習犯仲間が出来りゃ、気が楽だ。」
「うん! ……あっ」
思い出してしまった。
今頃、ジャージ姿でグラウンドに出ているアイツの頭には、高電圧が湛えられているはずである。
「……そういや、あんたのせいで遅刻じゃないのよっ!」
もう雷が落ちたってどうでもいいや。
そう自分に言い聞かせながら、地獄のような錘を持ち上げる。
「きゃっ!」
「……さぼっちまえよっ」
「ちょ、ちょっとどこを触って」
「……一緒に、いてくれよっ」
錘を両手でつかまれている。
肩にかけてある錘ではない。胸にくっついている、もう2つの錘。
「へ、変態!」
「……」
「あっ……い、いやっ!」
思わずさげすむと、それがトリガーとなったのか、ふにふにと手を動かし始めた。
バレーボール大のバストを、触られたりからかわれることはあっても、揉まれたことは1度もない。
「や、やめ、て……」
「やっと、やっと人間の友達が、できたんだ……」
「え、えっ?」
「離れたく、ないんだ!」
ギュッと、激しくつかむ。痛いくらいに。
しかも、掴まれた場所は、一番感じる部分。イコール先端。
「ああっ……!」
体の芯から麻痺して、落ち葉のベットに倒れ込む。
「あ、……ごめん」
「はぁ、はぁ……」
「こんな事、するつもりじゃあ……」
不思議と、嫌な気分はしなかった。
それは多分、感覚を共有しているからかもしれない。
勉強はさっぱりで、大っ嫌い。体育は嫌いじゃないけど、この胸のせいで動きは鈍いし、何度も触られるから好きじゃない。
女子からは胸のせいでうとまれ友達はできない、男子はからかうから大っ嫌い。
……きっと、こいつも同じ。
「学校でいじめられて、嫌になって。先生に親にはいいつけないように言っといて、いっつもここにいる友達と遊んでる。
半分の木と、湧水と……っ!?」
気がつけば、唇を寄せていた。
まだ好きになったわけじゃないけど……初めて気にいった男の子に、してあげようと決めていた。
「今日は、学校サボるよ。明日も、遅刻したげるね」
これからは毎朝、少しだけ楽しくなりそうだ。