オーエングは名門貴族アールモート家の跡取りだ。
同時期に領地も身分も近いファンボルト家に三男のエンデが生まれた事により、彼はエンデと尽く比べられる運命になった。
パブリックスクール時代は、成績でも人望でもスポーツでも全てにおいて適わない。
彼に勝てることといえばオーエングは長男ゆえに爵位を引き継げることぐらいだった。それは、彼の実力とは関係ない事で。
オーエング自身も情けないことだと自覚していたが、彼の矜持をもたせるのはそれぐらいしかない。
エンデ自身の性質に関わらず、印象は最悪だった。もしかしたら何かきっかけさえあれば事態は好転したのかもしれない。
しかし、エンデはそんなオーエングを全く気にせず。どんなに理不尽な嫌味を言ったところでかわすし、オーエングにさえ公平な態度を取る。
それが歯牙にもかけられていないようで、なんという偽善者然とした態度だとオーエングは受け取る。
妬み、僻み、嫉み。
オーエングのエンデに対する態度は益々ねじくれていった。
スクールを卒業してからはおおっぴらに比べられることは無くなると思っていたが、やはり狭い社交界評判は変わらない。
爵位がないといえどエンデの評判は上々だった。軽んじられる話題になるのは娘を持ち爵位を狙う者達の間ぐらいだ。
事業に成功し羽振りが良くなると、その態度も段々と改められる。
小耳に挟む噂は上場で、順風満帆な話題ばかりだった。どうやっても見えないところではやはり比べられている…。
エンデの評判が高まれば高まるほど疑心暗鬼になりオーエングは臍をかんだ。
そんな鬱屈を社交で埋めようとしても、それ自体が原因なのに埋められるはずもなく。
時折夜会で会うエンデに、半ば八つ当たりぎみな態度をとる。
そんなある日、オーエングは気まぐれで町を気の赴くまま散歩した。
自分の馬車は帰してしまったので辻馬車に乗って屋敷まで帰ろうと待合所に並ぶ。
その後に来た婦人。身なりや仕草からして裕福な貴族の侍女だろうか。休日に買い物にきたといった風情だった。
オーエングは気晴らしの後で気分が良く、紳士的に馬車の順番を譲ろうとする。
すると、奥ゆかしい丁寧な言葉とともに辞退された。彼女の顔をついまじまじと彼は見つめる。
彼女は美人ではないけれど、その優しげな顔と雰囲気で可憐な人だった。
初めは戸惑ったように目線を合わせなかったが、彼がなお馬車を譲ろうとすると彼女が顔を上げる。
見つめられると、息がつまった。まるで、初めて人に自分自身を見つけてもらったような高揚感にオーエングは包まれる。
この感覚は、一体なんだろう。
そう思っているうちに、彼女は花売りから花を買ったのだろう…小さな花束を持っていたのだが。
その中からオーエングの瞳の色と服装にあった花をお礼にと、差し出した。胸元のポケットを飾るのに丁度いい量でセンスもいい。
彼のために見立てられた、コサージュ。オーエングはそれを受け取ると、躊躇いなく胸に挿す。
馬車に乗る彼女に手を貸すと、添えられた手が、手袋越しでも熱く感じた。
「ありがとうございます」
彼女に嘘偽りのない感謝の笑顔でそう言われて、次の馬車の御者に声を掛けられるまでオーエングは呆然と立ち尽くしていた。
貴族の世界は何か衝撃的なことが起こらない限り、一年が十年のように……同じ話題を繰り返す。
どんな場所に行っても、エンデに及ばない自分。それを何度も思い起こさせる。
それには遠く及ばない瞳が心地よいと、気がついた時には。彼女の乗せた馬車はもう見えなくなっていた。
花が枯れるまでオーエングの上機嫌は続く。
たった一度の邂逅。
オーエングは彼女に恋をした。
しかし何処の誰かも分からない女性だ。何度か会った場所に足を運んでみたが、会えるはずもなく。
道端の花売りの子供から彼は顔を覚えられ、不本意にも常連とみなされていた。
手がかりは殆どなく、彼女の服装や態度から言って、どこか上流な家に仕えている上級使用人のようだった。
そんな身分の違う女に会ってどうするのだろう。オーエングは次期伯爵だ。
しかし、会いたい気持ちは抑えられずに。彼女が侍女だとしたら会うこともあろうかと様々な家の夜会に積極的にオーエングは出席した。
その甲斐があってか彼女に二度目の出会いを果たす。
しかしそれは皮肉にも、エンデの兄の招待で開かれたファンボルト家の夜会で……メイドとしてだった。
侍女ではなく使用人としては、下級の層。オーエングは彼女がメイドというのが信じられなかった。
初めて出会ったときの服装は、メイドでは到底着ることの出来ない服装だったからだ。
そして今も……彼女に注視すれば気付く。胸元に高級なレースのリボンをつけている。
使用人はできるだけゲストや主人の視界に入らずに行動する。使用人にこれほどまで注目するゲストなどいないだろう。
普段ならオーエングも使用人など目をくれない。しかし、彼女が視界にうつれば一挙一動が気になって目が離せない。彼女は謎が多すぎる。
一つ彼の頭の中に、そうであってほしくない可能性が浮かんだ。そしてその予想は遙かに悪い方向へと向かっていく。
彼女はこの家の誰かの愛人ではないか。そうすれば、一介の若いメイドが高そうな服を持ち。使用人から一目置かれているのも仕方が無い。
その当たって欲しくない予想は、エンデの愛人という最悪の結果を引き寄せた。
夜、廊下で内緒話をするように見つめあう二人。その顔はとても楽しそうで……しかも名前で呼び合っている。
オーエングの家では考えられない光景だ。その親密さは主人と使用人の垣根を見るからに越えている。
よりにもよって、エンデの!! 言いようのない感情にオーエングは支配される。
あんなに清楚な顔をして、エンデの愛人だったのかという怒り。だまされたという怒り。
見つめられたいと思った優しげな眼差しは、よりにもよってエンデのものだった。
その自身の悲しみには気づかないフリをするのは、彼のプライドが許さないからだ。
メイド如きに今までの自分の気持ちを踏みにじられたと考えるだけでも苛立たしい。
忘れてしまえばいいと思った。ただの男に媚を売って生きている女で、娼婦と同じなんだと。
――娼婦と同じ?
初めの頃は裏切られたというような気持ちだったが、そのような女に気持ちが動いてしまったのだという事実を。
素直に認める事が出来ないオーエングは、暗い思考に支配された。
娼婦なら娼婦らしい扱いをすればいい。
エンデが商用で留守だというファンボルト家の夜会。
そこで、彼女を罠にかける。
人目がつかない場所に彼女が一人になるのを見計らい声を掛けた。
オーエングを見て初対面といった対応をし、目を合わせない彼女に、失望と苛立ちはピークに達した。
メイドの作法としては、こちらを注視してはいけないという常識を忘れるほどに、彼女が自分を見ないことが腹立たしい。
忘れられている。あの思い出を大事に……特別なことのように思っていたのは自分だけで。
そして彼女も他の人間と同じように、エンデを贔屓するのだと思うと。オーエングの黒い衝動に歯止めは掛からなかった。
エンデのことで大事な話があると夜の庭園に誘い出し、エンデの友人ならと全く警戒心を抱かないで着いてきた彼女を茂みの中に乱暴に突き飛ばした。
やはりあの男は偽善者だ。家でオーエングの悪口でも言っていれば、彼女はこんな簡単には引っかからなかっただろうに。
突き飛ばされた彼女は信じられないといった目で、オーエングを見上げている。
めくりあがった、スカートから見えるのは月に照らされた、白い太股。それは官能的で、これからの行為を期待させるのには十分だった。
彼女の瞳に恐怖が浮かぶ前に、オーエングは彼女に馬乗りになる。そうされることで、やっと今の状況を理解できたらしい。
助けを呼ぼうとする声を無視して、彼は胸元のリボンをゆっくりと解き、彼女の恐怖をあおると一気にブラウスのボタンを引きちぎるようにはずした。
彼女の下着があらわになるとそれも裂くように脱がす。想像していたよりも豊満な胸がまるで誘っているように零れ落ちる。
必死になって彼から逃げようとし大声をだし足掻く彼女の耳元で、囁いた。
「こんな姿を他の人にも見られたいなんて、たいした女だ」
「ちがっ……!!」
「呼べばいい、見られたいのならな」
「っ……」
「流石、エンデの愛人だけあって、淫乱だ」
「違い。ます……やめて、ください」
その瞳は涙にぬれて、曇っている。が、その仕草と、裸の胸のアンバランスさが、男を誘うように見える。
「どうせ、この絹のストッキングも……体を売って手に入れたんだろう?」
「違っ、いやっ……!!」
太股の内側から膝に掛けて撫でつける感触は絹。一介のメイドが持っていい代物ではない。
「ど、して……こんな」
「オレはあいつが大嫌いなんだ」
「嫌い?」
エンデの事が嫌いな人間がいるなんて信じられないとでも言うかのような彼女の様子に、気持ちが乱される。
今までにあの男から受けた偽善者然とした態度を、鬱屈した思いをぶつけるかのごとく話すと、最後にこう付け加えた。
「自分の愛人が俺なんかに穢されたと知ったら悔しがるだろうなぁ」
「ですからっ! 私とエンデ様はそんな関係じゃ」
「リエル、って言っていたな、お前は」
「!!」
「ただのメイドが主人と、親密に名前を呼び合うものなのか?」
「それはっ、私の……痛っ!!」
オーエングは彼女の返事を待たずに、胸をもぎ取るように荒々しく揉み、その頂にむさぼるように歯を立てた。
彼女は弄るたびに体を硬くし、呼吸が出来ないように苦しげに拒否の声を上げる。
「いつもあの男としてるんだろう」
「そんな……こんなこと、して、ません」
オーエングの今までの相手は高級娼婦や人妻で、十分な前戯をしなくても蜜壷は男を誘うように潤おっていた。
彼女の下肢に手をのばすと……濡れていない。彼女は悲鳴を上げるだけで、全くオーエングを受け入れる気配がない。
尽く拒む彼女の陰部を指で乱暴にかき回す。
オーエングは自分のしていることを棚に上げて、まだ十分に濡れそぼっていない彼女にイラつきを抑えられず。
しかし彼女の肌を見るだけで十分に硬くなった自身を押し当てると無理矢理入れた。
その進入を拒むような圧迫感に、入れただけでイキそうになりながら、そのきつさが心地よくてかまわず動く。
それは今まで感じたことのない、熱さと、背徳感から来る高ぶりなのか、感覚が鋭敏だった。
「痛っ……!嫌っ……いやぁ、やめてっ、くださ……っ」
それはただの悲鳴で、一つも艶めいた物にならない、が。そうは口でいっていても中が濡れて来たのかオーエングの動きはスムーズになる。
彼女の中を味わったように精を彼女の中に吐き出すと、一度抜く。いつもとは違う違和感。そこについていたのは、大量の血だった。
「まさか、初めてなのか?」
信じられなかった。
「で、ですから違うとっ……」
涙声で答える彼女。その彼女の初めての男になったのかと処女を犯してしまった罪悪感よりも……より深く暗い征服感が、彼の心を満たした。
エンデさえも味わったことのない、彼女の肢体。それを、今味わっている。
真っ白な雪に足跡を付けるのが楽しいかのように、彼女の白い肌にキスマークを散らして行く。体に征服の証を残す。
一度だけですむと思ったのだろう、彼が開放しないと分かると彼女は絶望の瞳を向けた。
「こんなに、男に犯されて……それを知ったらエンデはどう思うだろうな」
彼女はここに居ない男の助けをすがって名前を呼ぶ。
彼女があの男の名を呼ぶほどに……塗り替えたくて。何度も何度も角度を変えて彼女を犯した。まるで精が尽きない。
犯しながら、こうなった彼女がエンデにどう思われるのか、エンデに縋れなくなるような……あの偽善者が言うはずもない酷い言葉を投げかける。
彼女の中の何かを変えたくて……動きをはやめ激しく荒く中に何度も何度も打ち付ける。消えない楔を打ち込むように。
泣き崩れていた彼女はいつの間にか、エンデの名前を呼ぶのをやめていた。そしてその泣き声も消える。
夜の庭園に聞こえるのは、肌のぶつかり合う音と、淫靡な水音。彼が動くたびに彼女の口から漏れるのは、苦しげな呼吸のみになった。
何も見ていない、瞳。そして非難も怒りも……オーエングに向けていない。
まるで人形のように宙を見つめる彼女に、彼は彼女に見つめることさえも拒否されていることに気がついた。
その後の事は、惨めだった。
彼女との情事の最中はなんともいえない征服感に満たされたが。自分の欲望を全てぶつけた結果は彼女の心を壊しただけで何も残ることがない。
彼女は何も言わず破けた服を掻き合わせ着ると、まるで幽霊のような蒼白な顔色で、呆然自失とした動作で庭園からでていった。
オーエングは何も出来ずにただ彼女が去って行くのを見ていることしか出来ない。
まるで何もなかったのではないかと思うほどの静寂。しかし、彼女を組み敷いた草むらは荒れていて。
彼女の胸元を飾っていたレースのリボンが月明かりに照らされているのが、夢ではないとオーエングを非難しているようだった。
「リエル……」
彼はリボンを拾い上げると、彼女の名前をつぶやいた。
その後どんな女を抱いてもオーエングは満たされることはなかった。
彼女はどうしているだろうと怒りに任せて、奪ってしまったことを時間が経つほどに後悔する。
怒りのまま刹那的な快楽を追い求めた結果の、何も見ていない彼女の瞳を思い出すたびに……初めて会った時の見惚れた彼女の瞳との落差に思いを残す。
あとから耳に挟んだことだが、彼女の父親はファンボルト家のランドスチュワードで彼女自身、裕福な身の上のようだった。
彼の家の荘園の経済状況の優良さはどの貴族も知るところである。そんな彼女なら発言権があるのはもっともで。
全て……誤解だった。
しかし、彼女の心はすでにエンデのものだということは犯した彼女の態度で分かる。
彼女はオーエングの事を彼の望みどおりもう二度と忘れないだろう。が、しかしもう二度とあの笑顔を見る事は出来ない。
久しぶりに会ったエンデに、いつもどおりの挑発的な態度を取る。しかしその理由はいつもと違っていた。
今まではエンデの評判に嫉妬していたが。今では彼女の心を捕らえて離さない存在である彼自身により嫉妬していた。
彼女との情事を告白したらどうなるのだろうという意趣晴らしもあったのかもしれない。
自分でもどうしていいか分からない、ドロドロとした出口の無い感情の捌け口を求めている時にエンデが現れたに過ぎない。
彼女の忘れられない悪夢といえる初めての男になったということを証明した瞬間。頬を殴られた。
その瞳に映るのは紛れもない憎悪。
今までどんな事を告げても、すましていたエンデが初めてオーエングに対してとった行動。
その場に居たアミールがエンデを止めてくれなかったら、殴り殺されていただろうという憤怒。
その怒りのまま、エンデは夜会を退出していった。
後に残されたオーエングは、笑った。
行き先は、彼には痛いほど分かる。
それは、彼女を更に絶望に落とすのか……それとも。
そのあと社交界に広まったのはファンボルト家の三男が、メイドを妻に迎えたという、社交界の一大スキャンダル。
一気にエンデの名声は地に落ちた。
新興の事業家や社交嫌いな人間ならともかく、まともな貴族なら相手にしないだろうという醜聞。
それをオーエングは一番望んでいたはずなのに……少しも気が晴れる事がないのは何故だろう。
それは醜聞の果てにエンデが手に入れたものの価値を、今ならオーエングは分かっているからだった。
■オーエング編完