「小玉ヶ丘高等学校から来た神尾凛と申します。よろしくお願い致しますわ」
クラスの大半の男はその姿に見惚れ、
クラスの大半の女はその姿に憧れと嫉妬の眼差しを向けている。
担任の岡田の話によると、この転校生はとある会社の社長令嬢らしい。
よく漫画やアニメで同じような場面を見て"こんな展開あるわけねえだろ"などと思ったことがあるが、
実際ありえない話でもなかったんだな……。
そんな風に思いながら俺は再び転校生を見る。
ストレートのロングヘアー、前髪は程よく整っている。
髪の色は黒。まあ日本人なのだから当たり前といえば当たり前か。
ちょっとつり気味の凛々しい目、シミ一つない白い肌。引き締まった唇。
なるほど、野郎共の瞳がハートマークになるのも頷ける。
点数を付けるなら満点をくれてやってもいい。
「えーと、席は……確かそこは空席だったよな?」
そう言って岡田が俺の隣の席を指す。
「ああはい、そうです」
俺が返事をすると、岡田は転校生に隣の席に座るよう指示をした。
転校生のお嬢様は、隣の席までゆっくりと歩きそのまま椅子を引いて座った。
晴れてお嬢様の隣同士となった俺に、クラス中の男子からの視線が突き刺さる。
"呪われろ"、"クソ虫野郎"、"ゴミクズ"、挙句の果てには"死にさらせ"という呟きまで聞こえた。
俺がお前らに何をしたというんだ。
まあ、あんな嫉妬丸出しの呟きなんて気にしない。
俺は隣のお嬢様に声を掛ける。
「あ、俺は野上雅也っていうんだ、よろしく」
一応、今日から同じクラスとなるんだ。
仲良くしておいて損はない。
しかし、お嬢様はそんな俺をチラリと見てすぐに前を向いた。
シカトですか、そうですか。
お嬢様にとって俺は道に転がってる石のような存在なんでしょうね。
転向早々この俺に喧嘩を売ってるわけですね。ちくしょうめ。
辺りから"プギャー!"とか"ざまぁwww"といった俺をあざ笑う声が聞こえてくる。
空中に吊るしてやろうか。
―キーンコーンカーンコーン―
お決まりのチャイムが鳴り、1時限目の授業が始まる。
担当の教師が来て、教科書を開くよう指示をする。
―いかんいかん。
こんな高飛車な女やバカ丸出しの罵倒に構ってる場合じゃない。
俺は机から教科書を取り出し、指示されたページを開く。
頬杖をつきながら教科書を見ていると、何やら隣から声が聞こえてきた。
「ちょっとあなた。私この学校の教科書を持ってないの、見せていただけないかしら?」
うん、きっと気のせいだ。
俺の隣の席には誰も居ない。だって空席だもの。
断固無視。
「ちょっと、聞いてるんですの!?」
はいはい無視。ハナクソほじっちゃお。
「……あなた、もしかして耳が遠いのかしら?」
まったく、うるさい女だ。自分からシカトしてきた癖に、自分がされるとこれか。
さっきのシカトされた恨みを込めながら、俺は思いっきり皮肉を込めて言ってやった。
「おや? 私の名前は"あなた"じゃありませんよ。さっき自己紹介しませんでしたっけ?」
語尾に(笑)を付けるかの如く馬鹿にした口調で、さらに続けてやった。
「IQのお高いお嬢様は、自己紹介してきたお相手のお名前も覚えられないのでございますか?
それとも、お耳がお遠くなっているのでございましょうか? それならば、良い耳鼻科をご案内致しますよ」
と一気に捲くし立てて、俺は視線を教科書に戻した。
確認したわけじゃないが、きっと顔を真っ赤にして震えてるに違いない。
ああいい気分だ。爽快だ。人をコケにするからこうなるんだ。因果応報ってやつだ。
「……それは大変失礼致しましたわ。では改めて野上さん、教科書を見せていただけませんこと?」
若干声が上ずっているように聞こえた。オホホホホ。くやしいのうくやしいのう。
まあ、あまり虐めて泣かれでもしたら厄介だ。これくらいにしてやろう。
俺は教科書をお嬢様の見える位置に移動させた。
「どうも」
そう言ってお嬢様は俺の教科書を覗き込んだ。
そして俺の教科書を見た瞬間、お嬢様は"ぷっ"と笑いを堪えるような声を上げる。
一体どうしたというのだろうか。俺は教科書を隅から隅まで見回した。
ふと歴史の人物画を見ると見事にラクガキされた跡があった。
「……あなた、こんなものを教科書に書いてて恥ずかしくないんですの?」
お嬢様は明らかに見下した目で俺を見ている。
さっきの笑い声はラクガキに笑ったんじゃなく、ラクガキをした俺を笑ったに違いない。
しかしこれは誤解だ。これは俺がやったのではない。
いくら俺でも高校生にもなって教科書の人物画にラクガキする程子供じゃない。
おそらく、弟が俺の教科書を勝手に覗いてラクガキしたんだろう。
しかし、"これは弟がやったんだ"なんて言っても言い訳がましい。
ああああ、どうしたものか。俺顔真っ赤。
「あら、ここにも落書きがありますわね。貴方の知能指数の低さが伺えますわ」
と言いながら鼻で息をしながら俺を見下した表情で見つめてきた。
コノ・ペチャパイ・ヤロウ。ドウシテ・クレ・ヨウカン。
今まで殴りたくなった男や実際殴った男は何人もいたが、殴りたくなった女はコイツが始めてだ。
もしこいつが男だったら、今頃マウントポジションでフルボッコにしているだろう。
しかし、悲しいことにこいつは女なのだ。
さすがに女をフルボッコにしたら、クラス中から非難を浴びるだろう。
そして、変態リョナDV男とか卒業するまで言われ続け、俺の学園生活は終了を迎えることになる。
ここは男らしくグっと堪えなければ。
「実は俺、こういう人物像とか人物画を見ると、つい落書きしちゃう病気でね。仕方がないんだよ、うん」
「あらまあ、そうでしたの? あなたに相応しい病気ですわね。早く治るといいですわねぇ」
「ははは、なるべく早く治るように頑張るよ!」
ちなみに脳内では既に1000回くらいこの女を殴っている。
『もういいよ、現実でも殴っちまえ。』
そう囁くのは本能むき出しの俺。
『女を殴るのはやばいだろ、常識的に考えて……。脳内だけにしておけ、な?』
そう囁くのは冷静沈着な俺。
『ここは放課後に弁当の食べ残しとゴミを、こいつの机の中に入れて復讐するというのはどうか』
そう囁くのはどこか逝っちゃってる俺。
まあコイツの意見を選ぶと大抵ロクな結果にならんので無視する。
とりあえず今は冷静沈着な俺の意見に従っておこう。うんそうだ、それがいい。
「治療の方頑張ってくださいませ。悪化したら大変ですわ」
ははは、殴りてぇ……。
しかし、待て俺。まあ待て。
よくよく考えればこういうお嬢様タイプと仲良くなって損はない。
金持ちは傲慢で嫌味な分、心が広いところがある。
事実、小学生の頃に金田というボンボンがいたが、そいつは嫌味こそ多かったが心は広かった。
奴の家に行けば高級な菓子などが食べられたし、古くなったオモチャをくれることもあったし、
奴のオモチャを壊してしまった時は「どうせ新しいオモチャ貰えるからいいよ」とあっさり許してもらった。
このお嬢さんもきっとこういうタイプに違いない。
ならば傲慢な態度など気にせずに仲良くなっておくべきだろう。
うまくすれば金目の物を貰えるかもしれない。
「おい野上! 聞いているのか!」
「……うぇあ!? な、なんすか先生」
脳内世界から、急に現実世界に戻された俺は間抜けな返事をしてしまう。
どうやら先生が俺に何か問題を出していたようだが、全く聞いていなかった。
やばい、どうしよう。俺赤っ恥。
「先生、私が代わりにお答え致しますわ」
お嬢様はそう言って席を立ち、俺の代わりに先生の問題に答えた。
まるで教科書に載っている模範解答のような完璧な答えを出し、先生を唖然とさせていた。
お見事でございますなぁ、お嬢様。
更にクラスメイトの好感度が上がったようでございますなぁ。
ただ、俺の好感度は急落しているようですなぁ。俺涙目ですなぁ。
"かっこわるw"とか"あいつダサくない?w"とか俺を失笑する声が聞こえてくるのは気のせいと思いたいですなぁ。
「あの、先生……。俺ちょっとお腹が痛いんで便所いってきます……」
そう言って俺は便所に行くふりをして屋上へ向かった。
「うおー!うがー!ぬあー!!」
屋上のど真ん中で一人、頭を抱えてゴロゴロして悶える俺。
傍から見ればキモイことこの上ないだろう。
人生でこんなに腹が立ったのは生まれて初めてだ。屈辱だ。ちくしょう。
ストレス発散に屋上の柵をガンガン蹴って殴る。脚と拳が痛くなるだけだった。ちくしょう。
たまたま見回りをしていた先生に見つかって、こっぴどく叱られた。ちくしょう。
たった一日で、ただでさえ低かった俺の評価がさらに下がってしまった。俺さらに涙目。
5時限目の授業終わり、HRの前の休み時間では、お嬢様の周りにすっかり人だかりができていた。
無論、隣の席に座っている俺は、石ころのように無視されている。
たった一人、デブスの女が話しかけてきたが、"邪魔だから消えろ"みたいなことを言ってきた。
全力で殴りたかったが、こいつも一応女だったので我慢し、
デブスの席の椅子と机を接着剤で固定するという地味な復讐をして鬱憤を晴らした。
ついでに机の中に食べ残しが入ったコンビニ弁当を入れておいた。
―キーンコーンカーンコーン―
そして放課後。俺にとって悪夢のような1日は終わりを告げた。
もう今日は何もしたくない気分であった。
早く帰ろう。おうちに帰ろう。おいしいおやつを食べて、
ホカホカご飯を食べて、暖かい布団で眠ろう。そして悪夢のような1日にバイバイしよう。
颯爽と昇降口を出て、校門へと足を運んだ。
そして、校門を通過したところで、何者かとぶつかった。
「きゃ!」
幸い、体格が良い俺は怪我ひとつせずにすんだが、
代わりにぶつかった相手が転倒して尻餅をついたようだ。
まあ別にどうでもいい。適当に謝って早く帰ろう。
「ごめん、すまん、失礼。それじゃ!」
あれ、さっきの人、どこかで見た気がするなぁ?
いや、きっと気のせいだ。さあ早く帰ろう。
「ちょっとお待ちなさい! それで謝ったつもりですの!?」
しかし、手を掴まれて強引に静止させられた。
気のせいと思いたかったが、やはり相手はあのお嬢様だった。
何この少女漫画みたいな展開。ねーよ。
「……あら、あなたでしたの。凄い偶然ですわね」
お嬢様が"お前、わざとぶつかっただろ"と言いたげな視線を送ってきた。
本当に偶然ぶつかったのだが、信じてもらえそうにもない。
何とか上手くやり過ごそうと考えていると、
お嬢様のスカートで何かがもぞもぞと動いているのを発見する。
「……お前、スカートになんかついてるぞ」
「あら、一体何がついていると言うのかしら?」
お嬢様は鼻で笑い、スカートを見ようともしなかった。
「いやいや見ろよマジで。イモ虫みたいのがついてんだけど」
「む……し……?」
ピクリと反応させると、お嬢様はおそるおそる自分のスカートを見た。
そして小さな尺取虫がついてるのを確認すると、ピタリと動きを停止させた。
お嬢様の顔が青ざめていく。
「ひっ……」
そして体をプルプルと小刻みに震わせて、大きな悲鳴を上げた。
「い、いやぁぁあああああ!」
「ちょ、どうし」
「虫! 虫嫌い! 取って、取ってぇぇぇえええ!」
尋常じゃない取り乱し方に、俺は思わず後ずさりする。
お嬢様は思い切り体を動かしているが、尺取虫はうんともすんとも言わない様子で
よっこらせっくすとスカートの道をよじ登っていた。
「な、何をしてるんですの! 早く、早く取って下さい! お願い! やぁああ!」
半ば懇願するように俺の手を取ってスカートまで持っていく。
「ちょ、おま! 落ち着けって!」
「やぁああ! 早く! 早く取って! お願い、取ってぇ!」
お嬢様は、俺の手を取りながらスカートを捲り上げた。
パンチラとかそういうレベルではない。丸見えだった。
ていうか何をしてくださってるんですかこの人。
「いやいやいや! 取るから落ち着け! お前自分が何してるかわかって」
「お、お願い……早くして……早くぅ……」
だめだこいつ……。早いところこの尺取虫を取っ払おう。
スカートの端にくっついていた尺取虫をつまんで、草むらに捨てる。
たったこれだけのことで、スカート捲り上げるか? おかしいだろ……。
「おい、虫取れたぞ。早くスカートを元に戻せよ!」
さすがにお嬢様のパンツをいつまでも見ているわけにもいかずに、
視線を微妙に逸らしながら言った。
しかし、このシーンを客観的に見るとスカートを捲り上げている
パンツ丸見えのお嬢様を俺がセクハラしているようにしか見えないだろう。
「おい! 一体どうし……た……」
そして、お嬢様の悲鳴を聞いて駆けつけた教師に都合よく今のシーンを目撃される。
俺、どうみても変態です。本当にありがとうございました。
「……さて、野上。先生と一緒に生徒指導室まで行こうか?」
「全力でお断りします」
キリっとした瞳で断る。俺は何も悪くない。
「なぁに、遠慮するな! 夜まで徹底的に話し合おう! お前の父さん母さんを交えて!」
「トウサンとカアサン、旅行で出かけているヨ」
「はっはっは!嘘はいかんなぁ! さあ、行こうか! ご両親に迷惑かけちゃいかんぞぉ!」
「嫌だぁぁあああー―――! 行きたくないー――――ッ!!」
ずるずると教師に引きずられ、そのまま校舎の方へ強制的に移動させられる。
お嬢様の周りには人だかりが出来ていた。何やら慰めと怒りの声が聞こえてきた。
どうやら俺は変態のレッテルが貼られることになるようだ。
ああ、終わった。俺の高校生活終わった。ていうか俺何もしてないんですが。
意気消沈しながら、地獄の裁判所へ送られようとしている所に、救いの手が伸びた。
「ま、待って下さい先生!野上さんは、その……」
人ゴミを掻き分けて、お嬢様が駆け寄ってくる。
「ん、どうした?」
「あ、あの、野上さんはただ……」
お嬢様は説明しにくそうにオロオロしていた。
自分からパンツ見せたんだから、説明しにくいのだろう。
ていうか、説明なんてどうでもいいから、早いところ誤解をといてくれ。
「わ、わたしのスカートについてた虫を取ろうとしただけで、やましいことは、何も……」
「そ、そうなのか?」
「は、はい……」
お嬢様は顔を赤らめながら、返事をした。
そんな風にもじもじするくらいなら、最初から誤解を招くようなことするな……。
「そうか、俺はてっきりこいつがセクハラでもしたのかと思ってな!」
「先生、疑いが晴れたんなら、解放ほしいんですが」
「おっとっと!いやあ、誤解してすまなかったな!」
すまなかったじゃねーよ、人の話を聞かずに変態扱いしやがって。
このことはいつかPTAにチクってやるからな、ダメ教師め。
教師は満足そうに校舎へと戻り、周りでヒソヒソ話をしていた奴らは、
バツが悪そうにその場を離れていった。この野次馬共め。
「あ、あの……大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃねーよ! お前のせいで俺の評価はズタボロだ! どうしてくれる!」
そう、いくらこいつが誤解を解いたからといって、俺の評価が良くなるわけじゃない。
もはや全校生徒にとって、俺=変態というのは公式設定になっているだろう。
彼女ができないのは当然、友達も離れていくかもしれない。
「う……。も、申し訳ありませんでしたわ……」
「謝ってすむ問題か、ちくしょう!」
「むぅ……じゃ、じゃあどうすればいいんですの?」
「責任をとれ、責任を! 慰謝料とか、金とか、あるだろ、ほら! 損害賠償とか!」
金持ちから金を要求する。これは当然の権利だ。さあよこせ。
「……弱みに付け込んで、金を要求するなんて最低ですわ」
「うっ!」
あ、あれ? 俺別に悪いこと言ってないよね?
なのになんでコイツの言ってることが正しく聞こえるんだろう。
「じゃあ、何もないっていうわけ!? 俺はもはや、彼女はおろか、友達すら……」
「ああもう! それじゃあ私があなたの恋人になりますわ!」
……はい? あれ、ちょ、何言ってるのこの人、大丈夫?
「ちょ、ちょっと待て! 何でそうなる!」
「せ、責任を取れと言ったのはあなたでしょう?」
確かに責任取れとは言ったが、彼女になれなんて一言も言ってないのですが。
ていうか、責任を取る=恋人になるって、お前……。
「その理屈はおかしいだろ……」
「そ、それにあなただって……わ、わたしのパン……うぅ……」
なんかスカートの前に手を置いてもじもじしている。
パンティーがどうした。あれはお前が勝手に見せたんだ。
俺が見せてくれと、どこかの変態ばりに頼み込んだんじゃない。
「とにかく、あなただって私の下着を見たのですから、責任はとってもらいますわ!」
「だからあれはお前がみせたんだよ! ていうか、何の責任だ何の!」
思い切り反論したが、そのままそそくさと行ってしまった。
なんだか凄い面倒なことになってしまった……。どうしよう。
ちなみに校門で口論していたため、思い切り注目の的になっていたのは言うまでもない。
周りからは、パンツがどうとか下着がどうとかいうヒソヒソ話が聞こえてきた。
もう、なんていうか、俺=変態でいいです……。
ちなみにこの一件で俺の周りには友達はおろか知人的ポジションすら失ったのは言うまでもない。