本当は今すぐにでも死んでしまいたい。
でも死ねないのは……
今日も悪夢の続きなのか。
朝が来て、服の下に隠していた痣が消えても、あの出来事が夢でないことを自分の心が伝えている。
……他の召使たちに混じっての朝食。それを無理やりかけこむけれど。
その後こみ上げるものがきて、吐いてしまうのは……生々しいからだろう。
辛い。何で私はこんなに汚らしいのだろう。そう思っても生きているのは……。
「リエル? 体調が悪いのですか?」
「いいえ、最近少し暑くなってきましたから寝不足なだけです」
久しぶりに屋敷にお帰りになったエンデ様に私は笑顔で答えた。
相変わらず、お優しい。体調が悪い事を見破られて、リエルは無理に元気を作るがお見通しのようだった。
エンデ様は名門貴族ファンボルト家の三男で、リエルはその専属メイドだ。
リエルの父親はこのお屋敷の上級使用人だったから、メイドではなくもっといい待遇の仕事は沢山あったが。
リエルがメイドになったのは、このエンデ様が初恋で……大切な人だったからだ。
身分違いの恋。この恋が叶わなくても、誰よりも側にいたいと望んだ結果で。
その愚かな願いの所為で、リエルは罰が下ったのだ。
だからエンデ様のライバルとも言える男に、この身を汚されてしまったのだ。
リエルは父親の事もあってか他の使用人たちとは別格のように、エンデ様に取り立てられていた。
大事にされていた。それが使用人としてであっても嬉しくて。
それが悪意を持った他の人間にはどう映るかなんて知らなかった。
数ヶ月前に、屋敷の大旦那様が開いた夜会。エンデ様は商用で別の領地へと赴いていた。
エンデ様付きのメイドといえど屋敷の使用人が総動員してお客様をお迎えする。
その時に、エンデ様と仲がいいといって近づいてきた一人の紳士。
その男が、実はエンデ様に悪意を持っていて。
一介の使用人以上の対応をされているリエルとは使用人以上の関係だと下種な勘繰りをしたのだ。
「自分の愛人が俺なんかに穢されたと知ったら悔しがるだろうなぁ」
そう、下卑た声が耳に残っている。
庭園の暗がりで組み敷かれながら「違う」と抵抗したが男は聞く耳を持たず。
リエルの花を容赦なく散らした。
しかも、初めてだと知ったにも関わらず。男は恥知らずにも何度も何度もリエルを犯した。
リエルはただ暴力が過ぎ去るのを待つだけしか出来なくて。
やっと満足した男に解放され、部屋に帰る頃には、もう涙も枯れ果てていた。
とにかく、エンデ様にだけにはあの夜の事は知られてはいけない。
あの男だって自分の外聞をはばかって、あの夜のことを言いふらしたりはしないだろう。
こんな汚れた、自分。
エンデ様の側にいることさえも許されないかもしれない。
日々エンデ様が私に向ける笑顔さえも眩し過ぎて……。
エンデ様を見つめるだけの幸せが心の支えだったのに、今ではそれがリエルの心を苦しめる。
ジレンマになってしまっていた。
段々と、もう演技では誤魔化せないほどに、リエルはやせ衰えていく。
そして、エンデ様に心配されるのも……辛くなる。
こんな自分に優しい言葉をかけてもらう資格なんて無いのに。
ある日。重要な商談の為、数日は帰ってこないと言っていたエンデ様が予定を繰り上げて突然帰ってきた。
そして、一目散にリエルの元へとなりふり構わずにやってくる。
そのリエルを見つめる瞳を見た瞬間、リエルはエンデ様が全てを知ってしまったと気づいた。
終わったと思った。絶望で、目の前が暗くなる。エンデ様が何かを言おうと口を開きかけた瞬間。
リエルは全てを拒絶するように、気を失ってしまった。
冷たい……。
気持ちのいい冷たい手で頬を撫でられ、目を覚ますとリエルはエンデ様のベッドで看病されていた。
まだ上手く回らない頭のまま手の主を見ると、ひどく憔悴した顔で……リエルの意識が戻ったと分かると、いつくしむような瞳。
エンデ様だ。
驚いてリエルはあわてて起き上がろうと上半身を起こすと、目が眩む。
「まだ、起き上がってはいけないよ」
優しい声と腕で、リエルはベッドに戻される。
「いけません」
エンデ様の腕を押し返そうとするけれど、リエルにはその力が出ない。
「心配は要らないよ医者以外誰もこの部屋には入れていない……絶対安静だそうだ」
「……すみません」
「何が、君をそうさせているのか……話してはくれないのだろうか」
「……」
エンデ様に自然と手を握られる。あの日から人に触られるのは怖くなってしまったリエル。
でも不思議なほどそれは全く嫌ではなかった。
「君が、何に苦しんでいるのか……知りたい」
あくまでもエンデ様は私の口から聞きたいというのか。
それはいい意味でも悪い意味でもリエルの心を追い詰める。
「私は……もう、エンデ様に……お仕えする事が、でき、ません」
限界だった。知られてはならない秘密を知られて、どうしてこの人の前に居れるだろうか。
「お暇を、ください」
そう、リエルがやっとの事で言った瞬間。部屋の中は沈黙に包まれ、ため息の後にエンデ様の雰囲気が変わる。
「無理強いはするつもりではなかった、けれど」
「エンデ様?」
「君が、私の前からいなくなるというのなら別だ」
「っ!?」
まだままならない体を、エンデ様はぎゅっと……痛いぐらいに抱きしめる。まるで逃がさないとでも言うかのように。
その抱きしめる手の動きは、親愛の証というよりは、情熱的過ぎて……リエルはぞくりとした。
「だ、駄目ですっ!」
「何故?」
その右手は、リエルの背中から右耳、そして顎を捉えた。左手は腰をがっちりと捕らえて、リエルは体勢を変えられない。
唇が触れるか触れないかの距離で。リエルはパニックになってつい目をそらしこう答えてしまう。
「私はっ……汚れているんですっ……」
「私はっ……」
「好きなんだ、リエル。だから逃げないでくれ」
「!」
信じられないエンデ様の告白。でもそれを受け入れる事は、今のリエルにはもう到底出来なかった。
何度も拒否しても、エンデ様はそれを繰り返し拒否する。平行線。
このままではいけない。そう考えたリエルは、その言葉を貰えただけで十分でもう何も怖いものは無いと全てを話した。
自分がどんなに汚らしく、エンデ様にふさわしくないかを洗いざらい。
それを全て語り終わった時。反応が怖くて、エンデ様の顔を見れない。
でもエンデ様のリエルを抱きしめる腕の力は弱まらない。顔を見ると浮かんでいるのは失望でも軽蔑でもなく。
浮かぶのは悲しみと怒りに彩られた瞳。感情を押し殺した表情でただ見つめられいた。
「なぜ、私に知られたくなかったの、か」
読み取れない声音で尋ねられる。意地悪な質問。それに答えたら隠したい気持ちを話してしまうのと同じだ。
だからリエルは沈黙する。でも沈黙も気持ちを暗に語ってるのと同じ事とは、リエルは気づかない。
「君が汚れていると言うのなら。君にこんな劣情を抱いていた私のほうが汚れている」
「そんな」とリエルが言いかけた言葉に被さる様に矢継ぎ早に語られる。
「君は知らなかっただけだ。どんなに私がこうしたかったか」
そう情熱を隠しきれない声で囁くと、エンデ様は力が入らないリエルを横たえるとおおい被さり額にキスを落とす。
「私は体調の悪い君にこんなことを望むほど、卑しい男だ」
「いけません」と拒否する手に力がはいらないのは、リエルの体調が悪いせいだけではない。
あの男に嵐のように奪われた時は、どうしようもなく嫌で逃げたくて触れられた先から身の毛がよだつほどの嫌悪感が覆ったのに。
今は逃げる気もおきなかった。ただ頭の中のなけなしの理性が、ダメだと訴えるだけだ。
「いけま、せん」
エンデ様に体をまるで壊れもののように大切に触れられるたびに、リエルは口で拒否する。
でも体はその行為を……あのおぞましい行為をその優しい感触で、上書きして欲しいと願っているかのように受け入れる。
「いけま……っ! あぁっ」
「優しくするから。リエル」
「だめっ。で、す」
エンデ様のキスは額から段々と胸元へと下がっていき。いつの間にか服ははだけられ、胸はあらわになっていた。
エンデ様にみすぼらしい自分の裸を見られている。それだけでリエルは羞恥で肌が赤く染まる。
そしてむさぼるようにして尖った胸の先端を舌で弄られ、手で触れられているだけで泣きそうになる。悲しみではなく、嬉し涙。
ゆっくりゆっくり、リエルの反応を確かめるように進む手。まるで癒されているようにリエルは感じる。
けれど、リエルの漏らすのは「拒否」の言葉だけ。
これ以上、エンデ様にこの汚れた体を見せたくないと……思ってはいても喜びが勝り、感じているのを押し殺す鳴き声だけが部屋に響く。
「あんっ!」
声を出さないと、必死だったリエルはエンデ様の手が下肢に及ぶと堪らず声を上げた。
「もっと、声を聞かせてくれ、リエル」
「だ、だめっ!」
何度「だめ」とリエルはエンデ様に言っただろうか。それは一見、無理矢理の行為のようでいて……。
リエルの体が開くまで丁寧な愛撫を続けたエンデ様に、自身をあてがわれて……目が合った。
「…………好きだ」
「だめ……」
愛撫の途中で何度も軽くいかされたリエルは、息も切れ切れ……それでも頑なに拒否する。
「その言葉は、もう……聞かないっ」
「んっ!!」
解きほぐされたリエルの体は、異物の挿入をすんなりと受け入れる。入ってくる感触にリエルは中から熱いものを感じて言葉を出せない。
「ああっ! ……あ、あっ」
エンデ様が中でゆっくり動くたびに、リエルは鼻から抜けるような声しか出せなくなる。
そして何も考えられなくて体の全神経が下腹部に集中し……そして、すぐに感覚が麻痺したように頭が真っ白になった。
その薄れ行く意識の中で、夢うつつのうちに聞いたエンデ様の言葉は気のせいだろうか。
君の最初の男に嫉妬するけれど、それよりも私は君の最後の男になりたい――だなんて。
気がつけば、リエルはエンデ様の胸に抱きかかえられて寝ていた。
今は何時なのだろうか?窓の外から漏れる光をみてそう時間も経っていないようだった。
エンデ様を起こさないように体を起こせば、先ほどの無理がたたったのか軽くめまいを起こす。
体の中にある違和感に気がついたが、それは初めてのときとは雲泥の差で嬉しい痛みだった。
エンデ様の安らかな寝顔を見て、リエルは思わず頬にキスを落とす。
これを思い出にこの屋敷から去るつもりだった。
こんなことになって、もうお側にはいられない。
父に相談すればきっと、エンデ様には内緒で他家へのメイドとしての紹介状を書いてもらえるはずだ。
この思いは大切に心の中にしまいこんで……これからそれを支えに生きていける。
エンデ様がリエルの体に回していた腕をゆっくりはずしベッドから起きると、脱がされた服をのろのろと着る。
やはり、体が疲れきっていて上手く動けない。
エンデ様から伝えられたお医者様の言う事では、最近の食事の取れなかった事による軽い栄養失調と仕事の忙しさでの過労らしい。
生きる屍のような生活の所為だったが、今はもう……嘘のように心は軽かった。
エンデ様が触れた先から新しく生まれ変わったように。
服を着終わり、最後に目に焼き付けるようにエンデ様の寝顔を見ようとベッドに近づいた瞬間、強い力で腕を引っ張られた。
「お、起きていたのですか?」
「もしかして屋敷を出て行くつもりなのか……私の気持ちは迷惑?」
行動を読まれていた。その気まずさを振り切るように気をしっかり持ってリエルは返事を返す。
「駄目です」
何度も口にした言葉だけれど。今のそれは閨の中での甘い雰囲気を消し去った、しっかりとした返事だった。
その意思が曲げられないものだと分かると、エンデ様は「わかった」と頷く。けれど。一つ条件を出された。
リエルの体調が心配だから、お医者様のお墨付きが出るほど体調が完璧に回復するまでは……屋敷に居て欲しいという事。
それがエンデ様の譲れない最低条件だった。そのかわり、エンデ様は指一本リエルに触れないと約束する。
「この部屋を、出るまでは……」
最後だからと抱擁と触れるだけのキスをされると、離れがたい気持ちをふりきリエルは部屋から出る。
エンデ様が惜しむような、先ほどのベッドの上での熱さを燻らせるような目で見ているのを背後で感じながら
自分の中にある情熱を押さえ込んでこれでよかったのだとリエルは自分に言い聞かせた。
これからは、何事も無かったように日常に戻るのだ。
――本当に戻れるの?
そう、胸の奥の言葉を聞かないフリをして。
■リエル編完