【 1 】  
 
 サユマにとって父譲りの毛並みは誇りであり、母譲りの大きく跳ねた耳は自慢であった。しかしながらただ一つ、  
ススキのよう毛並みも疎らに毛羽立った尻尾だけは、どんなに撫ぜて毛繕ろうとも好きにはなれなかった。  
 猫科獣の特徴を持つ父も母も――否、家族に限らず集落における雌達のしっぽは皆、ガマの稲穂のよう硬く艶やか  
で、くっきりと模様の浮き出た尻尾である。それにも関わらず自分のものだけは、色も毛並みも曖昧な土間ホウキの  
ようにみすぼらしいものであったからだ。  
 今までも然ることながら事に触れてここ数日は、なおさらにそれを気にしては鏡を前にため息を重ねるといった具合で  
あった。  
 これほどまでに己の容姿に気を病むのは、他でもない村の『銀齢祭』を今夜に控えているからである。  
 サユマの住む村では、子供達は数えて15歳を迎えると、その年に生まれた者達を集めて成人の儀式を為す。  
 踊りを捧げ酒を酌み交わし、そして子供達は初めての性交渉を交わすパートナーを探す。  
 この村における『成人』とは、『子を成す』ことの出来る者達のことを言い、そして齢15歳を迎え、生殖機能が  
体内に備わることを以て『成人』――しいては、『村の一員』として認められるのだ。  
『子を成す』の言葉からも判る通り、今宵の銀齢祭は『成人式』であると同時に、個人にとっては『結婚式』でも  
ある。そのパートナーを今宵、サユマは探さなければならない。そしてその心に決めた雄がいるからこそ、なおさら  
自分の容姿にサユマは焦りとため息を重ねるのであった。  
 
「サユマー、ラトラ君がきたよー」  
 と――突如として室外からの母の声にサユマは両肩を跳ね上がらせる。  
 いつの間にか胸の前で抱きしめていたしっぽを急いで放すと、サユマもまた大きく声を出して返事を返す。  
 今日の祭りを前に最後の身支度を整えていたサユマは、つい鏡を前にそんなコンプレックスに頭を悩ませてしまった  
のだった。  
 人間と違い尻尾を持つ獣人にとってのそれとは、単なる器官ではない。生物の特徴たらしめるそれこそは、雌としての  
セクシュアルをアピールする重要なパーツでもあるのだ。  
――気にしてても、もうどうにもならない  
  もんね。なんとか隠してごまかせない  
  かなぁ……。  
 二度目の母からの催促に深くため息をつくと、サユマは重い気持ちで寝室を後にする。  
 足取りも重く階段を下りると、意気消沈した様子のサユマを見つけ母は大きく鼻を鳴らした。  
「用意してあった衣装を着るだけだっていうのに何をしていたの? お化粧もしなきゃならないんだから、早く下りて  
こなきゃだめでしょ?」  
 祭りの準備に追われている慌ただしさもあってか、腰に両手を添えた母はすっかり憤慨した様子で鼻を鳴らす。  
 式用の装飾品を並べたリビングテーブルの前にサユマを座らせると、母は慣れた手つきで彼女の髪を梳(くしけず)り、  
そして結い上げてゆく。そうして粧されながらサユマは、  
「しっぽ……おかしいかなぁ」  
 呟くようにそんなことを母に尋ねる。  
 そんなサユマの言葉にその一瞬目を丸くしたかと思うと、母は吹き出すよう鼻を鳴らし、そして声を出して笑うので  
あった。  
「どうして笑うの? わたし、すごく悩んでるんだよッ?」  
 そんな母の反応についにサユマも感情を爆発させる。今まで不安に抑えつけられていた分、一度その感情が溢れ  
だすとサユマにはそれを止めることが出来ない。  
「あんた、そんなこと気にしてたの? もしかして今まで部屋に閉じこもってたのも、そんなこと気にしてたから?」  
「だって……だって、おかしいよ。お母さんも、他の村の子だってこんなボサボサのしっぽしてないよ。……私だけが、  
こんなしっぽなんだよ?」  
「しっぽだけが全てじゃないでしょ? あんたは耳も瞳も奇麗なんだから、しっぽなんて気にすることないわよ」  
「気にするよぉ。もし……もしこのしっぽのせいで選ばれなかったら私……私……」  
 無意識に尻尾を抱き締めてそこに顔を埋めるサユマに、最後の髪止めを施した母は苦笑い気にため息をつく。  
「それって、ラトラ君のこと?」  
 そして掛けられる『ラトラ』の名に、サユマは針で刺されたかのよう大きく体を跳ね上がらせて顔を上げる。  
 不安の図星を的中させられたことに驚いてサユマはただ母の顔を凝視する。  
「小さい頃から仲良かったもんね。だったらさ、ラトラ君なんてあんたのしっぽのことなんか気にしてなんかいないよ」  
「……判らないよ、そんなこと。ラトラ君だってきっと奇麗な子がいいに決まってるもん。こんなしっぽ、こんな  
しっぽ……」  
 再び尻尾に顔を埋め、ついには泣き出すサユマを母は優しく椅子から立ちあがらせる。  
「こんなめでたい日に泣く子がいるの? お化粧が崩れちゃうでしょ。とにかく外にお行き」  
 半ば強引にサユマの背を押すと母は玄関扉のドアノブに手を掛ける。そして大きくそこを開け放つと、  
「おまたせラトラ君。なんか緊張しちゃってるみたいだから、よろしくね」  
「きゃあッ?」  
 無慈悲にも母はそこから強くサユマの背を押した。  
 
 非情な掌に押し弾かれ、転ぶように前方へつんのめるサユマ。そんなサユマを、何者かの両腕が抱きとめる。  
 大きなその中に抱き包まれて顔を上げる。サユマの眼前には――驚いたように丸くした目で見つめてくる少年の顔が  
あった。  
「ッ………」  
「あ……ラトラ、君」  
 高く通った鼻頭に琥珀のような深い黄色の瞳――彼こそが今までの話に出てきた、少年ラトラであり、そしてサユマの  
意中の人である。  
 思わぬ突然の登場と、さらにはめかし込んでいつもとは雰囲気の違ったサユマを前に、ラトラは抱きとめた腕を  
解くことなく体を硬直させる。  
 そしてそれはサユマも然り。  
『狩人』を模し、煌びやかな鳥獣の羽毛や毛皮で凛と成人の装いに着飾ったラトラの姿は、サユマの知る少年然と  
した彼ではない、『大人』としての魅力――いうなれば『雄らしさ』を強く印象付けるのであった。  
 しばしそうして見つめ合う二人。  
「ちょいと。式前に始めないでおくれよ? 同じ式の日とは言ったって、フライングは重罪なんだからね」  
 と――母の声に我に返り、二人は弾きあうかのよう互いに離れる。  
「重ね重ね、今日はよろしくね。この子緊張しちゃってるみたいだからさ」  
「お、お母さんッ」  
 からかうように掛けられる母の言葉に、ついサユマも恥ずかしさから声を大きくする。  
 そんなサユマにひとしきり笑ったかと思うと、母は家のドアを閉じて完全に二人を屋外に締めだす。とうとう、  
二人きりになってしまった。  
 そのままどうしたらいいものか判らずに立ちつくすサユマを、  
「い、いくよ。送ってく」  
 ぶっきらぼうに隣のラトラが言ったかと思うと、彼はサユマの手を取り早足に歩き出す。  
「あ、あ……待って。待ってよぉ」  
 その手に引かれながらサユマも小走りになりながらラトラの跡を追った。  
 件の祭りが行われる村の中央までは、集落のはずれにあるサユマの家から歩いて20分ほどかかる。  
 最初は早足だったラトラも、着飾ったサユマが衣装的にも動きづらいことを察すると、自然とのその歩みを緩やかに  
する。やがてはラトラにサユマも追いつくと、改めて二人は歩調をそろえた。  
「ラトラ君……かっこいいね、肩の羽根とか」  
 しばし共だって歩きながら緊張がゆるんでくると、二人はどちらともなく会話を交わす。  
「さ、サユマだって、服がキラキラしてる」  
 思わぬサユマの言葉にラトラも返事を返す。極限までに照れが達しているせいか、『奇麗』や『可愛い』などと  
言う気の利いた言葉がどうしても出せない。それでも、普段は粗野にふるまっているラトラからは信じられぬほどに  
緊張した口調であったといえる。  
「今日、銀齢祭だね」  
「そ、そうだな」  
 そんなラトラの変化に気づくことによって、サユもまたよりいっそう今日という日の重要さを理解して緊張して  
しまうのだ。  
「ごめんね。私が支度してる間、待った?」  
「そ、そんなに」  
 半ばにまぶたを閉じて、鼻から音となって漏れているのではないかと疑いたくなるような鼓動の高鳴りを二人は  
それぞれに鎮めようとする。何気ない会話で、いつもの自然な自分達を取り戻そうと、サユマとラトラも必死であった。  
 そんな中、ふと出されたラトラの質問がそんな二人の空気を一変させる。  
 
「サユマさぁ……相手ってもう決めた、の?」  
 思わぬ質問にサユマは顔を上げてラトラをみる。見上げるそこには頑ななまでに視線を前方に固定したラトラの  
緊張した面持ちがあった。  
 その様からは必死に平静さを繕おうとしている気配がありありと見て取れる。彼もまた意識しているのだ。事実、  
サユマの手を握り締め続ける右手には痛いくらいの熱と力とが込められている。  
「私……私は……」  
 そんなラトラの問いを受けてサユマは口ごもる。その返事にラトラも立ち止まると、二人は再び視線を向き合わせた。  
 真剣にサユマの返事を待つラトラと、そしてそんなラトラを見上げながら今にも泣き出しそうな視線を返すサユマ。  
しかし、これこそは二人の望んだ瞬間でもあるのだ。  
 サユマがラトラを想うのと同じように、このラトラもまたサユマに想いを寄せている。今日の銀齢祭を前にして、  
誰よりも彼女を意識してきたのだ。  
 そして今、そんな互いの想いを二人は確かめようとしている。  
「私……わたし……」  
 溶かされんばかりに見つめられながら、サユマも勇気を振り絞る。そして、内なるその想いを告げようとしたその瞬間、  
『サユマー、サユマーッ♪』  
 突然の声に二人の世界は打ち破られる。  
 何事かと思い振り返ればそこには、  
「サユマも今着いたんだ? あたし達もいま来たところー」  
 そこにはサユマ同様に着飾った雌達の姿――言うまでもない彼女の友人達一同であった。  
「あ、あの、そのね……」  
 そんな突然の友人の出現に、交互に彼女達とラトラとを見比べるサユマ。今はそんな場合ではないのだ。  
 しかしそんな状況や彼女の心情に気付くことなく、  
「ねぇねぇ、いま隣に居たのってラトラじゃん? もしかして相手あいつに決めちゃった?」  
「わたし選ばれるかなー? ずっとフリーなんだけどさー♪」  
 たちどころにサユマは彼女達に取り込まれたかと思うと、あれよあれよと連れ去られてラトラから引き離されていった。  
「あ、あぁ……ラトラ君……ッ」  
 そんな中にあって、本当に泣き出してしまいそうな視線をラトラへ送るサユマ  
 その様は救命ボートから救いの船を望む哀れな漂流民――ラトラもそれ救うべく手を伸ばすが、機を逸した状況を  
取り戻すことは適わず、ただ伸ばした掌が空を揉むばかりであった。  
 そうして彼女が完全に視界から消えてしまうと――ラトラは大きく首を落とし、両膝に掌を突いて深くため息を  
ついた。  
 やがてはいからせていた両肩が下がり、堅く力を込めていた尻尾も萎れて地に落ちる。緊張が解けた。同時に  
言いようもない脱力感がその身を包みこむのであった。  
「これだから雌(おんな)達って……」  
 誰に言うでもなく愚痴てしまう。  
 そんなラトラへと今度は、  
『おーい、ラトラぁー!』  
 新たに掛けられる声。振り返れば今度は、自分同様に豪奢な衣装に身を包んだ友人(オス)達が、自分へと向かい  
ながら手を振っているのであった。  
「早いじゃん、ラトラ。もう我慢できなくなったか?」  
「そうだよなー。俺なんて昨日眠れなかったもん」  
 左右から両肩を組まれて語りかけられるラトラ。今日の成人式にすっかり昂揚してしまっているそんな友人達とは  
対照的に、今のラトラはすっかり意気消沈してしまっている。  
――返事を聞き損ねた。でも、感じ的には相手を決めている  
  っていう雰囲気は無かったな。  
 しかしながら、ともあれと思いなおす。  
――ならば、祭りで確かめる。今度こそ俺は  
  お前を射止めてみせるよ、サユマ……!  
 そして一人密かにその決意を新たにし、仲間たちと祭りの会場へと歩を進める。  
 時は夕刻を越え、運命の夜を迎え入れようとしている――藍の色がにじみ始める空の果てには祭囃子の遠い音が  
響いていた。  
 
【 2 】  
 
 今年の会場でもある中央広場に近づくにつれ、村は徐々にその姿を変えていく。  
 通りに面した民家の軒先には色とりどりの花々がちりばめられ、公道が広くなる交差点の路肩には様々な露天商が  
それぞれの店を広げている。  
 そしてこと中央広場に至っては――そこは、現実世界とは完全に隔絶された夢世界にその姿を変えていた。  
 今日の銀齢祭を祝う色とりどりの看板が掲げられ、環状に客席のもうけられた会場の正面には巨大なステージが  
設けられている。そしてその会場もすでに満員御礼、立ち見客が現れるほどの観客達で溢れかえっていた。  
 普段の地味に見慣れた村からは信じられぬその光景の中には、明らかに自分達とは違う種族の獣人達も見られる。  
 今宵の銀齢祭は、この地域一帯の中でも特に注目されるイベントの一つだ。その祭りを見ようと近隣から人達が  
集まり、さらにはそれを相手に一儲けしようと商売人達もこぞってこの村に集まってくる。斯様に人種の坩堝と  
化した今この瞬間だけは、村はいつもの現実世界から夢世界へとその姿を変えるのだ。  
 そんな会場の舞台裏にラトラ達新成人の雄(オス)達は控えていた。雌達の姿は見えない。  
 今宵の式において、新成人の雄と雌は徹底的に隔離される。  
 イベントは村長が奉納の祝詞を吟じた後に雄・雌それぞれのグループに分かれて地の神への舞を捧げさらにその後、  
男女に分けられたそれぞれの会場で酒盛りが始まる――というスケジュールだ。そこまでが『銀齢祭』となる。  
 それら祭りの全ての工程が終わると新成人はそれぞれに村の各所へと散り、そこにおいて初めて雄雌は顔を合わせる  
こととなるのだ。  
 その後は各々で自分のパートナーを探し出し、思い思いの時間を過ごしていく。――大抵の場合は村から出て、  
外苑の森の中で子作りに励む訳ではあるのだが……。  
 閑話休題。  
 ともあれラトラ達『雄』は今、自分達の舞を奉納すべくステージ裏手に控えているという訳であった。  
 自分達の登場を待ちかねていると、一足先に会場からは大声援がわいた。先だって会場入りした雌達の舞が始まったのだ。  
 声援(こえ)に震える空気の中に混じって、甘い化粧のにおいが雄達の控えるそこへと流れてくる。  
 すると一匹目の雄がそれを嗅ぎ取り、  
『ウォウォォ―――ッ!!』  
 数人の雄が雄叫びを上げた。  
 そしてそれを皮切りに、周りの雄達もそれぞれの想いをステージの向こうに居る雌へと叫んでいく。  
 顔を合わせることは御法度でも、こうして声を投げかけることは禁止されていない。むしろ、この雄達の遠吠え  
もまた今日の銀齢祭を飾るイベントの一つであったりもするのだ。  
 今宵の式は『発情期』にも重ねて行われている。そうとあっては雄達も感情を自制させることは敵わず、ゆえに  
雌の気配にこうした声など上げては、己の中の野性を露わにさせてしまうのであった。  
『ミウ、まってろよー! 必ずお前と結婚するぞー!』  
『おーいクミクナー、聞こえるかーッ? 今日は俺の子供産ませるからなー!』  
 そんなこともあってか雄達の声も斯様に本能をむき出しとした聞き苦しいものが多くなる。しかしながら今日は  
誰も咎めない。それが許される日こそが、今日の銀齢祭であるのだ。  
 そしてラトラもまた、  
「サユマー、聞こえてるかー!」  
 心の声を叫ぶ。  
 面と向かっては言えない言葉も、今のどさくさまぎれの状況とあっては自然と声になって表に出た。  
「必ずお前を探し出すぞー! 絶対に、他の雄(おとこ)になんかに渡さないからなー!!」  
 斯様な雄達の声に会場からは笑い声が上がる。  
 徐々に沸点近づきつつあるその中において、ラトラはいま叫んだ気持ちを新たに、サユマ獲得を強く己へ誓い直す  
のであった。  
 
 
    ★    ★    ★      
 
 
 自分達の舞を披露し終え、雄達と入れ替わりに舞台裏へと戻る雌達――運動後と、そして興奮の極みに達している  
雌達の顔はすっかり上気して、皆一様に眩しいほどまでの笑顔に咲き満ちていた。  
『ねぇねぇ聞いた? あたし達が踊ってる時の雄達の声ー』  
『聞いた聞いた♪ ホント「ケモノ」だよね、あれ。まんま、犬じゃん♪』  
『あ〜、今夜そんなケモノの相手させられるのかー』  
 口々にそんなことを言いながらも、それをおしゃべりし合う表情はどこまでも明るくそして楽しげだ。口ではどんなに  
言おうとも、今日という特別な日に興奮を覚えているのは雌達もまた然りなのである。雄達とこうして触れあえる  
ことが楽しくてしょうがない。  
 そしてそんな興奮にすっかりのぼせ上がっているのは、  
――ラトラ君の声が聞こえた……!  
  間違いなく聞こえた!  
 サユマも然りであった。  
 ステージを下りてもなお、彼女から胸から興奮の火が消えることはなかった。  
 舞を踊っていた時に聞こえた雄達の声――その中にサユマは、間違いないラトラの声を聞いた。  
 聞き違いなどでは無い。あの声は確かに「自分(サユマ)を探してくれる」と言ってくれた。「他の雄には渡さない」と  
言ってくれたのだ。  
 端(はした)ない話ながらその声を感じ取った瞬間、不覚にもサユマは下着を汚してしまっていた。斯様に生物としての  
本能を揺さぶるまでに、想い人の声はサユマの中へと染み渡ったのである。  
 そんな興奮の冷めやらぬ会場に、今度は野太い雄達の声が響き渡った。  
 鳴り物に合わせて優雅に踊られていた雌達のものとは違い、雄達が捧げるそれは激しく地を踏み声を張り上げる、  
遠雷の如く轟然としたものである。  
 しかしながらそれゆえに、面白い。  
 そもそもは今日の成人達が捧げるこの『演舞』と言うものも、元は基を一つとする同一の楽曲である。しかしながら  
それも、男女という演じ手の違いというだけでこうまでも変化するのだ。観客達にとってはそんな『落差』を見比べ・  
聞き比べることともまた、この舞に対する楽しみ方の一つであったりする。  
 その一方で舞台裏に控えた雌達はと言うと、そんな雄達の咆哮にその身を震わせる。『発情期』という今日の日に  
至っては、今の雄達の声が体に――否、もっと深い『本能』に強く共鳴してくるのだ。  
 斯様に体を駆け抜ける情欲の熱に芯まで焼かれ溶かされた雌達は、強く乳房や股間を抑えるなど、はたまた失神して  
しまう者達まで現れ、実に原始の本能に忠実な姿を見せる。  
 そしてついには感極まり――  
『こらー、エトスー! 必ずわたしのところに来なさいよー!!』  
『ルー、今夜は寝かせないからねー! たくさん子供作ろうねー!』  
 雄達同様に雌達もまた、遥かステージの雄達へと思いの丈を吼え猛るのであった。  
 その中に混じって、  
「ラトラくーん! 聞いてー!!」  
 サユマもまた声を張り上げる。  
「私も好きだよー! 待ってるからー! ラトラ君以外の男の子なんて、選ばないからねー!!」  
 そんな雌達の声に呼応するよう、ステージから響(かえ)る雄達の掛け声と地団太はその力強さを増す。  
 そうした雄達の現金な反応に雌達はおろか、会場からも大いに笑い声が響き渡るのであった。  
 
 ――かくして舞の奉納も終わり、式は男女に分かれた盛宴へと進行していく。  
 銀齢祭のクライマックスも近付きつつあった。  
 
【 3 】  
 
『今日は成人おめでとう! 明日からはもう子供じゃなくなるから、今夜はたくさんお喋りして楽しんでねッ♪』  
 
 糸頭(いとがしら)である雌の音頭で乾杯を交わす。  
 場所は、湖に近い村の西はずれに設けられた特設会場――そこにおいて、新成人の雌達は式の盛宴を始めた。  
 酒盛りの始めに音頭を取った『糸頭』とは、村の縫製作業をつかさどる大人であり、いわば村内における雌達の  
取り纏め役的な存在である。今の宴会においては新成人達が行き過ぎた行動に走らないよう監視監督する使命を帯びて  
この酒宴に参加しているのである訳だが……。  
 と――いうのはしかし建前。  
 実際のところは、  
「アタシ達の初めての時は見事に失敗でねぇ……。つがいになったバカが飲み過ぎて、本番の時にチン○勃たなく  
なっちゃってさぁ。しかも潰れて寝てたのよ? こういうのってフツー雄が雌を探しに来てくれるもんだけど、その時は  
アタシが探しに行ったんだから。逆じゃない、これって?」  
 新成人に混じって羽目を外したいだけであったりする。  
 取り纏め役目役がそんなものだから、宴席は時が経つにつれ混沌とし、そしてさらには雌達のボルテージを無軌道に  
高めていくのであった。  
 その中において、サユマは初めて口にする葡萄酒(アルコール)に酔い出しながら、演舞での熱の余韻を楽しんでいた。  
――ラトラ君、どこに居るかな? ちゃんと  
  村の中で巡り合えるかなぁ?  
 どさくさまぎれであったとはいえあの祭りに中で、確かにサユマはラトラの言葉(こえ)を聞いた。そして自分もまた  
幼い想いの丈を声の限りに伝えた。  
 もしラトラが自分を選んでくれているのなら、きっと自分の声とそしてこの気持ちは伝わったはずである。ゆえに  
再び顔を合わせた時に互い、どんな反応をしてしまうのかと考えると、たまらなくサユマはそれが怖くてそして楽しい  
のであった。  
 斯様にして幸福な時間を過ごすサユマではあったが――事件は、宴も酣(たけなわ)かというその時に起きてしまった。  
「そろそろ時間かな? ――はーい、それじゃーちょっと聞いてー!」  
 頃合いを見計らった糸頭が、雌達の注目を自分へと集める。  
「あと少しでこの宴会も終りになるわ。これからは村に戻ってもらって、そこでパートナーを探してちょうだい。  
でも、無理強いはしちゃダメよ? それから交尾に関しては――」  
 これからのパートナー探しについて注意事項を述べていく糸頭の説明を聞きながら、いよいよサユマの胸の昂まりは  
大きくなっていく。  
――ついにラトラ君と会えるんだ……ついに  
  会えるんだ!  
 もはや糸頭の話など微塵も頭に入ってこない。その中にあるのは、想い人と過ごす『これから』の夢想妄想ばかり  
である。  
 そうして自分の世界に浸るサユマへと、  
「――ねぇ、サユマ」  
 誰かの声が掛けられる。  
「ッ!? は、はい?」  
 その声に我に返るサユマ。気づけば、妄想に集中するがあまり口元から垂れたよだれにも気付けずにいた。  
 慌てて口元をぬぐい、声の方向に振り返るそこには――  
「ツュー……」  
「ふふ、こんばんは♪」  
 友人の一人である短毛のツューがそこには居た。  
 
 今まであまり話したことはなかったが、サユマは彼女のことをよく知っていた。否、この村においてツューを  
知らない獣人(にんげん)などいない。  
 彼女は雌でありながら雄達の狩りに同行し、そして彼らに負けない戦果をあげる同世代の雌達には憧れの存在で  
あった。そんな彼女が突然話しかけてきたのだ。しかも――  
「アンタ、ラトラのこと狙ってるの?」  
 思いもよらぬ名前がその口から出てきた状況についサユマは混乱してしまう。  
「ねぇ、どうなのよ? サユマはラトラのこと狙ってるの?」  
 二度目の質問に我に返る。そしてそんなツューの質問になぜか罪悪感を感じながら、  
「う……うん。選んでもらえると、嬉しい……かな」  
 煮え切らない返事を返してしまう。  
 そんなサユマの返事を受けて、ツューは対照的に輝くような笑顔を見せた。  
 そして返される彼女の返事に  
「じゃあ、アンタはライバルだね。アタシも狙ってるよ、アイツのこと♪」  
 サユマは凍りつく。  
 その後もツューは自分へと何か語りかけてくれているようではあったが、そんな言葉などもはやサユマには遠く  
届かないところに居た。  
 短毛のツュー ――彼女の魅力は、先に述べた狩りの上手さだけに留まらない。眉目麗しく、引き絞られた痩躯の  
スタイルは白銀の毛並みと相成ってはさながら、冬の三日月のように均整のとれた美しさを見る者へと感じさせる。  
 性格もまた竹を割ったかのよう快活で裏表の無いことから、彼女は同年代のサユマ達はもとより、上の世代からも  
人気がある。  
 そんな完全無欠のツューが、事もあろうか宣戦布告をしてきたのだ。  
 彼女ツューにとってサユマにそのことを告げることは、この恋の争奪戦に正々堂々と挑みたいという意気込みを  
語ったものであったのであろうが――サユマにとってのそれは、死の宣告以外の何ものでもなかった。  
 盗み見るよう上目に、改めてツューを観察する。  
 先にも述べたようメリハリの利いて洗練された体躯の彼女に対して自分のそれはというと、隆起に欠け肉付きの  
良いふくよかな体……同年代から見ても『行き遅れている』と言った感がぬぐえない幼児体型のそれを前に、サユマの  
心(なか)で劣等感はゆらりと鎌首を持ち上げた。  
 そして何よりも自分とツューとの差をサユマに知らしめたものこそは――何物でもない、尻尾の形それであった。  
 ほうきのようにみすぼらしい自分のそれとは違い、ツューのそれは痩躯に見合わず太く、模様もしっかりと浮き出した  
それは見事な尻尾である。しかもその尻尾が今日の衣装に合わせ、鈴や宝石で装飾されているに至っては、同性で  
あるサユマが見ても見惚れるほどの美しさであった。  
 それに比べて自分のしっぽはというと――そこにはリボンすら巻かれていなかった。  
 見れば他の雌達だって思い思いの身仕舞をそこに施しているというのに、自分だけはずぼらにも『すっぴん』の  
尻尾を晒し続けていたのだ。  
 今になってそのことが恥ずかしくなり、羞愧に耐えかねて密かに己のしっぽを衣類の裾で覆うと、あとは自分の  
胴に巻きつけてサユマはそれを完全に隠してしまうのであった。  
 
 やがては宴も終わりを迎え――  
「それじゃ解散! みんな、思い出いっぱいの夜を過ごしてね♪」  
『はーい♪』  
 糸頭が告げる解散の声に他の雌達が散り始めても――  
「よし、終わったみたいだね。それじゃサユマ、負けないからね」  
 隣のツューもまた席を立っても――サユマだけは一人、石になったかのよう動けずにいた。  
――ダメ……もうダメ。絶対に勝てない。  
  私なんかじゃツューになんて勝て  
  ないよ……!  
 両手で握りしめたカップの葡萄酒を見つめたまま、サユマの自己嫌悪はさらに大きくなっていく。  
――私なんて奇麗じゃないもん……ラトラ君  
  には相応しくない……。  
 込み上げてくる悲しみと、そして想い人に会う資格がない絶望感にサユマはただきつく瞳を閉じて堪えるばかりだ。  
 やがてはそれに耐えきれず、半ば逃避するかのようカップの中の葡萄酒を一気に煽る。  
 急激なアルコールの摂取にその一瞬、頭と喉が焼けた。その感覚に激しくせき込むも、そんな痛みが引くとまた再び  
不安に駆られ、再びそれを紛らわすためにサユマは無理に飲酒を続けた。  
――私なんかがラトラ君の傍に行ったら迷惑かけちゃう……  
  ラトラ君だってツューの方が良いに決まってる……。  
 視界が、そして意識が朦朧となる。今の状態に至ってその感覚はさながら、ひとり暗黒の海原で溺れているかの  
ような強い孤独感をサユマに感じさせるのであった。  
「怖い……こわいよ、ラトラくん……こわいよぉ」  
 テーブルに突っ伏し、寒さに耐えるよう己の両肘を抱いて震える。  
 諦めつつも、それでも想い人に救いを願う矛盾――ただ今は少女は震え、夜が終るのを耐えるばかりであった。  
 
 
【 4 】  
 
『野郎ども、成人おめでとう! 明日からはもう、ガキじゃねーぞオメーら。今夜の本番前に、しっかり精をつけとけよ!!』  
 
 角頭(つのがしら)である雄の音頭で乾杯を交わす。  
 場所は、森に面した村の東にある会場――そこにおいて新成人の雄達は、慣例の乗っ取り肉と酒による武骨な酒盛りを  
始めた。  
 その始まりに音頭を取った『角頭』とは、狩りの先頭に立ち狩猟者達をまとめ上げる存在――いわゆる、村における  
雄達のリーダーである。雌達の宴席同様に、今夜の酒席においては新成人達が暴走しないよう監視する役割ではある  
のだがしかし――  
「オレ達の時は最悪だった……。つい飲み過ぎて潰れちまってよぉ。気が付けば必死にアイツが俺のチン○の世話  
してて、なんとか銀齢祭を成立させようと躍起になってた。しかし結局は勃たなくてなぁ……それを引きずっちまって、  
今でも頭が上がらねぇよ」  
 その実は、新成人以上に羽目を外し愚痴を洩らしたいだけであったりする。  
 取り纏め役がそんなものだから、今の盛宴もまともに進行しようはずもない。むしろその喧噪さは、  
『ヤベーなぁ、昼間っからチンコが勃ったまんま収まらねーんだけど』  
『俺なんてふんどしがガビガビだよ。風呂入りてーけど、その間に他の奴に取られても困るしなぁ』  
 雌達の席以上に激しいものとなっていた。  
 
 その中においてラトラは一人、今の酒席が楽しめずにいた。とはいえけっして退屈しているという訳ではない。  
 ラトラは今、居ても立ってもいられないのだ。今すぐにでもここを抜け出してサユマを探しに行きたい。  
 演舞の際、舞台裏から聞こえてきた雌達の声に、ラトラはサユマの声を聞いた。間違いないあの声は、自分を  
『好きだ』と言ってくれた。『待っている』、とも。  
 それを確認した瞬間、どれほど体の中の血が滾ったことか知れない。今も隣で飲み明かす友人が『勃起が収まらない』  
云々話していたが、今の自分のそれも痛いくらいに充血して屹立してしまっている。それどころか、サユマの声を  
確認した瞬間には危うく射精してしまうかと思ったくらいだった  
 全ては、その想いの丈をサユマに打ち明けんとしたいが為に。  
 ゆえにラトラは、先ほどから月の高さばかり気にして酒も肉も手につかないといった有様であった。  
 酒席は時間にして二時間程――今宵の満月がちょうど頭の真上に昇る頃、席は御開きとなる。  
 そしてその頃合いを見測ると、  
「ん〜、そろそろか? 家に帰んのだりーなぁ……。おい、オメーらぁ! そろそろ酒盛りも終わりだ。そして、  
これから本番を迎えることになる!」  
 角頭は宴を中断させると、そう新成人達へと声をかける。  
「これから夜明けまで、お前らは村に戻ってヤリてぇ雌(オンナ)をさがせ。だけど強姦はダメだ! ちゃんと相手の  
ことも考えろ。それから交尾する場所についてだが――」  
 これからの注意事項を説明しようとする角頭をよそに、  
 
「斧隊ラトラッ、先陣を切ります!!」  
 
 突如として天を劈(つんざ)かんばかりの声が席上に響き渡ったかと思うと――その声の主であるラトラは立ち上がり、  
「サユマぁー!! どこだぁー!!」  
「あ、おい――ラト、てめぇ最後まで話聞け!」  
 角頭の制止もよそに走り出すのであった。  
 それを皮切りに、  
『う……うおおぉぉー! タミリー! 探しに行くぞー!!』  
『俺だって我慢できねぇー! リーン!!』  
「おい、待てバカ共! お前らも話聞けっての!!」  
 他の新成人である雄達も思い想いに見染めたパートナーの名を叫ぶと、夜に奔る獣のよう村へと駈けだしていく  
のであった。  
 そうして酒席にただひとり残される角頭は……  
「……俺も早く帰るかな?」  
 古女房の顔を思い出し、らしくも無く新成人に中てられた熱気に胸にしまい込むのであった。  
 
「サユマ! サユマ! サユマー!!」  
 村の中央となる昼間のステージにたどりついたラトラは、声の限りにその名を叫びながら意中の人を捜す。  
 すでに数人の雌達が集まり始めているそこに、ラトラは必死にサユマの姿を捜した。しかしながらこの場所に彼女  
の姿は見えない。  
「他の場所かッ?」  
 一際鼻を天に突きあげてサユマの匂いを探る。しかし他の雌達も粧しこんでいる今夜に至っては、夜空に漂う白粉の  
甘い香りに掻き消されて彼女を断定することが出来ない。  
 そうとなれば捜す方法はただ一つ――  
「ならば自分の脚で捜す! 言い寄る雄がいるんなら、殴ってだって奪い取ってやる!!」  
 ラトラは再び夜の村へと駈けだしていくのであった。  
 酒宴が終ってから数十分――駆け抜け様に注意深く視線を巡らす村の中には、すでに数組のカップルが結ばれ始めている。  
 堅く手を繋ぎ外苑の森へ急ぐ者達もいれば、堪え切れずに路地裏で始めてしまう者達までと、すでに村はすっかり  
新成人達の愛の巣と化していた。  
 村の掟の一つに、『銀齢祭の夜に外出してはならない』という取り決めが存在するが、それこそは今日の若夫婦達の  
暴走を見逃す寛大な処置であるのだろう。   
 ともあれラトラは、そんな新成人だらけの村の中を走り回る。  
 東から西へ、北から南へ、さらには民家の屋根に上りそこからサユマの名前を呼ぶ。それでもなお――サユマの姿は  
見当たらなかった。  
「いない……どこだ? もしかして、本当に別の奴にもうッ?」  
 再び村の中央へと戻り、いよいよラトラは不安に駆られる。  
 いかに五〇人近い男女が散りばめられたとはいえ、所詮は狭い村のどこかに居るはずである。ましてや互いに捜し  
合っているのだ。こうまで遭遇できないのはおかしい。  
 そんな疑問と不安とが胸中に満ちると、途端にラトラは脱力して両膝に手を突いた。  
 荒く切れる呼吸に両肩を浮き沈みさせるそんなラトラの背に、  
「ラトラ――」  
 誰か雌の声が掛けられる。  
 その声に、ラトラはバネ仕掛けのよう項垂らせていた頭を跳ねあげる。  
「さ、サユマぁ!!」  
 しかし振り返るそこには――サユマではないツューの姿があった。  
 そうして互い視線を交わす二人。  
 普段の凛とした彼女からは想像もつかぬどこかはにかんだ表情のツューと、しかし対照的に彼女の登場に疑問の  
表情を浮かべるラトラ。  
 この時この場所において声をかけられたのだ。普通ならば、自分がパートナーに選ばれたことを悟り、恥じらいの  
一つも浮かべるべきなのだろうが――  
「ツュー……ツュー! サユマを知らないか!?」  
 今のラトラには、サユマ以外の異性のことなど考えられなかった。  
 そんなラトラの反応に面食らったのはツューだ。  
 いかに男顔負けの狩人とはいえ、彼女も歴とした『雌(おんな)』である。今のラトラに声をかけるのだって、  
それなりの緊張と勇気を以て挑んだのだ。それなのに意中の雄から返ってきた言葉は、他の雌の質問である。  
 その瞬間、聡明なツューは己が失恋したことを悟った。  
「……ふ、ふふッ。あはははははッ」  
 それを知ると、自然と笑いが出た。今の間抜けな状況に対する客観的な笑いと、そして今の自分の滑稽さに対する  
主観的な嗤いそれらが混じり合ったものだ。強い雌であるからこそ、その割り切りもまた早かった。  
 
「笑い事じゃないんだ、ツュー! 捜しているんだ、サユマを!!」  
 一方の鈍感(ラトラ)はと言うと、そんなツューの笑い続ける訳を判り兼ねて、さらに恥知らずにも尋ね返してしまう。  
 そしてひとしきり笑い終えたかと思うとツューは踵を返しラトラへと背を向ける。  
「他の雌のことなんて知らないね。頑張って捜しな」  
「う………」  
 やがては一瞥すらくれることなくそこを歩き去っていくツューを見送り、ついにラトラは精根尽き果てステージの淵に  
腰を落としてしまう。  
「……これで終わりなのか? サユマ、終りなのか?」  
 誰に言うでもなく呟くラトラ。  
 重力にすら抗えなくなって項垂れるその姿には、もはや新たにサユマを捜し出る気力は残されていなかった。  
 
 
    ★    ★    ★      
 
 
 誰のものか判らぬ雄や雌の声が遠くに聞こえてきている。  
 皆一様に声の音を高くして、本能に根ざした叫(こえ)を上げている。  
 しかしそれらは皆、喜びの声だ。  
 肉体的な快感はもとより、何よりも生涯のパートナーに巡り合いそして共になれる喜びを、本能の限りに声にして  
今宵は悦び合っているのだ。  
 そんな声に、突っ伏したテーブルへ横顔を押し付け聞いていたサユマは、不意に悲しみの感情が込み上がるのを  
感じて涙を一滴こぼした。  
「……今頃は、ラトラ君もツューと交尾してるのかな……」  
 呟く。そんな想いが声に出て自らの耳に入ると、余計にそのことが悲しくなってサユマの涙は止まらなかった。  
 その涙に続き嗚咽が漏れたかと思うと、サユマはしゃっくりのよう丸めた背をひきつらせながらさめざめと泣く  
のであった。  
 そんなサユマの背に、  
「サユマ」  
 何者かの手が触れる。  
 その声その感触に、  
「ラトラ君ッ!?」  
 反射的にサユマはラトラの名を叫び、うつぶせていた体を跳ね上がらせる。  
 しかしながら振り返るそこにいた者は――  
「……やれやれ。本当、似た者同士だねアンタら」  
「つ、ツュー……ッ?」  
 サユマの反応へ苦笑い気に後ろ頭をかくツューの姿があった。  
 相手がツューと判るや途端にサユマは脱力し、そして冷静さを取り戻す。そして同時に、  
「ど、どうしたのこんなところで? その……ラトラ君とは、どうなったの?」  
 ラトラと結ばれたかどうかが気になるのだ。  
「どうなったもこうなったも、フラれちゃったわ。もう相手が決まってたみたい」  
 そんなツューの返事にサユマは大きく金の目を見開かせる。  
 
「だ、誰ッ? 相手は誰なの!? そんな、ツューを振っちゃうだなんてそんな男の子この村には居ないよ!」  
 問いただすサユマはもはや混乱の極みにあった。  
 ラトラの為を思い、ツューへと告白の権利を譲ったのだ。そのツューが振られたとあっては、いったい誰がラトラを  
見染めたというのか。  
「落ち着きなって。ほら、ハナ出てる」  
 そんなサユマをなだめるとツューは小さくため息をつく。そして出されるツューの答えに、  
「ラトラはさ、アンタを捜してるみたい。こっちが告白したって言うのに、逆にアンタがどこに居るのか聞かれちゃったよ」  
 思いもよらぬその返事に、サユマは呼吸(いき)を止めた。  
 そんなサユマの反応に、一方のツューはさらに自嘲の笑みを強くする。  
――とんだ道化だよアタシは。よりにもよっ  
  てこの日にキューピットだなんて……。  
 あとはサユマもまたラトラのもとへ赴き、二人が結ばれれば今宵の式は終わりである。  
 しかし当のサユマはと言えば、  
「……行けない。私、行けないよ」  
 いからせていた両肩をしぼませると、大きく俯いて深くため息をついた。  
「な、なに言ってるのよ? アンタもラトラのこと好きなんでしょ? だったら会いに行ってやったらいいじゃない」  
 困惑したのはツューだ。互いが両想いであることを理解しているはずのサユマが何を悩んでそんなことを口にして  
いるのかが理解できない。  
「だって、ツューだって振られちゃったのに、私なんて選ばれるはず無いもん」  
「だから、むこうはアンタを捜してるんだってば」  
「……それでも駄目だよ。だって私、全然奇麗じゃない」  
「はぁ?」  
 ついにはそのことを告白して泣きだすサユマ。そんな彼女を宥めながら、ツューはサユマの持つ尻尾へのコンプ  
レックスを聞くのであった。  
 そしてなおも『自分には無理だ』と泣き続けるサユマへと、  
「アンタ、ラトラのこと見損なってない?」  
 ツューはそんな言葉をかける。  
「み、見損なう?」  
「そうよ。アンタが大好きなその『ラトラ君』はそんなつまんない男か、って聞いてるの」  
「そ、そんなことないよ! ラトラ君はすごくいい人だよ! 優しいし、勇気だってあるし」  
「そうだね。アタシもアイツのそんなところが好きだよ。だったらなおさらアンタが勇気を出さなきゃ」  
 どこかさみしげに微笑むとツューは包み込むようにサユマを抱きしめる。  
「向こうは精いっぱいに自分の想いを遂げようとしてるんだ。なのに当のアンタがそれを断っちゃ、アイツが恥かく  
ことになるよ」  
「ラトラ君が、恥をかくの?」  
「ラトラだけじゃないさ。そいつに振られたアタシだっていい恥さね。それに……大事なことはそんな見た目だけ  
じゃないでしょ?」  
 抱きしめながら、サユマの尻尾が裾の下に隠されているのを見つけるとツューはそれをそっと手に取る。  
「奇麗な尻尾じゃない。――サユマが自信を無くしちゃってるのは、尻尾のせいなんかじゃない。アンタはラトラに  
会うことが怖いんだ」  
「怖い……」  
「もっと具体的に言うなら、覚悟が出来てないってこと。色々なことにね」  
 改めてツューはサユマをまっすぐに見つめる。  
 
「今日の銀齢祭を迎えるってことは――大人になるってことは、結婚して子供を作るだけじゃないのよ。『大人に  
なる覚悟』を決める日なんだと私は思う」  
 向けられるツューの視線とそして言葉に、サユマはアルコールと劣等感に持っていた頭が晴れていくのを感じていた。  
 そして、  
「ラトラは覚悟を決めたんだ。あとは、アンタ次第だよ」  
 そう最後に言い諭され微笑まれた瞬間、サユマは大悟した。  
「私……逃げてたんだね」  
 呟くように言う。  
「ラトラ君と二人きりになることに、家を出ちゃうことに、子供を作ることに……そんな不安を、尻尾のせいにして  
私は逃げてたんだね」  
「まぁ、そういうことかな。おわかりになりまして、お嬢さん? ――だったら、もう判るよね」  
 ツューの言葉に大きく頷くとサユマは立ち上がる。  
「うん、行ってくる! 私、ラトラ君と一緒になりたい。どんなことがあっても、あの人と一緒に居たい!」  
「だったら早く行きなさいって。うかうかしてると本当に他の雌に取られるよ」  
 快活に笑うツューにその尻をはたかれてサユマは走り出す。  
 ラトラのもとへ向かおうとするサユマにはもう迷いはなかった。不安こそまだあったが、それすらも今は、彼ラトラと  
共に迎えんとする未来への期待を刺激するスパイスとなって胸を昂ぶらせている。  
 初めて彼を好きになった頃に抱いた喜びを、いま改めてサユマは思い出していた。  
 そうして酒席場を去り際、  
「ありがとう、ツュー。私、あなたのことも大好き! 本当にありがとうー!」  
 サユマは走りながらに振り返り、生涯の恩人に礼の言葉を贈る。  
「いいよー、そんなことー。コケるよー!」  
 そんなサユマにツューもまた大きく声を返し見送ると―――あとはすっかり誰もいなくなった酒席に一人残される  
のであった。  
「はぁ〜、やれやれ。ひとりかぁ……どうすっかな」  
 独りごちてサユマの飲んでいた葡萄酒のカップに手をつけるツュー。  
 とりあえず今夜は新成人達の鳴き声を肴に飲み明かすことを決め、カップの中の残りを一気に煽るのであった。  
 
 
【 5 】  
 
 今日一日でどれだけ走ったことだろう。そしてどれだけ心ときめかせたことだろう。  
 もはや身動きすら取れなくなるほどの疲労と倦怠感の中でまどろみながらラトラは今日一日と、そして過去の思い出とに  
想いを馳せていた。  
 生まれて初めてサユマと出会ったのは13年前――まだ2歳の時だ。  
 そんな幼少の頃の記憶などふつうは覚えていないものだろうが、それでも彼女と出会った時のことは、まるで昨日の  
ことのように覚えている。  
 まるで光の粉を振りまいて走る星ようなサラサラのしっぽに、『なんて奇麗なのだろう』と子供心ながらに見惚れた  
ものだった。思えばそれは、一目惚れであったのかもしれない。  
 元より父親同士が親友であったという縁もあって交流のあった二家族である。それ以来、気がつけばいつも隣には  
彼女がいた。  
 
 初めて狩りに同行した時、先走って大怪我をした自分をまるで己のことのように悲しみそして看病してくれたのも  
彼女であったし、こと最近に至っては毎日の弁当を作ってくれていたのもサユマであった。  
 自分の名を呼んで微笑んでくれるサユマを思い出す時、ラトラは何時も力がわいた。  
 獲物が見つからずにくじけそうな時、強敵と遭遇して心が折れかけた時、いつもラトラはサユマの事を思い出して  
頑張ってきたのだ。  
 しかし今は――そんな彼女のことを想うことに耐えかねて潰れそうになっている。  
 今宵の銀齢祭においてサユマを探し出すことは叶わなかった。  
 村に居ないはずはない。だとすれば、出会うことのできない理由はただ一つ――それこそは他の雄と結ばれたと  
いうこと。自分が選ばれなかったことを示しているのだ。  
 村の中を走り回っている時は、僅かでも生じるその疑惑にそれでも、ラトラは強くそれを否定することが出来た。  
しかし今では、その現実に潰されそうになっている。  
 否、もはや身動きすら適わないほどに脱力した姿からは、完全にそのショックに潰されているようにも見えた。  
 そして、  
「サユマ………」  
 ふとその名を呟いたその時であった。  
 
「ラトラ君」  
 
 そんな声が聞こえた。  
 しかしラトラは反応できない。なぜなら妄想に浸るばかりのラトラには今、耳に届く全てのサユマの声は現実の  
ものではなかったからだ。  
 どうせまた、過去の彼女の幻影(こえ)が脳内で再生されているのだろうと思った。  
 しかし、  
「ラトラ君ッ!」  
 二度目のその声に―― 一際強く夜の空気を震わせるその声にラトラは覚醒する。  
 果たしてこれは幻覚によるものなんだろうか? ――徐々に朦朧としていた意識が取り纏まってくると、胸の内には  
再び恋の火が灯る。  
 それでもまさかと思い、恐る恐る顔を上げ声の方向へ振り返る。  
 そこには――中央広場・ステージの上には―――  
 
「ラトラ君」  
 
 間違いないサユマの姿があった。  
 それを確認して、それでもやっぱり夢ではないかとラトラは疑った。  
 なぜなら月明かりを受けてそこに立つサユマの姿は――月光に金色(こんじき)の粉をふいて煌めく尻尾の姿は、  
この世の者とは思えぬほどに美しかったからだ。  
――幻覚だっていい……!  
 ラトラもまた立ち上がる。  
 ステージの裾に腰掛けていたラトラは、改めてそこに昇り上がると舞台上にてサユマと対峙する。  
「ごめんね、ずっと逃げちゃって……。来たよ、ラトラ君」  
 そして改めてサユマの声を聞き、それが幻影などではないと知ると、  
「ッ……お………」  
 胸の内にくすぶっていたサユマへの想いの火が再び、完全に燃え上がるのを感じた。  
 そして次の瞬間――  
「どこ行ってたんだよ、お前ー!」  
 駈けだし、互いの距離を一気に詰めると――ラトラは飛びつくようサユマを抱きしめる。その衝撃その想いたるや、  
勢い余って互い抱きしめたサユマを反動で振り回してしまうほどであった。  
 
 深く抱きしめるサユマのうなじに鼻頭を埋めると、ラトラは彼女からは発せられる甘い香りを鼻孔いっぱいに吸い込む。  
ようやく巡り合えた想い人の匂いに、何者にも犯されてはいない処女(おとめ)の香りそれをラトラは嗅ぎ取り、  
ようやくその事実とそして温もりに安堵する。  
 しばしそうして抱きあった後、僅かに体を離し二人は改めて見つめ合う。  
「今までどこ行ってたんだよぉ、サユマ。すごい探したんだぞ」  
「ごめんね……いろいろ迷っちゃって」  
 ようやく出会えた安堵とそして焦らされたことの反動からつい涙ぐんでしまっているラトラに感染され、それに  
応えるサユマも微笑みながらにも涙を浮かべた。  
「私ね、最初は……怖がってたの。私なんてしっぽも奇麗じゃないし、もしかしたらラトラ君に拒まれちゃうん  
じゃないかと思って」  
「そんなことあるか! お前のしっぽはこの村でだって一番キレイだ。……ずっと触りたかった」  
 ラトラの告白に、申し訳なくは思いつつもついサユマは吹き出してしまう。今まで自分はその尻尾のことで悩み  
続けていたのだ。  
「でもね、友達の言葉でそんな悩みも自分の甘えだって気付いたの」  
「甘え?」  
「うん、そう。……私、ラトラ君を『愛する』ってことを面倒くさがってたの」  
 思わぬサユマの言葉を判り兼ねてラトラはただその真意を聞き返すばかりである。  
「誰かを愛するには努力しなきゃいけない。今日の銀齢祭は、もう子供じゃないんだってことを自覚して、愛する  
誰かの為に自分を磨き続ける努力をしなきゃならないんだ、ってことを覚悟する日なんだって私は思う」  
 自分の言葉を噛みしめながらサユマは今日までの自身を振り返る。  
 その言葉の通り、サユマはラトラを愛する努力を怠っていた。それから逃げていた。コンプレックスである尻尾の  
醜さを嘆くばかりで、それを変えようとする努力を怠っていたのだ。  
 最初(はな)から『出来ない』と決めつけて、全ての可能性から目を逸らせた――それこそは『逃げ』以外の何もの  
でもない。  
 努力することの労力をサユマは惜しんでいた。最愛の人を手に入れたいと望むのに、何一つ自分を変える努力を  
しようとしてこなかった。  
 自分自身を変える『努力』と、そして自分を犠牲にする『覚悟』をサユマは持てていなかったのだ。  
 そのことを友人であるツューの言葉により今宵、悟るに至ったのであった。  
「大切なことは、今が奇麗かどうかじゃなくて……これからどうするか、ってことだと思う」  
「これから?」  
「うん、そう。『居続ける』ことじゃなくて、『進んでいける』自分であることが大切なの。今夜の成人式は、  
きっとそれを覚悟させる為のお祭りなんだと思う。――そしてずいぶん遅れちゃったけど、私も覚悟したよ」  
 小さく鼻を鳴らして微笑むとサユマは再びまっすぐにラトラを見つめる。  
 そして、  
「ラトラ君、私……努力します。あなたが恥ずかしくならないように奇麗になる努力をしてみせますッ。だから、  
だから――」  
 だから―――  
 
「どうか、私と結婚してください。あなたの子供を授けてください」  
 
 サユマは長らくその胸に秘め続けていた想いを今、ようやくラトラへと伝えることが出来たのであった。  
 そんなサユマにラトラも小さく微笑んでため息をひとつ。  
「そんなに難しく考えるなよ。でもサユマがそう言ってくれるなら俺も誓うよ」  
 ラトラもまたそれに応えるかのよう改めてサユマを見つめ直す。  
「サユマが今以上にキレイに居られるように、俺もお前を愛する努力を続けてみせる。……俺の子供をたくさん産んで。  
サユマ」  
 そうして互いの想いを通じ合わせた次の瞬間、二人は示しわせたかのよう抱き合っていた。  
 その瞬間――  
 
『おめでとー!!』  
 
 突如として湧いた爆音の如き祝福に思わず二人は体を跳ね上がらせ総毛立たせる。  
 そして振り向く視線の先――いま自分達が居るステージ正面の客席には、いつの間にか今日の新成人のほとんどが  
集まっていた。  
 なぜ、ここに新成人達が集まってきてしまったのか判らずに混乱する二人。――その理由は、この『舞台』その  
ものにあった。  
 今サユマとラトラの居るそこは、祭りの祝詞や新成人の演舞などを明瞭に伝えられるよう、その音響が強く  
響(かえ)るように造られている。  
 そんなステージの中央で、サユマとラトラは互いのプロポーズを果たしていたのだ。ただでさえ聴覚に優れた種族  
である。たちどころに二人の情事を聞きつけた物見高い彼ら彼女達がそれを見過ごすわけはなかった。  
 そうして暗がりに乗じて徐々に新成人達が集まる会場の中、それに気付かぬサユマとラトラは互いの愛の確認を  
披露してしまったという訳であった。  
『おめでとうー、サユマ! あんたらも幸せにねーッ♪』  
『やるなー、ラトラー♪ ふたりとも、ちゃんと「努力」しろよ! おい!』  
 矢のように浴びせかけられる祝福やら冷やかしに、ただラトラとサユマの二人は恥ずかしさからその身を寄せ  
合って小さくなってしまう。  
 そんな興奮の坩堝の中に、  
「――チュウ! チュウ!」  
 誰からかそんな声が上がった。  
 ここで言われる『チュウ』とはすなわち『口づけ』――『キス』の意である。その声が掛けられるということの  
意味は、ステージ上の二人にここでキスをしろとせがむものであった。  
 そんな声に最初は笑いに客席がわく。しかし次第にその掛け声が伝播し、それに合わせて手拍子が打たれ始めると  
――新成人達の送る『チュウ・コール』は波となって会場を揺らすのであった。  
 その中において思わず狼狽してしまうサユマであったが、  
「―――サユマ」  
「ら、ラトラ君ッ?」  
 ラトラに声をかけられ、そして熱いばかりに真剣な視線を向けられるとついサユマも息を飲む。  
 その視線が伝えるものはひとつである。この場所でのキスをサユマに求めるものであった。  
「ほ、本当にするの? だって……だって、こんなにみんなの前なのに」  
「今のこれだって、俺達の結婚には必要なことさ。サユマだって言ってくれただろ? 『努力してくれる』って。  
それに――」  
「そ、『それに』?」  
「それに――俺、サユマとキスしたい。いますぐ」  
 当然のごとく恥ずかしさからそれをためらうサユマであったが、ラトラからの熱い言葉と想いとを受け取った瞬間、  
そんな羞恥心は見事に吹き飛んでしまった。  
 誰よりも、そして今まで以上にラトラを愛しく思った。  
 そして小さく頷いて微笑んだ次の瞬間―――  
「そうだね。じゃあ――『覚悟』するッ」  
 サユマは飛びつくように抱きつくと、遠慮なくその小さな体を預けてラトラの口唇(マズル)を奪うのであった。  
 思わぬサユマの行動にその一瞬目を剥いたラトラではあったが、すぐに彼女の愛とそして鼻先の柔らかさを確認  
すると、ラトラもまた強く深くサユマを抱き返し、口づけに応えるのであった。  
 そんな二人のクライマックスに会場からは割れんばかりの喚声が沸き起こる。  
 想い人(ラトラ)とのキスを続ける大歓声のなか、ふと視線を巡らせれば客席の中にツューもいるのをサユマは確認した。  
 ラトラ越しに目が合うと、彼女もまた苦笑いにウィンクをしてサユマを祝福する。  
 何と幸せなのだろうと、サユマは思った。  
 それと同時に、今のこの気持ちを新たにする。  
 大切なのはこれから。今を変わろうと努力すること。  
 これからも愛しきラトラの為に、自分を変えていく努力をすることをサユマは今一度、胸に誓い直す。  
 
  そんなサユマ達や新成人、さらには今日結ばれなかった者達―――その様々な想いを乗せて今日の銀齢祭は  
終わりを迎えた。  
 悲喜交々あった今年の銀齢祭も、ともあれこれにて一巻の終わり。  
 今宵新たに生まれた全ての成人達を祝福するかのよう、満月(つき)は銀の粉を彼女らに降り注がせるのであった。  
 
 
【 蛇足(そのあと) 】  
 
 斯様な銀齢祭の翌日――晴れて夫婦となったラトラ・サユマ両人は、村長はじめ村の有力者達から厳しく叱責を  
受けることとなった。  
 
 それというのもあの後、会場からの『チュウ』コールに続いて沸き起こった『コービ(交尾)』コールを受け、  
こともあろうかそのステージ上にて行為に及んでしまったからである。  
 さらにはサユマとラトラのそれに中てられてしまった新成人達もその場で『始めて』しまい、村は始まって以来の  
混沌と化した。  
 そもそもは、捧神の目的に造られた中央広場は本来『聖地』である。その場所で淫蕩にふける――況(いわん)や  
集団でそれを行ってしまうとはもはや、いかに『新成人』といえども見逃せるものではなかったのだ。……まして  
その混沌の様子は会場の音響効果もあり村中に伝わってしまった訳で。  
 故に、そんな事件のきっかけになってしまった二人にはキツい御達しが為されたのであった。  
 その罰の一環として二人は、新婚でありながらもしばし隔離されることとなった。  
 それでもしかし、サユマとラトラには何も問題はない。  
 離れ離れになろうとも、愛し続けることは出来るのだ。会えぬなら会えぬで出来ることがある。愛し続ける努力は  
出来る。それを判らしめてくれたのが二人にとっての銀齢祭であったから。  
 それからその年の終り、ツューが角頭として狩りの指揮を取ることとなった。  
 当然のごとく雌のそれは村始まって以来のことで、本人もまたやる気だ。――結婚については言い寄る雄も数多く  
いるが今の状況である。当分はまだ先になりそうだ。  
 
 
 はたして次なる銀齢祭ではどのような物語が生み出されることやら――。  
 それは神様にだってわからないのである。  
 
 
 
 
                おしまい  
 
 
 

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