「おっ、羽山どうしたん?」  
 男子の声に、深雪は顔を上げた。  
 あと少しで弁当を食べ終えようという時、恭也が教室に戻ってきた。  
 深雪が顔を向けた時にはもう、恭也は深雪の眼を捉えていた。  
「深雪、ちょっといい?」  
「え?」  
 突然声をかけられ、深雪は戸惑ってしまう。  
 勘の鋭い彼の事だ。夕菜の下着を自分たちが隠したのだと気づき、追及しようというの  
かもしれないと、不安に駆られる。  
 それとも──自分の秘密の趣味を知られてしまったのだろうかとも思う。  
「まだ途中か。食った後で良いよ。俺も途中だしさ」  
 え、そう? という、呆けたような深雪の返事に恭也は苦笑する。  
「さっさと食えよ。込み入った話になるかもしれないし」  
 深雪は、心臓を鷲掴みにされたようだった。  
 そんな彼女を気にも留めない様子で、恭也は自分の席に戻ってしまう。  
「お前どこ行ってたんだよ?」  
「トイレだよ」  
「なんだ、うんこか」  
「そんなとこ」  
 男子の台詞は下品だったが、恭也は意に介さず、食べかけの弁当を突付き始めた。  
「ねぇ、ちょっと深雪。今のって……」  
 隣にいた楠井舞香に囁かれ、深雪は我に返った。  
「羽山君、気づいてるんじゃ……」  
 彼女もそう思っていたのかと、いっそう不安になる。  
「何も言わなきゃ判んないって」  
 しかし、机を合わせている脇田千穂は、さらりとそう言った。  
 舞香は、小柄で可愛らしい顔立ちと幼い体型の所為か、小学生に間違われる事も多い。  
甘え上手で男子にも人気が高い。だが、彼女こそが、深雪に夕菜へのマイナスイメージを  
植え付けた張本人だ。  
 一方の千穂は、すらりと背が高く、凛とした美貌の持ち主で、アイドル顔負けの美少女  
だった。何事もはっきりと自分の意見を出すタイプで発言力があり、彼女を敵に回す事は、  
クラスメイト全てを敵に回すのに等しい。  
 千穂は深雪とは小学生の頃からの付き合いで、家が近所だったのもあって、よく一緒に  
遊んでいた。舞香とは中学になってから知り合ったのだが、同じテニス部で席も近かった  
ため、よく喋るようになり、入学してひと月もする頃には、三人はグループを形作って、  
夕菜に対する攻撃をするようになった。  
「うん……そうだよね」  
 深雪は千穂の言葉に頷いたが、どうにも調子が狂っているのを自覚していた。  
──あんな姿を見ちゃったから?  
 脚を広げて尻餅をついた夕菜の姿が頭をよぎる。はっきりとは判らなかったが、夕菜は  
竜介に秘処を見られてしまったかもしれないのだ。  
 深雪があんな提案をしなければ、夕菜はそんな目に合わなかったかもしれない。深雪は  
夕菜の事を嫌っているが、どうしてなのかと問われれば、答えに詰まってしまう。  
 舞香がそう言っていたから。千穂もああいう子は気に入らないと言ったから──  
 その程度なのだ。出所は、深雪自身の意思ではない。  
 中学生になり、初めてのクラスに幼馴染みの千穂がいたのは嬉しかった。クラスの大半  
が知らない顔で心細いところに、仲の良い千穂がいてくれたのは、えもいわれぬ安堵感を  
与えてくれた。  
 千穂がテニス部に入るというので、自分もそうした。一年生は基礎練習と玉拾い、用具  
の手入ればかりで、部活のメニューは大して面白くもなかったが、部員たちとのお喋りは  
楽しかった。  
 ちっちゃくて可愛らしいクラスメイト、舞香とも部活を通じて仲良くなった。  
 舞香は、深雪の斜め前の席の夕菜の事を嫌っていた。確かに、地味でおとなしく、少々  
とっつき難い子だとは思っていたが、胸の大きな暗い子、という程度の認識だった。  
 舞香を中心に夕菜への風当たりが強まり、深雪もなんとなく一緒に夕菜を疎外している  
うちに、夕菜を疎む気持ちが大きくなっていった。  
 千穂がクラスでの発言力を高めていくのも手伝って、深雪たち三人は夕菜虐めの急先鋒  
のような立ち位置になっていた。  
 深雪の席が今の位置──教室の後の出入り口の近く、千穂の斜め後ろ──になった  
のは、ついひと月ほど前であり、千穂の影響力の強さを表していた。  
 
──別に、あの子がどうなろうが、私の知った事じゃ……。  
 夕菜の最初の印象は、自分より胸が大きい、というものだった。  
 中学に上がったばかりとしては、深雪もかなり目立つサイズだ。  
 深雪も小学生時代には、その膨らみをからかわれる事もあったが、夕菜と違って深雪は  
大きな胸に嫌悪感を抱いた事は無い。むしろその逆で、表に出す事はなかったが、同級生  
よりも大きい事に優越感を持ってもいた。  
 それに、そばにはいつも千穂がいたため、虐められるという事が全く無かった。  
 深雪は、虐げられる側に回った事が無い。からかわれる事ぐらいはあっても、夕菜の  
ように、クラス中からそっぽを向かれるような状況は経験していないのだ。  
 故に、夕菜の気持ちなど考える事も無く、彼女に辛く当たる事に抵抗が無かった。  
──でも、やっぱり……。  
 あんな場面を目の当たりにしてしまって、そんな彼女も良心の呵責を覚える。  
 竜介の行動は予測も理解もできなかったが、自分が発端となったようなものなのだと  
思うと、あんな案を口にしなければ良かったと後悔する。  
 と同時に、夕菜に同情している自分を意識し、複雑にもなる。  
 下着を着けていない夕菜と、人に言えない趣味を持つ自分とが重なり合う。  
 家の近くのごく短い距離を歩く間だけの、誰にも言えない秘密の趣味──  
 一度だけ、独りで遠出した時に試した事もあった。  
 今年のゴールデンウィークのある日、千穂と出かける予定だった深雪は、彼女が急な  
用事でキャンセルになってしまったおかげで、しおれた気持ちを持て余していた。  
 舞香を始め、親しい友人は軒並み家族で旅行中なのを知っていたし、兄も学生時代の  
友人と集まるとかで留守だった。  
 家にいてもつまらないと、深雪は独りで駅に向かった。繁華街方面に向かうつもり  
だったが、なんとなく、反対方面行きの各駅停車に乗ってみた。  
 がらがらの座席に腰を下ろし、バッグを膝の上に置いてぼーっと揺られていると、  
通路を挟んで反対側に座っていた大学生ぐらいの青年の視線に気づいた。  
 彼は携帯電話を弄びながら、ちらちらと深雪に眼を向けていた。  
 それもそのはず、その時穿いていたスカートは、深雪の手持ちで一番短く、バッグが  
無ければ容易く下着を拝めるほどだったのだ。Tシャツにパーカーを羽織っただけの  
上半身も、中学生になったばかりにしては大きい彼女の胸が目立っていた。  
 若い男が彼女の剥き出しの健康的な膝と、幼いながらもふくよかな膨らみに眼を奪われ  
てしまったのもむべなるかな──  
 深雪は、男の視線を気にすれば気にするほど、危険な想いに駆られてしまった。  
 脚を開けば見られてしまうだろうか。バッグをどければ見えてしまうだろうか。見られ  
たらどうなってしまうのだろうか──兄の成人向け雑誌で見た、いくつもの淫らな場面が  
浮かび上がった。  
 それらをかろうじて押し留め、平静を装っていた。  
 窓の外は、高層建築と低層住宅のひしめくごみごみした住宅街から、次第にのどかな  
郊外の景色へと移ろっていった。  
 やがて青年は電車を降り、その車両にいるのは、深雪から離れたところにいる数人だけ  
となった。  
 深雪は、少しだけ脚を広げた。さっきまでいた青年に見られているところを、その先  
までもを想像し──官能的な昂ぶりに支配され、湧き上がる熱を抑えられなくなった。  
 家を出てからおよそ一時間の後、深雪は、一度も降りた事の無い小さな駅のホームに  
立っていた。  
 改札口の手前にあったトイレに入り、ショーツを下ろした。そこは驚くほどに潤んで  
いて、淡いピンクの生地に大きな染みを作っていた。  
 深雪は高鳴る鼓動を聴きながら、ショーツを脱いでしまった。  
 股下が十センチ程度しかないデニムのスカートだ。ローライズのヒップハングだから、  
下ろして丈を稼ぐ事もできない。  
 そんなあられもない姿で、深雪は知らない町を歩いた。  
 駅前商店街だというのに人影は疎らで、所々に畑が見えたりもする小さな町は、深雪の  
育った都心に近いごみごみした街とは大違いだった。祖父が暮らす山間の田舎町とも違い、  
異界にでも迷い込んだような気にさせられた。  
 深雪は羞恥に頬を染め、濡れた秘処をさらに潤ませて、ふらふらと彷徨った。  
 一度、ふらつく脚が縺れて転びそうになった時は、心臓が飛び出るような思いだった。  
 見慣れたファーストフードを見つけ、安心したようながっかりしたような気分でポテト  
とコーラを注文した。  
 それを口にするより先に、深雪はトイレに向かった。  
 呆れるほどに濡れそぼった秘処に触れると、あっけなく達してしまったのを憶えている。  
 
 深雪はそんな性癖を、一番の親友である千穂にも話していない。その切欠を作ったとも  
言える兄にだって話した事は無い。話せるはずも無い。自分一人だけの真の秘密なのだ。  
 恭也にだって知られたくない──  
 幼い頃を知っている恭也にだって、こんな自分を知られたいとは思わない。  
──あたしが、こんなエッチな事してるなんてばれたら……。  
 どう思われるのだろうと、不安になる。  
──きっと軽蔑されちゃうよね……。  
 いや、既に軽蔑されているのかもしれない。  
 恭也は勘が良い。洞察力が鋭い。きっと──  
 舞香の言葉が甦ってきた。  
──恭ちゃん、気づいてるのかなぁ。  
 バッグの中の夕菜の下着──  
 男子の中には夕菜の身体に触れたりするような者もいたし、彼女らも多少はそういった  
嫌がらせをした事もあったが、中心になっていたのは、いかにもこの年頃の少女らしい、  
精神的な、社会的な虐めだった。  
 いや、虐めなんてものはどんな年代であっても大した差は無いのだろうが──  
──もし、気づいてたら……どうしよう。  
 今現在、深雪たちのグループは千穂のおかげでクラスの主流派であり、彼女らに敵対  
しようとする者は誰もいない。  
 だが、千穂に対抗しうる存在を敵に回したとなると、話は別だ──  
 向かいに座った千穂は、空になった弁当箱を包み直していた。  
 猫をモチーフにしたキャラクターの描かれたハンカチは、凛としたイメージの千穂とは  
結び付き難いが、彼女が幼い頃からそれに目が無いのを、深雪はよく知っていた。  
 千穂はいつもと変わらず、悠然とした佇まいをしている。  
 なのに──深雪は、どこか違和感を覚える。  
 よく見れば、千穂の眼はほんの僅かに潤んでいる。  
──千穂……動揺してる?  
 原因が、さっきの恭也の台詞にある事は考えるまでも無かった。  
 千穂もまた、恭也が夕菜を二度も庇ったのを目にしているのだ。  
 恭也はあまり表に出ないタイプだが、男女どちらからも一目置かれている。中学生とは  
思えぬ泰然とした雰囲気は、きりっとしていて物怖じしない千穂とも通ずるものがあるが、  
あまり人と連まないところは大きく違っていた。  
 恭也にもそれなりに仲の良い友人はいるが、千穂と深雪のように、べったりというわけ  
ではない。男女の違いもあるだろうが、群れるのが苦手という彼の性質でもある。  
 一匹狼と言ったら大袈裟だろうが、それでいて、周りとも上手くやってゆける。  
 それは彼の心の強さであり、人望の高さも物語っていた。  
──恭ちゃんが、もし……。  
 夕菜の側に立ったのだとしたら、深雪たちに宣戦布告したのならば──  
 千穂は、自分たちが砂上の楼閣にいるも同然だと理解している。  
 舞香もまた、無意識的に悟っていたし、深雪も漠然とした恐れを抱いていた。  
 だからこそ、舞香は恭也の態度に不安を表し、千穂も動揺しているのだ。  
──恭ちゃん、やっぱりあの子の事が……。  
 認めたくない。たとえクラス全員を敵に回しても、それだけは認めたくない。  
 自分の立場がどうなろうと、恭也の心を夕菜に奪われてしまうのだけは我慢できない。  
 しかし、深雪自身にも解かっていた。  
 彼の心が、夕菜へと向いている事を──  
「そ、そういえばさっ、昨日のあれ見た?」  
 唐突に、舞香が不自然なほどに明るい声を上げた。  
「あっ、見た見た!」  
 深雪は心の中で感謝し、彼女に倣ってわざとらしいくらいに明るく応えた。  
 舞香のこういうところに深雪は時々感心する。いつもはきゃいきゃいと騒がしいだけに  
見えるが、話題の転換が巧いというか、空気を入れ換えるのが巧いというか──  
 場を読む力に長けているのだろう。それは深雪には真似できない事だった。  
 千穂もまた、舞香のそんなところに感謝していた。  
 三人は、鼻先の問題から眼を逸らそうと、テレビドラマの話題に花を咲かせた。  
 深雪は直前までの暗澹とした気分が吹き飛び、ドラマの主演を務める男性アイドルと、  
ヒロイン役の女性アイドルとの噂話にのめり込んでいた。  
 夕菜が教室を出て行った事など気づきもせず──  
「深雪、もういい?」  
 恭也の声に驚き、がたんと大きく椅子を鳴らして笑われてしまった。  
 
 深雪は、恭也に連れられて席を立った。  
 縋るような眼で千穂を見たが、眼を伏せた彼女は、深雪の視線に気づかなかった。  
──千穂っ、助けてよぉ!  
 自分がピンチの時には、いつも傍にいてくれた千穂が、今は助けてくれない。  
 彼女が意図的に逃れようとしているのではないとは解かるのだが、恨めしく思う。  
 教室を出て、廊下を並んで歩く。  
 廊下には多くの生徒が出て、お喋りに興じたり、よくわからない遊びで盛り上がったり  
していた。それぞれの教室からも、がやがやとざわめきが溢れている。  
「何の話か、判るよな?」  
 深雪はびくりと肩を竦ませた。  
 恭也の声は普段と何も変わらないのに、詰問されているような気になってしまうのは、  
深雪の心に疚しさがあるからだ。  
 深雪は答えられずに無言のままだった。  
 恭也もそうと予測していたのか、何も言わずに歩き続ける。  
「こっちだよ」  
 階段へと折れ、二人は登ってゆく。  
 屋上へ抜ける階段は、誰も通らない。この季節は空調の利き難いそこへ生徒が来る事は  
ほとんど無い。  
 顔を上げると、深雪の視界に一人の男子生徒の姿が映った。  
「あれ? まだいたのか」  
「あ、は、羽山君……」  
 見知った少年が座っていた。太り気味でがっしりした体格の、陰気なクラスメイト。  
 アニメや漫画、ゲームなどのオタク趣味に傾倒し、ぼそぼそと聞き取り難い声で喋る彼を、  
深雪は嫌いだった。クラスの誰もが、彼に良いイメージを持っていない。  
 突然夕菜に襲い掛かり、恭也に蹴り飛ばされた後、どこかへ行ってしまったと思って  
いた金森竜介が、そこにいた。  
──まだいたのか、って……どういう事?  
 恭也は竜介がここにいた事を知っていたというのだろうかと、深雪は疑問に思う。  
 恭也に助けられた夕菜は、知らぬ間に教室からいなくなっており、すぐ後、恭也も教室  
を出て行った。その後に、竜介が男子たちから何か言われながらも、何も答える事無く  
出て行ったのを憶えている。  
 恭也が出て行ったのは、夕菜を追いかけたのだろう。竜介が出て行ったのは、教室に  
居辛かったからだろう。  
 恭也と竜介はどこかで合流し、二人でここに来ていたのだろうか。それとも、夕菜も  
一緒だったのだろうか──  
──あれ? そういえば……。  
 それからしばらくして、夕菜は独りで戻ってきたはずだった。だが、今自分が恭也に  
連れられて席を立った時には、彼女の姿は無かったように思える。  
 あんな格好のままでどこへ行ったのだろう──と思うと同時に、自分が連れ出された  
わけを思い出す。  
──あたし、どうしよう……。  
 夕菜をそんな格好にさせてしまったのは、自分が元凶なのだ。  
 恭也は気づいている。問い質し、追及するために連れてきたのだ。  
「ちょっと、ここ借りて良い?」  
「え? え、あ……うん」  
「込み入った話になりそうだから、いいかな?」  
 言外に、席を外して欲しいと言っている。  
「あ、ああ、いいよ、ぼ、ぼ、僕もそろそろ、も、戻ろうと思ってたし」  
「そっか、悪いな」  
 立ち上がった竜介が自分の方を見ているのに気づき、深雪はふと違和感を覚えた。  
 それがなんなのか理解する間も無く、恭也に腕を引かれて屋上手前の開けたところへと  
登ってゆく。  
「い、いいよ、別に、ぼ、僕の場所ってわけじゃ、ないし」  
「ありがとな」  
 手に提げたビニール袋に、パンの包み屑とコーヒー牛乳の紙パックが透けていた。  
「き、き、木嶋さん……」  
 不意に竜介に名を呼ばれ、びくっとそちらを見た。  
 彼は眼が合うと、怯えたように逸らしてしまう。  
 そして、俯き加減で、落ち着き無く床と深雪を交互に見ながら言った。  
「し、し、下着……その、や、や、やりすぎは、よくないよ」  
 
──下着? やりすぎ、って……!?  
 こんな奴にまで気づかれていたのかと、深雪は愕然とする。  
「じゃ、じゃあ僕は、い、行くよ」  
「ああ、またあとでな」  
「う、うん、また」  
 竜介を、恭也は片手を上げて見送った。  
 階段を降りてゆく竜介の姿を、深雪は見ている事ができなかった。  
 竜介にまで気づかれているのなら、クラス中の全員が気づいていると思うのが妥当だと、  
深雪は絶望感に打ちひしがれていた。  
 夕菜の下着を隠し、恥ずかしがらせてやろうと提案した自分。大はしゃぎして面白そう  
だと頷いた舞香。そして、実行の意思を固め、計画を練った千穂──  
 千穂が決めたんだ、自分が決めたわけではない。夕菜のバッグから下着を取り出したの  
は舞香だし、自分はバッグを提供しただけで直接手を下したわけではない。言い出しっぺ  
は自分でも、やろうと決めたのは千穂だし、やったのは舞香だし──  
 だが、恭也に、いや、クラスメイト全てに追及されたとして、自分はやってないなどと  
言っても、誰も聞いてはくれないだろう。  
──千穂……舞香……。  
 自分だけ責任逃れをしようとすれば、今までずっと一緒にいた千穂や、せっかく親しく  
なった舞香との仲が壊れてしまいかねない。  
「深雪」  
「えっ、なに?」  
 呼ばれて振り向くと、恭也がじっと見ていた。  
 全てを見抜くような瞳にたじろぐ。  
「夕菜の下着、どこやった?」  
「──ッ!」  
 抑揚の無い、単刀直入な台詞だった。その言葉を予想はしていても、深雪の心は激しく  
揺さぶられ、彼が夕菜と呼び捨てた事も意識できなかった。  
「あ、あっ、あたし──」  
「隠したんだろ?」  
「あ、あたしは……」  
 言い訳をしてしまいそうになる。  
 だが、そんなものは無駄だとも解かっている。  
「どこに隠したの?」  
 幼い頃の恭也は、こんな自信に満ちた言葉を吐けるような子ではなかった。  
 小学生の六年間で、恭也はすっかり変わってしまった。  
 同級生とは見違えるほどに逞しい心を持った、一人前の男とも言える少年になっていた。  
 深雪も変わっていた。  
 弱者を虐げる側になってしまっていた──  
「深雪、どうしたんだ?」  
「あ、うっ──」  
──怖い……!  
 恭也の眼が、自分を責めているようで、全ての罪は自分にあるのだと言っているようで、  
罪を償うには罰が必要だと迫られているようで──  
 恭也に咎められるのが辛い。恭也に糾弾されるのが辛い。  
 あんな事を言わなければ良かった。あんな提案をしなければ良かった。  
「深雪は、そんな子じゃなかっただろ?」  
──あたしは……。  
 幼い恭也は、いつもびくびくしていて、力の強い子たちから虐められていた。  
 深雪はお姉さん風を吹かせて、そんな恭也の世話を焼いたり、庇ったりした。おかげで  
酷い目に遭った事もあるが、恭也を守ったという満足感の方が大きかった。  
「俺をいつも助けてくれたじゃないか。俺、嬉しかったぞ」  
 なんで夕菜を虐め始めたんだろう。舞香の言葉に乗せられなければ、幼い頃のように、  
人としての道を逸れずにいれば、こんな想いにはならなかったろうに──  
「うっ、うぅっ……ひっ、うぐ……」  
「深雪……」  
 恭也の口元が緩んだ。しょうがない奴だなぁ、と呟く。  
 潤んで霞んだ深雪に眼は、彼の戸惑ったような、なだめるような顔が映っていなかった。  
「泣くなよ、深雪」  
「あぅ、うぅっ、恭ちゃん、ううぅっ──」  
 立ち尽くしたまま、深雪は子供のような泣き声を上げた。  
 
 恭也のハンカチが、深雪の涙を拭い取ってゆく。  
 ひとしきり泣いた深雪を、恭也は包み込むでもなく、突き放すでもなく──いつも通り  
幽かな笑みを浮かべたままで、涙を拭いてあげた。  
 そんな恭也の態度が、深雪には嬉しくて、しかし、寂しかった。  
「ごめんね、恭ちゃん……」  
「ん?」  
──だって、ハンカチ、汚れちゃったでしょ?  
 うっすらと乗せたファンデーションがついてしまっただろうから。  
 千穂から教わったメイクはまだ慣れていなくて失敗する事もあるが、自分でない自分に  
なったような気分になれるのが嬉しかった。魔法のような、という言葉通りだと思う。  
 あまり派手にはできないが、学校のある日もメイクをしていたし、コンパクトや化粧水  
などを入れたポーチをいつも持ち歩いている。今日は水泳があったから──  
──違う、そんな事どうだっていい……。  
「恭ちゃん……」  
「どうした?」  
 恭也の表情は変わらない。  
 深雪にはそれが責めているようにも見えるし、全く無関心のようにも見えた。  
──そんなの、やだ……。  
 責められるならいい。だが、無関心なのは嫌だ──  
「深雪は、後悔してる?」  
 後悔──していた。  
 夕菜と自分とは、ほんの少ししか違わないのだと理解したから。  
 自分の傍にはいつでも千穂がいたが、彼女には誰もいなかった。千穂がいなければ、  
深雪だって夕菜のようになっていたかもしれないのだ。  
「……うん」  
「ならいいじゃん」  
「え──?」  
「やりすぎた事を反省して、後悔して……だから泣いちゃったんだよな?」  
 やりすぎは、よくないよ──  
 竜介の顔が浮かんだ。  
 見るだけで嫌悪感を抱く、暗く濁った眼をしていていたのに、さっきの彼は──  
「あっ──!」  
 違和感は、そこだったのかと──深雪は納得する。  
 ん? と眉を上げた恭也に、ふるふると首を振った。  
 少しだけ色を抜いたセミロングの髪が、軽やかに揺れた。  
「うぅん……なんでもない」  
 あんなにも澱んでいた彼の瞳は、吹っ切れたかのように透き通って見えた。  
 恭也と交わした言葉も、いつものようにどもってはいたが、別人のような声だった。  
 その響きは、幼い頃の内気で気弱だった恭也のようで──  
「恭ちゃん……金森と、何か話したの?」  
「んー、色々とね」  
 どんな内容だったのかは解からない。だが、きっと、恭也の言葉は竜介に大きな衝撃を  
与え、彼の中にあった何かを解き放ったのだろう。  
 深雪は改めて、恭也の懐の深さを見せ付けられたような気になった。  
「ま、それはそれとしてさ──」  
 謝る相手が違うだろ? と言った恭也に、深雪は素直に頷いた。  
「夕菜の下着、ちゃんと返さないとな」  
──やっぱり、恭ちゃん……。  
 夕菜、と口にした彼の、穏やかな表情に、つい口にしてしまう。  
「あの子の事……好き?」  
 言ってから、しまったと思う。無意識に口を抑えたが、もう遅い。  
 恭也は照れたように眼を逸らし、すぐに戻した。答えは解かりきっていた。  
「うん、好きだよ」  
 一点の曇りも無い言葉が、深雪の意識に染み渡ってゆく。  
「ごめんな、深雪──」  
 謝らないで欲しかった。謝られたら、余計に惨めになるから──  
「今のままじゃ、深雪をお嫁さんにもらうわけにいかないよな」  
 恭也のはにかんだような笑みは、深雪の心を熱くした。  
 そんな言葉を憶えていたなんて──  
 嬉しさと恥ずかしさと、悔しさでまた泣いてしまった。  
 

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