「確かこの辺に……あ〜、あったあっ──痛ッ」  
 こつん、と軽い音がした。  
「いたたた……」  
 笹野先生は、ばつの悪そうな笑みを浮かべて立ち上がった。  
 保健室の片隅、金属製の棚の奥に積み重ねられたケースを物色していた彼女は、目当て  
のものを乗せた手を、私の方へと差し出した。  
 反対側の手で膝をさすっている。そばにあった別のケースにぶつけたようだ。  
「だいじょうぶですか?」  
「あはは、間抜けな事しちゃったわー」  
 彼女は子供っぽく舌を出して笑った。激しくぶつけたわけではなさそうだし、大した事は  
無いのだろう。  
 私はその白い布切れを受け取った。  
「こんなのしかないけど、いい?」  
「あ、はい。すみません」  
 飾り気の無い真っ白なショーツだった。羽山君が予想していた通り、それはあった。女児  
用のサニタリーショーツ。厚手で、腰が深くなっている。お世辞にも可愛いとは言えないが、  
無いよりマシだし、そもそも私は下着に拘りなど持っていない。そこを隠せれば構わない。  
「さすがにブラは置いてないんだよね〜」  
 それは仕方が無いだろう。ブラは、サイズが細かいし、ショーツほど必要性も薄いだろう。  
ショーツなら粗相をしてしまったり、急に生理になって汚してしまう事もあるだろうが、ブラ  
はそういう事が考え難い。私のように、着替えようとしたら無くなっていました、なんて事は  
そう滅多にあるものでもないだろう。精精、水を被って濡れてしまった時くらいだろう──  
それもかなり可能性の低い事だとは思うが。  
「ブラのサイズ、いくつ?」  
 よく憶えていない。今日着けてきたのは、Cカップだったか、Dカップだったか。そもそも  
私は自分の正確なバストサイズを知らないのだ。春の身体測定の結果はいくつだったろう。  
「今から測ってみる?」  
「え……?」  
「正確に測ってサイズの合ったのをちゃんと着けないと、胸の形が崩れちゃうの」  
 という事は、私の乳房は歪な形をしているのだろうか。  
「もちろん個人差はあるけど……どう? 測ってみる?」  
 どう答えたら良いものだろうか。正確なサイズを知りたくないわけではないが、今すぐ  
知りたいというわけでもない。彼女の言うように、サイズの合った下着を使うべきだという  
のなら、測っておくのも悪くない。  
「は、はぁ……」  
「じゃあ決まり〜♪」  
 私の曖昧な返答を肯定と取った笹野先生は、机の引き出しからメジャーを取り出した。  
「さ、脱いで」  
「……え?」  
 予想していなかった言葉だった。  
「服の厚みって意外に馬鹿にできないんだよ? 裸じゃないと正確なサイズは判らないの」  
 そうなのだろうか。だとしたら、身体測定も全て裸でやらねばならないという事になりは  
しないだろうか。  
 メジャーをすすっと引き出した彼女の眼が、悪戯っぽく笑っていた。  
──あ、そういう事なんだ……。  
 彼女は意地悪だ。きっと、サイズを測るために裸になる必要など無い。私の胸の膨らみ  
を見たいがために、もっともらしい嘘をついているのだろう。  
 そう思いながらも、私は笹野先生に背中を押され、ベッドの傍へと連れて来られた。  
「カーテン閉めて……っと」  
 しゃっと小気味よい音がして白いカーテンが引かれ、私たちは外界から隔離された。  
「脱いでね」  
 私はしばし迷ったが、ずっと握っていたままのショーツをベッドに置くと、ゆっくりとブラ  
ウスのボタンを外し始めた。  
 笹野先生の視線を浴びながら、ブラウスを脱いでしまう。  
 羽山君から借りたタンクトップは当然メンズだ。レディースのタンクトップよりも生地が  
少ない。襟元からは谷間が、脇からも膨らみが見えてしまっている。  
──恥ずかしい……。  
 身体がまた熱くなってゆく。  
 私は大きく息を吸い、タンクトップを一息に脱ぎ去った。  
 解放された乳房が、上下に大きく弾んだ。  
 
「すごぉい……おっきい」  
 笹野先生に、乳房をじっと見つめられる。  
 同性とはいえ、見られるのは恥ずかしい。しかもほんの数分前、私は彼女に責められ、  
導かれてしまっているのだ。心臓が高鳴る。恥ずかしさに、身体が火照ってしまう。  
 羞恥心というものには、どうやら二種類あるらしい。  
 ひとつは、ただただ恥ずかしく、そこから消えてしまいたいという気持ち。大きな失敗を  
してしまった時や、力足りずに目標を達成できなかった時などに抱くもの。  
 もうひとつは、今私が感じている、性的な昂揚感をともなう恥ずかしさ──  
「柏原さんのおっぱい、いじっていい?」  
「えっ?」  
 笹野先生の両手が、私の双丘を包んだ。下から持ち上げられる。  
「んっ……」  
「肌に張りがあって羨ましい〜」  
 彼女は小刻みに手を震わせる。  
「ほら、ぷるぷるしてる」  
「あっ、んっ……」  
「張りもあるし、柔らかくて、ほんと……素敵なおっぱい」  
──素敵……?  
 この大きな膨らみは、私にとってマイナスでしかなかった。それなのに、笹野先生は──  
羽山君も、私の胸を褒めてくれた。  
 数ヶ月前まで小学生だった私の、年齢に似合わない大きすぎる乳房。巨乳、デカパイ、  
デカチチ、乳魔人──などとみんなに罵られ、からかわれた。街を歩けば、擦れ違う人が  
みな私の胸を見る。ちらりと眼を向けるだけの人もいるし、じっと凝視する者もいる。恥ず  
かしくて、こんなもの無ければいいのにといつも思っていた。けど──  
 私の思考を中断させるように、チャイムが鳴った。  
「あら、もうお昼休みかぁ」  
 四時間目の終了を告げるチャイムだった。笹野先生が胸から手を離した。  
「ささっと測っちゃいましょ」  
 にこっと微笑んで言う。  
 羞恥心が込み上げてくる。胸のサイズを測定されるだけでも恥ずかしいのに、今の私は  
上半身裸で、スカートの下にはショーツを着けていないのだ。身体が熱かった。  
「まず、アンダーね」  
 彼女は私の腕を持ち上げ、メジャーを背中に回し、乳房のすぐ下で合わせた。二の腕や  
脇に触れた彼女の白衣がくすぐったくて、ぴくんとなってしまう。  
「ろくじゅう……さんてんご、と。細くて羨ましいわ〜」  
 そんな私に構わず、彼女は数値を読み上げた。  
「つぎ、トップね」  
 彼女は慣れた手つきで背中に再び回すと、メジャーの位置を少し上にした。  
 アンダーというのが、胸の下の胴回りのサイズの事で、トップというのが乳房周りの事  
なのだろう。詳しく知らないが、その程度は理解できた。  
 背中から脇を通り、膨らみに沿ってメジャーが回され、乳首に触れる。  
 メジャーに刺激され、ぴくんと震えてしまう。また意地悪な事を言われるのではないかと  
思ったが、彼女はふふっと笑っただけだった。  
「すっごい……85センチ。85引く63.5は……ええっと?」  
「21.5……です」  
「わ、計算早い〜。じゃあ、EからFの間ね。でも、Fの方がいいかもね」  
 彼女はメジャーを抜き取り、しゅるっと音を立ててそれを引き込んだ。メジャーが肌に  
触れて、わずかにぴくんと身体が震えてしまう。  
「きっとまだまだ大きくなるし、あの日は張るでしょ?」  
「え? ……あっ」  
 あの日──生理の事だろう。確かに、乳房が張っていつも以上にきつく感じる。  
「だから、Fカップにしておくのがいいと思うよ」  
「Fカップ、ですか」  
「でも、う〜ん……アンダー65でFカップなんてあるのかなぁ?」  
 きょとんとした私に、彼女は優しく頭を撫でて教えてくれた。  
 ブラジャーは、アンダーバストが5センチ刻み、トップバストとの差が2.5センチ刻みで  
作られているらしい。アンダー65というのは、ほとんど子供用と言ってもいいらしく、私の  
胸に合うような大きなカップのものは、あまり無いのだそうだ。  
「まぁ、無いわけじゃないし……なんなら、一緒に探しに行く?」  
 突然の申し出に、私はなんと答えていいのか判らなかった。  
 
「いいお店知ってるんだけどね〜」  
 彼女の言動は私の予想を越えている。改めてそう思った。  
 だが、教師が生徒と一緒に下着を買いに出るという事などあるのだろうか。そんな事を  
してもいいものなのだろうか。特定の生徒を贔屓している事にはなりはしないのだろうか。  
「ま、考えといて」  
 私の髪を撫でながら、ウィンクした。  
「はぁ……」  
 気の抜けた声で返した私に笑いながら、彼女はベッドに置かれたタンクトップを掴んだ。  
「いつまでおっぱい丸出しにしてるの?」  
「あっ──」  
 私はあわてて手で胸を隠した。  
「あたしは、ずっと見てたいけど」  
「えっ?」  
「ふふっ、冗談」  
 満面の笑みといった表情の中に、嗜虐的な色が窺えた。  
──ほんとに意地悪な人だ……。  
 手渡されたタンクトップを受け取り、彼女に背を向けた。  
──羽山君……なんて言うかな。  
 私は羽山君に身体を責められた。彼が立ち去ってから、私は独りで慰め、笹野先生にも  
責められ、二度も達してしまった。  
 彼の残していったタンクトップ。今ごろ彼は教室で、他の男子生徒とともに弁当を突付い  
ているのだろう。  
 私の事など、忘れているだろうか。忘れていてくれた方が嬉しい。私は彼の気持ちを踏み  
躙った。彼に酷い事をした。私を助けてくれた羽山君がどんな想いだったのか考えず、差し  
伸べられた手を払い除けてしまった。  
 それなのに、私は彼に護られようとしている。この白いタンクトップがあれば、歩くたび  
に揺れる乳房や、擦れて尖ってしまう乳首を、多少は抑えてくれる。  
 後ろめたかった。彼を裏切ってしまった私に、これを着る資格はあるのだろうか。  
「そのタンクトップ、男の子のでしょ?」  
「えっ──」  
 彼女は、なんでも見抜いてしまうのだろうか。  
 私は頷いた。  
「ん〜……そっかぁ」  
 彼女はそう言っただけだった。  
「あたしもけっこう胸おっきいと思うけど──」  
 私の気持ちを察したのだろうか、彼女はそれ以上タンクトップの事には触れなかった。  
ありがたかった。  
「きっと柏原さん、卒業する頃にはあたしを超えてるね〜」  
 男子たちの噂では、笹野先生はGカップだそうだ。それが正しければ、私よりひとつ上の  
サイズという事になる。いや、ふたつ違うのだろうか──  
 きっと、彼女の言うように、私の胸はまだまだ大きくなるのだろう。身体の他の部分も  
バランスよく成長してくれれば嬉しいのだが、それは祈るしかないのかもしれない。胸だけ  
でなく、お尻も丸みを帯び、身体全体が大人のそれになってくれれば、今のように胸だけが  
目立つという事もなくなるだろう。けど、あまり男好きのする体型になりたくはない。それは  
とっくに意味の無い望みなのだとは解かっているが。  
 雑念を振り払うように、タンクトップとブラウスを急いで着た。  
 ボタンを留めているところに、からからという音がした。  
 保健室の戸が開かれ、失礼しまーすという低い男子生徒の声がした。  
「あら、いらっしゃーい」  
 笹野先生が、振り返って声に応えた。  
「せんせー、ちょっと、具合悪くてさぁー」  
「あらぁ、それは大変ね〜」  
 大袈裟に言ってから、彼女は私の耳に口を近づけ、ショーツも穿いちゃいなさいと囁いた。  
 知っている声ではない。別のクラスか、上級生か。私はブラウスのボタンを留め終えると、  
裾をスカートに押し込んだ。急いで穿いてしまおうと、ショーツを手に取った時──  
「ちょっとベッド借りるよ〜」  
──えっ? こっち来る……!  
「あ、ちょっと──」  
 保健室の主が制止する間も無く、男子生徒がカーテンを開けた。  
 私はあわてて、ショーツをポケットに押し込んだ。  
 
 知らない男子生徒だった。どうやら、上級生のようだ。  
「あっ、と……先客いたんだ?」  
 羽山君よりも頭半分ほど背が高い。170センチはゆうに超えているだろう長身だった。  
上履きのラインは、くすんだ臙脂色。彼は三年生のようだ。  
「ちょっと、いきなりカーテン開けるもんじゃないの。女の子がいるんだから」  
 笹野先生が彼の後頭部を小突いた。  
「いってぇ、すんませーん」  
「ていうかねぇ、ほんとに具合悪いの? 元気そうじゃない?」  
 確かに、あまり病人の顔には見えなかった。  
 彼はもうひとつのベッドに勝手に腰掛け、ごろんと仰向けになる。  
「いやほんと、具合悪いんだって」  
「どうだか……あ、柏原さん。どうする?」  
「え……?」  
 いきなり振られて、戸惑う。  
「こんな人と一緒に寝てたくないでしょ?」  
「え……いえ」  
「ちょっとせんせー、それ酷くね?」  
「うるさいー。仮病がベッド勝手に使うんじゃないの」  
「仮病じゃないって〜。なんか頭痛がひどくて、眩暈もするんだよ。俺、原因不明の奇病で  
死ぬかも……」  
「はぁ? じゃあちょっと診るから、上脱ぎなさい」  
 そう言いながら、彼女は机の横まで歩くと、引き出しから聴診器を取り出した。  
「えぇ〜? 女の子いるのに恥ずかしいー!」  
「うるさい。診なきゃ判んないでしょ」  
「や、ほら、この子も恥ずかしがってるし」  
 恥ずかしいのは、別に彼が現れてから始まったわけではないし、男子生徒の上半身など、  
水泳の授業でも見ているのだから、今更気にするほどでもない。  
「キミがいきなりカーテン開けるから、驚いたんでしょ?」  
「あ、そっか。ごめんね〜」  
 彼は拝むように、私の方に片手を向けた。  
 どうやら彼はここの常連のようだ。  
──してるのかな……?  
 男子生徒たちの噂話を思い出す。笹野先生が、気に入った生徒を──喰ってると。  
 自分もその──喰われた一人という事になるのだろうか。  
 彼女の指遣いが思い出される。なかなか肝心のところに触れてくれない指。焦らされて  
昂ぶる気持ちが抑えられず、淫らな喘ぎを漏らしてしまった私。  
 これから、二人はそういう行為に耽るのだろうか。だとしたら、私は邪魔者だ。  
「私、もう戻ります」  
「え? でも……」  
「いえ、もうだいじょうぶですから」  
「そう?」  
 先生の眼が、ほんとうにだいじょうぶ? と問い掛けていた。  
 もちろん噂を真に受けているわけではないが、自分が彼女にされた事を思い出すと、そう  
いう事があるのかもしれないと思えなくもない。  
 その事以上に、見知らぬ男子生徒と隣のベッドに入るというのが躊躇われた。  
「先生……ありがとうございました」  
「あ、うん。お大事にね」  
「はい。失礼します」  
 彼女との、ほんの短い時間がフラッシュバックする。自慰の直後に現れた彼女は私を  
再び火照らせ、頂きへと導いた。気持ちよくしてくれてありがとう、という意味ではないが、  
しかし、そう取れなくもないなどと思ってしまうと、ベッドに転がった上級生にそれを悟ら  
れるのではないかと心配になった。  
 ちらと彼を横目で見ると、いつの間にかうつ伏せになって枕を抱え込んでいた。  
「返すのはいつでもいいからね」  
「え? あ、はい」  
 片手をポケットに押し込んだままだった事を思い出した。  
 笹野先生は椅子に腰掛けると、煙草を取り出して咥えた。ちんと澄んだ音色を響かせて、  
銀色のライターの蓋を開く。私はそれを横目に見ながら、出入り口へと向かった。  
 じじっというライターの点火音を聞きながら、私は保健室を後にした。  
 ポケットの中で握ったままのショーツを、どこで穿こうかと考えていた。  
 

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