――タカと合わなくなってから、どのくらい経つんだろう?
買い物帰りにいつもの散歩道を通りながら、ふとそんな事を思った。
夏特有の涼しい風邪が私の横を通り過ぎ、下げているスーパーのビニール袋をカサカサっと揺らす。
日はだんだんと高度を下げ、町中を綺麗な茜色で染め始めていた。穏やかに流れる川も、夕日が反射して朱色に揺らめいている。
ここは私の高校時代の通学路で、いつも隣にはタカがいた。
目を瞑って、木々のざわめく音を聞けば、あいつの声も一緒に聞こえてくるような気さえした。
――そういえば、こんなに夕日が綺麗な日は、いつも二人で土手に座りこんで夕日を眺めてたっけ?
進めていた足を止め、川の向こうにきらめく眩しい太陽を眺めた。
彼の事を思いだせば思いだすほど、なんとなく寂しくなって悲しくなって、それが私の心を激しく揺さぶる。
怒ったり喧嘩したり、いろんな事があったけど、タカといると楽しかった。こんな時間がいつまでも続くと思った。
なんとなく、「卒業しても私の隣にはこいつがいるのかな?」なんて思ったりもした。
でも、現実は一瞬でそんな甘い幻想を打ち砕いていったのだ。
高校3年の夏、タカのお父さんが脳梗塞で亡くなった。
あまりにも突然の事で、当時の元気な叔父さんの顔を知っている私は、信じることができなかった。気さくな人で、小学生の頃なんかはよくあいつの家で一緒に遊んでもらったものだ。
私でさえ凄く悲しかったのだから、当時の彼の喪失感は物凄いものだったのだろう。
それに加え、一家の大黒柱を失った彼の家族は長男のタカが支えなくてはいけなり、タカは夏休みに入るとすぐにバイトを始めた。
結局卒業後、地元の大学に進む予定だったタカは、県外の工場に就職して、私から離れて行ってしまったのだ。
それからは、私がタカと会える日はめっきり減っていってしまい、今年の春くらいからはほとんど会っていない。
――会おうと思えば会えるのかもしれない。
タカだって卒業する前は、「別に会えなくなるわけじゃないよ」って言ってくれたし、私もその通りだと思う。
でも、素直になれない私からは、会いたい――なんて言葉はなかなか口から出てこないのだ。
なんの変哲もないただの一言が。ただ素直な気持ちを伝える事が、私にとってはとても難しくて。それができないのが辛かった。
――あいつは? タカは私に会いたくないのかな?
だって、私が誘わなくたって、あいつが『会おう』って一言連絡を入れてくれればいいはずだ。実際、彼が忙しいのはわかってるし、こんなのただのわがままだっていうのもわかってる、でも……。
いろんな気持が心の中で揺れる。こんなにタカと会えないことが苦しいなんて思いもしなかった。
……いや、本当はわかっていたはずだ。私は自分の気持ちにさえも嘘をつくようになってしまったのだろうか?
心の奥に封じ込めていたはずのタカへの思いが、じわじわと外へと溢れ出していく。
――帰ったら、勇気出してみようかな?
ふと、そんな感情が心に芽生える。
もうなんでもいいからとにかく会いたい。タカに会いたいよ。
私は知らない間に下を向いていた顔を上げると、早足で前へと歩きだした。土手に沿って真っすぐ自分の家を目指す。周りの景色にはわき目もふらず、ズンズン、ズンズン歩いた。
――早く家に帰ってあいつに連絡したい。会いたいって言いたい……
そんな決意を胸に足を進めていた。
その時だった。私の背後から、馴染みのある、どこか懐かしい声が響いた。
「あれっ、かな!?」
一瞬、いや数秒間、頭がついていかずに茫然と立ち止まった後、私は凄い勢いでぐるんっと反転した。勢い余って倒れそうになる体をなんとか支え、声の主を必死に探した。
やっとの思いで見つけると、思った通り――川の土手に寝っ転がっている一人の男の子。ずっと会いたかった人が、そこにいた。
「た、たかぁ〜……」
たまっていた寂しさと、タカに会えた嬉しさで胸がいっぱいになり、つま先から熱い何かが頭のてっ辺まで一気に登った。
「お、おい。なんで泣いてんだよ、お前」
そう言うと、タカはどこか慌てたような、どこか心配しているような顔で私を見た。
――泣いてる? 私が……? うそっ!?
言われた後に、自分の頬を伝う一筋の涙に気づき、急に恥ずかしくなった。
一番見られたくないところを見られてしまった……。自分でも、顔が火照ってだんだんりんごのようになってていくのがわかる。
「な、泣いてないし。欠伸だから、ほんとに!」
私はサッと下を向くと、ゴシゴシと目から流れ出た涙を服の袖で急いでふき取った。
「まぁ、それならいいけどさ。」
タカはそう言った後も、しばらくは心配そうに私のほうを見つめていた。久しぶりに会ったからなのか、私は凄く緊張していた。自然と鼓動が早くなっていく。
――今までは、コイツと一緒にいて緊張することなんてなかったのにな。
「あのさぁ、となり……座っていい?」
私がそう言うと、タカは黙って自分の隣をぽんぽんと叩いた。私はそれに小さくうなずくと、小走りでそこまで駆け寄り、黙ってタカの隣にそっと腰を下した。
座ってから体の正面を向くと、最初に目に映ったのは夕日と、それに輝く美しい川だった。川のあちこちが、まるでダイヤモンドを散りばめたかのように綺麗な光を放っている。私は思わず眩しくて目を瞑ってしまう。――ああ、タカはこれを見てたのか。
「久しぶりだな?」
タカは一度起こした体をまた地面に横たえると、視線は夕日に向けたまま、そっと私に語りかけてきた。
「何が?」
「ほら、高校のときはさ、よく二人でこうやって……夕日、見ただろ?」
――あ、タカも私と同じこと考えてた。
私はそんな小さな事でもちょっぴり嬉しくなってしまい、ついつい『にやっ』と緩みそうになる顔の筋肉を必死に抑える。
「ふん、だいたいね、顔を合わせたのだって久しぶりだっつうの! まったく、ばかみたい……」
しかし、素直になれない私は、タカにはいつもこんな心にもない毒を吐いてしまう。
こんな時まで嫌味な言葉しか出てこない自分自身がほとほと嫌になり、自然と小さなため息が口からついて出た。
「はは、確かにな。かなと会うの、凄い久しぶりだ。気づいたら俺達……全然会えなくなっちまってたな?」
困ったよに笑うタカの顔が、私の顔をすっと覗いた。恥ずかしさと照れから、私はプイッ、っとすかさず顔をそらす。
もうここまで来ると、『これは条件反射みたいなものなのかもしれないな』と自分でも思い、自傷気味な笑みを浮かべてしまう。
「タカのアホ。だいたいこんな時間に戻ってきてるんなら、メールの一つくらいしてよ」
けれど、そっぽを向いたままの私から出てきた言葉は、以外と素直な言葉だった。
「あれ、もしかして寂しかった?」
「……そりゃあ。まぁ、少しだけ」
そのまま流れに乗って、ちょっとだけ勇気を出して言ったみた言葉は、予想以上に恥ずかしくて、私の顔はまたもや真っ赤に染まってしまった。
それは夕日に照らされてるからでは言い訳できないほどの赤い赤い真っ赤な赤。もしかしたら、リンゴでも今の私には張りあう事はできないかもしれない。
随分となれない事をしてしまった……。私は急いで顔を下に向け、タカに顔を見られないようにする。
あまりにドキドキしすぎて、心臓から音が聞こえてくるのではないかと心配になる。
――あれ?タカの反応がない。
私にとって予想外の静寂が、二人の間を流れた。
「たか?どうかした」
下を向いたまま、小さな声でそっとタカの様子を探ってみる。
「あっ、えーとそのぉ。正直、びっくりした」
タカは自分の頬をぽりぽりとかきながらそう答えた。なんだかどこか恥ずかしそうだ。
「どういうこと?」
「だからさ、会いたいと思ってるのは、もしかして俺のほうだけなんじゃないかって……思ってたから」
それを聞いて、私の胸がドクンっと大きく脈を打った。
「なんでそう思った?」
「だって、会いたいなら普通メールくらいくれるだろ?」
「なによ。タカだってメールくれなかったじゃん!」
「いや、だってさ。大学入学したばっかで迷惑かと思って……新しい友達もいるだろうし。」
その言葉をを聞いて、少しだけ胸がチクリと傷んだ。
――ああ、コイツは全然私の事をわかってない。私にはそんな事よりもっと変えがたいものがあるのに。
「たかのあほ。そんな事、気にしなくてもいいのに……」
尻すぼみになって出た言葉は、ちゃんとタカに届いただろうか? きっと、この鈍感男には本当の意味まではとどかないんだろうな。
そう考えると、私はなんだかおかしくなって思わず笑ってしまった。
私の言葉にしばらく黙っていたタカも、不審に思ったのだろうか? 不思議そうな眼でこちらを見ると、一言口を開いた。
「おい、何笑ってんだよ?」
「ううん。なんでもない」
タカも「へんなやつ」とだけ呟くと、私につられたように小さく笑いだした。
それからは、二人とも緊張からか、妙にぎくしゃくしてしまい、大した会話が続かなかった。
私は足を一度崩すと、座り方を体育座りに変え、両足に顔をうずめて丸まってみた。なんとなくこの姿勢が一番落ち着くのだ。
「なんでお前はそんなに丸くなってんだよ」
タカのおかしそうな笑い声が、私の腕に隠れた耳に聞こえてくる。
私達は、しばらくお互い黙りこんで夕日を眺めてた。辺りを静寂が包み、聞こえるのは虫達の静かに歌う声だけだ。
私も少しだけ足の間から顔をだし、タカと一緒になって夕日を眺めた。気づくと、もうすぐ日は建物の陰に入ってしまうようだ。
夕日が沈んだら、タカとまた別れなくてはならないような気がして、私は心の中で『まだ沈まないでください』と願った。
「なあ? お前、まだ帰らなくていいのか?」
タカの声が、静寂を破って私の耳元まで届く。もしかしたら、タカも夕日との別れが名残惜しいのかもしれない。
私は少し間をおいてからゆっくりと答えた。
「うん、まだ大丈夫」
「叔母さん、心配してるんじゃないか?」
「私、裏のアパートに引っ越して一人暮らしだって、前に言ったでしょ? だから平気」
「ああ、そういえばそうだったな」
その言葉を最後に、また私達の間に沈黙が流れる。でも、気まずさからではない、優しい沈黙だ。
ずっとこの時間が続けばいいと思っていたが、気が付くとあっという間に日は沈んでしまった。
「……沈んじゃった」
ボソッと、弱々しく漏れた私の声は、初夏の風の中に呑まれるように消えていった。
きっと、隣のタカのところまでは届かなかっただろうな。
「……なあ?」
「ん? なに?」
「かな、今日はカレーでも作るのか?」
「うん、なんで?」
「それ」
タカが指さしたのは、私が持っていたスーパーのビニール袋だ。
「ジャガイモ、人参、玉ねぎ、牛肉とくれば、カレーくらいしかないだろ?」
瞬間、パッと1つの画期的な提案が私の頭の中に浮かんだ。
「あのさ……なんなら、私の家でタカも食べてく?」
「いいのか?」
「タカさえよければ……カレーなんて、何人分作るのも一緒だし」
相変わらずあまり素直にはなれないが、言いたいことを無事に言えてほっとする。
「あっ、でも。タカのお母さんが心配してる?」
「いや、今日は友達と外食するから遅くなるって言ってある。なんか、一人で食べたい気分だったからさ……」
その言葉に、少しだけ私は心配になる。
――私の誘いも本当は迷惑だったのではないだろうか?
「ご飯、一人で食べたいの? じゃあやっぱりうち来るの、やめる?」
心細さからか、声も自然と細くなってしまう。
「あ、いや、かなとは別だよ。つーか、作ってもらうの期待してたし」
そう言うと、彼は私のほうをを見て優しく笑った。私はこうなるとなかなかタカの顔を直視できなくなってしまう。
なんとなく気恥ずかしいというかなんというか、乙女心は複雑なのだ……
「そ、そっか。じゃあ、早速行く?」
「んー、どうせ暇ならさ。星が出るまで、ここでゆっくりしていかないか?」
「え、うん。別にいいけど」
見渡すと、周囲はいつの間にか薄暗くなっており、夏の夜のここちよい風が吹き始めていた。
それなりに田舎だからなのか、この辺りはよく綺麗な星が見えるので、私も久しぶりにゆっくり見たくなった気がした。
「かなはさぁ、全然変わらないな」
呟くように彼の口から出る言葉が、ゆっくりと風に乗って、私の耳元まで届く。
「真っ黒な髪の毛も、普通より少しだけちっちゃい背も、その性格も、全然変わらない」
「それってさぁ……タカにとって、いいこと?」
私がすかさずそう聞くと、一瞬タカはキョトンとしてから、すぐいつもの困ったような笑顔を浮かべた。
「んー。まぁどうなっちゃってもかなはかなだけど、正直安心したかな?」
「私も、タカが変わってなくて安心した」
タカのその答えになんだか嬉しくなり、つい、私もすかさずそう答えた。。
(しまった……)
もちろんそれは私の本心のわけではあるのだが、こんな事を言うのはいつもの私らしくない。
固まっていた心がほぐされ、だんだんと素直になってしまっている自分に戸惑いながら、ギュッと顔を足にうずめた。
こんなセリフが私から出てくるなんて、自分でも想像していなかったのに……
そんな事を思って勝手に悶えていると、ひどく驚いた、というようなタカの声が隣から聞こえて来た。
「な、なあ? やっぱりお前……少し変わったか?」
「う、うるさいっ!」
ちょっぴりやけになって叫んだ私の声は、少しうわずってしまった。