第7話
「お気を付けください、少尉殿」
近い。鬼瓦―伍長が席から乗り出して目の前で囁く。顔を押して席に戻した。わ、顔の脂で手がぬるぬるする。
書類やら手紙やらを出しに外回りをしていたら、郵便局で伍長と鉢合わせした。千代の世話を頼まれて以来顔を合わせていなかったから、10カ月ぶりか。
近くで一杯、と誘われて着いていき、近況をお互い話し終えた矢先だった。
「何に気を付けるんだよ」
「華園(はなぞの)男爵ですよ。お嬢様に縁あるお人です」
たぶん、だいぶ前に千代に金をせびりに来た奴だろう。あれ以来顔を見ていない。華園というのか。確かに頭の中は華やかそうだ。手酌でぐびりとやる。
「なぜその華園男爵を知っている?」
「華族やら成金やらと上流な連中と取引がありましてね。色々と聞きたくもない事が耳に入ってくるのですよ。口さがない奴らばかりですからな」
お猪口を傾けながら苦々しげに伍長は言う。お嬢様と男爵は良くも悪くも有名である。
莫大な遺産を持ちながら屋敷から一歩も出ない、片足の妾の娘に対する没落華族の偏執的な片思い―まさにひそひそ話にはもってこいなのですよ、と。
「気をつけなければいけない根拠は?」
「男爵の使いが来ましてな。まぁ、見た目からすると用心棒として雇ったゴロツキでしょうが・・・商売をするふりをして根掘り葉掘り少尉の事を聞いてきました」
「どう対応した?」
「もちろん、偽情報を流してやりましたよ。
見た目ばかりの阿呆!腕力弱く銃を撃てば己の足を撃つ!
戦では突撃の号令に敵ではなく味方の陣に走って行った日本国始まって以来の腰ぬけ!と。欺瞞は戦争の基本ですからな!」
はっはっはっ、と豪快に笑う。なんか腹が立ったので鬼瓦よ割れろ、とばかりにお猪口を投げつけ、多めに金を置いた。
いやいやここは私が、と煩いので手刀を脳天に落とし黙らせる。
「ありがとよ、御馳走さん。またな」
「荒事の時は是非お声を!少尉殿!小隊員全員駆けつけますぞ!」
何を期待してやがる。陽が傾いていた。遅くなると千代にどやされるからさっさと帰ろう。屋敷に戻ると、執務室で千代とタエさんが押し問答をしていた。
「どいて!タエさん!探しに行く!」
「千代様、誠様はもうすぐ帰ってきますわ。どうかお待ちください!」
俺の顔を見て、ほっとした顔は共通だったが、すぐに片方が怒りを露わにした。
「誠!どこに行っていたの!どれだけ心配した事か!!」
うわぁ、ヤバいどやされる。タエさんはおほほ、と俺の横をすり抜け・・逃げた。車椅子が近付いてくる。無表情で寝室に連れて行け、と言われる。怖い。
寝室に入り、ベッドに腰掛けさせるために抱えると、酒臭い、と言われた。ベッドに腰掛け、俺を睨みあげる。
「私を置いて酒を飲んできたとはどういう了見かしら?誠」
「タエさんの甥っ子に郵便局で会いまして・・・無理やり酒を飲まされてしまいました、千代様」
すまん伍長。俺のために罪を被ってくれ。
「人のせいにするのは良くないわ。誠」
伍長、お前は戦争以外には役に立たない男だよまったく。
靴を脱がして、と言われたので膝をつき、靴を脱がせる。右足だけの靴の中は裸足だった。その足で、顔をぐい、と押され、爪先が口の中へねじ込まれる。
「臭うでしょう?誠。あなたのせいよ。心配しすぎて汗をかいてしまったわ。綺麗にして頂戴」
右足を捧げ持ち、ひとつひとつの指を丹念にしゃぶる。千代はくすぐったいのか体を捩じらせていた。言うほど臭くはないが、やはり革靴の臭いはする。
しかし俺の口だって酒の臭いだ。どっちがいいのかね、などと考えながら指の股に舌を這わせると、舌の感触に慣れてきたのか、ふぅ、とため息のように喘ぎ始めた。
千代がスカートの裾を捲りあげ、下半身を露出させた。下着は濡れて色を変えている。下着を脱ぎ、欠けた左足をゆらゆらと振りながら千代が笑みを含めて尋ねる。
「私の醜い脚は、あなたにとっては良いものなのかしら、誠?」
答える代りに、左足の末端に舌を這わせる。獣が目を覚ます。千代が喘ぐ。右足が俺の股間を愛撫するので、ズボンを脱ぎ露出する。勃起した性器を右足がなぞりあげた。
強い快感に頭を痺れさせながら、千代の性器に手を伸ばし弄ぶ。掌で蜜を溢れさせる割れ目をぐちゃぐちゃと撫でまわし、拳でぐりぐりと押す。愛撫という名の暴力だ。
濡れて熱くなった裂け目は、どんな刺激でも大きく反応を示す。千代は恥も外聞もなく身を捩り、声を上げていた。
獣欲に身を任せ、左足に強く噛みつく。この柔らかな肉を噛みちぎり、咀嚼したい―獣が懇願する。・・・あぁ、そのうちな。
右足首を掴まえて性器にさらに強くこすりつけ、更なる刺激を求めた。もっと。もっと。
千代の性器の上部の尖った場所を摘み、擦りあげると大量の愛液を吹き出して腰が跳ねあがった。俺も耐えきれずに千代の右足に射精する。千代の体がぶるり、と震えた。
千代の体を綺麗にすると、抱き着かれてベッドに倒された。胸に顔を埋められる。
「本当に、本当に心配だったのよ。誠」
安心しきった声。愛情を注ぐ男に対する女の本心。「好き」も「愛している」の言葉もなく、口づけもなく、性交すらない歪んだ欲望の行為の数々。
その間に挟まる穏やかな日常。それらを通じて感じる事の出来る千代の想い。俺も、きっと「愛している」と思う。もし何か危急の事態があれば、喜んで命を差し出すだろう。
だが、と思う。本当に俺は彼女の存在を愛しているのか。欠けている足を持つ、可哀想な少女を性的に弄び、弄ばれ「愛しあっている」と思い込んでいるのではないか、と。
戦場で狂った俺に、獣を内包する俺に、まともな愛し方などできないだろう。今、優しく千代の髪を撫でているこの手で、彼女を八つ裂きにして臓物を貪る幻想に酔う俺はこの先、何を望む?
千代を見る。目が合う。すっと、目を閉じ、顎を上げた。唇が、震えている。求められている―思考が、乱れる。・・・俺は、唇を震える唇に。・・・獣は、震える手を細い首に―
ぐー
唇が触れる直前に、千代の腹が鳴った。羞恥に顔が引きつっている。俺は腹が捩れるほど笑ってしまった。
「誠!あなたが悪いのよ!心配して何も食べていないのだから!笑いすぎよ!」
ひー。枕で叩かれまくる。はいはい、タエさんに食事の準備をお願いしてきます。とベッドを立つ。部屋を出ようとすると、千代に声を掛けられた。
「今日は、甥っ子さんとどんな話をしたの?誠」
「・・・男爵が私の事を調べているらしい、との話です。千代様」
「・・・そう」
千代の表情は部屋が薄暗くて見えなかった。この件は黙っていようと考えていたが、千代に質問されると反射的に答えてしまった。
見事に調教されているな、と苦笑する。まぁ俺が気を付けていれば良いだろう、という考えが甘かったと気付かせられたのは翌日だった。