夏見の通う中学校は、町の中心部に近い、小さな小山の中腹にあった。
徒歩で十分ほどの距離だが、今日は何倍にも感じられた。
学校に近づくにつれて、同じ学校の生徒たちの姿が増える。
数メートル前に、男子生徒が二人並んで歩いている。
夏海の後ろにも、何人かの生徒が歩いている。
自転車通学の生徒が、追い越してゆく。
──気づかれちゃう……。
意識して見れば、夏海がブラジャーを着けていないのは明らかだ。きっと、
もう何人もの生徒たちに気づかれているに違いない。
普段はブラジャーに押さえられている乳房が、今日は拘束感の乏しいキャミ
ソールのカップの中で、ぷるぷると揺れている。
乳房が揺れるたびに、肌と生地が──小さな突起がこすれてしまう。今まで
ならば、鈍い痛みとして認識されていた感覚だった。
だが、今の夏海には──
自分が歩を進めるたびに、乳房が揺れて、肌が刺激され──じわじわと淡い
快感が湧き起こってしまうのだ。
ショーツに覆われていない未熟な秘処も心細い。
さすがにスカート捲りなどいまどき流行らないが、もしそんなことをされた
としたら──
──見られちゃう……。
彼女の秘処は、未だ発毛していない。子供と変わらぬそこを見られてしまう
のは恥ずかしすぎた。
──写真さえ、ばら撒かれなければ、大丈夫だもん……。
そのためには、この羞恥に耐えなければならない。
とてつもなく恥ずかしいが、もっと恥ずかしい目に遭うよりはいいのだと、
自分を納得させるしかなかった。
緩やかな上り坂の向こうに、校門が見える。
「おはよっ、夏海!」
「──っ!」
突然肩を叩かれ、夏海は飛び上がりそうになった。
振り返ると、友人の河合冬香(かわい・ふゆか)だった。
「なんだ、冬香ちゃんかぁ……おはよう」
ほっとして、夏海は挨拶を返す。
冬香は、目を丸くして夏海を覗き込んだ。
「なに? そんな驚いて〜」
「うぅん、別に……ぼーっとしてたから」
「ふぅーん。あんたっていっつもぼーっとしてるねぇ」
夏海より頭半分以上も背が高い冬香は、夏海を見下ろしながら、呆れた顔で
苦笑する。
「そうかなぁ?」
「そうだぞぉ? なーんか、眼を離せないっていうかね〜」
冬香はくすくす笑いながら、夏海と並んで歩く。
栗色の髪は肩より長く、ゆったりとウェーブし、陽の光に煌いている。
夏海とは対照的に背が高く、すらりとした体躯で、顔立ちも大人っぽい。
胸の膨らみは、歳相応といったところだろう。スカートは短く、細い太腿の
半分以上が露になっている。
「なんていうの? 守ってあげたくなっちゃうタイプ?」
「なにそれぇ……」
眼を細めて笑う冬香に、夏海は口を尖らせる。
冬香は、入学してすぐ、最初に夏海に声をかけたクラスメイトだった。
初めての土地で心細いだろう、友達が必要だろう──そう考えて、冬香は
夏海に声をかけた。
かなりの世話焼き──むしろお節介な性格なのだと夏海が気づくまで、そう
時間はかからなかった。
もちろん、夏海にとっては恩人ともいえる存在だ。
誰に対しても気さくに接することができるのは、羨ましいし、見習いたいと
思っている。
「ま、あたしに任せなさいって。姫をお守りするのは騎士の役目です!」
「意味不明だよ、冬香ちゃん……」
笑いどころの判りづらい冗談に、夏海はほっとした気持ちになる。
冬香は、夏祭りの日に、夏海が下着を着けずに浴衣を着ることになった元凶
である。
冬香がちょっとした悪戯心を起こして、あんな冗談を言わなければ、夏海は
きっとこんな目に遭うこともなかっただろう。
だが、そのことで、夏海は冬香を怨んではいない。もとはどうあれ、下着を
着けなかったのは自分なのだ。冬香たちとはぐれてしまったのも、竹下にいい
ように弄ばれたのも、自分の落ち度なのだ──冬香は悪くない。
今も冬香がそばにいることで、恥ずかしさも和らぎ、安心できる。まだ知り
合って四ヶ月程度のこのお節介な友人を、夏海は心から信頼していた。
「んー、っていうかさぁ……」
冬香が何かをいいたそうにしながら、辺りを見回して口篭もる。
やや間を置き、眉をひそめて夏海の耳元で囁いた。
「夏海……どしたの? その……」
夏海の心臓が大きく脈を打った。
──やっぱり、気づかれちゃってる……。
冬香が次に言う言葉は容易く想像できた。
「ブラ……してないよね?」
周りには何人もの同じ学校の生徒が歩いている。
冬香もそれを口にするのは躊躇われたのだろう。声を抑えたのは気を遣って
のことだった。
「うん、ちょっと……」
──どうしよう、なんて言えば……。
夏海はそこまで気が回っていなかった。
なんと答えたものか──
「えっと……あ、あのね……」
「ん?」
「その、お洗濯……」
「へっ? 洗濯?」
夏海は、とっさに思いついた言葉を口にした。
「うん……お父さんが、お洗濯しちゃって……間違えて、全部……」
「は……?」
冬香は、きょとんとした顔だ。
──ちょっと、無理があったかな……。
「いつもはね、わたしがしてるんだけど、でも、昨日お父さん、家事いろいろ、
してくれて、大掃除みたくなって……いろいろ、洗って……」
思いつくままに、早口でまくしたてる──といっても、普段の夏海と比べて
早口というだけで、一般的に見ればさほどでもない。
「それでまだ、ブラ、乾いてなくて……だから……」
「えーっと……つまり……」
冬香は指を額に当てて顔をしかめていた。
夏海は上目遣いに冬香を見る。
「ブラって、乾くの遅いでしょ……?」
「あー……ん、まぁね……」
複雑な笑みを浮かべながら、冬香は乾いた笑いを漏らす。
「つまり、あれだ。うん……あんたのおじさんって、ドジっ子だったんだ」
「どじっこ……?」
今度は夏海がきょとんとする番だった。
「いや……ほら、なんか、かっこいいし、しっかりしてそうに見えるけど……
ちょっと抜けたとこあるんだなーと」
冬香はくすりと笑ったが、はっとなって片手を立て、申し訳なさそうな顔に
なった。
「そいえば、夏海ってお母さんいなかったんだっけ……ごめんねぇ」
「やだ、謝ることないよぉ」
冬香の言うとおり、佐伯家は父と娘の父子家庭だ。
母親は、夏海が小学生の頃に病気で亡くなっていた。父親は仕事で忙しく、
家事はほとんど夏海がひとりでこなしている。
昨日の日曜日、父親が家事をいろいろとやってくれたのは事実だった。
「あー、ん〜、あたしのじゃ合わないよなぁ……」
冬香は、夏海の胸を見下ろしながら呟く。
冬香の身長は、夏海よりも十五センチは高いが、胸の膨らみは遠く及ばない。
「あたしのブラ、貸してやろうかと思ったけど……」
「えっ、いいよ、そんな……」
夏海はあわてて手を振る。
「ん〜、でもさぁ……気になるでしょ?」
「それは、そうだけど……」
──でも……ブラ着けたら……。
あの夜に撮られた写真をばら撒かれてしまうかもしれない──
ブラを着けていないのは、笑い話になるような理由ではないのだ。
──どうしよう……。
これから先、何度もこういうことがあるかもしれない。
今日はまだこんな言い訳ができたが、明日も着けるなと言われたら──
「だいじょうぶだよ、半日だけだし……」
夏期講習は午前中だけだ。
身体がまた震えてしまいそうになった。冬香の登場で落ち着いていた心が、
再びざわつきはじめていた。
「そう? 夏海がそう言うなら、いいんだけど……」
「うん、だいじょうぶ……」
「なんかあったら、あたしが助けるからね?」
「え?」
「からかったりする馬鹿がいたら、ぶん殴ってやる!」
にっと笑って中指を立てた冬香は、お世辞にも行儀がいいとはいえない。
夏海はそんな冬香に、大きな安心感を覚える。
だが同時に、竹下から受け続けることになるであろう責め苦に、強い恐怖と
絶望を改めて意識していた。
八時五分──あと十分ほどで朝のホームルームが開始される。
ふたりは坂を登りきり、校門を抜けた。
「あーもう、ほんっと暑いわぁ……もう秋だぞ? 暦の上では秋! ぜんぜん
涼しくなんないじゃん? おかしいって、これ絶対!」
「そだね……今週いっぱいは、暑い日が続くって、天気予報でいってたよ」
気の抜けた顔で愚痴をこぼす冬香に、夏海は苦笑しながら言った。
「週末には、雨が降るみたい……少しは涼しくなるかも」
「雨かぁ……涼しくても、外で遊べないじゃん。てゆーか、余計じめじめする
だけなんじゃないのぉ?」
「うーん、そうかも……」
そんな、真夏にありがちな会話を交わしながら、昇降口へと向かう。
冬香と一緒なら、周りの視線もそれほど気にならなかった。
まったく気にならないというわけではない。けれど、心強い──
だが、そう思った瞬間、鋭い視線を感じ、夏海はそちらへ眼を向けた。
──先生っ……!
その先には、竹下がいた。
足が竦んだ。
鼓動が一気に激しくなる。
昇降口の横に立ち、夏海と視線が合うと、眼鏡の奥でにやりと笑った。
竹下は一瞬だけ浮かんでしまった卑しい笑みを、すぐに戻す。
眼鏡をかけていることは、こういうときに役に立つ。教師として生きている
以上、この嗜好を他人に知られるわけにはいかない。
彼がこの学校に赴任してから、三年になる。最初は自分の育った街──隣の
市の、中学校に勤めていた。
もちろんそちらで不祥事を起こしたことはないし、今の学校に移ってからも、
一切の問題行動はない。少なくとも、明らかにはなっていない。
学生の頃から、彼は少女と一時的な交際を繰り返していた。
インターネットで知り合った少女に金銭を渡し、慰み物にする──援助交際
などと歪曲した言葉があるが、早い話が売買春である。
竹下は、同年代の相手には興味が持てなかった。小学生高学年から、中学生
ぐらいにかけての、子供と大人の境界に立つ少女に、強く興奮する男だった。
今の仕事も、この嗜好が少なからず影響していた。
──ちゃんとノーブラみたいだね。
制服の下にキャミソールを着ているようだが、当然だろうと思う。さすがに、
薄いブラウスに素肌では、いくらなんでも目立ちすぎる。
他の誰か──教師に指摘されないとも限らない。
彼が知る限り、保健室にはいくつか下着が用意されている。もしそれを着用
するよう言われては、彼女に羞恥を味わわせることができない。
──あれはノーパンだからだろうな……。
彼女のスカートの丈が長い。普段は、もう少し短く穿いているのを彼はよく
知っていた。
きっと、ショーツを穿いていないのが恥ずかしくて、スカートを長いままで
穿いているのだろう──その竹下の推測は間違っていない。
竹下も、ブラジャーはともかく、ショーツまでは期待していなかった。
ブラジャーなら薄いブラウスに透過して、着けているか否かが判るが、下は
スカートを捲ってみるまで判別できない。ショーツは穿いてくるかもしれない
と思っていたのだ。
──それにしても……想像どおりとはね。
彼の予想が正しかったことは、証明された。
彼女は、あの夜あの場にいたもうひとりの男を、自分と無関係だとは考えて
いないようだ。そうでなければ、自分のメールなど無視したはずだ。
──うまくいきそうだ……。
準備は整っていた。
どう責めるかも考えてある。
彼女がどんな声で啼くか、彼は期待に胸を高鳴らせていた。
「どしたの? 夏海……」
冬香は夏海の視線を追う。
竹下はもう、こちらを向いてはいなかった。昇降口に吸い込まれてゆく生徒
たちの挨拶に、笑顔で応じている。
「えっ? なんでもないよ……」
動揺を冬香に悟られぬよう、首を振った。
「あー、竹下先生かぁ……あの人、ちょっといいよね」
「えっ……!?」
──いい……? いいって、どういうこと……!?
冬香の言葉に、夏海は愕然とした。
あの男に、「いい」などという形容はありえない──
「あ、別にかっこいいわけじゃないけど……けっこう優しいよね、あの人」
「え……?」
「前にね、同じ部活の子の自転車が悪戯されて……たまたま竹下先生がいてさ
……直してくれたんだよ」
「へえ、そう……」
「チェーン外されてて、ブレーキのレバーも変な向きになってて、針かなんか
かな? パンクまでさせられてて……それは直せなかったけどさ、坂の途中の
自転車屋さんまで一緒に行ってくれたんだ」
「そうなんだ……」
「ちょっとぐらいは直してくれるかもしんないけど、普通めんどくさがったり
してさぁ、自転車屋行けって言われるだけじゃん」
意外だった。
「いやー、あんまぱっとしない先生だと思ってたけど、あたしゃ見直したね」
自分の知っている竹下は、そんな人物ではなかった。
もともと竹下という教師に、これといったイメージは持っていなかった。
自分に淫らな行為をした、変態教師──
写真で脅し、恥ずかしいことをさせようとする、最低の男──
夏海はあの出来事を、父親や友人たちに相談しようと思ったこともあった。
法に訴えれば、彼は淫行教師として社会的制裁を受けるだろう。
しかし、そんなことをしたら──
彼には仲間がいる。竹下だけを捕らえたところで、間違いなく淫らな自分の
写真は公の眼に触れることになるだろう。
しかも、自分はあのとき、羞恥に怯えながらも、確かに快感を覚え、絶頂を
味わっていたのだ。彼がそう証言をしようものなら──
──そんなの、絶対やだ……。
彼だって人間社会に生きる個人だ。自分の身が危うくなるようなことまでは
しないだろう──そんな儚い希望を、夏海は抱いていた。
「おはようございまーす」
昇降口の前に着くと、冬香は元気よく竹下に頭を下げた。
「はい、おはよう」
竹下はにこやかな笑顔でそれに応える。
夏海は頭だけ下げ、足早に通り過ぎた。
夏海には信じられなかった。ほんの少し前、自分にあんな淫らなメールを
送っておいて、何事もなかったかのような顔でいられるなんて──
恥ずかしくて、悔しくて、やりきれなかった。
ざわざわと小声で話す生徒たちの声の満ちた教室──
「夏海、同じクラスだね」
「うん、そうだね」
配られたプリントを見ながら冬香が言った。
夏海の机を挟んですぐ前に冬香がいる。冬香は脚を横に出して椅子に腰掛け、
夏海の机に身を乗り出していた。
入学当日、冬香が夏海に声をかけたのは、この席順のおかげもあっただろう。
河合と佐伯の間に他の姓がなかったことを、夏海は幸運に思っていた。
今日からの三日間、ふたりは同じクラスに配属された。
これも幸運だった。
それだけで、何十人もの味方を得たような心強さがある。
とはいえ──やはり、視線が気になる。
とくに男子の視線が──
夏海は大きな胸の所為で、いつも男子たちの好奇の視線を浴びている。
中学生ともなれば、性を意識する者も増える。今日は、下着を着けていない
所為で、いつも以上に視線を意識してしまう。
今のところ、口に出して指摘する者はいなかったが、きっと何人もの生徒が
気づいているだろう。
夏海が身体を動かすたびに、乳房がいつもよりも大きく揺れてしまう。
尻に直接当たる、スカートのごわごわした感触も、夏海の羞恥を刺激する。
昇降口でも、いつも以上に気を使わなければならなかった。スカートが捲れ
ないよう、手で押さえながら靴を履き替えた。
階段もだった。ショーツを穿いていない。捲れてしまったら──
「へえ……数学、竹下先生じゃん」
「──っ!」
先ほどのこともあったからだろう、冬香は竹下の名を口にする。
プリントには、夏海と冬香が所属することになるクラスの数学の担当欄に、
竹下と記されていた。
──竹下先生の、授業……。
夏海は動揺を必死に押さえ込む。
「前に一回あったよね……永田先生が休んだときだっけ?」
「うん、そうだね……」
夏海は平静を装って応える。
夏海の心の揺らぎに、冬香はまるで気づいた様子もない。
それは嬉しくもあり、悲しくもあった。
──どうしよう……変なこと、されたり……。
昨夜見た夢の断片が、脳裏に浮かんでくる。
制服を剥ぎ取られ、同級生たちに裸を見られ、身体をいじられて──
──だいじょうぶ、できっこないよ……。
竹下もそんなことはできないだろう。
それに、冬香もいる。万が一、そんなことになっても、彼女は自分を助けて
くれるだろう。夢で見た光景など、絶対にありえない──
予鈴が鳴り、ホームルームの終了を告げる。
と同時に、スカートのポケットの中で、携帯電話が振動した。
「あ、ケータイ」
「うん……」
冬香以外の友人は席が離れているので、メールのやりとりは日常的なものだ。
だが、今の夏海は、そんな気軽な気分ではない。
ポケットから取り出し、メールの着信を確認──心の準備はできていた。
──やっぱり……。
予想どおり、メールは竹下からだった。
『挨拶は大きな声で』
そんなサブジェクトがつけられていた。
「誰から?」
「えっと、お父さん……」
冬香の何気ない問いに、夏海はとっさに嘘をつく。
「ごめんなさい、って?」
冬香は悪戯っぽい眼で笑う。
夏海は、曖昧に頷いてメールの本文に眼を通した。
『言いつけどおりノーブラできたんだね? いい子だよ、夏海ちゃん。
とってもいやらしい、いい子だ。
キャミソールは許してあげよう。乳首まで透けたら大変だ。
スカートを短くしてないのも、ノーパンだからでしょう? けど、ちょっと
長すぎやしないかい? お友達と同じぐらいにしないと。
今すぐ短くして、画像をメールするんだ。いいね?』
──そんな……!
心構えはできていても、竹下のメールは夏海を絶望へと突き落とす。
すぐ眼の前にいるはずの冬香が、はるか彼方の存在に思えてしまう。
冬香に助けを求めようかとも思う。
だが、できるならとっくにしている。誰にも助けは求められない。ひとりで
耐えなければならない──
「夏海……どした?」
「うぅん、なんでもないよ」
冬香がプリントから眼を離し、怪訝な顔で覗き込んでいた。
夏海は笑みを返すが、ぎこちなく微笑むことしかできなかった。
冬香は眉をしかめて首を傾げる。
「やっぱ、だいじょうぶじゃなさそうだけど……」
「だいじょうぶだってばぁ」
夏海は携帯電話をポケットに仕舞い、鞄を手に取った。
「ほら、移動だよ? いかないと……」
「……ん、わかった」
冬香も渋い顔をして前を向くと、自分のバッグを掴んで立ち上がった。
夏海も立ち上がり、椅子を戻す。
「ふたり一緒かぁ〜、さっすが優等生!」
そこに、後ろから別の少女が声をかけてきた。
夏海の友人のひとり、高柳千歳(たかやなぎ・ちとせ)だった。
「ふふーん。さぁ、下々の者はあたしの前に跪きなさい!」
「なにそれ、頭悪そー」
「なんだとぉ? このあたしに頭悪いだなんて言うのはどの口だ!?」
「ちょっ……やめっ!」
冬香に掴みかかられそうになり、千歳はあわてて身体をひねって躱そうとし、
別の少女にぶつかった。
「もう、何してんの、あんたたち……」
もうひとりの仲のよい友人──安達美和(あだち・みわ)だった。
美和は呆れ顔で、よろめいた千歳の身体を支えてやる。
「美和っち、ごめ〜ん」
「ってわけで、うちらはここに残留だよ」
千歳の髪を撫でながら、美和が言う。
千歳は、夏海ほどではないが、小柄な子供っぽい少女だ。美和の腕に抱かれ、
小さく身を縮めている姿は、小動物のような印象を抱かせる。甲高いアニメの
キャラクターのような声も、マスコット的なイメージを作り出している。
美和は、歳相応といった容姿の少女である。ショートカットの髪と小麦色に
日焼けした肌は、スポーツ少女という感じだが、きりっとした顔立ちと感情を
抑えた口調が、クールな雰囲気を醸している。
ふたりは、夏海たちとは別のクラスに配属された。
「ま、劣等生クラスってやつ?」
「あのさ、そういう反応に困るいい方すんなって……」
肩を竦めた美和に、冬香が口を尖らせた。
「いつものことじゃん?」
「ま、そーだけどね」
夏海と冬香は、成績はトップクラスだ。対して、千歳と美和は勉強は苦手、
成績も中の下あたりだった。
彼女らの仲が成績でどうこうなるようなものではない。お互い冗談と解って
いてのこのやりとりだ。
もっとも、今回のクラス編成に平均的な成績は関係ない。苦手教科の補強と
いうのが名目であり、それに則って割り振られている。
賑やかな三人を眺めながら、夏海は少しだけ羨望を覚える。
自分も、こんなふうに冗談を言えるようになれたら──
知り合ってまだ四ヶ月──夏海は彼女らとの距離を感じてしまう。
夏海は移動先の一年一組の教室で、冬香と並んで席についた。
しかし、そのまま落ち着くわけにはいかなかった。
「わたしちょっと、おトイレ……」
「ん、急ぎなよ」
手を振る冬香に自分も手を振って応え、足早にトイレへと向かった。
まだ多くの生徒たちが廊下を行き交っている。
歩くたびに揺れる胸が気になってしまう。
──恥ずかしいよぉ……。
冬香が傍にいないだけで、ひどく心細い。
これから自分は、トイレでスカートを短くする──夏海も普段はスカートを
短くしている。もちろん友人たちほど短くするのは彼女には無理だが──
──見られちゃったら、どうしよう……。
竹下のメールにあったお友達というのは、冬香のことだろう。
冬香ほどに短くする──それは、今の夏海にはつらすぎる指示だった。
──でも、やらなくちゃ……。
女子トイレには何人かの同級生がいたが、気にしていられない。一時間目が
始まるまで、あまり時間がない──夏海は急いで個室に入り、施錠した。
携帯電話をポケットから出して、壁に設えられた小さな棚に置く。
手が震えていた。
震える指でウェストラインを折り、スカートを短くしてゆく。
ひと巻き、ふた巻き──そこで手を止め、少し戻す。
このままでは、ポケットの入り口が塞がれてしまう。中に入れたハンカチを
取り出して棚に置き、再びスカートを折り返した。
夏海の膝上、十センチほどまでが露になった。
今までなら、短くしてもせいぜいこの程度だった。
だが、彼女は息を深く吸い込んで、さらにひと巻きした。
──これで、冬香ちゃんぐらいかな……。
夏海の細い太腿は、半ば以上が露になっていた。
──写真……撮らなくちゃ……。
携帯電話を掴み、カメラを起動させる。
下に向けると、自分の両脚が液晶画面に映し出された。
──やだぁ、これ、恥ずかしい……。
自分の脚を撮影したことなど一度もない。そんな必要など今までなかった。
だが、撮らなければならない。
シャッター機能が割り当てられているセンターキーに親指を重ねる。
手が震えて定まらない。
──あっ……音……。
隣の個室から水を流す音がして、夏海はそれに気づいた。
トイレの中でシャッターの音を響かせるわけにはいかない。メロディに切り
替えたところで、変な勘繰りをされてしまうかもしれない。
──どうしよう……。
しかし、トイレ以外のどこでしたらいいのか、夏海には思いつかない。
時間が迫っている。
夏海はレバーを倒して水を流した。水音に掻き消されることを願って──
──わたし、なんでこんなこと……。
屈辱感に苛まれながら、夏海はキーを押した。
幸いにも、流水のおかげで、シャッター音は夏海自身にもはっきりとは聞き
取れなかった。
──撮れたかな……。
緊張と羞恥で、息が上がっていた。
画像を確認する──
ややぶれて乱れてはいるが、上下逆さまになった夏海の太腿が写っていた。
もっと低い角度で撮るべきかもしれないと思ったが、夏海は画像をメールに
添付し、なんの文字も入力せずに竹下に送信した。
送信中を示すアニメーションが、いつも以上に長く感じられた。
『ギリギリまでだ』
返信はたった七文字だったが、夏海の心を抉るにはじゅうぶんだった。
──そんな! これ以上短くなんて……。
だが、従うしかなかった。逆らうことなどできないのだ。
夏海はスカートをさらに短くしてゆく。
太腿はほとんど露になってしまった。股下五センチもないだろう。
──やだぁ……やだよぉ……。
スカートをこんなに短くしたことなど、今まで一度もなかった。
こんなにも短いスカートで、自分は授業を受けなければならないのだ。
同級生たちの前に出なければならないのだ。
しかも、その下にはなにもない──ただ剥き出しの秘処があるだけだ。
涙腺が熱を持っていた。
涙があふれ出しそうだった。
それでも夏海は、涙を堪えながら自分の脚にレンズを向け──
はたと思い留まる。
さらにもう一度、折り返す──
左右の長さが違ってしまっているが、些細なことだ。
もうほとんど、股下と変わらぬ位置にまで裾が上げられている。
──これだけ短ければ……。
半ば自棄になった気分だった。
ここまですれば、竹下もこれ以上は要求しないだろう。これ以上短くしたら、
秘処が丸見えになってしまう。そこまでさせる気はないはずだ──
にじみ出る涙を拭い、夏海は携帯電話を構えた。
再び水を流し、シャッターを切る。
さっきよりも画像はぶれていたが、これ以上は無理だと思えるほど短いのは
じゅうぶん判別できた。
夏海は画像を竹下に送信する──
送信が完了すると同時に、チャイムが鳴った。
夏海は急いでスカートの長さを、少しだけ戻した。
誤魔化したのだ──
竹下の担当する数学は四時間目──それまで彼の眼に触れなければ、問題は
ないと考えたのだ。
──だいじょうぶ……判らないよ……。
例え彼の眼に留まることがあっても、立っていなければ──
そこで夏海はようやく気づく。
──そうだよ……判るわけないのに……! わたし馬鹿だぁ……。
夏海は自分の愚かさを呪った。
上はともかく、下を着けていないことは直接眼にしなければ判るはずもない。
馬鹿正直にショーツを穿かずに登校する必要はなかったのだ。
自分の想像力のなさに、情けなくなった。
動転していたとはいえ、どうしてそんなことに気づかなかったのだろう──
堪えていた涙が、はらはらと零れ落ちた。
竹下は廊下を歩きながら、受信したメールの添付画像に、うんうんと頷いて
いた。眼鏡の奥の瞳が暗くゆがんでいた。
──夏海ちゃんはいやらしいなぁ……。
二枚目の画像は、彼の予想を超えるものだった。
スカートの丈は、まさにギリギリといえる短さにまで上げられ、彼女の細い
脚が艶めかしく写されていた。
画像がぶれているのは残念だが、まさかここまで短くするとは竹下も思って
いなかった。
素直な彼女のことだ、このまま授業を受けるだろう──そう思うと、卑しい
欲望がふつふつと湧き立ってくる。
だが、フェイクかもしれない。
短くしたのは撮影の瞬間だけで、写したあとに長さを戻しているというのは、
じゅうぶん考えられる。
竹下が夏海の姿を確認するまで、まだ時間があるのだ。
──まぁ、それはそれで……。
自分を欺いたことを理由に、彼女を責めればいいだけのこと──
竹下は喉の奥で笑いながら、頭を仕事モードへと切り替えた。
溜息を漏らし、鼻を啜る。
個室から出ると、トイレにはもう彼女以外に誰もいなかった。
廊下を通して教室のざわめきが聞こえてくる。
用を足したわけではないが、手を洗った。
洗面台の鏡に写った自分の姿は、涙でゆがんでいた。
ハンカチで顔を拭く。眼と鼻が赤くなっている。
ブラジャーを着けていないのは、ちょっと意識して見れば明らかだった。
スカートも普段では考えられないほどに短い。
二枚目の画像よりは長くなっているが、それでも夏海にとっては短すぎる。
しかも、ショーツを穿いていない。もしスカートを捲れば──
つるりとした恥丘には、一本の恥毛も生えていない。未熟な秘裂はぴたりと
閉じているが、裂け目の先端には、小さな肉蕾が顔を覗かせている。
あの夜、そこを竹下によって刺激され、身も心も官能の渦に飲み込まれた。
理性は消え去り、快楽を求める気持ちだけが夏海を支配していた。
淫らな記憶がよみがえる──
──やだ……あんなの、やだよぉ……。
夏海は嫌な記憶を追い出そうと頭を振り、手を拭いてトイレから出た。
廊下にも、生徒はもうほとんどいない。女性教師が歩いてくるのが見えた。
夏海は小走りに教室へ向かう。
歩くたびに胸が揺れ、キャミソールの下で小さな突起がこすれる。
スカートの裾が揺れ、空気が渦を巻き、未成熟な秘処を剥き出しにしている
ような錯覚に陥ってしまう。
──わたし……いやらしい……。
身体が熱い──あの夜と同じだった。
そんな羞恥と恐怖に怯えているはずなのに、身体は熱を帯びている。
校舎内に冷房設備は一部の場所にしかない。廊下も教室も暑い。
だが、気温の所為だけではないのだと、夏海は解っていた。
きりきりと締めつけられている羞恥心が、自身の身体を火照らせている。
恥ずかしい格好をしていることが、夏海を昂ぶらせているのだ。
授業が終わるまで、この仕打ちに耐えられるだろうか──
普段の三組ではなく、今日から三日間だけ利用する、一組の教室が近づいて
きた。教室からは、生徒たちの賑やかな声があふれ出している。
あと数歩というときに、ひょっこりと冬香が顔を覗かせた。
「なっ、夏海……?」
冬香は眼を丸くして絶句した。
夏海は、ただいまといいながら、微笑んだ。
うまく笑えなかった。