第6話  
 
ぱち、ぱち、ぱち。俺の算盤の音が響く。かりかりかり。千代の万年筆の音が続く。俺は収支報告の確認、千代は様々な種類の書類にサインをしていた。  
執務室の千代の机に対して直角に配置されている俺の机上には、書類で富士山ができていた。書類は全て、千代の会社や工場からのものだった。  
 
「その山を崩したらどうする、誠?」  
「泣きます、千代様」  
 
先に書類の処理を終えた千代の問いかけに答える。にやり、と笑いやがった。本気か。  
 
「崩すのはご自由ですが、夕方の散歩に行けなくなりますよ?千代様」  
「それは困るわ、誠。久々に晴れているのに」  
 
窓の外の紫陽花を見ながら千代は頬杖をつく。梅雨の合間の久々の晴れ間。穏やかな眼差し。千代は珍しく友禅の和装で、髪に刺した銀のかんざしの飾りが窓からの風に揺れる。だが、静寂はタエさんの声と怒声に破られた。  
 
「困りますわ!男爵様!」  
「女中如きが、声をかけるな!下郎!」  
 
ノックもなく扉が強く開け放たれた。シルクハットにフロックコートの優男。手にはステッキと白いドレスのようなものを持っている。  
かっかっかっ、と大きく足音を立てて千代の前に来る。俺は立ちあがって、深々と礼をした。頭を下げたまま、千代を窺う。  
感情を消し去り、全てを窺おうと目つきが鋭くなっている。この男との関係を察し、万が一に備えて体の力を抜き、意識を研ぎ澄ませる。  
 
「何の御用ですか?男爵様?」  
「君を貰い受けに来たのだよ。千代!さぁ、このドレスに袖を通したまえ!」  
 
大げさな動作で机の上にドレスを広げたのは純白のウェディングドレス。千代の顔が歪んだ。  
 
「私如き不具者には、男爵様は勿体のうございます。後、私の名を呼ばないでください。高貴な口が穢れてしまいますわ」  
「あぁ、千代!千代!千代!何度でも呼ぶよ!どうか私の」頭を下げ続けている俺をステッキで指す。  
「下賤な者に聞かせるにはもったいない私の名を呼んでおくれ!」  
「・・・どうかこの下賤な場所からさっさとお引き取り下さいませ?男爵様」  
 
やばい。面白すぎる。こんな分かりやすい華族が本当にいるなんて。笑いをこらえるのに体が震える。くそ。「男爵さま」は大げさに手を広げると、真面目な顔で千代に顔を近づける。  
 
「悪いが、また融資して欲しい。馬鹿な部下が事業を潰したんだ」  
「潰したのはあなたでなくて?男爵様。金を返す必要はございませんから、二度と来ないでください。・・・誠、金庫の中の茶色の鞄をお渡しして」  
 
はい、千代様、と金庫を開け、中から鞄を取り出す。ずしり、と重い。男爵に渡すと、中身を見て満面の笑みを浮かべる。  
口笛を吹きながらシルクハットのつばに手を掛けて一礼。身を返してドアに向かう。ドアの前で舞台俳優のように振りかえって千代を見た。  
 
「この事業の結果を報告に来ますよ!ウェディングドレスはその時まで取っておいてください。ち・よ・さ・ま!」  
 
千代は無言で返した。  
 
沈黙が部屋を包む。千代は腕を組み、俯いていた。考え事をしているのだろう。俺はその横に直立不動で立ち続ける。  
どの位時間が過ぎただろうか。千代が腕組をといて机上のドレスを汚いものを触るように摘みあげると、横の屑籠に落とした。俺に微笑みかける。  
 
「お散歩に行きましょう。誠。この部屋は臭いわ。あいつのせいで」  
「はい、千代様」  
 
窓を全て開け放った後、車椅子を押して部屋を出る。既に日が傾いて庭を赤く染めていた。道沿いに咲いた紫陽花の間を抜け、木々に遮られた芝生まで来た。  
芝生が乾いている事を確認し、千代を降ろす。ぽんぽん、と千代が右手で芝生を叩いたので、そこに座ると千代は俺の胡坐に頭を乗せて寝そべった。  
 
「何も聞かないのね。誠」  
「使用人は余計な口を利かないものですよ。千代様」  
 
あなたは使用人などではないわ、という千代の呟きには聞こえないふり。そうね、どこから話そうかしら、と人差し指を口に付けて独り言。  
 
「探偵ごっこをしましょう、誠」  
「どうぞ、千代様」  
「華族の妾の娘と没落華族の従兄弟。妾の娘の実父も継母も、家族全て亡き者。さぁ、何が起きる?誠」  
「・・・娘に遺産と厄介事が転がり込んでくる事でしょう、千代様」  
 
なんだ、つまんない、と千代は口を尖らせる。これは千代自身の話だ。軽く言っているが、遺産を巡る熾烈な争いがあっただろう。  
時代遅れの特権階級の欲望は、彼女にどんな影響を与えたのだろうか。突然、頬をつねられた。  
 
「誠、私が不愉快な思いをしているときに笑っていたわね」  
「滅相もございませんよー、千代様。痛いです」  
「あの場面では、悪人に迫られる姫を助ける必要があったはずよ、ナイト様」  
「何分出自が町人でありまして。お姫様」  
 
もう、減らず口にはお仕置きが必要ね、と芝生に倒された。シャツのボタンを外されて、胸と腹を露出される。顔に手が這い、首筋に舌が蠢く。  
腹に馬乗りになった腰が強く押しつけられた。友禅の前見頃が割れ、深紅の長襦袢が覗く。細い指が口内に荒々しく入ってくる。舌を掴まれた。引きずり出そうとする指に付き合って、自ら舌を出す。  
 
「ああ、なんて忌々しい舌。噛みちぎってやりたいわ」  
 
千代の顔が近付く。舌を噛まれた。唇はぎりぎり触れていない。男を意のままに操っている倒錯感に目が輝いている。噛まれたままの舌先をちろちろと舌がつつく。  
痛いが、扇情的な行為に頭が痺れる。舌を離されほっとしていると、今度は鎖骨を噛まれた。これは痛い。もがいているとあら、痛かったかしら失礼、ときた。  
絶対わざとだ。ゆるゆると舌を這わせ、乳首を舐め上げ、甘く噛まれた。思わず体が痙攣する。更に臍を舌でつつきながらズボンを脱がされた。俺の性器は萎えたままだった。  
 
「・・・もう!私の足にしか感じないのね、誠」  
 
千代がくるりと体を回すと、裾が顔に覆いかぶさった。右足の膝とふくらはぎで俺の頭を固定し、左足の末端がげしげしと顔を叩く。鼻に当たって涙が出た。  
 
「ほら、ご褒美よ、誠」  
 
遠慮なくいただく。前見頃をまくって長襦袢から左足を露出させ舌を這わせる。すぐに下半身に血が集まり勃起した。何かが性器に絡まる感触。千代がその上から握った。  
快感を期待して興奮する。しごかれた。ざりざりっ―いたた、痛い!  
 
「痛いです!千代様!何ですか!?」  
「何って、誠。私の髪をあなたのものに巻きつけて、力いっぱいしごいているのよ。痛い?お仕置きには、痛みが伴うものよ」  
 
うふふ、と笑う。暗澹とした気持になったが、力を加減したのか痛みよりも快感が勝るようになった。しゃりしゃりとしごかれ、亀頭を手で撫でまわされる。時折、内腿に手を這わせ、玉袋を優しく触られる。なんと心地良いのだろう。  
左腿を抱え、舌を這わせながら目を瞑る。香水と少女の甘い香りに身をゆだね、射精した。  
 
千代が身を離し、横になった。友禅の襟が乱れ、長襦袢の下の胸元が見えた。深紅の長襦袢に、陶磁よりも白い肌が映える。精液が絡んだ髪を口に含んだ。  
服を整えている俺を見ながら艶然と笑う。あぁ、その肌に傷を刻んで血を流させたらどんなに美しいのだろう―獣が呻く。  
 
「不味くはないのだけど、ね。砂糖水をたらふく飲ませたら甘くなるかしら?誠」  
「糖尿になってしまいます。千代様」  
 
それは困る、と口を尖らせる。なら言うな。千代に膝枕をし、髪の精液をハンカチで拭きとる。千代は腰にまとわりつき、股間に顔を埋めてぐりぐりと振っていた。  
まるで着物を着た猫だ。千代の温かさに触れ、俺の中の獣が静かに目を閉じる。ほっとした気持ちと、微かな―飢餓感。  
 
「色々あったのですね。千代様」  
「別に。大した事ないわ、誠。私はお父様とタエさんの言う通りにしていただけ。回りが勝手に自滅していったのよ。あいつは、後書きの様なもの」  
 
髪からのぞく目は、過去を嘲笑うかのように細くなっていた。  
 
「私と家族の物語は、もう終わった物語。それに誠は登場しないし、登場して欲しくもない。今は、私と誠の物語。二人だけの物語を紡ぎましょう?」  
 
物語、か。たしかに彼女と家族の物語には俺は登場しない。過去をほじくるな、ということだろう。湿った風を感じた。そろそろ雨が降るかもしれない。  
帰りましょう、と声をかけ車椅子に乗せる。百合の香りがどこからか漂ってきた。  
 
 

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