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『どう、理恵。よく見える?』
『うん、すごく。あっ・・・あんな所にも星が・・』
『へー、やっぱり目だけじゃ全部見えないものなんだなー』
『アンタレスもすごいよ』
『アンタレスって、あの赤いやつのことだっけ?』
『うん。さそり座の、とっても真っ赤な星。雄也も見てみて』
『お、サンキュー。――おお、やっぱ双眼鏡でみると結構迫力があるな。さすが俺の星座』
『ねっ』
『すげー真っ赤だよな。はは、今日発表してたときの理恵みてー』
『・・・・』
『じょ、冗談だよ。そんなに見ないでくれ、頼むから』
『ごめん、私も冗談』
『・・・お前って、学校と家とじゃキャラ違うよな』
『えっ・・』
『学校じゃ全然しゃべらなくて暗いのに、家じゃこうだもんな』
『・・・・』
『まぁ、家というか、星を見ているときだけだけど』
『・・・・・』
『・・・あのー、理恵?』
『・・・・・・』
『・・・』
『・・・・・・・』
『いや、い、いいんだぜー、いっぱい、いっっぱい話しても。全然、何も悪いことじゃないってば』
『・・・・・・・・』
『なぁーー、理恵ってばー』
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カラオケが終わり、解散したのは夜の11時過ぎであった。
静寂に満ちている夜道を俺は歩いてきた。もう我が家は目と鼻の先だ。
その時、
「雄也」
と声が聞こえた。もう何度も聞いている、俺を呼ぶあいつの声だ。
「どうしたんだ、こんな遅くに・・・って、聞くまでもないか」
理恵は自宅の玄関の前に立っていた。
「それ、買ったんだな」
「うん」
理恵の傍らには、天体望遠鏡があった。
「いつ頃?」
「2年生になって、すぐかな」
なるほど。理恵がバイトを始めた理由が今になって分かった。
「何だ、教えてくれてもよかったのに」
「・・・ごめんね」
「いや、別に謝ることはねーよ。悪かった」
「雄也も別に――」
「なぁ、やっぱそれ使うとよく見れるか?」
「う、うん」
「へー、さすがだな。ちょっと触ってもいい?」
理恵は首を縦に振ってくれた。
俺は望遠鏡の前に歩み寄り、そっと撫でてみた。
すると理恵が、
「星、見てみる?」
と言ってきた。俺は――
「うーん、それは遠慮しとくよ」
「・・そう」
場を取り繕うため、何時間もぶっ通しで馬鹿騒ぎしたり歌っていたりしたから疲れていた。早くベッドに入りたかったのだ。
「そういえば、何の用だ」
「えっ」
「用があるから声かけたんじゃないのか」
「あっ、うん。その・・・ね」
「ああ」
「・・カラオケ・・・楽しかったかなって・・」
理恵にそう問われた少し狼狽した。「あまり楽しめなかった」とはさすがに言えない。
なぜなら、俺の脳裏でまだ、教室での理恵の悲しげな表情がちらついていたからだ。
一瞬だったから定かではない。
それを確かめようと思ったのだが、理恵は「何もない」といっていたし、今も憂いている様子はない。
でも、もし見間違えでなかったなら――
念には念を入れる必要がある。理由が分からないなら尚更だ。
ここで俺がマイナスの感情を顕にしたら、連鎖的に理恵も気分がふさぎこんでしまうかもしれない。
こいつのそんな顔は見たくない。ここは明るく振舞う必要がある。だから――
「すげー楽しかったぜ。なにせ女子とのカラオケだもんな」
と答えた。
「藤代さんって知ってるだろ?同じクラスだし。俺その子とデュエットしてよ。
彼女、歌がめっちゃ上手くてさ。俺なんか足引っ張りまくりで、竹之内に『引っ込めー』って言われて・・・」
俺は何とか面白いことを言って明るい雰囲気を作ろうとした。
だが、出てくる話は到底面白いものとは思えなかった。俺自身も内心ではそんなに楽しんでなかったのだから。
「最後は誰かが100点を出すまで歌い続けることになってな。
歌いっ放しだからもう全員ヘトヘトだよ。おまけに俺は70点代ばっかで役に立てなかったし」
俺は笑っている顔を作りながら、理恵に話していた。笑っていれば、向こうもつられて笑顔になるかと思ったから。
「あまりにも皆ウマが合って楽しかったから、また集まって遊ぶことになってな。
メアドも交換したし、やっぱいいね、野郎だけじゃなくて女の子とも遊ぶのは。仮に嫌なことがあってもすぐ忘れちまうよ」
だから今度はお前も一緒に――。そう言おうとした矢先、
「ふふっ」
という笑い声が聞こえた。俺は驚いて思わず口をつぐんでしまった。
こいつが声を出して笑うのは、本当に滅多にないことなのだ。
「よかったね。夢がかなって」
「えっ」
「高校に入る前に言ってたじゃない。
『今度こそ女の子とも遊べるようなバラ色の青春を送るぞ』って。今の雄也の顔、凄く幸せそうだったよ」
そんなことも言ってたような気がする。今思えば何とも恥ずかしい台詞だ。
でもまぁ、俺が笑顔を降り注いでいたのが功を奏して、理恵もつられて笑顔になってくれたようだからよしとしよう。
それにしても理恵の奴、笑いの沸点が前より低くなったのだろうか。
いいことだ、と俺は思う。
そんな思いにふけっていた瞬間、
「ごめんね」
と突然謝られた。
「いっぱい遊んで疲れているのに、声かけちゃって」
「何言ってんだよ。そんなん気にするなって」
「ありがとう。・・・じゃあ、私もう家に入るね」
「ああ」
「遊んでいた疲れなんだから、寝坊しちゃダメだよ」
「当たり前だろ、寝坊なんかもう何年もしてねぇよ。
昔とは違うんだ。お前の世話にはもうなんないから安心してくれ」
「・・・そうだよね、昔とはもう・・」
「何か言ったか?」
「ううん、おやすみ」
「あ、あぁ」
理恵は家に入っていった。天体望遠鏡を忘れたまま。
(ったく、大事なものだろうに――)
今更呼び戻すわけにはいかないと思ったので、道路側からは見えない死角に、望遠鏡を移動させておいた。
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『見てほしいものがあるんだけど、見てくれる?』
『わざわざ聞くなよ、そんな事。見せて』
『うん。これ・・・』
『このノートがどうかした?』
『星座の写真、まとめてみたの』
『おお、すげーじゃん』
『まだまだ少ないけど』
『どれどれ、はは、1ページごとに写真が貼り付けてあるのか』
『うん。見やすいと思って』
『俺の星座、さそり座は、っと』
『・・・・』
『・・・少し見難いな』
『使い捨てカメラで撮ったから』
『そうなんだ。でも、何となくは分かるからいいんじゃないか』
『はっきり撮るには、もっと良いカメラが必要なの』
『へー』
『それは、大きくなったら自分で買うから』
『な、何だよこっち見て。去年が特別だっただけなんだからな。双眼鏡なんて、あんな高いものプレゼントするの。
今年の誕生日はいつものように1000円以内で買えるものだ。う、うぬぼれんなよ』
『・・・ごめんね』
『と、とにかく。これで夏休みの自由研究はできたも同然だな。今年はこれを出せよ』
『でも、これ全部の星座入ってないし、見辛いし・・』
『充分だって』
『そうかな』
『そうだって。それより、星座って全部で何個あるんだ』
『88個みたい』
『はちじゅっ・・・、気が遠くなりそうだ』
『ここからじゃ見えない星座もあるみたい』
『うへー』
『あと、日本からじゃ見えないものも・・・』
『・・・どうするんだよ、それ』
『大きくなったら、見に行くつもり』
『一人で?』
『・・・うん』
『なんだよー、それ。ずるいぞ、俺も連れて行ってくれよ』
『えっ・・・、来てくれるの』
『当たり前だろ。俺とお前の仲じゃねーか』
『・・ありがとう・・・』
『どーいたしまして』
『あっ、理恵』
『なに?』
『これ、作り直さなきゃだめだぞ』
『え・・・』
『ほらこのノート、60ページしかない。88個もあるなら全部入んないって』
『・・・・』
『へへ、お前ってたまに抜けてるところあるよな』
『・・・・』
それから数日が経ち、もうすぐ夏休みに入ろうとしていた。
「あと一週間で夏休みだな」
2時間目の体育が終わり、体育着片手に教室へ戻る途中、竹之内が俺にそう言ってきた。
「あぁ、そうだな」
「お前、何か予定とかあるのか」
「いや、別に」
「寂しい青春だな」
「お互いにな」
俺達は苦笑した。
「あの子たちと遊べれば良かったんだけどな・・・」
竹之内がため息混じりにぽつりとつぶやいた。
「あの子たちって、藤代さんたち?」
「ああ。井上が言ってたよ。3人で短期のバイトするんだって」
「それなら別に遊ぶチャンスは・・・」
「泊りがけで行くんだよ。海の家に」
「なんでまた」
「イケメンサーファーと出会いたいんだとさ。・・・所詮俺達はお友達どまりだよ」
「そっか」
なぜだか分からないが、俺はあまりショックではなかった。
高校生活中に彼女を作るのは、俺の目標でもあるのに。
そのチャンスがなくなったと聞いても、別段残念だとは思わなかった。
その時、ポケットの中の携帯が震え始めた。
それを取り出し、メールであることが分かったので送り主を確認した。
――理恵である。
あいつからメールしてくるなんて滅多にないことだ。
早速内容を見てみる。そこには、
<今日、昼食を一緒に食べませんか>
という一文が書いてあった。
しかし、なぜ奴はメールだといつも敬語なのだろうか。
まぁそれは置いといて、せっかく珍しく理恵の方から誘ってくれたのだからそれに乗るとしよう。
理恵との食事なんて本当に久しぶりだ。
「悪い、竹之内。今日一緒に昼飯食えねぇわ」
「ん、そうか。じゃあ、俺は部活の連中に混ぜてもらって食うとするか」
「悪いな」
そう謝りながら、教室の扉を開けた。
昼食の時間になった。理恵の返信によると、屋上で待っているそうだ。
あいつとはここ数日まともに会っていなかった。
それが急に飯を一緒に食べようなんてどうしたんだろう。
俺は少しばかり緊張しながら屋上へ赴いた。幼馴染みと食事をするだけなのだが――
扉を開けると、何人かのグループが楽しく会食している。
理恵は隅っこの方に一人で待っていた。
「よぉ」
俺はうつむいている理恵に声をかけた。
向こうは顔を上げて俺を見た。
「・・・・」
「どうしたんだ、早く座れよ」
「う、うん」
俺達はお互いに向き合って、弁当を同時に開いた。
「しかしまぁ、お前の方から飯に誘ってくれるなんて、正直びっくりしたよ」
「ごめんね、急に」
「いや、たまには悪くないだろ。お前と昼飯なんて、もう何年もなかったからな」
しばらく俺達は黙ったまま弁当を食べた。
やがて理恵が、
「望遠鏡、ありがとね」
と言ってきた。
「んぁ?」
「この前の夜に話したとき・・・」
そういえば、理恵が家に入れ忘れた天体望遠鏡を道路側からの死角に移動させたんだっけか。
「ああ、あれか」
「誰かに盗まれないようにって、隠してくれたんでしょ」
「まぁな。それより今度からは気をつけろよ」
「うん、本当にありがとう」
理恵は2回もお礼を言ってきた。
(よほど大事なものなんだろうな――)
しかし、そのお礼を直接言うためにわざわざ誘ったのだろうか。しかも数日前のことを。
そんなのメールで良かったどころか、気にしなくとも良かったのに。
「それにしても、相変わらずうまそうだよな。お前んちの弁当」
「・・・・」
「おばさんって本当に料理上手だよな。うらやましいよ」
「あの・・・ね」
「うん?」
「これ、私が作ったの」
「へ?」
「お母さんに習って。それで高校に入ってからは自分で作ってるの」
「ま、まじかよ」
理恵は小さく頷いた。
「す、すげーじゃん」
そう言ったら理恵はうつむいてしまった。
そして、しばらく経って――
「食べて・・みる?」
と聞いてきた。
「お、いいのか」
「うん」
「サンキュー、じゃあこのたまご焼きを」
俺はたまご焼きをもらい、頬張った。
「おお、うめーじゃん」
「本当?」
「ああ、ここまで再現できるなんて、お前もすげーよ」
「何回も失敗したけどね。・・・ありがとう」
「そんじゃ、お返しにこれをやろう」
そう言って、俺はウィンナーを差し出した。
「好きだろ、お前。早く食べろよ」
理恵は少しためらっていたが、やがて「いただきます」と言って箸をつけた。
「なんだか懐かしいな、弁当のおかず交換なんて。ガキの頃を思い出したよ」
その言葉を発したとき、俺はあることに気付いた。
「あっ」
「どうしたの」
「そういえば、お前の誕生日・・・」
理恵の誕生日は7月の初めだった。もう2週間ほど経っている。
「過ぎちまったな」
「別にいいよ。気にしないで」
「でも、もう何年も祝ってないし」
「それはお互い様でしょ。だから気にしなくていいよ。覚えててくれただけでも嬉しいから」
「はぁ・・・」
確かに、今更祝うというのも変な感じだな。子供のとき以来、誕生日を一緒に過ごして祝い合ってないんだから。
でも、ささやかなプレゼントぐらいは――
「理恵」
「なに?」
「ウィンナー、もう1つ食べる?」
「・・・うん、ありがと」
俺の気持ちを察してくれたのか、今度はすぐに返事をして、ウィンナーを口に運んだ。
その後も俺達は他愛もない会話を続けていった。
こうして俺は、久しぶりの理恵との昼食を心底楽しんだ。