幸せって、なんだろう。  
 
 
『貫殺天使リア』  
31/幸.Be with you  
 
 
――どこかの山奥  
リアちゃん、起きて、リアちゃん。  
遠くで声がする。誰か懐かしい声がわたしを呼んでいる。  
リアちゃん、リアちゃん。ほら、起きて。  
頭を撫でられてる。きもちいい。  
このまま眠っていたいけど、どこかで起きなきゃいけないと思うわたしがいて、仕方ないからゆっくり眼を開ける。  
「ああ、やっと起きた。ねぼすけだなあ、リアちゃん」  
「ん……。カレン、おはよ」  
「おはよう、リアちゃん」  
いつもの朝。あれ? 朝にしては暗い気がする。ああそうだ、朝は暗いんだ。  
なんだか頭が痛い。もやもやする。よくわからないけど、ちがう。  
「どうしたの? リアちゃん。元気、ない?」  
心配そうなカレンの顔。そんなに変な顔してるかなあ。  
大丈夫、と答えて身体を起こす。そっか、昨日はカレンといっしょに寝たんだっけ。  
お布団を剥がして伸びをする。澄んだ空気が裸の身体に心地よい。  
「……あれ? なんで、裸なの?」  
いっしょのお布団にくるまっていたカレンを見ると、やはり彼女も壁の隙間から差した月明かりに白い裸体を晒していた。  
つんと上向いた桃色の乳首、赤い首輪が巻かれている。  
「カレン……? なんで、裸なの? なんで、それ、してるの?」  
首に巻かれたものを指さすと、カレンはきょとんとした顔を返してくる。  
「なんでって……あたりまえだよ。ご主人様が、しろっていったんだよ?」  
「ごしゅじん、さま……?」  
痛い。頭が痛い。なんだっけ。  
ご主人様。おぞましい響き。甘美な響き。相反するふたつの感覚が頭を揺さぶる。  
「そっかぁ。そうだよね。リアちゃん、ご主人様とエッチしたあと、すぐに失神しちゃってたんだっけ。  
 それからずっと寝てたんだもん、わからなくて当然だよね」  
ひとり納得した様子のカレン。す、と手を引かれて立ち上がる。もちろん下にもなにも着けてはいなかった。  
「それじゃ、ご主人様におはようの挨拶、しにいこっか」  
そうして、ひび割れたドアノブをひねった先、廊下を抜けて、階段を下る。  
「暗いから気をつけて。リアちゃんはまだ、見えないでしょう?」  
確かに暗闇は見渡せない。でも、その物言いだと、カレンは見えることになるのだけど……?  
段差を降りて、また狭い廊下を歩く。漂う獣臭。廊下の先から、甲高い女の嬌声が聞こえてくる。  
「カ、カレン……。なんか変だよ。変なの聞こえてくるよ」  
「あれ? ご主人様の魔法、効き過ぎちゃってるのかなぁ?」  
近づくに連れ大きくなっていく嬌声。その声が漏れ出るドアの前で、カレンは足を止めた。  
わたしの顎に手をかけてカレンの顔と合わせられる。カレンの瞳にわたしの顔が写っていた。  
「ねえ、リアちゃん。リアちゃんって、なに?」  
「え・・・・・・?」  
わたし? わたしってなに? なんだっけ。すごく大切なこと。なんだっけ、なんだっけ。  
「わたし、は・・・・・・。わたしは・・・・・・」  
頭が痛い。気持ち悪い。吐きそう。吐いてしまいたい。お腹になにかが渦巻いてるみたい。どろどろのなにかが思考の邪魔をする。  
ふっ、とカレンがわたしから目を逸らした。そのままドアノブを捻って中へ進んでいってしまう。  
「ぁ・・・・・・。カレ、ン?」  
まって。置いていかないで。ひとりはいや。怖い。ここは怖いよ。追いかけなきゃ。カレンといっしょにいなきゃ。  
半開きになったドア。そこへ足を踏み出そうとして――  
 
――いいの? そっちへいって、いいの?  
後ろから、声がする。  
――戻れなくなるよ? ■■■さんや、■■■さんといっしょの日々に。■■■や■■■とお勉強もできなくなるんだよ?  
ぴたり、立ち止まる。その声は知っている。この声は、わたし自身の声。  
――そっちは、まっ暗だよ。そこには、なんにもないよ。  
部屋の中は、闇が広がっている。鼻につくにおいに子宮が疼くのを感じた。  
――ねえ、思い出して。わたしは、×××××。  
聞こえない。わからない。  
――わたしは、×××××だよ。いっちゃだめだよ。  
わたしはなに? なんだっけ。ぬる、と闇を引いてカレンが顔を出す。  
――いっちゃだめ。そこに幸せはないよ。だめ、だめだよ。  
手を引かれる。そうだ、わたしの幸せは、カレンと、ご主人様といっしょにいることなんだ。  
――だめ、だめ、だめ! 思い出して! わたしは、わたしは――!  
足を踏み出す。闇がわたしに絡みつく。足に、胸に、顔に、心に。  
声が消えた。とまどいも消えた。  
わたしって、なんだっけ?  
まあ、いいや。  
 
 
ぺたぺた、ぺたぺた。裸の足の裏が木床を進む音。  
まっ暗な部屋。暗闇が身体に張り付く感覚。  
未知を知るのはカレンの迷いない足取りだけ。先の見えないこの世界で、カレンだけがわたしを導いてくれている。  
そのカレンが、ぴたりと足を止めた。  
「ここだよ、リアちゃん」  
釣られてわたしも立ち止まる。微かな獣臭。唸るような荒い息が聞こえる。  
「ぁ……」  
眼が暗闇に慣れてきて、その正体が見えてくる。  
「よお、よく眠れたかい?」  
灰色の毛並み。逞しい筋肉。長ソファを一匹で独占してふんぞり返っている、巨大な狼。  
「――デス、パイア……! ぅあ……!?」  
痛い、頭が痛い。違う、なにこれ、ちがう!?  
「記憶が混濁してるってのは、本当みたいだな。抵抗力の問題か? まあ、調教のしがいがあるってもんか」  
「そうですね・・・・・・。さしあたって」  
カレンが顔を寄せてくる。■わなくちゃ。目の前の■を、倒さなきゃ……。  
違う、あれ、違わない? 頭が痛い、たすけてカレン……!  
「リアちゃん、忘れちゃったの? この方は、私たちのご主人様、だよ?」  
「……ご主人、さま」  
痛みがすっときえていく。そうだ、そうだった。ご主人様、そうだ、ご主人様だ。  
どきん、どきん。胸が弾む。子宮が疼く。心が、熔ける。  
ご主人様の股間にそびえ立つ肉棒。天を向いて、とても逞しく思える。  
「リアちゃんはまだご奉仕の仕方知らないよね? 教えてあげる、きて」  
カレンに促されて、ご主人様の膝元に跪く。目の前にご主人様がある。  
「まずはこうやって、竿に舌を這わすの……」  
「はい……」  
太い肉棒に手を添えて躊躇いなく舌を伸ばすカレン。それを見てわたしもおそるおそる舌を伸ばしてみた。  
熱い。舌先に感じるご主人様の体温。頭が灼ける。鼻孔をくすぐるご主人様の精臭。  
カレンに眼で促されて、わたしは舌を亀頭に這わせる。赤黒いぷにぷにとした肉にこびりついた精滓を、たまらず舌で刮ぎ落としていく。  
びくん、とご主人様の肉棒が震えた。喜んでくれているのかな。わたしできもちよくなってくれているのかな。  
上目遣いにご主人様を見つめる。にい、とご主人様は半月のような笑顔を見せてくれた。  
「いいぜ……。次は、口でくわえてみな」  
精一杯口を大きく開けてご主人様をくわえこむ。でも、ご主人様のは大きすぎて頬張りきれない。わたしには亀頭がせいぜいだった。  
「口の中で、舌を擦りつけてみて。そうそう、絡める感じで……。うまいうまい」  
もごもごと口腔内でご主人様を味わう。精臭、獣臭。あたまがくらくらする。ご主人様が、熱い。わたしも、熱い。  
「ふふっ……。ちゅっ」  
カレンがご主人様の肉棒に口づけをして、そのまま竿に奉仕を始めた。カレンの息と、わたしの息。そしてご主人様の体温。  
熱い、熱いよ。  
ご主人様の肉棒がぷるぷると震えてきた。舌先に感じる鈴口から、ちょっと苦いなにかがあふれてくる。  
「ちゅぱ、んっ……、えへへ、きもちいいですか? ご主人様……?」  
「ああ、気持ちいいぜ。はじめてだろ? 上手なもんだ」  
嬉しい。ご主人様に褒めてもらえた。嬉しくて嬉しくて、ご主人様へのご奉仕にもっと力を入れたくなる。  
 
「ふふ、ご主人様ぁ……。リアちゃんもそろそろ欲しそうですし、イカせてあげますねっ」  
カレンの手が、舌が、ご主人様を激しく責め立てる。指がご主人様を扱く度、ぴくぴくと震えて、かわいい、と思った。  
「……っと。さすがにカレンは手慣れてんな……。リア、口を大きく広げてまってろ」  
「はぁい。あーん……」  
ご主人様に言われたとおり、口をめいっぱい広げて揺れる肉棒の前で待つ。透明な先走りがわたしの唾と混ざって光を返している。  
「ご主人様はぁ……。ここも、好きなんですよねぇ。リアちゃん、あとでたっぷり教えてあげるね」  
そういうと、カレンはご主人様にぶら下がっている陰嚢を弄り始めた。亀頭が膨らんでいくのがわかる。もうすぐ、くる。  
「おぅ、出るぞ」  
ご主人様の肉棒がビクン、と跳ねて。  
どぴゅどぴゅっ! と大口を広げたわたしの口に精液が降り注いだ。  
「口の中で味わえ。俺がいいって言うまでかき混ぜてろ」  
「ふぁい……」  
言われたとおり口内で精液をくちゅくちゅとかき混ぜる。苦み、甘み。強い青臭さと仄かな花香が脳を揺さぶる。  
ご主人様に口の中を見せて、お許しをいただいてからそれを呑み込んだ。  
ああ、おいしい。  
「リアちゃん、もう、濡れてるね……。ふふ、えっちな娘」  
カレンに釣られて下を見やると、確かにわたしのソコはしとどに涎を垂らしていた。  
しかたないよね。だって、ご主人様に精液をかけてもらったんだもん。  
「本番いくかぁ? リアも、欲しいだろ?」  
「はいっ、ご主人様……」  
一度精を放っても未だ衰えないその肉棒。ご主人様の雄々しさを象徴するように、その黒い砲身を反り返らせている。  
「後ろを向いて、四つんばいになれ。そうだ、そのまま尻を上げろ」  
ご主人様にお尻を向ける。冷たい空気が濡れたソコを冷やして、とてつもなく切ない。  
「ご主人、さまぁ……」  
「ふん、前戯はいらねえみたいだな……。そら、いれてやるよ」  
熱い、熱いものがクレバスを押し広げて膣穴へと挿入されていく。待ち望んでいた感覚。胸のどきどきが加速する。  
「おお、きついな」  
ぐ、ぐぐぐとご主人様が埋め込まれる。子宮口までたどり着いて、ご主人様は止まった。  
そして、グラインドが始まる。  
「あぁ!? ふぁっ、あん、ごしゅじんさま、はげし、ふぁぁ!?」  
はじめから容赦のない腰の動き。ご主人様の欲望が叩きつけられているのがわかる。ご主人様がわたしを使ってくれているのがわかる。  
熱い、熱い。ご主人様が熱い。私を犯す肉棒がまるで焼けた鉄のよう。  
「リア! お前のこのきついのも、すぐに俺が俺専用の穴にしてやるからな!」  
「はっ、はいぃっ! うれ、うれしいですぅっ! あぅ、あぁん!」  
ずぷずぷと卑猥な音があたりに響く。周りは暗いのに目の前が真っ白。  
身体が前後に揺さぶられるたび、淫蕩な熱が心を焦がす。どろどろのマグマが心臓に溜まる。  
ご主人様がわたしの腰を持ち上げ、体位を変えた。椅子に腰掛けたご主人様と向かい合う形。回転した肉棒にもまた媚熱を覚える。  
そこからはもう、ご主人様のなすがままだった。ご主人様の逞しい胸板にすがりつくわたし。わたしの身体を軽々と扱うご主人様。  
強く引き締まった腕がわたしを持ち上げ、そして落とす。猛々しく淫猥な腕が、わたしを堕としていく。  
「ふぁっ、あぁっ、んっ、あぁん! ごしゅじんさま、ごしゅじんさまぁ!」  
ぐちゃぐちゃ。頭の中がぐちゃぐちゃ。考えられない。なにも考えられない。なにも考えたくない。  
「ふぁっ、あっ、あぅ、ふにゃっ、あぁん!」  
「気持ちいいか? 気持ちいいだろう!? お前は牝なんだから、当然だ! それでいいんだ!」  
頭に言葉が叩きつけられる。牝。メス。わたしは牝。だからきもちよくていい。  
「お前はペットだ!お前は俺たちのしもべだ!嬉しいだろう!? 俺に一生奉仕できるんだ!」  
ペット。しもべ。ああ、わたしは牝なんだから、嬉しいに決まってる。  
「わかったら、返事をしろ! 浅ましい犬の、畜生の鳴き真似をして忠誠を誓え!」  
犬のまね。それは、それをすれば、きっとわたしはもう戻れない気がして。そしてそれはとても喜ばしいものに思えて。  
わたしのにおい。牝のにおい。ご主人様のにおい。牡のにおい。それらを胸一杯に吸い込んで、わたしはないた。  
「わんっ! わんわんっ!」  
「ふふ、くかかかかか、ふひゃははははははははは!! いい、それでいいんだ! 牝はそれでいいんだよ!  
 ご褒美をやろう! リア、好きなものを言ってみろ!」  
沸き上がる情熱。止めどなく溢れる情欲。子宮が疼く。本能が叫ぶ。  
ご褒美。欲しいもの。それは、それは――。  
 
「あぅっ、あぁっ、ごしゅじ、ごしゅじんさまぁ! せーえき、せーえきくださいっ!  
 あかちゃん、ほしひっ、ほしひですぅっ!」  
笑った気がする。カレンが、ご主人様が。周りの人々が。なにに? わたしに。  
「じゃあ……、いいぜ。くれてやるよ」  
揺れる。ご主人様の腰が。揺れる。ご主人様の腕が。揺れる。わたしの人であったなにかが。  
尊厳なんてなくて、人間なんかじゃなくて。ペットとして、牝として、震える。  
わたしの全てをご主人様に預けて、もはや自分の嬌声すらわからなくなって。  
「あっ、ああっ、ふぁあっ」  
ご主人様と、カレンがなにか言った気がした。  
頭が真っ白になって、なにを言っているのかはわからなかったけど、きっと。  
「あんっ、ひゃぅ、んぁあっ」  
それはきっと、今のわたしにふさわしい言葉だと思ったから。  
「あっ、あぁっ、あぁあ!」  
だから、ぜんぶぜんぶ、なんにも気にしないで、わたしはイクことにした。  
「ふぁっ、あっ、あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」  
たぶん、精液を出してもらったと思う。  
子宮の熱さを感じながら、わたしはご主人様にもたれかかった。  
あ、今、すごいしあわせなきぶん。  
ちょっとだけ疲れた。すこし、眠ろう。  
なぜだか涙がひとしずく、頬におちた。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
ざざぁーん……  
ざざぁーん……  
波打ち際、真っ白な海。  
わたしはそこへ足を踏み出す。  
暖かな海水。夜なのに星はなくて、お月様がひとつあるだけだった。  
ふと、手のひらを見やる。  
ちいさな、ちいさな種があった。  
波を散らし、水をかき分けわたしは進む。  
お月様。  
そこへ、手を伸ばした。  
すうっ、と種は吸い込まれていく。  
とくん。お月様が鼓動を始める。  
はじめまして。  
わたしが、おかあさんだよ。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
「ん……。ご主人様、侵入者ですね」  
ご主人様の肉棒をお掃除させてもらっていると、カレンが突然呟いた。  
「……? カレン、ホント? なにもわからないけど……」  
「たぶん、精臭に当てられてるだけだよ。そのうち感覚が戻ってくるから」  
ご主人様を舐める舌を休めて、カレンが立ち上がる。  
「じゃあ、ちょっといってきます、ご主人様。ここのを2、3借りていっても?」  
「ああ、かまわねえ。早めにな」  
「はぁい」  
カレンが踵を返してドアへと向かう。その白い背中に、声をかけた。  
「カレン、わたしもいくよっ! わたしもご主人様の役に立ちたい! ね、いいでしょご主人様!?」  
けれど、カレンとご主人様は困った顔をする。  
「あー、今のリアじゃ無理だなぁ。身体もあんま動かねえだろ?」  
「それに、夜目もまだ利かないだろうし……」  
「でも……」  
無駄だとわかっていても、食い下がる。わたしだって、ご主人様たちのためになにかしたい。  
「……リアちゃん、大事なことを忘れてるよ」  
「……?」  
なんだろう。だいじな、こと?  
「赤ちゃん、欲しいんでしょ?」  
「!!」  
カレンは自分のお腹に手を当てて微笑む。そうだ、カレンは赤ちゃんができたって言ってたっけ。  
「まずは、赤ちゃんができるようにご主人様とたくさんエッチしないと。  
 それに、リアちゃんのセックスはまだ全然うまくないんだよ?  
 フェラも、手淫も、覚えなきゃいけないことはまだまだたくさんあるし。  
 ……ここは、わたしで充分だと思うから。だからリアちゃんはご主人様にエッチを教えてもらってて」  
そうして私の髪を撫でてから、カレンはドアをくぐって出て行った。  
そうだ、そうだよね。  
「……ご主人様、お願いがあります」  
「なんだ? 言ってみろ」  
そう、ここでわたしがするべきなのは、ひとつだけ。  
「リアに、あなた様のペットに、たくさん、たくさんエッチをしてください――」  
真っ暗闇の中、わたしはご主人様と絡み合う。  
きっと、これが幸せ。  
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
それから、すこし。  
あれから、すこし。  
春、夏、秋をまわって。また、雪の積もる季節になった。  
わたしは今、裸で揺り椅子に座っている。  
ぽっこりと膨らんだお腹。愛しい愛しい我が子。男の子かな、女の子かな。  
月影に揺られてお腹を撫でていると、カレンがこちらへ歩いてきた。  
夏までは大きかったお腹も、今では元のかたちに戻っている。かわりにおっぱいが大きくなっているけれど。  
「リアちゃん、もうそろそろだね。生理が止まってからちょうど10ヶ月だから、予定日はこの1週間かな?」  
にっこりと微笑むカレン。その脇には、小さな子どもがトコトコとついて回っていた。  
キョウヤ、と名付けられた赤ちゃん。カレンの息子。  
ふさふさの毛皮に尖った耳。精悍な目つきを灰色の毛並みに置く人狼。カレンとご主人様の子どもだ。  
産まれてからまだ4ヶ月しか経っていないのに、もう3歳児並の大きさになっていた。これにはご主人様も驚いていた。  
どうやらデスパイアであるということ以外にも、カレンの母乳が効いているらしく、成長が早い。  
こんなに小さいのに、もう私を持ち上げられるんだ、とカレンが嬉しそうに語っていた。  
「リアさん、あかちゃんうまれる?」  
か細い、少女のような声。そうだよ、と答えて、頭を撫でてあげる。  
「キョウヤくんも、いつかは女の子に赤ちゃんをつくってあげるんだよ?」  
「うん! ボク、がんばる!」  
きらきらとした眼。純粋だなあ。カレンが親ばかになる理由もわかる気がする。  
「おーう、調子はどうだぁ?」  
 
「あ、ご主人様」  
「おとーさん!」  
ぺこりと頭を下げるカレンと、ご主人様に駆け寄るキョウヤくん。そういえばご主人様も親ばかだ。  
……? なんだろう、お腹に違和感。  
「今日はどうする? キョウヤに外でも見せてやるか?」  
「そうですねぇ、リアちゃんに栄養つくもの食べさせてあげたいですし、街に行きませんか?」  
お腹が痛い。  
「まち!? まちいくの!? ボクも、ボクもいく!」  
「んー、ご主人様、キョウヤにはまだ早いんじゃないですか?」  
お腹が痛い。脂汗が出てきた。  
「そうだなぁ、いや、もういいんじゃないか?」  
「おかーさん、ボクまちいきたい!」  
じんじん、ずんずん、お腹に痛みが走る。頭が割れそう。  
「うーん、ちょっとだけなら……。あっ、リアちゃんのためってことを忘れちゃだめですよ?」  
「そうだな。リア、なにか食べたいものはあるか? ……リア?」  
いたい、いたい、いたい。これは、この痛みは。  
「リア! しっかりしろ!」  
「たいへん! キョウヤ、みんなを呼んできて!」  
「うん!」  
ああ、産まれるんだね。  
おかあさん、がんばるよ。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
ざざぁーん……  
ざざぁーん……  
あったかくて、まっくらで。  
おかあさんのうみのなかに、わたしはいた。  
けど、それもきょうがさいご。  
おかあさんががんばってる。わたしのためにがんばってくれている。  
わたしも、がんばらなきゃ。  
ひろくてしあわせなここから、すこしだけあたまをだす。  
ごめんね、おかあさん。がんばって、おかあさん。  
ゆっくり、ゆっくりひかりのほうへすすんでく。  
おかあさんの、がんばってがきこえる。  
たくさんのゆめをみた、あのうみにさようなら。  
もうちょっと、もうちょっと。  
おかあさん、わたし、がんばるよ。  
いってらっしゃい。おかあさんのこえ。  
いってきます。わたしのこえ。  
ありがとう。  
そして、ひのあたるばしょへ――。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
「女の子だよ。……頑張ったね、リアちゃん」  
涙で霞んだ視界で、カレンが笑っている。  
元気な産声が聞こえる。あはは、身体にちからがはいんないや。  
「カレン……。赤ちゃん、抱かせて」  
「うんっ」  
震える腕で我が子を抱く。金の髪を持った女の子。頭にちょこんとのった耳と、羊水でしっとりとした尻尾がなければ人間みたい。  
大きな声で泣き続ける赤ちゃん。顔を真っ赤にして、ここにいると叫んでる。  
「名前……。ご主人様、この子の名前、わたしが決めていいですか?」  
「ああ、いいぞ。いい名前を付けてやれ」  
そうだな……。うん、そうだ。  
「Licht……。“ひかり”。この子の名前は、ひかり。よろしくね、ひかり……」  
ああ、よかった。  
この子に出会えて、本当によかった。  
あなたは望まれて生まれたんだよ。あなたはこれから、自分の足で幸せを見つけるんだよ。  
がんばって。  
愛してるよ、ひかり――。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
「どう? もう動ける?」  
「うん。もう大丈夫」  
ひかりを産んでから、少し。シャワーを浴びて、ひかりといっしょに綺麗になったわたしは、マタニティチェアに座っていた。  
腕にはひかり。わたしのおっぱいを、おいしそうに飲んでいる。  
「リアちゃんといっしょで金髪なんだねー。おめめも蒼いんだぁ」  
「えへへー。かわいいでしょ?」  
身体にちょっとだけ余裕が戻ってきた。ひかりの頭を撫でてやると、くすぐったそうに身じろぎをする。  
「いや、それにしてもメスだとはな。俺たちデスパイアの子なんだから、大概はオスが生まれるはずなんだが」  
ご主人様が物珍しそうにしている。そっか。確かに、ここにいる子達で女の子の赤ちゃんを産んだのは、わたしだけだ。  
「いいじゃないですか、ご主人様。女の子がふえるんですよ」  
「そうだなぁ。ま、たしかにそうだな」  
……? なんか、変。ふたりが喜んでいるのはわかる。わかるけど、なにに喜んでいるんだろう。  
どきん。どきん。なぜだか心臓が早鐘を打つ。  
「これで、また強い子がふえますね」  
「育つのにどれだけかかる? まあ、キョウヤの初相手で丁度いいだろう」  
どきん。どきん。冷や汗が流れる。  
「なあ、リア」  
やめて。  
「ねえ、リアちゃん」  
やめて。  
「よかったな――」  
それ以上、言わないで。  
カレン。笑顔。ねじ曲がった笑顔。  
ご主人様。笑顔。恐ろしい笑顔。  
やめて。やめて。やめて。  
このこは、しあわせになるけんりがあるの。  
 
「――ひかりちゃんが、ご主人様のペットになれるんだよ――」  
 
なにかがきれる、おとがした。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
――秋田県山中、小さな村落の家  
その夜、遠藤明日香はうたた寝をしていた。  
天使を引退してから早5年。今やすっかり普通のひとだ。  
仕事も見つけたし、優しい恋人とも出会えた。天使の組織とはまだ連絡はとっているが、自分が出動することはもうないだろう。  
こくん、こくんと船を漕ぐ。最近は徹夜が多く、疲れがたまっている。  
彼女の手には毛糸の束が織られていた。恋人へのプレゼントとして手編みのマフラーをつくっているのだ。  
すこしばかり古風なプレゼント。聖夜まではあとすこし、もうそろそろ仕上げてしまいたい。  
つけっぱなしにしていたテレビから、お笑い芸人の下品な笑い声が轟いた。それに驚き、眼を覚ます。  
手が止まっていたのに気づきため息をついて、再び毛糸を繰り始める。名前入りはさすがに重いだろうか? そんなことを考えながら。  
色を変えようと新たな毛糸を取ったとき、彼女の身体が硬直した。  
魔力。とてつもない魔力が、こちらに近づいてくる。  
瞬く間に戦士の顔を取り戻すアスカ。作りかけのマフラーをテーブルに置いて、久し振りの実戦へと心を引き締める。  
「……? これは、なに?」  
こちらに向かってくる魔力、そこから感じ取れる感覚、感情。  
頭を振ってその不思議を取り払う。今は目の前の敵が先決だ。  
水晶を取って、玄関へと出る。敵はもうこの近くにいるはず。吹雪く雪の中に体を踊り出して――。  
点滅する街灯の下に、ひとりの少女が蹲っているのを見つけた。  
「!? あなた、どうしたの!?」  
すぐに駆け寄る。そこで気づいた。魔力の正体がこの少女であること。少女が裸であること。少女の手の中に、赤子がいること。  
「こ、この、子を……」  
寒さに震えながら、少女はアスカに子どもを差し出す。凍える少女とは裏腹に、赤子は金色のベールに包まれすやすやと眠っていた。  
そこで、アスカは最大の異変に気づいた。赤子の頭に犬のような金の耳、同じくお尻には犬ののような金色の尻尾がついている。  
「……まさか、デスパイアとの……」  
「おねがい、します。どうか、どうか……」  
少女の悲痛な声。それに危機感を持ったアスカは、赤子を受け取り少女をみる。  
「なにがあったかは聞かないわ。とにかく、早く私の家にいらっしゃい!」  
蹲る少女の手を引いて立ち上がらせる。急ぐアスカの足取りにふらつきながら、少女もついていく。  
しかし、その足がアスカの家の門前で止まった。アスカが怪訝な顔を作るのと同時に、少女は手を振り払う。  
「あなた!?」  
「その娘の名前、ひかり、っていうんです」  
ゴウッ、と吹雪が強くなる。アスカはつい眼を閉じた。  
「その娘のこと、お願いします。あなたなら、任せられると思うから」  
いけない。ここで彼女を放してはいけない。アスカの中にそんな直感が走って、少女へ腕を伸ばす。  
数え切れない雪の奥で、少女が微笑んだ気がした。  
「幸せになってね。大好きだよ、ひかり。あいしてる」  
伸ばした手は、空を掴む。  
金の髪を持った少女は、闇の中へと消えていった。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
――それから  
「あなた、ひかりを起こしてきてくれる?」  
「おー……、ふぁぁぁ……」  
生返事をした夫がのそのそと2階に上がっていった。ねぼすけさんなのは、親子共々変わらないみたい。  
あれから、雪の夜にひかりを託されてから、10年。  
ひかりはぐんぐん成長した。クラスでもいちばん背が高いと自慢するくらい。7人程度のクラスで自慢もなにもないけれど。  
耳や尻尾は魔法で隠している。彼女自身にも幻術魔法は手ほどきしてあって、うまくはいかないみたいだけど頑張っている。  
夫は、あの子を理解してくれた。私が天使だったということ、あの子の正体、それらを全て受け入れてくれた。  
天使の機関も、ひかりをここで暮らしていくのをサポートしてくれている。完全に人にだけ育てられた混合種の観察、だそうだ。  
まあ、あれだけコネからなにから使ったんだ。ごねてごねて、親友たちにも迷惑をかけた。  
……あの、ひかりの本当の母親は。  
あれから一度も姿を見せていない。……いや、安否ならほぼわかっている。  
だって――。  
 
 
――・・・・・・  
アスカは見た。赤子を家に置いて、捜索をしようと出た街道で。  
山の麓あたりが、輝いていた。金色と、銀色に。  
アスカは走る。途中、久し振りとなる変身をして。  
走りついた先、光の元には。  
死体、死体、死体。デスパイア、人狼型のデスパイアの死体が散らばっていた。  
その死体の中。3つの影が立っている。他の狼より一回り二回り大きな人狼と先ほどの少女とは別の少女。それと、金色の少女。  
その少女の姿を見て、アスカは息を呑んだ。  
雪のような白い裸体に、一枚の金色の布が巻き付いている。頭上には金色のリング。そしてその背中には、3対の白い翼。  
天使。  
少女の姿は、まさに天使そのものだった。  
天使が、右手を振り上げた。その折れそうなほど細い腕の先には、銀色に輝く小銃が握られている。  
「――――っ、――――!」  
「――、――――」  
向かい合う少女たちが何事かを叫んでいる。吹雪のせいでアスカの元には届かない。  
唐突に、デスパイアと少女が突進をした。  
それが、最後だった。  
音もなく、ふたつの体が倒れる。  
天使は遺体に近寄ると、その息を確かめた。  
翼が、光の粒子となって消えていく。リングが雪に流されていく。  
魔力が切れたのだろうか、金衣も形をなさなくなった。  
ありのままの姿となった少女が、雪に倒れ込む。  
慌てて駆け寄るアスカ。けれど。  
けれど、少女の身体は、光になって消えてしまった。  
 
 
――・・・・・・  
……あの少女は、きっと私たちと同じ天使だったのだろう。  
ヒュプノスウルフ。あの大量の死骸は、そう判断された。  
それと、そこにいっしょに死んでいた少女。彼女の名前は、西園可憐というらしい。  
……そこから、あの少女の身元は簡単に割り出せたそうだ。  
フィリア・グローデン。彼女の名前だ。  
……よそう。朝食前に暗くなってどうする。  
とんとん、と階段を駆け下りてくる軽快な足音が聞こえてきた。我が家のお姫様のご起床だ。  
「おはよ、おかーさん」  
「おはよう。ごはんできてるから、ゆっくり食べなさい」  
「はーい。あ、おとーさん、牛乳取って」  
「そら」  
「えへへ、ありがと」  
いっしょに降りてきた夫と朝食を取り始める。金の髪に、蒼い瞳。そう、あの子によく似た。  
……あの子の言葉を、思い出した。  
「ねえ、ひかり――?」  
ん? と小首を傾げるひかり。これだけは、あの娘のために聞かなくちゃいけないの。  
「幸せ?」  
きょとんとした顔になるひかり。けど、すぐに太陽のような笑顔になって。  
「うんっ!」  
と答えてくれた。  
きっと、その笑顔は。  
彼女の元にも、届いているはず。  
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 
 
轟々とうなる雪。わたしと対峙したカレンとデスパイア。  
――どうしてっ、どうしてリアちゃん!  
すこしだけ考えて、答えを出した。  
――わたしはあの子の、お母さんだから。  
正しいかどうかなんてわからない。けど、あの子をまるで動物みたいに扱うのだけは、いやなんだよ。  
カレンが、デスパイアがなにかを叫ぶ。雪に圧されてなにを言っているのかはわからない。  
わたしの口が勝手に言葉を紡ぐ。たぶん、あっちも聞こえていないだろう。  
一瞬の静寂。  
振り上げた右手を、デスパイアたちに向けた。  
飛びかかってくるふたつの体。  
引き金を引いた気がする。  
気がつくと、カレンも、ウルフのボスも倒れていた。  
カレンの傍によって、息を確かめる。  
死んでる。  
すこしだけ涙が出た。ゆっくりと膝を折って、雪の中に倒れ込む。  
頭がぼうっとする。じんわりとした、海のような暖かさ。  
自分のいのちがほどけていくのを感じる。死じゃなくて、還るんだ。  
ああ、あったかい。  
ねえ、ひかり。愛しいひかり。  
しあわせは、あたたかいよ。  
だいすき、わたしのいとしいこ。  
 
 
Be with you.end  
『貫殺天使リア』/happy end  
 
 

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