名門貴族ファンボルト家の三男エンデは恋をしていた。相手は屋敷の使用人のリエルだ。  
 使用人といっても彼女はファンボルト家のランドスチュワードである父をもち、中流階級並みの身分を持っている。  
 にも関わらず、彼女は何故かメイドだった。親子二代に渡り仕えているのという事で信頼も厚く優遇されている。  
 彼女が好きだと気がついたのは、自分以外の男の使用人と楽しそうに話しているのを目撃した時。  
 兄達にも感じるたわいのない嫉妬。それが段々とひどくなるにつれ、思いを自覚した。  
 
 彼女がエンデに献身的なのはそれが彼女の仕事だからだ。それを分かっていても勘違いしてしまいそうになる。  
 なぜならば彼女の自分を見つめる瞳が、他の使用人とは違って敬意だけでなく好意が宿っているように見えるから。  
 それはエンデの願望が強くあらわれた自惚れだったのかもしれない。  
 自分の気持ちを諌めつつ、彼女をこの腕に抱きたいと何度思ったことだろうか。  
 清楚で穢れなき笑顔を……こんな欲望を抱く男に無防備にも向けてくる彼女。  
 エンデは自身の胸の内を知られ、失望されたくなくて悶々としたものを抱えていた。  
 
 ある日庭の一角でフットマンと話しているリエルを屋敷の窓から見つけた。  
 嫉妬心を抑え切れぬままに、エンデは二人の側に近づいて行く。  
 会話が聞こえるほど近くの植え込みにくると、散歩を装い植え込みの影から二人の前に出ていこうとした。  
 瞬間。彼女が本気で口説かれている事に気づき愕然となった。  
 どう答えるのか、エンデは凍り付いたように動けなくなる。  
 しかし幸いにも彼女の答えは"ノー"だった。  
 男の方はため息を吐くと「そういわれると思っていた」といい。  
「エンデ様が好きなんだろう?でも無駄なことは止めた方がいい」エンデの予想外の事を更に口走った。  
 その言葉にリエルはなんと答えるのだろうか。じりじりとした時間が流れる。  
 彼女の気持ちをこんなフェアじゃない場所で、聞いてしまうのは紳士らしくないのではないか。  
 立ち去るべきなのに足が地面に吸い付いたように動かない。  
 やっとなけなしの矜持でこの場を離れようとした瞬間に、彼女の静かな声がエンデに届く。  
 
「それでもいいんです。私はお側にいられるだけでも幸せなんです」  
 
 それでもなお考え直してくれという男に、頑として彼女は首を縦に振ろうとはしなかった。  
 気がつけばエンデはいつの間にか自分の部屋に居た。どうやって帰ってきたのだろうか。  
 夢ではないだろうかというような、幸福のあまりに地に足がついていないような感覚だった。  
 彼女が自分を好きというだけで、なんて世界が変わって見えるのだろうか。  
 すぐにでも彼女に自分の気持ちを打ち明けたい。そう考え彼女を呼び出そうとしてふと我に帰る。  
 男がリエルに考え直すように、彼女とエンデが結ばれない理由をしつこく説いた。それは身分差。  
 それを解消出来ないかぎり彼女はエンデがいくら好きだといっても、首を縦に降ってくれないだろう。  
 幸いにもエンデは三男で爵位を持たないからこそ、自分の身を立てるために事業を起こしている。  
 彼女を手に入れる為には。家の誰に何を言われても、妨害されても、揺らぐことのない力を身につけなくては。  
 彼女に自分の気持ちを伝えるのは、それからだとエンデは決意する。  
 今までリスクが少しでもあると手だししていなかった方面にまで、積極的に投資の幅を広げて行った。  
 勿論全てを失っては何もならないので慎重さも忘れずに。  
 
 寝食を忘れて仕事に没頭する日々。それにともなって彼女と共にいれる時間が激減した。  
 でも彼女が自分を思ってくれている……その希望を支えにエンデは頑張れた。  
 時折屋敷に帰ってきて会う彼女は寂しそうで。でも心配そうに応援してくれる。  
 彼女の気持ちが分かった今となっては、その態度は使用人のものではなく一人の女性としてのもので。  
 エンデには彼女の気持ちが、伝わってきて会う度に自分の気持ちを口にだしそうになる。  
 が、今はその言葉を出すだすことは無責任だと全力で自重した。  
 この気持ちを打ち明けた時の彼女の顔を想像し、そしてこれからの時を共に過ごしてくれと告げるその日を夢みて。  
 
 それはなんて自分本位な考えだっただろう。  
 ある時期から彼女が大変な思いを抱えていたとは気づかずに。  
 
 もう少しで大きな事業が一段落しそうになり、時間が出来るとエンデは取るものも取りあえず屋敷に戻った。  
 久しぶりに会った彼女は体調が優れ無いようだった。それは彼女をよく見ているエンデだから気づくささいな変化。  
 体を気をつけるように言ったが、真面目な彼女の事だ仕事に手を抜かないだろう。  
 しかし、初夏の暑さのせいだと笑顔でいわれたので、大したことがないというその言葉のまま受け取ってしまった。  
 
 それは大きな間違いだった。次に会った彼女は、目に見えるほど……痩せていた。  
 まるでそのまま消えてしまいそうな雰囲気に、事態を深刻に受け止める。  
 しかし、やはり彼女の答えは「暑気中りで……」で。痛々しく微笑まれれば無理強いは出来ないが、そのままにしておけるはずもない。  
 事業の拡張のため長期間領地に行く外せない予定があったが、その前にリエルの事を信頼の置ける医者に頼んでおこうと考える。  
 パブリックスクール時代からの親友。アミールに相談しようと、彼が出席するであろう夜会にエンデは出ることにした。  
 そこで珍しい人物にエンデは出くわす。  
 オーエング=アールモート卿。彼とエンデもアミール同様同じスクールの同級生だが仲良くはない。エンデは彼に一方的に嫌われている。  
 社交は貴族の義務だ。兄は夜会の招待状を彼に儀礼としてだしているし、礼儀に反しない程度は招待を受けているようだが。  
 もし顔を会わせると敵意のこもった眼差しと言葉を向けられるが、エンデには別に気にすることでもない。  
 だが、今回のオーエングの言葉は、聞き捨てならないものだった。  
 その言葉を吐かれた瞬間、エンデはここがどこだということも忘れて、オーエングの胸倉につかみかかる。  
 アミールに相談するために人目につかない場所だったのが幸いし、親友に羽交い絞めにされ止められてやっと我に返る。  
 気がつけば、オーエングは口から血を流して床に座り込んでいた。  
 腕は怒りの為震えて収まらない。  
 
 彼はよりにもよってリエルを陵辱したといったのだ。  
 
 リエルが娼婦のように誘ってきたと言ったときは取り合わなかった。そんな事はありえない事だ。  
 何故、彼女の名前を彼が知っているのかエンデはいぶかしむ。  
 しかし、彼女の体のことを下卑た視線で語られる。作り話にしてもそれはリアルで。  
 極め付けに証拠だと言いたげにオーエングがエンデに投げつけたもの。それは彼女のリボン。  
 それはお仕着せの制服を着せられる屋敷のメイド達に許された、ちょっとしたお洒落である胸元を飾るリボン。  
 彼女のだとすぐに分かったのは、それを彼女に送ったのはエンデだったからだ。  
 
 彼女はいつまでも変わらず屋敷にいるそう安心しきっていた。その自分の迂闊さに唇をかむ。彼女のあの変貌は……。  
 頭に血が上ったまま、夜会を退出すると、一目散に屋敷に戻ることにした。  
 距離がもどかしくて馬車の中で立ち上がりかけるほど落ち着きをなくしているエンデ。  
 心配して付いてきたアミールが声をかける。正直彼が居なかったのなら正気を保てなかったかもしれない。  
 夜通し馬車を飛ばし屋敷に戻ると、エンデの部屋を掃除していたリエルに、一目散に詰め寄ろうとして口を開こうとした瞬間。  
 彼女は恐れ慄いた瞳を向けると、糸が切れたようにふつりと意識を失った。人形のように倒れる彼女に我を失う。  
 彼女を抱き上げると驚くほど軽い。エンデは自分のベッドに彼女を横たえると、アミールを客間においてきたことを思い出した。  
 彼に彼女の事を託すと、部屋の外でまんじりもせずに、診察の結果を待つ。ドアが開いて顔を見せたアミールの表情は暗い。  
 アミールの診断は更にリエルを絶望に落とすものだった。  
 彼女は子供を宿している、と。  
 彼女の様子からすると、そのことには気づいていない。  
 リエルは凌辱された今だけでも消えてしまいそうな程傷ついているのに。  
 もしあの男の子供がお腹の中に育っていると……忘れられない証拠が確かにあるとわかったら。  
 彼女の心痛は計り知れない。  
   
 どうするべきかと考えて、人として非道とも言える考えが、エンデに浮かぶ。  
 アミールに「この子は自分の子供だ」と言った。  
 
 案の定オーエングとのやり取りを見ていたアミールは面食らった顔をする。  
 が、エンデが怖いほど真剣な表情だと分かると、彼はその言葉の意味を察したようだ。  
 ――妊娠時期を誤魔化し、生まれてくる子供をエンデの子供だと思いこまさせる。  
 アミールは一度だけ「それでいいんだな」と確認したきり、深くは聞かず、ただリエルの体調に気をつけるようにと言って帰っていった。  
 リエルは妊婦に接する機会は殆どなかったはずだ。  
 少しの疑問が浮かんだとしても、経験と知識のない彼女を医者の力(ことば)で無理矢理誤魔化せるはずだとエンデは考える。  
 
 その為にも、今すぐにでも"事実"をつくらなければならない。  
 
 まるで死んだように眠る彼女の側に付き添いながら、このまま死んでしまうのではないかと心配で。  
 やっと起きたリエルの瞳をみて、ほっとすると。彼女の口から全てを聞きたかった。  
 彼女の口ぶりでやはり妊娠していることを自覚していないらしい。体調不良は心労のせいだと思っているようだと確信する。  
 自分は汚れてますとエンデを愛するが故に拒否する彼女に告白し、かまわず組み敷いた。  
 
 汚れているのはエンデの方だ。  
 
 そうしてエンデは拒否しつづけ衰弱している彼女を……手つきだけは優しく無理矢理抱いた。  
 「いけませんと」腕を押し返すリエルの力、それは体調が悪いせいで弱々しい仕草だった。そんな彼女を陵辱する非道な行為。  
 いつものエンデならばそんなリエルをみれば罪悪感の方が勝り手出しできないだろう。  
 出来るだけ早く…彼女の子供の父親だと言い張れる根拠をというのを建前に。  
 これから行う行為は、彼女の未来を考えてと言い訳すればきりが無いが…  
 強い劣情に塗れ、彼女を自分のものにしたいという、ただのエゴだと頭の片隅ではわかっている。  
 その浅ましさはオーエングと何も変わらない。  
 今すぐにでも彼女と繋がりたい、そしてあの男との行為を塗り替えてしまいたいその欲求を押さえ込むのは並大抵の苦労ではなく。  
 彼女の心にも体に負担にならないように、優しくするのが精一杯で。一方のリエルはそんな行為を拒否するが一言も「嫌」とは言わない。  
 今のエンデには「駄目」と「嫌」の違いはとても大きい。  
 
 ――そして、エンデは彼女を捕まえた。  
 
 事後に、屋敷を出て行こうとする彼女を、強く引き止めず納得した返事を返せたのは、彼女が出て行けなくなると分かっていたからだ。  
 もし彼女をつなぎ止る理由が無かったら、こうも穏やかではいられなかっただろう。  
 本来なら彼女に本当のことを話して……彼女にこれからのことを決めさせるのが筋だ。  
 その為にはどんな力添えもエンデは厭わないが、たった一度の陵辱を負い目に思いエンデを拒否するというのに、子供を生んだら…  
 絶対にエンデの気持ちには答えないだろう。あの庭園で求婚を頑なに受けなかったように。それでは彼女を永遠に失ってしまう。  
 でも、彼女の子供の父親がエンデだと主張すると、彼女は逃げられない。  
 生まれる子供が誰の子供でもかまわない。自分の子供よりも彼女の子供だということの方が、エンデには重要だった。  
 彼女を愛するからこそ、選択して、もう戻れない。  
 
 リエルが部屋を出て行ったとき。  
 彼女を手に入れた幸福感と罪悪感が同じほど胸を苦しめる。  
 そして何故かふとオーエングの顔が思い浮かんだ。  
 その瞳はエンデと同様。嫉妬に狂った男の浮かべるものだと、今更に気づく。  
 
 子供の父親は誰なのか……一番知られてはいけないのはリエルではなく、もしかしたら彼なのかもしれない。  
 
 
■エンデ編完  
 

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