──恥ずかしい……。
歩くと乳房が揺れる。ブラウスとタンクトップに隠れてはいるものの、ぷるぷると震えて
いるのは誰の目にも明らかだ。
スカートを捲れば晒されてしまう秘処はとろとろに濡れている。
それどころか、ぬるぬるとした感触は内腿にまで伝わってしまっている。スカートの中の
空気が揺れ、ひんやりと感じられる。
──垂れちゃったらどうしよう……。
更衣室を出て、擦れ違う三年生たちの奇異の視線に耐えながら校舎に入った私は、
一階のトイレへと急いだ。
空調の涼しい風が、腿に伝う雫をいっそう意識させる。
──急がないと……。
早足に進むが、胸が激しく揺れて刺激されてしまい、雫がさらに溢れ出す。
学校でこんなにもそこを濡らしてしまっている自分は、なんて淫らなのだろうと思う。
三年の男子たちの下品な会話を聴きながら、クラスメイトに身体を許し弄ばれる自分を
妄想していた私は、なんといやらしい女の子なのだろう。
羽山君に責められ、保健室で自慰をしてしまい、笹野先生にもされておきながら、今も
また熱く潤ませてしまっている。
ドアを挟んでいたとはいえ、向こう側には三年生の先輩がいたというのに、乳房を揉み、
乳首を抓んでしまった。スカートを捲り上げ、雌蕊に指を伸ばしてしまった。
ブラを着けていない事が、クラス中に知れ渡ってしまった。保健室に現れた三年生にも
気づかれていた。今頃は、より多くの生徒たちに、私の噂が広まっている事だろう。
数人の生徒や教師と擦れ違う。彼らの全てが、私がブラをしていない事を知っているの
ではないかと思ってしまう。
それどころか、ショーツも穿いていないのだと気づかれ、スカートを捲り上げられて
しまうのではないかとまで思ってしまう。
淫らな気持ちが抑えられない。いやらしい事ばかりが浮かんでしまう。
恥ずかしいのに、恥ずかしさが身体を熱くしてしまう。
乳房が揺れて生地に擦れた突起が、もっと刺激して欲しいと言っているようだ。
スカートの下の剥き出しの秘処が、自分も刺激して欲しいと言っているようだ。
今ここで、乳房を揉んでしまったらどうなるのだろう。
下から持ち上げるように、大きな乳房を強調させてしまうのだ。ブラウスに浮き上がった
乳首を抓み、くりくりと指で転がすのだ。
スカートを捲って、秘処を露にしてしまったらどうなるのだろう。
制服のスカートを持ち上げて、とろとろになったそこを露出させてしまうのだ。指を伸ば
して蕾に触れ、びくびくと身体を震わせながら嬌声を上げるのだ。
──廊下でそんな事……。
生徒や教師が歩いている廊下で、こんな想像をしてしまうなんて──
身体中が熱く火照り、タガが外れてしまいそうだった。
そんな事になってしまう前に、理性を保っていられるうちにトイレに入らなければ──
あとほんの数メートルの距離が、永遠にも感じられる。
行き交う生徒に、ちらりと視線を向けられただけで、びくんと震えてしまう。そんな視線
ですら、私の身体を刺激する力になってしまっている。
もし今私が教室にいたのなら、三十七人七十二もの視線を浴びて、全身を震わせて達して
しまうのではないだろうか。だらだらと涎を垂らしながら、淫らな露を滴らせ、びくびくと
四肢を痙攣させて──
ふらふらと歩きながら、ようやくトイレの前に辿り着いた。
一階のトイレは普段あまり使われていない。壁に手をつきながら一番手前の個室へ入る。
早くこの淫らな気持ちを拭き取ってしまわなければならない。
ロールペーパーを三十センチほど引き出す。折り畳んで右の掌に乗せ、左手でスカート
を捲って和式の便器を跨ぐと──
ぴちゃ、と小さな音が響いた。
──垂れちゃった……。
こんな事は初めてだった。
そこから溢れた淫汁が脚の付け根を濡らす事はあったが、零れ落ちるほどになった事など
初めてだった。
つまり、私がそれほどにまで淫らになっているという事なのだ。
無意識に──
掌に乗せたペーパーごと右手でスカートを握り、空いた左の指を伸ばしてしまう。
「ひゃぅっ!」
触れた瞬間、驚くほど大きな声が出てしまった。
冷や水を浴びせられたように身を縮めた。
自分の発した嬌声のおかげで、理性が戻ってきた。
淫らな気持ちがすっかり消えてしまったわけでもないが、判断力が持ち直しただけでも
よしとするべきなのだろう。
耳をそばだて、周囲を窺う。
──大丈夫、誰もいない……。
トイレの中に人の気配は無かった。あまり使われない一階のトイレでよかった。ここが
各学年の教室のある二階から四階までのトイレだったら、きっと今の声は誰かに聴かれて
しまっていただろう。
そんな事にならなっていたら──
──ダメダメ、また変な事考えちゃう。
くしゃくしゃになったペーパーを内腿へと当てて雫を拭う。
便器に落として、もう一度ペーパーを引き出した。
自分のものとは思えないほどに濡れそぼった秘処を、丁寧に拭ってぬめりを取る。
火照った身体はペーパーの刺激に反応してしまう。
ぴくぴくと震えてしまうが、刺激に身を任せてはいけない。
しかし、拭っても拭っても溢れてくる。
いっそこのまま最後まで達してしまえばと思ってしまう。
──流されちゃダメ……。
そんな気持ちをなんとか堪え、痛みを覚えるぐらいにまで拭い取った。
──ひりひりする……。
こすりすぎて粘膜が炎症を起こしてしまったかもしれない。
じんじんと痛むが、これ以上淫らな気持ちになるよりはましだった。
積み重ねられたくしゃくしゃのペーパーと一緒に、そんな気持ちが流れていってしまえば
いいと思いながら、流水レバーを下ろした。
スカートを調えてドアを開けると、チャイムが鳴った。
五時間目が始まってしまったようだ。
──次は、たしか……。
国語だった。
担当の教師は、杉山──
線が細い割に角張った印象を受ける杉山という男性教師は、見た目通り融通の利かない
性格のようで、授業時間をオーバーして休み時間を潰してしまう事がしばしばあった。
当然、生徒からは疎ましがられ、まだ二十代半ばと若いこともあって、陰では新米や素人
などと、あまり好ましくない呼ばれ方をされていた。
杉山はもう教室にいるだろう。いつも、チャイムとほぼ同時にやってくる。
遅れて教室に入ったら、なんと言われるだろう。
水谷のように粘着質ではないし、ねちねちと責められる事も無いとは思うが──
授業中の教室に一人で戻れば目立ってしまう。
クラス中に知られてしまっているし、またみんなに見られるのは恥ずかしい。
──それに……。
ブラウスに突起が浮かんでいる。
また淫らな気持ちになってしまうかもしれない。
三年男子の先輩たちの言葉──クラス中の性奴隷にされてしまう私の姿が甦る。
考えてはいけないと解かっているのに考えてしまう。
きっと、私が淫らな子だからなのだ。
普通の子はこんな想像なんてしないだろう。好きな男の子との関係は妄想したとしても、
好きでもない男子たちに身体を弄ばれる想像なんて、誰がするというのだろう。
ブラも着けず、ショーツも穿かずにクラスメイトの前に出るなんて、そんな子は私以外に
いないだろう──
洗面台で手を軽く流す。
気が滅入る。またこんな格好のままで教室に戻らなければならないのだ。
私は更衣室へ何をしに行ったのだろう。擦れ違う生徒たちの視線に晒され、先輩男子たち
の下らない猥談に身体を火照らせただけだった。
私の下着は、彼女らのうちの誰かのバッグに仕舞い込まれているのだろうか。
だとしたら、誰のバッグだろうか。
楠井舞香──だろうか。彼女は私と同じ小学校の出身で、その頃から私への嫌がらせを
していたのだ。きっと恨みも深いだろう。
脇田千穂だろうか。彼女はグループのリーダー格だし、クラスでも発言力がある。彼女を
敵に回す事は、クラス全体を敵に回すに等しい。
それとも、木嶋深雪だろうか──
いっそ彼女たちに声をかけてみるのも良いかもしれない。
「私の下着を隠したの、あなたたちでしょう?」
そう言ってしまいたい。
彼女らはどんな顔をするのだろう。
きっと──嘲笑われて、逆に辱められるのが落ちだろう。
私一人ではどうしようもないのだ。
助けてくれる人など──
──羽山君なら……。
彼なら、助けてくれるだろうか。
羽山君の言葉になら、彼女らは素直に従うのだろうか。
──羽山君に頼るのはダメだよね……。
確かに彼はさっき、金森から助けてくれたが、また助けてくれるという保証は無い。
私は彼に酷い事をしたのだ。
さっきはきっと、金森の暴挙を止めようとしただけなのだろう。押し倒されたのが私で
なくても、羽山君なら止めに入っていただろうから──
蛇口を閉めて水を止める。
手を拭こうとして、ハンカチが保健室で借りた下着ごと机の中なのを思い出した。
ぷるぷると手を振って水気を飛ばす。
手を振るたびに、胸も揺れてしまう。
──なんでこんなおっきいんだろ……。
この濡れた手で、ブラウスの上から乳首を抓めば、透けてしまうかもしれない。急に降り
出した雨に濡れ、制服がぴったりと張り付いて透けてしまった事があった。その時はブラを
していたからまだ良かったが、今はきっと、鳶色に透けてしまうのだろう──
──またこんな事……。
頭を二、三度振って溜め息をついた。
考えても仕方が無いのだ。私はこのまま教室へ戻るしかない。
そう思って廊下に出ようとした時、外からぺたぺたとだらしない足音が聞こえてきた。
くたびれたスリッパでも履いているのか──五時間目の授業へ向かう教師だろう。
人がいるとなると、躊躇してしまう。
その足音が不意に止まった。
「お〜い、お前そこでなにしてんだぁ?」
低くて太い間延びした声だった。聞き覚えはあるが名前が思い出せない。
──私の事じゃなさそうだけど……?
他に誰がいるのだろう。廊下から人の気配は──
「ちょっと、クラスメイトを待ってます」
──今の、声って!?
すぐそばから聞こえた声は、耳に馴染んだ声だった。
落ち着いた調子の、よく通る澄んだ声色──顔が脳裏に浮かぶ。
「すぐ教室に戻りますから」
──やっぱり……。
間違えようが無い。
羽山君の声だ。
「おぉ? もう授業始まっとるぞぉ」
「はい」
「急いで戻れよぉ。でも、廊下は走るなよぉ〜」
教師は、羽山君を咎めるでもなく、のんびりした声で言った。
「はい、走らず急ぎます」
「階段は気をつけろぉ。転ぶと痛いぞぉ〜」
「はい、転ばないように気をつけます」
「おう、じゃあなぁ〜」
ぺたぺたという足音が外を通り過ぎてゆく。
羽山君が動いた様子は無い
私はぺたぺたが遠ざかるまで待って、トイレを出た。
そこにいたのは、やはり羽山君だった。
羽山君がわずかな微笑を浮かべて私を見た。
「長かったね」
「えっ……」
妙な想像をされているのではないかと思ってしまう。
彼がいつからそこにいたのかは判らないが、もし私がトイレに入った時からいたのだと
したら──
──聴かれちゃった……?
そこに触れたときに漏らしてしまった声──
トイレが長かったという意味ではなく、その声から想像される行為が長かったと──
──そんな……。
彼は、内心を読ませてくれない笑みを浮かべたまま、私を見ている。
どういうわけだか、眼が逸らせない。
恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまうのに、私は彼の瞳から視線を逸らせない。
彼の微笑みが私の心を惹き止めて離さない──
くすりと彼が笑った。
「冗談」
「え……?」
「ちょうど俺しかいなくて良かった」
それは──
「可愛かったよ、声」
「──ッ!」
──やっぱり、聴かれてた……。
羽山君に聴かれていたのだ。
触れたときに出てしまった声を。
そんなにも大きな、廊下にまで聞こえるような声だったのだ。
「わ、私……して、ない……から」
私は何を言っているのだろう。
勝手に言葉が出る。
「ちょっと、だけ……ちょっと、触ったら、声が……」
しなくてもいいのに、言い訳をしてしまう。
「勝手に、出ちゃったの……変な声……」
私の他には彼しかいないといっても、ここは学校の廊下なのだ。
そんなところで、私は何を言ってしまっているのだろう。
自分で自分が解からなくなる。
ふふっと笑った彼の右手が、すっと持ち上がった。
首を竦ませた私の頭に、ぽんと乗せられた。
「触っちゃったんだ?」
「ちょっと、だけ……すこしだけ……当たっただけ……」
頭を撫でられる。
親に責められている小さな子供のようだ。
「してもいいのに」
「え……えっ?」
気が付けば、彼の左腕で腰を抱かれてしまっている。
咄嗟に身を縮ませると、ぐいと抱き寄せられ、彼の肩口に顔を押し付けてしまう。
「胸、柔らかい」
「あっ、や……」
彼の右手が私の首にふわりと巻きつき、優しく抱き締められる。
幻ではない。
彼はまた、私のもとに現れてくれた。
私は彼を突き放してしまったのに、彼の差し出してくれた手を払い除けてしまったのに、
彼は教室で私を金森から助けてくれた。
今、どうして彼がここにいたのかは解からないが──
彼の体温が布越しにはっきりと感じられる。
「こうされるの、嫌?」
耳元で囁く彼の言葉が、私の心を揺るがせる。
「……嫌じゃ、ない」
「こういう事も?」
腰に回された彼の手がするすると下がり、スカートの上からお尻に触れた。
──ここ、廊下なのに……。
ぴくんと震えてしまう。
小さな丸みを確かめるように、ゆっくりと撫でられる。
首に回された手が髪を撫で、耳たぶをくすぐられる。
ぞくぞくと震えて、私もまた、彼の身体に腕を回してしまう。
私には、彼のようにストレートに大胆に抱く事はできないが──
おそるおそる腰を抱き、ワイシャツをきゅっと握った。
いつまでもこうしていたいと思った。
「パンツ、まだ穿いてないんだ?」
スカートの下にショーツの感触が無いのに気づいたのだろう。
彼はきっと、私が保健室でショーツを借りたと思っていただろう。それなのに今の私は、
相変わらず下着を身に着けていない。
「う……うん」
「借りられなかったの?」
「借りた……けど……」
「けど?」
──恥ずかしい……。
便器に落としてしまったなんて──
彼のワイシャツを握る手に力が篭もる。
「わ、私……」
「うん?」
頭を撫でられる。
お尻に触れていた手は、腰に戻っている。
彼の身体が温かい。
「私、せっかく、借りたのに……」
言いたくない。便器の中に落としてしまったなんて、馬鹿みたいではないか。
「ごめん、なさい……」
「なんで謝るの?」
彼が私の耳元で苦笑した。
「だって……」
「ノーパンが癖になった?」
「そんなっ──!」
そんなわけない。癖になるなんて──
でも、ほんとうにそう言えるのだろうか。
下着を盗られて以来、ずっと淫らな気持ちに囚われている私は、ほんとうはこの状態を
望んでいるのではないだろうか──
そんな事は無いはずなのだが、違うのだと言い切れない。
「冗談」
彼がぎゅっと私を抱き締めた。
どこまで本気なのか解からない。
けれど、このぬくもりは本物に違いない──
「パンツ……」
「うん?」
「落としたの……トイレに」
「トイレに?」
「うん……トイレに落としちゃって、穿けなくなって……」
「……そっか」
髪を撫でられる。
ほんのりと香る彼の汗の匂いが心地良い。
「ドジだなぁ、夕菜は」
「う、うぅ……」
くすりと笑う羽山君。
笑われて恥ずかしいのに、名前で呼ばれて嬉しい。複雑だった。
「これからどうしようか」
「え?」
「教室戻ったら、またみんなに見られちゃうだろ?」
「……」
自分で解かっていても、改めて言われると、余計に意識してしまう。
またクラスメイトの視線に耐えなければならない。
授業中に、よからぬ妄想に耽って身体を熱くしてしまうかもしれない。
ショーツの無いままで、さっきのように零れるほどに潤ませてしまっては、スカートに
大きな染みを作ってしまいかねない。
そんな事になったら、席を立つことすらできなくなってしまう。
「見られたい?」
「えっ──」
「見られて、感じちゃうんでしょ?」
──そんなっ、そんな事……。
彼の手が、スカートを捲ってゆく。
午後の授業が始まり、周りには羽山君と私以外に人の気配はない。
だが、ここは一階の廊下なのだ。ほぼ東西の方向に延びた校舎の、百メートル近くも
続いているまっすぐな廊下なのだ。
そんなところでスカートを捲られてしまう。
スカートの下には、肌を隠すものが何も無いのに──
「は、羽山君……」
「大丈夫、誰も見てない」
「でもっ」
正面から抱き締められている私には、自分の後ろ側はまったく見えない。彼がそちらへ
と注意を向けているであろう事が解かっていても、不安で身体が震えてしまう。
彼は、ふふっと笑って手を止めた。
「エッチな気分、続いたままなんだね」
「そんな……」
「あのあと、保健室で何があったの?」
「えっ──」
羽山君の気持ちを踏み躙り、独り保健室に残った私──
彼を想って自慰をしてしまった。
笹野先生に責められ、達してしまった。
それを説明するなんて──
「夕菜、昼休みになるまで戻ってこなかった」
「……」
「笹野先生に、されてた?」
「──ッ!」
──気づかれてた……?
いや、違う──
彼の耳にも、笹野先生の噂は届いているだろう。生徒を喰っている──更衣室の前で
三年の先輩たちが話していた事からも、その噂は事実なのだ。
もしかしたら、羽山君も彼女と──
「俺もされそうになった事あるよ」
なった事ある──けど、しなかった、という事なのだろう。
彼は私を責めた時、その手の行為は知識だけだと言っていた。
「笹野先生の噂、知ってるでしょ?」
「……うん」
「夕菜は、されたの?」
「わ、私は……」
されてしまった。彼女の指に身体を震わせ、達してしまった。
でも、それを彼には言いたくない。好きな人を目の前にして、そんな事をされただなんて
とても言えない。
「夕菜──」
彼の両手が私の肩を掴み、正面から向き合う。
羽山君のいつもと変わらぬ微笑が、私の眼を捕らえて離さない。
「夕菜は、可愛いなぁ」
「羽山君……」
見つめられるだけで、くらくらしてしまう。とろけそうなほどの穏やかな視線──
吸い込まれそうになって、眼を開けていられない。
刹那、唇が──
「んっ……」
温かくて柔らかい。
──キス……こんなとこで……。
ちゅっと音を立てながら、彼の唇が触れては離れ、離れては触れを繰り返す。
小鳥が木の実を啄ばむように──
ふらふらとよろめきそうな私を、背中に回された腕が支えてくれる。
「んっ、んぅ……」
ミントの香りが口に広がる。彼の舌が、私の唇を割って侵入してきた。
「んぅ……ふぁ」
くちゅ、と小さな音がした。
彼の舌と、私の舌とが触れ合う。
肩と腰を抱かれ、逃げる事は叶わない。
いや──私には逃げる気など無い。
自ら、彼の舌を求めてしまっていた。
二人の舌が絡み合う。
彼はまだ私を想っていてくれた。
あんな風に突っ撥ねてしまった私を、こうやって抱き締めて、深いキスをしてくれる。
私はなんて愚かだったのだろう。
彼はこんなにも私を想ってくれていたというのに──
自分の事ばかり考えて、彼を信じられなかった。今まで彼が助けてくれた事が無いから
といって、保身に走ってしまった自分が情けない。
私だって──
他の男の子たちとは違う雰囲気をもつ彼に、一方的に密かな想いを密かに抱いていた
だけだったではないか。気持ちを表に出さずとも、彼に手助けした事など一度も無かった
ではないか。
いくら彼が優秀で抜きん出ていると言っても、同い年の男の子なのだ。彼にだって、でき
ない事はいくらでもある。
さらりと受け流してしまうが、彼もからかわれる事があったし、上級生や、たちの悪い
教師から無理難題を吹っかけられる事もあった。
それを見ていた私は、彼になにかしただろうか──
なにもしてはいない。
自分には関わりが無いと、眼を逸らしていたではないか。
なのに、自分の事を棚に上げて、彼にはそれを求めるなんて。
──私、やっぱり自分勝手だ……。
頭の中で、くちゅくちゅと響く音が不意に止んだ。
「どうした?」
唇が離れ、眼を開けると、彼が心配そうに覗き込んでいた。
頬を伝う感触──
涙だった。
「夕菜?」
伝い落ちる雫を、彼の指がそっと拭う。
「羽山君……」
「うん?」
彼に謝らなければ──
「保健室で、私……ごめんなさい」
「夕菜──」
「私、羽山君に助けてもらって……なのに、私……」
眼を逸らしてしまいたい。
でも逸らしてはいけない。
彼の眼を真っ直ぐに見ながら言わなければ、嘘になってしまうような気がした。
「ごめんなさい、羽山君。私……」
彼は黙って私の眼を見つめ返している。口元に、ほんのわずかな笑みを湛えて。
「私、自分が可愛くて、羽山君を、傷つけた」
「……」
「だから……ごめんなさい」
彼が眼を伏せる。
ゆっくりと瞼が閉じられ、少しだけ首を傾げ、眼を開いた。
「俺、すごくショックだったな」
「──ッ!」
身体中の血液が、一瞬にして凍りついたようだった。
彼の腰にまわしていた腕が、ずるずると落ちてゆく。
「夕菜は俺の事、好きなんじゃないかなって思ってた」
抑揚の無い声だった。
私は顔を伏せた。
彼の言葉を正面から受ける事なんてできなかった。
「階段であんな事したのに、本気で抵抗されなかったし……いや、それ以前から、夕菜が
俺の事を好きなんじゃないかって思ってた」
淡々と続ける彼。
ここから逃げ出したい。
けれど、脚が竦んで動けない。立っているだけでやっとだった。
「保健室で胸まで見せてくれた時、やっぱりそうだったんだって思った」
聞きたくない──
「なのに、あんな事言われて──」
彼の言葉をこれ以上聞いたら、私は──
「……ごめ……なさ……」
俯いたまま、だらりと下げた両手を握り締めて言った。
かすれて、声にならなかった。
「ごめんなさい……」
もう一度言った。
「夕菜──」
彼の声が、耳元で──
私は、抱き締められていた。
「俺の話、まだ途中だってば」
「羽山君……?」
声色が、変わった。
「ここからがいいところなんだからさ」
凍りついた私の身体を優しく解かしてくれるような、冗談めかした声音だった。
「あんな事言われてさ、俺、ショックだったんだよ」
彼の手に、髪を撫でられる。
「ああ、俺は失恋したのかな、って」
口元に浮かんだ笑みは──自嘲、だろうか。
「それで、気づいた」
髪を撫でていた指が、すっと頬に触れた。
「──本気だったんだな、俺、ってね」
羽山君は、私を──
本気だったと言った彼の言葉は、震えているように思えた。
「俺、昔は泣き虫だったんだよ。だから──」
──羽山君が、泣き虫……?
今の彼からは想像ができない。
けれど、ならば、だとしたら──
「あの時、俺ほんとは、泣きそうになっちゃってね」
振られて泣くなんて、かっこ悪いだろ? と彼は笑った。
あの時彼は、泣きそうな自分を見られるのが嫌で、背を向けたという事なのか──
「色々と鍛えられて……もう泣く事なんて無いと思ってたのになぁ」
独り言のように呟く。
濡れた頬を撫でる指も、私を抱き締めている身体も、わずかに震えているようだった。
「教室まで独りで戻る間……正直言って、寂しかったな」
ほんとに泣きそうだったよ、と続けた羽山君の指が、私の涙の痕を拭う。
ならば──
──同じなんだ……。
私も──寂しかった。
自分の言葉に悔やみ、やりようのない気持ちを、自ら慰めて誤魔化した。
「まぁ、当たり前だよね」
彼の身体が離れる。
両手で頬を挟まれ、上を向かされた。羽山君の、照れたような笑みがそこにあった。
「あんな事されて、好きなんて言われても、信じられないよな。夕菜は謝らなくていい」
彼ははにかんだように少しだけ眼を逸らした。
手が離れ、彼が背を向ける。
背を向けたまま、天を仰ぎ──
「でもさ、俺って諦めが悪いんだ」
どういう意味かと思う間も無く、彼が振り向いた。
「何度でも言うよ」
透き通った暗褐色の瞳に、真っ直ぐに見つめられる。
「俺は、夕菜の事が好きだ」
はっきりとした、曇りの無い言葉だった。
私は遠回りをしてしまっていたのだ。
今なら確信できる──彼はこんなにも、私のことを想ってくれていたのだ。
「夕菜、好きだよ」
「羽山君……」
もう迷う事などない。
思うままを口にしよう。
私は素直に、その言葉を紡ぐ──
「私、羽山君の事が……好き」
二人の唇が、重なり合った。